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格闘

 ハリーがマウントを取られた。

 俺は助けようと、立ち上がろうとするが、体が動かない。

 浅いとはいえ脇腹をえぐられ、顎に頭突きを食らったのが効いている。


「ハリーっ!」


 畜生……、叫ぼうと思って出した声も息絶え絶えだ。


 サム・ハリンチョがナイフを振り上げた。

 しかしハリーはまっすぐに相手の動きを見ている。臆していない。


 ハリーとサムには体格差があった。

 長い手足をバタバタと動かし、ハリーが抵抗する。

 小柄なサムはロデオのように激しく揺らされ、ナイフを振り下ろせない。


 俺は拳銃を取りに行こうとした。

 しかし遠くに蹴り飛ばされていて、とても手が届かない。足も動かない。


「ハリー……!」

 這いつくばった姿勢のまま、情けないながら俺は応援するしか出来なかった。

「負けるな!」


 サムは暴れるハリーの消耗を待つかと思いきや、ふいにマウントを解いて立ち上がった。


「またこれを食らわせてやるぜ」


 そう言うと、サムが片足を高く上げる。

 鉛底のブーツで、ハリーの左手を狙っている。

 かつてヤツはこれでハリーの左手を壊し、手錠から抜けて、逃走したのだった。

 ハリーの頭に恐怖を刻みつけているはずのその足を、再び左手めがけて振り下ろす。


「うあっ!」


 ハリーは横に転がり、逃げた。

 しかし起き上がれない。逃げたところをサムが走って蹴りつけに来る。


「ぐうっ!」


 埃を撒き散らしてハリーは転がり続けた。

 何度も、何度も。サムの蹴りとナイフをかわし続ける。


「頑張れ……。頑張れ、ハリー」

 俺は口の中で声援を送り続けた。

「俺はお前を信じるぞ。お前はもうウスラトンカチなんかじゃない……。勝て! ハリー!」


「往生際が悪いぞ、若造!」

 サムが走る。しつこく蹴りつけに行く。

「お前ごときが神に勝てるものか!」


 サムは焦っている。

 蹴るのでなく踏みつけるだけでダメージを食らわせられるところを、しつこく蹴りつけようとしている。

 神の力をどうしても見せつけたいのか、動きがオーバーなほどに大きかった。


 ハリーが壁際に追い詰められた。


 立ち上がろうとするところへサムが大きな動きでフライング・キックを仕掛ける。


 計算通りだな。


 ハリーは壁に取りつけてあった鉄の梯子を掴んでいた。それを手繰り、素早く横へ避ける。

 サムは壁にキックを食らわせると、その反動でよろめいた。


「うわああーーっ!」


 叫びながらハリーがタックルを食らわせた。

 サムの小柄な体が吹っ飛ぶ。


 コンクリートの床に叩きつけられ、サムが後頭部を打ち、大人しくなった。


「サム・ハリンチョ!」

 ハリーが手錠を取り出しながら、荒い息とともに叫ぶ。

「今度は逃さんぞ!」


 ハリーの手錠がサムの右手にはめられた。



■  □  ■  □



「大丈夫かい、ゲイリー?」


「ああ……。ちょっとフラフラするだけだ」


 署まで遠いので迎えのパトカーを呼んであった。

 俺達は裏路地を抜け、大通りに出ると、足を止めた。


「しかし俺が足を止めてから……早かったな。さすがはGPSのプロだ」


「ゲイリーの動きが速くなったところから追いかけ始めたんだ。動きが止まったから間違いないと思った」


「助かったぜ、相棒」

 ハリーの肩を叩いた。

「お前はもう一人前の刑事だ。俺の後は頼んだぜ」


「引退するのか? ゲイリー……」


「決めてたことだ。今回のことで改めて衰えを思い知ったしな」


「あんたにはまだ教えてほしいことが……」


「おっと!」

 おセンチな表情をしたハリーの言葉を俺は遮った。

「トイレだ。年寄りはションベンが近くなっていけねぇな」


「おいおい」

 ハリーが不安そうな顔をする。

「このシチュエーションで前回、俺はサムを逃したんだぜ? いいのか?」


「だからこそ信用するんだ」

 まっすぐ目を見て笑ってやった。

「お前が失敗したことのないヤツだったら信用しないさ。そしてお前は同じ失敗を繰り返さない。そうだろ?」


 サムを左手に繋いだハリーを置いて、俺はトイレに行くふりをして、植木の陰から隠れて見た。

 不安だったわけじゃない。決して不安だったわけじゃない。……いや不安だったのかな。

 遠目にもサムが隙を窺っているのが見てとれた。しかしハリーは決して隙を見せなかった。

 俺は近くにあった屋台のドリンクショップで2つ飲み物を買うと、戻って行った。


「ほら、ハリー」

 紙コップのコーラをひとつ渡し、言ってやった。

「飲めよ。コーラだ。奢るぜ」


 ハリーが泣きそうな顔で笑う。

「……いいのかな」


「やり遂げただろ。好きなもの解禁だ」


「よし!」

 勢いよく紙コップを受け取ると、ぐいっと飲んだ。そして口を離すと、また泣きそうな顔をする。

「これ……ミントコーラだよ」


 俺は大笑いしてやった。


「不思議だよな」

 ハリーが苦々しい笑いを浮かべて呟く。

「大好きなものに余計なものが混ざると、どうして大嫌いに変わっちゃうんだろ……」


「すまん、すまん。ドッキリだ」

 俺は自分の持っているほうを差し出してやる。

「こっちは普通のコーラだぞ」


「ありがとう!」

 ハリーはそれを受け取ると、夢中になって一気に飲み干した。

「……うまい!」


「でも今、完全にサムから注意離れてたぞ?」


「あっ……」


 サムがとても面白くなさそうな顔で俺達を見ている。

 俺はミントコーラをサムに勧めた。

「飲むか?」


 喉が乾いていたようだ。サムは従順にうなずくと、俺の手から喉を鳴らしてうまそうにそれを飲んだ。


 サイレンを鳴らし、迎えのパトカーがやって来た。




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