とばっちりを受けるキルト
ダイテンがケルシュと夕食を共にしている間、キルトは執務室で1人書類仕事をしていた。
長期間留守にしていたため溜まっていた書類に素早く目を通し、急ぎのものとそうでないものに仕分けていく。
それが終わると、今度は騎士団から上がって来たこの1ヶ月間の報告書に目を通す。ダイテンにまで報告を上げるべき懸念事項があるかどうか確認するためだ。
ダイテンに渡す書類をひとつにまとめ、綺麗に重なり合うように軽く机に打ちつけて整える。
山積みになっていた書類は、ものの見事に分類されていった。
「そろそろか」
時刻を確認したキルトは机の上を軽く拭き、ダイテンの戻りを待つ。
いつになく手早く丁寧に仕事をしたキルトの頭の中には大きな打算があった。それは昼間の出来事のせいで怒らせてしまった主人の機嫌を取ろうとい単純明快な狙いだ。
あれほど思いを寄せていたケルシュとの食事を終えた後だ、彼はきっと上機嫌で戻ってくるに違いないと信じて疑わなかった。
これで自分が吹き出してしまったことなど全て忘れているだろうと考えるキルトの口元は緩んでいる。
「キルト」
ノックもなしに勢いよくドアを開けたダイテンは、足を踏み入れると同時に低い声で呼びかけてきた。
予想と全く異なるダイテンの登場に、キルトの背筋が凍りつく。
だがもう後がない彼にとって、いつものように『おいおい怖い顔してどうしたんだよ』なんて揶揄う余裕はない。
胸ポケットからペンとメモを片手で取り出すと、従順な臣下らしくダイテンの側に駆け付ける。
「明日の早朝、実践を想定した特別訓練を行う。全団員に指示を出しておけ。俺も出る。もちろんお前もだキルト。」
「は………………………」
メモを取ろうとしたペンを床に落としたキルト。それは毛足の長い絨毯に音もなく飲み込まれていく。
剣技が苦手ではないが好きではない彼は、もう二度とダイテン主導の訓練は受けないと心に決めていた。
以前受けた訓練は、それほどまでに体力的にも精神的にもダメージが大きかったのだ。心に翳りを作るほどのトラウマとなっている。
「日の出と共に訓練を開始する。早くしろ。」
「…ああ。」
ダイテンに気圧されたキルトは、各団員に伝えるべく、同じ敷地内にある騎士達の住まう宿舎へと向かった。
敷地内とは言え、広大な敷地の端にある宿舎棟までは歩くと15分ほど掛かる。普段は馬を使うのだが、夜は馬番がおらず使えないためキルトは早足で向かっていた。
「…いやあれ、絶対ケルシュ嬢となんかあっただろ。完全なる八つ当たりだ…」
月明かりに照らされた宿舎へと向かう一本道で、ふと冷静になったキルトはようやくこうなった原因に思い至った。
「おいおいおい、こんなのが一生続くのかよ…何か手立てを考えないと…」
月明かりの下では分かりにくかったが、キルトは顔面蒼白であった。
彼は保身のため、早歩きで移動しながらも二人の関係を安定させる方法を思考し始めたのであった。
『明日は早朝訓練のため、朝食は別で摂る。 ダイテン・アルシュベルテ』
ダイテンは花柄の透かしが入った小洒落た便箋に一筆書くと丁寧に二つに折り、呼び付けた使用人にケルシュへ届けるよう託した。
「少しでも俺の想いが伝わればいいのだが…」
使用人が執務室を出て行った後、ダイテンは一人不安そうな声で呟いた。
彼は夕飯時の失態を挽回すべく、ケルシュに対して気遣いを見せた、つもりでいたのだ。それに加え、『早朝訓練』という王国女性がときめくパワーワードで男らしさをアピールしようとする邪な考えまで忍ばせていた。
これで少しは見直してくれるだろうと、落ち着きを取り戻したダイテンはキルトが整理してくれた書類に片っ端から目を通していったのだった。
「え、何よこれ…」
ダイテンからのメモを渡されたケルシュの手は小刻みに震えていた。
もちろんそれは感動によるものなどではなく、怒りによるものであった。
「早朝訓練って、何のアピールよ。口があるんだから夕飯の時に言えばよかったじゃない。わざわざこんな走り書きを寄越して…私と言葉を交わすことがそんなに嫌なのかしら?」
片手で便箋を握り潰したケルシュは、早口で捲し立てた。思いを込めて二つに折られた便箋は、一瞬にして髪飾りと化していた。
そんな彼女に、クリエはこれで機嫌を直せとばかりに黙って蜂蜜たっぷりのホットミルクを差し出す。
「こうなったら私も、明日は日の出と共に邸内の清掃を…」
「それはおやめください。」
間違った方向にやり返そうとするケルシュに、クリエがすかさずツッコミを入れる。
「ケルシュ様はお忙しいでしょう。婚姻の準備を任されているではないですか。明日も朝から予定が入っていますよ。」
「分かったわよ。じゃあ、明日はやめておくわ。」
「一生おやめください…」
何も伝わらない主に、クリエは大きく息を吐いた。
ひとまず明日の暴走は抑えられたとして、今後はどうやって問題を起こさせないよう制御しようかとひとり頭を抱えていたのだった。




