(5/5)生まれたてのような五徳を見てほしい。
祐一だ!
帰ってきたんだ!
いつもだったら「ただいまぁ」ってのんびりした声が響くのに、今日は無言で家の中に入ってきた。後ろを振り返るのが辛い。
アタシの姿に気づいたらしい。ダイニングルームに入らず戸口で立ち止まる気配がした。
怖い。
でもアタシ立ち向かわないと。
がんばれ凛子!
勇気りんりんアンパンマン!
思い切って振り返った。立ち上がり祐一の前まで行く。
「お帰り」
しかし祐一から出た言葉は意外なものだった。
「凛ちゃん……。なんで家にいるの?」
◇
なんだと。ここはアタシの家だぞ。いちゃ悪いのかよ。
ああ……もう出て行ったと思ったの? そうかもね。あんなもん見ちゃあ確かに怒りのあまり家を飛び出しかねないよね。
「出て行く前に話さないといけないんじゃないの?」
「え? 出て行くって? なんで出て行くの?」
何言っとんだお前は。話が噛みあってない。
「なんで家にいるのって言ったじゃん」
「だってさあ。出張で帰ってくるのは明日夜でしょ?」
「そうだよ。でも早くに終ったの。だから昨日『帰る』ってメールしたじゃん」
「あ! そうなの? ごめん。僕携帯忘れて出掛けちゃったんだ」
「忘れたって言ったって、アタシがメールしたの朝方だよ?」
「メールの着信音に気づいてなかったみたい。僕それどこじゃなかったんだ」
……ああ。そういうことか。ほんと抜けてるな。お前は。
「あ……」と言ったかと思うと祐一の顔がみるみる青くなった。
「り……凛ちゃん!? テ……テーブルの上にヘンなもんなかった!?」
「これ?」アタシが離婚届をかかげた。祐一の息が止まる。
アタシたちは見つめあった。これから又、長い長い夜が始まろうとしているのだ。
苦痛に満ちた話し合いの夜が。
祐一が絶叫した。
「わーーーー!! 凛ちゃん!? それ見なかったことにしてっっ。間違いなのっ。そうじゃないのっっ。牧場なの!!!!」
…………え? 何? 牧場!?
◇
牧場ってなんだよ。アタシは大混乱だった。
祐一は手に持っていたリュックサックをドサッと床に落とした。慌てた様子で話始める。
「あのね。僕昔っから牧場で働きたいと思ってたのね。馬とか牛とか相手にさあ」
はあ。
「なんでかって言うとね」
『北の国から』の大ファンだから?
「『北の国から』が大好きでさあ!」
ほんとにそれかよ!
「そしたらね。ネットで北海道の牧場主さんと仲良くなったの。ここ3年くらいネット友達だったんだけどさあ」
…………知らんかった。
「急に人が辞めて困ってるんだって。良ければ来てほしいって言われたの」
「それがこの離婚届と何の関係が……」
「だってね。僕が北海道に行くとなると、凛ちゃん会社辞めないといけないじゃない? でもさあ。凛ちゃん会社にとってなくてはならない人だし、何よりイキイキ働いてる凛ちゃんから仕事奪ったりしちゃあいけないと思って」
思って?
「僕が身を引かなきゃあ……って」
…………なんで男のお前が身を引くんだよ。どんだけいじらしいんだよ。
「それでね。離婚届をとってきて署名捺印したはいいけど。『絶対ヤだ。離婚とかしたくない』『でも北海道には連れていけないし、夢は諦めたくないし』『だけど僕の勝手な夢に凛ちゃんを付き合せちゃいけない』ってぐるぐる考えているうちにわけがわからなくなってきちゃって……」
気が付いたら新幹線に乗って津軽にいたんじゃないだろうな。
「なぜだかわからないんだけど津軽に行っちゃったの」
やっぱそうかよ!
「せっかくなんで海に行って『津軽海峡冬景色』とか歌っちゃった」
間伸びた声でかよ。
津軽の海は灰色だった。海の匂いとカモメの声ばかりがした。
雨があがったばかりらしくて道端の草が濡れていた。
僕は海沿いの道路をただただ歩いた。トラックやら自転車を走らせる学生らとすれ違った。白線を踏み越えて海に突き出た細長いコンクリート台に進み、テトラポットの前で立ち止まった。
眼前で海草が揺れている。
思ったよりも寂しいところだった。
凛ちゃんを一人ぼっちにさせたくないな、と思った。
会社を辞めてもらって二人で北海道に渡っても、必ず生活できるという保障もない。
リスクを伴う自分の夢にあの人の将来までを賭けてもらっていいのだろうか?
自分が、諦めればいいことなんだ。
でも……。
諦めたくないな。僕は夢を一度諦めて就職してしまった。このチャンスを逃したら二度と牧場では働けないだろう。なにより、僕は会社員には向いていない。
毎日電話もするし、メールもするから、休みをとって会いにいくから、離婚はしないで北海道に行ってもいい?って頼んでみようかな。
僕自信あるもん。離れていても。
ずっと凛ちゃんのこと好きでいられるよ。
凛ちゃん。君は君の夢を持ったまま、僕は僕の夢を持ったまま、それでも、一緒に生きていくことを選択できないかな?
よし、とにかく頼んでみよう。離婚は最悪のパターンとしてとっておいて、まずは自分の気持ちをぶつけてみよう。
「もう夜も遅かったから宿を探して昨日は泊まったの。それでね。次の日駅でアンパンと牛乳を買ったらさあ」
つぶ餡だったんだろ?
◇
「つぶ餡だったよ! びっくりした。捜しても捜してもつぶ餡しかないの。なんで?」
時代の趨勢だろ。
「じゃあ今度木村屋で、お腹が破裂するほどこし餡のパンを買ってやるよ。好きでしょ? 木村屋」
「ほんとに? ほんとに? 嬉しいなあ。やっぱ凛ちゃんはいい人だ」
それ程でも。というかアンタには負けるよ。
「あ、帰りにね。路上でストリートパフォーマンスを見たよ。津軽三味線だった! すごいね!」
それは予想つかなかったな……。しかし。
「感動してその場でCDを購入した?」
「そうなんだよねえ! 良くわかったねえ!」
わからいでか。
リュックサックからインディーズCDを取り出してウットリする祐一を見ながらアタシは嬉しかった。
働いていてよかったなあ! と思ったのだ。
少なくとも『お金がないからアンタの夢は諦めて』なんて言わずにすむんだ。よーし。祐一。今度のボーナスで北海道の雪にびくともしないようなコートを買ってやるからな。
まかせとけ祐一。アタシには甲斐性がある。
「祐一。一緒に台所に来てよ」
「いいよ? なんで?」
五徳だよ。ガス台にある生まれたてのような五徳を一緒に見て欲しいんだ。そして驚け。アタシを誉めろ。一睡もしないで磨き上げたんだからな。
『凛ちゃんすごーい』って頭をなでなでしろ。絶対だかんな。
その後コーヒーを入れてやるよ。インスタントじゃないぞ。豆からひくやつだ。特別だからな。
そしていつものように二人向かい合ってのお茶の時間にしようよ。
(終)
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【次回作】『ビールとメイド服』
神崎祐一の妻、凛子がメイド服を持ち帰ってきた。「着てやる」と言われるが全く嬉しくない。どうせろくなことにならない。案の定……。
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2006年5月31日初稿




