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魔人勇者(自称)サトゥン  作者: にゃお
七章 精弓
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77話 傍で







 二振りの聖剣が幾度となく重なり合い、異空間に激しい金属音を奏でるように鳴り響かせる。

 黄金に輝く聖剣グレンシアと漆黒に染まった聖剣グレンシア。勇者リエンティの振るう伝説の剣の名を冠する剣を手に、グランドラとサトゥンは息をつく間もなく斬り結び続けていた。

 荒れ狂う風を身に纏い、剣の重量など気にする様子もなく大剣を薙ぎ払うサトゥン。だが、彼の剣は一太刀もグランドラにこれまで届いていなかった。

 数多の魔物を、魔人を、魔獣をねじ伏せた剛の剣をグランドラは黄金に輝く剣で難なく弾き返していた。頭上からの一撃を容易に防がれ、歯噛みするようにサトゥンは表情を歪めた。

 サトゥンの剣は無形にして自在。技巧ではなく人間を超越した身体能力によって振るわれる剣技、ゆえにその太刀は誰にも読むことはできない。それは百戦錬磨のグレンフォードにすら出来なかったことだ。

 だが、グランドラはサトゥンの剣の全てを読んでいるかの如く、彼の繰り出す剣そのことごとくを打ち払ってゆく。

 まるでサトゥンの剣を全て熟知しているかのように剣を運び、そして何よりもサトゥンにも力負けしない剛腕。グランドラはサトゥンと戦う者に必要な素質の全てを兼ね備えていた。

 一振り、また一振りと剣を振るうごとにサトゥンの表情が曇っていく。それはグランドラに剣を塞がれたことへの憤怒ではない。彼と剣を交わす度、サトゥンの頭に激しい頭痛が襲いかかってくるためだ。

 まるで自分の中のもう一人の自分が彼との戦いを拒んでいるかのように、傷つけることを厭うかのように、ズキズキと脳に激痛が走るのだ。

 原因不明の頭痛を必死に堪えながらも、サトゥンが戦場から意識を切ることはない。暴風のように片手で剣を振り回すことでグランドラの追撃を抑制した。

 大地をも叩き割るサトゥンの一撃を警戒したのか、グランドラは一度背後に跳躍して彼との距離を作る。ようやく生まれた何もない時間、サトゥンは左手で額を抑える。


「……半歩届かんな。まるで胴体の存在せぬ蜻蛉の羽を中空で掴むかの如き気分だ。私の剣は易々と止められる安っぽいものではないと自負していたが」

「瞳に映る距離が全てだとでも? どこまで人間に染まってしまっているのかしら。あなたが言葉を吐き出す度に失望させられ、『違う』のだと認識させられるわ。あなたの剣は決して届かない。『勇者リエンティ』にはね」

「その者がリエンティであるはずがない。リエンティが生きているはずがない。リエンティは……ぬううう」

「己すら騙せない嘘を並べる余裕はあるのかしら。あなたは『認識』しているはずよ。たとえ記憶が覚えていなくとも、その魂が否定を許さない。フフッ……哀れな男。あの女から何も教えてもらえなかったのね」


 体勢を整え直したグランドラが剣を掲げて再びサトゥンへと駆ける。

 巨体から繰り出される大剣の一撃に、サトゥンは苛立ちをぶつけるかの如く力強く下方から剣を叩きあげる。だが、それはグランドラの誘い。

 サトゥンの剣の軌道を完全に見切っており、斬りおろす途中でグランドラは強引に力で剣の軌道をずらしてみせた。

 下から切り上げぶつかり合うはずだったサトゥンの剣は虚空へと振り上げられ、体は完全に無防備となる。その隙こそがグランドラの狙い。

 両手が上方に挙がってしまっているサトゥンの胴へ目がけ、黄金の剣は腹部へ真っ直ぐに奔る。だが、その一撃をサトゥンは驚異の身体能力で防いでみせた。

 高く掲げた剣をまるで大地に突き刺すように、信じられぬ速度で振り下ろしたのだ。異空間の大地に刺さった黒きグレンシアに黄金の剣は吸い寄せられ、激しい衝撃と金属音が響き渡った。

 互いの剣が止まったならば、あとの一歩をどちらが先に詰められるか。動いたのはサトゥンであり、彼はこれまでにない新たな一手を選択した。

 それは魔法。いついかなるときも、剣技の勝負では決して自分から使おうとしなかった攻撃方法。それをサトゥンはグランドラへの攻撃に選択したのだ。

 人間は決して傷つけない。人間相手に手加減のない魔法攻撃などもってのほか。だが、それでもサトゥンは魔法を行使する道を選んだ。それはサトゥンが何かに感づいた証でもある。

 彼の掌から放たれるは黒き雷撃。至近距離からグランドラに対し全身を貫く雷光が解き放たれた。並みの魔物ならば跡形すら残らないサトゥンの魔法だが――グランドラの動きは止まることは無かった。

 雷撃を身に受けながら、グランドラは何事もないように剣を握り直し、魔法を行使するサトゥンへ目がけて太刀を振るった。魔法に意識を向けていたサトゥンでは、その一撃を完全にかわすことはできない。

 ゆえに、その剣はサトゥンの胸部を一文字に切り裂いてしまった。表情を苦痛に歪めながらも、反撃を怠らないサトゥンは見事。大地に突き刺さった剣を抜き、グランドラに向けて振るうが、再びサトゥンから距離を取ることで回避に成功する。

 グランドラへ向けて剣を振り切ると同時に踏み出した足が地につかず、サトゥンはたまらず大地に膝をついてしまった。彼の胸から流れる血液がその傷の深さを物語っている。真実を見抜く代償としては非常に大きな痛手となってしまった。

 そのサトゥンの様子を観察し、完全に優位は揺るがないと悟ったのか、巫女シスハは背後に控えるクラリーネに指示を出す。


「もうここはいいわ。あとは私に任せてあなたは任務を遂行なさい」

「はっ」


 シスハの言葉に応え、クラリーネは再び生じた異空間の亀裂へその身を投じてこの場から去っていった。

 いったい何を命じた、そう訊ねるために再び立ち上がろうとしたサトゥンへグランドラの黄金の剣が再び奔っていく。

 苦痛に表情を歪めながらグランドラの剣を捌いていくサトゥンに、シスハは嘲笑を浮かべ満足そうに眺めるのだった。


「無駄よ。理由は分からないけれど、あなたは愚かにも勇者を目指してしまった。勇者になりたいと望んでしまった。そんな贋作の勇者が本物の勇者に勝てる訳がないでしょう――ましてや勇者リエンティは、あなたの全てを理解していた人間なのだから」



















「あわ、あわわわわっ」


 城の廊下で自身を追ってくる兵士や貴族を右に左に。ミレイアは両腕でリーヴェを抱き抱え、必死に逃げ回っていた。

 先ほどまで彼女は滞在している部屋の掃除を一人行っており、次は洗濯でもと意気込んでいた。

 そんなとき、突如として世界が紅色に染め上げられ、何事かと思うや否や、室内に雪崩れこむように入ってきた兵士たち。

 どうしたのかと問うまでもなく、彼らの様子の異常さに気付き、ミレイアは慌ててベッドで眠っていたリーヴェを抱き抱え部屋を飛び出したというわけだ。

 ミレイアとて足が速いほうではなく、体力があるわけでもない。だが、兵士たちの動きが緩慢なことが幸いし、今のところなんとか逃げ切れている。

 なぜ兵士たちが自分を追っているのかは分からない。しかし、彼らの異常な様子から、捕まったらただ事では済まないことは理解できている。

 今でこそ逃げ切れているが、もしこのまま延々と追いまわされればいずれ体力が尽き、捕まることは明白。ゆえに、少しでも早く仲間たちに合流しなければならない。

 サトゥンたちと合流ならエセトレア城の会議室を、ロベルトたちなら魔法院を、リアンたちなら闘技場を目指す必要がある。

 どこにゆけばいいのか困ったミレイアは、腕の中のリーヴェに力なく訊ねかける。邪竜王のとき以来、一言も会話を行おうとしないリーヴェだが、この窮地に何か助言をくれるかもしれないと縋るように。


「どうしましょう、リーヴェ。このままだと私たち……」

「――前じゃ。面倒な奴が来たようじゃの」

「え」


 鈴の音のようなリーヴェの声を久々に耳にしたこと、眼前の光景。果たしてミレイアはいったいどちらに驚いたのか。

 彼女の視線の先に現れた空間の亀裂。それはミレイアがよくしるサトゥンのものと酷似していたが、中から現れた人物を見て硬直する。

 そこから現れたのは、レーヴェレーラの担い手、クラリーネ・シオレーネ。蛇剣を手に彼女はミレイアを視界に入れた。


「先日はシスハ様の手前、挨拶はできなかったが……改めて久しぶりだな、ミレイア・レミュエット・メーグアクラス」

「く、クラリーネさん」


 ミレイアとクラリーネ、彼女たちは当然面識がある。ミレイアは神魔法を学ぶためにレーヴェレーラに留学しており、その中でも一際優秀な者として認められていた。

 クラリーネはそのレーヴェレーラで有数の使い手、『六使途』の一人に数えられており、ミレイアと幾度となく会話を行ったこともある。

 その彼女がこの訳も分からぬ状況で現れてくれたのだ。面識も有り、強さも文句ないほどにある。ミレイアとしては、助かったと安堵しても良い場面だろう。

 だが、ミレイアは彼女に近づくことが出来なかった。クラリーネの体から放たれる空気の違和感とリーヴェの言葉。それらがミレイアの足を躊躇させるには十分過ぎる理由だった。

 クラリーネの纏う空気は、ミレイアの知っている以前の彼女とは何かが異なっていた。悪行を許さず義に厚く、民衆のために命を捧げるクラリーネとは、何かが。

 近づこうとするクラリーネから遠ざかるように後ずさるミレイア。そんな彼女の様子に何かを感じ取ったのか、クラリーネは軽く息を吐き出す。


「何を逃げる必要がある。この場の異常さは分かっているだろう。私はお前を救いにきたんだぞ」

「……信じられません」

「六使途である私の言葉を疑うとはな。悲しいぞ、ミレイア。お前は敬虔な信者ではなかったのか、我らの言葉はリリーシャの言葉だと教えられた筈だが」

「人を助けたいと、救いたいと願う者はそのような瞳をしていませんっ!」


 きっぱりと言い放つミレイアに、クラリーネの足が止まる。

 何かを観察するようなクラリーネに対し、ミレイアは胸の中の想いをぶつけていく。


「私が知る他者を救おうとする方はいつだって目を輝かせていました。何があろうと絶対に救おうという強き意志が込められた眩い瞳です。ですが、私を救うと言ったクラリーネさんの瞳は別の色しか映していないではありませんか」

「ほう、私の瞳は何色を映していると?」

「決まっています――他人を己の欲望のために犠牲にすることをいとわない、『悪』の色ですっ」


 言い切ったミレイアの言葉を耳にし、クラリーネの口元が歪に歪む。

 その表情に怯え、一歩後ろに下がったミレイア。そしてようやく背後に兵士が近づいていたことに気付いた。

 そう、クラリーネのために足を止めてしまっていたが、彼女は異常な様子の兵士たちに追われている最中だったのだ。

 逃亡の足を止めてしまっては、追い付かれるのは道理。ミレイアに向けて襲いかかろうとした兵士に、小さく悲鳴をあげて身を屈めようとしたそのときだった。

 クラリーネの蛇剣が奔り、ミレイアの背後の兵士の胸を容赦なく貫いたのだ。それだけではない。獰猛に暴れる蛇剣が追ってきた兵士たち全てを一刀のもとに斬り伏せていく。

 その様はまさに惨劇以外の何物でもない。クラリーネから放たれる鞭のような剣によって十人以上もの兵士が血を噴き出して倒れていった。

 驚きと恐怖に顔を青くして、ミレイアは必死に声を押し出して訊ねかける。


「な、何をなさいますのっ」

「話の邪魔になると思ったから掃除しただけだ。私が求めているのは『神の器』となるお前だけだ。他の者が何人死のうが関係あるまい」

「ひ、人の命を大切にすることがリリーシャ教の教えではないのですか!」

「面白いことを言う。最早リリーシャ様の教えを理解できない人形の命などに価値があると思っているのか」

「っ、そんな酷い言葉をっ!」

「問答は終わりだ。お前を連れて来いとシスハ様より厳命されている。理解してもらえぬならば、強引にでも連れて行かせてもらおう」


 一歩、また一歩と近づいてくるクラリーネに、ミレイアは覚悟を決める。己の取るべき行動を。

 クラリーネの視界に入ってくるは、詠唱。逃げるではなく、神魔法を行使し始めたミレイアに内心驚くものの、判断を誤ったなとせせら笑う。

 神魔法の中に他者を攻撃する魔法は存在しない。目を眩ましたりする魔法程度ならば、クラリーネにとって何の問題にもならない。

 よって、ここは強引に行く。床を蹴り、クラリーネはミレイアに肉薄する。さあ、何の魔法で抵抗するつもりだと心の中で訊ねながらミレイアを観察していると、彼女が解き放ったのは――癒しの魔法だった。彼女は逃げるではなく、大地に横たわる人々の治癒を優先したのだった。


「『全ての者に慈しみを! 体の傷を癒したまえ!』」

「――愚かな。その甘さが命取りと知れ、ミレイア!」


 完全に抵抗する手段を失ったミレイアにクラリーネは手を伸ばす。彼女を気絶させ、シスハの下に連れ帰ればそれで終わりのはずだった。

 だが、クラリーネの思惑は完全に外れることとなった。彼女に届くと思われた手が、まるで透明な壁にぶつかったかのように強い衝撃を伴って防がれたのだ。

 驚愕に表情を染めたクラリーネだが、そんな彼女にミレイアのものではない女性の声で忠告が渡された。


「ぼんやりと驚いておるが、そのような余裕はあるのかえ? こやつを守護する者は妾だけではないからのう」

「なっ――」

「――私の姉にっ、いったい何してくれてんのよこらああああああっ!」


 背後から振るわれた剣をクラリーネは紙一重で回避して真横に跳躍する。ミレイアだけに意識をとらわれ過ぎて、背後の少女の存在に気付くのに一歩遅れてしまっていた。

 クラリーネとミレイアの間に割って入るように剣を構える少女――マリーヴェルは猫のように目を釣り上げ、視線をクラリーネから外すことなくミレイアに訊ねかける。


「部屋にいないから何処に行ったのかと思ったら……怪我は無いでしょうね?」

「あ、ありがとうマリーヴェル。怪我は大丈夫ですわ」

「怪我がないなら後ろに向かって全力で走りなさい! リアンとメイアがいるから合流して!」

「わ、分かりましたけど……マリーヴェル、あなたはどうするの?」

「決まってるでしょ。理由は分からないけれど、この女はミレイアに執着してるみたいだからね。相手してあげるのよ」


 マリーヴェルを相応の使い手と見抜いたのか、クラリーネは蛇剣を構え、大地へ幾度と叩きつけている。

 ミレイアの知っているクラリーネは、剣を向けた相手に手を抜くような女性ではない。完膚なきまでに全力で叩きのめす容赦のない戦いを行う人間だった。

 ましてやクラリーネは一国の担い手に選ばれるほどの実力者。言うなればグレンフォードと同格の相手なのだ。それをマリーヴェル一人で抑えるのは分が悪い、何とか加勢をと残ろうとしたミレイアだが、マリーヴェルの様相を見て言葉を飲み込んだ。

 最愛の妹から放たれる怒気、そして戦士としての気迫にミレイアは押されてしまった。そして痛感する。この場に残っては妹の邪魔になるだけだと。

 己の無力さを呑みこみ、ミレイアはマリーヴェルに一言声をかける。その一言に万の想いを乗せて。


「すぐにリアンさんたちを連れて戻りますから――マリーヴェル、負けないで」

「逃げられると思っているのか? 甘くみられたものだな、私も」


 リーヴェを抱きしめて後方へと駆けだしたミレイア。彼女の足を止めるために、クラリーネの蛇剣が宙を舞ってミレイアの足元目がけて襲いかかる。

 だが、その鞭のしなりは大きく見当外れの壁へと叩きつけられた。クラリーネが攻撃に移行するよりも早くマリーヴェルが彼女へ踏み込み、剣を奔らせたためだ。

 その剣を回避しながらの攻撃となったため、体勢の崩れた剣ではミレイアを捕えられない。二度、三度と両の剣で追い打ちをするマリーヴェルの剣を捌き、クラリーネは彼女を睨みつけながら言葉を紡ぐ。


「……マリーヴェル・レミュエット・メーグアクラスか。お前のことは以前何度もミレイアから聞いたことがある……が。私の目的はミレイアのみ、たとえ王族といえど容赦はせんぞ」

「容赦はしないですって? それはこっちの台詞よ。六使途だか担い手だか知らないけれど――人の姉に剣を向けて無事に帰れると思うんじゃないわよ!」


 膨れ上がるマリーヴェルの気配に、クラリーネは呆れるように肩を竦めて彼女へ向けて刃を奔らせる。

 彼女の頭の中を占めるのはシスハの命令のみ。目の前の邪魔な小娘を排除して、早々にミレイアを連れて帰ること、それだけしか存在してないのだから。

















 封殺。今の状況を表現する際にこれほど相応しい言葉があるだろうか。

 サトゥンの振るう剣は全てグランドラに止められ、一撃すら当てられない。肩で呼吸をする程に乱れているサトゥンと、平穏を保ったままのグランドラ。

 あまりに対称的な状況に、サトゥンの旗色が悪いことは誰が見ても明らかだ。そう遠くない未来にサトゥンが地に倒れ落ちるのは時間の問題だろう。

 血を流し過ぎたのか、顔色も悪くなってきているサトゥンに対し、疲れを知らないグランドラは攻撃の手を休めない。

 立場は完全に反転し、守りに手いっぱいのサトゥンへシスハは愉悦を零しながらグランドラに命令を与える。


「このまま殺そうと思っていたけれど、気が変わったわ。『あの方』が甦るために使えるかもしれないから、命だけは残して頂戴。

そうね……手足を切り落としてしまえば余計な抵抗もできなくなるでしょう。首は残しておきなさいね」


 シスハの戯けた言葉にも、反論するほどの体力がサトゥンには残されていない。

 それほどまでにグランドラの攻めは激しく、何よりサトゥンは血を流し過ぎている。

 光り輝く黄金の剣、聖剣グレンシア。その真偽は今となってはどうでもいい、だがあれはサトゥンの鋼の体を容易に切り裂く力を持っている。

 ゆえに剣撃は完全に防がなければ拙い。暗黒に染まるグレンシアを打ち合うことでこう着状態に陥っているが、サトゥン優位に持っていくことができない。

 サトゥンの剣は攻めの剣、その攻めがまるで全て読まれているかのように受け流されてしまう。ゆえに彼ができるのは、ひたすら耐えて機会を待つことだけ。

 サトゥンらしくない戦法だが、それしか許さないグランドラを褒めるべきか。事実、彼をここまで封殺した者は過去にも先にもグランドラが初めてなのだから。

 意識が次第に朦朧とし始めるサトゥン。体の傷と理解不能な頭痛は激しさを増し、混濁する意識の中でよくぞ戦い抜いているものだ。

 なんとか勝機を掴まねば、そう考えていたサトゥンの意識だが、シスハから放たれる言葉が静かに響き渡った。


「そろそろクラリーネがミレイアを捕えた頃かしらね。あの娘は次の『神の器』として選ばれた大事な素体、しっかりと確保してもらわなければ、ね」

「……ミレイア、だと」

「そう、ミレイア・レミュエット・メーグアクラスは以前から私が目を付けていた人間。あの娘なら心を壊すだけで容易に体を使うことができそうだわ。そういえばあなたは彼女と知人だったみたいね……ふふ、安心なさい。あの娘の体は私が大事に大事に使い潰してあげるわ。ミレイアは私にとって使い捨てるための大切な『物』だから」


 シスハの言葉がサトゥンの頭痛を止めた。水面に水滴がたらされ、波紋を浮かべるように、彼女の吐き捨てた言葉が彼の思考をクリアにしていく。

 そして、遅れて訪れる感情の波。今、この女は何と言った。ミレイアを、大切な仲間を、いったい何と言った。

 サトゥンの変化に気付かぬまま、シスハは上機嫌のままに言葉を並べ立てる。


「ミレイアの心を壊すためにはどんな手段が一番早いかしら。『この娘』のときは実に簡単だったわ、目の前で家族全ての首をはねただけで簡単に壊れてしまったもの。同じようにミレイアの大切な人間を目の前で殺してあげればいいかしらね。共にエセトレアを訪れている家族や仲間全てを、どこまでも残酷に、ね」


 シスハの言葉がサトゥンの脳を、体をどこまでも沸騰させる。この目の前の人間はいったい何を話している。

 ミレイアを壊すと言った。ミレイアの大切な人々を殺すと言った。それはつまり、サトゥンにとって何よりも大切な愛する仲間を傷つけるということだ。

 その内容を認識したとき、サトゥンの臓腑全てが熱を灯した。怒りによる熱はどこまでも体を上気させ、グレンシアを握る力は剣をへし折りそうなほどに強く。

 大きな夢と欲望を胸に抱き飛び込んだこの世界で出会った大切な仲間たち。彼らにサトゥンは数え切れぬほどの物を与えてもらった。

 生きることの素晴らしさを知った。守ることの美しさを知った。強くなること感動を知った。誰かのために強くなれる、人間の輝きを教えて貰った。

 リアンが、メイアが、マリーヴェルが、ミレイアが、グレンフォードが、ロベルトが、ライティが。皆がサトゥンにとって何よりの誇りであり宝であった。

 彼らと共に在ることが、勇者として目立ち名を馳せもてはやされることよりも幸せな時間だと知ってしまった。自身の何よりの一番の望みは、世界に勇者として名を馳せるではなく、彼らと共に生きることだと分かってしまった。

 愛する仲間たちと共に、この広い世界で沢山の冒険を楽しみたいから。もっともっと沢山の時間を共有したいと願ってしまったから。

 だからこそ、サトゥンは目の前の女が許せない。彼の全てである仲間を、友を、愛する人々を傷つけようとするこの女を、決して――


「……許さんぞ……たとえ誰が相手であろうとも、決して許さんぞ……」

「っ、退きなさい!」

「『俺』の――私の仲間すべてを傷つけるなど、どんな理由があっても絶対に許さんっ!」


 サトゥンの変化に気付き、シスハが声を荒げてグランドラに指示を放ったが、一歩遅く。

 漆黒のグレンシアを両手で握り、暗黒の炎を剣に纏わせ、サトゥンは怒り狂う感情のままに薙ぎ払った。

 彼の一撃を黄金の剣で受け止めたグランドラだったが、勢いは殺すことは出来なかった。遥か遠くまで弾き飛ばされ、大地に強く叩きつけられてしまう。

 突然解放されたサトゥンの力に驚愕するシスハだが、更にサトゥンが行った行動に完全に笑みを失った。


「はああああああああああああっ!」


 再び漆黒の剣に炎を纏わせ、宙に向かって全身全霊を込めてサトゥンは剣を真一文字に切り裂いた。

 まるで世界を割るような彼の太刀は、何もない筈の空間に断裂を生みだしてしまった。異空間を裂き、人間界へと強引につないでみせたのだ。

 そんな馬鹿なと驚愕に染まるシスハはサトゥンを止められない。慌てて彼を抑制するために放った青白き異界の腕を、サトゥンは容赦なく切り捨て、人間界へとその身を投げたのだ。

 ゆっくりと閉じられる亀裂を呆然と眺め、シスハはようやくサトゥンの逃亡を許したことを実感し、屈辱に表情を染める。

 完全に追い詰めていたはずだった。だが、最後の一手を誤った。まさかあれほどの力を残していたとは。

 今すぐにでもサトゥンを追うべく、弾き飛ばされたグランドラへと歩み寄り命令を出そうとしたシスハだが、戦いを止めたグランドラの状況を把握して更なる驚愕へと表情を染める。


「聖剣を叩き折るなんて……いえ、聖剣だけじゃない、体のいたるところがボロボロに傷ついている。あの男、劣勢の中でここまで攻め立てていたというの」


 サトゥンの一撃を受けた聖剣は根元から折られ、グランドラの体は損傷だらけでとてもサトゥンを追えるような状況ではない。

 剣とグランドラ、その修復には少しばかり時間がかかることは明白。唇を噛み締めながら、シスハは認識を改めるのだった。


「異空間を切り裂く力といい……少し、甘く見過ぎていましたね。まあいいわ、時間はまだ余りある程に許されているのだから」

















 リアンたちと合流しようとしたミレイアだが、彼女の足はついに止まることとなる。

 城内は広く、敵の数は多く。袋小路に追い詰められ、彼女を囲む兵士や貴族の群れに、ミレイアは息を飲む。

 なんとか隙を見つけて抜けだそうにも、あまりに数が多過ぎる。あわあわと慌てる彼女に、腕の中でリーヴェが淡々と状況を見て話しかける。


「残念じゃがここまでかのう。これではどうにも逃げようがない」

「そ、そんな簡単に諦めないでくださいまし! なんとかなりませんの!?」

「連中を殺してもよいなら妾なら何とでも出来ようが、こいつらは操られているだけじゃからの。どうする?」

「だ、駄目です! 人殺しだけは絶対に駄目です!」

「じゃろうのう。お主なら間違いなくそういうと思っておったわ。今も昔も変わらず、な」


 しみじみと語るリーヴェだが、ミレイアはそんな悠長に落ち着いていられる筈もない。

 兵士たちは腰の剣を抜き、どう考えてもミレイアを殺すつもりとしか思えない。捕まればその数秒後に己の命の灯火は消えてしまうだろう。

 どうする、どうすればいい。必死に考え、恐怖で目に涙を湛えながらも、ミレイアの目には決して諦めの色はみせない。

 それを見上げながら、リーヴェは感心したように言葉を紡ぐ。


「諦めないんじゃな。この状況でなお心を強く持とうとする、並みの人間にはできないことじゃが」

「以前の私なら、きっと諦めていたと思いますわ。でも、それじゃ駄目なんだって、皆さんに教えられましたから」

「ほう?」


 強い意志を瞳に込めて、ミレイアは記憶を振り返る。そうだ、どんな絶望の状況でも仲間たちは諦めなかった。

 魔人レグエスクを前にしても、マリーヴェルは決して心折れなかった。リアンも竜族グレイドスに最後まで立ちあがり続けた。

 ロベルトもライティを救うために意地を貫き通したと聞いている。邪竜王を相手にしても、グレンフォードとメイアは恐怖を見せず戦い抜いた。

 そんな仲間たちの姿を見てきた。決して諦めない姿を、絶対に折れない心を誰より傍で眺め続けてきた。そしてその度に羨望した。自分にない強さを持つ仲間たちを心から羨ましいと思っていた。

 そっと瞳を閉じ、ミレイアは心を強く持つ。思い描くは自分たちを先導してくれる勇者様。彼はいつもミレイアに強さを、心強さを教えてくれた。

 どんな状況でもみんなを元気づけてくれ、その大きな背中で皆の心を守り抜いてくれたあの人のように、強く。

 どんな逆境でも豪快に笑い、絶対に大丈夫だと安堵を与えてくれたあの人のように、自分も。

 いつだってあの力強い背中に守られてきた。どんなときでも彼は何より仲間を優先してきた。自分の功績よりも、力を誇示するよりも、仲間のことを思い、成長を見守ってくれていた。そして誰よりもそれを喜んでくれていた。

 彼の想いに仲間たちが応えているように、自分も応えたい。どんな恐怖も押し返し、心だけは強くありたい。それがきっと、誰より臆病な自分が彼に示すことができる成長の証だから。

 兵士たちの足音が近づいてくる。けれど、ミレイアは負けない。諦めない。決して揺るがない。あの人のように強き心を胸に、ゆっくりと瞳を開いてく。

 そして、涙でぼやける視界に映し出される光景に思うのだ。そう、諦めなければ必ずなんとかなる。心を強く、折れず、信じていれば、あの人は必ず応えてくれる。

 だって、あの人はそういう人だから。いつだって、どんなときだって、期待には必ず応えてくれる人なのだから。


「クハハッ、駆けつけるのが少々遅れてしまったようだ――怖かっただろう。よく頑張ったな、ミレイア」


 彼女を守るように、力強い背中越しに優しい言葉をかけてくれるサトゥンに、ミレイアは涙を拭って何度も頷いて応えるだけ。

 そう、この人はいつだって駆けつけてくれるから。どんな暗闇にも光を照らしてくれる人、それが勇者様サトゥンなのだから――








それが、勇者。次も頑張ります。

ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。

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