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魔人勇者(自称)サトゥン  作者: にゃお
七章 精弓
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76話 愚か






 エセトレアで行われる七国会議。一週間に渡り行われる会議も、今日を含めてあと二日で終わりを迎えることになる。

 今日も代表同士で国家間の重要な取り決めや提案等が目まぐるしく行われ、会議の机上では活発な意見交換が繰り返されていた。

 その代表の背後で佇む六人の担い手たち。そして唯一椅子を用意してもらい、リュンヒルドの背後でぐーすかと眠りこけているサトゥン。

 どうやら彼は政治に関して微塵も興味はないらしく、こうして毎度会議が始まれば、ものの数分で気持ちよく夢の世界に旅立っていた。

 サトゥンのあまりに奔放な姿に、彼と交友のあるベルゼレッドやティアーヌ、ギガムドなどは笑って好意的に受け止めているから救われるものの、リュンヒルドにとっては毎度のことだが冷や汗が流れて仕方がなかった。

 現にメルゼデード連合国家代表のドレルから凍てつくような視線がサトゥンとリュンヒルドへと向けられているのだから堪らない。視線を受け流しつつ、リュンヒルドは思うのだ。もし次回があるのなら、妹の忠告を素直に受け入れ、メイアを担い手として連れて行こう、と。

 心地よく眠り続けるサトゥンを置いて今日の会議も予定していた内容を滞りなく終えた。

 一区切りがついたところで、進行役を務めているエセトレア宰相のフリックが一同に確認を取るように訊ねかけた。


「それでは本日の予定していました議題はこれにて全て終了となりますが、よろしいでしょうか」


 フリックの問いかけに各国の代表は頷いて応えた。

 彼らの反応を見て、フリックは再び口を開く。彼から閉会を告げられて、今日の七国会議も終わりを迎える、そのはずだった。


「では、私から一つよろしいでしょうか。エセトレアから他国の代表皆様へのお願いがございます」


 彼の言葉に、その場全員の視線は自然と彼へと向けられることとなる。無論、未だ豪快に眠りこけているサトゥン以外の、だ。

 各国代表、担い手の視線を集めながら、フリックは抑揚のない声で淡々と言葉を続けた。


「そのお願いの内容なのですが……ローナン王国、ベルゼレッド王」


 フリックから名前を告げられたベルゼレッドは腕を組んだまま視線を向け続けるが、フリックはそのまま次々に名前をあげ続けた。

 クシャリエ女王国、ティアーヌ。ランドレン帝国、ギガムド。メルゼデード連合国家、ドレル。そしてメーグアクラス王国のリュンヒルド。

 エセトレアと神聖国レーヴェレーラを除く五国の代表の名を上げ連ねたフリックは、最後に口元を緩め、彼らに口を開くのだった。


「五国の代表を務められている皆様へのお願いなのですが――あなたがたのその命を、我らが大望のために差し出して頂きたい」


 フリックの放った言葉に、会議室の空気が張り詰めたものへと一変する。

 当然だ。フリックが口にした言葉は、このような席で冗談でも許されるものではない。彼は各国の代表に『死んでくれ』と言ったのだから。

 怒りを露わにしているのはランドレン帝国。王も担い手も表情が怒りで染まっていた。

 逆に冷静なのは、クシャリエ女王国とローナン王国、そしてメーグアクラス王国だ。代表と担い手は怒りを出すではなく、口を閉ざしてフリックを観察していた。サトゥンは未だ夢の中である。

 そして狼狽するのはメルゼデード連合国家だ。いったい何を言っているのかと、その困惑ぶりは見てとれるほどに様相に出してしまっていた。

 そんな各国の代表たちに、フリックは動じることもなく話を続けた。


「皆様が困惑なされるのも無理はありません。ですが、何卒我らの望みを受け入れて頂きたい」

「ねえ、エセトレア。私は見下されるのと馬鹿にされるのが何より嫌いなの。だからこそ、一国の女王まで上り詰めたのよ。そのうえで確認したいんだけど……あなたの発言、今ならあなた一人の首だけで冗談で済ませられるわよ?」

「冗談などではございません。我々は心よりあなた方の、各国の代表、そして英雄の死を望んでいるのですから」

「狂人が。貴様ごときに我ら誇り高き戦士の命を奪えると思っているのか。仮に我らの命をここで奪ったところで何になる。我らが国境に兵を配置しているのを知らぬ訳ではあるまい。今すぐにでも待機している兵にエセトレアを攻めるよう指示を飛ばすこともできるのだぞ」

「それはうちも同じね。レーヴェレーラとランドレンの二国の力だけでもこの国は簡単に滅ぶわよ?」


 ティアーヌとギガムドの警告にも、フリックは一切動じない。

 まるでそれを楽しんでいるかのように口元を緩めて、まるで挑発するように返答する。


「構いませんよ。今すぐに全兵力をこのエセトレアに差し向けられるとよろしい。現れた二国の大軍に、国の代表と担い手の首を晒せばさぞや戦の炎は激しく燃え上がることでしょう」

「戦争を覚悟の上か。滅ぶぞ、エセトレア一国の兵力ではな」


 これまで黙していたベルゼレッドの忠告にもフリックは冷静に笑うだけ。

 五つの大国との戦争という最悪な末路が確実となっても悠然と慌てない在り方に、各国の代表は疑問を持つ。

 たとえ他のどの国といえど、五国を相手に一気に攻められてはものの数日と持たずに滅ぶことは必至。ましてや相手は軍事大国のランドレンやクシャリエなのだ。

 それらの国を敵にしてもこれほどまでに余裕を持っていられるのは、それだけの策が用意されているのか。本気で勝てるとでも思っているのか。心に警戒が生まれる中で、リュンヒルドは視線をフリックではなくエセトレア王であるグランドラ。これだけの状況をフリックが起こしても、全身を重鎧で固めた王は微動だにせず、一言も言葉を発しない。それはまるで置物であるかのように。その在り方に流石に異常を感じたリュンヒルドは、彼へと確認するように問いかけた。


「この状況でも沈黙を貫かれ、宰相殿に全てを任せるのですか、グランドラ王。我々としては宰相ではなく、あなたの口から真意を聞きたいのですが」

「私の考えは全て王の意見だと考えて頂きたい、リュンヒルド王子」

「あなたには訊いていない。回答を頂けますか、グランドラ王。沈黙は全て宰相の言葉への肯定とみなしますよ」


 問いただしたリュンヒルドの言葉にも、グランドラは言葉どころか反応すら返さない。それはすなわち肯定ということだ。

 軽く息を吐き出し、困ったことになったとリュンヒルドは状況を脳内で冷静に分析していく。どのような手を使うつもりかは分からないが、エセトレアに国の代表の命がとれるとはリュンヒルドは考えていなかった。たとえどんな手を用意しても、ここには各国最強の担い手たちが、何よりもサトゥンが存在しているのだ。

 魔人レグエスクを、海獣デンクタルロスを、そして邪竜王セイグラードをも打倒したサトゥンを止められる相手など存在しない。彼に加え、グレンフォードをはじめ最強の担い手が揃っている。部屋に戻ればリアンたちすら控えている。この状況で敗北を考える方が難しい。

 たとえ城中の兵士を相手取っても、彼らならば適当にあしらって国外まで退避する事が十分に可能だとリュンヒルドは考えていた。

 彼の頭にあるのは、その後の問題だ。恐らく、否、間違いなくランドレンとクシャリエは今回の件を名目にエセトレアへ軍を進めるだろう。それだけのことをエセトレアはしてしまった。

 メーグアクラスはこの際、どのような立場をとるべきか。極力国家間の争いは避けたいリュンヒルドだが、禁を破ったエセトレアは放置できない。父王やローナン王と相談しつつ、かじ取りを考えるべきかと考えていた刹那だった。

 顔を青くしたメルゼデード連合国家代表のドレルが椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、フリックに向けて声を荒げたのだ。


「どういうことですか、フリック殿! 話が、話が違うではありませんか! このような宣戦布告や戦争など私は聞いていませんぞ!

戦争を起こすのは一国ずつ時間をかけて侵攻するのではなかったのですか! 何よりなぜ、私たちメルゼデード連合国家まで戦争の対象となっておられるのか!?」

「同志ドレル殿、貴殿のこれまでの協力には感謝します。ですが、状況は変わりました。私たちエセトレアは志を共にするより良い協力者に巡り会えた。メルゼデード連合国家は我らの大望にとって不要となったのです。長らくの協力、感謝いたします」

「ふっ、ふざけるな! 国を閉ざして十数年、エセトレアが国として続くことができたのは我らの助力のおかげだろうが! 数多の資材や食料を我らがエセトレアに送り続け、会議においても常に協力し続けたからこそお前たちはっ!」

「ええ、ドレル殿の援助には感謝しております。ですので、これは私からの心ばかりのお礼です――誰よりも早く、安らかな死を与えてやろう」


 フリックから詠唱もなく解き放たれるは雷光。予備動作も発動時間も必要としない稲光がドレルへ向けて襲いかかった。

 あまりに刹那の攻撃にその場の誰もが身動きをとれなかった。意識をフリックからドレルへと移せば、そこには雷光に貫かれたドレルが映し出されるだろうと誰もが疑わないほどに、彼の魔法は速く鋭く。

 ドレルの命を確実に奪うはずだった雷の牙。だがそれは、ドレルの心臓を貫くことはなかった。ドレルへと突き立てられるはずの魔法は、横から放たれた強烈な暴風に巻き上げられ壁へ叩きつけられ霧散したのだ。

 いったい何が。その場の誰もが烈風の発生源へと視線を向け、驚愕する。否、唯一グレンフォードだけは驚くことはない。


「ふむ。政治のことは微塵も分からぬ故、口を挟むつもりはなかったが――クハハッ、この状況は少々度が過ぎるな」


 そう、この状況で彼が動かないはずがないのだ。

 寝息は既に聞こえない。人間の命が何者かに脅かされるという状況を彼が目の当たりにして動かないはずがなかった。

 勇者として人をこよなく愛し、誰よりも人助けを望むその男は背を預けていた椅子から悠然と立ち上がり、首を軽く鳴らして不敵に笑うのだ。

 どこまでも自信と力強さに満ち溢れた笑みを零し、その男――勇者サトゥンはフリックに指を突き付け声高に叫ぶのだった。


「眠っていたので状況は全く分からんが、一つだけ分かることがある! ふはは! フリック・シルベーラ、悪だな貴様は!」


 胸を張って断言するサトゥン。どうやら彼はドレルが襲われる瞬間まで本気で眠りこけていたらしく、状況を微塵も把握していないらしい。

 ただ、フリックがドレルを殺めようとしたことだけは理解できたので、彼の中で人間の命を奪おうとする人間は悪という方程式が成り立っていた。

 本気でドレルを殺そうとしたフリックだが、自慢の魔法を軽々と止められたことに驚きを隠せない。だが、その表情を見てサトゥンは自分の推理が当てられたことに驚いているのだと大いに勘違いを引き起こし、さらに自信満々にフリックへ言葉を並べ立てていく。


「ふふん、図星過ぎて声も出ないようだな! がはは! 知っているぞ、悪を起こした人間はその国の人間の偉い奴に裁かれるべきだとリアンやマリーヴェルから習ったのだ! という訳でフリック・シルベーラ! 大人しく己の罪を反省し、偉い奴に裁かれるがいい! ちなみにこいつより偉い奴は誰だ! さっさとそいつに引き渡して解決である!」


 陽気に解決法を話すサトゥンだが、その場の代表や担い手たちは困り果てるばかりだ。

 なぜならフリックはこの国の宰相であり、第二位の地位を持ち、一位は無言を貫く鎧王だ。サトゥンの言う解決方は地位が低い人間の罪に対する解決法であり、この場合にはどう考えても適用されないのだから。

 そんなどこまでもマイペースな彼に対し、フリックではない別の人間が動く。これまで沈黙を貫き、笑みを浮かべていた巫女シスハだ。

 彼女は席から立ち上がり、サトゥンへ向けゆっくりと口を開いた。


「やはり邪魔ですね、あなたは。あの女も余計なものをこちらに送ってくれたものです。大人しく墓場で眠っていればいいものを」

「ぬ、お前は夕食会でミレイアに狼藉を働いていた小娘か。用があるならば後にするがいい! 私は今、勇者の仕事で忙しいのでな!」


 適当にあしらおうとするサトゥンに、シスハは軽く息をつき、視線をフリックへ向けて合図を出した。

 彼女からの指示を受け、フリックは再び無詠唱の魔法を行使し、自身の魔力を高めた。攻撃魔法がくると、各国の代表や担い手が守りを固めたとき――世界が紅へと染められた。

 透き通る透明な世界に深紅の血液を垂らしたように、世界の無色に広がる紅。急な世界の変容に一瞬我を忘れた一同。だが、この場で四人だけが行動を起こしていた。

 そのなかの二人はサトゥンとグレンフォードだ。フリックの解き放った魔法の正体を理解するよりも早く、彼を抑えることで魔法を強制的に解除しようとした。武器を使わず、力で強引に抑えつけようとしたのだ。これならば傷をつけることもないと。

 だが、彼らと同時に動いた二人は彼らの行動を止める者だった。一人はエセトレア王であるグランドラだ。彼は椅子から立ち上がり、フリックとグレンフォードとの間に割って入るように体を動かしたのだ。巨漢の重鎧が間に入られては、グレンフォードでも簡単にフリックには手をだせない。

 ならばサトゥンはというと、彼を止めたのは他の誰でもない巫女シスハだった。

 彼女はサトゥンが動き出すや否や、瞬時に術式を展開する。それはサトゥンすらも驚愕させるものだ。

 何もない筈の空間に断裂を入れ、その割れ目から解き放たれた無数の青白き腕がサトゥンを掴み拘束したのだ。サトゥンが驚くのも無理は無い。なぜならそれは、サトゥンがよく使っている異空間と全く同質のものだったのだから。

 第三の世界を生みだす力、それはこの世界でも魔人界でもサトゥンだけが使えた力だった。それを巫女シスハは使ってみせたのだから、驚かないわけがない。

 サトゥンは聖剣グレンシアを生み出し、その刃で拘束を断ち切ろうとするが、あまりに強く抑えられ、満足に剣を振るうことすらできない。驚愕に染まるサトゥンを満足気に眺めながら、シスハはフリックに言葉をかける。


「この男は私たちが処理しておきます。後のことは全て任せても構いませんね?」

「無論です。女神リリーシャに誓いまして、必ず」


 フリックの返答に満足し、シスハはサトゥンへと向き直り、楽しげに話しを続けた。


「残念ですが、あなたの出番はこの世界に何一つ用意されていません。さあ、始めましょうか――忌まわしき過去の亡霊の後始末を」

「ぐ、ぬううううう!」

「サトゥン!」


 恐ろしいほどの力で異空間へと引きずり込まれていくサトゥンに、グレンフォードは斧を振り上げて彼へと疾走する。

 だが、グレンフォードの斧はサトゥンを拘束する腕へと届かない。彼の斧をレーヴェレーラの担い手であるクラリーネが蛇剣で受け止めたからだ。先日サトゥンに破壊されたはずのそれは完全に修復されている。

 クラリーネの剣を強引に押し込みながら、グレンフォードは怒気を込めて咆哮する。


「レーヴェレーラの担い手かっ、どけっ!」

「シスハ様の邪魔をする者全てに神罰を。悪いが止めさせて貰う」


 グレンフォードの進撃を僅かばかり妨害できたこと、それがクラリーネの完璧な仕事だった。その時間がシスハの狙いを遂行させるのだから。

 サトゥンはシスハの生み出した異空間へと完全に飲み込まれ、シスハとクラリーネもまた彼を追いかけるようにその中へと身を投じた。

 追いかけようとしたグレンフォードだが、クラリーネを呑みこんだのち、その亀裂は中空で霧散してしまったのだ。

 そして、そんな彼らの姿をあざ笑うかのように、フリックは余裕の笑みを零す。先ほどまでいたグランドラの姿はなく、恐らくはシスハが彼も異空間へと連れて行ったのだろう。残されたフリックは最後に一言彼らに言葉を告げるのだ。


「それでは私は失礼させて頂こう。諸君がこの国全ての人間に蹂躙される姿をゆっくりと楽しませてもらう――貴重な実験の場なのだ、せいぜい足掻いてもらいたいものだ」


 その言葉を残し、フリックの姿は幻であったかのように消えた。

 彼の残した言葉の意味、その意図するところを残された者たちは即座に理解することになる。

 フリックが消えた瞬間、会議室になだれ込むように侵入してきた兵士や貴族たち――紅に光る彼らの瞳、操り人形のように不自然に動き、生きた人間の命を狙うことだけを目的とした、己の意志すら感じさせない異様な在り方に。



















 シスハの生み出した異空間に引きづり込まれ、腕の拘束から解放されたサトゥンは剣を握り直して言葉を紡ぐ。


「拘束を解き放ってもいいのか? あれだけの力で抑え込まれては、流石の私も骨が折れそうだったのだが」

「今のあなた相手にそこまでする必要があるとも思えませんから。彼だけであなたの相手は十分でしょう」

「ほう……勇者であるこの私が随分と舐められたものだな」


 口元を歪めながら視線を鋭くするサトゥン。彼の視線の先には、鎧王グランドラがシスハとクラリーネを守るように立ちはだかっていた。

 明らかに挑発じみたシスハの言葉だが、サトゥンがそれに乗って襲いかかるということはない。陽気で自由気ままな姿の裏にある、もう一人の自分がそれを許さない。

 心を冷静に落ち着かせながら、サトゥンはシスハに対して問いかけを重ねていく。


「私一人を異空間に分離するとは、随分と執着されたようだな。ミレイアと接触する邪魔をしたことを根に持っているという訳でもなさそうではないか」

「執着? 不思議なことを言いますね。私はあなたに何の興味もありませんよ」

「ここまでしておきながらよく言うではないか。ふはは、女子供にちやほやされるのは勇者の宿命とはいえ、これほど熱心なものは初めてだ」

「その容貌、その声で戯けた言葉を吐き出す。本当におぞましい。私の願いは唯一つ、あなたの完全な消滅です」

「はて、これほどまでに恨みを買われるような真似を人間界で行った記憶はないのだがな……まあいい、理由はあとでじっくりと聞かせてもらうことにしようではないか」


 そう告げて、サトゥンは聖剣グレンシアを握りしめて悠然と構える。天衣無縫、どこからでもかかってこいという彼らしい自信の表れだ。

 人間を傷つける気はさらさらないサトゥンは適当にグランドラの体力を消耗させ、動けなくさせてからシスハに事情を聞くつもりだった。

 だが、そんな彼の狙いを読み透かしたかのようにシスハは微笑みを崩すことなく口にする。


「先に言っておきますが、その者を傷つけることなく倒そうなどという幻想は早々に捨てたほうが賢明ですよ」

「ふはは、何を馬鹿なことを。勇者は人間を守るために存在するのだ! 私の剣は勇者の剣、人間を守る剣である! この私、勇者サトゥンが人間を傷つけるなど天地が逆さになっても決してありえぬわ!」

「あなたが勇者、ですか――ふふっ、ふふふっ、あははははははははははっ!」


 まるで狂ったように笑うシスハにサトゥンも面喰ってしまう。そこにあるのはこれまでに静けさを保ち続けた巫女ではなく、愉悦に浸る一人の女の姿であり。

 異空間に響くシスハの笑い声。それはどこまでもサトゥンを嘲るようで。ひとしきり笑い終えたシスハは、片手で額を押さえながら、表情を狂気に歪めていく。


「愚か、実に愚かだわ! かつてその勇者にあなたはどんな目にあわされたのかも知らずそんな台詞を吐くのね! 人間を信じ! 裏切られ! 長き時を経て、力を失い、姿は変わり果てどなお、あなたは未だ変わることなく人間を愛し、救おうとする! それどころか己をあの愚かな勇者だと自称している! これが笑わずにいったい何を笑えというの!?」

「なんだと――」

「いいわ! あなたの抱く夢幻想その全てを私が完膚なきまでに壊してあげる! あなたの全てを否定してあげる!」


 たがが外れたように笑いながら、シスハは手を翳し、グランドラの腕に眩いほどの黄金の輝きを集めていく。

 そして、グランドラの腕に握られた黄金の大剣に、サトゥンは言葉を失う。彼はそれを知っていた。遺跡にあった錆びついて見る影もなかったそれは、『彼の知る』かつての輝きを取り戻した選ばれし勇者の剣となってここに再誕した。

 人々の希望の象徴だった。世界を救い、人々の胸に夢を宿す役目を負っていた。その剣が今、サトゥンに対して突き付けられている。

 その現実を目の当たりにしたとき、サトゥンの脳裏に激しい頭痛と共に掠れた景色が蘇る。この光景を、彼は知っている。なぜならこれは、かつて自分が経験したものと全く同じなのだから。

 記憶ではなく、魂に刻みつけられたその光景。サトゥンが知っているはずがない、彼の人生には存在するはずもないその戦い。

 そう、サトゥンはこれが初めてではなかった。この剣を、『本物の聖剣グレンシア』を向けられることが。そして――


「馬鹿、な……この剣を、使えるのは一人だけのはずではないか……この剣を使えるのは、他の誰でもない『俺』が選んだ――」

「そう、あなたは再び同じ相手に殺されて消え去るのよ。この世で誰よりも愚かな人間――かつてのあなたの最愛の友、『勇者リエンティ』の手にかけられて、ね」


 ――『勇者リエンティ』と命を賭して対峙する事が、初めてではなかったのだ。

 重鎧を着込んだ男はエセトレア王グランドラであるはずだった。だが、その剣を使いこなせる者が『勇者リエンティ』でないはずがない。

 自分の記憶に映し出されるこの光景はなんなのか。なぜ自分はそのようなことを知っているのか。この女は自分の何を知っているというのか。この女、巫女シスハはいったい。

 現状を何一つ理解できぬまま、サトゥンは剣を握り戦場へ身を投じることになる。心と体が何一つ言うことをきかないほどに焦燥した状態で。








重たい愛は、好きですか。次も頑張ります。

ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。

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