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魔人勇者(自称)サトゥン  作者: にゃお
七章 精弓
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87話 表裏





 その男の生涯は常に王のためにあった。



 自我が芽生えた頃には、男は地下牢で生を重ねていた。牢屋の中に、男と同程度の年齢の子供が数十人ほどまとめて入れられていた。

 『十七番』。それが地下牢の前に立つ兵士から呼ばれた男の名だった。そのことに疑問を持ったことはない、男のように番号の名が与えられていたのは自分だけではなかったから。

 男の生活は苛酷なモノだった。早朝に牢屋から叩きだされ、学問の基礎も何も知らぬにも関わらず、魔法学のイロハを叩き込まれる。読み書きを覚えさせられる前に、男は魔法の使い方を身に付けさせられた。

 食事も粗末なものしか与えられない。唯一、豪勢な食事にありつけるのは魔法の成果をみせたときだけ。他の子どもよりも秀でたところを見せた者、優秀な者には立派な食事が『子どもたちの前で』その一人にだけ与えられた。

 このことにも男はおろか、子どもたちは疑問に感じたことはない。それがおかしいことだと教える大人などいなかった。それが『当たり前』だと教育されてきたのだから。

 そして、数十日ごとに訪れる決まった日に、牢屋の子どもは一人、また一人と減っていった。

 魔法学において牢の中で一番劣る者、才能のない者が子どもたちの前で兵士の手によって『廃棄』された。

 男を含め、牢の中の子どもたちはそのことも何一つ疑問に思わず、他の番号が『廃棄』されるのを平然と眺めていた。それが当たり前だったからだ。

 劣る者は捨てられる。才のない者は処分される。それがこの小さな地獄の日常だったのだから。


 男が十を数える頃には、牢の中の子どもの数も二十を切るほどになっていた。

 男をはじめ、その子たちの誰もが優秀であり、大人の魔法使いをも凌駕する実力を持っていた。

 そして、ある日のこと。男たちの前に、いつもの兵士ではない別の人物が現れた。

 豪華絢爛な服装、しわがれた顔。男の名はバララド。男が住まう地、エセトレアの王を務める男であった。

 鎖につながれ、バララドを無表情のまま見上げる子どもたち。それを満足そうに見下ろしながら、バララドは兵士に指示を出す。

 そして、慌しく動き回る兵士たちを余所に、バララドは狂気に満ちた言葉を子どもたちに告げるのだ。


『余が欲するのは真に選ばれし優秀な道具だ。余の願いを託すことができる、決して逆らうことのない秀でた道具だけを余は欲しておる。どの人形が残るか、実に楽しみだ』


 狂ったように笑うバララド。その一瞬ではあるが、男は彼と視線が重なったような気がした。

 準備が整ったのか、兵士が牢を開き、子どもたちを外へと連れていく。その光景を満足そうに見つめながら共に外へと出ていった。

 子どもたちが連れ出されたのは、古錆びた闘技場だった。子供たちが闘技場の地に並べられ、それを正面から見下すバララド。

 兵士たち十数名を従えた王は、子どもたちに再び口を開く。


『余の名はバララド。この名は当然教育されているであろうな?』


 その名を耳に入れた刹那、子どもたちは誰一人として例外なく膝をつき頭を垂れる。

 彼らは魔法学と同時に王に対する忠誠を何度も叩き込まれていた。その命は王の為にあり、王の望むままに使われるのだと。

 子どもであればあるほど、刷り込みは容易。子どもたちにとって、王の命令は何よりも優先されることなのだ。それは当然、男も例外ではない。

 きっちりと教育が施されてることを確認し、バララドはゆっくりと口を開き、子どもたちに命令を下した。


『余からお前たちへ初めての命令だ――今からこの場で殺し合うがいい。余と自分以外の全ての人間を殺し尽すのだ』


 その命令が下された刹那、半数となる十人の子どもの命が奪われた。

 王の命令に対し、頭が即座に理解できず動けなかった子ども、命を奪うという行為を行動に移せなかった子ども。道具に徹することができなかった子どもが真っ先に犠牲となった。

 残る十人の子どもたちで始まる殺し合い。そのなかで、男は群を抜いて優秀であった。向かい来る二人の子どもを風魔法で切り裂き、敵の魔法によって傷ついても微塵も動じることもなく。

 男は子たちのなかで誰よりも心が空だった。ゆえに、王の命令に対する疑問も、殺しに対する抵抗も何もない。数分ほどの殺し合いにて、男は最後まで生き残った。

 戦局は決まったと判断し、男に『それまで』と制止の声を上げようとした兵士だったが、それが叶うことは無い。

 次の刹那、兵士の首が胴とはつながっていなかったためだ。何が起きたのか分からず絶命する兵士。そして、子どもが魔法を再び残りの兵士たちに向けて放ったことで、兵士たちは慌てて指示を出す。

 もう戦いは終わった。勝者はお前で、子どもの生き残りはいない。俺たち兵士は戦う相手ではないと、声をはりあげた。

 しかし、男はその言葉のことごとくを無視し、全ての兵士を蹂躙するように殺し尽した。やがて、子どもたちの屍の上に兵士の屍を築き上げ、返り血に染まったままに王に膝をつき、頭を垂れる男。

 その姿に愉悦を零しながら、バララドは愉悦混じりに訊ねかける。


『兵士たちを殺した理由を訊こうか』

『王の命令は絶対です。王は御身と自身以外のすべての人間を殺し尽せと命じられました。王の命令は全てに優先されますから』


 男の返答に対し、バララドは狂ったように笑う。その笑い声はどこまでも夜空に響くように高く。

 どこまでも人間味の感じられない無機質な男の返答に満足したように、バララドは褒めるのだった。


『そうだ、それでいい。余の求める道具に人間らしさや感情など必要ない。私の命を誰よりも忠実に実行したお前こそが、余の願いを託すに相応しい――誰よりも狂ってしまっている、完成されたお前がな』


 その日から、男の居場所は光差さぬ地下牢から高貴な貴族の屋敷へと移されることになる。

 エセトレアの貴族、バララド王の手駒の養子として男は内密の内に迎えられ、名をフリック、家名をシルベーラとして与えられた。

 だが、男――フリックの生きて為すことは何一つ変わらない。王の為に学び、王の為に死ぬ。それが彼の唯一生きる理由だったからだ。

 直接、王に呼ばれてはどんな命令でもフリックは実行した。王の意にそぐわぬ貴族を内密の内に殺した。不満の高まっている国内の村の住民全てを一人で虐殺した。老人も子どもも、男も女も顔色一つ変えずに殺し尽した。

 壊れた人間である彼にとって、王の命令ならばどんなことでも応じた。淡々と仕事をこなすフリックに、王は狂った笑みを浮かべて満足気に賞賛する。

 王に褒められた瞬間だけが、唯一フリックにとって人間らしき感情を芽生えさせられた。自分の命の意味を、生の意味を感じられる時間だった。

 自我の持たぬ頃から洗脳されているフリックにとって、その王の言葉一つの為に動くことに何のためらいもなかった。

 彼が闇の中で積み上げた屍、それが千を超える頃。彼は若干十八歳にして大貴族の地位まで昇り詰めていた。言うなればエセトレア王国の裏の顔、暗部の全てを差配する立場となっていたのだ。



 そして、歳月が積み重ねられたある日のこと。

 フリックは王に命じられ、王の寝室へと向かう。一年ほど前、王が病に倒れてからというもの、王はことあるごとに他の人間を排し、フリックだけを呼び続けていた。まるで他の人間を一切信じていないかのように。

 姿を見せたフリックに、病床の王は重い口を開いて語りかける。


『フリックよ。余は病に倒れ、夢を果たすことなく死にゆくことになりそうだ』

『王が命じられれば、どのような願いでも私が果たしてみせます。それが私の役目なのですから』

『よい。これは初めから分かっていたことだ。余では時間が足りなかった、口惜しいが余の代では夢が果たせぬことなど分かり切っていた。だが、余の夢はお前に受け継がれればよい。先代がそうしたように、余もまた次の後継者であるお前に我らエセトレアの夢を託すのみ』

『王の夢、とは』

『――全ての滅び。この世界に生きる全ての人間を排し、我らの願う神を迎えること。それこそが、余たちの……エセトレア王家が望み続けた夢であり願いなのだ』


 ゆっくりとバララドは語る。それはエセトレア王家が代々受け継いできた『おぞましい夢』。

 エセトレア王家、その祖先は今より数千年も前、歴史の遺物に触れた。朽ち果てた石板、それに先祖が触れた刹那、彼の脳裏にある景色が映し出された。

 激しい戦乱、人間同士の醜い争い、血塗られた大地。愚かな人間たちが心に抱く醜い欲望、その肥大化したゆえの修羅の世界。

 救いなき絶望の世界、そこに光が差し込む。欲深き人間たちが跋扈する大地に舞い降りた女神。彼女は全ての人間を誰一人として例外なく救済した。

 争いを止めるように、一人、また一人と人間たちを光の渦に飲み込んでゆき、この世界に生きる全ての人間を排し終えたとき――女神は光で全ての大地を照らしていった。

 彼女の照らし出す光は全ての大地を癒していった。人間に蹂躙された草木も、血に染まった花も、全てを浄化するように。

 その光景はまさしく女神による世界の救済。凝縮された愚かな欲深き人間の罪を洗い流し、世界を元ある形に戻すための軌跡。

 全てを癒し尽し、新たな世界の誕生を見届けて女神は天へと戻っていった。そこには何の争いもない、美しく清らかな世界。

 石板から与えられた景色、その全てを見届け終えたとき、先祖は号泣した。人間という生き物の愚かしさに、救済を迎えた世界の美しさに。

 映像から伝えられた女神の想い、それは明らかだ。女神は人間を求めていない。この世界にとって、人間とは『不純物』に他ならない。

 それは洗脳じみていたかもしれない。最初に人間のおぞましい罪、その全てを突き付けられ、後に女神による救済をみてしまったからこそ、先祖は疑うこともなく信じてしまった。

 女神の望みは、この世界の全ての人間の滅びなのだと。そしてそれを叶えることこそ、我らに与えられた使命なのだと。

 バララドの語る言葉を耳にしても、フリックは驚くことはない。王の言葉を微塵も疑っていない、疑うことなどありえない。

 その反応に、バララドは安堵するように息をつき、言葉を紡ぐ。


『そうだ。常人ならこの話を聞いたとき、決して落ち着いてなどいられない。『狂人の妄言だ』というだろう。だが、お前は違う。お前は余の言葉を決して疑わず、余の目的を聞いてなお揺るがない』

『王の言葉は私の全てですから』

『それでいい。そんなお前だからこそ、余はお前に夢を託すのだ。常人には叶えられぬ、狂人にこそ相応しい余たちの夢。先代たちは間違っていた、最初からこうすればよかったのだ。血族になど拘るから、余たちの夢は何度も他国に阻まれるのだ。真に夢を叶えたかったのならば、余のように壊れた人間を後継者として用意すればよかったのだ』


 かつて、エセトレアは過去の歴史の中で何度も他国に戦争をしかけ、ことごとく敗北をした。

 表向きは侵略の為の戦争だが、王たちの狙いは他国の人間全ての排除だった。まず手始めに戦争という方法をとって他国の人間を殺し尽し、そして最後にエセトレアの人間も殺す。それが王たちの狙いだった。

 だが、エセトレアが如何に強国とはいえ、他国全てに打ち勝つことなど到底できるはずもなかった。

 何度も敗れ、その度に国力を失い、今となってはクシャリエやランドレンにも劣るほどに国が衰えてしまった。

 だが、それでも王たちは諦めない。祖先から受け継いだ狂気の夢を、常人には受け入れ難い妄執を。


『ソラルもグランドラも余たちの夢を継ぐことはない。奴等は祖先の願いを受け入れようとはしなかった。妄言だと一蹴した。あれらはどちらが次期王になろうとも、良き王として善政をするだろう。だが、そんなことは誰も望んでおらぬのだ!』

『王、お体に障ります』

『誰が民のことを考えろと教えた! 民など我らにとって駒に過ぎぬ! 誰が民の命を尊べと言った! 民など他国の人間を虐殺するための兵に過ぎぬ! そんなことをしていても救いの神は訪れぬ! 民を救い、人間を増やしてどうなる!? それこそ先祖の見た愚かな世界の繰り返しではないか! そのようなこと女神は望んでいない! そのようなこと神は望んでいない!』


 手を震わせながらバララドは叫び、血走った瞳でフリックを見つめる。

 それはまさしく人間として壊れた男の姿。壊れた人間を求めた男は、誰よりも心が壊れていた。

 声を荒げながら、バララドはフリックに対して命じるのだ。


『フリック、六百八十二人の子どもから選ばれた余のフリックよ。余の願いを牢記せよ、そして必ず叶えてみせろ。貴様の代で達成できないのならば、次代へつなげ。決して余たちの願いを終わらせるな。それこそが、それこそが女神の望みであり、世界の救いなのだ』

『全ては王の為に、必ず』

『国を乗っ取ってもよい。必要ならいつでも戦争を起こせ。不要と断じたら我が子であろうとも殺せ。……そうだ、殺せ! この世界の人間は滅ぶべきなのだ! 人間などという薄汚い生き物は死に絶えるべきなのだ! 女神に選ばれた余たちの手によって、全ての人間は消え去るべきなのだ! 命令だ、フリックよ! 一刻も早く全ての人間を殺し尽せ! 誰一人として例外を許すな! 誰一人として――』


 王が言葉を続けられたのは、そこまでだった。王がそれ以上言葉を吐ける筈もない。なぜなら王の首の上にはもう、『頭』が存在していないのだから。

 絶命した王の返り血を浴びながら、フリックは顔色一つ変えることもない。解き放った風の刃を収束させながら、王の死体へ向けて淡々と言葉を紡ぐのだ。


『かしこまりました――王の心のままに、一刻も早く、全ての人間を例外なく殺し尽すことをお約束いたします』


 バララドから受けとった最後の命令、それを忠実にフリックは実行したのだった。

 病に倒れ、いつ死を迎えるか分からぬ王を存命させるより、今すぐ死を迎えさせ、次王を傀儡として国を戦争のために根本からつくりかえた方が早いという判断のもと、フリックはバララドを殺すことを厭わなかった。

 手の回した暗部の部下たちに命じ、バララドの死体を処理し、この日バララドは『病死』という名目で命を失った。

 彼が望んだ道具であるフリック、彼は誰よりも道具として優秀過ぎた。王の命を叶えるためなら、王の死すら厭わぬほどに。


 王が死した後、フリックは偽りの遺言と部下の手回しにより、次男であるグランドラをお飾りの王として立てた。そして、正義感に溢れ優秀過ぎた長男ソラルは刺客を放ち殺そうとした。

 ただ、ソラルが他国に逃げ延びたことで、フリックは別の手を打つ。国を鎖国し、ソラルは自害したと発表したのだ。

 国を閉ざしてしまえば、他国のソラルが何をしようと問題もない。閉ざされた箱庭の中で、フリックは命じられた計画を実行していった。

 宰相という立場に立ち、戦争の可能な国として統制する。途中、グランドラが邪魔と感じたとき、彼は躊躇なくグランドラを殺し、改造して兵器としての実験を重ねた。

 魔物や人間の体を重ね合わせた生物兵器、それがグランドラの変わり果てた姿だった。

 強き人間や魔物の体には力が宿る。それを魔法という補助を使い、適合する強者たちの継ぎ接ぎによって生まれた人間兵器。

 その完成はラージュが発見した『勇者リエンティ』の骨をもって完成を迎えた。もっとも、今となってはフリックにとって微塵も興味がないことだ。

 なぜならそのグランドラは協力者の協力に対する見返りに放棄してしまったのだから。なぜ、その協力者が実物かも分からぬ勇者リエンティの骨によって作られた人形に執着したのか、フリックにとってはどうでもいいことだった。


 途中で貴族の娘を嫁として迎え、子を為したのも王の夢の為以外の何物でもなかった。娘の父と結びつきを高め、より権力を握る理由が一つ、そして自身が夢果たせなかったときのための優秀な後継者を産ませるためというものが一つ。

 彼の狙いに反して、娘は平凡な力しか持ち得なかったが、その娘がフリックの夢を託すに相応しい少年を呼び寄せた。

 天才、ラージュ・ムラード。彼をみたとき、フリックは王の夢を託す素材だと直感した。優秀さもさることながら、感情のない在り方が何より気に入っていた。

 もし、巫女シスハとの邂逅がなければ、どんな手を使ってもフリックはラージュを後釜に据えただろう。彼の読みでは、どんなに急いでも自分の代では夢は果たせないと逆算していたのだから。

 だからこそ、フリックはラージュに決して逃げられぬ鎖をつけていた。己が娘の心を破壊してラージュが逃げぬように。彼女に命じ、ラージュの行動を逐一報告させていたこともその理由だった。


 だが、協力者――巫女シスハは、フリックの計画全てにおける時計の針を強制的に進める力を与えた。

 彼の託された狂った夢、それを支持する協力者の登場によって、フリックは長年積み重ねた計画全てを実行に移してみせたのだ。

 ラージュを切り捨てたこともシスハの登場によるためだ。シスハがいれば、シスハの力があれば次の世代に夢を託すことなど必要ないのだから。

 言うなれば、シスハという協力者によって、今回のエセトレアでの悲劇の引き金はひかれてしまったのだ。

 何年先になるかも分からない、年代を重ねて次代へ次代へと託され続けた狂気の願い――全ての人類の滅び、そして世界の救済。

 言うなればフリック・シルベーラという男はその狂気の結晶なのだ。それは彼が自ら望んだわけではない。ただ王に命じられたから、だからそれを願いとして実行に移しているだけに過ぎないのだから。

 そう、今、ラージュたちの前に立つ男はもはや人間ではないのだろう。彼はまさしく怨念、エセトレアの王家の人間が受け継いできた狂気、それを彼は体現した存在。

 どこまでも自分の存在しない優秀な道具。主に命じられたままに、それだけの為にフリックは今までを生きてきたのだから。
















 フリック・シルベーラに与えられた命の存在理由、全ての人類の抹殺はまもなく実行に移されることになる。

 エセトレア城および城下街全ての人間を操ることができた。それはすなわち、エセトレアの人間ならば国中全ての人間が意思を持たない兵として運用できるということだ。

 一国全ての人間が兵力となる、それも己の死を厭わぬ最高の道具となって、だ。これがどれほど恐ろしいことか、今更語るまでもない。

 そして、戦火に油を注ぐ為の準備も整っている。この国に集った他の国全ての王の首を晒せば、笑えるほどに呆気なく開戦は進むだろう。

 絶対にあり得ないことではあるが、もしものときの保険も用意した。たとえフリックの身に何があろうと、王に託された狂気の夢は終わらない。全てにおいて盤石だった。

 その全てを成し遂げたことがフリックの心に初めて人間としての感情を与えたのかもしれない。

 王の夢のためだけに動いていた道具としての彼だったならば、ラージュたちとの戦いを長引かせたりはしなかっただろう。

 だが、今、彼は自分を打倒せんと向かってくる英雄たちに対し、明らかに『遊んで』いる。

 自分を倒すためにどんな手を使ってくるのか、どんな方法を用いてくるのか、まるで盤上遊戯を楽しむかのように先を読んで行動を起こし手を打ち続けている。

 そのことに気付き、フリックは苦笑ぎみに口元を歪める。そして地に叩きつけられたリアン、ロベルト、アレンを見下ろしながら言葉を吐くのだった。


「そうか、私は『遊び』を楽しんでいるのか。皮肉なものだ。王からの命令の達成を目前に控え、道具としての意味を失ってはじめて新たな自分に気付くとはな。不思議な気分だよ、これはこれで悪くないと思える自分がいる」


 ボロボロになってなお立ち上がり、フリックを睨みつける三人。彼らの瞳にはまるで諦めの色が無い。

 再び二手に別れ、フリックに対して突貫を試みるリアンたち。そんな彼らに対し、フリックは淡々と言葉を呟きながら迎撃を行うのだ。


「だが、それは恥ずべき行為だ。それは王に求められない行為だ。私にそんな生き方は与えられていない、私の命はそのようなことに用いられてはならない。全てはバララド王の望みのままに――全ての人間に死を」


 全方位に荒れ狂う雷を落としていくフリック。前に向かう足を回避へと変更し、リアンたちはたまらず後退せざるを得ない。

 だが、これは分岐点。明らかにフリックの魔法の質が変わったことをラージュは見切っていた。これまでの魔法はリアンたちの攻撃を流し遊ぶための守りの魔法だった。

 それに対し、今フリックが行った魔法は明らかに殲滅を目的としたものだ。込められた魔力も段違いであることをラージュの左目は読みとっている。

 すなわち、フリックの行動が遊びを終え、リアンたちを本気で殺しに来たということに他ならない。攻撃に重きをおいた殲滅へと切り替えたのだ。


「終わりにするとしようか。何、心配する事はない。お前たちを殺した後は、お前の仲間たちも各国の王もすぐに殺してやる。それが終わったならば、あとは人間の終わりを迎えるだけだ。全てを成し遂げたなら、私もお前たちの後を追うだろう。全ての人間に例外なく死を、それが王の望みなのだから」

「自分の死すら、躊躇がねえのかよ」

「あろうはずもない。私の命は王の願いを叶えるためだけに存在している。役目を終えた道具が捨てられる、それだけのことだろう?」

「フリック・シルベーラ、勝ち誇るのはまだ早いんじゃないかい。君は勝利を確信しているようだが、戦いとは対峙する相手が存在するものさ。その相手である僕たちもまた確信しているのだよ――君に絶対勝てるとね」

「それは確信ではなく、ただの願望というのだ、ラージュ・ムラード。道具に徹しきれなかった愚かな天才よ」

「強く願えば願望はいつか希望に変わる。それを僕に教えてくれたのがリレーヌであり、ロベルトたちなんだよ。フリック・シルベーラ」

「下らんな。まあいい、お前の役割はリレーヌともども終えている。疾く消え去るがいい、王の御心のままに」


 会話を切り、フリックはこの場全ての者たちに容赦なく雷撃を放っていく。

 完全に殲滅へと意識を変化させた攻撃に、ようやく訪れた機と判断したラージュは手をあげて仲間全員に実行の指示を出した。

 ラージュの合図を見て、仲間たちは雷撃を回避しながら予定していた策を実行するため戦場を駆けていく。

 前衛の三人が二手に別れたのを確認し、フリックは呆れるように息を吐く。アレンとロベルト、反対側にリアンという配置は何度も繰り返しみた光景だ。

 リアンを囮として、残る二人で一気にフリックを狙う策。それが無駄だということは何度も繰り返し大地に叩きつけて教えたはずだ。

 ロベルトたちの動きを補助するように彼らの背後から飛び交う魔法や矢を捌きながら、フリックは威力の上がった魔法で全員を狙い撃つ。

 リアンを相変わらず一定距離に貼り付け警戒を外さないまま、アレンとロベルトを対処する。今のフリックに手加減はない、力で押し切れば疲弊したロベルトやアレンでは決して魔法は回避できなくなる。

 フリックを攻める本命である二人、そのどちらかの駒を取ったときが終わりを迎えるとき。魔法を同時展開してロベルトとアレンを吹き飛ばした刹那、ラージュはカードを切った。

 それはラージュが温め続けたカードだ。アレンとロベルトの対処のため、わずかばかりリアンへの迎撃が薄くなった瞬間。それをラージュは狙い続けていたのだ。

 ラージュが大きく引き絞って放った流弓リジェネイア。その矢から放たれるは、これまでの攻撃魔法とは異なる青白く輝く魔法矢。

 それは不規則な軌道を描き、ロベルトとアレンの援護でも、フリックに対する攻撃でもなく、リアンに向けて恐ろしき速度で飛翔した。

 リアンの胸に突き刺さった魔法の矢、それこそがラージュのタイミングを窺い続けたカードだ。彼が何より得意とする魔法、それは他者の身体強化。

 この仲間の中で、一番身体能力が高いリアンに対し、補助魔法をかけることで一気にフリックの守りを貫通する。そのための布石は幾重にもばらまいていた。

 何度も何度も単調な攻めを繰り返していたのも、攻めの速度に慣れさせつつ、急な変化を警戒させないため。

 アレンとロベルトに魔法や矢で補助を行い続けたのも、彼らが本命だと誤認させるため。リアンへの意識を少しでも外させることが成功すれば、この策は成り立つ。

 そして、ラージュのカードに加えてリアンにも一枚手元にカードが残っている。それは闘気の解放だ。

 リアンの闘気は短時間ではあるが、仲間の誰よりも恐ろしき爆発力を生む。ラージュの強化魔法とリアンの闘気、その二つこそがこの土壇場まで隠していた手札だった。

 ラージュの魔法を受け、力が全身に漲ることを感じながら、リアンは迷わず闘気を解放した。黄金に輝く光がリアンの体を包み、レーディバルを握る力を強くさせる。

 そして、迷うことなくフリックへ加速する。その進撃速度は目にも止まらぬ速度であり、ロベルトとアレンへ魔法を放ち、ライティの攻撃魔法を打ち消しているフリックには到底とめられるはずもない攻撃だった。ましてやフリックの意識が本命と思われていたロベルトたちへ向けられていたならば、なおさらだ。


 全ての力を解放し、さらにはラージュの後押しも加わったリアン。誰もがフリックへ届いたと思っていた。だが、フリック・シルベーラはラージュたちの策の全てを上回る化物だった。

 そう、彼はリアンへの警戒を決して捨てていなかったのだ。最初に刃を交えたときから、フリックはリアンこそが最大の危険要素と判断していた。全ての人間に危険度の優先順位をつけ、リアンこそが何よりも警戒すべきだと信じて疑わなかった。

 常にリアンのことを警戒していたからこそ、たとえどんな変化があってもリアンの行動には対応ができる。たとえどれだけロベルトやアレンに意識を向けさせようとも、彼らはフリックの中で優先順位は極めて低い。それを理由にリアンから意識を外すことなど決してない。

 ましてや、フリックはラージュが他者を射て強化する術を知っていた。ラージュが青白き光の矢で味方を射るということは、すなわちその者を強化していますと言っているようなものだ。ラージュがリアンを撃ち抜いた瞬間、フリックの中でリアンに意識を向けないはずがないのだ。身体能力が上昇し、これまでにないほどに鋭く早い攻撃が来る。それが最初から分かっていれば、人間を超える強さを持つフリックにとって回避できない攻撃など存在しない。

 リアンの迫る槍に対し、フリックは紙一重のところで回避し、すれ違いざまにリアンに対して雷激を放つ。

 回避されたことに驚愕したリアンは、天から迫る雷撃に対してレーディバルを投げ、避雷針代わりに使うことで何とか凌ぐことができた。

 だが、槍を手放したことで、リアンからの追撃はない。一度切ったカードは二度と裏返すことはできない。リアンの強襲は失敗に終わったのだ。

 恐るべきはフリック・シルベーラの読み。彼は撒き餌にもかかることなく、己が判断と心中した。だからこそ、もっとも警戒するリアンの攻撃を避けられた。

 目に見える情報を冷静に判断し、行動に移す。一度変化を見てしまえば二度は通じない。リアンの最高速度は既にフリックの経験に刻まれた、再び同じことをしても無意味だ。

 そう、フリックはこのとき己の勝利を確信していた。ラージュの隠していたカードを読み解き、終局への一手を打った。そのはずだった。


 だが、それが大きな勘違いだったことをフリックはすぐさま気付かされることになる。

 ラージュとフリックとの盤上での駆け引きは、未だ続いているのだから――ラージュが切った、『真の切り札』によって。


 リアンを迎撃し、槍へ雷撃を落とした刹那、何かの影がフリックへ向けて恐ろしき速度で駆けてきていた。

 視線をそちらへ向けると、先ほど炎と雷撃の魔法をぶつけ合って相殺し、その余波で生まれた爆煙の中から飛び出すように現れた青年の姿があった。

 その男の名はロベルト・トーラ。フリックが戦場においてもっとも低い評価をつけた男の名である。

 彼は右手にグリウェッジを握り、ありえないほどの速度で戦場を駆け、フリックへと肉薄していた。その光景にフリックは驚愕する。

 その彼の駆ける速度は、リアンほどではないが、人間では決して実現できぬほどの早さだった。まるで『身体能力を誰かに引き上げられた』かのように。だが、それは決してあり得ない。なぜならロベルトにラージュの放った身体強化の矢が刺さる光景など、フリックは見ていないのだから。

 そう、その読みは正しい。ラージュはロベルトに対し、フリックの目の前で強化魔法など唱えてはいない。だが、ロベルトは確実に身体強化が施されている。

 ではいつ、ロベルトはラージュに強化魔法をかけてもらっていたのか。簡単だ、ロベルトはフリックと戦う以前からラージュに強化魔法をかけてもらっていたのだ。

 ラージュに強化をしてもらって、己の限界が高まったロベルトだが、彼はこれまでの戦いの中でわざと自分の力を常時と同程度まで押さえていたのだ。

 常時の力まで落とし、何度もフリックに飛ばされることで、それが限界なのだとフリックに誤認させた。警戒のレベルを無意識の内に引きと落とさせたのだ。

 そして、戦闘中に短時間であるが話し合ったこともブラフ。あの話し合いによって、フリックに『これから策を行う』と勘違いさせた。

 ロベルトとアレンが本命で、リアンは囮、そう勘違いさせてその実リアンが本命だと思考誘導をした。フリック程の強者ならば、リアンへの警戒は決して解かないだろうことをロベルトもラージュも分かっていた。強者は強者をかぎわける、だからこそ、リアンこそが切り札であると誤認させるために尽力したのだ。

 全ての推測通り、フリックはリアンこそが切り札だと見抜いてくれた。そして、心から勝利を確信した。

 戦場において、一番の隙は勝利を得た瞬間に他ならない。そのタイミングをロベルトは狙い澄ましていたのだ。何度も床に叩きつけられながら、その瞬間を。


 全ての策は成り、ロベルトの強襲にフリックは対応出来ない。当然だ、リアンこそが切り札と思いこみ、その対応に追われ、安堵した刹那なのだ。何よりも恐るべきはロベルトの擬態、そして忍耐力だ。

 ましてや、ロベルトの存在を隠すように後衛たちが徹底している。ライティの魔法による爆煙も、矢によるリアンを助けるための動きも、全てはロベルトの動きを隠すため。

 魔法で攻撃は無詠唱でも間に合わない。避けることも敵わない。だが、フリックとて国を担う強者。紙一重のところでロベルトに対する行動に移ることができた。

 新たに魔法を発動する時間がないと悟るや否や、既に展開していた魔法障壁、これをロベルトと自身の間に移動し挟みこんだのだ。

 ロベルトとフリックの間に存在する防御壁は強固、人間の突撃程度では決して破れやしない。わずかでもいい、時間を稼いで迎撃すれば勝利は揺るがない。そう判断したのだ。

 しかし、その程度の障壁ではロベルトを止められない。ロベルトの右手に握られているのは、どんな困難をも切り開く最高の相棒。

 突然現れた壁にも動じることなく、ロベルトは展開された魔法壁を右手に握るグリウェッジで一瞬にして切り裂き崩壊させたのだ。

 目を見開くフリックと、口元を吊り上げて笑うロベルト。永遠に届かないと思われていた距離が、このときはじめてゼロになる。


「俺の大切な弟分たちを散々虐めてくれた礼だ! 手加減はしねえぞ、歯ぁ喰いしばっとけ!」

「グアッ――」


 ロベルトの振り抜いた左拳がフリックの右頬を捉え、容赦なく全力で振り抜かれる。

 身体能力向上かつ助走のついたロベルトの一撃は人間をはねとばすのに十分過ぎるほどの力が込められており、フリックはバルコニーの床に三度四度と叩きつけられる。

 床に転がるフリックを見届けるロベルト。紅くなった左拳をひらひらとさせながら、笑って言葉を紡ぐのだ。


「『自分の強さを相手に何倍にも錯覚させること』が強さなら『自分の強さを相手に何分の一にも錯覚させること』もまた強さ。戦場で少しでも相手に騙されたら即座に食われる――マリーヴェル先生の有難い言葉をお前も耳にしてたなら、この戦いはお前の勝ちだったかもな」


 裏の裏まで読んだラージュの策、その期待に見事応えた仲間たち。

 長く続いた盤上戦は、今ここに決着を迎えるのだった。








英雄ロベルト、おっさんの過去に微塵も興味を示せず問答無用の鉄拳で強制排除に成功、無事子どもと戯れる。次もがんばります。

ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。

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