79話 不変
※7/2 05:00 前話(78話)内の内容を一部変更しております(シスハ登場以降)
大変ご迷惑をおかけします。申し訳ありません。
人々に見つからぬように城下街の裏道を走り抜けたロベルトたちは無事に目的の場所へと辿り着く。
エセトレア城下街、最北に位置する宿屋。その建物が見える場所まで来ることができたが、ここからが最後の難関だった。
宿屋の周囲をはじめ、宿内部にも当然多くの人々が存在する。彼らの目は一様に紅く染まっており、完全に自我を失っている様相だ。
宿屋の地下に辿りつくまでには、どうしても彼らを避けることはできない。この状況に困り果てたロベルトは周囲を観察しているラージュに訊ねかける。
「外も宿の中も操られた人で溢れかえってるが、どうする? 必要なら俺が囮になっても構わねえが」
「囮になるだなんて殊勝なことを言うじゃないか。熱でもあるのかい?」
「茶化すな。女子どもにそんな役割を押し付けるような男にゃなりたくねえだけだよ。これくらい格好つけさせろ」
「気持ちだけ受け取っておくよ。その必要は恐らくないだろうからね。ここで待っててくれたまえ」
「な、お、おいっ!」
ロベルトの制止の声も気にすることなく、ラージュは路地裏から一歩足を踏み出して宿へ向かって真っ直ぐ歩き始める。
ラージュの話では、操られた人間は魔法にかかっていない人間を標的として無差別に襲う筈ではないか。このままではラージュが襲われてしまう、そう考え彼を救出するためにロベルトが一歩踏み出したのだが。
「……ふむ、やはりか」
ラージュを前にしても、人々は襲いかかる気配がない。まるでラージュが視界に入っていないかのように素通りしてしまっている。
呆気にとられたロベルトやライティたちに、ラージュは振り向いて『問題ない』と合図を出す。慌てて彼の下に駆けより、ロベルトはどういうことだと説明を求める。彼の話と現状は明らかに食い違っているからだ。
「どういうことだ? この街の人たちは俺たちに襲いかかってくるんじゃなかったのか?」
「条件が足りないからさ。城を含め、街中全ての人間は確かに魔法にかかってしまっている。けれど、この付近には彼らを操り襲わせるための指揮者が存在しないんだろう」
「指揮者? どういうことだ」
「それも含めて後で説明しよう。とにかく現状は僕らにとって好都合だ。宿の中へ向かおう」
ラージュに指示され、ロベルトは未消化ですっきりしない頭のまま彼と共に宿内へと入っていく。
宿の奥にあるオーナー室、そこへ足を運び遠慮なく扉を開くラージュへ窘めるようにロベルトは口を開く。
「おいおい、いくら非常時だからといって、勝手に宿のオーナー室に入っていいのかよ。後でこれがばれたら俺たち犯罪者なんじゃ……」
「何の問題もないよ。この宿のオーナーは僕だからね。自宅の自室に入って咎められる法など存在しないさ。もっとも、買い取ってから一度しか足を踏み入れていない場所を自宅と言っていいものかは分からないけれど」
「ま、マジかよ……」
オーナー室に配備された豪華な机、その下にある魔法陣に手を当て、ラージュは手に魔力を集中させる。
彼の掌が発光した刹那、床の一部が溶けるように消え去り、そこに地下への階段が現れた。最早驚く言葉もないロベルトにラージュは楽しげに笑みを一つ零し、リレーヌと共に先に階段を降りていく。隣のライティに袖をくいくいとひかれ、我に返ったロベルトも彼らについていくように階段を下っていった。四人が地下へ入ると、入口は再び床の幻影へと変化して塞ぎ直していた。
宿の地下に存在している空間をロベルトとライティは興味深げに観察していく。まるで王城の作戦会議室のように用意された大机とエセトレア城および城下街の古地図、壁沿いには剣や槍といった錆びついてはいるが武具がいくつも置かれている。隣の部屋の扉を開けば、ベッドが幾つも用意されていた。兵士の詰め所のようでもあるこの空間、そのことに気付いた二人に対し、ラージュは椅子に腰をかけながら説明をする。
「察しがついているようだけど、一応説明しておこうか。この場所はエセトレア城が敵国に攻め立てられたとき、王城奪回の拠点として使用するための地下施設だ。先王の命令により、エセトレア城下街にはいくつもこんな施設が存在していて、そのうちの一つだよ」
「こんなものが……いや、待てよ。先王が作ったものなら、この場所は王や宰相の奴にばれてるんじゃないのか?」
「城下街に七十二存在するうちの一つだよ。僕らが地下にいると気付いても、見つけ出すのは困難さ。ましてやこの場所は城から離れているからね。少なくとも一日は時間が稼げるだろうさ」
遥か歳下であるラージュの落ち着き様に、ロベルトは見習うかのように心を納得させて椅子へ腰を下ろした。
そんなロベルトと彼の隣に腰を下ろしたライティに、ラージュは左目に装着していた魔道具を薄布で優しく拭きながら言葉をかけた。
「協力者もこの場所に向かってくれている。到着するまで休むといいさ。ベッドも奥にある、一眠りするなら好きに使って構わないよ」
「この状況で一眠りって、無茶言うなよ……」
「私、寝るね。人が揃ったら起こしてね」
「寝るのかよっ!? マイペース貫き過ぎだろ!?」
小さな欠伸を一つ浮かべ、ライティはベッドのある部屋へと歩いて行った。途中で振り返り、『ロベルトも一緒に寝る?』とのお誘いの言葉をやんわりと断るロベルト。最近はこの受け答えも動揺せずに応えられるようになってきたあたり、成長の証だろうか。
ライティほど豪胆に眠りにつくことはできないが、それでも体を休めることは必要だ。休める時に休めと師であるグレンフォードに口酸っぱく叩き込まれている、メリハリが大切なのだと。
少しでも休息をと机に突っ伏すロベルトに、ラージュは何も言わずのんびりと魔道具の手入れを行い続けるのだった。
ロベルトが机から顔を上げるのはそれから一時間ほど後のことだ。上階から足音が響いて来たため、起き上がったロベルトは自然と手を腰のグリウェッジへと伸ばすが、それをラージュがやんわりと制止する。
「味方だよ。この地下にくるためには、僕の幻影を解くための手順を知らなければならないからね」
「なるほど。ここに来た奴は必然的にそうなるってことか」
ラージュの説明に納得し、ロベルトは腰の短剣から手を離した。だが、視線は宿へ続く階段から離さない。
椅子につかず、ラージュやリレーヌと階段との間を遮るように立つロベルトにラージュはそっと表情を緩める。そして改めて強く認識するのだ。この男、ロベルト・トーラとは『そういうこと』を意識せず自然とできる男なのだと。
地下への入り口を塞ぐ幻影が解かれ、階段を降りてくる者たちの姿を見て顔を綻ばせた。
「サトゥンの旦那!」
「ぬ、ロベルトか! がはは! 無事であったか!」
「それはこっちの台詞だっつーの! 武器を通して連絡しても返事一つ返さねえから不安になっちまったじゃねえか!」
「ロベルトさん!」
「おお、リアンに他のみんなも一緒かよ! 心配したんだぜ! ライティ、みんな戻ってきたぞ!」
高笑いを浮かべるサトゥンを先頭に、リアンやマリーヴェルといった一緒にエセトレアを訪れた仲間たちが次々と階下へと降りてくる。
それだけではなく、彼らの後には各国の代表や担い手も揃っている。ティアーヌとアレン、ギガムドとランベル、ドレルとヘリオといった七国会議の参加者も共に脱出してきたようだ。
ベッドでうとうとしているライティを抱き抱え、みんなと共に再会を喜ぶロベルト。まさかこんなにも早く合流できると思っていなかっただけに仲間たちの喜びは大きかった。
一通り喜びを分かち合った後、ロベルトは笑みを浮かべてラージュに対して言葉を紡ぐ。
「合流する協力者が俺の仲間たちなら最初にそう言ってくれよ。人が悪いな」
「もしそうだったら最初に教えているよ。君の仲間がこうして合流できたのは全くの偶然だからね。僕の協力者、ここで合流を予定していた人は君の身内じゃないんだ」
「そうなのか。それじゃいったい誰が」
「私よ、英雄ロベルトさん。異常を察知してすぐに合図を送ってくれたのは助かったわ、ラージュ」
「何、予定外想定外の状況は幾つも考えていたんだ。時を刻む針が早まっただけ、そう考えているよ」
そう言って一歩前に出たのはクシャリエ女王国のティアーヌだ。手の中で魔石を弄びながら楽しげに笑みを零している。
ティアーヌとラージュ、二人が協力者であることにロベルトは少しばかり驚く。この国にきて、彼らが二人で接触するところなど一度も見たことが無かったからだ。いったいいつの間にという想いが彼の心に浮かんでいる。
全員が階下に降りたことを確認し、ラージュは椅子から立ち上がり、全員に向けて口を開く。
「まずはこの場全員の無事を祝いたいところだけれど、あいにくと悠長にしている時間が無いからね。状況の整理をして、何を為すのかを話し合おうじゃないか――エセトレアという地獄の釜の中でいったい何が起き、僕らは何をすべきなのかを、ね」
ラージュの言葉に従うように、一同は椅子へと腰をかけていく。
そう、この状況下で彼らにとって何よりも早急にすべきは状況把握とそれに基づく選択判断なのだから。
静けさに満ちる地下室でゆっくりと情報交換は進む。
なぜこのような異常が起きたのか、それについて会議室にて七国会議を行っていた面々が説明を行った。七国会議が終わりを迎え、そのときにエセトレア国の宰相フリックが魔法を行使し、世界が紅に染まったこと。彼が各国代表の命を欲していたこと。彼の蛮行にエセトレア王、そしてレーヴェレーラの巫女シスハと担い手のクラリーネが加担をしていること。
リュンヒルドやティアーヌが説明を終えて話を切る。そのなかで皆を代表してマリーヴェルが疑問を投げかける。
「各国の代表の命って……フリックって奴、馬鹿じゃないの? 五国、特にクシャリエとランドレンは軍事強国なのよ? これを理由に二国に攻められたりしたら、呆気なく滅ぶわよ」
「うちを評価してくれているのね。嬉しいわ、マリーヴェル姫。あなたの言う言葉は正しいわ。私の身に何かあれば、国境際に用意している兵全てがエセトレアを攻めることになるもの。戦争がしたいなら、最低の選択と言わざるを得ないわね」
「今回の件は複数国家を相手にして、同時に宣戦布告を行ったようなものだ。国を采配する者として、これほど愚かな選択はない。これでは滅ぼしてくれと言っているようなものだ。他王の命と引き換えに自国が滅ぶのだからな。同じく国の上に立つ者として、正気の沙汰とは思えぬわ」
マリーヴェルの疑問に、ティアーヌとギガムドがそれぞれ回答を紡ぐ。彼らの言う通り、フリックやグランドラの選んだ選択は愚かという他ないのだ。少なくとも他国が欲しければ、一国同士で対立し、他国に干渉させない状況を作るべきだ。それなのにフリックは五国全てに宣戦布告を行った。その采配は一国を担う彼らからしてみれば、唾棄すべき愚かな行動にしか思えないのだ。
その彼らの言葉に、少し考える仕草をみせたメイアがぽつりと口にした内容に視線が集まった。
「……その選択が国を差配する者としての選択ではないとしたら」
「どういうことですか、メイア様」
「宰相であるフリックは国の上に立ち、民を導く者。その前提条件があるからこそ、同じ王としてティアーヌ様やギガムド様は彼の行動を愚かで考えられないと断じています。ですが、その前提が間違っているとしたらどうでしょう。国の宰相として、この国の国土をより広げたい支配する国を増やしたいという欲望ではなく、全く関係のない個人の欲望――それこそ、この国や国民の命もそれを叶えるための道具としてしか見做していないのであれば」
「なるほど。理由は見当もつかないが、例えこの国を滅ぼされても構わない理由で動いているなら話も通るってことか。国だけじゃない、民すらも操り駒にしているんだ。民の命もフリック・シルベーラにとっては使い潰す道具ってことか、忌々しいがな」
ベルゼレッドの言葉にメイアは頷く。少なくとも彼らの知るフリックは頭の悪い人間ではない、むしろ切れる部類の存在だった。でなければあの若さで宰相などという地位につけるはずがない。ただ、そのメイアに意見にティアーヌは異論を唱えた。
「フリックの思惑までは分からないけれど、少なくともあの場に陥るまでは他国と戦争をし、侵略をするつもりではあったみたいよ」
「なぜそれが分かるのですか?」
「それは当人に訊いたほうが早いんじゃないかしら――ねえ、ドレル殿?」
ティアーヌに名指しをされ、これまで青い顔をして黙していたドレル・ラッパーダの体がびくりと震える。
口を閉ざし続けるドレルに対し、呆れるように肩を竦めながらティアーヌは追及を緩めるつもりはない。
「あなた、フリックが行動を起こしたとき立ちあがって叫んでたわよね。『話が違う』と。あれはどういう意味かしら。『戦争を起こすのは一国ずつ時間をかけて侵攻』とも言っていたわね」
「そ、それは……」
「この状況で沈黙を貫くならそれでもいいわ。あなたの愚かな選択によってメルゼデード連合の民の血が流れても構わないというのなら、どこまでも己の保身に走りなさいな。私は自国の民に刃を突き付けられて、笑って済ませるほどお人好しではないの。選びなさい、王として国の代表として一人罪を背負うか、国民全てを巻き込んで逃げ続けるのかを」
「ち、父上……」
脅しにも近いティアーヌの言葉、そして彼女に同意するかのように睨みつける他国の代表たちにドレルは折れた。
体を恐怖に震えさせながらも、最後に民の安全を選んだのは腐っても一国の代表としての矜持か。怯えながら、悔しさを押し殺しながらドレルはゆっくりと話を始めた。
「ティアーヌ殿の考えられている通りだ……我が国、メルゼデード連合国家はあの瞬間までエセトレア国とつながっていた」
「それはいつからかしら……と訊ねるのも馬鹿馬鹿しいわね。先王に代わりグランドラが王として立ち、フリックが宰相となってからつながったとしか思えない」
「その通りだ。宰相となったフリックが当時代表であった我が父と接触し、つながりをもったのだ。エセトレアは鎖国を行い、他国との交わりを断ち、交易の窓口をメルゼデードだけにする。その見返りに様々な援助を我らは行い続けた」
「交易の独占ですか。一国相手の取引を独占できればさぞや巨大な財が動いたでしょうね」
皮肉にも聞こえるリュンヒルドの言葉にドレルからの反論はない。事実、小国の集まりであるメルゼデード連合にとってエセトレアとの交易が独占できたことは非常に大きな意味を持った。エセトレアと連絡を取ることをはじめ、何を行うにしてもまずはメルゼデードという国を中継しなければことを起こせない。そこから生み出された財によって、近年メルゼデードは発展を遂げてきたのだから。
しかし、その発展こそが慢心を生む。メルゼデードはあくまでも小国家、力なき国々の集まりであり、歴史あり力ある他国と比肩すればどうしても見劣りする。ましてや、メルゼデードは小さな島国が多く、大陸の土地をほとんど有していなかった。それがさらに他国への羨望を生み、大地を求める欲望が育ってしまった。そこにフリックから更なる協力を求める見返りに提案された話に乗ってしまったのだ。
「グランドラ王ではなく、フリック・シルベーラが国の実権を握っていることは明白だった。そのフリックから援助の強化を求められた。その見返りとして、これから先に必ず起こる戦争で得た土地の全てを我らにくれるという話だった」
「馬鹿な……そんな荒唐無稽な話を受け入れたというのですか」
「私とて最初は馬鹿な夢物語だと笑ったよ。だが、フリックの狂気に触れた者ならば誰もが信じるだろう。フリックは本気で他国へ戦をしかけるつもりだった。それを可能にするだけの力と意志が、奴には存在していた。だからこそ、私は奴への投資を止めることができなかった。奴の抱く狂気の輝きに捕われてしまった」
力なくうなだれるドレル。それは欲望に溺れて全てを見失った男の姿。
だが、彼が全てを口にしたことで陽炎のように揺れていたフリックという男の欲望、その輪郭が少しずつ形を浮かべていく。
彼の話が全て真実であるならば、他国を攻めるという意志はやはり持っていたようだ。だが、ドレルの話ではフリックは戦争を起こす強い意志はあるものの、侵略した領土を欲しているというわけではない。事実、侵略した土地の全てをドレルへ譲渡する契約まで行っていたという。まるで戦争を起こすことそのものが目的であるかのようにすら映ってしまう。
また、この状況でドレルを切ったことも分からない。他国を侵略するための準備、その計画は十年以上に渡り練られたものであり、あっさりと切り捨てられるほど軽い物とは思えない。もし、フリックの計画を実行するならばこんな場当たり的な行動ではなく、ドレルとつながったまま更に力を蓄え、予定通り一国とだけ敵対して攻め立てたほうがよほど良い。それをあっさりと捨て去り、ドレルすらも知らされなかった今回の状況に陥った理由、それはいったい何かなど考えるまでもない。ドレルを切り捨て、フリックが得た新たな協力者の存在こそがその理由だろうから。
顎に手を当て、ギガムドが低重な声でその名を紡ぐ。
「レーヴェレーラ……巫女シスハか」
「恐らくドレル殿の知らないところでエセトレアとレーヴェレーラはつながっていたのでしょう。そして、巫女シスハからドレル殿やこれまでの計画を切り捨ててもあまりあるほどの何かがもたらされた」
「まさか女神リリーシャを祀る神聖国様が加担するとは思ってもみなかったわ。あの国もいったい何を考えてるんだか……」
「だが、後ろ盾としての力は悪いがメルゼデードとは比肩にならないくらいに厄介だな。リリーシャ教はどの国にも必ず存在するいわばこの大陸の宗教だ。その総本山が手を貸しているとなると」
「面倒ね。今回の件を表にだして国からリリーシャ教を追いだしてやろうかしら」
「止めておけ、民の反感を買うだけだ。リリーシャ教徒全てが悪というわけではない」
「分かってるわ、冗談よ」
各国代表が話し合うなか、彼らの話を中断させるように『あの』と手を挙げて訊ねかけるのはリアンだ。
注目が集まる中で、リアンは動じることなく胸の中の疑問を口にする。
「このエセトレア全体を包む紅い色、これの正体は何なのですか? 僕らには異常はありませんでしたが、この国の人々はこの異常が起きるとまるで自我を失ったように僕たちへ襲いかかってきました。まるで誰かに操られているように。これは魔法なんですか? もし魔法ならばこれを使用した人が存在するのでしょうか? もしかしたら、人体に害があるかもしれませんし、何より城や街の人々の命に危険があるなら少しでも早くなんとかしないと……あわっ!」
「うむ! うむうむうむ! よくぞ言ったリアンよ! 優先すべきは人命! 人々の平和! まず何よりもそちらを解決せねばな!」
意見を述べたリアンに感激したサトゥンが、彼の両脇を抱き抱え子供をあやすように持ち上げてガハハと馬鹿笑いをし始める。
勿論、話し合いの邪魔になるためマリーヴェルがサトゥンの頭を叩いて制止することも忘れない。
このような状況でも変わらず周囲を笑わせるサトゥンに空気が和らぎつつも、リアンの問いに対しラージュが説明を始めた。その内容はロベルトに行ったものと同じものだ。
この街や城を包む紅い世界は間違いなく魔法によるもの。その魔法はエセトレアの人間の意識を奪い、術者の意のままに操る魔法だということ。そして、その魔法を開発したのは他の誰でもないラージュであり、その用途を教えた相手はただ一人、フリックしかいないということ。
その話を耳にし、ランドレンの担い手ランベルは怒りに表情を染めてラージュに対し剣を抜こうとする。だが、二人の間に割って入ったロベルトが背中にラージュをかばって言葉を紡ぐ。
「何をするつもりだよ、おっさん」
「このような悪魔の所業にも思える下種びた魔法を生みだしたのはその小僧なのだろう。罪が無いとは決して言えぬ」
「それを何とかしようとしているからラージュはここにいるんだろ。それに罪のない人相手に使ったのはフリックの野郎だろうが」
「だから罪には問われぬと言いたいのか。どけ、貴様は無関係だろう」
「関係あるから邪魔するんだろ。ラージュにその物騒なもん抜いてみろ、本気で許さねえぞ」
「――斬るぞ、青年」
「――やってみろ、クソジジイ」
睨み合う二人に場が完全に静まり返る。そして、我慢できなかったらしく、傍観していたギガムドから笑い声があがる。彼の限界が伝わったように、ティアーヌたちも笑いを零していた。呆気に取られるのはロベルトだ。頭に血が上り、本気でラージュを守るために立ちあがってランベルと向きあっていたら、各国の代表たちが笑いだしたのだ。状況に困惑しても不思議ではない。何より真剣に向き合っていたはずのランベルすらも口元を緩め、楽しげにしているのだ。狐につままれたような表情を浮かべるロベルトに対し、ランベルは参ったとばかりに口を開く。
「担い手を前にしても、一歩も怯まず庇ってくれる戦士が傍にいるのだ。良き人には良き戦士が集まる、我が国の格言だ。無礼な発言、大変失礼した、ラージュ殿」
「いや、構わないよ。というよりも、僕はロベルトに礼を言うべきかな。ありがとう、ロベルト。僕を信じてくれて」
「お、おう。よく分からねえが、疑いが晴れたならいいんだ」
ロベルトは理解できていないが、ランベルの狙いを各国の代表たちは見抜いていた。先ほどのランベルの反応のように、ラージュが人々を操る魔法を生み出したとい事実が足枷となり、彼への疑心を生む可能性がないわけではなかった。ランベルが言ったような想いを僅かでも心に抱くのは仕方のないことだろう。だが、この緊急時において味方への疑心は時によって何よりの危険となる。戦場において味方への疑心は最も危険であることを、百戦錬磨のランベルは見抜いていた。だからこそ、自ら泥をかぶってラージュを攻め立てたのだ。胸にわだかまりを溜めるではなく、そのように悪意の見方を曝け出すことでラージュから否定の言葉を発せさせること。それがランベルの狙いだったのだが、それ以上の結果をロベルトが生み出してくれた。
一国の担い手を前にしても、怖がることなく立ち、ラージュを守るために脅しにも屈しない。それほどまでに守ろうとしてくれる者が傍にいる、信じている者がいてくれるというだけで、ラージュへの疑心は容易に取り除いてくれるのだから。
唯一自分の行った功績に気付かないロベルトだけが、首を傾げながら仲間たちによく言ったと背中を叩かれ握手をされ高笑いされ。そんな彼の隣で満足そうに微笑むライティがとても印象的だった。ロベルトとしてみれば、仲良くなった友達、何よりまだまだ庇護されるような年齢である子供のラージュ相手に大の大人が剣を向けることなど許せないと、ついカッと感情的になっただけなのだが。ロベルト・トーラ、リアンやラージュといった年下の同性に慕われる面倒見のいい兄貴分である。ライティには頭が上がらないが。
頭に疑問符が浮かび続けているロベルトを置いて、ラージュの説明は続けられる。
「この魔法は紅色に染まる場所、僕はこれを『紅結界』と呼んでいるが、この領域内のエセトレアの人間を操るという以外に効果はないんだ。だから、この魔法によって人体が害されるということはないよ」
「そっか……それならよかった」
「安心しているところ悪いけれど、このままの状態が続けば危険という点は否定できないんだ、リアン。いいかい、操られているとはいえ、彼らは生きている人間なんだ。意識を奪われ動かされている彼らは、魔法にかかっていない人間を襲うことだけしか行動を許されない。つまり、飲まず食わず眠らずで活動を続けなければならないんだ。それが続けば当然生命活動の危機に陥ってしまう」
ラージュの説明にその場の誰もが表情を引き締める。すなわち、この状態が数日と続けば間違いなくエセトレアの人々の命が奪われてしまうということだ。ことの重大さに一同は真剣にラージュの説明に耳を傾け続ける。
「中には幼子や老人、病人だっているだろう。ゆえに僕の考える時間限度は一日。その期間内にこの魔法を止めなければエセトレアの民に多くの死者が出始める。勿論、フリックはそれすらも織り込み済みだろうね。命がつきても、魔法が途切れなければ人は動き続けることができる。死者だろうが生者だろうが、フリックにとって手駒としての価値は何も変わらないのだから」
「少しいいですか、ラージュ君。この魔法は、それほど容易な魔法なのですか?」
「どういうことだい、メイア」
「話を聞く限り、この魔法は恐ろしく高度かつ難解な魔法です。単一的な命令しか与えていないとはいえ、このエセトレア城下街全てを覆い尽くし、万を超える人々を操るほどの魔法……そんなものが、フリック・シルベーラ一人で行使できるものなのですか?」
「効果の差も感じられた。城の中では兵士たちは迷わず俺たちを襲ってきたのに対し、宿の回りの人々は俺たちを見ても反応すらみせなかった。この差はいったい何から生まれている?」
メイアとグレンフォードの問いかけに、ラージュは左目を閉じ、少しばかり頭の中を整理し、ゆっくりと回答を紡ぎ始めた。
「メイアの問いに対しては是であり非であると応えよう。まず、この魔法自体はそこまで行使することは難しくはない。一度理論を知ってしまえば、恐らく低魔力の魔法使いでも行使できるだろうね。だけど、それを城下街すら覆い尽くすほどとなると不可能だ。だからこそ、僕もこの状況には想定外で驚いているんだ。フリックの魔力……少なくとも魔法院全ての人間の魔力をあわせたところで、城内だけに効果は留まると思っていた。これだけの範囲であの魔法を使用しているとなると、考えられることは一つ。外部から魔力を供給しているとしか思えない」
「外部から、ですか?」
「どこからどのように供給しているかは分からないけれど、ね。室内の灯りや船舶の動力等に使われている魔力石のようなものを集め、そこから魔力に変換して使用しているならば、理論上は可能だよ。ただ、相当量が必要だとは思うけれど」
「魔力石……フリックに輸入を最優先で命令されていたが、まさかそれが」
ラージュの言葉に反応したドレル。彼の話によると、それこそ一国の城下街を数十年支えられるほどの魔力石をエセトレアに供給していたらしい。
その話を聞き、ラージュは納得する。それほどの量があるならば、理屈が通ると。
「なるほどね。フリックが最後に言っていた『貴重な実験の場』っていうのは、これのことかしら?」
「だろうな。言うなれば、これはエセトレア城および城下街全ての人間を使い、俺たちという獲物を狩るための実験場なのだろう」
「なんという……このような、このようなことに私は力を貸していたのか……」
ティアーヌとベルゼレッドの言葉に、ドレルは力なく言葉を紡ぐしかできない。
だが下を向いている暇などこの場の人間には許されていない。ドレルを置いて、ラージュが次はグレンフォードの問いに応える。
「城内と宿付近の人々で反応に差があるのは『指揮者』の存在の有無だよ」
「『指揮者』?」
「この魔法は人々の自我を奪い、そのうえで命令を与え、操る魔法なんだ。けれど、命令を与えるという行動が伴わなければ人々は動けないということでもある。人々に命令を与えるには、術者が近くにいなければならないという条件があるんだ。そういう意味でも、僕はこの魔法の範囲はせいぜい城内で収まると思っていた。いかに範囲を広げてもフリックは一人、城内だけならまだしも、城下街全てに命令を飛ばすには距離がありすぎる」
「では、この魔法によって人々に襲われるのは城内だけということか?」
「いや、恐らくすぐに城下街の人間も僕らを襲うようになる。それだけは確信しているよ」
「なぜ、そう言い切れる。その理由はなんだ?」
「フリックには魔法院の魔法使いという子飼いが山ほどいるからさ。フリックが司令塔なら、魔法院の魔法使いはその手足。人々に命令を与える方法は全員フリックに伝えられているだろう。これがこの城下街全てを使った実験場ならば、間違いなくフリックは僕たちを狩りだすためにその手を使うはずさ。紅結界をうみだすことはできないが、魔法によって指示を与えることはできる、それが『指揮者』であり、フリックの配下の魔法使いたちだと僕は推測しているよ」
魔法と現状のカラクリを見抜き、推測を立てたラージュ。
再び沈黙が支配する地下室の中で、『そういえば』とマリーヴェルが口を開く。
「レーヴェレーラの担い手……クラリーネとかいう奴が巫女シスハの命令でミレイアを捕まえようとしていたのよね」
「ミレイアを?」
「あいつらの本当の狙いは分からないけれど、ミレイアを捕まえることも目的の一つっぽいのよ。それも尋常じゃないくらい本気だった」
「七国会議では巫女シスハはサトゥンを異空間のような場所へと引きずり込んで消えた。サトゥン、俺たちと別れたあと、巫女シスハと何があった? 奴らの狙いは何か感じ取れたか?」
グレンフォードの問いかけに、面々の視線は自然とサトゥンへと集まる。特にミレイアが心配そうな表情を浮かべていた。
そんな注目を浴びる中で、サトゥンはクハハッと楽しげに笑いながら言葉を返す。
「狙いはよく分からんな! 意味不明な言葉を並べ立てていたが、とりあえずあの小娘がミレイアの身柄と私の命を狙っていることだけは理解したがな!」
「……それ、狙い滅茶苦茶分かってるじゃない。よりにもよってどうしてサトゥンの命なんか狙ってるのかしら。それで、どうしたの?」
「グランドラだったか? 奴と打ち合っている最中、クラリーネという女がミレイアを狙っているという情報を得たので、慌てて異空間から脱出した。それからのことは分からんな」
「サトゥン様と打ち合えるだなんて、凄い人なんですね、グランドラ王は……」
「とにかくレーヴェレーラの連中の狙いにうちのミレイアがあるってことだけは頭に入れて頂戴」
結局、サトゥンから体の怪我に関するものは一切口にされなかった。また、ミレイアも言い出すことができなかった。
各々の情報交換を終え、一通りの情報が出揃いまとまったなかで、ラージュは皆を一度見渡して訊ねかける。
「さて、現状は分かって貰えたと思う。その上で次にとるべき行動を僕たちは選ばなければならない。その選択肢は恐らく二つに絞られる」
「『攻める』か『退く』か、ね」
ティアーヌの言葉にラージュは頷く。そして説明を続ける。
「先ほど話した通り、魔法にて操られているエセトレアの民の命は長くない。彼らを救うならば最長でも一日以内にこの魔法を解く必要がある。紅結界を解くためには、術者であるフリック・シルベーラを抑えるか、動力源となっている魔法石および装置を探しだし破壊するか……とにもかくにも、城へ乗り込む必要がある。だけど、この選択肢はとてもじゃないが賢い選択とはいえない」
「相手は準備を行った上で手を打ってきているものね。当然、こちらが動くことを想定して幾重にも用意を重ねている筈でしょう」
「ティアーヌ女王の言う通りだし、何よりも失敗したときのリスクが計り知れない。もしこちらが代表を一人でも失ってしまえば、エセトレアと他国との全面戦争は避けられない。それこそフリックの思惑通りに計画が進んでしまうかもしれないからね」
「巫女シスハと担い手クラリーネの動向も不明だ。連中がいつどのように場に介入してくるかも読めない」
ティアーヌとギガムドの言葉から、いかに『攻める』一手が困難かつ利口ではないかを証明していく。
次にラージュは残る選択肢『退く』について説明を始める。
「では『退く』選択肢はどうか。この紅結界の領域から脱出し、国境まで逃げる手だ。これは何より賢明な判断だと僕は思っている。恐らくこの紅結界から逃げられないような細工をフリックはしているだろうが、これだけの人と実力者が集まっていれば何とでもなるだろうしね。この手段を選ぶなら、各国の代表と担い手の安全を確保して国を脱出でき、エセトレアおよびフリックに対する一手を五国で協力しあってじっくりと攻めることができる。フリックが戦争を行いたいなら、エセトレアという国を他国によって封殺してじわじわと押し潰してしまえばいい。メルゼデードという唯一の交易口を失えば、エセトレアは長くは持たないだろうからね」
「で、でもそれだとエセトレアの人々はっ」
「確実に死ぬだろうね。けれど、各国の代表が失われることによって始まる血で血を洗うような戦争よりも格段に被害を抑えられるんだ、リアン。この城下街および城の人々の命、十数万の命で数百万の命が救われることになる」
理で話すラージュに、リアンは言葉を返せない。確かに理屈は通っている、各国の王、代表の命を危険にさらせばそれ以上の死者がでてしまいかねないことも理解できる。だが、それでも納得はできない。
ラージュが好きでこんな話をしているわけではないことは、この場の誰もが理解している。だが、それでも誰かが選択肢を提示しなければならない。この状況を理で整然と語らねばならない。いうなれば、ラージュは自分からその役目を背負ったのだ。
沈黙が場を支配する。リアンも、マリーヴェルも、ミレイアも、グレンフォードも、メイアも、ロベルトも、ライティも言葉を発せない。この場は仲間たちだけではない、各国の代表が存在している。
仲間たちだけの冒険ならば、仲間で結論を出せばよかった。けれど、この場の決定権を握るのは他の誰でもない代表たち。彼らは自国の民、数百万という人々の命を背負っているのだから。
ティアーヌが、ギガムドが、ドレルが、ベルゼレッドが、リュンヒルドが。各国の代表が私情を捨て、自国の民の命を想い、冷静かつ冷酷、そして賢明な判断を下そうとしたそのときだった。
重苦しい沈黙を打ち破るように、その男は笑って第三の選択肢を口にするのだ。仲間たちが口にできない、けれども心から望んでいるその言葉を。
「何を悩む必要があるのだ。我ら勇者と英雄が選ぶ選択など最初から一つではないか――『決して折れず諦めず人々を救いだし、全てが終わった後にちやほやされる』、これしかないわ! ふははははははっ!」
重苦しい空気を、絶望を吹き飛ばし、どんなときでも諦めずに前を向くことを教えてくれるのは、いつだって彼なのだから。
彼の言葉はいつだって仲間たちに希望を持たせてくれた。どんな困難でも、彼と一緒なら乗り越えられるという希望を。
サトゥン「雨の中、傘をささずに全裸で走りまわる魔人がいてもいい。自由とはそういうことだ」 次も頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




