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何もかもが合わないこの世界で  作者: いか人参


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ドアの役割


「まぁ!ケルシュ、いらっしゃい!」


アイカル伯爵家の邸の玄関前に着いた瞬間、ランナが両手を広げてケルシュのことを出迎えてくれた。

一般的にはしたない行為とされているが誰の目もない場のため、ケルシュも応えるように軽い抱擁を交わす。



「ランナ、お手紙ありがとう。おかげで家の内情がよく分かったわ。…それにしてもランナ貴女ってば…」


ランナの背中から手を離したケルシュは、彼女の全身まじまじと眺めた。そして僅かに眉を顰める。



「どうして夜会に行くような格好をしているのよ?物凄い気合いの入りようだわ。」


「え、だってその…」


ランナは女性にしては長身の身を屈めるとそわそわと視線を左右に揺らした。そしてケルシュの耳元に向かって小声で続ける。



「辺境伯様もいらっしゃってるのでしょう?失礼の無いようにしなきゃ。それに、もしかしたらもしかすると、お連れの方に素敵な殿方がいるかもしれないでしょ。ね?」


小さく、きゃっと声を漏らしたランナは赤く染めた頬を両手で包み込んだ。



「…相変わらず可愛いわね。」


ダイテンの連れと聞いてキルトのことを思い出したケルシュは遠い目をしている。

絶対に彼とランナは会わせてはいけないような気がした。



「でも残念ながら今日は一人で来たのよ。あ、もちろんクリエは一緒だけれど。」


すっと横にずれたケルシュの後ろでクリエが恭しく頭を下げた。



「そうだったんだ。辺境伯様ってお忙しいんだね。ねぇ、実際はどんなお方なの?手紙から物凄くお優しい方でケルシュはちゃんと愛されてるんだなって伝わるけどさ、具体的に最近あったこととか二人でいつもどんな話してるとか色々聞きたいんだよ。ああ本当に素敵。一目惚れで求婚されて愛されて…ずっと男らしい不器用な愛に憧れてたけど、ケルシュを見てると純粋に愛されるのも良いなって思っちゃう。」


両手を握りしめて恋する乙女のように、うっとりとした表情でケルシュのことを見下ろしてくるランナ。


一方のケルシュは、一目惚れだの愛されてるだのランナに言われたせいでダイテンの甘い声と甘い顔を思い出してしまい首まで真っ赤にしている。



「あ!こんな玄関先で立ち話をさせてごめん。長旅で疲れてるのに。お茶を用意させるから私の部屋に行こうか。」


長身のランナからは俯くケルシュの表情が見えず、下を向いたまま反応がないことに焦って気遣いの言葉を掛けた。



「いえその…そろそろお父様のところに向かわないとまずいわ。心配してると思うのよ。」


「ケルシュ様、トーレン家にはわたくしから遅れる旨の一報を入れておきましょうか?」


「ちょっと!クリエ!!」


横から片目を瞑って提案してきたクリエに、ケルシュは恥ずかしさを隠すように声を張り上げた。



「そうだよね。もうこんな時間だもんね。また落ち着いたら遊びに来てね!その時にゆっくり話を聞かせてもらうから。」


「…お土産、使用人に預けとくわね。」


「あ、うん。ありがとう。」


「ふふふふ。」


ダイテンの話題に触れないようにするケルシュの必死の振る舞いに、クリエは面白がるような笑い声を漏らしていた。

もちろん、ケルシュは必死に聞こえないふりをしている。


その後、結局ランナとは玄関先の挨拶のみとなり、ケルシュ達は凡そ想定通りの時間にトーレン家に向かうこととなった。




馬車に乗って数分、トーレン家の敷地内に入り見慣れた建物と見慣れた庭にケルシュは頬を緩ませる。

まだ家を出て数ヶ月だというのに、数年ぶりに訪れたような気がした。


建物が数棟建っても余裕があるほどの広大な敷地を持つアルシュベルテ家とは異なり、トーレン家の門をくぐってすぐ馬車は正面玄関へと辿り着く。


馬車から降りたケルシュは荷物を運ぶクリエと別れ、使用人の案内でランロットの待つ客間に直行する。

普段来客用にしか使わない部屋で父親と会うことに違和感を覚えたケルシュだったが、軽く首を振ると止まりかけた足を速めた。




「ケルシュ、よく帰ってきてくれた。」


客間で出迎えてくれたランロットはケルシュに笑顔を向けてくれたが、椅子から立ち上がった彼の顔色は優れなかった。

近づかなくとも分かるくらいに頬がやつれ、目の下にはクマが出来ている。

何も聞かずとも、精神的に疲弊していることが見て取れた。



「辺境伯様とはうまくやっているか?さあ、ケルシュの話を聞かせてくれ。」


それでも娘の手前、虚勢で笑顔を貼り付けるランロット。貼り付けた笑顔のまま、視線と手振りでケルシュに着席するよう促す。



「建前はいいから、早くエイトルの話をしましょう。」


そしてその父親の虚勢をものの見事にぶった斬るケルシュ。


使用人が用意してくれた紅茶と引いてくれた椅子を無視して向かい側の席に回り込むと、ランロットに詰め寄った。



「な、なぜお前がそれをっ……」


ケルシュの言葉に、ランロットは狼狽えて瞳を左右に揺らし声を震わせた。



「分かるわよ。だって家族だもの。」

「ケルシュお前は…」


ランロットは情けないと思いながらも耐えきれず、両肘をテーブルの上につき両手で顔を覆う。


ケルシュが一変したあの時からずっと『家族』の形を模索し続けていたランロット。

正解はないと頭で理解しつつも、愛娘にとって何が最適解なのか考えずにはいられなかった。


何が正しいかも分からず闇雲に進んできた結果、ようやく『娘の結婚』という一つの安寧を手にしたというのに、今度は息子の方が問題を起こしている。精神がおかしくなってしまいそうであった。

そんな時にケルシュの口から出た『家族』という言葉は、痛過ぎるほど彼の胸に染みたのだ。




「とにかく、エイトルと話さないと何も始まらないわね。」


「それはそうなのだが…部屋に閉じこもったきり、ここしばらく顔を合わせていなくてな…」


「エイトルの部屋に行くわよ。」


「あいつは部屋から出てこなくて内側から鍵もかけられていて、部屋の前まで行っても顔を見れるかどうか…」


「お父様」


八方塞がりだと弱気になって頭を抱えるランロットに、ケルシュは低い声で呼び掛けた。

いつもと異なる彼女の雰囲気にランロットがはっと顔を上げる。



「ドアは開けるためにあるのよ。」


力強く言い切ったケルシュは、悪い顔で優雅に微笑んだ。




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