地獄のカフェデート
当初の(キルトが考案した)予定では、二時間ほど宝石店で過ごした後邸に戻ってから庭園に作ったテラス席で二人きりの昼食を取ることになっていたのだが、かなり早まってしまったためダイテンとケルシュの二人は彼が宣言した通り、カフェに移動していた。
向かったのはアルシュベルテ領の繁華街に最近出来た真新しい店だ。
こんなこともあろうかと、キルトは予めデートで使えそうな店をいくつか見繕いそれをリストにして御者に渡していたのだ。
そんな細やかな彼の配慮などつゆ知らず、ダイテンは『近くのカフェへ』とだけ御者に伝えて現在に至る。
「噂には聞いていたけれど、想像以上の地獄絵図ね…」
窓際の景色が良いソファー席に座っているケルシュは、ティーカップを片手に口の中だけで呟いた。
彼女が死んだ魚のような目を向ける先には、ケルシュ達と同じ年頃のカップルが数組二人掛けのソファー席についている。
一見仲睦まじく隣並んで座る男女だが、その様子はケルシュの感覚とはまるで異なっていた。
どのカップルも似たようなもので、店員と話すのは女性の役割で注文も品の受け取りも彼女達が行っている。
それだけでは事足りず、男性の口元にスプーンを運ぶ姿やパンを切り分ける姿、口元を拭いてあげる姿まで甲斐甲斐しく世話を焼く様子が散見された。
その上、男性側はそれが当たり前という表情で全てを受け入れており礼の一つも聞こえてこない。それでも女性達の表情は皆どこか嬉しそうであった。
未婚のカップルが集まる場では当たり前の光景であったが、そういった場を避けていたケルシュにとって衝撃でしかなかった。
嫌なら見なければいいものを、つい歪めた顔で周囲の様子を窺ってしまう。
「ケルシュ、ここはクレープシュゼットが有名らしい。嫌いでなければ食べてみるか?」
入店してからずっと機嫌の悪そうな顔をしているケルシュに、彼女の隣に座るダイテンが気遣うように声を掛けてきた。
この店には所謂カップルシートのソファー席しかないため必然的に隣り合うこととなるが、馬車の中で慣れたケルシュが今更それを気にする素振りはない。
「…ええ」
周囲に圧倒されたケルシュは心ここに在らずの状態で反射的に返事をする。
その後、オレンジの爽やかな香りとバターの芳ばしい香りとブランデーの芳醇な香りが鼻を掠めて目をやると、銀のスプーンに乗った一口サイズのクレープが目の前にやってきた。
その香りに釣られるようにして何も考えずに口を開き、丁寧に運びこまれてきたそれをゆっくりと舌で味わいながら咀嚼を繰り返す。
香り以上に口内に広がる旨みと程よい甘さに、ケルシュは両手で口元を抑えて目を見開く。
「何これ、物凄く美味しいわ…」
「喜んでもらえて良かった。」
すぐ隣から泣きそうな、けれども甘さのある声が聞こえてきた。
「え」
目尻を下げて微笑み、銀のスプーンを手にしているダイテンを目にしたケルシュはそれで全てを察した。
「は、嵌められたわ…」
ケルシュは自分のしでかしてしまったことに耐えきれず、淑女の振る舞いを置き去りにし両手で頭を抱えてだらしなく項垂れた。
視線をテーブルに落としたまま片目だけで周囲を見渡すと、皆驚愕の表情でケルシュ達のことを見ている。その中には侮蔑の視線も混じっていた。
「もっといるか?」
「いらないわよっ」
ケルシュは、口元に近づけてきたダイテンの手をつい勢いよく払い除けてしまった。
「すまない…」
しょんぼりと仔犬のような顔で謝るダイテンに、更に多くの視線が突き刺さる。
一方刺された本人はケルシュのことしか考えておらず、自身の置かれた状況に気付く様子はない。
「ああもうっ」と言いながらケルシュは周囲に声が聞こえないようダイテンの耳元に唇を寄せた。
「貴方が変な目で見られるのよ。貴方はここの領主様なのでしょう?それなのに、女性に世話を焼いていたなんて噂が流れたら大変だわ。もう少し周りの目を気にしないと…」
「ケルシュだって俺と初めて会った時、取り繕わずに本音で接してくれただろう?君も俺と同じだと思うんだが。」
「それは…」
ダイテンの正論にケルシュは言い淀んだ。
確かに彼の言う通りだとそう思ってしまったのだ。
自分だって王国女性としての振る舞いは最低限しか行っていない。それなのにどうして今、彼の言動にこんなにも過剰に反応してしまうのか…改めて考えた結果、ケルシュは一つの結論に辿り着いた。
「人のことだと良く見えるから余計に気になるのよ。」
「…そういうものか。」
「ええ、そうね。間違いないわ。」
己の思考を言語化したケルシュは、うんうんと腑に落ちたように一人頷いている。
彼女の隣に座る彼は、まだ何やら考え込んでおり納得がいってないようであった。
「いやしかし、何も悪いことはしてないのだから隠すような必要はどこにもなく、俺たち二人が堂々としていればそれで…」
「あっ!!」
ふと視線を窓の外に向けたケルシュが、突如大声と共に勢いよく立ち上がった。
何事かと思ったダイテンも外に面するガラス窓から彼女を庇うように片手を広げて席を立つ。
「何があった?」
鋭い視線を外に向けたままダイテンが抑えた声で尋ねる。
彼は片手をケルシュの前に出し、もう片方の手で帯刀している剣のツカを掴んでいた。
先ほどまでの温和な雰囲気は消え去り、一気に緊張感が高まる。他の客達も何事かと不安そうな視線を向けていた。
「あそこにっ…いいえ、何でもないわ。驚かせてしまってごめんなさい。」
ケルシュは窓の外に視線を固定したまま言いかけた言葉を飲み込み、ある一点を示そうと上げかけていた手を静かに下ろした。
「本当に大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫よ。」
真摯な瞳で心配してくるダイテンに、ケルシュはきっぱりと否定の言葉を返した。
今見えた私と同じ髪色とあの立ち姿は彼にしか見えなかった。でもどうして…ううん、こんなところにいるはずもないわ。きっとこんな場所にいるから、現実逃避をしたくて私が作った幻ね。
元気にしているかしら…
ふと頭をよぎった人物に思いを馳せる。
ケルシュはソファーに座り直したものの、焦点の定まらない瞳でまだぼんやりと窓の外を眺めていた。
そんな彼女に心配そうな目を向けるが、ケルシュの意向を汲み取ったダイテンがこれ以上何かを尋ねてくることは無かった。




