ダイテンのお買い物
「領主様、このような所にまでご足労頂きまして誠にありがとうございます。こちらから参りましたのに。」
店の中に入るなり、カウンターの奥から上品な身なりをした50代くらいの女性が姿を現した。
品よく微笑む彼女の耳や首元には繊細なカットを施した大粒の宝石がいくつも輝いている。その洗練された見た目からこの店の女主人だということが容易に想像がつく。
「いや、今日は彼女にも街を見せたくてな。そのついでだ。」
ダイテンが横に身体をずらすと、幅の広い背中から小柄なケルシュが顔を出した。
「まぁ!これはこれは。お噂以上に可憐なご婚約者様でございますね。初めまして。わたくし、宝石商を営んでおります、セイラ・サンストと申します。」
「初めまして、ケルシュ・トーレンです。」
「ケルシュ様、ご婚約おめでとうございます。また、婚姻の儀に使う宝石類につきまして当店にご用命頂き誠にありがとうございます。こんなにも素敵な方に身につけて頂けるなんて光栄ですわ。」
セイラはスカートを軽く摘んで腰を落とし、優雅に一礼をする。
「本日はどのようなものをお求めでございますか?」
視線の先をダイテンへと変えたセイラは、彼に向かって笑みを深くした。
そのあからさまな態度に、ケルシュは顔が引き攣らないよう必死にアイドリに鍛えられた淑女の微笑みを顔に貼り付けている。
「その婚姻の儀のことなんだが、先日邸に届いていた分はすべて返品したい。」
「な、なにかお気に召さないようなことでも…」
セイラの顔から一切の表情が消え、口元に手を当てて凍りついている。あれだけ見込んでいた売上を損失するのかと思うと、視界が霞み周囲の音すら遠くなっていく。
同じようにケルシュも驚愕の表情を浮かべていた。
とんだ恥晒しだわ…
彼は婚姻の儀を取りやめるつもりでいたのに、今日の外出のことを一瞬でもデートだと思ってしまった自分に、ケルシュは猛烈な羞恥心が込み上げる。
そして破談後のことよりも何よりも、邸に戻った後あんなに嬉しそうに見送ってくれたクリエになんて伝えようかとそんな心配が頭の中を駆け巡っていた。
「その代わり、ここでケルシュに選んでもらう。」
「えっ…」
相変わらずケルシュの方を見ずに話すダイテンのことを、彼女は思い切り見上げた。
その真面目な横顔は揶揄っているようには見えず、本気で言っていることが良く分かる。
セイラはほっと胸を撫で下ろしていた。だが聞き捨てならないダイテンの言葉に、すぐさますっと表情を固くする。
「ご領主様、それは大変喜ばしいお申し出なのですが、女性が身に付けるものは男性が選ぶものですよ。それに、ケルシュ様もご自身でと言われても困ってしまいますでしょう?選んでもらったものが嬉しいに決まっていますわ。」
非常識なことを言ってくる子どもを嗜めるかのように、穏やかにしかし有無を言わせぬ圧を纏って言い聞かせてくるセイラ。
最後の一押しとばかりにケルシュへ向ける笑顔を強めてくる。
「ええ、それは…」
「彼女には彼女の意思がある。勝手に決めつけるな。」
はっきりと言えないケルシュの言葉を引き継いで、ダイテンは言い切った。その上、黙らせるように目付きを鋭くさせる。
「す、すぐにいくつかお持ちしますわ!」
怯えたセイラは物凄い勢いで店の奥へと引っ込んで行った。
深く息を吐いたダイテンは、店の壁側に置いてあるソファー席に座った。セイラが戻ってくる気配がないため、彼女も彼の向かい側の席に腰を下ろす。
セイラが逃げるように姿を消したためお茶の用意はなく、手持ちぶたさになったケルシュが言いにくそうにして尋ねた。
「どうしてあんなことを?きっと普通じゃないって思われたわよ。」
「構わない。俺はケルシュにさえ理解してもらえればあとは何でも良い。」
「またそんな恥ずかしいことを平気で口にしてまったくもう…」
「悪い。ケルシュの恥にならぬよう今一度己の言動を改める。」
「そういうことじゃないわよ!」
「ではどういうことだ?」
ケルシュの目の前に座るダイテンは腕を組み思い切り首を傾げた。彼女の言葉の意味が本気で分かっていないようであった。
「ありがとうって、そう言ってるのよ。嬉しかったの。」
頭の硬いダイテンに呆れたケルシュは、そんな彼にもはっきりと伝わるよう、恥ずかしさを堪えそっぽを向いたままお礼の言葉を口にした。
「…ぐっ」
急に呻き声を上げるダイテン。
初めてケルシュに感謝された彼は歓喜するあまり顔を歪め、喜びに耐えきれず悲鳴を上げる胸を片手で抑えて悶え苦しんでいた。
「・・・」
独特な感情表現にケルシュは言葉を失った。
つい、『早く戻って来ないかしら』と現実逃避気味にカウンターの奥を覗き込んでしまう。
そんなケルシュの強い思いが通じたのか、重厚そうなケースを手にしたセイラが戻ってきた。
「大変お待たせを致しました。こちらに色とりどりの最高品質の石をお持ちしま…」
「全てもらおう。ここだけでなく、店に置いてあるものすべてだ。」
ダイテンはセイラの手元にある石を確認もせずに早口で言った。
「ダイテン様っ…!?」
「選択肢の多い方が好きなものを見つけやすいだろう。俺は君の喜ぶ顔を見たいだけだ。」
恐ろしいほどに思い切りの良い買い物の仕方に開いた方が塞がらないケルシュ。そんな彼女にダイテンはこの上なく爽やかな笑顔を向けてくる。
「…っ」
真顔が常である彼の不意打ちの笑顔に、ケルシュは目が眩み心が跳ねたような気がした。
黒曜石のようにきらりと輝く瞳を目の前にしてはもう何も言えなかった。
「せっかくだ。お茶をしてから邸に戻ろう。」
ひどく上機嫌のダイテンは、人が変わったように堂々且つ自然な流れでケルシュの手を取る。
手を握られた彼女は動揺で言葉を発することが出来ず、人が変わったようにされるがままとなっていた。
こうしてダイテンとケルシュの二人は、とても良い笑顔でお辞儀をするセイラに見送られ店を後にしたのだった。




