表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔人勇者(自称)サトゥン  作者: にゃお
七章 精弓
86/138

78話 元凶


 空間を切り裂き、ミレイアを守るように現れたサトゥン。

 ミレイアの無事を確認し、小さく安堵した後、視線を正面へと向け直した。突然現れた彼のことを微塵も気にすることなく、紅色に瞳を染めた兵士たちは歩みを止めることはない。

 そのことに気付き、ミレイアは慌ててサトゥンへ声をかけようとする。様子がおかしいとはいえ、彼らはまごうことなき人間なのだから。

 だが、ミレイアが意志を伝えるより早くサトゥンは兵士たちの異常に気付いて行動を起こしていた。

 軽く瞳を閉じた後、再び見開いたサトゥンの瞳は黄金の輝きに染まっていた。色の変化したその瞳で、視界に映る人間全てを一瞥していく。

 すると、彼の視界に入った人間たちはまるで意識を強制的に奪われたかのように倒れていった。全ての人間の意識が落ちたことを確認し、サトゥンは軽く息をついた。そんな彼に驚きの表情を浮かべたままミレイアはおそるおそる訊ねかけた。


「あの、サトゥン様、いったいどうやってこの方々を……」

「強力な暗示をかけて強引に意識の主導権を奪い取り眠ってもらった。どんな手を使ってそうしたのかまでは分からぬが、この者たちは何者かに意識を奪われ操られていたからな。本当なら今すぐにでも全員を正気に戻してやりたいが……」

「……サトゥン様?」


 そこまで口にして、ミレイアは初めてサトゥンの異常に気付いた。

 背を向け続けていて気付くことができなかった彼の異常。それは彼の足元に滴り落ち続ける紅の水たまり。

 溢れ続けるサトゥンの流血に、ミレイアは気付いてしまったのだ。サトゥンが胸に大きな傷を負っていることを。

 そのことに気付いたミレイアは慌ててサトゥンの正面へと回り言葉を失ってしまう。彼の胸部に奔る真一文字の剣傷。呆然としていたミレイアだが、腕の中からリーヴェがてしてしと頬を叩いてくれたことで慌てて我を取り戻し、サトゥンへ治癒魔法を唱える。

 ミレイアの魔法によってゆっくりとサトゥンの傷は塞がっていくが、それで全てが治癒されるわけではない。ミレイアの魔法は傷こそ治せるが、失った血や体力を取り戻せるわけではないのだから。魔法をかけつづけて数分、サトゥンの胸の傷は完全に消すことに成功した。


「フハハ、相変わらず見事な治癒魔法である! うむ、礼を言うぞ、ミレイア!」

「いえ、助けられたのは私ですから……本当にありがとうございました、サトゥン様。お身体の方は、本当に大丈夫ですの?」

「当たり前だ! 勇者とは無敵にして強靭! あの程度の傷でどうこうなっては村の子供たちに笑われてしまうではないか!」


 完全に傷が塞がったサトゥンはいつものように豪快に笑って、涙目で見上げるミレイアの頭を力強く撫でながら元気に振る舞って見せる。

 それはまさしくいつも通りの彼であったが、それがミレイアにはたまらなく不安に感じてしまう。先ほどミレイアは見てしまったから。治癒を行う前に彼が浮かべていた力なき表情を、ミレイアを不安にさせまいと辛い体を必死に奮い立たせて佇む姿を。

 いつもの自然体ではなく、無理をして笑っている。今のサトゥンの姿がミレイアにはどうしてもそのようにしか思えなかった。

 だが、サトゥンが無事だと言い張る以上何も言えない。否、それよりも先にミレイアは知らなければならないことがある。いったい誰がサトゥンにこれほどの手傷を負わせることなどできるのか、と。


「サトゥン様、その体の傷はいったいどうされたんですの? 他の誰でもないあなたがこんなに深い傷を負わせられただなんて……」

「恥ずかしい話だが、見事にやられてしまったわ。何があったのかは後で全て説明する。今は他の者たちと合流を目指すべきだろう。ふむ、この場はミレイアとリーヴェだけか? リアンたちも一緒だと思っていたが」

「あ、あああっ! そ、そうですっ! 大変です、大変なんですっ! マリーヴェルが、マリーヴェルがっ!」

「ほう、マリーヴェルがどうしたのだ……ぬ、この気配は」


 サトゥンの問いかけにミレイアが大きな声を出したその時だった。

 奥の通路からミレイアを探していたリアンとメイアが姿を現したのだ。リアンとメイアが二人の姿を視界に入れ、走って二人の元へ向かってきた。

 その姿を視界に入れたサトゥンは、歓喜の声をあげながら二人に向かってぶんぶんと手を振って応える。二人の前で立ち止まり、リアンは声を大にして二人の無事を喜んだ。


「ミレイアさん! サトゥン様! お二人ともご無事だったのですね! よかった……突然世界が紅くなったかと思うと、城の人々が変になって、サトゥン様とも連絡がとれなくて、ミレイアさんを部屋に一人で残して、本当に心配で……」

「ふはははは! みよ、この傷一つない最強の勇者の体を! そちらも元気そうで何よりであるぞ、リアンにメイアよ!」

「ええ、お互い怪我ひとつなく安堵しました。ミレイアも怪我はありませんね?」


 怪我というメイアの言葉に、ミレイアはぴくんと体を反応させてしまう。

 自身は怪我ひとつしていないが、隣に並び立つサトゥンは違う。彼は先ほどまで信じられない程の大怪我を負っていたのだ。

 だが、サトゥンはそれをリアンとメイアに告げようとはせず、傷一つないと嘘までついていた。そのことを言うべきだと口にしようとしたが、それを制するかのようにサトゥンが片腕でミレイアを抱きよせて強引に話を変えさせる。


「それよりもマリーヴェルはどうしたのだ? 二人とも一緒ではないし、ミレイアともおらぬとは。今日もリアンたちと共に鍛錬していたのではなかったのか?」

「ええ、リアンとマリーヴェルと共に鍛錬を行っていた最中に『この異常』が起こりました。サトゥン様は見ましたか? 人々の異常な様子を」

「うむ。自我を奪われ、何者かに操られていたな。これが城中全ての人間に起こっているのか」

「恐らくは。今日の皆の予定を思い返し、唯一一人で部屋に残っているミレイアの身が危険だと判断し、三人で城に突入したのです。マリーヴェルは一人先陣を切ってこちらに向かった筈ですが、すれ違いになったのでしょうか」

「あああっ、こ、ここでのんびり話してる場合ではありませんわ! マリーヴェルが、マリーヴェルが危ないんです!」


 サトゥンの腕の中でじたばたしながら事情を説明するミレイア。城中を兵士から逃げ回っていた際、突然レーヴェレーラの担い手であるクラリーネが現れたこと。そのとき、彼女はサトゥンがよく使う異空間のような場所から出てきたこと。巫女シスハの命令でミレイアを捕まえようとしていたこと。もう駄目かと思っていたとき、マリーヴェルが現れ、自分を逃してくれたこと。

 急いで事情の全てを話終えたとき、サトゥンが珍しく苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべて言葉を漏らした。


「あの小娘、本気でミレイアを狙っているのか……こうしてはおれん! 今すぐマリーヴェルの救出に向かう!」

「ええ、急ぎましょう。マリーヴェルも相応の実力者ですが、担い手クラスと単独でぶつかっては危険です」

「ミレイアさん、マリーヴェルはどっちの方向ですか! 早く行かないと!」

「は、はいっ、マリーヴェルはこの廊下を真っ直ぐの方向で……」

「あ、あああっ! サトゥン様そっちじゃありませんっ! 真っ直ぐです真っ直ぐ!」


 一人単独で駆けだし、思いっきり道を間違えて爆走しているサトゥンにリアンは大声で指摘する。

 サトゥンの背中を追うように走りながら、仲間たちはマリーヴェルの無事を祈るのだった。

 そしてサトゥンの怪我を唯一知るミレイアは同時に彼の体のことも頭から離れなかった。どうか無茶だけは、無理だけはやめてくださいと願うしかできなくて。





















 縦横無尽に暴れる蛇剣を回避しながらも、マリーヴェルは思わず舌打ちを発してしまう。

 荒れ狂う鞭の嵐をマリーヴェルは巧みに避け続け、未だ一撃ももらってはいない。しかし、戦場の天秤がどちらに傾いているかなど明白だった。

 完全に動かされている、そう頭で思いながら忌々しそうにクラリーネを睨みながらマリーヴェルは後方へ跳躍して足を止めず動き続ける。

 足を止めず絶えず動き回ると言えば聞こえはいいが、言い換えればそれは何も出来ず、相手に近づくこともできず射程外に貼り付けられていると同義だ。

 現にクラリーネは完全に足を固定し、マリーヴェルに対して鞭を振るっている。彼女の持つ武器の距離という優位を生かして相手が弱るまで攻め立てる、実に冷静かつ冷酷な判断。マリーヴェルを時間をかけて確実に殺すための戦略。

 一国の担い手となるだけあって、クラリーネには隙が微塵も見当たらない。隙を生みだすためには、彼女を何とか受けへと切り替えさせなければならないのに、その距離を詰められない。まさに今のマリーヴェルはジリ貧状態に追い詰められているのだ。

 彼女にはリアンのような膨大な体力もなければ、メイアのように状況をひっくり返す魔法があるわけでもない。二剣を用いた超近距離による剣技が発揮できなければ攻めにも回れない。このままでは無駄に体力を消耗して、自慢の足が奪われるだけだ。

 ミレイアを逃して大分経つ。彼女もリアンたちと合流できた頃合いだろうと考え、時間稼ぎの役割は果たすことはできた。だが、肝心の自分がクラリーネから逃げられそうもない。何より彼女がそのつもりはないようだ。

 戦い初めてすぐの頃は、ミレイアを追う為にクラリーネは足を使って動きまわりマリーヴェルと打ち合っていた。だが、数回剣を交わした後、今のような完全に危険を排した戦いへと移行してしまった。まるでミレイアを追うことを諦めたかのように。

 技量や経験は遥かに格上、そしてその差をひっくり返すための状況を作らせもしない。この煮詰まった状況を打破するため、マリーヴェルは口を開く。少しでもこの場を乱せるように、隙を探すように。


「私の手の届かないところから呑気に剣を振り続けてるけど、それじゃ私はいつまで経っても倒れないわよ」

「訊ねてもいないことを口にするのはその点に意識が集中している証拠だ。それをされては困ると言っているようなもの。良い剣士だが、まだまだ若いな、マリーヴェル」

「精神的熟成している担い手様にしては判断を誤る。私に時間をかけてしまってはミレイアは追えないと理解しているかしら?」

「誤ってなどいないさ。打ち合ってすぐに分かった。お前はここで潰しておかねば、後のシスハ様の邪魔となる。ミレイアを狙おうとすれば、妹であるお前は何度でも立ち塞がろうとするだろう?」

「当たり前じゃない。理由は知らないけれど、ミレイアに手を出そうとする連中は一人残らず私が叩き潰してあげるわ」

「姉想いな妹を持ったものだ、ミレイアも。だからこそ、悪いがお前はここで潰させてもらう。シスハ様の道を阻む強き者は全てこの私が排する!」


 マリーヴェルの動きが若干鈍ったことを確信したのか、クラリーネは蛇剣を更に激しく暴れさせてマリーヴェルを封殺していく。

 その容赦のない剣に、マリーヴェルの表情から完全に余裕が消える。クラリーネの剣は他者を思い通りに動かし制圧する剣。それはまさしく蛇が獲物を狩る様に似ているかもしれない。

 完全に自分を逃がすつもりはないと悟ったマリーヴェルは星剣と月剣を握り直し、状況を冷静に分析する。いかなるときでも観察を怠らず、勝機を探る、それが師であるメイアに何度も何度も繰り返し教えられたことだ。

 状況は最悪。相手は一国最強クラスの使い手でメイアやグレンフォードと同格。そして相手はマリーヴェルのことを強者とみなし、確実に殺すために手順を踏んできている。そこには慢心も油断も驕りも存在しない。

 状況をひっくり返そうにも、クラリーネには奇策も通じない。マリーヴェルの剣技が届かぬ距離に貼り付けられ、このままでは緩慢な死を待つだけだ。

 ではどうやってこの状況を打破できる。何を以って強大な敵に対抗することができる。

 思い出される過去の戦闘と英雄たちの軌跡。グレンフォードは何をもって氷蛇レキディシスを打倒した。リアンは何をもって竜族グレイドスを倒してのけた。メイアは何をもって邪竜王セイグラードを斬り伏せた。

 ある筈だ、彼らがやってのけたように、自分にも状況を打破できる切り札が。形は違えど、彼らのように自分の中に眠る力を解放し、大切な人々のために戦う力がある筈だ。

 使いこなせるようになるまで、数え切れる程の鍛錬を積み重ねた。リアンと共に、何度も何度も繰り返した。朦朧とした意識の果てに身に付けた、マリーヴェルだけの力。

 その切り札を抜くときが訪れたのだ。大切な姉を守るため、そしてその姉に笑って再会するために――マリーヴェルは『闘気』を解放した。全身を薄い黄金の光に身を包んだマリーヴェルはクラリーネを見据えて剣を構える。

 目に見えるように現れた彼女の変化に驚愕したクラリーネ。だが、真に驚くことになるのは、彼女の蛇剣がマリーヴェルに辿り着く刹那だった。


「――馬鹿な」


 マリーヴェルはクラリーネの放つ蛇剣を右手の星剣だけで簡単に払いのけたのだ。

 非力なマリーヴェルが片手で受け止められるほど、クラリーネの剣は軽くない。否、大男が両手で剣を構えても止められない、それだけの重さを誇る一撃なのだ。

 それをマリーヴェルは体勢を微塵も崩すことなく払ってみせた。先ほどまで受けることを完全に諦め、逃げ惑っていたはずなのに、だ。

 困惑するクラリーネに対し、マリーヴェルは静かに笑みを零し、ゆっくりとクラリーネへ向け足を進める。ゆっくりと、一歩ずつ。まるでクラリーネの心に浮かんだ困惑という波紋を更に大きく響かせるかのように。

 だが、クラリーネとて百戦錬磨の戦士。すぐさま表情の動揺を押し殺し、マリーヴェルへ向けて再び蛇剣を解き放つ。通常の剣では考えられない、無軌道な剣がマリーヴェルを襲う。しかし。


「無駄よ。これじゃ今の私は殺れないわ」


 足を止めることなく、マリーヴェルは煩わしそうに双剣で打ち払い軌道を変化させ、蛇剣を大地へと叩き落としていく。

 何度剣を放っても、マリーヴェルは動じない。不気味なまでにゆっくりと一歩ずつ距離をつめながら、重い蛇剣を跳ねのけて。

 大きく開いていたはずの距離が少しずつ、確実に縮まっていく。それがクラリーネには不気味に映って仕方がない。なぜ、一気に距離を詰めてこない。理由は分からないが、マリーヴェルはクラリーネの蛇剣を止められるようになっている。ならば、彼女が狙うのは距離を詰めて接近戦に持ち込みたいのではないのか。なぜあんなにもゆっくりと近寄ってくる。

 マリーヴェルのゆったりとした歩み、蛇剣を防いだことも含めてそれらはクラリーネの胸にある感情を生みださせていた。それは重圧。追い詰めていた筈のマリーヴェル、彼女がゆっくりと歩み寄ることで知らず知らずのうちにクラリーネの気持ちは追い詰められていったのだ。

 なぜ、状況をひっくり返された。なぜ、マリーヴェルは急に蛇剣を止められるようになった。あの体を包む薄い黄金の輝きはそれと関係しているのか。何よりもなぜ、ゆっくりと距離をつめてきている。

 押し寄せる疑問と困惑が、クラリーネの冷静な思考、その一割を奪ってしまった。とにかくマリーヴェルに近寄られたくないという考えが、彼女の固定していた足に後退という選択肢を選ばせてしまった。これ以上マリーヴェルに近づかれるのは拙い、しかし相手を後退させられない、ならば一度大きく距離を取り直すしかない。そう考えるように仕向けられてしまった。

 クラリーネが攻撃の手を止め、一度後ろへ跳躍するために下がったその瞬間――それこそがマリーヴェルの待っていた『隙』だったのだから。


「――待っていたわ、あんたが手を止めて逃げるその時をね!」

「な――」


 クラリーネが後ろに跳躍した刹那、マリーヴェルの足元が爆ぜた。彼女の身を包んでいた光が脚へと集まったかと思うや否や、驚異的な速度でマリーヴェルがクラリーネに向けて飛び込んだのだ。

 その速度は風魔法で強化したメイアをも遥かに超える速度だ。後ろへ跳躍しようとしたクラリーネには、突然目の前に現れたようにしか思えない、それほどまでの速度差が二人には存在した。

 目の前に現れ、剣を翳し攻撃態勢に移行しているマリーヴェル。拙いと判断し、蛇剣を構え直すにはあまりに時間が足りなさ過ぎた。

 マリーヴェルが剣をクラリーネの胸部へ叩きつける瞬間、クラリーネはそれを確かに見た。足元に集っていたはずの光が、今度は彼女の右腕に収束していた光景を。

 振り下ろされた右腕、星剣の一撃はクラリーネの胸部を守る鎧を叩き割り、彼女を遥か後方へと吹き飛ばして壁へと叩きつけた。

 背中に激しい痛みを覚え、肺の空気を全て吐き出して表情を歪めながら、クラリーネはマリーヴェルの『力』のカラクリを紐解いた。

 マリーヴェルの体を包む光、あれは間違いなく彼女の力を強化している。だが、真に驚くべきは、その力の配分を『移行』できることだ。

 クラリーネへと接近する際、信じがたい程の速度を得た時にマリーヴェルは光を脚へと集めていた。クラリーネをねじ伏せたとき、光は右腕に集まっていた。あの光は身体強化の力であり、それをマリーヴェルは己の何処へ集中させるのか決定する事ができるのだと。


 そのクラリーネの読みはほぼ当たっている。マリーヴェルは『闘気』を己の意志で体の部位に集中させることができた。

 闘気を覚えるためにリアンと共に鍛錬を積み重ね、二人は同時期に闘気を習得した。だが、リアンの持つ闘気はあまりに巨大で、マリーヴェルの闘気は彼に比べると遥かに少なかった。

 ゆえに、マリーヴェルの闘気ではリアンのように、全身を遥かに強化して爆発させることなど到底できない。メイアのように魔法を使える訳ではないので幻影を生みだすこともできない。グレンフォードのように武器に闘気を持続させることもできない。

 突き付けられた現実にも、マリーヴェルは決して屈さなかった。決して下を向くことはなく、心折れることなく。鍛錬を積み重ね、闘気に何度も触れ、そして自分だけの戦い方を身につけたのだ。

 それはマリーヴェルだけしかできない、天性の直感と感性を持ち、技量に長けたマリーヴェルだからこそできる芸当。闘気が少なく、全身に渡らせても十分な効果は望めない。一か所に延々と集中させることも難しい。ならば『刹那』の時間だけ『集中』させればいい。

 その発想がマリーヴェルに恐ろしいほどの力を与えた。闘気を集中させたとき、彼女の剣はグレンフォードの斧へと並ぶ。彼女の足はメイアの速さを超える。刹那の中に百を超える力を発揮する、それがマリーヴェルの身に付けた闘気による闘い方だった。

 それがどれほどの驚異的な力を生むのかは、現在の光景が示している。国の担い手であるクラリーネを地に沈めているこの現状が。

 勝負は決したかに思われたが、クラリーネが立ちあがった姿を見てマリーヴェルは意識をすぐさま戦闘へと切り替える。マリーヴェルは人殺しを厭い、星剣に切れ味を持たせなかった。もし殺すつもりだったなら、先ほどの一撃でクラリーネの体はかつてのレグエスクのように真っ二つだっただろう。だが、相手が人ということで、剣のダメージは切断ではなく殴打となってしまう。その分が、クラリーネに再び立ち上がらせた。

 右手に持つ蛇剣と彼女から放たれる闘う意志が、マリーヴェルに戦闘は終わらないことを伝えてくれていた。


「油断したつもりは微塵もなかった。だが、それほどの奥の手を持っているとは想像すらしていなかった」

「こっちだって想像していなかったわよ。まさか立ちあがってくるなんてね……骨を叩き折るつもりで振り抜いたんだけど」

「ああ、折れているよ。三本程度持っていかれているようだ」

「……冷静にそう返されると私も反応に困るんだけど。まあいいわ。もう一撃叩きつけて今度は意識を落としてやるから」

「その前に一つだけ訊きたい。なぜ、先ほどの一撃で私を殺さなかった」

「どういう意味よ」

「私の胸部へ叩きつけた一撃。あのときに斬り伏せれば私の命を奪うことができたはずだ。なぜそれをしなかった」

「問答なんてするつもりはないわよ、馬鹿らしい。殺したくないから殺さない、それだけよ。剣の理由は自分だけの物、私の剣は大切な人を守るための剣だと決めているのよ」

「……剣の理由、か」

「それで、どうするの? このまま逃げてくれるなら、楽ができていいんだけど。退くつもりはない訳?」

「勿論だ。このまま退いてしまっては、本気を出してくれたお前に失礼だろう――」


 そうクラリーネが告げた瞬間、マリーヴェルの体に悪寒が走る。ぞくりとさせる何かを、目の前の戦士から感じ取ったのだ。

 そのマリーヴェルの予感めいたものは、現実へと変わる。クラリーネは蛇剣を鞭状から通常の刀身へと戻し、己の掌へ迷わず押し当てた。

 いったい何を。驚愕するマリーヴェルを置いて、クラリーネは大地に己が鮮血を垂らし詠唱を始めた。その刹那、彼女の足元へ現れた白き魔法陣から放たれた光が彼女を包んでいく。その光景をマリーヴェルは知っている。あの魔法陣は、サトゥンが武器を精製するときのものと非常に酷似していたのだから。

 白き光がゆっくりと収束していき、目の前に現れた女性にマリーヴェルは驚きを隠せない。それは確かにクラリーネだった。だが、彼女の姿が大きく変わっていた。黒色だったはずのその髪は、淡い金色へと代わり。鎧に身を固めていた服装は白き衣へと変化し。そして何よりも目に留まるのは、彼女の背中に生える黒き一対の翼だ。

 驚き言葉を失うマリーヴェルに、クラリーネは軽く息を吐き出し、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「この姿に変化するのはいつ以来だろうか。誇りに思ってくれていい、マリーヴェル。お前はこの私を本気にさせたのだから」

「な、何よその姿は……あんたは、いったい……」

「私はクラリーネ・シオレーネ。六使徒が一人にして、シスハ様を守る最強の六剣の一振り。お前に見せてやろう――神に授けられし、人を超越した奇跡の力を!」


 その言葉を残し、クラリーネはマリーヴェルへと強襲する。それは守りなど一切考えていないような、先程までの洗練されたクラリーネからは考えられぬような獣の攻撃。

 強引に振り下ろされた蛇剣の一撃をマリーヴェルは闘気を集めた左腕で受け止める。だが、それでもお構いなしにクラリーネは力を加えて押し切ろうとしている。

 拮抗を嫌ったマリーヴェルがたまらず右腕の星剣でクラリーネを切りつけるが、彼女は空へと舞い上がりその剣を回避する。

 宙で一度反転した後、まるで空から鳥が獲物へ向けて滑空するように、クラリーネはマリーヴェルへ襲いかかる。速度の乗った黒鳥の一撃をマリーヴェルは受けることより回避する事を優先する。マリーヴェルの避けた一撃は、城の床を破砕し、大きな穴をあけるほどだ。

 その一撃にマリーヴェルはぞっとする。あんなものをまともに受けては、いくら闘気を込めても腕が耐えられる筈がない。あの一撃だけは貰っては駄目だと自戒し、追撃してくるクラリーネへ剣を奔らせる。

 獣が獲物を追うように、強引に蛇剣を振り回して襲いかかるクラリーネ。そこには先程までの剣技も計算も読みもない、ただ純粋にマリーヴェルを叩き伏せるための牙だ。その一撃一撃が闘気を用いても押し返せないほどに鋭く速く、何より重く。

 気付けば壁際に追いこまれ、完全に退路を失ったマリーヴェル。その彼女に対し、まるで人が変わったようなクラリーネは愉悦を零しながら言葉を紡ぐ。


「どうだ、神に与えられたこの力は素晴らしいだろう? 私たちが積み重ねた剣技も、経験も、何もかもが馬鹿らしくなってしまう。人を超えた力の前には、人間の小細工など全てが無意味なのだ。たとえお前の力がどれだけ素晴らしかろうとも、私のこの神の力の前では何一つ意味を為さないのだから」

「力は得たみたいだけど、気品は失われたみたいね。メイアみたいに洗練された剣だと少しだけ尊敬してたんだけど、今のあんたは獣と何一つ変わらないじゃない。今のあんたは力に酔ってるだけだわ、格好悪いったらありゃしない」

「何とでも好きに言うがいい。お前に残された現実は、己の無力に嘆きながら私に蹂躙される未来だけなのだから」

「さっきまでのアンタならまだしも、今の下品なアンタに負けてやる気なんて微塵も起きないわよ。かかってきなさいよ、鳥獣」

「いいだろう。神に与えられた私の力を侮辱した罪、死して償うがいい、マリーヴェル!」


 壁際に追い詰められたマリーヴェルへ向けて、クラリーネが全力の一撃を繰り出そうとしたその時だった。

 背後から振り下ろされた巨斧。それを感知して、クラリーネは宙へと身を翻した。その斧を振り下ろした人物を見て、マリーヴェルが安堵の息をつきつつ、少しばかりの悪態をついて笑う。


「いいところを奪われちゃったわね。この鳥女は私が全力でねじ伏せてやろうと思ってたところなのに」

「悪いが状況が状況でな――マリーヴェルは殺らせんぞ、クラリーネ・シオレーネ」

「ちぃっ! 若獅子グレンフォードか!」


 マリーヴェルの前に現れた男、それは英雄最強に名を連ねるグレンフォード。

 ヴェルデーダを床から引き抜き、クラリーネにむけて構え直すグレンフォード。そして、壁際から脱出してリゼルドとアヴェルタを構え、クラリーネへと視線を向けて楽しげに言葉を紡ぐマリーヴェル。


「さて、これで状況は一変した訳だけど……二対一だけど、まさか神の力を得た人が卑怯だなんて言う訳がないわよね?」

「お前には先ほどサトゥンを追うのを邪魔されたな。その借りをここで今、返させてもらおうか」

「何の力も与えられぬ人間如きが調子に乗ってくれる。いいだろう! 二人まとめて殺して――」


 そこまで言葉を放ち、クラリーネの動きが止まる。否、強制的に止められてしまった。

 時が止まったように黙し、何事かとマリーヴェルが先手を踏もうとしたとき、彼女たちの間に現れた空間の断裂。

 そこから現れた女性――巫女シスハ。彼女が現れたことにマリーヴェルとグレンフォードは驚く暇すら与えられなかった。

 姿を見せた巫女シスハはクラリーネへ向けて手を差し伸べ、空を掴むように掌をゆっくりと閉じた。その刹那、クラリーネは己が首元を押さえ苦しみ始めてしまった。

 まるで見えない手に首を絞められ、宙づりにされているかのように苦しむクラリーネ。巫女シスハはマリーヴェルとグレンフォードを視界にも入れず、クラリーネへ向けて淡々と訊ねかける。


「クラリーネ。あなたにはミレイアを追うように命じていたはずですが。たかが人間相手にその力を解放して良いと誰が命じましたか」

「がっ……ぐあっ……」

「使えない人間は塵だと教えたはずですが――苛立たせてくれるわ、本当に。あなたも先代のように『処分』されたいのかしら。私の手を煩わせた罰よ、しばらく反省していなさい」


 呆れ果てるように息を吐き出し、シスハは宙に浮かび苦しむクラリーネへ向けて光を放つ。

 彼女の掌から放たれた光、それはクラリーネを囲むように四本の光の剣となり――彼女の体へ次々と突き立てられていった。

 光の刃に体を貫かれ、クラリーネの口から紅き鮮血が漏れる。刃は全て人間が生を為すために必要不可欠な臓腑を貫いており、人間ならば確実に致命傷だろう。

 血を吐き出し、それでも意識を失わないクラリーネ。その表情からどれほどの激痛を堪えているのかは想像に難くない。己の部下を容赦なく刺し貫いたシスハは、顔色一つ変えることなく空間の亀裂から青白き腕を放ち、クラリーネを拘束し、彼女を異空間へと飲み込ませた。

 突然の状況に何が起こっているのか理解できないマリーヴェルとグレンフォード。当然だ。部下であるはずのクラリーネをシスハは罰と称して致命傷となる傷を与えても平然としているのだから。そしてシスハは未だに二人を視界にすら入れていない。

 彼らを放置して自身も異空間へ戻ろうとするシスハに、意識を取り戻したマリーヴェルが激怒して彼女に言葉を放つ。


「待ちなさいよ! あんた、さっきのクラリーネって女は仲間なんでしょ!? それを――」

「――囀るな、羽虫が」


 刹那、マリーヴェルとグレンフォードは激しい衝撃と共に壁へ叩きつけられた。

 表情を歪める二人に対し、シスハは冷酷かつ底冷えするほどに冷めた声で言葉を放つ。


「焦らずともこの国の人間は誰一人残らず死ぬことになります。恐怖に打ち震えながら、ゆっくりとその時を待つことです」


 最後まで二人を視界に入れることなく、シスハは異空間の中へと消えていった。

 痛みを抑えてその姿を見つめ続けた二人。遠くからサトゥンが駆けつける声を聞きながら、一つの確信を胸に抱くのだ。

 今回の件、全ての元凶にして最大の敵は――間違いなく、あの女なのだと。






※7/2 05:00 当話内の内容を一部変更しております(シスハ登場以降)

大変ご迷惑をおかけします。申し訳ありません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ