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何もかもが合わないこの世界で  作者: いか人参


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弟の気苦労


ケルシュは、正装に身を包んだエイトルと共にパーティー会場へ向かう馬車の中にいた。



今宵開かれるパーティーは、「北の砦」と呼ばれるアルシュベルテ辺境伯家現当主の父親にあたる先代の主催となる。


北の国境に棲家を構えるアルシュベルテ家が王都でパーティーを開くことはこれまでに一度もなく、「未だお相手のいない一人息子のためのお見合いパーティーに違いない」と未婚の娘を抱える貴族達がこぞって参加表明することとなった。


もちろん、ケルシュの家も同様だ。



事実上公爵家と同等の権力を持つ辺境伯に見染められれば、一生の安泰は確約されたも同然であり、今回参加する誰もが期待に胸を膨らませ、選ばれるため気合いを入れていた。


だが、車窓から夕闇に包まれる景色を眺めるケルシュの横顔は絶望に染まっていた。



「うっ…無理…吐きそう…」


「は!?おい、ちょっと待て!」


今にも吐きそうな顔で前屈みの姿勢になり、両手で口元を抑えるケルシュ。

彼女の向かいに座るエイトルが焦った様子で自分の鞄の中を漁る。


薄暗い車内、手探りで目的のブツを見つけた彼は取り出した小瓶の中身を数滴ハンカチに垂らした。そしてそのハンカチを問答無用でケルシュの鼻先に押し付ける。



「んぐっ!……スーハー……スーハー…何このいい香り…おかけでちょっと落ち着いてきたわ…ありがとう。」


数回深く呼吸を繰り返したケルシュは顔色を取り戻し、一転晴れやかな顔をしていた。

そんな彼女のことを引いた目で見てくるエイトル。



「お前は…そんなに苦手ならその香水やめればいいだろ。変なところで無理するなよ。この見栄っ張り。」


「仕方ないじゃない。薔薇の香りのしない女は女と認めてもらえないんだから。ドレスを着ている以上、薔薇の香りを纏うことがこの国のマナーなのよ。反吐が出るけど。」


「これ持っとけ。」


エイトルは先ほど取り出した小瓶を目の前に座るケルシュに向かって放り投げた。

狭い馬車の中、すぐ眼前に迫る小瓶を危なげなく片手でキャッチして見せるケルシュ。



「これってさっきハンカチにつけてくれたやつ?柑橘系の私が大好きな香りだわ。貴方、よくこんなものを都合よく持っていたわね?」


「…昔から甘ったるい香りよりも果物のとかさっぱりした香りの方を好んでいたし、俺にもそう言ってただろ。」


「そうだったかしら…」


話した覚えは無かったが、エイトルから受け取った小瓶は有り難く頂戴することにした。


顔色を取り戻したケルシュに安堵の表情を見せたエイトルが今度は少し不安そうに目を伏せる。



「このパーティー、辺境伯家主催の見合いの場なんだろ?それに俺なんかを同伴させて良かったのかよ。本物の兄弟ならまだしも…」 


『本物の兄弟なら』


自分で発した言葉にとてつもなく胸が苦しくなったエイトル。


これまで何遍と繰り返し妄想してきたありもしない仮定の世界。

生まれた時から一緒に育っていたらこんな想いを抱えずに済んだかもしれない。普通の兄弟のように純粋な気持ちで側にいられたかもしれない。


これまで誤魔化して隠し続けてきた思いが、姉の縁談話が出てくる度に顔を出す。年々色濃くなるそれは、無視できないものとなっていた。



エイトルは己の思考に沈みながらもケルシュからの返事を待っていたが、何も答えてはくれない。


やっぱり言わなきゃ良かった…


変なところで勘の良い彼女はきっと自分の想いを汲んで沈黙を貫いたに違いない。

そう考えたエイトルは、「やっぱり今のは忘れてくれ」そう伝えようと顔を上げた。




「これ、本当にいい香り。こんなの一体どうやって作ったのよ。」


「は」


小瓶に夢中のケルシュは、エイトルの話を一音も聞いていなかった。

瓶の中身を揺らしたり匂いを嗅いだり、手元しか見ていない。


相変わらずの彼女の姿に、エイトルの胸の痛みは鳴りを潜め、彼の表情は穏やかになる。



「これ、髪に付けたらずっと柑橘系の香りに包まれて幸せなんじゃないかしら?試しに少しだけ…」


「あ、おい馬鹿、やめろっ!」


穏やかな表情は一瞬で消え去り、必死の顔で止めようとケルシュに手を伸ばすが、一歩遅かった。彼女は何も考えずに、綺麗に結えた美しい髪に液体を振りかける。



「うわわああああっ!!髪がベタベタするーー!!なんなのよ、これ!それにまたなんかまた気持ち悪くてなってきたわ…匂いがキツい…」


「髪に使うな馬鹿!数滴で良いものを瓶ごと振りかけるやつがいるかっ!!!」


ケルシュのやらかしに、エイトルが全力で怒鳴りつける。


声を荒げながらも、またもや鞄の中から手探りで何かを探しており、取り出したのはタオル、櫛、水の入った瓶、そして無香料のヘアオイルだ。


ケルシュの隣に席を移動すると、手早く彼女の髪から余分についた香料を拭き取って軽く水を付ける。そして最後はヘアオイルを使って乱れた髪を整えた。

固まってしまった髪の束は諦めて三つ編みにし、後頭部を一周するように編み込んでいった。



「これで少しはマシになっただろ。」


「…すごい。エイトルって本当に器用よね。準備も良いし。まるで万能な神様だわ!ありがとう。」


「お前は人の努力を全て無駄にする悪魔みたいなやつだな。」


「…本当に可愛いわ。次は最初からヘアセットをお願いしようかしら。うん、それが良いわ!」


「おい」


エイトルの言葉に言い返せなかったケルシュは、目を逸らして華麗に無視すると彼に整えてもらった髪を褒めまくっている。


そんな彼女の姿を嬉しそうな目で見ていたエイトルには気付いていなかった。



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