90話 魔神
天に昇る光の柱。城を出て闘技場へと駆けていたリアンたちはその光景に絶句する。
だが、その光景以上に驚きを隠せなかったのは、その光の柱から放たれる強大な力と殺意。
強く意識を持たなければ即座に意識が落ちてしまいそうなほどの、恐ろしいまでの重圧。それを見て発されたロベルトの言葉に動揺が隠せなかったのも仕方無いことだろう。
「な……んだよ、あれは……」
ロベルトの言葉にその場の誰もが言葉を返せない。想像を絶するほどの、あまりに圧倒的な力の奔流。
リアンたちはこれまで幾度と強大な敵と戦ってきた。レグエスク、レキディシス、邪竜王セイグラード。その強敵たちさえも置き去りにするほどに、闘技場から放たれる光からは得体のしれない強大さを感じさせずにはいられなかった。
いったい闘技場で何が起こっているのか。あの場所ではサトゥンたちがシスハやクラリーネと戦っているはずではないのか。まさか『あれ』と武器を重ね合っているのか。
言葉を誰も発せずにいるなか、誰より早く冷静さを取り戻したのが途中で合流したグレンフォードだ。百戦錬磨の彼はすぐさまリアンたちに指示を出す。
「闘技場へ急ぐぞ。近づいてみねば何が起こっているのかも把握できん」
「は、はいっ!」
グレンフォードの言葉にリアンを初め一同は頷き、闘技場へ向けて力の限り疾走する。
この圧倒的な『力』にあてられたのか、道中では魔法から解放された人々はおろか、フリックの手駒であったはずの魔法使いすらも泡を吹いて倒れてしまっていた。
異様な光景に言葉を失いながらも、闘技場入口へと辿り着いた一行はそこで再び仲間と合流する事になる。
「マリーヴェル! メイア様!」
その姿に気付いたリアンが呼びかけた人物、それはクラリーネとの死闘を制したマリーヴェルとメイアだった。
リアンの声に振り返り、クラリーネに肩を貸したままマリーヴェルは手を振って仲間たちに応える。
急いで二人と合流した仲間たちに、マリーヴェルは少しばかり表情を緩めて語りかける。
「フリックを背負ってるってことは、どうやらそっちもうまくいったみたいね。無事で何よりだわ。……もっとも、のんびり喜んでる暇なんて状況は与えてくれないみたいだけどね」
そう呟きながら、マリーヴェルは表情を引き締め直し、視線を闘技場の空へと向けた。
天を貫く光柱は未だ健在であり、恐ろしいまでの威圧を彼女たちに与え続けている。
マリーヴェルにつられるように空を見上げながら、ラージュはマリーヴェルに事情を訊ねかけた。
「魔力でも生命力でもない、初めて見る力の結晶。いったい闘技場で何が起こっているんだい?」
「そんなの私が訊きたいくらいよ。クラリーネをぶっとばして、サトゥンの応援に向かおうとした刹那、『アレ』だもの」
「クラリーネ……って、おいっ! マリーヴェルが今、肩を貸してる美人の姉ちゃんって」
そこでようやくマリーヴェルとメイアに肩を貸して貰っているクラリーネに驚きの声をあげるロベルト。彼としては、敵であるはずの彼女が意識を保った状態で肩を借りていることに驚きを隠せないらしい。フリックのように意識を完全に奪ったものと勘違いしていたようだ。
警戒する英雄たちの態度を当然とばかりに受けとめるクラリーネ。そんな空気を払うように、マリーヴェルは軽く息をついて事情を説明する。
「こいつにもう私たちと戦う意思はないわ。そうでしょう、クラリーネ・シオレーネ」
「私はマリーヴェルとの命を賭けた勝負に負けた。私は一度死んだ身だ。もう私はシスハ様に……違うな、リリーシャ教に仕えることはない。ゆえにお前たちに刃を向ける理由もない。信じてくれとは言わない、納得出来ぬならこの場で首を落としてくれて構わない。だが……」
「ああ、いや、別に疑っちゃいねえよ。他の誰でもないマリーヴェルがアンタは裏切らないって信じたんだろ? なら俺たちに異論はねえよ。だよな、みんな」
ロベルトの言葉にリアンは満面の笑みで、ライティは無表情のまま、グレンフォードとラージュは仕方ないというように笑いながら頷いて応える。
あっさり受け入れられたことに逆に訝しんでしまうクラリーネだが、そんな彼女にメイアが微笑みながら言葉を紡ぐ。
「仲間があなたを信じた、それだけで十分な理由なんですよ。きっと私たちの『勇者様』もそれだけで笑って納得してくれるでしょうから」
「……私が敵意を隠し持っていたらと考えないのか?」
「しないでしょう? あなたが『戦士』であるかぎり」
全てを見透かしたメイアの言葉に、クラリーネは敵わないとばかりに小さく首を振る。もはやクラリーネには彼女たちに刃を向ける理由も気持ちも完全にないのだから。
クラリーネがこちら側についたことを確認した仲間たちは、顔を突き合わせて話し合いへと移る。当然、これからのことだ。
闘技場内部から放たれる圧倒的な力、あのなかでは間違いなくサトゥンがシスハと戦っているのだ。次に取るべき行動など一つしかない。
皆を代表するように、リアンが力強くその意思を示す。
「今すぐ闘技場の中へ向かいましょう。サトゥン様が心配です」
「心配しても死ぬような奴じゃないけどね。でも、この力の大きさは確かに異常過ぎるわ。あのお馬鹿が負けるとは微塵も思わないけど、助力は幾らあってもいいでしょう。私もリアンの意見に同意だわ」
今すぐにも内部へ向かおうとするリアンとマリーヴェル。だが、そこに待ったをかけるのはメイアだ。
彼女は視線をクラリーネ、そして意識を失っているリレーヌとフリックへと一瞥し、冷静に意見を述べる。
「サトゥン様のもとへ向かうのは賛成です。ですが、流石に意識を失った方を連れていく訳にはいきません。肌で感じているかと思いますが、この先に待つ戦場は恐らく過去に経験したことのないほどに強大なものとなるでしょう。この力は異常過ぎます。邪竜王をも超える威圧感を放つ相手を前に、意識を失った方々を連れていくのは……」
メイアの正論に、リレーヌとフリックは当然連れていけないという結論になる。二人を安全な場所まで誰かが連れていかなければならない。
その白羽の矢が立ったのはアレン、そして立てたのはラージュだ。ラージュはアレンに対し、戦場から離れるように説明する。
「フリック・シルベーラは拿捕し、必要な『記録』は残した。アレン、君の役割はここに残り誰かと戦うことではなく、必ず生きてティアーヌのもとへ帰ることへと変わったはずだ。だからお願いしたい。彼女を……リレーヌを、安全な場所まで運んでくれないか」
「……本音を言えば残りたい。この場に残り、最後までお前たちと戦いたいが……それは迷惑なのだろうな」
「ああ、迷惑だ。君には『エセトレア再興』という重い役割が与えられているはずだ。折角フリックから『義』を取り戻したのに、こんなところで死んでしまっては意味が無い。国の為にも、君は必ず生き残らなければならない。違うかい?」
ラージュからティアーヌに渡されていた記録石を手に握らされ、アレンは押し黙ったまま、やがてゆっくりと頷いた。
この戦場において、アレンの目的は達成された。記録石にフリックの蛮行を記録し、彼と戦う映像を残し、己の義を証明すること。
折角フリックを捕まえ、記録石にも映像を残したというのに、ここでアレンが死んでしまっては全てが台無しになってしまう。彼こそがこのエセトレアを建てなおす為に残された最後の希望なのだから。
仲間との戦いと国民の幸せ、それを無理矢理天秤にかけさせ、アレンは後者を選ぶしかなかった。だが、その選択を選んでくれたことにラージュは心から感謝する。その選択によって、ラージュは一番己が取るべき道を選ぶことができたのだから。
リレーヌの命の安全を確保すると共に、自分のために尽力してくれた仲間たちに、サトゥンに報いる。この場に残り戦うこと、それがラージュの覚悟だったから。
アレンが残ることを決め、そしてマリーヴェルが今度はクラリーネに視線を向けて淡々と言い放つ。
「クラリーネ、あんたも一緒に避難しなさい。もちろん、拒否は許さないわ」
「……なぜだ。私はお前たちと戦うと決めた。ここで逃げるなど戦士のぐぁっ」
台詞の途中でクラリーネは表情を苦悶に歪ませる。彼女の脇腹をマリーヴェルが容赦なく平手で叩いたからだ。
マリーヴェルとの死闘により、身体中が痛みで悲鳴をあげているクラリーネにこれは非常につらい一撃だ。
呻くクラリーネに対し、マリーヴェルは悪びれることもなく正論を続ける。
「こんなボロボロの状態で誰とどうやって戦うのよ。悪いけど、はっきり言うわ。強敵と戦うってのに、あんたみたいな怪我人がいても邪魔なだけなのよ。お荷物になりたくないなら、大人しく引き下がりなさい」
「しかし……いや、そうだな。お前たちの力になれず、邪魔になってしまう戦いになど意味はない」
「分かってくれて嬉しいわ。これでも納得してくれなかったら、もう一発殴らなきゃいけなかったし」
「頼むから物騒なのは止めてくれ……」
呆れるように軽く息をつきつつ、二人から肩を借りていたクラリーネが二人から離れてロベルトに腕を伸ばして催促する。
「その女性は私が背負っていこう。貸してくれ」
「あ、ああ……いや、駄目だろ。アンタ、怪我人なんだろ? 怪我人に人を背負わせるのは」
「怪我と言っても人を担いで運ぶくらいはできるさ。ただ……マリーヴェルの言う通り、力を解放したシスハ様と戦っても私では邪魔にしかならないだろうがな」
ロベルトから気を失ったリレーヌを受け取り、背負いながらクラリーネは自嘲気味に話す。
そして、クラリーネはマリーヴェルとメイアに視線を向けて言葉を紡ぐ。
「シスハ様と戦うというのに、力になれず済まないな。本来ならこの命を盾にしてでも戦いたいが……」
「何度も言うけど、邪魔になるから要らない。そんなことをするなんて言い出したら、ぶっ飛ばして気を失わせてその辺に放り投げておくところだわ」
「お前なら、本当に実行しそうなところが恐ろしいよ。メイア、マリーヴェルのことを頼む。私などに生きる理由を与えてくれた主を早々に失いたくはないからな」
「ふふっ、大丈夫ですよ。この娘はとても強い娘ですから」
笑って応えるメイアに安堵し、クラリーネはアレンと共に避難することを決めた。
これで闘技場へ突入するメンバーは確定したことになる。リアン、マリーヴェル、メイア、グレンフォード、ロベルト、ライティ、ラージュら英雄たち。
顔を突き合わせ、仲間たちは頷き合う。この先で戦い続けているであろうサトゥンと合流し、最後の戦いに勝利する。彼らの心の中はそのたった一つの想いでつながっていた。
覚悟を決めた英雄たち。その表情にクラリーネは思わず笑みを零してしまう。恐ろしく強大な敵へと向かうというのに、彼らは少しも怯えることも逃げようとすることもない。ただ、仲間を信じて勝つことだけを心に武器を取り戦おうとしているのだ。自分とは何の関係もない、エセトレアの人々の命を救うためにその身を危険にさらして。
それは間違いなくクラリーネが憧れた姿だった。剣技を磨き、戦士として高みを目指したクラリーネ・シオレーネという少女が抱いていた夢がいま、ここにある。
その夢を壊されたくないと思った。自分がなりたかった夢の形が、どこまでゆくのか、どこまで辿り着くのか見たかった。
今の彼女には祈ることしかできない。共に戦うことも盾になることもできないが、それでも彼女は祈ってしまう。
信じる神を失った。誰に祈っているかも分からない。それでもなお、彼女は祈るのだ――この勇気ある者たちが、かつての自分のように絶望に押し潰されないように、と。
空に舞い、光の柱の中でサトゥンを見下す天使シスハ。
彼女の解き放つ光の剣の嵐がサトゥンへ向けて容赦なく降り注がれていく。グランドラの重厚な鎧をも容易に切り裂くその切れ味は、直撃してしまえば身体は即座に切り刻まれてしまうことだろう。
「鬱陶しいほど剣を降らせおって……その程度で私が殺れるか戯けがっ!」
その光の剣の嵐に対し、サトゥンは大地へ右拳を叩きつけて対応する。サトゥンの右手の焔が大地を激しく打ち貫き、抉られた大地から生まれるは漆黒の炎の巨大壁。
眼前に生まれた燃え盛る黒きの壁に光の剣は次々に突き刺さり、サトゥンへ届くことなく失速する。自身に向けられた全ての刃を止め終え、サトゥンは躊躇することなくその炎の壁に唸りを上げるような猛烈な蹴りを繰り出し、シスハへ向けて蹴り飛ばした。
光の剣が突き刺さった炎の壁は恐ろしき速さでシスハへと飛来していく。だが、彼女は慌てることなくそれを『叩き落とした』。
彼女を包む光の柱、そこから新たに生まれる巨大な光の右腕が文字通りサトゥンの魔壁を大地へと叩きつけたのだ。
自身の攻撃が止められたことに舌打ちをするサトゥンに対し、彼女は余裕をみせながら笑って語りかける。
「その昔、愚かな人間たちを地上から消し去る際に用いられた光の兵士。この体ではその力の全てを発揮する事は叶わないけれど、あなた程度ならこれで十分捻り潰せるわ」
「ふん、その口ぶり、目立ち方、まるで物語の魔の王のようではないか。貴様の性根は気に食わんが、派手に目立とうとする戦い方だけは褒めてやってもよいわ」
「まだ減らず口を叩けるのね。対峙する存在との力の差が感じ取れないほど愚かなのかしら」
「ふはは、愚か者めが! この程度の逆境など覆してこそ勇者! お前の力が強大であればあるほど私の存在がより強く輝くというものよ!」
サトゥンの言葉に下らないと一蹴し、シスハは彼へ向けて光の右腕を振り下ろす。
巨大な拳による一撃、それは大地をも叩き割る神の鉄槌。サトゥンが空を飛ぶことで回避した一撃は彼のいた場所に大きな穴を穿つほどの威力を秘めていた。
空へと舞い窮地を脱したかに思えたが、それでシスハの猛攻が収まるわけもない。宙へと退避したサトゥンに対し、シスハは容赦なく光の刃を放つ。
再び障壁を生みだして避けるか否か。一瞬で判断を下し、サトゥンは己が拳に魔力の焔を込めて迎撃する事を決める。悠長に壁を生みだしていては下から襲い来る巨大な右手を避けられないと判断したためだ。
光の剣を紙一重で避け、どうしても避けられない剣だけを拳で殴り撃ち落とし。そして背後から迫りくる拳に対し、己が力の全てを解放して受けとめようとしたのだが。
サトゥンの眼前で巨大な拳が弾け飛ぶように霧散したかと思うと、光の粒子は即座に彼の背後へと集まり、拳を成形したのだ。
突如として現れた背後の強大な力へ振り向こうとしたサトゥンだが、一足遅い。彼の無防備な背中に光の拳が重い一撃を容赦なく叩きつけたのだ。
流星の如き勢いで闘技場の壁へと叩きつけられ、サトゥンは瓦礫の下敷きとなってしまう。だが、即座に瓦礫を吹き飛ばし、その場に立ちあがって言葉を口にする。
「力を霧散させて即座に再構成するとは驚いたぞ。性悪女神の巫女というものはそのような手品もできるのか」
「性悪女神とは聞き捨てならないわね。誰にそんなことを教えられたのかしら」
「魔人界の我が盟友が言っていたぞ。女神リリーシャはこの世界で指折りの性悪であると。その言葉はどうやら真実のようだな。巫女であるお前がそれほど性根が腐っているのだ、否定する要素もあるまい。健全なる信仰対象には健全なる巫女が宿る! その点勇者サトゥンを讃える巫女ミレイアのなんと清らかなことか! ふはははは! やはり勇者サトゥンとは最高である!」
「……あの女は絶対に殺すわ。この目の前の塵を処理してからゆっくりと、ね」
冷酷な殺意の炎が胸に宿り、シスハの容赦ない攻撃がサトゥンへと襲いかかる。
高笑いをしつつ彼女の光の剣を拳で叩き落とし、光の巨拳を回避し続けるサトゥンだが、その実彼の内心に余裕など微塵もなかった。
光の剣、その威力は恐ろしく厄介なもので、サトゥンが『全力』を込めた拳でようやく相殺できるほどの力が剣の一本一本に込められていた。
それらは魔力の焔で覆われていない箇所に突き刺されば、サトゥンといえども確実に致命傷を負うことになる。すなわち、シスハの息を吐くように気軽に放つ一撃ですら、サトゥンは全力で防がなければならないのだ。
それほどまでにシスハとサトゥンの体から放たれる力の差は確固たる隔たりが存在している。今、拮抗を保てているのはサトゥンの恐ろしきまでの戦闘経験による技量によって埋めているにすぎない。
かつてサトゥンが戦いにおいてこれほどまでに余裕を失ったことはなかった。それを悟られないために表面上は取り繕ってはいるが、内心は忸怩たる思いだ。
シスハを止めようにも、そこまで踏み込むことすらできない。遠距離での魔力の打ち合いではシスハに押し切られる。サトゥンに残された手は接近戦闘に強引に持ち込み拳を叩きつける他はないのだが、それすらも巨大な拳によって止められてしまう。
次の一手をどうすればいい。敵の攻撃を必死に捌きながら考えるサトゥンに、シスハは嘲笑うように訊ねかける。
「本当に不思議ね。あなたが生まれ変わりであることは間違いのない事実。それなのにどうしてそこまで『脆弱』なのかしら」
「脆弱だと? 言うに事欠いて貴様、磨き抜かれたこの私の勇者の体を見て脆弱だと? 小娘、目が腐っておるのか!」
「あの女たち程度の力を有していると警戒して蓋を開けてみればこの様。興味が湧いたわ。あなたが『力を失った』その理由がとても、ね」
「力など失っておらぬわ! 仲間たちの想いを背負っている限り、私はこの世界で誰よりも最強なのだからな!」
掌から黒き雷を解放し、天から降り注ぐ光剣に当てて軌道を逸らしながらサトゥンは叫ぶ。
状況は完全に後手の一手。攻撃に移りたくとも、サトゥン一人ではシスハ相手に攻勢に移れない。
そんな自分にサトゥンは情けないと笑ってしまう。あれだけミレイアに対し大口を叩いておきながら、この様では皆に笑われてしまう、と。
仲間たちは彼の期待に応え、フリックを打倒し、エセトレアの人々への魔法を打ち破った。後はシスハを倒すことで今回の件は全て解決する。その最後の詰めで自分が敗北をしては、全てが台無しになってしまう。
仲間の期待を背負っている以上、絶対に負けは許されない。ここで負けてしまっては全てが終わってしまう。
このままではジリ貧と判断したサトゥンは覚悟を決めた。このまま消耗戦に突入してしまえば、先に自身の力が尽きることは明白。
最後のカードを切ろうにも、シスハはその隙すらサトゥンに与えない。どうすれば攻勢に移れるか、強引に手札を切るか迷っていたその時だった。
「――サトゥン様! ご無事ですかっ!」
「む……リアン! それにお前たち!」
闘技場の入り口から姿を現し、彼を大声で呼びかけるリアンと英雄たちの姿にサトゥンは張り詰めていた表情を破顔させる。
仲間たちが全員無事な姿を見せてくれたこともそうだが、仲間たちの顔を見てサトゥンの心に再び大きな活力が湧いてくる。
そう、それがサトゥンが人間界で学んだことだ。魔人界とは違い、一人ではどうしようもないことも、仲間たちとなら乗り越えられる。仲間たちと力を合わせればどんな強敵でも打破できる。
サトゥンの体から再び力が漲ってきたことを感じ取ったのか、シスハは呆れ果てながら言葉を紡ぐ。
「役に立たぬ人間の顔を見て少しばかり元気を取り戻したみたいだけど……それで何か状況が変わるとでも?」
「クハハッ、変わるさ。悪いがこれでお前の勝利はなくなったようだ。仲間と力を合わせ強大な敵に立ち向かう勇者に負けなど決してないのだからな」
「人間如きが力を束ねたところで何になると? 本当に不快にさせてくれるわね――塵ともども纏めて消えなさい、人間」
付き合っていられないとばかりに、シスハはサトゥンと他の英雄たち全てに対して光の剣を解き放つ。
荒れ狂う刃の嵐。その驚異的な速度が仲間たちに迫るが、彼らは即座にそれらに対応する。
ライティとラージュが一歩前にでて、二人揃って光の剣に向けて魔法を解き放つ。
「ラージュ君、撃つよ、合わせて」
「攻撃魔法はあまり好みではないんだけどね……今はそんなこと言ってられないかっ」
ライティによる光の砲撃とラージュによる風刃の嵐。それらが向かい来る光の刃に対して解き放たれる。
だが、二人の火力を以ってしてもその剣雨は止められない。だが、その速度と威力は確実に減衰させることに成功している。ならば二人の仕事は成功だ。あとは仲間たちに全てを託せばいい。
ライティたちを守るように前に出た五人の前衛。リアン、マリーヴェル、メイア、グレンフォード、そしてロベルト。
先行するようにメイアが風魔法にて空へ跳び、また、グレンフォードも斧に闘気を集中させて、百戦錬磨の戦士たちが言葉を紡ぐ。
「先行して撃ち落とします! 撃ち漏らしの処理は任せました!」
「斬撃にて叩き落とす。お前たちは近づく剣だけを落ち着いて処理しろ。無理に叩き落とさずとも、軌道を変えればそれでいい」
ガジュラとヴェルデーダ、刀と斧の共演によって減衰した光の剣が恐ろしい程の勢いで処理されていく。
だが、それでも全てを撃ち落とした訳ではない。命を奪わんと襲い来る残された光の剣を片づけるのは、残されたリアンたちの役目。
三人は互いに指示を飛ばし合いながら武器を振るって全てに対応するのだ。
「リアンは最後の詰めを頼むわよ! ロベルト、アンタはこっち! 私と前に出る! 今更ビビってんじゃないわよ!」
「この土壇場で誰がビビるか! 速度を落としてもらってるんだ! この程度、旦那の斬撃から逃げ続ける鍛錬に比べたらどーってことねえんだよ! 気合入れてくぞ、リアン!」
「はいっ! 一本たりとも後ろには通させないっ!」
マリーヴェルとロベルトが一歩踏み出し、剣の雨を己の得物を振るうことで叩き落とし、軌道を逸らしていく。
その逸らし損ねた光の剣全てをリアンが渾身の力を以ってねじ伏せる。何かを守ることに関しては英雄一の力を持つリアンの前に、剣は一本たりとも背後へ通過する事は許されない。
七人の英雄全てが力を合わせることで、サトゥン一人で受け止めることが精いっぱいだった攻撃が全て無効化される。
その光景を呆然と見つめるシスハに、剣を弾き返しながらサトゥンは高らかに笑いながら言い放つ。
「クハハッ! 人間如きが力を合わせて何になるかだと? 笑止! その下らぬ問いの答えは我が愛しき英雄たちが身を以って証明してくれているではないか! 一人では届かぬ場所でも、二人なら目指すことができる! 三人ならば近づくことができる! そして全員で力を合わせれば目的の地よりも遥か彼方まで飛び立つことができる! それがお前の馬鹿にした人間の、ヒトの強さだ!」
「――忌々しいといった。その顔で、その声で、人間を賛美するようなことばを吐くな!」
サトゥンに対し、シスハは光の拳を再び繰り出した。その一撃を空を翔けて回避しながら、サトゥンは仲間たちへと合流する。
吹き荒れる剣の嵐を処理し続けているリアンたちのもとへ着地したサトゥンに、マリーヴェルは剣を振り続けながら訊ねかける。
「ちょっとサトゥン! あの余裕綽々だった女、ブチ切れてるじゃないのよ! アンタいったいあの女に何をしたわけ!?」
「ふんむ。グランドラを倒したので、これまでの罰としてあの小娘に愛の尻叩きを行おうとしただけである」
「尻たたっ……最低! やっぱりアンタって最低で変態の勇者だわ!」
「最低ではない! 最高で変態の勇者と呼べ!」
「へ、変態は構わないのかよ旦那!……って、うぉおおおお!」
光の刃を凌ぎつつ突っ込んでいたロベルトだが、彼らの陣形を崩すかのように巨大な拳が彼らのもとへ突っ込んでくる。
大慌てで下がるロベルトとマリーヴェル。あの拳はサトゥン一人では止められなかったほど強大な力が込められており、防ぐことは容易ではない。
だが、サトゥンは今度は逃げることはない。逃げる必要が無いのだ。なぜならここには、あれを止めるための力が揃っているのだから。
マリーヴェルとロベルトが下がり、入れ替わるように前に出たのはリアンとグレンフォードだ。サトゥンと並び立ち、三人は声を掛け合って拳へ対し姿勢を取る。
「止めるぞ、リアン、サトゥン! しっかり合わせろ!」
「分かりましたっ!」
「うはははははは! 勇者と英雄の力の融合、その輝きをしかとその目に焼き付けるがよいわっ!」
迫りくる巨拳に対し、息を合わせて三人は攻撃を放つ。グレンフォードの斧とリアンの槍、そしてサトゥンの拳による一撃は巨大な拳をも止めるだけの破壊力が込められていた。
踏みしめた大地を抉るほどに強い衝撃にも、三人は微塵も動じることなく力を振り絞り押し返す。この一撃では一気に吹き飛ばせないと判断したのか、シスハは光の拳を霧散させる。
拳が消えたことで、再び三人も光の剣の対応へとシフトした。これまでのサトゥンとシスハの戦いのように防戦一方のように思えるが、現状は大きく異なっている。
先ほどまでとは異なり、シスハがサトゥンだけに意識を集中する事はできず、他の英雄たちの動きもみて攻撃を行わなければならない。すなわち、少なからずサトゥンへの警戒は下げなければならないのだ。
その少しばかりの意識の変化こそが、サトゥンには大きな自由を生む。現に今、サトゥンが仲間たちへと合流できたことが大きな証拠だ。
ゆえに防戦の中でもサトゥンはシスハに踏み込むことができる。仲間たちの力によって、サトゥンは己の一番のカードを最高の場面で切る好機を生むことができるのだ。
仲間たちと共に勝機を掴むために、サトゥンは仲間たちに口を開く。この戦局を終わらせるために、最高の一撃をシスハへと叩き込む為に。
「お前たちのおかげで奴の意識が私から幾許か逸れ始めた。この好機、逃すつもりはない。そこでお前たちに頼みがあるのだが……」
「言わなくても分かってるわよ。私たちがあいつの意識をもっと釘づけにして注意をアンタから逸らせばいいんでしょ?」
「ぬう? マリーヴェル、お前いつから私の心が読めるようになったのだ! ふはは! これもひとえに私、勇者への愛が為せる奇跡なのかもしれぬ!」
「違うわよっ! アンタの顔見れば、『自分の手で決着をつけたい』ってことくらい誰だって分かるわよ。それに私たちは空を飛べないから、あいつをぶん殴ることもできないしね。当然、やれるんでしょうね?」
「当たり前だ! 私を誰だと思っておるのだ! 私はリエンティの勇者の再来、勇者サトゥンである!」
「まあ、それでこそサトゥンの旦那だよな。頼むぜ、旦那」
「サトゥン様、どうかご武運を」
きっぱりと宣言するサトゥンに、仲間たちは笑みを浮かべ頷き合う。サトゥンのために身を危険に晒してもシスハの意識を引きつけることを覚悟したのだ。
英雄たちはサトゥンへの信頼を胸に、各々が行動を開始する。一か所に集まり、守りを固めていたはずの仲間たちが散り散りとなるように駆けだしたのだ。
その姿を眉を顰めて観察するシスハだが、彼女が攻めることには変わりない。上空から四散した英雄たちに向けて光の剣を容赦なく解き放つ。
恐ろしき刃の嵐、それらを単独で回避に専念するのはリアン、マリーヴェル、メイアだ。彼らは攻撃ではなく、縦横無尽に動き回ることに専念して一撃たりとも攻撃を貰わぬことに専念している。
それを成し遂げられるのは、彼らの体から解放された闘気によるため。彼らは各々の闘気を駆使し、身体強化、または幻影を生みだすことによりギリギリのところで回避できているのだ。
リアンたちが闘技場を広く使って逃げることで、シスハは攻撃の範囲を広めざるを得なくなる。それはすなわち、光の剣を降り注がせる密集度が著しく低下すること。
サトゥン一人に対し、潜り抜ける隙間を見つけることが精いっぱいだった剣の雨の弾幕が今では薄れ切ってしまっている。それではサトゥンに対する弾幕の意味を果たせない。
グレンフォード、ロベルトと共に剣を叩き落としながらサトゥンは己が体内の魔力をひそかに拳へ集中していく。黒き焔はサトゥンの右拳にゆっくりと集まり始め、黒き球となる。
そして、サトゥンの視線はメイアへと向けられる。シスハがもっとも苛立ちをみせる相手、それは唯一空を駆けまわっているメイアだ。
シスハはメイアに向け、光の巨拳を解放し、吐き捨てるように言葉を紡ぐ。
「人間如き羽虫が空を舞うなど、誰が許可したかしら。消えなさい」
光の拳が空と跳びまわるメイアへと放たれ、メイアはそれを視認して上空へと駆けあがっていく。
風魔法による見えない足場を駆使し、光の拳から逃げるように空へ空へ。その目的は勿論、シスハの視線を上方へと目付することだ。
シスハの目がメイアを追い、一瞬、だが間違いなくサトゥンたちから逸らされた。弾幕も薄まっている今、その隙をサトゥンは逃しはしない。
シスハに向け、サトゥンは己が可能とする最大速度で空を駆け、肉薄する。右拳にはありったけの魔力を込めている。
彼の接近に気付き、メイアから視線をサトゥンに向けて迎撃を試みるが遅過ぎた。光の剣による弾幕は薄まり、唯一サトゥンの前進を止められる光の拳はメイアに向けて放ってしまっている。何よりもサトゥンの飛来速度が速過ぎる。
驚愕に染まるシスハに対し、サトゥンは勝利を確信してその拳を振り抜くのだ。仲間たちと共に好機を切り開いた、最高の一撃を。
「待っていたぞ、この時を! くははっ! 勇者サトゥンの全てを込めた一撃、遠慮なく味わうがいいわっ!」
「っ!」
サトゥンの全魔力を込めた拳は光の柱を貫通し、シスハの腹部へと叩き込まれる。
振り下ろすように振り抜かれたサトゥンの一撃により、シスハは光の柱を消失させ、流れ落ちる彗星のごとく闘技場の大地へと叩きつけられた。
サトゥンの全力による一撃、その破壊力は絶大。シスハが叩きつけられた大地は砂塵が吹き荒れ、落下地点を中心に大きな穴が抉られて。完全に彼女の力、その威圧感は消失してしまった。
あれほどの一撃に耐えられる存在などいるはずがない。それを確信しているからこそ、仲間たちから歓喜の声があがり、サトゥンは高笑いと共に地に降り、仲間たちと合流するのだった。地に降りたサトゥンの周囲に仲間たちは集まり、声をかける。
「サトゥン様、お見事ですっ! 凄い一撃でした!」
「うははははははははははは! そうであろうそうであろうそうであろう! あれこそが仲間たちの絆と想いを背負った私サトゥン最強の一撃である! この拳の前に倒れぬ敵などおらぬわ!」
「まさか本当に一撃入れるだなんてね……つくづく君は規格外だよ、サトゥン」
「そうだ、もっと褒めろ! 私を褒めるのだ、ちやほやするのだ! このエセトレアを救う最後の舞台、その幕引きとなる一撃を決めたのはこの私、サトゥンである!」
「舞台の幕引きは構わないんだけど……あんたの手加減なしの一撃って、あのシスハって女の人生も幕引きしちゃったんじゃないの? 流石に死んだんじゃないの、あれ」
マリーヴェルの突っ込みに、サトゥンはぴたりと高笑いを止める。
そして冷静に振り返り、非常に拙い状況だということに気付き狼狽し始める。シスハの力はまさに魔神級のものだった。だからこそ、サトゥンは危険と判断し、己が力の全てをふりしぼり手加減なしで戦った。だが、思い返してみれば、彼女の体は確かに人間のものだったはずだ。
もし、サトゥンの一撃でシスハが死んでしまえば、仕方ないこととはいえ、サトゥンはリアンとの約束『人間を傷つけない』を破ったことになる。勇者として人間を殺すことを断じて認めていないサトゥンにとっては大事である。
冷や汗を流しながら、サトゥンは慌てて空間の断裂を生じさせ、そこからミレイアへ助けを求める。
「助けてくれミレイア! 勇者サトゥンの危機である! このままでは私は人間殺しの汚名を背負ってしまわねばならぬ! 今すぐにあの小娘を死なない程度に回復してくれ!」
「え、ええええ!? 私がですの!?」
「私の魔法は己の力を分け与える回復ゆえ、うまく回復力が調整できぬのだ! もし奴が戦えるほどに回復してしまえば、また面倒になるだろう! お前の神技の如き回復魔法が頼りなのだ!」
断裂からリーヴェを抱いて顔を出すミレイアに、サトゥンはこれ以上ないほどに情けなく必死で縋り付く。先ほどまでの雄姿が台無しである。
そんなサトゥンに苦笑する面々。そして、ミレイアは渋々ではあるがサトゥンの頼みを承諾する。
そして小さく溜息をつくのだった。先ほどまではあんなに格好良かったのに、と。その声を唯一耳にした妹は目を見開いてミレイアを見つめたのち、どうしたものかと頭を悩ませて傍にいるリアンにどうしたのかと心配されていたりする。
先ほどまでの勇ましさが嘘のように頭を悩ませるサトゥンに、横から訊ねかけるのはラージュだ。彼は治癒に反対らしく、サトゥンにその理由を語る。
「サトゥン、巫女シスハの治療は止めておいた方がいい。僕ら全員でかかってやっと抑え込めたほどの力を持つ相手に回復を行って万が一を起こされてはたまらない。フリックのように、彼女の力を完全に抑え込めるなら問題ないのだけれど……」
「ふむ、それは問題なかろう。小娘の体を少し回復させた後、私の生み出す異空間に奴を放り投げる。異空間から脱出するには、術者が魔力を失うか己の意思で扉を開くか、どちらかしかない。三日三晩一人であの場所に追い詰めてやれば、小娘も反省して泣き事を言い始めるだろう!」
「そんな簡単に反省するとは思えないけど……でも、閉じ込められるならそれがいい。彼女は他国で問題を起こした。レーヴェレーラの巫女がこんなことを行うなんて前代未聞、国同士の問題に発展するのは避けられないはずだからね。そのときの手札として彼女を拘束し続けることをお勧めするよ。きっとティアーヌやベルゼレッドも同意するはずさ」
「国のことはさっぱり分からんが、この小娘は私が直々に教育し直すと決めておる! 必ずや小娘の尻を百回ほど愛を込めて引っ叩いてくれよう!」
「旦那、尻叩きはもう諦めろよ。マリーヴェルの蔑んでる視線が痛えよ……」
「何にせよ、これで全てが終わったんですね。この国の人々の命は助かったんですよね」
「ああ、そうだぞリアン。これも全ては我ら勇者と英雄の――」
サトゥンの言葉がそれ以上続けられることはなかった。サトゥンが見せた驚愕の表情、それはリアンたちが初めて見る顔かもしれない。
まるで信じられないといったサトゥンの表情に何事かと思う間もなく、リアンたちも気付かされた――戦いはまだ、終わってなどいないということを。
彼らの視線の先、大地を大きく抉った巨大な穴の底から放たれる異様な重圧感。それも先ほどまでの比ではない、明らかに殺気と狂気の入り混じった全てを圧殺するほどの力。
再び天に昇る光の柱。その光景に信じられないというようにサトゥンは口を開く。
「馬鹿な……私の全力の一撃だったのだぞ。手加減などしておらぬ、この私の全てを込めた本気の一撃だった。それを……」
仲間たちは息を呑み、大地の大穴を凝視し続ける。大地の底からゆっくりと浮遊し、姿を見せた巫女シスハ。
服はボロボロになり、体は土埃にまみれているが、サトゥンの拳によって甚大なダメージを負った素振りは微塵もない。
空からサトゥンたちを見下しながら、シスハは無表情のまま口を開いた。
「驚いたわ。ええ、本当に驚かされたわ。まさかこの私に一撃を放り込むだなんて想像すらしていなかった」
「き、効いてねえのかよ、サトゥンの旦那の一撃が……化物かよ、てめえは」
「効くはずがないでしょう? それほどまでに力が落ちている攻撃など、私に通用するはずがないわ。あなたが『本来の力』だったならば分からなかったでしょうに――本当に愚かな道化」
「――お前たち、下がれ!」
それはサトゥンが初めて仲間たちに下した撤退命令だったかもしれない。いつでも不可能はないと、仲間たちが力を合わせれば勝てない敵などいないと豪語し、背中を見せることはなかったサトゥンが初めて口にする言葉に仲間たちは驚きを隠せない。
だが、それが彼らの行動を遅らせた。先ほどまでとは比較にならないほどの速さで光の剣が放たれ、その剣はライティへと向かい――それを庇ったロベルトの右肩を容赦なく切り裂いた。
「がああああっ!」
「ロベルトっ!」
ロベルトの肩から鮮血が吹き出し、即座にミレイアが蹲るロベルトに治癒魔法をかける。
致命傷にこそならないが、そのまますぐ戦場に戻れる傷でもない。ロベルトと治癒を行うミレイアを守るように囲み、光の剣に備える英雄たち。その姿を眺めながら、シスハは無表情のまま言葉を続ける。
「どうしてあなたがそれほどまでに『脆弱』なのか、よく分かったわ。その人間たちが握る武器、その全てからあなたの力を感じる。人間のために自らの力を差し出し、武器として振るわせていたのね――愚か、実に愚かだわ。あなたのその誤った判断のせいで、この場の全てのに人間が無様に死に絶えるというのに」
「なんだと……?」
「もしその力を蓄え続けていたなら、私といい勝負ができたかもしれない。奇跡すら起こし得たかもしれない。けれど、あなたは愚かにも人間に力を与えるという選択肢を選んでしまった。弱体化した状態で私に勝てるはずがないでしょう? 虫けらに幾ら優れた力を与えたところで、私には何の恐怖も与えない。あなたがこの場の人間全てを救うつもりなら、武器など与えず本来の力で私に挑むべきだったのよ」
淡々と言い放ちながら、シスハ再び光の剣を放つ。今度はマリーヴェルを狙った一撃だが、彼女は寸前のところで回避する。
だが、その表情に回避できたことへの希望はない。たった一本、一本の剣を避けることですら精いっぱいだったのだ。これが先ほどまでのように雨の如く注がれたならば、いったいどうやって避けるというのか。
その胸に絶望が過ったのはマリーヴェルだけではない。仲間たちの誰もが、胸に絶望の影を感じずにはいられなかった。希望であるサトゥンの最高の一撃をくらってもシスハは微塵も堪えることなく、あちらは更に力を引きあげた。先ほどまでの戦いですらギリギリだったというのに、ここから先英雄たちを待つのは地獄絵図しかない。
そして、シスハの語るサトゥンの力、この説明も的確に真実を物語っていた。もし、彼が、サトゥンが人間界に来たばかりの状態であったなら、彼女の言う通り一撃を叩き込んだ時点でシスハも無事ではいられなかっただろう。
だが、今の彼は全盛期の半分程度の力しか持っていない。その状態ですら並みの魔人を凌駕する力を持っているのだが、彼はこの人間界であまりに英雄たちに力を渡し過ぎた。
英雄への武器、サトゥンが渡してきた武器は仲間たちの道をいつも切り開いてくれた。何度でも彼らの窮地を救い、多くの人間たちを救ってきた。
しかし、その代償が今ここにきて訪れてしまった。何かを得るということは何かを失うということ。英雄と共に歩くために、英雄の力となるために生み出し続けた武器の代償が今ここで露呈してしまったのだ。
仲間たちに武器を渡したこと、そのことにサトゥンは何の後悔もない。だが、自分と同等以上の敵を想定していなかったこと、そのことをひたすらに悔やむしかない。
悔しさを隠しきれないサトゥンに、シスハが冷酷な現実を突き付ける。それはサトゥンがもっとも受け入れ難い現実だった。
「仲間たちが集まればどんな困難でも乗り越えられる、だったかしら。実に甘く、幻想的な夢物語だわ。圧倒的な力の前には、烏合の衆など何の意味も持たないというのに」
「貴様……」
「最後にあなたへ現実を教えてあげましょう。絶対的な力の前には、絆や想いなんてただの塵でしかないのよ。こんな風に――ね」
刹那、シスハが力を解放した。それはかつてないほどに強大な力の発露。
サトゥンたちの天空が輝いたかと思うと、彼らのいる大地へ向けて真っ直ぐに突き立てられたのは巨大な光の剣。
その刃がサトゥンたちへと振り下ろされ、英雄たちはなんとかその一撃を四散する事で回避する。だが、その瞬間こそがシスハの狙い。
跳躍したサトゥン、その背後に生み出されるは光の拳。気付いたときにはもう遅く、その拳は背後からサトゥンの体を拘束するように握りしめたのだ。
「グァァァァァァァァッ!」
「サトゥン様っ!」
「ほら、捕まえた」
恐ろしい程の力の締めつけに、サトゥンの体の骨は軋み、その身体が悲鳴を上げる。
サトゥンを助けに駆けようとした仲間たちだが、即座にシスハは彼らへ向けて光の剣を降り注ぐ。
進路を遮るように剣を放たれ、足を止めざるを得ない仲間たちにシスハは冷酷に言い放つ。
「笑わせるわね。この程度の攻撃すら凌げないお前たちが実に哀れだわ。私は別に構わないわよ? 自慢の『仲間の絆』とやらでこの男を救ってみせて頂戴、できた暁には賞賛の拍手を惜しみなく送ってあげる」
「こんのクソ女っ!」
「命を無駄にしたくなければ指でも咥えて黙って見ていることね。もっとも、この男を殺し終えたら次はお前たちを殺すことに変わりはないのだけれど」
警告をし、シスハは拘束したサトゥンへと向きあう。
サトゥンも苦痛に表情を歪めながらも、何とか拘束から逃れようと体を動かしている。しかし光の拳の力はあまりに強く、サトゥンの力を以ってしても逃れることはできない。
その姿に、シスハはようやく表情を崩す。それは愉悦、それは嘲笑。どこまでもサトゥンを見下したまま、言葉を紡ぐ。
「哀れな男。あなたはこれから、何もできず、何も守れずに死んでいくのよ。勇者ごっこの時間も終わり、仲間たちの前で無様に死に絶えるだけ」
「勇者が、この程度で、負けるものかっ。ぐうううううっ」
「最後まで減らず口を叩き続けるのは気に入らないわね。まあいいわ、これからは二度と人間界に現れないよう、厳重に魂を私が管理してあげるから」
――さようなら。その一言を言い残し、シスハは何の躊躇いもなく拘束されたサトゥンへ向けて複数の光の剣を解き放つ。
間違いなくサトゥンを貫くであろう光景に、ミレイアは悲鳴をあげてサトゥンの名を叫ぶ。
英雄たちも、己の身の危険を顧みることなく剣に貫かれることを覚悟の上でサトゥンのもとへと駆ける。
だが、シスハの放つ光の剣は恐ろしく速く、拘束から逃れられないサトゥンに避ける術などなく。己の無力さに悔しさを隠すこともできず、最後までサトゥンは抗い続けたが、彼が解放されることはない。
無慈悲な刃に貫かれ、間違いなくサトゥンは致命傷を負うことになる。サトゥンが死ぬ。他の誰でもない、あの無敵だったサトゥンが。
その瞬間が目前に迫り、苛酷過ぎる現実を英雄たちの心に侵食し始めた。だからこそ、彼らは必死にその名を叫ぶしかない。奇跡を願って、サトゥンの名を。
仲間たちの想いに必死に応えようとサトゥンも力を尽くすが、現実はあまりに非常。己の脆弱さへの苛立ちを隠そうともせず、サトゥンは何度も何度も脱出を試みるが打破するには至らない。
サトゥンへの刃が目前まで迫り、全てが終わったと確信してシスハは笑みを零し、最後の仕上げに入る。刃が届く直前に、光の拳を解放してサトゥンへ刃を突き立てるのだ。
拘束が外れても刃は眼前、避ける術などない。悔しさを噛み締め、刃を受け入れる覚悟を決めたサトゥンだったが、その刃がサトゥンへ届くことは無かった。
光の剣はサトゥンの眼前で止まった――吹きこぼれるサトゥンのものではない、人間の紅の鮮血と共に。
「――リ、アン?」
この戦場において、最後の最後までサトゥンの死を受け入れられなかった少年がいた。
彼はサトゥンと出会い、終わるはずだった命、そして愛する家族を救って貰った。
彼にとってサトゥンは何よりの憧れであり、まごうことなき勇者だった。その勇者であり、命を捧げる人が死ぬことなど、決して認められなかったのだ。
ゆえに、少年は誰よりも力強く駆けた。己の力全てを解放し、限界を遥かに超えて――そして少年は間に合ったのだ。
サトゥンの前に立ち、その背に無数の刃を受け、貫かれ、夥しいまでの流血をし、それでもなお少年は安堵するように笑う。
臓腑から逆流した血を口から吐き零し、想像を絶するほどの激痛に苛まれてもなお、朦朧とした意識の中で、少年は語りかけるのだ。
「よか……た……サトゥンさま……ごぶじで……ほんとう、に……」
「リアン……リアン!」
少年が――リアンが光の刃から自分を庇った現実、ようやくそれを理解したサトゥンはリアンへ一心不乱に駆けよる。
それは英雄たちも同じだ。リアンにかけつけ、半狂乱になって彼の名を呼び続ける。サトゥンとミレイアが大急ぎで治癒魔法をかけるが、リアンは大地に膝をつくことなく、光の剣を体に突き立てたまま語り続けるのだ。
「サトゥンさまは……みんなの、きぼう……ですから……サトゥンさまは、こんなところで、まけたりしませんから……」
「もういい、喋るなリアン! くそ、治れ、治れ、早く体の傷を治してくれ、我が魔力よ!」
「リアンさん横になって! 光の剣が臓腑をことごとく傷つけてる……危険な状態ですのよ、あなた!」
グレンフォードとロベルトの手により、リアンは強引に大地に寝かせられる。
必死に回復を行い続けるが、朦朧としたリアンの意識はクリアになることはない。
「リアン、目を覚ましてよ、やだよ、リアン! あなたが死ぬなんて、そんなの……そんなの、ないよ!」
「リアン、私たちの声に答えて下さい! お願いです、お願いですから、リアンっ!」
マリーヴェルとメイアの必死な声にもリアンは反応する事ができない。虚ろな瞳で空を眺め続けるだけ。
あれだけの刃をまともにくらって即死しなかったことが奇跡なのだ。もしくは失血死してもおかしくなかった。
治癒魔法を続けながら、仲間たちは必死にリアンの名を呼び続ける。意識を失わせないためだ。その中で、リアンは虚ろな瞳のままサトゥンに語りかけるのだ。
「サトゥン、さま……サトゥン、さま……」
「私はここだ! 何処を探しておる、私はお前の傍にいるではないか! そうだ、私はいつ何時でもお前の傍にいるではないか! 共に歩むと、お前が死ぬまで共に生涯を歩むとキロンの村で約束したではないか! ここでお前が死ぬなど……リアンがいなくなるなど、何が在ろうと決して許さぬぞ! 言ったではないか! 英雄ならば生きて胸を張って私のもとに帰ってこいと!」
悲痛な声で叫ぶサトゥン。そのサトゥンが握るリアンの掌から、握り返す力が失われていく。
だからこそ、何度も何度もサトゥンは叫ぶ。リアンの名を、何度も。人間界で初めて出会った少年、自分を勇者だと信じて笑ってくれる少年、決して失いたくない大切な友の名を、何度も。
仲間たちに囲まれた中で、リアンは力なく微笑んだまま、朦朧とした意識の中で、最後に呟くのだった。
「よか……た……こんど、は……まもる、ことが……できて、よか……った……」
「リアン、おい、リアン!」
「ほん……とうに……よかった……セトゥー……リア――」
リアンの意識が落ちると同時に、彼の腕は力なくサトゥンの掌から零れ落ちた。
その姿にリアンの死を連想し、悲鳴をあげかけた仲間たち。その彼らに冷静さを取り戻させるように声を発したのは治療にあたるミレイアだった。彼女は涙目ながらも、声を強く全員に語りかけたのだ。
「リアンさんはまだ死んでいません! だから諦めないで!」
「み、れいあ……でも、リアンが、リアンがっ」
いつもの強く在り続けたマリーヴェルが嘘のように弱々しくミレイアに縋るように言葉を紡ぐ。
その妹の姿に、ミレイアは更に心を強くする。リアンの命はまだ失われていない。応急処置を施しただけにすぎないが、今すぐ治療に集中すれば助かる可能性はあるはずだ。
だからこそ、ミレイアは希望を捨てない。仲間たちに心を強く持ち、しっかりと希望を伝えるのだ。妹の大切な人を、何より最愛の仲間を救う為に。
「表面的な傷の処置は施しましたが、リアンさんが危険な状態には変わりありません! 今すぐ安全な場所まで運んで治療に集中します!」
「た、助かるの? リアンは助かるのね?」
「助けるんです! 絶対に何があろうと、リアンさんは死なせません!」
「――無駄話は終わったかしら?」
ミレイアが仲間たちに指示を出し、リアンを安全な場所まで運ぼうとしたそのときだった。これまでの光景を愉悦混じりで眺めていたシスハが楽しげに口を開いて来たのだ。
彼女は悠然と笑いながら、リアンを見下ろして心ない言葉を放つ。
「どうやらその人間は死ななかったようね。本当に人間とは生き汚い存在だわ。あれだけ体を貫いても死なないなんて」
「てめえ!」
「その人間を安全な場所まで運んで治癒がしたいのよね? そんなことを私が許すと思っているのかしら。言ったはずよ、ミレイア以外のこの場の人間全てを私が殺し尽してあげると」
決して逃がさない。その意志を告げ、シスハは冷酷に、そして仲間たちの神経を逆撫でするように嗤う。
その姿が仲間たちの心に憎悪の炎を宿す。リアンをあんな目に合わせた女が、リアンを侮辱する言葉を吐いた。それだけで負の感情を持つには十分過ぎた。
己の命を失っても構わない、あの女は許さない。シスハに対する明確な殺意を抱き、英雄たちは一歩踏み込もうとしたそのときだった。
これまで黙していたサトゥンが、仲間たちに言葉を紡いだのだ。それはかつてないほどに感情を失った声で。
「……お前たちはリアンを連れて闘技場から離れてくれ。あの女は私が相手をする。お前たちはリアンを……リアンを頼む」
「サトゥン、しかしお前一人では――」
グレンフォードはそれ以上サトゥンに言葉を続けられなかった。
サトゥンの体から放たれる恐ろしきまでの憎悪の炎。それはかつてメイアが攫われたときにサトゥンがみせた殺気よりも遥かに膨大なもの。
膨れ上がるサトゥンの怒り、それは憎しみの闇。リアンを傷つけられたこと、彼を守ることが出来なかった己の無力さ、シスハへの憎悪。全ての闇が膨れ上がったサトゥンの姿に、仲間たちは誰もが口出しすることができない。
そんな仲間たちに、サトゥンは背を向けながら、語りかけるのだ。
「頼む……リアンを救ってくれ。こんな愚かな男を守ってリアンが死にゆくなど、絶対に認められん……どうか、頼む」
「……分かった。だが、あの女は強大だ。一人で本当に大丈夫なのか」
グレンフォードの問いかけに、サトゥンは言葉を返さない。沈黙の果てにゆっくりとその言葉を紡ぐ。それはまるで懺悔を行うように。
「お前たちに……他の誰でもないお前たちにだけは、これからの戦いを見られたくはないのだ……きっとリアンは怒るだろうな、憎しみのままに、憎悪に捕われるままに力を振るう『俺』の姿を知ってしまったら」
それ以上語ることはなく、沈黙を貫くサトゥンにグレンフォードは覚悟をみた。
男の想いに応えるべく、ゆっくりとリアンを抱きあげ、仲間たちに闘技場の外まで脱出する旨を伝えた。
サトゥンを残すことに反対意見は出かけたものの、リアンの一刻を要する容体とサトゥンの覚悟の前に、仲間たちは折れ、リアンを救うことを最優先とした。
だが、それを許すほどシスハは甘くない。英雄たちの動きが闘技場からの脱出だと見抜くや否や、彼らを逃すつもりはないと光の剣を向ける。
「言ったでしょう? 誰一人として人間を逃すつもりはないと。みんなまとめて殺して――」
シスハが口にできたのはそこまでだった。刹那、闘技場を……否、エセトレア全ての大地を揺るがすほどの地震が生じたのだ。
いったい何が。状況を把握しようとしたシスハだが、その原因をすぐに理解する事になる。
彼女の眼下、一人立ちつくすサトゥン。彼を取り巻く黒き焔が激しく燃え上がったのだ。天に昇る黒き炎、それはサトゥンの身を包み焦がしてもなお消えることはなく。
驚愕に染まるシスハに、サトゥンはゆっくりと言葉を吐きだしていく。それはどこまでも憎悪と憎しみ、そして殺意が込められた言葉。
「貴様はリアンを傷つけた……貴様のせいで、リアンは今、命を落としかけているというのに、貴様は傷つけるだけでは飽き足らず、リアンをも侮辱した……許さん、絶対に貴様だけは許さん!」
「な、何この力は……馬鹿な、何が起きているの!? 急速にあいつの力が膨れ上がって――」
サトゥンの身を包む黒き業火がより強く燃え上がり、サトゥンの身を包む。
その炎の中で、サトゥンの姿は変貌を遂げていく。頭部からは鋭く、そして折れ曲がった角が突き出し、背中からは巨大な翼が飛び出し。
何よりサトゥンの体がより一層強大かつ強靭に膨れ上がっていく。ただでさえ鍛え抜かれたサトゥンの体が更に強きものへと変貌したのだ。
腕部からは鋭い刃のような部位が突き出し、体の色は漆黒に染まり。全ての変容を終えたサトゥンのその姿、それはまさしく人外そのものであり――魔を冠するに相応しき魔神、真の姿であった。
サトゥン身体から放たれる力の強大さ、それはシスハの全力にも決してひけをとらない。シスハが天に昇るほどの光を放つなら、サトゥンは天を染めるほどの魔人界の業火。
人間らしさを完全に失い、魔物の如き鋭い瞳でシスハを射抜きながらサトゥンは怒りの咆哮を解き放つのだ。
「たとえ『俺』のこの身がどうなろうとも――お前だけは絶対に許さんぞ、シスハ!」
サトゥンの叫びで再び大地は激しく揺れる。それはまるで彼の怒りに呼応するように。
『魔神』と化したサトゥン、そしてシスハ。人間を超越した二人の戦いは最後を迎えようとしていた。
かつてないほどの激おこトゥントゥン丸。七章も残り二話、頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。
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