深夜の来客
その後、連行していったダイテンによって彼が仕事をしているすぐ隣に座らせられたケルシュ。
彼が仕事をしている間中ずっと、息を吐くように甘い言葉を囁かれ瀕死状態に陥っていた。一方、抱えきれない思いの丈を吐き出したダイテンはひどく満足げであったのだった。
雑用を命じられたキルトが日中ずっと邸の外にいたせいでダイテンの行動を制限出来る者が誰もおらず、結局この日は出立出来ないまま夕刻を迎えたためトーレン家にもう一泊することとなってしまった。
無論、これはケルシュと一秒でも長く一緒にいたいダイテンの謀略であり、そんなことだろうと思っていたキルトは全てを諦めて早々に眠りについた。
そんなこんなで、アルシュベルテ家に戻って来た日の夜遅く、キルトは今にも吐きそうな顔をして机に向かっていた。
「一日の遅れならまだしも、こんな量の書類仕事いつになったら終わるんだよ…もう一層のこと捨ててしまうか…」
片手で額を押さえもう片方の手でペンを持ち、相変わらずぼやいている言葉とは裏腹にペンを走らせるスピードは凄まじい。
「お前がケルシュとの距離感を間違えたせいだろう?」
同じく、大量の書類と向き合うダイテンは涼しい顔をしながら一枚一枚に目を通している。
その横顔は普段よりも機嫌が良く見え、キルトにとってはそれが余計に腹立たしかった。
「いや、元々言えばお前が急に邸を飛び出したせいだろ…」
呆れと疲労のせいでいつものツッコミに覇気がなく、キルトの言葉はため息混じりであった。
言い返しても無駄だと判断し、黙々と目の前の書類を捌いていく。
ー コンコンコンッ
日付が変わろうとしていた頃、控えめにドアをノックする音が聞こえた。
すぐに反応したキルトがダイテンに目配せを行い、ドアに向かう。
ダイテンは側に掛けていたジャケットを素早く羽織り、姿勢を正して椅子に座り直した。
「夜遅くにごめんなさい。」
ドアを開けた先には、やや不安げな表情で俯くケルシュの姿があった。
夜着の上からきちんとガウンを羽織っている彼女の装いに、キルトは内心ホッと息を吐く。
キルトは、部屋の奥にいるダイテンの姿を確認した後ケルシュのことを部屋の中に招き入れた。
「こんな時間にどうした?」
中に入ってドアを閉めるとすぐ、ダイテンはケルシュの元へと駆け寄った。
こんな時間にただごとではないという不安と、彼女が自ら訪ねて来てくれたことに対する歓喜と、彼の中に相反する感情が入り混じる。
俯いたままのケルシュの背中にそっと手を当て、ダイテンはソファーに座るよう優しく促した。
あまり良くない雰囲気を察したキルトは、これ以上痴話喧嘩に巻き込まれてたまるものかと、お茶を淹れにいくことを口実に部屋から出て行くためドアへと向かう。
「…ごめんなさい。」
ケルシュはその場から動くことなく、立ったまま謝罪の言葉を口にした。緊張か不安か、その声は微かに震えている。
「何かあったのか?」
焦った声を出したダイテンがケルシュの顔を覗き込んだ。
普段の彼女らしくない振る舞いに、しれっと部屋の外に出て行こうとしていたキルトの足が止まる。襟を直すふりをして聞き耳を立てた。
「その…私がちゃんと伝えなかったせいで心配かけてこめんなさい。公務も止めてしまって、お仕事にも支障をきたしてしまったわ。本当にごめんなさい。でも、迎えに来てくれて心配してくれてとても嬉しかったわ。ありがとう。」
「は………………」
赤らめた顔で一気に言い切ったケルシュに、ダイテンは動揺のあまり言葉を返すことが出来なかった。
口を半開きにしたまま硬直し、間抜けな顔でケルシュのことを見ている。
「じゃ、じゃあ、おやすみなさいっ!」
ダイテンの視線に耐えきれなくなったケルシュは、逃げるように走り去って行った。
「今のは一体なんだったんだ…」
走り込んでくるケルシュのために反射的にドアを開けてあげたキルトが驚いた顔で呟いた。
そして、恐らく自分よりも驚愕しているであろう人物に目向ける。
「こ、こんなに嬉しいことがこの世に存在するのだろうか…」
ダイテンは両手で顔を覆い、床に膝をついていた。
その肩はわなわなと震えており、感情が大爆発していることがよく分かる。
主人の振る舞いにドン引きしたキルトは、見なかったことにして静かに席に戻った。
「今なら何でも出来る気がする。この際隣国に攻め入って陥落させてしまおうか。闇討ちなら朝には決着が…」
「おいっ!!!!」
不穏な言葉を吐くダイテンのことを無視しきれなかったキルトは、机に両手をつき勢いよく立ち上がってキツく睨みつけた。
「…物の例えだ。」
「今の絶対本心で言ってただろ…」
プイッと気まずげに視線を逸らすダイテンに、キルトは思い切りため息を吐いた。
どっと疲労感が増し、全身から力が抜けたかのようにどかっと椅子に座る。
肘掛けに腕を置いてしばらくの間天を仰いだ後、ゆっくりとダイテンへ視線を戻した。
「そういやお前、いつまでケルシュ嬢に黙ってるつもりだ?」
「…特段隠しているわけではない。」
「ふーん…ならいいけど。ああいう裏表のない真っ直ぐなタイプの人間は嘘が嫌いだから、早めに話しておけよ。」
「…」
ダイテンからの返答はなかった。
彼はゆっくりと膝をついていた床から立ち上がると執務机に戻り、書類仕事の続きを始めた。
だが、先ほどまでよりも明らかに処理スピードが遅くなっており、時折何もない空間に視線を向けるダイテン。
何やら考えている雰囲気の彼に、キルトがこれ以上言葉を掛けることはなかった。
二人の書類仕事は明け方まで続いたのだった。




