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ドロシー・サラス

 ハリーが運転席でハンバーガーを食い始めた。

 俺は何も喉を通らない。


 俺の1番愛する者を殺すだと?


 俺は考えた。


 ハリーにはああ言ったが、俺の中では答えが出ていた。


 俺の1番愛する人間といえば、やはり、妻のドロシーなのではないか。



 俺とドロシーが結婚したのは42年も前だ。

 当時既に数々の難事件を解決し、昇進の話もあったが、俺はとにかく最前線で仕事がしたかった。

 仕事以外のことは何もする余裕がなかった。

 正直に言うと、俺は自分の身の回りの世話をしてくれる人間が欲しくて、彼女と結婚したのだった。


 ドロシーは大学を卒業し、市役所に勤め始めたばかりだった。

 その頃捜査のために市役所に通い詰めていた俺は、彼女に目をつけた。

 毎日定時に仕事を終われる彼女は自分の嫁にするのに都合がいいと思った。

 何より彼女は俺の目の中で、そこだけ輝いているように美しかった。

 彼女をデートに誘い、口説いた。

 ウブだったドロシーは簡単に落ちた。

 彼女が俺と結婚してくれることになった頃には、じつは俺のほうも相当恋に落ちていた。


 しばらく共働きをしながら、やがて一人息子のマイケルが産まれた。

 新鮮だった。この世には仕事の他にもこんなに心を高揚させてくれるものがあったのかと思った。

 分娩台の上で、マイケルを胸に抱いて、汗まみれで微笑む彼女は神々しかった。


 毎日仕事で帰りの遅い俺を、ドロシーは起きて待っていてくれた。

 仕事がうまく行った時には一緒に喜んでくれ、うまく行かなかった時には静かに側で微笑んでくれていた。

 俺が71歳になっても刑事を続けられているのは、間違いなくドロシーのお陰だ。

 いつも思う。俺は彼女にしてもらったほどのことを、彼女に返せているのだろうか?


 ドロシーには感謝してもしきれない。


 世界で1番、愛している。


 そんな彼女の、血まみれの頭部の入った箱がもし、送られて来たら?


「お前を犯してやる!」

 俺は自分の膝を思いきり両手の拳骨で叩くと、ズボンが破れるほどに握りしめた。


 運転席のハリーがぎょっとして振り向く。


「お前のケツに熱した鉄ゴテを突っ込んでグリグリかき回してやる!」


「やめてくれよ。食事中だ」

 ハリーがハンバーガーを吐き出しながら、言った。

「ところでゲイリー……。ヤツのゲームに乗るんですか?」


「なんのことだ」


「答えを二階の北向きの窓に貼って、正解したら許してもらうってやつ」


「許してもらうだと!?」

 俺はハリーの頬をピシャリと手の甲で叩いた。

「ヤツは俺が捕まえる! ゲームになど乗らん!」


「でも、サム・ハリンチョは誰にも捕まえることが出来なかった……」


「俺が捕まえただろうが」


「今回も捕まえられる?」

 ハリーが再びハンバーガーを口に運びながら、ムカつくことを言う。

「もうぼちぼち1年ですよ?」


 俺はつい、言ってしまった。

「誰が連行中に取り逃がしたんだ? このウスラトンカチめが」


 ハリーがハンバーガーを食べる手を止め、泣きそうな顔をしてうつむいた。

「……すみません」


 言ってもしょうがないことを言ってしまった。

 ハリーを責めたところで逃したヤツが戻って来るわけじゃない。

 ハリーはじゅうぶんに反省している。成長しようと努力している。一番近くで俺はそれを見ていた。


「……すまん」

 俺は目をそらした。

「とりあえず、3つ目のヒントが出される前に、こちらからヤツを捕まえる」


 そう言いながら、俺は少しは考えてしまっていた。


 ヤツを捕まえるのと、俺の家族をヤツが殺すのを止めるのは、別の話だ。


 二階の北向きの窓に早速貼ってやろうか。

 大きな文字で『ドロシー・サラス』と書いた紙を。

 それで後者のほうはあっという間に解決だ。


 ……いや、もしも間違っていたら、突かなくてもいいものを突くことになってしまう。


 ヒントはまだ2つあるんだ。焦らず、集中して捜査を進めることにしよう。


 何より、もし俺が正解の答えを書いたとしても、ヤツが認めなければ終わりだ。


 これは卑怯なゲームだ。フェアじゃない。出題者は後から答えを変えることが出来るのだ。ふざけている。


 ヤツの掌の上で遊ばされかけていたことに改めて気づき、俺はハリーの横の紙袋からハンバーガーをひったくった。


「それ、俺のやつですよ」

 ハリーがなんだか文句を言った。

「特注の、ピクルスばっかりのやつ」


 教えられる前に噛んでしまった。中から酢漬けのキュウリばっかりが口の中になだれ込んで来る。


「なんだこれは」

 思わず文句を言い返した。


「ジョアンナがそれ、好きなんだ。だから俺も影響されて、好きになっちゃって……」


「ドロシーに伝えておくよ」

 齧りかけのそれを袋に戻すと、別のを手に取った。

「ピクルスだけのハンバーガーも用意させておく。

新婚の奥さん連れて、うちに食事に来い。こんな時だからこそ、俺も家族もいい気晴らしになるだろう」


「本当にいいんですか?」


「冗談だと思ってたのか?」

 優しい顔を見せてやった。

「親交を深めるためだよ、相棒だろう」


「ありがとう……」

 ハリーが照れたように頭を掻いた。


「お前の言う『世界一美しい女神』の嫁さんにもお目にかかりたいしな」


 車窓の外では忙しそうな人達が行き交っていた。俺はその中にサム・ハリンチョの姿を探す。

 白人、黒人、アジア系──様々な人間が歩いているが、今日も浅黒い肌の小柄な、ギラついた目をしたそいつの姿は、見当たらなかった。


 ハリーがストローを咥え、ドリンクを啜る。


 俺は聞いた。

「コーラか?」


「違うよ。アイスコーヒーだ」

 そう言って、悔しそうに顔をしかめる。

「もう、コーラは飲まないよ」



 

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