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何もかもが合わないこの世界で  作者: いか人参


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8年前のあの日のこと


今から8年前、ケルシュが高熱で寝込んだあの日からランロットは絶望の淵に立たされていた。


これまで病気ひとつしたことのなかった妻の忘形見である最愛の娘。

その彼女が高熱で意識不明の状態が続いたことですら身を切られるほどに辛かったというのに、ケルシュが意識を取り戻した今、彼はそれを喜ぶよりも前に絶望を突きつけられていた。



『え、私はなんでこんな所に…?嘘でしょ…どうして、どうしてこんな世界に…』


目を覚ましてすぐ、ケルシュは自分の手を両手で握りしめて安堵の涙を流すランロットに向かって困惑を示した。


最初は寝込んでいたせいによる意識の混濁だと思った。

だが、数日経っても彼女の様子が変わることはなく、部屋に篭り周囲から距離を置くようになっていた。

ランロットも日に数度ケルシュの部屋を訪れて積極的に話しかけたが、返ってくるのはこれまでの明るい返事ではなく、虚な瞳だけであった。




『一体あの子に何があったというんだ…なぜあんなにも人が変わってしまったんだ…』


妻を早くに亡くし、ランロットには他に家族はいない。

そのたった一人の家族から他人を見るような目を向けられ、彼の精神は限界だった。



『そうだ。ケルシュに家族を作ってあげればいい。エリカールがいた頃と同じように。そうすればまたあの娘の笑顔が見れる。』


1ヶ月もの間精神を病み続けたランロットは、一つの極論へと辿り着いた。

今は数年前に亡くした妻への想いよりも、ケルシュのことの方が大切であるとそう判断したのだった。




『ようやく頭の中のモヤが取れて来た気がする。』


一人呟くケルシュ。


ランロットが心を決めていた頃、部屋に篭り続けたケルシュは真昼だというのにカーテンを閉め切った薄暗い部屋の中ソファーに座っていた。


高熱から目覚めて以降、部屋にあるベッドは人の物ように思えて使う気になれず、ソファーで寝る日々過ごしていたのだ。


この1ヶ月、ほぼソファーの上で過ごしていたケルシュはゆっくりと立ち上がり、窓際へと向かう。



私には前世の記憶がある。

私はケルシュじゃない。


そのことを受け入れられず、この1ヶ月間本当に苦しかった。なんでこんなことになったのかって死ぬほど考えた。

彼女の姿形と彼女の記憶を持ってるのもすごく嫌だった。きっと彼女の人生を奪ってしまったんだとそう思うから。


本当に神様って酷いことをする。

人の人生を奪ってまで生きたかったわけじゃない。


でもようやく気付いたんだ。


これがケルシュのものなら、彼女と彼女の家族の人生を私の勝手で不幸にするわけにはいかないって。

過去は変えられないけど今は変えられる。彼女とは真逆の性格をしている私だけど、なるべくケルシュらしく振舞おう。そして、この何もかもが合わない世界で彼女が歩むはずだった人生を生きよう。


奪ってしまった私に出来る償いはそれくらいだから。


ケルシュは、両手で勢いよくカーテンを開けて真っ暗だった部屋の中に光を取り込んだ。



『ケルシュ、君の新しい家族だよ。仲良くするんだ。』


ケルシュが現実を受け入れた日から約1ヶ月後、少しずつ外に出るようになった彼女に、ランロットはエイトルと彼の母親のキャシーを紹介した。


長い黒髪を持ち優しそうな顔で佇む女性のそばに立つ、ケルシュと同じ銀髪を持つ年下の男の子。彼は母親のスカートを掴み、不安げな表情でケルシュのことを見てくる。



ケルシュは突然のことに驚くよりも先に、エイトルの姿を見てランロットの真意を理解していた。



私のせいで彼の人生まで…



思わず視界が滲みそうになり、ケルシュは強く唇を噛み締める。自分に泣く資格はないのだと必死に言い聞かせる。



ケルシュならこんな時どうする?

拒絶?怒る?泣く?戸惑う?


…いや、父親想いの従順な彼女ならきっと



ケルシュは、軽く拳を握りしめ気取られないよう静かに深呼吸をした。

そして、彼女の中にある10歳までのケルシュの記憶から彼女がするであろう反応をイメージする。



『貴方みたいな弟がいたら心強いわ。あ、私はエイトルのことを実の弟だと思って目一杯可愛がるけれど、貴方に同じことを強制するつもりはないわよ。いつだって貴方の自由にして良いんだからね。』


ケルシュは、自分が思う最高の笑顔を作り意識して穏やかな声音で伝えた。


本物のケルシュだったら抵抗せずに受け入れるはず、そう思って肯定の言葉を口にしたケルシュだったが、気付いたら自分の願いを織り込んでいた。


自分のせいで彼の人生を変えてしまったのなら、せめてこれからの未来は彼が望むものであってほしいとそう心からの願いを。



この日を境に、ケルシュはケルシュとしてこれまで通り振る舞うようになった。


と思っていたのは本人だけであり、周囲は彼女の枠に囚われない言動に手を焼いていたが、ランロットにとってそんなことはどうでも良かった。


『お父様』と親しげな瞳と声音で呼んでくれるのなら、それに代えられるものなど何ひとつないとそう思っていたのだ。


幸いなことに、ケルシュとエイトルは本当の兄弟のように仲良くしており、家族でいられることをこの上なく幸せに感じていたのだった。






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