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魔人勇者(自称)サトゥン  作者: にゃお
六章 勇者
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61話 旅立







 結局ノウァはミレイアの言う通り今日一日だけ安静に過ごすことにした。

 彼の本音としては今すぐにでも心身を鍛え直すために始動したいところだったのだが、ミレイアに加え、マリーヴェルとメイアの説得まで加わってしまえば白旗をあげる他ない。

 特にマリーヴェルの言葉が彼には堪えた。一日中睡眠すらまともに取らずにあんたを治療し続けたミレイアを悲しませるつもりか、その言葉だけで彼には反論できる武器はない。

 身体を治療して貰った恩義がミレイアにあることは確か、そのうえ彼女は睡眠すらも削って治療を行ったという。その彼女を無視して行動するのは彼の中の美学に反する行為だった。

 故に、今日一日だけという条件をつけて彼はミレイア達の意見を受け入れたのだった。

 運んできてもらった朝食を終え、女性陣が家へと引き上げノウァは一人となる。ベッドに腰を下ろしてノウァは苦笑交じりで呟く。


「何もすることがないな……丸一日何もしないというのも、なかなかに苦痛だ」


 魔物や魔族と戦いの日々を過ごしていたノウァにとって、室内でのんびり過ごすというのは少々つらいことのようだ。

 己の目的のために行動し続けた彼がこのように休息の一日を過ごすというのは旅に出て初めてのことかもしれない。

 ミレイアに治癒してもらった手前、強くは言えないが彼の身体は既に完治している。ミレイアの治療と自身の魔人としての再生力により、異常箇所は皆無といってもいい。

 故に彼はミレイアの心配を消し去る為だけに一日をここで過ごすことを決めたのだった。以前までの自分ならば考えられない行動にノウァ自身笑ってしまう。それも悪くないかもしれないなどと思ってしまっている自分の変化に。

 やることもないため、とりあえず再び眠りにでもつこうかと考えていたノウァだが、入口からノックの音が響いてきたことに気付き顔をそちらに向ける。

 そして、扉が開けられ入ってきたロベルト、ライティ、グレンフォードに対して言葉を紡ぐ。


「お前達は確か、リアンの仲間か」

「おお、ミレイアの言う通り目が覚めたみたいだな。身体の方はもう大丈夫かい? サトゥンの旦那、容赦なくぶっ飛ばしてたもんな」

「問題ない。俺様の身体の傷は全てミレイアが治癒してくれている」


 ノウァの抑揚のない返事にそりゃよかったとロベルトは笑う。彼に同意するようにグレンフォードも首を頷かせている。

 そしてノウァはふと視線をロベルトの横に並ぶライティへと向ける。自分をじっと見つめてくる兎耳の少女、彼は彼女に見覚えがあった。

 ケルゼックのためにレーゲンハルトが嬉々として捕まえた魔族の少女、ノウァも一度だけ牢屋越しに見たことがある。

 先日、サトゥン城ではリアンばかりに意識が囚われて気付かなかったが、ライティがあのときの少女だとノウァはようやく気付き、それを口にする。


「お前は……邪竜王の生贄として囚われていた娘か」

「……私を知ってるの?」

「知っている。俺様はあの館で牢に囚われていたお前を一度見ているからな。

俺様が見たときは瞳を濁らせていたが、今は見違えるほどに輝きを取り戻しているな。救われたことがお前を変えたか」


 ノウァの問いに、ライティは微塵も迷うことなくコクンと頷きロベルトの手を握る。握られたロベルトは照れ隠しのように頬を掻いている。

 彼女を助けたというロベルトの顔もノウァはようやく思い出す。あのとき、リアンと共に自分の前に現れた青年がロベルトだったと。

 つまり、リアンとロベルトはケルゼックを見事打ち破り、彼女を救いだしたということ。ノウァは少しばかり考えるような仕草を見せた後、馬鹿正直に二人へと問いかける。


「不本意ながら俺様はケルゼックの下についていた。俺様は小娘を救おうともしなかった、つまりはお前達の敵と言っても過言ではない。

頭を下げるつもりなど毛頭ないが、言いたいことがあるなら全てぶつけるがいい。お前達にはその権利があるだろう」

「権利と言われても……あんた、ライティを攫ったことに協力したのか?」

「いや、俺様がケルゼックと合流したときには既に囚われていた。俺様は邪竜王復活など興味が無い、故に放置した」

「……ライティ、何か言いたいこととかあるか?」

「ある。ありがとう、あなたのおかげで私はロベルトに出会えた。感謝してる」


 罵倒が飛んでくるかと思えば、斜め上の感謝が飛び出した。予想外の言葉にノウァとグレンフォードは思わず笑ってしまい、ロベルトは顔を真っ赤にして額を抑えて。

 ライティの答えに『そうか』とだけ返し、ノウァはロベルトの方へ向き直り再び同様の問いをする。


「お前はどうだ。俺様に言いたいことがあるなら、甘んじて受け入れよう。ケルゼックの下についたことは俺様の生涯で唯一の汚点だ」

「ライティが何も思ってないのなら俺はアンタには何も言うことなんてねえよ。

アンタがライティを攫った実行犯だったり協力してたりしてたなら別だが、何もしてねえんだろ?」

「俺様は何もしていない。小娘に手を出すことも、救出する事もな。何もしないということも十分罪に値すると断じることも出来る」

「んなこと言い出したら、俺だって最後までライティ救出作戦に参加する事に二の足踏んでたんだ。

いっそ逃げようかって考えたことだってあるからな。ライティは無事、本人も文句は無い、ならそれでいいんじゃねえか?」

「そうか。お前達がそれで構わないなら、それでいい」

「……いや、一つだけ言いたいというか、訊きたいことがあったんだ。

アンタほどの強さを持つ奴がどうしてケルゼックなんかの下にいたんだ? サトゥンの旦那とあれだけやりあえるアンタがケルゼックより弱い筈が無い。正直、アンタとサトゥンの旦那の攻防は目で追うの大変だったんだぜ。

昨日のアンタの口ぶりからすれば、ケルゼックなんか典型的な『悪の美学』に反する下種なんじゃないのかい」


 ロベルトの問いかけに、ノウァはそのことかと小さく言葉を紡いだ後、少し考えるように口を閉ざす。

 言い難いなら言わなくても、そう言葉を続けようとしたロベルトを制するようにノウァは視線を彼へと戻した。


「ケルゼックの下についていたのは父からの提案だ。父は俺様が世界一の悪になりたいという大望を抱いているのを知っている。

ケルゼックは人間共の考える悪をそのまま形にしたような存在だった。故に触れることで何か学べるかと思ったのだが……時間の無駄だった。

あれは悪などではなく屑だ。奴を見て、やはりこの世界の悪の在り方を俺様が変えなければと決意を固められたという点では意味があったかもしれんがな」

「そ、そうかい……ん、つまりケルゼックはアンタの父親と知り合いなのか」

「父にすり寄ろうとしていた、ただの塵だ。奴は邪竜王と父を天秤にかけていた。邪竜王復活を目指す裏側で父に取り入ろうとしていたのだ。

遠い未来、邪竜王が復活したならば父と殺し合うことは間違いない。どちらが勝っても生き残れるように策を弄していたのだろう。お前達はケルゼックを葬ったのだろう、全ては無駄に終わったということだ」

「成程ね。しかし、アンタですらそこまで強えのに、親父さんも強いのかよ……世界は本当に広いわ」

「ふん、ただの隠居爺だ。いずれ俺様が超えてやる」


 胸を張るノウァにロベルトは苦笑する。そして思うのだ。やっぱりこいつ、何処となく我らが勇者様に似ているな、と。

 訊きたいことを訊き終え、ノウァの身体も調子よさそうなことも確認できた。用を済ませたロベルトはノウァに言葉を告げる。


「それじゃ俺達は戻るとするよ。身体は治っているかもしれないけど、ゆっくりしてくれよ。

ミレイアの嬢ちゃんが目を離すと無理しそうだってオロオロと心配してたぜ?」

「分かっている。ミレイアには身体を治してもらった恩義があるからな、言いつけは守る。真の悪とは約束を違えぬものだ」

「ははっ、ならいいんだ。それじゃいこうか、ライティ、グレンフォードの旦那」


 ノウァに別れを告げ、三人は家の外へ足を運んでいく。

 全員の背中を見送り終え、ノウァは感じていた言葉をぽつりと紡ぐのだ。


「俺様とあの魔人の剣を人間が目で追えるとはな……確かロベルトと言ったか、ここはつくづく面白い人間の揃った村だ」


 彼の心の中でどうやらロベルトは評価に値する人物とみなしたらしい。

 しみじみと呟くノウァを余所に、ロベルトは今日も村中に悲鳴を轟かせるのだった。ロベルト・トーラ、英雄を駆け足で目指す彼に休息の日は無い。











 嵐は前触れもなく唐突に。勇者サトゥンの来訪を例えるとしたらそのような表現が相応しいだろうか。

 ロベルト達が去り、時間を持て余しながらベッドの上で過ごすノウァの前に突如として現れたサトゥンとリアン。

 入口の扉が壊れそうなほどに勢いよく開かれ、高らかな笑い声と共にサトゥンは手に果物の入った籠を持ったままノウァへ声をかける。


「うはははは! お見舞い勇者サトゥン、参上である! ノウァよ、生きているか!」

「あわわ、サトゥン様、相手は怪我人なんですから、もう少し静かにしないと……」

「ふはは! 何でも怪我人相手には果実を持ってきてお見舞いをするらしい! 故に森で探してきた果実を持ってきてやったぞ!

みよ、この赤々と熟したレルバの実を! 味の方は……ふむ! 美味である!」

「た、食べちゃ駄目ですっ! それはノウァさんのお見舞い品ですよ、サトゥン様」

「おお、そうであった! まあ一つくらい気にするな! それ、受けとれい!」


 果実を一つ平らげたサトゥンは満足そうな笑みを浮かべたまま、ノウァへ籠から取り出した果実を一つ投げ渡す。

 かなりの速度が乗った果実をノウァは難なく片手で掴み取り、そのまま自身の口へと寄せ齧りつく。咀嚼し終えて二人に感想を紡ぐ。


「……美味いな。甘みがしっかりと凝縮されている」

「ぬはは! そうであろうそうであろう! このレルバの実は早朝から私とリアンが山奥に入って取ってきたばかりの新鮮なものである!

しっかりと味わって食すがよい! うむ、この甘みと香り、風味がたまらんわ!」

「だ、だからサトゥン様は食べちゃ駄目ですってばっ!」


 サトゥンの手から果物籠を貰い、リアンはその籠をノウァへと渡す。中にはレルバの実が二個ほど入っていた。

 最初は五個ほど入っていたが、そのうち二個はサトゥンの胃の中へと収まったという訳らしい。ぺこぺこと申し訳なさそうに頭を下げるリアンに対し、ノウァは当然そんなことは微塵も気にせず話しかける。


「すまなかったな、リアン。あれだけ散々大口を叩いておきながらこの様だ。俺様は自分の強さに驕り酔いしれていた」

「そ、そんなことないです! サトゥン様との剣のぶつけあい、本当に感動しました!」

「気を遣わずとも構わん。お前が俺様の期待に応え、リエンティの勇者として強さを重ねたというのに、俺様は無様な醜態を晒してしまったことは変えられない事実だ。

だが、覚えておけ。俺様はここからまた強くなる。再び這い上がり、己を鍛えて、貴様の相手に相応しい魔の王となってみせる。

これは誓いだ、勇者リアン。俺様は必ず、お前に相応しい男になってみせる」


 真剣に語るノウァに何と言葉を返していいのか困り果てるリアン。

 だが、自分の隣で不機嫌が爆発しそうな勇者様を見て、とりあえず優先すべきことを悟る。軽く咳払いをして、リアンはノウァにおずおずと言葉を紡ぐのだった。


「あの、前も言ったと思うのですが……僕、勇者じゃありません」

「以前もそうやって否定していたな。無駄だ、リアン。お前が勇者ではない筈が無い。

たとえどれだけ否定しようとも、俺様の結論は変わらん。勇者はお前なのだ、リアン」

「勇者は……その、こちらに」


 そう言ってリアンはそそくさと掌をサトゥンへと向ける。

 リアンにそう紹介されたサトゥンは得意顔で胸を張ってノウァの言葉を待つのだが。


「こんな勇者がいてたまるか。いいかリアン、この男は俺様と同じく魔の王を目指す魔人だ。勇者などではない」

「そんなもん目指しておらんわ! 私が勇者だと何度言えば分かるのか、ひよっこ魔人がっ!」

「貴様こそ冗談はその見た目だけにしておけ。貴様が人間の屍の山を築き上げてその上で高笑いしていても俺様は驚かんぞ」

「ふんぬううううう! かつてない侮辱、許すまじ! 努力と研鑽を惜しまぬお前のことを少しくらいは認めてやろうと思ったが、やはりお前なんぞ認めぬ! このレルバの実も全部私が食べつくしてやる! お前なんぞに渡す果実はないわ!」

「あああ、け、喧嘩は止めて下さいっ!」


 二人の間に入って必死に制止の声をあげるリアン。共に二メートル近い巨大な体躯を持つ二人に挟まれる姿は非常に可哀想である。

 必死に宥めるリアンの力もあって、なんとか落ち着きを取り戻したサトゥン。だがノウァから視線を逸らしている様子からみて、完全に機嫌が直った訳でもないらしい。

 そんな子供のような反応をみせる勇者様に苦笑いを浮かべながら、リアンは必死に話題を勇者云々のそれから逸らそうとする。


「そ、そういえばノウァさんは今日いっぱいは身体を休められるんですよね。明日からはどうされるんですか?」

「旅立つ。俺様が自分こそが最強であり、魔の王に相応しいほどの力を得たと自負していた。

だが、そこの魔人によって上には上がいることを思い知らされた。今の俺様には魔の王として在るには力が足りないと教えられた。

足りぬならば鍛えなければならん。先程も言ったが、俺様は必ず強くなり這い上がる。明日早朝に村を出て己を鍛え直す旅に出るつもりだ」

「そうですか……残念です、身体が治ったら手合わせをお願いしたかったのですが」

「悪いが、今の俺様ではお前の相手には相応しくない。だが、約束しよう。

次にお前の前に姿を現した際は必ず相手をすると。俺様が言える台詞ではないが、それまでしっかりと鍛えておけ」

「はいっ!」


 嬉しそうに返事をするリアン。彼はノウァの言葉を何一つ疑わず受け入れている。

 事実、ノウァが現状のリアンより遥かに強者であることは間違いない。サトゥンという天蓋の化物相手だからこそ敗北を喫したが、他の者相手だったならばノウァは圧勝しただろう。

 彼の強さを理解しているからこそ、リアンは真っ直ぐに返答をした。ノウァの期待に恥じぬよう、自分を鍛え上げなければならないと。

 それからリアンとノウァは雑談に興じていたのだが、リアンは鍛錬の休憩時間が終わりに近づいたことに気付き、慌てて家を後にする。

 そして、室内に残されたのはノウァとサトゥンのみ。リアンにくれぐれも喧嘩はしないで下さいと釘を刺された二人だが、静寂を切り裂くようにサトゥンがノウァへ言葉を紡ぐ。


「ふむ、私は回りくどい言い方が苦手なのでな。単刀直入に訊こう、お前から感じる不可思議な感覚は何だ?

魔人であることは感じられるが、何か他のものが混じっている。純粋な魔人ではない……他の生き物が合成されているか、それとも」

「魔人と異種族の子か、だろう。俺様はそれに当たる。父が生粋の魔人で母がそうではない、それだけだ」

「なるほど。すなわち貴様の父親は私同様魔人界から転移してきた者という訳か。ふはは! 異世界転移は極めて難しい魔法とカルヴィヌは言っていたが、これでは当てにならんな! まあ他の魔人のことなど微塵も興味はないが、貴様の父親はこの世界で人間を害するなどという悪を為していないだろうな? もし貴様の父親が悪であったならば、私が勇者として断罪せねばならぬからな! がははは!」

「……どうだろうな。少なくとも今の世界では何も為すことは出来んだろうな。今のあれは全てを諦め府抜けた唯の抜け殻だ。

父は全ての根源となる神を盲信し、未だ縋り付くことしか出来ぬ愚か者だ……全てに否定されてもなお、己を生みだした神を待ち続けている。奴に運命を狂わされた父も母も……全てが哀れだ」

「うぬ、何やら面白そうな事情がありそうではないか。ぬはは! 私の勇者勘がビンビンと反応しておるわ! これは正義を為しちやほやされる機会であると! さあ、遠慮はいらん、何か困ったことがあるなら全て私に話すがいい! 全て瞬時に解決してくれるわ!」

「要らん。いずれ奴がこの世界に現れたときは全て俺様が片づける。その為に俺様は魔の王とならねばならぬのだから」


 きっぱりと言い放つノウァ。彼の瞳に燃えるは憎悪の炎。

 サトゥンと対峙したとき以上に暗く揺らめく漆黒の炎にサトゥンは空気を読んで押し黙る筈が無かった。人の事情など知ったことかとばかりに怒りに燃えるノウァを気にすることなくずかずかとマイペースに話を続けていく。


「ふーむ、事情は全然これっぽっちも分からぬが、お前がどこぞの神がこの世界に現れるのを恐れているのは分かった。

ふはは! 怖がりな奴め! 発言全ては苛立たしいが、そういう人間っぽいところは愛おしいぞ、ノウァよ! 頭を撫でてやろう!」

「触るな魔人。俺様は今年で千九百六十二歳となる、子供扱いするな」

「ふはは! たったその程度で大人ぶろうなど千三十八歳早いわ! 三千歳を超えて初めて大人扱いしてやろうではないか! ほれほれ!」


 ベッドの上に座るノウァの頭をぐりぐりと掌で撫でる……もとい磨り潰すサトゥンの手を鬱陶しそうに払いながら、ノウァは言葉を続ける。


「とにかく俺様の野望の中で貴様の出番は無い。大人しくこの村に引き篭もっていろ、魔人」

「断る! 世界中の人間達が私の救いを待っているというのに、引き篭もってなどいられるか! 勇者として私はこの世界に名を馳せるのだからな! それでノウァよ、貴様が恐れている神の名前を教えるがいい! もし私が出会ったなら、お前の代わりに成敗してくれる! むはは、どの神だ? 破壊神か、はたまた創造神か。水神や火神は四度ほど叩きのめしてやったぞ! 口先ばかりの奴らであったわ、うははは!」


 それから延々と自分の命を狙ってきた神を返り討ちにしたという自慢話を続けようとするサトゥン。

 ノウァとはあまり相性が良いとは言えないが、話相手は欲しいらしい。構っては欲しいらしい。

 子供のように無邪気に胸を張って話を続けようとするサトゥンを遮り、ノウァは大きく溜息をつく。どうやら神の名前を教えなければ解放してくれないらしい。

 サトゥンのしつこさに心折れたのか、やがてノウァはサトゥンに対して口を開く。


「先に言っておく。その神は俺様が殺さなければならぬ相手だ、余計な手だしは許さんぞ」

「分かった分かった。分かったから早く名前を教えるがいい。むふん、偶然その神に出会い、偶然剣が滑ってしまい、偶然退治してしまう可能性は否定出来んがノウァの言葉は覚えておこう。うははは!」


 手だしする気しかないサトゥンに何を言っても無駄だと感じたのか、ノウァはゆっくりとその名を口にする。

 それは天界に数多存在する筈の神々の中の一つの名前に過ぎない筈だった。だが、サトゥンにとってその名は――


「――命神セトゥーリア。全てを生み、全てを慈愛し、全てを憎み、全てを滅ぼした忌まわしき神の名だ」


 ノウァから口にされたその名を耳にした刹那、サトゥンの身体は歪な感覚に襲われる。

 まるで奈落の底にでも落下しているかのような錯覚、脳にまるで刻みつけられるように強制的に与えられる霞がかった光景達。

 彼の記憶には決して存在しない見たこともないワンシーンの数々。その全てに溢れだす記憶の持ち主の狂気。

 愛している。誰よりも愛している。だからこそ殺す。この世界の全てを消し去る。愛するが故に滅ぼす、誰の手でもなく己が手で。

 人間を、魔物を、動物を、建物を。何もかもを平等に愛し、平等に殺す。その破壊にどこまでも満ち足りたように笑みを零し。

 そう、誰よりも愛しているからこそ止まれない。止まらない。その光景の持ち主はやがて、最愛の人間にも呪われた手を伸ばす。

 切り抜かれた記憶の一ページ、その中にある一欠けらにサトゥンは言葉を失う。記憶の持ち主が手にかけようとしている少年、それを彼は誰よりもよく知っているから。

 その者はサトゥンに人間の輝きを、強さを、この世界で生きる意味を教えてくれた大切な人。その少年が記憶の持ち主に対し、剣を向けながら必死で立ち向かっているが、その身体は既に限界を迎えていて。

 弱き人間、愛おしき人間。誰より愛おしいと記憶の持ち主が想う少年へ向けて、殺戮の刃を容赦なく振り下ろそうとする光景。

 記憶の主に胸を貫かれる少年の姿にサトゥンは感情を抑えられず咆哮する。馬鹿な、認められるものか。例えこれが現実ではないと分かっていても、それでもサトゥンは感情を暴走させずにはいられない。

 彼にとってその少年が――リアンが何者かに殺されてしまうなど、例え幻想の中であっても決して許せないことなのだから。


「おい……大丈夫か、魔人」

「っ、はぁっ」


 耳に入ってきた声に、サトゥンは意識を取り戻す。視界に入ってくるは、眉を顰めて彼を覗き込むノウァ。

 幻だとは分かっていたが、彼の言葉に触れることでようやく先程の光景が現実ではないことを完全に悟り、サトゥンは大きく息をつく。

 ノウァにしてみれば不可思議な光景に困惑しても仕方ない。突然サトゥンが押し黙ったかと思うと、急に肩で呼吸をする程に乱しているのだ。どうしたのかと思うだろう。

 だが、その問いにサトゥンは応える術を持たない。自分自身この身に何が起きたのか全く理解出来ていないのだから。

 先ほどの脳裏に浮かんだ映像はなんだ。自分のものではない記憶はなんだ。セトゥーリアという名を耳にした刹那に起きた自身の変調を彼は理解出来ずにいた。否、理解したくもなかった。

 想像の中とはいえ、彼にとって何よりも大切なリアンによく似た少年が殺されてしまう光景など理解出来るはずもないのだから。

 頭を抑えたまま、サトゥンは呼吸を落ち着けるために家の中から去っていく。背後からかかるノウァの言葉も耳に入らないほどに今の彼に余裕はなく。

 結局、彼がリアンの家に戻ったのは太陽が落ちる時刻になってからのことだった。

















「それでは、世話になった。見送り感謝する」


 翌日の早朝。村から出ていくノウァの見送りとして、サトゥン達は全員揃って村の入り口まで来ていた。

 いつものメンバーに加えて、猫のリーヴェと何故かラターニャまで一緒だ。リーヴェはいつものようにミレイアが出かけようとしたらトコトコと着いて来て。ラターニャはここに向かう途中でばったり出会った為だ。


「またいつでも村に遊びに来て下さいましね。怪我には注意する事、それだけは約束して下さいな」

「あまり来なくていいわよ。あんまりミレイアやリアンに近づいてほしくないし」

「約束しよう、ミレイア。それと口の減らない小娘だ。少しは姉を見習ったらどうだ」

「大きなお世話よ!」


 売り言葉に買い言葉、マリーヴェルとノウァの口論が始まりそうだったので、二人をリアンが慌てて制止する。

 どうやらこの二人の相性はサトゥンとノウァ以上に悪いらしい。そのことに溜息をつきつつ、リアンとメイアが挨拶をする。


「ノウァさん、また次に会えることを楽しみにしてます。少しでもノウァさんに追いつけるように、頑張ります!」

「そのときは私とも剣を交えて頂けると嬉しいです。リアンともども、私も精進しますので」

「ああ、俺様もお前に恥じぬよう鍛え直してくるぞ、リアンよ。それとメイア、お前と戦うのも楽しみだ」


 リアン達と握手を交わし、次に前に出るのはロベルト、ライティ、グレンフォードだ。

 彼らもまた笑みを浮かべて楽しげにノウァに旅立ちの言葉を送るのだった。


「色々回ってくるんだろ? お土産楽しみにしとくよ、美味い酒とかあったらよろしくな」

「私はお菓子。よろしく」

「先ほどのリアン達ではないが、俺とも剣を交えてくれると有難い。どこまで届くのか試してみるのも一興」

「酒も菓子もよく分からんが適当なものを見繕っておこう。

お前はグレンフォードだったか、相当強いな、肌で感じるその強さに触れるときを俺様も楽しみにしている」


 簡単な挨拶を終える彼らの間にひょこっと顔を出すのは竜魔人少女のラターニャだ。

 慌てて家に戻った後、そこから持ってきたらしい果物や野菜詰め合わせの袋をノウァへと渡して朗らかに笑って告げる。


「この村で収穫した農作物です! いっぱい食べて下さいね!」

「ありがたく頂こう。昨日一日だけだが、この村の野菜は実に美味く堪能させてもらった。感謝する、竜の子よ」

「私の名前はリュウノコではなくラターニャですよ! またお会いしましょうね!」


 楽しく笑うラターニャにそういう意味じゃないとこっそり教える親友のミレイア。

 全員の挨拶が済み、最後の一人となったサトゥンは言葉を送るより早くノウァへ一本の剣を差し出した。

 その剣はノウァがサトゥンに叩き折られた筈の大剣。中央から真っ二つに折れた筈のそれは、完全に修復されていて。驚くノウァに、サトゥンはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「勢い余って壊してしまったのは私の責任だからな。我が力によって修復しておいたのだ。

我が魔力によって幾重にも構成を変化させたため、強度と切れ味は以前とは比べ物にならぬ筈だ。大事に使うがいい」

「……そうか。ミレイアだけではなく、お前にも借りが出来てしまったな。この借りはいずれ返させてもらう、『サトゥン』」

「ぬ、今私の名を……そうか! とうとう私に心を開いたのだな! うははは! この恥ずかしがり屋め!

そうかそうか、そんなにも私のことが好きか! 今までは恥ずかしくて名前を言えなかったが、とうとうその好意を認めたのだな! 初々しいぞ、ノウァよ!」

「それでは俺様は行かせてもらう。次にお前達に出会えることを楽しみにしているぞ。また会おう、リエンティの勇者と英雄達よ」

「あ、ちょ、こいつをこのままで放置して帰るなあっ!」


 マリーヴェルの叫びも空しく、剣を受け取ったノウァは満足気に踵を返して村の外へと歩いていく。

 村の入り口ではサトゥンが勇者への愛情について仲間達に力説をはじめ、それを必死で止めさせようと奮闘する面々。

 そんな彼らの慌しい日常と別れを告げて、ノウァは山道を下っていく。ラターニャに貰った袋から果実を一つ取り出し、一口齧って楽しげに言葉を呟くのだった。


「……面白い連中に出会えたものだ。

奴らが勇者として立ってくれるならば、何の心配も要らん。後は俺様が魔の王となるために強くなればいい。

待っていろ、リアン。俺様はお前に恥じぬ魔の王になってみせる――お前の認める魔の王サトゥンをも超える、世界最高の魔の王にな」


 とんでもない勘違いを胸に抱きつつ、ノウァは再び果実を齧るのだった。

 彼の中でサトゥンは魔の王に認定されていることは、彼の呟きを乗せた穏やかな風だけが知っていた。








これにて六章は終りとなります。本当にありがとうございました。

あと二話と思っていたのですが、キリがよかったのでここでまとめました。

七章はまた村の外で冒険になると思います。

新たな章となりますが、これからも皆様とご一緒に歩み続けられればと思います。ありがとうございました。


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