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何もかもが合わないこの世界で  作者: いか人参


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ケルシュの異変


ケルシュがダイテンと二人きりで出掛けたあの日から約2週間、彼女はいつもと変わらずアイドリ監修の花嫁修行に励んでいた。


日々各分野の家庭教師から授業を受け実技で作法やダンスを学ぶ、そんなこれまでと変わり映えのしない毎日のはずが、ケルシュには一つの異変が起きていた。



「ケルシュ様、今日の旦那様の御昼食のことなのですが、」

「ひっ」


午前中最後の座学が終わり、退出する家庭教師と入れ替わりに勉強部屋へとやってきたアイドリがケルシュに声をかけてきた。


その瞬間に息を呑む。



「…どうしました?」


「な、なんでもないわ…」


一瞬だけ狼狽えたケルシュだったが、アイドリがカゴを手にしていないことに気づきほっと胸を撫で下ろす。


怪訝そうな目を向けられているが、呼吸を整えながら外の景色に目を向けるケルシュはそのことに気付かない。



ケルシュはダイテンと出掛けたあの日以降ずっとこんな感じで、『旦那様』の単語に過剰反応を示すようになっていた。


ダイテンの話を出される度に、あの甘い声音とあの笑顔を思い出してしまいどうしようもなく落ち着かなくなるのだ。

自分でもおかしいと思いつつ、ざわざわする心を鎮めることが出来ない。




「旦那様から今日も昼食は不要と申しつかっておりますので、ケルシュ様はこのまま自室にお戻りになって頂いて構いません。」


「…良かった。」


「何か?」


「いえ!お気になさらず!」


つい本音を漏らしてしまったケルシュは、大仰に手を振るとありたっけの胡散臭い笑顔を返した。


多忙なダイテンのおかげでケルシュは二人きりでの昼食を避けることができ命拾いをしていた。だからこそ、昼前のこの時間が最も緊張するのだ。


『なんて言い訳しようか』と頭の中で必死に考え、死刑執行人役のアイドリを待つような感覚であった。



今日も執行猶予の与えられたケルシュは一転晴れやかな笑顔となり、軽々とした動作で席を立ち教科書の入った鞄を手にする。




「あ、いたいた。ケルシュ嬢、ちょっと付き合ってくれるか?」


「は……」


アイドリが部屋を出てすぐ今度はキルトがやってきた。

開け放したドアを片肘で抑え、もう片方の手で見覚えのあるカゴを軽く持ち上げてケルシュに見せてくる。



「ダイテンのやつ、今練習場で訓練の指揮をしているから休憩がてら見にいこうぜ!」


「え、たった今アイドリが今日はダイテン様がお忙しいからって…だから私は…」


「そうかそうか。やっぱり剣を振るう姿は見てみたいよな。男らしく敵を薙ぎ倒す姿なんて見たら惚れ直しちまうよな。うんうん。」


「は!?だから一体何を言ってっ……………」


物凄く良い笑顔のキルトはケルシュの話など一切聞いていなかった。というか、聞く気が全くなかった。

女性は強く逞しい男に憧れるものだと信じて疑わない彼は、ダイテンのために少しでもケルシュからよく見られるようにしたいと必死になっていたのだ。



それもこれも、カフェデートでの顛末をあらゆる人から聞かされたためだ。


皆が悲壮な面持ちで当時のことを話すため、ケルシュはさぞかしダイテンに幻滅したことだろうと勝手に決めつけて勝手に彼の名誉挽回のため奔走していたのだ。


ダイテンがケルシュとの昼食時間を取れなかったのも裏で画策していたキルトの仕業だ。

廊下ですれ違っただけでダイテンのことを避ける素振りを見せるケルシュに、彼は今回の作戦を思い付いた。

それは、ダイテンがまた下手なことをしてしまわないように二人きりになるのを避けつつ彼の漢らしい様をケルシュに見せつけて惚れ直させようという至極安直なものであったのだった。




キルトに急かされるようにしてワケもわけらないまま邸を出たケルシュは、彼が用意していた馬車へと乗り込み練習場へと連れて行かれた。


正門と反対方向に走ること数分、馬車の屋根よりも背の高い青々しく茂る木々の間から簡素な造りの三階建の建物が見えてきた。

その建物のすぐ手前に背の高いフェンスで囲われただだっ広い敷地が広がっている。


馬車から降りると、夏らしい湿気の多い風に乗って剣同士のぶつかる金属音と人の声、素早く地面を蹴る音が聞こえてきた。


キルトの後に続いて木陰の道を通りながら練習場のフェンスへと近寄るケルシュ。

鼻を掠める夏風には、土の匂いと何とも言えない熱気が混じってくる。




「とんでもない群生地だわ…」


フェンスまであと数メートルというところでケルシュは足を止めた。


格子柄越しに数十人の熊のように屈強な男たちの姿が目に入る。

夏の日差しが照り付ける屋外ということもあり、皆半袖シャツと木綿のハーフパンツに簡易的な胸当てをしているのみで肌の露出が多い。

自ずとガタイの良さと鍛え上げた筋肉が目に入る。

王国女性ならば、その男臭さに黄色い悲鳴を上げそうで倒れ込みそうなほどであったが、彼女たちと対極に位置するケルシュは本気の悲鳴を上げそうであった。


男たちは2人一組になり剣を交えている。

重さのある金属音があちらこちらから聞こえ、まるで戦場のようであった。実践を意識しているのか、剣だけではなく時には打撃や蹴りも飛び交っており皆必死の形相でやり合っている。


そんな中、練習場の中央で一際目立つ存在がいた。



「もしかしてあれって…」


嫌そうな顔をしていたケルシュは一転、目を見開きフェンスにギリギリまで近づき真剣な顔で中を覗き込む。



「ああ、あの一番よく動いているヤツがダイテンだな。」


キルトは、ケルシュが凝視する先と同じ方向を指差した。




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