クリエから見たケルシュ
「疲れたわ…」
夕飯までまだ時間のある夕刻、ケルシュは小休憩のために訪れた自室のベッドで両手を広げ仰向けになって倒れていた。
まるで死人のような様であった。
「お疲れ様にございました。」
クリエもケルシュの人らしからぬ行為を咎めることなく、心の底から労いの言葉を口にする。
そして、ソファー前のテーブルに蜂蜜のたっぷり入った紅茶を用意した。
辺境伯家の高貴な茶葉の香りに惹かれたケルシュがベッドから飛び降りてソファーに移動する。
「あんなに細かく採寸する必要なんてあるのかしら…しかも一箇所につき二人で2回も計測するのよ。せめて布地くらい自分で選べれば多少は楽しみがあるのに…あれじゃされるがままの着せ替え人形だわ。ちっとも楽しくないの。」
紅茶を啜ったケルシュは、ふぅーっと大きく息を吐きソファーの背もたれに体重を預けた。よほど疲れていたらしい。今にも白目を剥きそうである。
「由緒あるアルシュベルテ家のお式ですからね。御衣装にも力が入るのですよ。」
クリエは、チョコレート菓子を並べた皿をティーカップの隣に置いた。
邸から出られないケルシュのためにダイテンがこっこそりと使用人に用意させたものだ。
彼女の部屋には王都で有名な菓子が一通り揃っており、定期的に補充される。
「それにしたってやりすぎよ…別に好き同士の結婚でもあるまいし…んっこのお菓子とても美味しいわ。」
目を見開いたケルシュは、誰が誰のために用意したものかなど気にすることなく二個目に手を伸ばす。
「本当に辺境伯家の資金は潤沢ね。何もかもが実家とは大違いだわ。」
「国防の砦であり、王家の信頼が厚い名家ですからね。本当に…そのようなところに輿入れなさるケルシュ様が素晴らしくてなりません…」
いきなり感極まったクリエは、ポケットからハンカチを取り出して目元を拭った。
幾度となく釣書と共に自身の将来を破り捨ててきたケルシュの姿が脳裏に浮かび、あの時の絶望を思い出していたのだ。
「いやちょっと待ってよ…まだ婚約期間は半年も残っているわ。これからどんな鬼畜な試練を課されることか…」
「…そうでしょうか。私にはそのようなお人柄には見えませんでした。それに、」
肩を震わせていたクリエは顔を上げ、真面目な顔でケルシュのことを見る。
「旦那様と昼食を共にされた後のケルシュ様はとても楽しげに見えます。」
「なっ…そんなことないわよっ。いきなり変なことを言わないでちょうだい。あの部屋で食べる食事が少し特別なだけよ。」
自覚なくとんでもないことを言うケルシュに、クリエはふふっと笑みを溢した。
「それはとても素敵なことですね。」
「ただ同じ空間で食事をするだけで素敵なことなんてなにもないわよ…本当になぜ私なんかを選んだのかしら…きっとこの見た目に騙されてしまったのね…」
ケルシュは遠い目をしている。
彼女の庇護欲をそそられる可憐な見た目に騙されて近づいてきた男達は数知れない。
ケルシュ自身、ガタイの良い男達も苦手ではあったが、それよりも見た目で中身まで決めつけられることを最も嫌悪していた。
勝手に期待して勝手に失望して、それをお前が悪いと八つ当たりのように言葉をぶつけてくる。
そんなことも一度や二度ではなかった。
見た目だけはこの世界に順応できるものを持っているというのに、それを最大限に活用出来ず自我を抑えられない自分も嫌だった。
この世界に染れば楽なのに、染まり切れない自分がいる。
ケルシュは、前世の自分を捨てきれない己のことを一番嫌っていたのだ。
「私がもっとちゃんと王国女性らしく振る舞えればいいのに…そうすれば彼だってきっと…」
「大丈夫ですよ。」
珍しく気落ちした声を出すケルシュに、クリエはソファーの側に膝をつき彼女の手を両手で取った。
安心させるように優しい微笑みを向ける。
「今回の結婚が破談になったとしても、クリエはケルシュ様のお側におります。ランロット様にも一緒に頭を下げます。だから何も心配はいりません。」
「ちょっと破談って…さっきと言っていることがまるで違うじゃない。」
ケルシュは、ティーカップを両手で持ったままそっぼを向いた。
「ふふふ。素直じゃないケルシュ様も好きですよ。」
「もう!恥ずかしくなるからそういうことを言わないでよ!」
照れ隠しだと気付いていたクリエはにこにこと微笑むことを止めない。
だがあまりにずっと笑っていると主人が本格的に拗ねてしまうため、ケルシュに背を向けて彼女の気を逸らすようにベッドメイキングを始めた。
ケルシュがぐじゃぐじゃにしてしまったシーツを手早く元通りにしていく。
「…ありがとう、クリエ。」
仕事をするクリエの背中に向かってケルシュがボソリと呟いた。
「ええ、私も大好きです。」
「だからそういうことをサラッと言わないでちょうだい!」
「ふふふ、困りましたね。」
ほんのりと顔を赤くするケルシュのことを盗み見したクリエは、目を細めた。
王国女性らしくなくとも、こんなにも真っ直ぐで愛らしい主人に、彼女のことを真に分かってくれる相手が見つかるよう願う気持ちが一層強くなる。
出来ればそれは、主人が唯一嫌悪感を抱かなかった彼であって欲しいとつい欲が出てしまうのであった。




