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魔人勇者(自称)サトゥン  作者: にゃお
七章 精弓
89/138

81話 無二





 ――物心ついた頃には、少年は一人だった。




 エセトレア城下街、その南端に位置する孤児院。そこが彼の最初の記憶の場所。

 生まれた場所は分からない。この場所に預けられた経緯も分からない。孤児院の者が言うには、冬の寒い日に孤児院の前に捨てられていたという。

 父も知らず、母も知らず。両親から名も与えられず。何一つ与えられなかった少年は、孤児院の者からラージュという名を与えられた。

 家族のいないことを寂しいと思ったことは一度もなかった。孤独に泣いた夜など一度もなかった。それが少年にとって『当たり前』の世界だったのだから。


 孤児院のなかで、ラージュは歳を重ねていった。そして、歳を重ねることに彼の異常さに孤児院の者は嫌でも気がつかされることとなる。

 ラージュは恐ろしいほどに賢く、智に秀でた子どもだった。読み書きをあっという間に覚えるや否や、彼は他の子どもたちに混じって遊ぶでもなく、一人で孤児院の中の書物を黙々と読み耽った。

 それだけなら彼が背伸びをしている子どもというだけで終わっただろう。内容を理解したというだけなら稀に見る天才と評判を集めるだけで終わっただろう。だが、ラージュはそれを更に上回る知と才を示してしまった。

 孤児院の大人たちの表情を凍りつかせたのは、ラージュの恐ろしきまでの知識の応用力と魔力の柔軟さだった。彼は書物の中に登場する幻想を知識の断片から現実の物へと精製することを容易に成功させた。

 絵本の中に存在した空を飛ぶ荷車、決して枯れない萎れない黄金花、水を一瞬にして固体化させる溶液。彼はそれらの全てを現実のものとして生み出した。必要な材料を揃え、知識を発展させ、その現実と空想の間を埋めるために必要な魔法を開発する。彼はその工程を恐ろしく早く処理し、魔法を誰もが思い浮かばなかった方法で使用することでそれらを可能とした。

 だが、それらを生みだしたところでラージュは顔色一つ変えなかった。一度作り終えたものはまるで興味を失ったかのように、二度と触れることもない。

 孤児院の大人たちは、そんなラージュを腫れ者のように扱った。人は自身の理解を超えた存在を畏怖する。五歳に満たぬ子どもがこんなことをやってのける、それだけで大人たちには恐怖を感じるには十分過ぎる理由だった。

 やがてラージュのもとから一人、また一人と大人が距離を置いていった。子どもたちは言うまでもない。だが、そんなことをラージュは微塵も気にしなかった。生まれたときから孤独と共に生き続けた彼にとって、そのようなものは些細なこと。彼は誰の声にも耳を傾けることなく、ただ只管に未知なる物を生みだし続けた。作っては放置し、生み出しては捨て。ただそんな日常を重ね続けていた。


 彼が五歳を迎えたとき、その人生に転機が訪れることになる。

 ある日、孤児院に一人の少女が訪れた。彼女の名はリレーヌ・シルベーラ。エセトレア国の宰相、フリック・シルベーラの一人娘だ。

 突然の貴族の来訪に恐々とする孤児院の者たちに、リレーヌは用件を告げる。彼女の用件はラージュの身元を魔法院が譲り受けるというものだった。

 ラージュの鬼才はエセトレア城のフリックの耳に入るほど有名なものとなっていた。ラージュの情報を知ったフリックは、リレーヌにラージュを魔法院に連れていくように命じたのだ。

 魔法使いというものは完全に生まれつきによって決まる。そして優秀な魔法使いはどんな国でも稀少であり、喉から手が出るほど欲する存在なのだ。

 噂の真偽がどうあれ、五歳にして魔法を使いこなすラージュを国が放置するわけがない。誰の教えも受けず、魔術書を読んでもいないのに独自の魔法を使いこなす、それだけでラージュには十分過ぎるほどに価値が在るのだから。

 宰相の命令ということもあり、孤児院はラージュを手放すことに合意した。もともとラージュの存在は孤児院の者にとって手に余るほどに大きくなっており、この申し出は歓迎すべきものだった。魔法院へ引き取られることを耳にしても、ラージュは顔色一つ変えるでもなく、淡々と従った。孤児院の人々との別れも呆気ないものだったが、彼にとってそれは別れとも感じていなかった。そもそも別れと思えるような絆など何一つ存在しなかったのだから。


 エセトレア城に連れられたラージュは、それからの日々をリレーヌと共に過ごすこととなる。

 彼女はフリックよりラージュの教育係および彼の成長具合の監視役として命じられており、ラージュは彼女の部屋で共に過ごすこととなった。

 リレーヌ・シルベーラ。当時五歳のラージュより七つ年上の十二歳となる少女は非常に優れており、この年齢にして魔法院における高等教育は全て完了していた。フリックの娘に生まれた彼女は苛酷な教育を弱音一つ許されず受け続けてきたのだ。

 そんなリレーヌとの生活は、ラージュが想像していた無味乾燥とは程遠い、騒がし過ぎる日々だった。

 彼女がラージュに魔法書を読み聞かせ、時に教鞭を振るい基礎を教えていく。最初の頃は、ラージュはその話を黙って聞くだけで口を閉ざしていた。リレーヌの言葉は本と同じ、外部から与えられる知識の情報としか受け取っていなかった。

 リレーヌの講義で得た知識をもとに、全くこれまでの理論とは異なる新たな魔法を生みだし、その報告書を彼女に提出してはリレーヌを驚かせた。人は未知なる者を畏怖する、理解の範疇を超えた存在に怯えることはこれまでの経験から知っていた。だからこそ、リレーヌもそのうちすぐに自分に怯え、去っていくとラージュは決めつけていた。

 だが、彼女は決してラージュを怖がったり怯えたりすることはなかった。距離を取ることすらしなかった。

 それどころか、ラージュの態度に大いに不満をもったリレーヌは、ある日講義中にラージュに向かって真剣にこんなことを言ってのけたのだ。


『ラージュ。今から私と大喧嘩をしましょう』


 彼女の斜め上の発言に、ラージュは初めて表情というものをリレーヌに見せたかもしれない。それくらいリレーヌの言っていることが意味不明だったから。

 理解が追い付かないラージュを前に、リレーヌはハッキリとラージュに対して文句を言い続けた。あなたのその何も言ってくれないところが嫌いだと。

 それを皮切りに、リレーヌはとことんラージュへの不満をぶつけ続けた。『思ってることを何一つ口にしないのが嫌いだ』『人と会話する事が時間の無駄だと思っているような態度が嫌いだ』『五歳のくせに五歳らしくないところが嫌いだ』などと理不尽な発言をどんどん遠慮なくラージュにぶつけていく。

 彼女の嫌い発言に、ラージュは困惑する他ない。他人と触れ合うことをせず、腫れ物のように扱われてきたラージュはこんな風に面と向かってどこが嫌いだなどと指摘される経験などなかった。大人も子どももまるで彼が存在しないかのように扱ってきたのだから。

 やがて、彼の心の中で困惑が徐々に苛立ちへと変わっていく。生まれて初めて受ける罵倒は、彼の心に『怒り』という感情を初めて芽生えさせるには十分だった。

 心で暴れる初めての昂ぶりを抑えきれなかったラージュは、その感情をリレーヌへとぶつけた。悪口を言い続けるリレーヌと、取っ組み合いの大喧嘩となったのだ。

 五歳児のラージュと十二歳のリレーヌでは、当然喧嘩にもならない。体格があまりにも違い過ぎる。けれど、リレーヌはラージュを適当にあしらうこともせず、本気で喧嘩を行った。ラージュはリレーヌをぽこぽこと何度も叩き、リレーヌはラージュの頬を引っ張って馬鹿馬鹿馬鹿と悪口を止めない。結局二人の大喧嘩は、夕食を用意しにきた給仕が訪れるまで続けられた。

 喧嘩を終えた二人はボロボロだった。無感情という仮面を失ったラージュはわんわんと全力で泣き、リレーヌは髪をこれでもかと乱れさせ顔に痣を作りながらも『参ったか』と胸を張って踏ん反り返ってる始末。リレーヌの宣言通り、二人は文字通り大喧嘩を行ったのだ。

 その日の夜、怒りの収まらないラージュは同じベッドで眠るリレーヌに背を向けたまま『リレーヌなんか嫌いだ』と涙を堪えて言い放った。その言葉にリレーヌは小さく笑って返すのだ。『興味を持たれないよりよっぽどいい』、と。


 翌日から二人の生活は世界が変わったように一変した。ラージュがリレーヌに対して感情を見せるようになったのだ。

 普段の生活でも、講義中でもラージュはリレーヌと会話を行うようになった。その内容のほとんどがリレーヌに対する悪態ではあったが、子どもらしい感情をリレーヌにだけラージュは表に出したのだ。

 それをリレーヌはなぜか嬉しそうに笑って受け入れた。けれど、気に食わない発言をされたら怒る。それに反抗したラージュとリレーヌの喧嘩が一日に幾度となく繰り返される、そんな日常だった。

 そして日を重ねるごとに、ラージュの感情の発露は次々と広がっていく。怒るようになった、そしてそれ以上に笑うようになった。リレーヌと共にいる時限定ではあったが、何をするにしても気持ちを言葉と表情に出すようになった。

 まるで凍てついていたラージュの時間が熱を取り戻したように、ラージュは年相応の人間として、子どもとしての心を取り戻していったのだ。そんなラージュをリレーヌは誰よりも嬉しそうに受け入れてくれた。ただの同居人であったリレーヌは、ラージュにとって良き姉であり、彼が生まれて初めて得た家族だった。

 口では悪態をつくことを止められないラージュだが、リレーヌに懐いた彼は何をするにも彼女と一緒だった。

 魔法の勉強は勿論のこと、リレーヌが行う弓の鍛錬にも彼はついていった。弓を射るリレーヌの姿をラージュは魅入っていた。口には決して出すことはなかったが、リレーヌの弓を射る姿は誰よりも何よりも格好良く綺麗だと彼は思っていた。リレーヌの見えないところで彼女の弓を引く姿をいったい何度真似ただろうか。幼いラージュにとって、リレーヌは良き姉であり、良き憧れであった。

 魔法院の一員としての役割も決しておろそかにしない。感情を得たラージュは、以前より遥かに早いペースで新たな魔法や魔道具を研究開発してはフリックへ報告書を渡し続けた。その内容はこれまでの自分だけが興味を持てばいいという内容ではなく、リレーヌの話を聞き、この国に貢献するためにどんな方向性で研究を行えばよいかを踏まえた内容だった。

 魔法詠唱の短縮、人々の家の灯りとなる魔力石の改善、兵を用いない魔法人形。彼が提出した報告書は一年で百を容易に超えるほどだ。彼が魔法院にきて一年、たったそれだけの時間で天才ラージュの名を城内に広め、魔法院で確固たる地位を築くには十分過ぎた。

 彼の功績が認められ、あれよあれよというまに魔法院副長という地位を得たが、彼はそんなものに興味などなかった。

 ラージュにとって大切なこと、それはリレーヌと共に過ごす時間だった。ずっと孤独だった一人だった少年がみつけた初めての家族、それがリレーヌだったのだから。


 ラージュにとって幸福な時間、それはリレーヌにとっても幸せな時間だった。

 リレーヌは幼い頃に母を亡くし、乳母によって育てられた。彼女の父、フリックは一度もリレーヌに愛情をみせたことなどなかった。

 彼がリレーヌに発する言葉は命令だけ。彼女の教育状況やラージュからの報告書を耳にしたり受け取ったりするときも顔を見ようともしない。

 ラージュが家族の温もりを知らなかったように、リレーヌもまた家族という存在を与えられなかったのだ。

 だからこそ、リレーヌは五歳のラージュを初めて見たとき、どうしようもないほどの共感を感じた。この子は私と同じだと、誰からも求められずに生まれ育った子なのだと。

 リレーヌは必死だった。感情を失うほどの生き方をしていたラージュをそのまま成長させてしまうことが決して許せなかった。

 それは同情かもしれない。それは憐憫かもしれない。けれど、どうしてもリレーヌは救いたかった。それが欺瞞であっても、偽善であってもいい。何としてもラージュに心を取り戻してほしいと強く願い、行動し続けた。

 彼女の必死な頑張りがラージュに感情を芽生えさせた。彼女はそのことに誰よりも喜び、感動し、ラージュを誰よりも強く抱きしめた。

 それはリレーヌにとっても初めて覚えた感情だった。手放したくないと思った。一緒にいたいと思った。母が幼子を守るように、姉が力なき弟を守るように、ラージュと共に生きたいと願った。

 こんな時間がいつまでも続けばいい。悪態をつきながらも、本当は誰よりも心優しいラージュ。そんな彼の成長を誰より傍で見守りながら、いつまでも一緒に。彼女のそんな願いは、ラージュの想いは、決して叶うことはないと知りながら。



 ラージュが十を数えた頃、彼の耳に信じられない情報が入ってくる。

 彼と共に生き続けた少女、リレーヌ・シルベーラが他国に嫁入りさせられるという話だった。相手は隣国メルゼデード連合国家代表、ドレル・ラッパーダの長男、ヘリオ・ラッパーダ。

 その情報を耳にしたラージュは、いてもたってもいられず、すぐにリレーヌに真偽を確認した。

 声を荒げて問いただしたラージュに驚きの表情を浮かべたリレーヌだが、やがて彼女は力なく笑って肯定する。リレーヌがメルゼデード連合へ送りだされることは生まれた時より決まっていたことだと。

 鎖国を行うエセトレア、その唯一の貿易口であるメルゼデードとの結びつきを強めるために、リレーヌが生まれる前から決まっていた縁談、それが実行されるときがきたのだとラージュに語った。

 だが、それを聞いてもラージュが簡単に納得できる訳がない。彼にとってリレーヌは生きる全てだった。もし、この婚約がリレーヌが心から望んでいるものならばラージュとて引き下がっただろう。悪態をつきながらも祝福しただろう。だが、リレーヌの表情が本意でないことを語っているのでは話にならない。

 ましてや相手は既に正妻がおり、リレーヌは愛人という立場になってしまう。そのようなことが許せるはずもなく、何とか止められないのかと訊ねるが、リレーヌは首を横に振るだけ。

 憤るラージュに、やがてリレーヌは自身の事情を語っていく。リレーヌはフリックの道具であり、彼の下す命令は絶対であること。たとえ自分が何を言おうと、父は決して受け入れる筈がないということ。その表情は、かつてのラージュと同じ、全てを諦めた者の表情だった。

 リレーヌにそんな表情を浮かべさせること、それがラージュには何よりも耐え難く許せなかった。かつて自分を救ってくれた女性が今、かつての自分のように全てを諦め絶望に心を染めている。自身の命よりも彼女が大切なラージュにとって、この現実は決して受け入れ難かった。

 ゆえにラージュは行動に出る。リレーヌの手を無理矢理取って、フリックの元へと訪れて直談判すること。自身が残してきた功績、そしてこれから生み出す価値はラージュ自身理解している。だからこそ、それを逆手に取るつもりだった。

 これから死ぬまでの間、自身が生み出した魔法や研究成果の全てをフリックに差し出すこと。その対価としてリレーヌと共にいさせてほしいこと、それをフリックに伝えるつもりだった。

 孤独を消し去り、生きる意味を与えてくれたリレーヌという少女はラージュにとってそれほどまでの存在となっていた。また、リレーヌにとってもラージュは同様に大きな存在となっていた。

 だからこそ、ラージュの決心を汲み取り、リレーヌは生まれて初めて父に意見することを決めた。これから先、どんな命令でも受け入れるのでラージュと共にいさせてほしいと。

 決意を固めた二人は、フリックの執務室に足を踏み入れる。そして、フリックに対して己の意志を伝えた。

 彼らの弁を静かに聞いていたフリックは、やがて口元を歪めて言葉を紡いだ。


『よかろう。お前の婚姻は取り下げることにしよう』

『お父様、ありがとうございますっ』

『……だが、私に意見したことは見過ごせん。道具如きが、私に逆らい意見するとはな。所詮はお前も母親と同じ、愚かな女だったというわけだ、リレーヌ』


 フリックの異様さ、その不気味さに気付いたときには遅く。彼らが動くより先に、フリックが魔法を完成させてしまっていた。

 彼の紡いだ魔法、それをラージュとリレーヌは知っていた。それはかつて感情を失っていた頃、ラージュが生み出した禁忌の魔法。この国の、エセトレアの者の自由を奪い意のままに操るための禁術。

 己の意志で指一本動かせぬ二人に対し、フリックは愉悦を零して笑いながら口を開く。


『どうしようもなく使えぬ娘であったが、一つだけ褒めねばなるまい。お前にはラージュという優秀な道具を私の意のままに操る駒として非常に役立った。ラージュの開発した魔法によって、私と王の夢はさらに現実のものへと近づいた』

『王とお前の夢だと……? くっ、とにかく魔法を解呪しろ! こんなふざけた真似をして、いったい何の……』

『決まっている。己の意志を持ち、使い手に逆らう道具など必要なかろう。今後このようなことがないように手を打たねばならん。二度とお前たちが私に逆らえぬようにな。リレーヌよ、良い物をみせてやろう」


 そう語りながら、フリックは部屋中に響くように指を鳴らす。

 彼の合図と共に、部屋の奥から現れる重鎧を身に付けた人物が現れる。当然、二人はその者が誰かを知っている。


『グランドラ王……』

『そう、このお方は我らエセトレア国を治めるグランドラ王だ。そして私の研究の集大成でもある。グランドラ王、腕を』


 フリックに乞われ、グランドラは腕に取りつけていた武具を外して床に落とす。

 そして、その中から現れた腕にラージュとリレーヌの表情は驚愕に染まる。その腕は細く、女性の腕そのものだったからだ。決して大剣を振り回すグランドラ王の、大男の腕とは思えない。困惑に満ちる二人だが、やがて何かに気付いたのか、リレーヌはその顔色を真っ青に染める。


『そんな……嘘、ありえない、だって、そんな……』

『察したかね。憶えていないと思っていたが、中々に優秀だ。母親の腕の温もりというものは案外馬鹿に出来ないものだな』

『あ、あ、あ……』

『色々試してみたが、一番親和性の高かったものはあの女の腕だったのだよ。光栄に思うがいい、リレーヌ。お前を生み落とした女の命は、私たちの夢のために大事に利用させてもらった。右腕以外は使えなかったので廃棄したが……久しぶりの母との対面は嬉しいだろう?』

『いやああああああああっ!』


 悲鳴をあげるリレーヌに、ラージュはようやく我に返った。目の前の光景が現実であるなど受け入れ難かった。

 もしフリックの話が全て真実であるならば、奴は王であるグランドラの体を己が研究成果と称していた。それはすなわち、あの鎧の中に入っているのは王ではなく、奴が作りだした怪物。それも己の妻を殺め、その右腕を利用しているほどの外道。

 あまりの非道さにラージュは気を失いそうになるが、必死で堪える。ここで自分が倒れては、いったいだれがリレーヌを救うのか。彼女は今、実の父であるフリックから恐ろしい狂気の現実を突き付けられているのだ。彼女を支えるのは自分以外にいないのに、ここで倒れる訳にはいかないのだから。

 心を強く持ち、ラージュは怒りの形相でフリックに吐き捨てる。


『許せない……お前だけは許せない、フリック! このようなことが許されるはずがない! 妻を殺め、王を利用し、いったい何を企んでいる!』

『王を利用しているつもりはない、私たちは共に同じ夢に向かって歩いているのだから。あの女を利用したことは否定しない。私たちの夢に気付き、止めようとした屑だ。あの女が大切にしていた小娘をここまで育てたことに感謝してほしいくらいなのだがな』

『貴様ああああっ!』

『その憤りはリレーヌのためか。下らぬな、ラージュ。ここに来たばかりの頃のお前はもっと良い目をしていたぞ。全てを疎ましく思い、全てを見下す濁った目をしていたというのに』

『そんな僕を変えてくれたのがリレーヌだ! あの頃の僕は生きる価値すらなかった。自分以外の存在を見ようともせず、見下すばかりで受け入れようとしなかった。一歩間違えば、お前のような人間になっていたかもしれない……それを救ってくれたのがリレーヌだ! 彼女のために憤って何が悪い!』

『下らんな、実に下らん。だが、お前の頭は利用価値がある。これから先も私のために働いてもらわねば困るのでな』

『断る! 僕の命はリレーヌのためだけにある! 彼女を傷つけるお前のような奴にこれ以上利用されるつもりはない!』

『だろうな。だからこそ、リレーヌの楔がここで役に立つ――リレーヌ、私の命令を全て受け入れよ』

『あ――』


 リレーヌに手を翳し、命令を下すフリック。それはラージュが生み出したエセトレアの人間を操る魔法だった。

 呆然としたまま、リレーヌは一歩、また一歩とラージュへと歩み寄っていく。それは決して彼女の意志ではない。

 我に返ったリレーヌが必死で抵抗しようとするも、彼女の体は自分の意志では動かせない。また、ラージュも体の自由を奪われている。

 そんな二人に対し、フリックは狂気に表情を歪めながら言葉を続ける。


『リレーヌ、お前は先ほど言ったな。どんな命令でも受け入れる代わりにラージュと共にいさせてほしいと』

『お、お父様何をするつもりなのですか!? 止めて、止めて下さいっ!』

『その願いを聞き届けてやろうと思ってな。ああ、そうだ。これから先、お前とラージュは二度と離れないようにしてやろう。ただし、その代償としてお前の心を貰う。己の意志など、ましてや私に逆らう自我など道具には必要ない。そのようなものは捨て去ってもらう』

『い、いやっ…やめて』


 フリックが何をしようと悟ったのか、リレーヌは震える声で懇願するばかり。だが、フリックは笑みを浮かべたまま止める気配はない。

 彼女は命じられるままに、腰に下げていた護身用の短剣を抜きとり、ラージュへと近づいていく。恐怖と悲痛な表情に染まるリレーヌが一歩、また一歩とラージュへ近づき、ゆっくりと短剣を持ち上げていく。フリックの狙い、それを紐解いたとき、気付けばラージュは叫んでいた。


『やめろおおおおおおっ! こんな、こんなことをしたら、リレーヌの心がっ!』

『お前にとってリレーヌがどれほど大切な存在かは理解した。無論、その逆もな。だからこそ、効果は大きかろう。愛する者を傷つける瞬間、リレーヌはいったいどんな表情を浮かべるのだろうな。実に心躍るとは思わんか』

『くそっ、止めろ、止めてくれ! これじゃリレーヌが、リレーヌがっ!』

『そうだ、その叫び声が私は聞きたい。もっともっとだ、お前一人では足りぬ。この国、否、この世界全ての人間から悲鳴があがる、そんな世界こそが私と王の望みだ。全世界で争いが起き、人間全てが憎悪の嵐に蹂躙され、死に絶える世界が私は見たいのだ』


 ラージュの悲痛な叫びは誰にも届くことはなく。短剣を振り上げたリレーヌの表情、それは絶望と恐怖だけに染められて、太陽のように笑う彼女はどこにもなく。

 最期の瞬間まで抵抗を続けるラージュ。そんな彼の耳に聞こえてきたフリックの声はどこまでも愉悦に満ち溢れていて。


『――命令だ、リレーヌ。その短剣でラージュの左目を突き刺すがいい』


 ゆっくりと意識を失う中で耳にしたリレーヌの悲鳴、そしてフリックの狂ったような笑い声。

 左目の光と同時に、ラージュは大切なモノを失った。最愛の人、誰よりも大切な家族、その『心』を――





















「……意識を取り戻した時には全てが終わっていたよ。心の壊れたリレーヌはフリックに命じられるままに動く操り人形と化していた。命令だけを受け入れ、遂行する……フリックが望んだ道具にね」


 ラージュの語る言葉に誰も口を挟めない。

 少年の背負っていたモノが、あまりに重過ぎて口を出せるはずもなかった。

 そんな仲間たちに対し小さく笑い、ラージュは首を振って言葉を続ける。


「リレーヌは未だフリックに縛られている。心が壊れて自我を失った今も、フリックの道具として利用されているんだ。僕に対する都合のいい人質としてね。この状況を変えたかった。何としても彼女を救いたかった。たとえ二度と一緒にいられずともいい、全ての呪いから彼女を解き放ちたかった。だからこそ、僕は行動した」


 それからラージュはフリックにばれぬよう様々な手を打った。

 遺跡漁りという名目で、王都から離れ、リレーヌ以外の監視の目から遠ざかるようにした。

 そしてリレーヌの監視からも外れた瞬間に、魔法によって協力者を得るためのメッセージを送った。彼が握るこの国の、フリックの真実、それを利用しようとする者からの連絡を待ったのだ。

 数年をかけた彼の努力は実を結ぶことになる。クシャリエ女王国、女王ティアーヌ。彼女がラージュの訴えに応じ、協力を約束してくれたのだ。無論、ティアーヌにも狙いがある。ラージュの握る情報は、クシャリエがエセトレアを攻める為の大義を得るには十分過ぎる理由だった。自国防衛および更なる自国発展を狙うティアーヌはラージュと連絡を取り合い、行動を起こすための期日を決めようとしていた。その行動とは戦争。少なくとも十年以内には、事を起こす。そしてその際に逆族フリックを討ち、戒めから解放されたリレーヌをティアーヌが責任を持って預かり、クシャリエの選りすぐりの医者を集めて治療に当たることを約束していたのだ。

 一人ではフリックに潰されてしまう。国を支配するフリックに対抗するには国で当たるしかない。そう、ラージュはリレーヌ一人のために戦争を起こそうとしていた。一人を救うために万の命が犠牲になることもいとわない。それがラージュの決めた結論だった。

 だからこそ、彼は自嘲する。自分はけがれていると、ロベルトたちのように英雄になれない。なぜなら自分は決心をしてしまったのだから。

 たった一人を、家族を、リレーヌを救うためならば、どんな手をも使ってみせる。例え誰に罵られようと罪を責められようと、それでも止まらずに走り続けることを。


 ラージュの独白が終わり、室内を沈黙が支配する。彼の行動、その全てはたった一人の家族の為に。

 リアンも、マリーヴェルも、ロベルトも。誰もが何もラージュにかける言葉が見つけられない。これだけのものを背負ってきた彼にいったい何を言えばいいのか。

 フリックを殺すといったとき、この場の誰もが止めようと考えていた。だが、ラージュにはそれを実行するだけの理由があった。

 ましてやフリックは人の道に完全に外れた行いをやっている。それを止めるために命を奪うのも仕方のないことかもしれない。

 ラージュの行動に誰も何も言えない空気の中で、たった一人動く男がいた。その男はベッドから立ち上がり、ラージュの目前まで足を進め――物凄い勢いで己の額をラージュの額へと叩きつけた。

 まるで頭突きをしているかのような勢いに、ラージュはあまりの痛みに悶絶する。そんな彼に男――サトゥンはまっすぐ瞳を見つめて口を開いた。


「気に食わんな。お前のその表情が何より気に食わん」

「……なにを」

「お前のような子どもは笑うことが仕事なのだ。その仕事を放棄して、覚悟を決めた悲壮な表情を浮かべさせていること、これが何より許せぬ」


 そう言って、サトゥンは両手でおもむろにラージュの両頬を引っ張った。

 頬を伸ばされ、うまくしゃべることができないラージュ。そんな彼にサトゥンは心から満足そうに笑い、きっぱりと言い放つのだ。


「笑え、ラージュ。赤子は泣くことが仕事だろうが、子供の仕事は泣くことではなく笑うことだ。お前のような子どもに笑顔を与えることこそ勇者の使命、なすべき天命なのだ」

「……笑えるわけがないだろう。リレーヌが、リレーヌが心を壊して、それで笑うなんて……」

「何とかしてやる」

「は……?」

「リレーヌのことも、フリックのことも、全て私たちが何とかしてやる。絶対にお前とリレーヌを救ってやる。だから私と約束しろ――フリックをその手で殺めるのを自制すること、そして全てが無事に終わったそのときに、私たちに最高の笑顔をみせることを」


 あまりに勝手、あまりに根拠のない物言いに呆然とするラージュ。

 そんな彼に、サトゥンは安心を与えるように優しく笑いながら、語りかけていく。


「お前の覚悟は理解している。お前の必死さも伝わっている。これまでたった一人で頑張ってきたのだろう、よく頑張った。辛かっただろう。だが、もう無理をしなくてもいい。お前が必死に望んだ未来を、夢を、私たちは必ず現実にしてみせる。お前がフリックなどという下らぬ小物の命を背負わずともいい。必ず私たちが全てを解決してみせる」

「そんな、夢物語みたいな話をどうやって信じろと言うんだ……僕に、僕に失敗はもう許されないんだ。この機会を逃したら、もう二度とリレーヌを助けられないかもしれないんだ……それを」

「――信じてくれた者の期待に必ず応える者、どんな状況でも人々の希望となる者。そのような者を人々は何と言うか知っているか?」

「……勇者」

「そうだ。私は勇者サトゥン、そして愛する仲間たちは英雄である。勇者と英雄は人の期待を決して裏切らない、我らの力は悲しむ人々を救うために在る。だからこそ、お前が安心するまで私は何度でも口にしよう――必ずお前とリレーヌを私たちが救ってみせる、必ずだ!」


 太陽のようにニカっと笑うサトゥン。そんな彼に対し、やがて感情の堰が壊れたかのようにラージュの瞳から涙が零れ落ちていく。

 辛かった。どれだけ優秀で、どれだけ智に優れていたとはいえ、彼はまだ十二を数えたばかりの少年なのだ。これだけのものを背負い、何も感じなかったはずがなかった。

 苦しかった。最愛の人が壊れたことを傍で感じ続けることが。怖かった。たとえ憎しむ相手であっても人間を殺さねばならないということが。

 誰の力も借りられない。誰に頼ることもできない。そんな孤独の中でラージュは一人戦い続けたのだ。リレーヌを救うために、たった一人で。

 戦争を起こそうとした。たった十二歳の子供が、万を超える命を背負えるはずがなかった。彼の心は、リレーヌを救う前に壊れかけていたのだ。だからこそ、サトゥンの強引なまでの言葉に耐えられなかった。こんな風に、助けて欲しかった。本当は誰かに助けて欲しかった。

 サトゥンの胸の中でわんわんと泣くラージュを、サトゥンは何も言わず笑って優しく抱きしめる。それは彼が初めて感じる父の姿だったかもしれない。

 そんな二人に誰もが優しく見守っている。そして、そのなかで一人ロベルトが席を立ち、空き部屋へと向かう。そんな彼を不思議に思い、リアンも席を立ち彼へとついていく。

 休憩室の隣にある、物置のような部屋。その部屋の木箱に腰を下ろしたロベルトにどうしたのか訊ねようとしたリアンだが、それより早くロベルトが口を開いた。


「……敵わねえなあ。本当、サトゥンの旦那は凄えよな、リアン」

「ロベルトさん?」

「俺さ、『仕方ない』って思っちまった。ラージュの事情を聞いて、あいつがフリックを殺すことを、『仕方ないことだ』って思ってた。それでラージュとリレーヌが救われるならって、そう考えてた。だけど、違うよな。どんな理由があっても、十二のガキに他人の命を背負わせるなんて絶対にあっちゃならねえことなんだ。人を殺してしまえば、その傷が一生ラージュの心に残っちまう」

「……そうですね」

「あいつだって好きで殺したいはずがねえんだ。仕方ないからって、どうしようもないからって、悩みに悩んで、その果てにフリックを自分で殺すっていう結論になったんだ。あいつは優秀な魔法使いで、魔法院の副長で、知識も凄くて……でもさ、十二なんだ。まだ友達と遊びまわって笑い転げるのが仕事の年齢なんだ。旦那はラージュの肩書きにも、過去にも、何一つ目をくれずに本心だけを読み取ったんだ。殺したくない、つらい、誰か助けてくれって見えない悲鳴を、たった一人気付いたんだ。そして俺は何一つ気付けなかった。この一週間、ずっとラージュといたってのに……友達だ仲間だと言って、この様だ」

「……それは違います。ラージュ君、言ってたじゃないですか。ロベルトさんが仲間だと言ってくれたから、ラージュ君は全てを語ったんだって。ラージュ君にとってロベルトさんの存在はとても大きなものなんです。それは僕にだって分かります。それをどうか、卑下したりなんてしないでください。きっとラージュ君がそれを聞いたら悲しむと思います」

「……だな。悪い、リアン、ちょっと弱気になってた。情けない兄貴分で悪いな。こんな話してたなんてばれたら、マリーヴェルに蹴飛ばされそうだ。根性無しってな」

「あははっ、マリーヴェルは優しいから、きっと励ましてくれますよ」

「そりゃお前が相手のときだけだってーの。……っと」


 木箱から腰を上げ、リアンと並ぶように立ち、ロベルトはそっと言葉を紡ぐ。

 それは穏やかで、何よりも強い意志に満ち溢れた声。英雄見習いではなく、英雄としてあろうとしているロベルトの決意。


「なあ、リアン。ラージュの奴、なんとか笑わせてやりたいよな。ガキのくせに一人で無理しやがって……ああいう奴にこそ、心から笑ってほしいよな」

「勿論ですっ! 何としてもラージュ君を笑顔にしましょう! そのために僕たちは研鑽を積んできたんですから!」

「ああ、その通りだ。以前、旦那に言われたっけな……救った者の笑顔が英雄にとって何よりの報酬だって。みてろよラージュ、俺たちが絶対お前を笑わせてやるからな。もう二度と俺の目の前でガキにあんな顔はさせたりしねえ――そうだろリアン」

「はいっ!」


 男たちの誓いは胸に。心に燃える炎はどこまでも熱く。

 それぞれの想いを秘め、とうとうその時刻を迎えることになる。

 夕焼けが世界を染める時刻――熱く燃える勇者と英雄、エセトレアという舞台の最終章が盛大に開幕を告げた。








誰かのために強くなれる、それが英雄。次も頑張ります。

ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。

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