本領発揮
くそっ……
キルトは心の中で舌打ちをしていた。
ダイテンからケルシュの手紙の内容を聞いたあの瞬間、『ああそういえば、用事があって一度帰ってまたすぐ戻ってくるって言ってたぞ』なぜこのような嘘を咄嗟につくことが出来なかったのか。己の機転の効かなさに唇を噛み締める。
その場凌ぎで適当な嘘をつき、後から秘密裏に動いてケルシュ嬢を連れ戻していればこんなことにはっ…
後悔の念に駆られたキルトは、視界の端で先ほどまで瞬きひとつしていなかった人物が慌ただしく身支度を整えて準備を始める様子を捉える。
「留守は頼んだ。」
外出用、しかも正式な場でしか着用することのない家紋入りのコートを羽織ったダイテンは、一言だけ言い残すとキルトの方を見もせずに疾風の如く執務室を出て行った。
「いやまぁ、そうなるよな…」
昨日のこともあり仕事が山積みだというのに、颯爽と姿を消したダイテン。
一人残された部屋でキルトは、予想通りの最も回避したかった展開にがっくりと肩を落とした。
だがいつまでも凹んでいるわけにもいかず、気合いを入れ直して顔を上げたキルトは唯一の側近としてその手腕を振るう。
山積みの書類の中からダイテンの確認が必須なものを抜き出して一つにまとめる。その後、騎士団長を呼び出して領主不在時の警備体制を敷くように指示。そして、復路の護衛用に副団長及びその部下を急ぎ馬で向かわせた。
「さてと…」
その日の夕刻、ようやく領主不在時の段取り及び急ぎの仕事を終えたキルトが執務室の椅子から立ち上がり大きく伸びをした。すっかり傾いた日が放つ西日に目を細める。
「骨くらい拾いに行ってやるか。」
キルトは、使用人に用意させた騎馬用のブーツに履き替えて剣を腰に差し外套を羽織ると執務室を後にした。
***
同じ頃、ケルシュとクリエの二人を乗せた馬車は順調に王都への移動を続けていた。
ケルシュがダイテンの許可を得ているからと言い半ば無理やり用意させた馬車だったが、アルシュベルテ家に初めて向かったあの時と異なり、今回は乗る馬車には護衛を兼ねた御者二名しか帯同していない。
元より、王都とアルシュベルテ領を繋ぐ街道は治安が良く、賊が出没することは滅多にない。そのため、帯刀した護衛が外から目に付く御者台にいれば十分なのだ。
前回と違って馬車の護衛のために並走する騎士達はいないため物々しい雰囲気はなく、車内には穏やかな空気が流れている。
「急を要するほどエイトル様のご様子は宜しくないのでしょうか…」
向かいに座るクリエが不安そうな声でケルシュに尋ねる。
そんな彼女とは対照的にケルシュは車窓から見える、王都に近づくに連れ栄えていく街並みに瞳を輝かせていた。
ランナからエイトルの近況が書かれた手紙を受け取った後すぐ、ケルシュはランロットからも手紙を受け取っていたのだ。
そこにエイトルのことは書かれていなかったが、久しぶりに実家に顔を出したらどうだなどと書かれていたためケルシュは彼のことだろうと確信し、急ぎ家に戻ることを決意するに至った。
「あの子のことだから大丈夫だと思うのだけど、意地を張ると止めるきっかけが分からなくなるものでしょう?だから私がその機会を与えてあげられれば、なんてね。」
ケルシュはわざと冗談めかしく言うと、クリエに視線を向け安心させるように微笑んだ。
「ケルシュ様っ…なんて弟君想いなのでしょう…大変嬉しゅうございます…」
感動の涙で瞳を滲ませたクリエは、ポケットから取り出したハンカチで目元を拭う。
すっかり成長し、姉として頼もしい姿を見せるケルシュに強く胸を打たれたようだ。
「クリエ」
ケルシュは車窓の外に視線を戻し、僅かに開けた窓の隙間から入り込む夏風に髪を靡かせる。
橙色の陽光に照らされ光り輝く美しい銀髪に、クリエは思わず目を細めた。
先ほどの発言もあいまり、主人の横顔がとてつもなく崇高で神々しいものに感じられる。
「何でございましょう。」
真剣なケルシュの雰囲気に、クリエも真剣な瞳で主人の横顔に視線を向ける。
「王都入りした後、まずはランナのお邸に向かうわ。」
「はい?」
予想しなかったケルシュの言葉にクリエの目が点になった。
「一刻も早くエイトル様にお会いになるため今王都に向かっているのでは…?」
「ええそうよ。でも」
「でも…?」
「ランナにお土産を買ってきたから、早く渡さないといけないわ。」
はっきりと言い切ったケルシュに、クリエは今度こそ表情を失った。
先ほどまでの感涙はどこへやら、決して主人に向けてはいけない目付きをケルシュに向ける。
「まさか、ランナ様とのいつものお喋りを楽しみに帰省したわけではありませんよね?」
「…そんなことあるわけないじゃない。」
外に目を向けたまま思い切り目を泳がせるケルシュ。分かりやすすぎる主人の態度にクリエは盛大に息を吐いた。
「大丈夫よ、クリエ。エイトルは部屋に引き篭もっているのだから、どこにも逃げやしないわ。だから安心して。」
なぜかクリエのことを励ますようにウインクを飛ばして親指を立てるケルシュ。
呆れ切ったクリエからはもうため息さえ出て来なかった。




