84話 激突
闘技場に向かうサトゥンたちだが、その方向へ駆け続けるにつれて嫌でも気付き始めるものが二つある。
まず一つは気を失ったエセトレアの人々だ。瞳を紅に染め、操られていたはずの人々だが、闘技場に近づくにつれて誰も彼もが意識を失い地に倒れてしまっている。邪魔されない分、サトゥンたちにとっては好都合ではあるのだが、夥しい数の人が倒れている様は見てて気分がいいものではない。
そして、もう一つはマリーヴェルやメイア、そしてミレイアの表情を歪ませる理由だ。闘技場に近づけば近づくほど大きくなる異様な感覚。
それは彼女たちがエセトレアの遺跡で感じたものに近い形に見えぬ威圧感。気を失ったときほどではないが、それでも胸を締め付けられるような息苦しさは変わらない。
恐らく、否、間違いなくこの気が人々の意識を奪い去ったのだろうと三人は確信していた。いったいこの先で何が起こっているのか、彼女たちの疑問の答えは闘技場の中にある。
サトゥンを追うように駆けるマリーヴェルとメイアだが、サトゥンの足が闘技場の入り口の前でぴたりと止まったことにならうように、彼女たちも足を止めた。闘技場の入り口には蛇剣を握り、三人を見つめる女性――クラリーネ・シオレーネが立ち塞がっていた。
彼女の存在に気付き、マリーヴェルとメイアは腰から剣と刀を抜き放つ。二人の鋭い視線を受けつつ、クラリーネはサトゥンとミレイアへ向けてゆっくりと口を開いた。
「この先にシスハ様がお待ちになっている」
「ふはは! 面白い冗談だな! この先にはシスハだけではなく、当然グランドラもいるのだろう! いや、正しくはグランドラだったものか!」
サトゥンの言葉にクラリーネは応えない。ただ顎を入り口の先へ動かし、サトゥンに対して命令するように言葉を紡ぐだけ
「行け。サトゥンとミレイアだけは通すように命令されている」
「あら、それは困るわね。私たちもこの先に向かうつもりなんだけど?」
「二人以外の人間は何があろうと通すなと厳命されている。二度の失態を許すほどシスハ様は甘くない。文字通り、最後通牒だろうな」
自嘲するように軽く笑いながらも、クラリーネは蛇剣を振り、マリーヴェルとメイアに牽制となる一撃を放つ。
それを満足気に笑って受け止めながら、マリーヴェルは立ち止まるサトゥンの肩を押すように軽く叩いて言葉を紡ぐ。
「行きなさいよ、サトゥン。この女は私とメイアで何とかする。あなたは約束通り、敵の親玉をなんとかしなさい」
「ふむ、構わぬのか?」
「問題ありません。あなたが必ずシスハを止めると約束してくれたように、私たちもクラリーネを止めると約束いたしましょう」
「勇者ならこんな枝葉の相手をしても仕方がないでしょ? 本命は譲ってあげるんだから、きっちり片づけてきなさいよ。それとミレイアはしっかり守ること! 傷一つでもつけたら刺すからね! いい、必ず勝ちなさいよ!」
「くはは! 承知!」
マリーヴェルとメイア、二人の言葉に力強く頷き、サトゥンはミレイアを抱き抱えたまま闘技場の奥へと駆けて行った。
彼の姿が消えたことを確認し、軽く息を吐き出して、マリーヴェルはクラリーネに対して挑発するように言葉を紡ぐ。
「数時間ぶりね。正直、あの巫女に串刺しにされたのを見てそのまま死んじゃったかと思ってたわ」
「ああ、普通なら死んでいたよ。心臓は貫かれ、身体中は容赦なく切り刻まれた。だが、私はここにいる……私は人間を止めさせられているのだから、そう簡単には死ねないんだよ。期待に応えられなくて申しわけないな」
「いや、十分に応えてくれて嬉しい限りよ。アンタにはさっきの借りがあるからね、なんとしても私の手で叩き伏せてやらなきゃ気が済まない。少なくとも訳も分からずあの巫女に殺されて終わりなんて勘弁だわ。一方的にねじ伏せられたままでなんて終われない、私にも矜持ってもんがあるんだから」
「それは戦士としての意地か、マリーヴェル・レミュエット・メーグアクラス」
「女としての意地よ、クラリーネ・シオレーネ。良い女はね、絶対に泣き寝入りなんてしないの。この手でやり返してスカッとしなきゃ気持ちがおさまらないわ」
「……相変わらず面白い女だ。お前もそう思わないか、メイア・シュレッツァ」
「……私を知っているのですか?」
相手にとって初見であるはずなのに、自分の名前を言い当てられ、メイアは少しばかり驚きをみせる。
そんな反応を楽しげに表情を緩め、クラリーネはその理由を語る。
「当然だ。メーグアクラス王国最強の女騎士の名を知らないはずがない。お前の武勇はレーヴェレーラにも届いている。お前の名を耳にする度、かつての戦士だった私は昂ぶったものだよ。お前と手合わせする光景を夢見て、自身を鍛え高みを目指したことだってある」
「それは光栄ですね。全てにおいて過去としている言葉が気にかかりますが」
「夢へ恋い焦がれる乙女として生きていられる時間には限度がある。今の私はもはや戦士ではない。戦士でいる資格もない。今の私は――ただのシスハ様の駒に過ぎないのだから」
その言葉を吐き捨てるように紡いだクラリーネ。一瞬だけみせたある表情、その彼女の様子にメイアは違和感を覚える。
だが、そのメイアの気付きを掻き消すように、クラリーネは蛇剣を大地に叩きつけ、戦いの意思を視線に込めて二人に言葉を投げかける。
「さあ、問答の時間はこれくらいでいいだろう。お前たちは私を殺さなければシスハ様のもとへは辿りつけない。私はシスハ様の命によりお前たちを殺さなければならない。ならばやるべきことは一つだろう?」
「勝手に殺し合いに巻き込まないでくれる? アンタの事情なんか知らないし、理解するつもりもない。だけど、主人に尻尾を振ってこんな吐き気のする悪事に進んで手を貸す馬鹿にはきついお仕置きが必要でしょう? 全力で叩き潰すわよ、メイア!」
「ここであなたたちを止めなければ、エセトレアの多くの人々の命が失われてしまう……全力で止めさせてもらいます」
「人のため、誰かのため、救うため――そんな理由では勝てないのさ。全てを押し潰すほどの強大な力の前には、どんな立派なお題目も無意味だと教えてやる――かつて私が味わった絶望をお前たちもその身で味わえ!」
マリーヴェルとメイアが闘気を解放すると同時に、クラリーネは手のひらを蛇剣で切り、血液を大地に滴らせる。
足元に現れた魔法陣が彼女を包み、現れるは黒き翼を背に生やした金髪の堕天使。狂ったように笑うクラリーネを前に、マリーヴェルとメイアは己の得物を強く握り締め、彼女へ向けて剣をはしらせた。
二人の神速のごとき剣をクラリーネが弾き返すことで、戦いの幕は開かれることとなった。
「あ、あの、もう下ろして頂いても大丈夫かと。操られていた人々は軒並み気を失っておられますし」
闘技場の通路をミレイアを抱き抱えたまま歩くサトゥンに、ミレイアは申し訳なさげにおずおずと言葉を紡ぐ。
ミレイアの言葉に、サトゥンは少しばかり考える仕草をみせたものの、納得したのか素直に彼女をゆっくりと地に下ろした。
地に足をつけ、腕の中のリーヴェを優しく抱き抱え直し、ミレイアはサトゥンの横に並んで歩きながら訊ねかける。
「闘技場周辺の人々が意識を失っているのは……」
「ふむ、間違いなくこの先に待ち構えている者の仕業であろうよ。恐らくは邪魔だから手を打ったのであろうが、この点に関しては感謝してやってもよいな。今回の戦いにおいて巻き込む心配をせずともよくなる」
「巻き込む……やはり、戦闘は激しいものになりますのね。あの、サトゥン様、胸の傷は」
「ふはは! 先ほどぐっすり眠ったおかげでこのとおりピンピンしておるわ!」
ミレイアに向けて己の全快を誇示するようにポージングをとるサトゥン。
そんないつも通り過ぎる彼に大きく溜息をつきながら、それでもミレイアは言葉にせずにはいられないのだ。
「どうか、無理だけは絶対にやめてくださいね。時間が経てば、皆様もここに駆けつけてくださいますから」
「ぬ、私が負けることに不安を感じているのか! いかんぞミレイア! お前は勇者の伝説を後世に語り継がねばならぬ使命を持っているのだ! 歴史の証人たるお前が私を信じずして何とする! これは村に帰ったら勇者学を三日三晩復習せねばならんな!」
「三日でも一週間でも徹夜だって何だってしますわ。ですから……ですから、どうか、必ず無事に帰ってきてください」
胸の中のリーヴェを抱き締めながら、ミレイアは下を俯いて絞り出すようにその声を発した。
彼女は仲間の中で唯一見てしまった。サトゥンがあんなにも大きな傷をつけられたところを。一歩間違えば命を確実に落としたであろうほどの大怪我をしたサトゥンの姿を。
サトゥンは仲間たちにとって絶対の存在だった。彼はどんな相手であろうと負けない、彼がいればどんな敵だって打倒できる、彼がいればどんな困難でも乗り越えられる。
絶対無敵というイメージは、仲間の誰もがサトゥンに対して抱いていた。だが、それが勝手な思い込みであったことをミレイアは気付いてしまった。
サトゥンだって負ける。サトゥンだって大怪我をする。決して死なない存在などいない、決して負けない存在なんてありえない。
胸から大量の血を流して笑みを作るサトゥンをみて、ミレイアの心に恐怖という感情が芽生えてしまった。
この先に存在するのは、他の誰でもないサトゥンを傷つけた相手。その相手を戦って、もしもサトゥンが命を落とすことになったら――その恐怖を押し殺すために、ミレイアは必死に何度も何度も呼びかけるのだ。
無事に帰ってきてくれと、無理だけはしないでくれと、意味がないと分かっていても、何度も。
俯き口を閉ざすミレイアに、じっと黙して見つめていたサトゥンだが、やがて軽く息をつき、楽しげに笑って口を開くのだ。
「なあ、ミレイア。今、私の背中に何が乗っているか見えているか?」
「背中、ですか? ええと……何も乗っていません、けれど」
「くははっ、いかんなあ。勇者を理解するにはまだまだ未熟、これはやはり村に帰った後にしっかり教育を行う必要があるではないか。いいか、ミレイア。今、私の背中には沢山のモノが乗っている」
そう言いながら、サトゥンはミレイアに向けて一本指を立てて胸を張って語り続ける。
「一つは言うまでもなく『エセトレアの全ての者の命』だ。この戦いにおいて、私の敗北は全ての人々の命が失われることにつながってしまう。勇者とは弱き人々を救うために存在している。この国全ての人間を守るためにも、私は決して負けられぬ」
「そう、ですわね」
「二つ、それは『ラージュの笑顔』だ。あやつはこれまで大切な者を救うためにたった一人で戦い続けたのだ。大切な人を守るために、あれだけ頑張った英雄が幸せになれないなど私は決して認めぬ。頑張った者には相応の報酬があるべきだ。ゆえに私はこの戦いにおいて必ずラージュに『笑顔』を与えてやると誓った。あやつが心から笑うためにも、私は決して負けられぬ」
嬉々として二本の指を立てて語った後、サトゥンは三本目の指をゆっくりと立てる。
「三つ。この戦場において、皆が私を信じて戦っている。私ならば負けないと、私ならば絶対に勝つと、その勝利を信じて自分の役割を全うしようとしてくれている。勇者とは想いに応える者。愛する仲間たちが絶対に負けないと信じてくれている限り、私は決して負けられぬ。どうだ、ミレイア。私はこれだけの『想い』を背負って戦いに向かっているのだ。私が『勝つ』理由には十分過ぎるだろう」
立てた三本の指を折り、強く握り拳を作り、サトゥンはミレイアに顔を近づけて笑う。
いつものように自信満々で、人の心配なんか微塵も考えていないように。ただどこまでも彼女を振り回すように、自分勝手な話を面白おかしく続けるのだ。
「私は負けんよ、ミレイア。たとえ誰が相手であろうと、私には負けられぬ理由がこんなにも存在しているのだからな。お前たちが信じてくれるなら、私は神も魔神も倒してみせよう。お前たちの想いを背負う限り、私は誰よりも強くなれる」
「……卑怯ですわ。そんなことを言われて、信じません、なんて言えるはずがありませんもの」
「ふはは、卑怯ではない、勇者を送りだす仲間として当然持つべき想いである。さあ、ミレイアよ! 声を大にして私に伝えてくれ! この世界で一番強い勇者は誰だ!?」
「さ、サトゥン様ですっ」
「声が小さい! 世界で一番強くて格好良くて素晴らしくて世界に名を残す勇者の名は何だ!?」
「な、何か形容する言葉が増えてますけど!?」
「さあ、声を張り上げるがいい! 世界一強く逞しく格好良く頼りがいのある誰よりも人間にちやほやされるべき歴史上最高の勇者は誰だ!?」
「ううう……さ、サトゥン様ですっ!」
「その者は仲間の想いを裏切って敵に敗北する男なのか!?」
「しませんっ!」
「その者はお前たち仲間を残して死んだりする不甲斐無い男なのか!?」
「絶対にありえませんっ!」
一度言葉を切り、ミレイアは最早やけくそのように叫ぶ。
自分を言い聞かせるように、腹の底から必死で押し出して言葉にするのだ。それはミレイアの――否、仲間たちを代表する心からの本当の想い。
「サトゥン様は絶対に負けませんわっ! 私たちがそう信じているんですから、絶対負けたりしないんですっ!」
過去にないくらいの全力で叫んだミレイアに、サトゥンは満足そうにこれ以上ないほど上機嫌な笑顔を浮かべる。
そしてミレイアの頭を力強く撫でながら、口元を吊り上げてきっぱりと言い放つのだ。
「そうだ、お前たちが私を信じてくれるかぎり、私に勝利以外の未来はない――愛するお前たちと一緒ならば、私はいつでも世界で一番最強なのだからな」
「サトゥン様……」
「ふははは! 行くぞミレイアよ! お前が信じた男がどれほどの男であるかを改めて教えてくれるわ! 勇者とは最強! 勇者とは最高! すなわち勇者サトゥンとは最強で最高なのだ! がははははは!」
楽しげに笑いながら、サトゥンはずんずんと足を進めて闘技場の奥へと進んでいく。
そんな彼の背中を眺めるミレイア。ただ、先ほどまでとは違い、サトゥンとのやりとりによって彼女の胸の中の不安は全て消え去っていた。
根拠のない言葉だとミレイア自身思う。だけど、彼の発する言葉、その全てを信じたくなってしまう。不思議な人だと、改めて思う。
今もミレイアの前を歩く彼の力強い背中。きっと仲間たちの誰もがそこに心惹かれたんだろう。どこまでも力強い背中、信じたくなる姿。
軽く首を振って、ミレイアは改めて意思を固めた。もう疑うことも、怖がることもしない。サトゥンが信じてくれと言った。信じてくれたなら自分は負けないと言った。ならば、自分ができることは、どこまでも誰よりもサトゥンの勝利を信じることだけだ。
それが間違いなく彼の大きな力になる。少しでもいい、どんなことでもいい、ミレイアはサトゥンの力になりたいと感じていた。
いつも自分たちに沢山の力を与えてくれる彼に、少しでもいいから自分からサトゥンへ力を。彼の追い掛けながら、ミレイアは強く願うのだった。
この先に待つ戦場がどれだけ激しい物となるかは分からない。けれど、どんな状況になっても、自分はサトゥンの勝利を疑ったりはしない。
それがきっと、仲間たちを代表して彼と共にここにいる役目なのだと思うから。
闘技場の長き通路を抜けたその先に、その者たちはいた。
重鎧と黄金に輝く聖剣グレンシアを握るグランドラと、その横で悠然と微笑むシスハ。
グランドラから放たれる重圧にも負けず、必死に目を逸らさず強い意志を持ち続けるミレイア。
彼女を守るように前に立つサトゥンに、シスハは楽しげに口を開く。
「街中に響くほど大声であんなことを叫んだのですから、何か面白い策でも弄してくれるのかと思いました。まさか馬鹿正直に正面から現れるだなんて流石に驚かされましたけれど」
「クハハ、私と同じ『異空間』を使えるお前に小細工を弄したところで意味はないだろう? あちらこちらに動きまわられては面倒なのでな、こうして直接出向いてやったというわけだ」
「本当に単純……そして愚か。かつての面影は形だけというわけなのですね。なるほど、これなら心おきなくあなたを切り刻めそうです」
「かつてだの面影だの相変わらず訳の分からんことを言う小娘だ。私の記憶にお前のような小娘は存在しないのだがな。私の記憶にないということは魔人界にいた魔人か?」
「ふふっ、ふふふっ、あはははははっ! あんな掃溜めの塵と一緒にされるなんてね! 本当、人を不快にさせるのだけは上達しているわ。あの女を褒めてやってもいいくらいよ。あなたは必ず殺すわ。そしてミレイア、あなたは私がしっかりと利用してあげる」
「ひっ」
狂気に輝く瞳がミレイアへと向けられ、ミレイアがサトゥンの背中へと深く隠れたそのときだった。
ミレイアの背後から空間の断裂が現れ、彼女を捕獲せんと青白き無数の手が伸ばされたのだ。それにミレイアが気付いたときにはもう遅い。
逃げることも避けることもできず、ミレイアが表情を恐怖に歪めようとしたその刹那だった。
「ぬはははは! そうくるだろうと読んでいたわあっ!」
「ひゃああああああ!」
伸ばされた青白い手はミレイアのいた場所を勢いよく空振り通過していった。己の策が失敗に終わり、軽く舌打ちをするシスハ。
なぜミレイアが彼女の青白き手に捕まらなかったのか。その理由は実に簡単なことで、ミレイアの足下にサトゥンが異空間への入り口を生みだしたのだ。
普段はグレンシアを収納したりすることに使っているそれだが、かつてリアンがサトゥンと戦ったように、その空間はとても広く、人間一人を隠すのには十分過ぎるものだ。
足元に突如ぽっかり穴があいたミレイアは、悲鳴とともにサトゥンの作る異空間へと落ちていってしまった。
すなわち、この世界とは隔離された場所にミレイアを隠されてしまったということだ。睨むシスハを煽るように、サトゥンは笑って声高に叫ぶ。
「うははははは! ミレイアは我が異空間の中へと避難してもらった! これではミレイアを攫いたくとも攫えぬなあ! これでは私を先に倒してしまわねば、ミレイアを手に入れることなどできぬなあ!」
「なるほど、そういうこと――本当に愚かね。あなたがこの男に勝てないことは先ほど証明したばかりでしょう? 少しばかり時間が延びただけに過ぎないわ。調整と修復は先ほど完全に終えている。今度は手は抜かないわ、確実にあなたを殺してあげる」
「大言を吐いてくれるではないか。だがな、今回ばかりは私も遊ぶつもりはないぞ。私は負けられぬ数多の理由を背負い、先ほどのミレイアの言葉で勝利は確固たるものへと昇華した。それに、そやつと顔を突き合わせて意味不明の頭痛に苛まれ続けるのも飽きた。もうそろそろ終幕といこうではないか」
「つまらないわ。今のあなたの体から感じられる力なんて、私の十分の一にも満たないことは肌で感じているもの。『勇者リエンティ』の真似事をして剣を振るうだけのあなたでは絶対に本物は超えられない。口先だけの男は嫌いだわ――いいからさっさと死になさい、目障りよ」
シスハの命を受けたグランドラが魔弾のように飛び出し、サトゥンへ向けてグレンシアを振るう。
その剣速は以前戦ったグランドラをも遥かに上回る速度であり、聖剣を握っていないサトゥンでは止める術などない。
剣を受けとめることもできず、体を無残に斬りつけられて倒れ伏す。そんなサトゥンの未来を見ていたシスハであったが、彼女の余裕に満ちた表情が一気に驚愕のそれへと変えられてしまった。
「な――」
全てを断ち切るはずのグランドラの聖剣は、サトゥンが突き出した左拳によって止められてしまったのだ。
まるで巨岩を押すようにびくともしないサトゥン。そして、一度剣を引こうとしたグランドラだが、その瞬間――グランドラの鎧、その胸部に大きな穴が貫通した。
何かに貫かれ、後退しながらも胸から大量の黒き血を溢れださせるグランドラ。その何かとは言うまでもない、サトゥンの残る右拳だ。
以前の戦いで圧倒していたはずのグランドラが、たったの一撃で傷を負わせられてしまった。無論、グランドラは生きている人間ではないため、致命傷などにはならないが、それでもシスハの驚きは隠せない。
いったい何が起きているのか。現状を理解しようとしていたシスハに対し、サトゥンは拳の血を払いながらしてやったりと笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「私が切り裂かれ斃れ伏す未来でも夢想していたか? そうであったならば心から謝ろう。その泡沫の夢は諦めてくれ」
「なんですって……?」
「今の私は負けられぬ数多の理由を背負っているといった筈であろう。そうだ、その『重み』の『喜び』を感じられるなら、私の『最強』は揺るがない」
そのとき、シスハはサトゥンの体を取り巻く黒き魔力炎の存在にようやく気付く。拳を初め、全身を纏うその力に、シスハはサトゥンの変化、その意味を理解した。
魔人界。人の住まう世界ではなく、悪鬼たちが闘争だけを糧に生きる修羅の世界。その世界において、サトゥンは第三位という高みまで辿り着いた。
幾百、幾千、幾万。サトゥンを殺さんとする数多の魔人たち、その全てを彼は返り討ちにしてみせた。幾多の戦いの果てに、彼は魔人界で畏怖されるほどの存在となったのだ。
その戦いにおいて、彼がこの人間界のように聖剣グレンシアを片手に戦い抜いたのだろうか。否、断じて否。彼が勇者リエンティの物語に出会ったのは、既に高みに昇りつめた後のこと。
彼は勇者に憧れ、そんな自分になるために剣を覚えた。頭の中でリエンティはこんな戦いをするだろうと考え、そんな理想の姿に近づけるように剣を握ったのだ。
確かにそれでもサトゥンは強いだろう。並みの魔人や人外程度ならば一蹴するほどに。だが、それは決して彼の本気ではない。彼本来の戦闘姿ではない。
彼本来の『魔神』としての戦い方は勇者リエンティらしくないからと封印していた。だが、今彼の目の前に立つ相手は彼が覚えた無形の剣を何故か先読みする相手。ならば答えは単純。剣が届かぬならば、従来の戦い方に戻るだけではないか。
巫女シスハだけではない。グレンフォードをはじめとした仲間たちですら勘違いをしていた真実。
サトゥンの真の強さとは、聖剣グレンシアを握り振りかざす強さではない。彼がかつて魔人界の修羅たちを一つの敗北もなく返り討ちにしたのは剣によってではない。
獣も、竜も、魔人も、魔神も。その全てをサトゥンは己の体一つで殺し尽したのだ。仲間たちの想いを胸に、黒き焔を全身に纏わせて、かつての力を解放したサトゥンはゆっくりと口を開き告げる。
「愛する仲間たちが私の勝利を信じてくれたのだ。ならば今度は私が結果でそれに応える番であろう――クハハッ! 証明してみせようではないか! お前たちの信じた男が、その想いを預けるに値する男であったということをな!」
魔力の炎を燃え上がらせ、サトゥンは己が力を解放する。その圧倒的な魔力の奔流に、シスハはひたすらに目を奪われるしかない。
剣を構え直し、再びサトゥンへ向けて疾走するグランドラと、拳に黒き焔を纏って嬉々として迎撃するサトゥン。
仲間たちの願い、想いに心震わせ、この人間界に舞い降りた『魔神』と過去の『勇者』がぶつかりあう。衝突しあう拳と聖剣が放つ衝撃は激しく、闘技場全体に振動が伝わるほどに。
リアン「ミレイアさん! 是非とも僕と一緒にサトゥン様ファンクラブの立ち上げを……」 ミレイア「勘弁して下さいまし」 次もがんばります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。
ピークを過ぎたので、なんとか更新ペースが今週から元に戻れそうです。頑張りますっ。
※追記(7/30)
活動報告に書籍版『魔人勇者(自称)サトゥン』の表紙イラストをアップいたしました。




