謝らないダイテン
見晴らしの良いバルコニーのついた広々とした部屋、クロスと床はシックな色合いで統一され天井を囲うように金の装飾がなされている。
壁際には天井まで続く背の高い本棚が作り付されており、横一列に区切られた仕切りごとに異なるジャンルの書物が収納されていた。
窓を背にした部屋の奥に広々とした執務机が置かれており、その手前には応接用の黒の革張りのソファーと焦茶色の重量感のある長方形のテーブルが置かれている。
そのソファーに腰掛けていたケルシュの元に、ダイテンが淹れたての紅茶を運んで来た。
彼の意向で使用人も途中で駆けつけたキルトも退出させられており、ダイテンの私室にはケルシュと彼の二人しかいない。
紅茶の湯気から柑橘系の香りが漂ってくる。
この国では珍しい種類の紅茶であったが、ケルシュの話を聞いた時彼はすぐに手配させていたらしい。
ケルシュは目の前から漂ってくる大好きな落ち着く香りに、たっぷりと肺いっぱいに息を吸い込んだ。
「悪かった。その…部屋のことも…」
自分用の紅茶の入ったカップを手にしながらダイテンはケルシュの向かい側の席に腰掛けた。
昼過ぎのこの時間、本来ならコーヒーを嗜む方が多いダイテンだったが、彼女の好きな香りを阻害してしまわないよう紅茶を選んだ。
「部屋…?」
ケルシュは小首を傾げた。
アイドリとの一件の後、ダイテンから落ち着いた場所で一度話がしたいと言われ彼の執務室を訪れていたケルシュ。
身に覚えのない謝罪に、困惑した表情を見せているつもりのケルシュだったが、うっかり真正面に座ってしまったダイテンは可愛さのあまり締め付けられる胸を押さえている。
「くっ…こんなにも胸が苦しいとは…」
「ええと?」
「…いや何でもない。こちらの話だ。」
ダイテンは、ふにゃふにゃに溶けてしまいそうな顔面に力を込める。
深呼吸をして表情と気持ちを整えるとようやく口を開いた。
「君にあのような暗くて眺めの悪い部屋を用意させてしまった。まさかあんな部屋をあてがうとは思わず…アイドリに一任していた俺の責任だ。本当に…すまない。」
ダイテンは、少し開いた太腿の上に拳を乗せて頭を下げた。キツく握りしめた彼の両手は僅かに震えている。
「ふふふっ」
ティーカップをソーサーの上に戻したケルシュは口元に手を当てたものの、堪えきれず笑い声を上げた。
あれほど大きいと思っていた男が自分に対してこんなにも身体を小さくしている、その事実にケルシュはなんだかおかしくなってしまったのだ。
「幻滅され」「そんなことないわよ。」
相変わらず自己肯定感の低い言葉を口にしようとするダイテンに、ケルシュは被せるように否定した。
先ほどまでの笑みは消え、真剣な眼差しを向ける。
「貴方のことをちょっと可愛いなって思ってしまったの。すごく気にするから。」
「…可愛いのは間違いなくケルシュの方だが。見た目はもちろんのこと、その鈴を転がしたような可憐な声音も感情がすぐ顔に出る所も誰に対しても真っ直ぐに向き合う所も、その何もかもが愛しくて堪らない。君以上に可愛いものがこの世に存在するものか。」
「ええと…ちょっと、いやかなり恥ずかしいけれどありがとう。でも別に私よりも貴方の方が可愛いと言ったつもりはなかったのだけど…」
半笑いの表情で呆れたようにダイテンのことを見返すが、残念ながら悦に入っている彼の耳には届いていなかった。
既視感のある光景に、ケルシュは頭を横に振って気を取り直す。
「私、今の部屋結構好きよ。明るい女の子らしい色合いよりもああいうのが好き。ふわふわしたお姫様みたいな内装よりも、この執務室のような落ち着いたデザインが好みなの。ふふ、女なのにおかしいでしょう?」
「ありがとう。」
「え?」
『そんなことない』或いは、『変わっているな』そんな類の当たり障りのない言葉が返ってくると思っていたケルシュは嘲笑を止め、思わず顔を上げた。
そこには組んだ両手の上に顎を乗せ、喜びの色が混じった真摯な瞳で見つめてくる彼の姿があった。
「また一つ、君の好きなものを知ることが出来た。」
ダイテンは黒の瞳をきらりと輝かせてさらに笑みを深めた。
親しみ以上の想いを込められたその笑みに、ケルシュはカッと顔に熱が集中する。
「わ、私ばかりずるいわっ」
「ずるい…?」
身体ごと顔を背けて声を上擦らせるケルシュ。
ダイテンはテーブルの上に両手を付いて身を乗り出し、俯く彼女の顔を覗き込もうとしてくる。
「私、ダイテン様の好きなものを何も知らないわ!そんなの不平等でしょう!」
やけっぱちになったケルシュは泣きそうな声で言い捨てた。
啖呵を切った手前、負けたような気がして俯くことが出来ず今にも泣きそうな情けない顔でダイテンのことを見返す。
「そっちに行ってもいいか…?」
「それってどういう…」
尋ねると同時にダイテンは立ち上がっており、ケルシュがどういう意味かと聞き返そうとした時にはもう彼女の両肩と首周りに人肌の温もりが乗っていた。
「嬉し過ぎて我慢ならなかった。」
耳元に落とされたひどく甘い声に、ケルシュの心臓が跳ねた。
ソファーの背もたれ越しに腕を回されているため、触れている部分は肩と首周りの僅かな部分だと言うのに全身を包まれているような感覚がする。
その上、彼が纏う柑橘系の香りに頭がクラクラしてきた。
耳まで真っ赤にして固まるケルシュの頭上から、ふっと笑みが溢れた気配がする。
「謝らないからな。」
「なっ……………………………」
悪びれるどころか、溢れんばかりの喜びが滲み出ているその声音にケルシュはもう何ひとつ言い返せなかった。
「またゆっくり話をしよう。二人きりで。」
追い討ちをかけるように、背後からとびきり甘い声で囁いてくるダイテン。
ケルシュからの返事はなかったが、自分の言葉で翻弄されていることが丸わかりの彼女の態度に、彼はさらに喜びを爆発させていたのだった。




