63話 紅
リュンヒルドが村に訪れ、七国会議の話をして一週間。
一度トントの街に戻り、エセトレアへ向かう準備を整えたリュンヒルドが再びキロンの村にてサトゥン達と合流する。
国有数の名馬に乗って村まで訪れたリュンヒルドだったが、妹に告げられた移動手段を目の当たりにして頬を引き攣らせてしまう。
「……これに乗って、行くのか」
「これに乗って行くのよ」
「ぽひー」
でっぷりとしたお腹がチャームポイントの巨大な雛鳥、もとい翼鳥ポフィールを見てリュンヒルドは驚きを必死に押し殺す。
旅の準備を終えた妹やサトゥンの仲間達が何の躊躇もなく乗っていく姿に倣い、リュンヒルドも荷物を抱えて桃色の鳥の背中に乗る。
全員がポフィールに乗ったことを確認して、巨大鳥は大空へと跳躍する。
「リュンヒルドよ、そのエセトレアという国はどの方角へ向かえばよいのだ?」
「ここより遥か南西、ローナン王国の南方に広がる森林帯を越えた先に国境として赤土の壁が広がっている。
まずはまっすぐ南西に向かって貰えればいい。細かい方向の指示は適宜サトゥン殿にお伝えしよう」
「了解した! それではポフィールよ、その雄々しき翼で駆け抜けるが良い!」
「待ってくれ、サトゥン。エセトレアの前に先に向かって欲しい場所がある」
「ぬ」
ポフィールに対し、方向の指示をしようとしたサトゥンだが、彼の行動に待ったの声がかけられる。
声の主はグレンフォード。身体を彼へと向き直らせるサトゥンに、グレンフォードは場所と事情を説明する。
「ここから南に向かった先にあるミラルラ湖。その場所に滞在しているローナン王を拾ってほしい」
「ローナン王……確か今のローナン王は代替わりしていましたね。
ロルデルダ・ジュゼイア・ローナン王は病に倒れ、第一王子が次王になられたとか」
「ああ、メイアの言う通りだ。王の名はベルゼレッド・ジュゼイア・ローナン。どんな奴かは……会えば分かる」
「三十の若さで王となり、ここ数年において良き治世を行っているとメーグアラクスでも評判だ。父にもベルゼレッド王から多くを学べと言いつけられている」
「……止めておいた方が良いと俺は思うが。メーグアラクスまで奴色に染まってはたまらんだろう」
呆れるように呟くグレンフォードを仲間達は物珍しくマジマジと見つめてしまう。
普段は真面目が服を着て歩いているような彼が特定の誰かに対して軽口を叩くのは非常に珍しいことだった。
そして、ふとメイアはグレンフォードとベルゼレッドの関係を思い出す。ベルゼレッド第一王子と英雄グレンフォードは唯一無二の親友であり、騎士学校で腕を磨き合った間柄だと。
王位継承権など興味を示さず、英雄グレンフォードをローナン国が失ってしまった『ヴェルドルの悲劇』さえなければ、グレンフォードの右腕として今も剣を振るっていたであろう。英雄グレンフォードを取り戻す為に王の座につき、親友の為に尽力した話は記憶に新しい。
恐らくローナン王とグレンフォードには他人には伝えられぬほどの深い絆で結ばれているのだろう。故に彼も容赦のない表現をするのだろう。
そんなメイアの考えを置いて、ポフィールはグレンフォードの指定したミラルラ湖に辿り着く。
空の上から見下ろしたミラルラ湖は青く澄み渡り、湖の南方部に十数個もの野営テントが張られている。それは間違いなくローナン軍のものだ。
野営地の近くにポフィールに降りるように指示を出し、サトゥン達はローナンの大地へ数カ月ぶりに足を踏み入れる。
ポフィールから降り立ったサトゥン達を警戒するように囲む兵士達だが、グレンフォードの姿を見つけては歓声と共に膝をついて出迎える。兵士達にとって、ローナンの民にとってグレンフォードは生ける伝説、国の誇りなのだ。歓声と敬意に迎えられるグレンフォードの姿がサトゥンは心から羨ましく思い、私もあんな風に迎えられたいと隣にいたミレイアに訴えたが『我慢して下さいね』の一言で却下された。
グレンフォード達の姿を確認したのは兵士だけではない。グレンフォードとの合流を求めた人物が、跪く兵士達を割るようにして楽しげに足を進ませてサトゥン達の前に現れる。
褐色の肌、グレンフォードに負けぬほどに鍛えられた体躯。高貴さを漂わせる王族用の外套と身に付けた重鎧のアンバランスさ、だがそれすらも王者としての風格を感じさせる要因とすら思える。
ローナン王にして若獅子グレンフォードと共に数多の戦場を駆け抜けた元ローナン騎士団副団長、『紅のベルゼレッド』。彼は豪快に笑いながら言葉を紡ぐのだ。
「いやいや、実に腹の底から笑わせて貰った! 連絡役にここで待っていろとお前から伝えられたときは、いったいどうやってエセトレアに向かうのかと思えば、まさかこんな巨大鳥に乗ってくるとは!」
「笑うのはいいが先に挨拶をしろ、仮にも王になったんだろう。メーグアラクス王の代理であるリュンヒルド殿も一緒だ、まずは王としての務めを果たせ」
「おおっと、そうだった」
こほんと軽く咳払いをして、ベルゼレッドはサトゥン達に改まって挨拶をする。
それは雄々しく豪快、快活にして明朗。ベルゼレッドという人間をそのまま表したように清々しい自己紹介だった。
「お初にお目にかかる、メーグアクラス王子に勇者サトゥン、そしてグレンフォードと並び立つ英雄達よ。
私の名はベルゼレッド・ジュゼイア・ローナン。ローナン王という肩書はあるが……まあ、そんなものはこの旅には不要だ! 気軽にベルゼレッドと呼んでくれ!」
「……この度の謁見、まことに感謝申し上げます、ローナン王。私はメーグアクラス王の代理として参りました、リュンヒルドと……」
「頭をあげてくれ、リュンヒルド王子よ。先ほども言ったが、この旅の中では王ではなく一人のベルゼレッドとして気楽に接してほしい」
「王として扱われては休暇気分でいられなくなる、そんなところだろう、お前は」
「その通りだ! 無論、七国会議で王としての務めは果たすが、この旅は俺の休暇の意味も含めている! たまには羽を伸ばしてもいいだろう? 最近は机に齧りついてばかりで気が滅入って仕方が無いわ」
「こんな呆れるような王だが、可能ならばこいつの望むように接してくれるとありがたい」
どうかよろしく頼むと代わりに頭を下げるグレンフォード。そんな彼の背中をばしばしと楽しげに叩いて笑うベルゼレッド。
あまり王らしからぬ姿に唖然とする一同だったが、よくよく考えればお姫様らしくないお姫様も仲間にいるのだから不思議ではないのかもとロベルトあたりは納得していた。
ただ、そのお姫様一号が彼の失礼にも程がある視線に気づいてしまったため、ギロリと睨まれてしまったが。お姫様二号はそんな妹をまあまあと落ち着かせていた。
王としてよりグレンフォードの友として接してきたベルゼレッド。そんな彼の挨拶を耳にして上機嫌な勇者様が一人。
サトゥンは満面の笑みを浮かべてベルゼレッドの前まで歩み彼に言葉を返す。
「うむ、うむうむうむ! 丁寧な挨拶、しかと受け取ったぞ、ベルゼレッドよ! 私はサトゥン、お前の言う通り『勇者』サトゥンである!」
「おお、その立ち振る舞い、在り方、まさしくグレンフォードに聞いていた通り! 鍛え抜かれた身体に幾多の修羅場を潜り抜けた風格、まさしく勇者の名に相応しい!
遅くなったが、氷蛇レキディシスの件、そして英雄グレンフォードを再び蘇らせてくれたことを心から礼を言いたい! この国は君に救われたと言っても過言ではないのだからな!」
「うははは! それほどでもないこともないが! もっと褒めてくれても構わんのだぞ!」
「聞けばグレンフォードすらも赤子のようにねじ伏せたと言うではないか! 私はかつて副団長として騎士団に在籍し、こいつの強さを嫌というほど目の当たりにしてきたのだが、まさかこの男に勝てる人間が存在するとは夢にも思わなかった!
氷蛇を退治したことも含め、この旅路のなかで勇者サトゥンの活躍ぶりを是非とも聞かせてほしい!」
「そうか! そんなにも私の武勇伝が聞きたいと申したか! ふははは! よし、今すぐ話を始めてやろう! ポフィールの上に乗るが良い、ベルゼレッドよ! この旅路の中で時間の許す限り語らおうではないか! がははは!」
意気投合した少年のように笑みを零し合い、サトゥンとベルゼレッドは意気揚々とポフィールの背へ乗り込んでいく。
どうやら性格的にも波長が合ったらしく、まるで数年来の友人のように高笑いをしあう二人にマリーヴェルはぽつりと失言を容赦なく漏らす。
「一人でも厄介なのに、同じ種類の馬鹿が二人も……はあ」
「マリーヴェル、王様だから、あの人王様だから……」
「いや、馬鹿には違いない」
「旦那が肯定しちゃ駄目だろ!」
マリーヴェルの呟きを困惑しつつも窘めようとしたリアン。そんな彼に容赦のないグレンフォードの肯定とロベルトの突っ込み。
仲間達はいつも通りの平常運転。そんな彼らに笑みを零しつつも、メイアは気になったことをグレンフォードに訊ねかける。
「ベルゼレッド様の武勇は騎士見習いだった頃に幾度と耳にしていますが、現在でも腕を磨かれているのですね」
「分かるか」
「勿論です。身体の鍛え方、足運び全てが戦場に生きる者のそれでしたから。ですが、楽しみですね。
まさか大陸最強の『若獅子』と『紅』の揃い踏みをこの目で見ることが叶うとは思いませんでした」
「『紅』か……懐かしい呼び名だ」
軽く瞳を閉じ、グレンフォードは過去の戦場を夢想する。
騎士団長を務め、国内で暴れる魔物や罪人を止めるために得物を振るった日々の中で、彼と共に戦場を駆け抜けたベルゼレッド。
副団長という立場でありながら、グレンフォードよりも血気盛んで誰よりも敵を屠ってきた。互いの背を守りながら、どんな困難をも乗り越えてきた。
グレンフォードという英雄と唯一戦場を駆けることを許されるほどの実力者。その正確無比の腕前は今もなおグレンフォードの心に焼き付いている。
向かい来る敵を容赦なく屠り、大地に数多の屍を築き上げ、大地を流血に染める姿から着いた名が『紅』。騎士団の仲間達と王族らしくないと笑い合ったものだ。
長き時が過ぎ、王となった今もなお身体を鍛え続けている親友の姿にグレンフォードは彼らしいと笑い、そっと言葉を紡ぐのだ。
「この旅で戦場に身を投じることは考えにくいが……できれば再び見てみたいものだな。『紅のベルゼレッド』――大陸指折りと謳われた腕前を」
ポフィールの背に乗って遥か南西へ。その道中はかつてない程に賑やかな旅となる。
ベルゼレッドが旅の荷物として搬入した荷物、その中にあった多数の酒や食べ物を惜しみなく仲間達へ渡し飲めや食えやの大騒ぎ。
サトゥンとベルゼレッドが高らかに笑い声を大空へ響かせながら酒を飲み、他の仲間にも遠慮するなと飲ませる。旅路ではなく最早宴会会場と化してしまっている。
酒を片手にサトゥンが武勇を語り、それを心から楽しげにベルゼレッドが賞賛する。有言実行、彼は心から休暇を楽しんでいた。
「そこで邪竜王の奴が私にブレスを吐いたが笑止千万! 聖剣グレンシアを手に天を裂き地を割り奴の野望を食い止める!」
「ははははは! 巨大竜を相手に大立ち回りとは羨ましい、実に羨ましい! グレンフォード、何故俺を誘わない!
そんな面白い戦場があるならば、玉座などほっぽりだして駆けつけたというのに! 友達甲斐のない無愛想野郎!」
「ローナンの恥を晒すんじゃない。そんなことをしてみろ、俺がレネシアやロシェやシェリエーナに殺されてしまう」
「おお、レネシアにロシェにシェリエーナ! どれも愛しき我が妻達よ、愛しているぞ! 俺の愛は平等だ、愛は素晴らしい!
グレンフォード! 結婚とは素晴らしいぞ! 我が子はみな可愛く愛しい俺の宝だ! 王様命令だ、お前は早く相手を見つけろ!」
「恥を晒すなと言っている。そんなふざけた王命があってたまるか」
「がははは! ベルゼレッドの言う通りだぞグレンフォード! 女の一人や二人や三人さっさと見つけねばな!
私のように女の相手に毎日纏わりつかれて困ってしまうほどになってこそ英雄というものよ!」
「お前に纏わりつく女はみな幼子だと記憶しているが」
ぐいぐいとグレンフォードに絡むベルゼレッドとサトゥン。その姿はどこまでも酔っ払いのそれで非常に鬱陶しく暑苦しい。
極力巻き込まれないように少し距離を取って食事を取る仲間達だが、彼らは彼らでベルゼレッドの持ってきた料理に舌鼓を打っている
王宮で用意した料理はどれも上質なモノで、特にロベルトとリーヴェが夢中で料理を口に運んでいた。
そんな中、マリーヴェルは向こうではなくこちらで酒を静かに飲んでいるリュンヒルドの姿に気付き訊ねかける。
「いいの? あっちに混ざらなくても」
「勘弁してくれ。私の性格を知っているだろう、ああ言うのは苦手なんだ」
「兄様、騒がしいのはあまり得意ではありませんものね。レイドルム兄様だったら喜んで参加しそうですけれど」
「そうだな、レイドルムは大喜びするだろう。しかし、サトゥン殿といいベルゼレッド殿といい……王となる者の資質、風格と言えばいいのか。
彼らには力がある。あれは人を魅了し率い、先頭に立つ力だ」
「何を人事のように言ってるのよ、メーグアクラス次王のくせに。二人に負けないくらい兄様も頑張りなさいよ」
「私は王としてよりも宰相として腕を振るいたいのだがな……時にマリーヴェルよ、リアン殿との仲は少しは進展したか?」
突然リュンヒルドの口から小声で放たれた一言にマリーヴェルは飲もうとしていた果実水を口から零してしまう。思いっきりむせてしまった。
何事かと彼女の方を見つめるリアンやメイアにマリーヴェルは何でも無いと必死に手を振って応える。
そして顔を真っ赤にして全力で兄を睨みつける。そんな妹の怒りをそよ風のように受け流しながらリュンヒルドは淡々と口にする。
「私は次王として内定しているが、いつまでという期間を設けられている訳ではない。
もしお前とリアン殿が添い遂げ、子を為したならばその子を王として私が成人するまで政を為すのも悪くないと思っているのだが」
「は、話が吹っ飛び過ぎよ! な、なんでこ、こ、子供って」
「兄弟の中で最も王としての資質を備えているのは間違いなくお前だ、マリーヴェル。
以前はレグエスクのこともあり、お前とミレイアだけは王から遠ざけるつもりであったが……全てが解消された今、国民を真に思うならお前を立てるべきかとも考えた。どうだ、マリーヴェル」
「……読めたわ。兄様、見合い話が山ほど来てるのね。そして父様から早く結婚しろと矢のような催促が来てるのね」
「……そんなことはないぞ」
妹から目を逸らして酒を飲むリュンヒルドに妹二人は大きく溜息をつく。
読書をしてゆったりとした時間を好み、一人の時間を大切にする彼にとって王としての伴侶を決めることは非常に大変なことらしい。
言ってしまえば、結婚から逃げたいというのがリュンヒルドの本音だろう。マリーヴェル、もしくは彼女の子を次の王とするならば自分は誰とも結婚する必要はなく、我が子をつくる必要もない。
治世者としての腕は優秀だが、そういう面では駄目駄目な兄に呆れつつ、マリーヴェルは釘を刺すように告げる。
「先に言っておくけれど、私は王位継承に関わらないからね。兄様も男なんだから、そこはしっかり腹を括って頑張ってよ」
「簡単に言うな。朝起きて父の前に顔を出したとき、五人も女性を紹介されたときの私の気持ちが分かるか。
父とクシャトが自信を持って素晴らしいと言える女性達だそうだが……彼女達、私と共にトントの街へ来てくれているのだぞ。
城で待ってても構わないというのに、共に復興支援をして私の力になりたいと」
「まあ、素晴らしい方々ですわね。流石クシャト姉様の認めた女性達ですわ。お姉様は社交界に詳しいですから、それはそれは優れた女性達なのでしょうね」
「ああ、五人全員が仲良く力を合わせて私の力になろうとしてくれている……胃が痛い。彼女達が良人だと分かるからこそ、強く否定も出来ない」
「諦めが悪いわねえ、クシャト姉様も性格悪いからそれを狙ってるんでしょうけど。
多分、その五人全員クシャト姉様がしっかりと妻として教育してる娘達なんでしょ。諦めて全員と結婚したら?
父様は母様一人だったけれど、一夫多妻を禁じてる訳じゃないし。五人も相手がいれば妻の為に王として頑張れるわよ、きっと」
「他人事のように……七国会議の間くらいは忘れることにする。本に囲まれた生活に興じたいものだ」
現実から目を背けて酒を飲む兄の姿はかなり格好悪いものがあった。
だが、妹二人はそれを口にすることは無い。きっと兄も兄なりに次王として様々な苦労を抱えているのだろう。
キロンの村で自由にさせて貰っている立場上、兄には感謝をしつつも現実逃避をする姿をやはり情けないと思う二人であった。
そんなリュンヒルドの話が感化したのか、隣のサトゥン達の飲み場はもっと悲惨だ。ヒートアップしたサトゥンとベルゼレッドがグレンフォードに詰め寄って言葉をぶつけている。
「やはりお前は家庭を持つべきなのだグレンフォードよ! 三十五にして未だ修行修行修行鍛錬鍛錬鍛錬では一生相手が出来ぬではないか!
妻は良いぞ! 子は素晴らしいぞ! 大体お前は相手になど困る要素がないではないか! 昔から王子である俺より女に好意を抱かれおって!
昔、俺がどれだけお前を羨ましく思ったことか! ヴェルゼーナに振られた理由がお前のことが諦められないだったときは真剣に殺意が湧いたほどだ!」
「そうだぞグレンフォード! 子は宝、家庭を持つのは素晴らしいことだ! 人間として良きことだ!
お前を含めた英雄達には子を残して貰わねば私が困るのだ! お前達の子の面倒をみることも私の夢の一つである! さあ、お前の子供を抱かせろ一緒に遊ばせろグレンフォードよ!」
「無茶と滅茶苦茶を一緒に並べてくれるな」
「無茶ではない! お前も家庭を持って落ち着けと言っているのだ! よし、見合いだ! 俺がローナンに帰ったら妻と共にお前に相応しい女を探してやる! 安心しろグレンフォード、決して後悔はさせない素晴らしき相手を必ず俺が……」
「駄目」
調子に乗り始めたベルゼレッドに対して本気で殴って止めようかとしていたグレンフォードだが、彼が行動するより早くベルゼレッドの口は止められる。
三人の会話を耳にしていたライティが、ロベルトの膝の上から離れてベルゼレッドの前に立ち、ぽつりと言葉を放ったのだ。
目をきょとんとしてライティを見つめるベルゼレッドに、ライティは首を振って胸の内の言葉を告げる。
「グレンフォードが結婚しちゃったら、お母さんがグレンフォードと毎日一緒にご飯を食べられなくなる。だから駄目。結婚、駄目」
「毎日、ご飯だと!? それはつまり……」
「めっ」
言いたいことだけ言って、ライティは満足とばかりにロベルトの元へと戻っていく。
実に言葉足らずだが、しっかりと自分の言いたいことを告げるだけ告げるライティらしいとロベルトとグレンフォードは苦笑する。
そして、どうやって誤解を解こうかとグレンフォードは少し考えたが、軽く息をつき否定する事を止める。彼にとって悪いことでも、大きな誤解と言う訳でもないことに気付いたのだから。
わなわなと震えていたベルゼレッドだが、やがて腹の底から高笑いをしてグレンフォードの背中をばんばんと叩いて告げるのだった。
「この馬鹿者が! なんだなんだ、相手がいないと思えばしっかり子供までいるではないか! 城を去ってから氷蛇のことばかり考えているのではないかと心配していたが、何とも立派で可愛らしい娘ではないか、グレンフォードよ! 幾つだ、今年で幾つになるんだあの娘は! 兎のような耳はお前が買ってやった飾りか! 実に可愛らしい!」
「なんと!? ライティはお前の娘だったのか、初耳だぞグレンフォードよ! となるとフェアルリがお前の妻だったのか!
ぬううう! めでたい、実にめでたい! 祝い酒だ、これは祝い酒を飲むしかあるまい! ベルゼレッドよ、追加の酒を用意せねば!」
「当然だ! これはローナンに帰ったら国を挙げて祝福せねばならん、その前祝いだ! 幸あれ! グレンフォードと妻子の未来に幸あれ、はっはっはっはっは!」
「乾杯である! グレンフォードとフェアルリ、そしてライティの未来に祝杯である! がははははは!」
性質の悪い酔っ払いが更に加速する。その火種を作った少女は我関せず、料理を食べたりロベルトの口に運んであげたり。
大騒ぎしている面々に本当に仕方のない大人達だと苦笑する仲間達。だが、何かが接近する気配を感知してその団欒が止まる。
最初に気付いたのはメイアだ。笑みを零していた彼女が表情を戦場のそれに変え、そっと言葉を紡いだ。
「……何かが近づいていますね。この殺気、獣のそれでしょうか」
「……本当ね。この大空で近づいてくるとなると、飛竜か翼鳥か。何にせよ、空の上じゃ困るわね」
「ライティかメイアさん、もしくはサトゥンの旦那ってところか。斬撃だせばグレンフォードの旦那も戦えるっちゃ戦えるが」
「敵だと? こんな上空にいったい何が……」
「前方に見えますよ、リュンヒルド様。サトゥン様! 前方に翼鳥の魔物です!」
リアンの声に、サトゥン達もまた酒を止めて前方へ視線を送る。
まだ姿こそ小さくしか目視できないが、リアンの言う通り翼鳥の形状をした魔物がポフィールに接近している。
宴会の空気を霧散させ、それぞれが得物を持って臨戦態勢に移行しようとしたのだが、一人の男が怒声を発して大空へ声を荒げる。
「我が親友グレンフォードの目出たい酒の席を邪魔する不届き者があ! 魔物風情が、ぶっ潰してやる!」
「ちょ、王様、あぶねえよ!」
突如立ちあがった酔っ払い、ベルゼレッドはふらふらとした足取りで荷物をまとめた場所まで足を進める。
慌てて肩を貸そうとしたロベルトに大丈夫だと豪快に笑って答え、荷物を漁り始めている。
そして、彼が左手にあるものを掴んだとき、その場の誰もが彼に目を奪われる。彼を見つめる視線は酔っ払いへのそれから、一人の戦士を観察するそれへと。
ベルゼレッドが木箱を紐解いて取り出したそれは巨大な紅色の大弓。彼の巨大な体躯に相応しい大きく太い弓は雄々しく力強く。
弓を手にしたベルゼレッドにグレンフォードは懐かしさを感じずにはいられなかった。その姿はまさしく彼が共に戦場を駆け抜けた『紅のベルゼレッド』。在りし日のままの戦友の姿に、グレンフォードはふっと笑みを零して言葉を紡ぐ。
「戦場でのブランクに加えて酔いも回っているだろう、そのような状態で矢を当てられるのか」
「愚問だろう、グレンフォードよ。俺が戦場で矢を外すなんて有り得ない。
例えどんな状況であろうとも弓から放たれれば矢は敵を喰い殺すものだ。百発百中、千発必中、それが弓兵の矜持ってものだろうが」
こちらに迫る翼鳥に向けて弓を構えるベルゼレッド。だが、彼の姿、その異変に誰もが気付く。
彼は弓こそ構えているが、肝心の矢が何処にも存在していないのだ。解き放つ刃となる矢が存在しなければ、敵を貫くことなどできない。
そんな皆の心の内を読み取ったのか、ベルゼレッドは愉しげに笑うのだ。
「俺の弓に矢は要らぬ。普通の矢では俺の追い求めた『必中』の邪魔になることに気付いたからな。
どんな状況でも敵を必ず貫く為に必要なモノ、それは余計な混ざりを排して敵との距離を最短距離で駆け抜ける矢だ。
風の影響、空気の状態、矢の形状、斜方投射軌道、全てを考慮した距離の逆算。そのどれもが邪魔な不純物に過ぎない。
俺が矢に求めるのはただ一つ――何物にも邪魔されず真っ直ぐに敵を穿つ最強の牙よ」
弓を構え、力の限り空を引くベルゼレッド。その時初めて彼の言葉の意味を誰もが理解する。
何も握られていなかった筈の彼の右手には、いつの間にか無骨な緑色の矢が握られていた。その正体をメイアとライティは即座に看破する。
その矢は魔法によって生み出された魔力の矢。風魔法によって生み出されたそれは、放つ前から既に強大な風の力を纏い空を駆ける為の準備を整い終えている。
生み出した相棒の猛りに応えるように、ベルゼレッドは近づいてくる翼鳥に向かって迷うことなく矢を放つ。
彼から解き放たれた風の矢はどこまでも真っ直ぐに飛翔していく。風の力に包まれた矢は、大空で吹き荒れる風の影響の一切を無視してただ真っ直ぐに獲物のもとへ。
恐ろしき程に加速の付いた風の矢は獲物の頭蓋をやすやすと貫いて。大地へと落ちていく魔物の姿を眺めることなく、ベルゼレッドは愉しげに笑って戦友へと振り返るのだ。
その笑みは十年前と何ら変わりなく。ローナンの英雄と共に戦場を駆けた最強の相棒、『紅のベルゼレッド』は健在であると主張するかのように。
酔っ払い王ここに在り。次も頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




