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二つの常識

「老人だって」

 ハリーが俺の顔をまじまじと見ながら、言った。

「第二のヒントの答えは……老人だって」


「やはり、ドロシーか……」

 俺は呟いた。

「俺の最も愛する者で、伴侶だから俺の最も近くにいる者と言える。そしてゴバンではその死を誰もに悼まれるのは老人……とすると」


「ありがとう」

 ハリーが独房のオロンチョに言った。

「明日の朝飯でいいか? カツドン」


 オロンチョはとても嬉しそうに何度もうなずくと、思い出したようにハリーを呼び止めた。

「あっ! 老人だけじゃない。妊婦もだ」


「なんだって?」


「ゴバンでその死を最も悲しまれるといえば、老人と並んで妊婦だ。

妊婦は二人ぶんの命だからな。妊婦が死んだら関係ない者でも心を痛める」


 俺達はまた顔を見合わせると、確認し合った。


「妊婦は……いないよな?」

「ああ……。妊婦は関係ない」


「ところでアイツに食わせるカツドン、署の経費で落ちるのか?」

「落ちないのか?」

「ハリー、お前が払っとけ」

「嫌だよ、俺、月給安いし新婚なのに」

「とりあえず今日は帰って寝るぞ」

「嫌だよ、ゲイリー。払いたくないよ。俺、活躍しただろ?」



□  ■  □  ■



 俺は夜の街に車を走らせ、家路を辿った。

 移動しながら、無意識に目がサム・ハリンチョの姿を探すようになっている。

 街には笑い顔の男女が行き交っていた。

 その中に小柄な男は見当たらなかったが、どこかから俺を見ている視線を感じる。

 ネオンの色が車の中に射し込んで来る。

 後部座席に誰かが乗っているような気がしてルームミラーを確認した。

 そこには誰も乗ってはいなかった。



■  □  ■  □



 家に帰ると深夜の3時前だった。


「お帰りなさい、あなた」


 そう言いながらドロシーが迎えに現れた。


「『先に寝ておけ』と言うのを忘れていたな……」

 彼女にコートを預けながら、俺は溜息をついた。

「こんな時間まで待っていることはない。どこまで俺に君の心配をさせたいんだ」


「だって私達は戦友チームでしょ?」

 柔和な微笑みを浮かべて、そんなことを言う。

「あなたが戦ってらっしゃる時に、私だけ休んでいるわけには行きませんわ」


 俺は彼女にハグをすると、額にキスをした。


「さあ、一緒に寝室へ行こう。俺ももう、寝るよ」


 そうして俺とドロシーは、一階の寝室へ行き、2人で眠った。


 二階へは上がらなかった。


 二階の北向きの窓に『ドロシー・サラス』と書いた紙は貼らなかった。


 何かが引っ掛かっていた。


 慌てるな。


 焦っては何事もしくじるものだ。


 長年の刑事としてのカンが、俺にそう告げていた。



□  ■  □  ■



「二階の窓に答えを貼らなかったのか?」


 署の刑事部屋で、ハリーが驚いた顔をする。


「なぜ? どう考えてもそれが正解じゃないか?」


 俺は答えた。

「焦っては何事もしくじるもんだ」


「でも……!」


「この国の常識ではお前の言う通り、キャシーという答えになるんだ。

ヤツがこの国に住んでいる限り、ヤツの言う『常識』はこの国の常識なんじゃないだろうか?」


「しかし……第三のヒント、ゲイリーに1番近い者には当てはまらない」


「お前が当てはめて見せたろ。老人は子供に近くなるって」


「あれはこじつけだよ。やっぱりゲイリーの1番近くにいる者といえば、奥さんの……」


「とりあえず紙は2枚用意してある。

俺が指示したらケイティーがすぐにそのどちらかを貼ってくれるようになっている」


「ドロシーとキャシーの名前を書いた2枚?」


「ああ」


 本当のことを言うと俺はドロシーだと確信していた。

 サム・ハリンチョはゴバンの神を持ち出すヤツだ。ゴバン人であることを誇りに思っている。

 それならばヤツの言う『常識』とはゴバンの常識に違いない。



 しかし、俺には何かが引っ掛かっていた。


 ハリーが名案が浮かんだように声を上げた。

「そうだ! 2人の名前を一緒に書けばいいんじゃないかな」


「なんだと?」


「『ドロシーかキャシーのどっちか』って書いた紙を貼ればいい! どちらかが正解だ」


「子供か、お前は?」


「なぜ? サム・ハリンチョは『1人だけ名前を書いて貼れ』とは言ってないだろう?」


「お前はヤツを怒らせたいのか? テレビのクイズ番組の二択問題に『AかB』と答えるヤツがいると思うか?」


「あっ」


「それにそんなことが通るなら家族全員の名前を書けば間違いなく正解だ。

そんなものは言うまでもない暗黙のルールだろうが」


「ごめんよ……。ゲイリー」


「慌てるな。焦るな。確証を掴むんだ。ドロシーもキャシーも射撃の名手の婦人警官が警護している」


 そこへ受付のミランダから俺に内線で呼び出しがあった。

『サラス刑事。お客様がお見えです』



■  □  ■  □



 1階ロビーの休憩室に降りると、マイケルがソファーに座って待っていた。護衛のボブも一緒だ。


「パパ……。第三のヒントを聞いたよ」


「そうか」


「なぜママの名前を二階の窓に貼ってくれない? 僕が自分で貼ろうとしたらケイティーさんに止められた」


「まだ確証がないからだ。それにドロシーは護衛されている。俺達に任せろ」


「第二のヒントだってどう考えてもママだろう?

死んだら世界中の人間が1番悲しむのは母親だ! どう考えても!」


 俺は何も返事しなかった。

 マイケルがマザコンなのは父親としてもちろんよく知っている。


 その時、部屋に『ティファニーで朝食を』のテーマ音楽が鳴り響いた。『ムーンリバー』だ。

 何事かと思ったらハリーのスマホの着信音だった。


「失礼。ジョアンナからだ。出てもいいかい?」

 ハリーがすまなさそうに聞く。


「浮気でもバレたのか? 出ろよ」


 俺が言うと、嬉しさを隠しきれない笑顔でハリーは電話を受けた。


 俺とマイケルが会話を続けていると、突然ハリーが大声を上げた。


「本当かい!? ヒャホーッ!」


「な、なんだなんだ……」


「ゲイリー! 聞いてくれ!」

 凄い笑顔でこっちを振り返り、言った。

「ジョアンナが妊娠した! 俺、パパになるんだ!」


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