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何もかもが合わないこの世界で  作者: いか人参


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17/59

初めての夕食会


あの後、堪え切れず盛大に吹き出してしまったキルトはダイテンの八つ当たりを含んだ怒りを一心に受けることとなってしまった。


有事の如く剣を抜き斬りつけようとしてくるダイテンをキルトが鞘で受け止めまた斬りかかってくる、そんな攻防戦を繰り広げ玄関ホールは一時騒然となった。

敵襲と勘違いした巡回中の騎士達が駆け付ける騒ぎにまでなってしまった。


その後、怒りを発散して冷静さを取り戻したダイテンは、近くにいたクリエにケルシュの着替えを命じ、事情を聞くと言ってアイドリのことを強制連行して行った。

擦り傷で済んだキルトも慌ててダイテンのことを追って行き、玄関ホールはまた静けさを取り戻したのだった。




「だからあれほど止めたというのにケルシュ様はまったく、毎日毎日お仕着せ姿で使用人みたいなことばかりして…」


「だって仕方ないじゃない。使用人頭の言うことは絶対だという頑なな態度のアイドリがいけないのよ。対等に話すためにはまず、相手と同じ領域で同等かそれ以上に優れていることを証明しないといけないでしょう?」


「だからどうしてそれが、使用人の行う雑用をケルシュ様がやる話になるんです…」


埃で汚れたケルシュの髪を濡タオルで拭き、艶出しのためのオイルを塗り込みながらクリエのぼやきが止まらない。


逃げるように自室へと戻ってきたケルシュは、クリエの手を借りて彼の指示通り大人しく身支度を整えていた。




「まぁいいじゃない。」


髪を整えてもらったケルシュは、クリエが用意してくれた外行きのいつもより華やかなワンピースに袖を通す。



「御当主様が戻られたのよ。後は彼が何もかもを判断してくれるわ。」


「そのようなお方に向かって、つい今し方不敬な発言をしたばかりで、私は心配で心配でなりません…いつご実家に送り返されることか…」


「大丈夫よ。きっとあの彼なら話せば分かってくれるわ。」


心配顔のクリエを励ますようにケルシュが明るく声を掛ける。

どちらが当事者か分からないような光景であった。



支度を整えたケルシュは、夕飯の用意が出来た知らせを受けダイニングへと向かう。


婚約後初の顔合わせとなる今日、婚約祝いの意味も込め普段とは異なりコース形式の豪華な食事が用意されていた。

いつも自室で食事を摂っていたケルシュは胸が踊る。



「素敵ね…」


目を輝かせながら、使用人が引いてくれた椅子に腰掛けるケルシュ。

今日は数種類の光り輝く銀製のカトラリーに加え、花飾りや色を合わせたテーブルクロスもあり彩豊かでテーブルの上は目を引く光景となっていた。


だが、うきうきする心を隠せずにいるケルシュとは対照的に、部屋の隅に控える使用人達の表情は異様に暗かった。

それは、彼らは不運にもあの場に居合わせており主人の激昂を目の当たりにしていたせいであった。



ケルシュが席についた後すぐにダイテンも現れた。

彼は室内だと言うのに肩に飾りのついた豪奢な厚手の上着を羽織り、正装に近い形式ばった服装をしている。


ダイテンの登場にケルシュが立ちあがろうとしたが、彼は視線でそれを制止し、彼女の向かいの席に座った。彼の着席に合わせ、二人の銀製のグラスに飲み物が注がれる。


二人の間に緊張感が漂う中、ダイテンがグラスのステムを手で掴み軽く持ち上げた。

視線を向けられたケルシュも同じようにグラスを手にし、彼よりも下の位置に構える。



初めて正式に対面する婚約者に向け、ダイテンは重要な言葉を掛けようと心に決めていた。


玄関ホールでの一件で怒りを露わにするというみっともない姿を晒してしまったため、身なりと気持ちを整えて今度こそ自分の気持ちをきちんと伝えようとそう気合いを入れてきたのだ。


だが、真正面からケルシュのことを目にしてしまった瞬間、その心は簡単に砕け散った。


一目惚れのように恋に落ちた相手に対する想いは、距離を置いていたこの期間で自覚しないまま増幅しており、いざ本物を目の前にしたダイテンは言葉を失った。


あんなにも頭の中で揃い並べていた言葉達が今は一つも頭に思い浮かばない。それどころか、この場を取り繕う言葉すら出てこない。乾ききった喉は声の出し方を忘れてしまった。


ダイテンは、どうしようもなくケルシュに囚われてしまっていたのだ。




『そろそろ腕が痛いわ…』


グラスを手にしたまま固まっているダイテンに、ケルシュの顔は淑女の微笑みからしかめ面に変わろうとしていた。


そして何をどう勘違いたのか、ダイテンが言葉を発さずに停止しているのは、ケルシュからの言葉を待っているためだと結論づけたのだった。



「ねぇ、貴方のことを名前で呼んでもいいかしら?」


ほぼ初対面の相手に共通項が見つからなかったケルシュは、自分が聞きたかったからという安直な理由で質問を投げかけることにした。


これが会話のきっかけになれば、そんな軽い気持ちで発した言葉だったのだが、ダイテンの反応は彼女の予想に反していた。



「…っ」


目を見開き驚愕の表情を浮かべるダイテン。



この国で夫のことを名前で呼ぶ女性などおらず、貴族社会では旦那様或いは爵位で呼ぶことが当たり前だ。

それなのに、より親しい呼び方を提案してきたケルシュに、ダイテンの心は今にも舞い上がりそうであった。


他意はない、そう頭では分かっているのに今にも羽ばたこうとする己の心。

それを必死に繋ぎ止め地に足を着けようと強靭な精神力で抑え込むダイテン。




「好きにしろ。」


葛藤の末、ダイテンの口からは自分でも驚くほど単調で冷え切った声が出た。


もちろん、本人の心の中は酷い後悔により阿鼻叫喚の嵐であった。だが、そんな彼の内側などケルシュに伝わるはずもない。



「お心遣い感謝しますわっ。」


これは快諾の意ではなく、邪険にされたと思い込んだケルシュも負けじとツンとした声で言い返した。



こうして始まった二人の初めての夕食会は、最悪の雰囲気の中終えることとなってしまったのだった。




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