59話 真剣
寝転がるリアンと腰を草原に落とすメイア。
もはや一人で立ちあがれない二人に対し、最初に駆けつけたマリーヴェルが呆れるように言葉をかける。
「二人ともお疲れ様……と、いいたいところだけど、立ちあがる力くらい残しておきなさいよね。
本当に少しの余力も残さずに戦うなんて模擬戦だからいいものの、魔物が相手だったら危ないんだから」
「ふふっ、その通りですね。ごめんなさい、マリーヴェル」
「あはは、どうしても止まらなくなっちゃって……」
「……全く、二人して幸せそうな顔しちゃって。ミレイアの治療は必要?」
「ううん、怪我してる訳じゃないから。ただ、肩を貸してくれると嬉しいかな」
マリーヴェルはメイアに、ロベルトはリアンに肩を貸し、二人をなんとか立ちあがらせる。
集まった面々から二人に送られる賞賛の数々。あれだけ見事に打ち合ったのだ、観戦した誰もが心動かされずにはいられなかった。
皆に健闘と讃えられ、ありがとうございますと頭を下げるリアンだが、彼の前に一人の男がゆっくりと歩を進める。
その男、ノウァの視線に気付いたリアンは、顔をそちらへと向けて一礼する。そんなリアンに対し、ノウァは満足そうに静かに笑い言葉を紡ぐのだ。
「貴様の戦い、全て見届けさせてもらったぞ、リアン。俺様の期待に恥じぬ見事な戦いだった。否、期待以上と言っても良いだろう」
「あ、ありがとうございますっ!」
「そして女、貴様も見事だ。リアンと共に俺様へ挑むに相応しい実力を伴っている、まさしく英雄。貴様の名を教えろ」
「メイアと申します。お褒めに預かり光栄です、ノウァさん」
「人間でありながら、よくぞそこまで研鑽を重ねた。俺様としたことが魅入ってしまったほどだ。これからも共に修練を重ね続けるがいい、俺様の野望の為に、な」
「んぬううううう! 先ほどから貴様、何を上から目線でごちゃごちゃと二人に偉そうなことをほざいておるのだ!
そもそも二人が研鑽を積み重ねているのは貴様の為ではなく、私の為であるというに!」
「いや、サトゥンの為でもないから」
マリーヴェルの至極冷静な突っ込みをスルーして憤慨するサトゥン。どうやら本来彼が言うべき台詞を全てノウァに奪われてしまったためご立腹のようである。
そんな彼の怒りを気にする事もなく、ノウァは再びリアンに対して口を開く。
「後日、俺様と改めて戦えと言っていたな。あれは撤回する」
「撤回、ですか?」
「貴様は今回メイアとの戦いで己の力を何一つ出し惜しみすることなく見せてくれた。
今の貴様の全力がどれほどか知ることが出来たのだ、今さら改めて戦って確認する必要もなくなった。俺様は満足している」
「そ、そうですか……」
「だが、俺様が一方的に貴様の実力を知るだけというのも面白くない。
何より、今、俺様は貴様らの戦いを見たことで酷く興奮している。最高の戦いをみせてくれた貴様らに俺様も悪の美学を持って応えねばなるまいよ」
告げられた言葉が理解出来ず首を小さく傾げるリアン。
彼に説明を続けることなく、ノウァは先ほどまで二人が戦っていた草原の中心地まで足を運び、全員の視線を集めたまま腰の大剣を抜いて振り返る。
突如として剣を抜き放ったノウァに、警戒の表情を浮かべる仲間達。そんな彼らに、ノウァは愉しげに笑うように言葉を紡ぐ。
「リアンとメイアがあれだけの力を持っていたのだ。ならば同じ仲間である貴様達も人間にしては上質の力を持っているのだろう。
全員で構わん、リアンとメイア以外の奴は全て俺様にかかってくるがいい。あれだけの戦いを見せられて貴様等も身体が疼いているだろうからな。
そしてリアンにメイア、俺様の戦いをその目にしかと焼き付けておけ。いずれ貴様らに障壁として立ち塞がるであろう、魔の王となる俺様の力をな」
凛として言い放つノウァ。静寂に包まれる草原の中、我を取り戻したリアンがあわわと慌てて周囲に視線を送る。この発言は拙いのではないかと。
ノウァとしては当然のことを言っただけなのだろうが、彼が言った言葉はつまるところ『貴様らが束になっても俺様には敵わない』ということだ。
この言葉はいけない、非常に拙い。何とか諌めようとしたリアンだが、残念ながら手遅れと言えよう。
売り言葉に買い言葉、まずノウァの言葉に反応したのはマリーヴェルだった。メイアをミレイアに預けながら、腰の剣を抜いて嗤っている。
次に反応したのはグレンフォード。彼もまた斧を抜き放ち、好戦的な笑みを浮かべてノウァへ向き直る。普段は寡黙かつ冷静な彼だが、目の前に己が武を侮る戦士がいるのだ、黙っていられる筈が無い。
「……随分と舐められたものね、私達も。いいわ、リアンやメイアの戦いを見て昂ぶっているのは本当だし。
全員で相手にするまでもないわ、私一人で相手になってあげる。その余裕に満ちた顔、今すぐ無様な泣き顔に変えてあげるから」
「いや、ここは俺にいかせてもらおう。どうやら実力に自信があるようだが、どれほどのものか試させてもらいたい」
ここで互いの存在に気付き、マリーヴェルとグレンフォードの争いが始まる。どちらがノウァと戦うかという内容だ。
自分に譲れ、いやここは俺に譲ってほしいと主張し合う二人からそっと離れようとするのはロベルトだ。そんな彼を見上げながら訊ねるライティ。
「ロベルトは戦わないの?」
「馬鹿言え、あの男が纏う空気を見ろよ。あれは尋常じゃねえよ、リアンやメイアさんと同質のモノだ、今の俺じゃ逃げ回るくらいしかできねえぞ」
「ノウァさんは、僕より強いですよ。一度手合わせしたんですが、全然届きませんでしたし」
「まじかよ……猶更御免だ。俺は英雄にはなりてえが、無駄な戦いは極力避けるんだよ。に、逃げてる訳じゃねえからな!」
「うん、ロベルト、格好良いよ」
「……自分で言うのもなんだが、ライティ、お前の男を見る目ちょっとおかしいぞ、マジで」
どちらが戦うのか未だ決まらぬ二人の争いの中、ロベルトは溜息をつきながらノウァの方へ改めて視線を寄越す。
長身と整った体躯、何より巨大な大剣を軽々と扱う姿。そして身体から放たれている威圧感はどうみても強者の持つそれに他ならない。
あれと自分から戦いたいなんてマリーヴェルもグレンフォードの旦那も有り得ない。どちらが戦うにせよ、とにかく声を出して応援してやろうと考えていたロベルトだったが、彼のその想いは無駄に終わることになる。
突然、草原中にこだまするほどの高笑いが響き渡る。そのあまりに大きな声に、草原にいた全ての面々が視線をそちらへと向けた。
彼らの視線がいったい誰に集まったのか、そんなことは考えるまでもない。高笑いをする人物など我らが勇者様、サトゥン以外有り得ないのだから。
いつもより長く高笑いを響かせ、ゆっくりと歩を進めるサトゥン。彼の浮かべるその表情に、その場の誰もが戦慄する。
笑い声をあげている筈のサトゥンの表情、それはまさしく憤怒の化身。ただ真っ直ぐにノウァを睨みつけながら、一歩、また一歩と鬼の形相で近づいてゆく。
ノウァと向きあうような形で足を止め、そしてサトゥンは彼へゆっくりと口を開くのだった。
「全員でかかってこいだと? 貴様、舐めるのもいい加減にしろ!」
「ぬ……」
激しく一喝するサトゥンに、ノウァは反論せず視線を彼から逸らさない。
仲間が侮辱され、そのことに怒りをみせるサトゥンの姿に、マリーヴェルやロベルトは目を丸くして驚くが、やがて胸に溢れる喜びを感じる。
確かに先ほどのノウァの発言はサトゥンの仲間達をあまりに侮辱した発言だ。戦士である彼らをどこまでも格下と見下した発言。
そのことに激怒した勇者のなんと仲間想いなことだろうか。サトゥンを見直していたマリーヴェル達であったが、その気持ちはものの数秒で終わることになる。
「そんな羨ましいシチュエーションを貴様などに譲れるものか! これだけの強者を相手に多対一で戦うなど美味し過ぎるではないか!
ゆえに、その役目は私が担おう! マリーヴェル、グレンフォード、ロベルト、ライティ、遠慮はいらんぞ! こやつと協力して、私にかかってくるがいい!
ぐぬう! 多対一とは多勢に無勢な! だが、勇者はこんな逆境には負けぬ! 逆境を跳ねのけてこその勇者であるからな、うはははは!」
「……ごめん、私、今本気でノウァの奴に加勢しようかどうか迷ってる」
「……俺もだ。旦那、そりゃねえだろ、おい」
人の予想の斜め上を飛んでいくサトゥンの発言に、マリーヴェルもロベルトも呆れて言葉も出ない。
ただ、リアンは何となく予想していたのかサトゥン様らしいと笑みを零している。それはまるで子供を微笑ましく見つめる母親のようだと覗き見ていたミレイアはリアンに対して感想を抱いていた。
突拍子もないサトゥンに二人は毒気を抜かれ、マリーヴェルは呆れるように肩を竦め、グレンフォードは静かに笑って武器を納めた。完全に戦意を削がれてしまったらしい。
ただ、二人の対応は変わらない。サトゥンの背中をマリーヴェルが強めに叩いて、グレンフォードは腕組みながら彼へエールを送るのだった。
「分かってると思うけれど、あんたは私達の代表、勇者様なんだから。無様な戦いなんてしたら許さないからね」
「見せてやれ、サトゥン。最強であるお前の力を証明することで、俺達を舐めたことを後悔させてやってくれ」
「くははっ、承知!」
二人がリアン達の場所まで下がったのを確認し、サトゥンは改めてノウァへと向きあう。
巨大な体躯、そして大剣使い。勇者を目指す者と魔の王を志す者。どこまでも鏡映しのような二人。
右手に握る大剣を一振りし、ノウァはサトゥンへ対して確認の意味を込めて訊ねかける。
「魔人、貴様一人か。俺様は他の連中もまとめて相手にしても構わんが」
「ぬははは、安心しろ、そのような大言はすぐに吐けなくなる。さて、見たところ肉弾戦も魔法も得意のようだが、どちらがお望みだ?
なにせ私は何をやっても強過ぎるからな! お前の好きなフィールドで相手をしてやろうではないか! 私は優しい勇者である、うはははは!」
「馬鹿か、魔法など使っては脆弱な人間の村に被害が出てしまうだろうが。魔法など使わん、剣一本で相手をしてやる。
リアンは当然だが、貴様ともいずれ対峙するときがくるだろうと思っていた。同じ魔の王を目指す者として、貴様は打倒せねばならん」
「魔の王など目指しておらんと言っただろうが! ぐぬう、だから人の話を聞かぬ自分勝手な奴は嫌いなのだ! ――こい、グレンシア!」
何もない空間に亀裂を走らせ、サトゥンは異空間から聖剣グレンシアを引き抜いた。
堂々と得物を握って対峙するサトゥンに、ノウァもまたゆっくりと剣を構え直す。互いに巨大な剣を軽々と構える姿に観戦する面々は視線を逸らさない。
いったいどちらが口火を切って落とすのか、この場の全員がその予想を的中させることになる。サトゥンが決して自分から攻める筈がないと確信していた。
彼の性格上、ノウァに対して余裕をみせたい、証明したい、そのうえで勝ってちやほやされたい、そう考えるのは明白。
ならば、自分から攻めるのではなく堂々と受けてみせることで仲間達から賞賛されたい。サトゥンならば必ずそう考えるだろうし、それを可能にする力量も技量もある。
故に、仲間達はノウァの初手に注目を置く。いったいどのようにサトゥンへ最初の一手を紡ぐのか。息を呑んで見守る二人の戦闘だが、その開幕は一瞬だった。
サトゥンの懐へ飛び込み終えたノウァがサトゥンのグレンシアを強引に叩きあげ、がらあきとなった彼の腹部へ痛烈な前蹴りを浴びせた。
防御態勢を完全に壊されたサトゥンは、その衝撃を殺し切れず後方へと吹き飛ばされ。草原を越え、森林の木々を何本かへし折ってようやく止まることができたほどだ。
予想外の光景にロベルトやミレイアは呆然とする他ない。最強であるはずのサトゥンが、たった一撃で打倒されてしまったのだ。
草原の彼方まで吹き飛ぶほどの威力を込めた蹴りなのだ、身体を貫いていてもおかしくはないほどの威力が込められていただろう。その現実に身震いし、サトゥンの治療の為に駆けだそうとしたミレイアだが、そんな彼女を制止するようにマリーヴェルが掌を眼前に開く。
そして、忌々しげに呟く『無様な真似するなって言ったのに、あの馬鹿』という言葉。まるでサトゥンのことを心配していないようで、窘めようとしたミレイアだが、それより早くノウァが声を発する。サトゥンが吹き飛ばされた方向へ向かって、だ。
「満足したなら、さっさと起きてこい。この程度が貴様にとって何のダメージもないことは分かっているぞ、魔人」
ノウァの言葉に呼応するように、遥か後方へ蹴り飛ばされたサトゥンは何事もなかったかのように恐ろしき速度で空を駆け、再びノウァの前に降り立つ。
身体についた埃を払いながら、サトゥンは愉しげに笑って剣を構え直す。
「ふははは、実に良い蹴りではないか! 少なくとも上級魔人クラスの力は持っている!
才能だけではなく、不断の努力によって研鑽された力、実に見事だ! 私を魔の王扱いする点は許せぬが、お前の力は認めよう! 故にお前のことを名前で呼んでやる! 素晴らしいぞ、ノウァ!」
「上から物を語るなと言ったはずだ、不快だとな。本気になるがいい、魔人。そうでなければ俺様には勝てんぞ」
「くははは、上から物を語るのは仕方あるまい! 確かに力はあるだろうが、私にとってお前はまだまだ成長途中のひよっこに過ぎんのだからな!
良い機会だ、貴様には勇者であるこの私が直々に鍛え直してやろう! なに、遠慮はいらぬ!」
「他の誰でもないこの俺様を雛鳥扱いしたか――許さんぞ、魔人。人間に害を為さぬならばと見逃すつもりでいたが、気が変わった。人間ではない貴様を俺様が生かす理由は無い、ここで殺してくれる」
ノウァの全身から吹き出す殺意こそ彼がサトゥンを本気で殺そうとしている何よりの証明。どうやらサトゥンの態度が彼の怒りに火を付けてしまったらしい。
彼から放たれる異質な力にリアンは息を呑む。はじめてみせたノウァの本気、それは彼が苦戦したグレイドスすらも上回るほどの威圧感。
恐らく、否、間違いなくノウァはグレイドスよりも格上。今の自分ですら歯が立たないであろう領域にノウァは既に足を踏み入れていると確信する。
驚くのはリアンだけではない。マリーヴェルやメイアですらもノウァの本気に言葉を失っている。百戦錬磨のメイアからみても驚異的な力を持つ存在、それがノウァなのだ。
人間を超える存在、魔を冠する超越者。その力を解放したノウァだが、彼の力を目の当たりにしても動揺しない者がこの場に二人存在した。
一人はサトゥン。彼はノウァの殺気もそよ風を感じているかのように受け流し、笑って指を軽く曲げてかかってこいとノウァを挑発する。
そしてもう一人はグレンフォード。彼とて歴戦の戦士、力を解き放ったノウァがどれほどのものかを感じていない筈が無い。
だが、それでもグレンフォードは驚かない。何故なら彼は知っているからだ、ノウァの力や殺気を遥かに超える天蓋の存在を。
グレンフォードの脳裏に蘇るは、攫われたメイアを救出に向かう前日の夜。サトゥンと二人で語り合っていたときにみせた、邪竜王へ対するサトゥンの怒り。
その殺気は百戦錬磨のグレンフォードをしても、恐怖を覚えずにはいられなかった。もし目前の鬼神が敵であったならば、何も出来ずに殺されるという確信を抱くほどに。
大切な友を、仲間を傷つけられたときにみせるサトゥンの本気、サトゥンの怒り。それを誰より間近でみてしまったグレンフォードだからこそ、ノウァの力に驚愕することはない。
彼の心にあるのは確信だけ。確かにノウァは強い、リアンよりもメイアよりも自分よりも。だが、それでも彼は勝てない。何故なら目の前に対峙する相手は他の誰でもないサトゥンなのだから。
軽く息をつき、グレンフォードは仲間達に言葉を紡ぐ。これから起こる一方的な未来を確信した上で。
「よく見ておけ、サトゥンの戦いを」
「そ、それはしっかり観察して勉強しろってことかい、グレンフォードの旦那」
「違う。サトゥンの戦い方など学ぼうとしたところで時間の無駄に終わるだけだ。
見るべきはサトゥンの強さ。仲間がどれだけの力を持っているか把握する事ができればそれでいい」
「無駄に終わるって……それはどういう意味?」
「見ていればすぐに分かる――」
マリーヴェルの問いに対するグレンフォードの話が終わることなく、戦況は動く。殺気を撒き散らし、怒りのままにサトゥンへ向けて突進して剣を薙ぐノウァ。
その加速、剣速は先ほどまで戦っていたリアンやメイアのマックススピードをも上回る速さ。リアン達ですら視界に捉える事で精いっぱい、ミレイアやライティでは追えぬほどの速度だ。
加速から剣撃への切り替えが残像にしか映らぬほどの踏み込みにて放たれたノウァの本気の一太刀、どこまでも殺意に満ちた若き魔人の斬撃がサトゥンの首筋へ吸い込まれるかに思われたその時だった。
「――え」
その言葉を漏らしたのは誰だっただろうか。リアンだったかもしれない、マリーヴェルだったかもしれない、ロベルトだったかもしれない。全員だったかもしれない。
唖然とするような声を観客の誰かが漏らしたが、この場において一番誰よりも驚愕しているのは他の誰でもなくノウァだろう。
そう、ノウァは驚きのあまり我を忘れてしまっていた。状況が理解出来ず、彼の心を占める動揺、それは彼を包んでいた殺気が霧散してしまうほどに。
サトゥンに対して殺意を込めて振り下ろした大剣はノウァの手の中には無く。あるのは恐ろしい程に痺れ感覚を失った右手のみ。
目の前には両手でグレンシアを振り上げ口元を楽しげに歪めるサトゥン。彼の姿にノウァは混乱しつつも思考を働かせる。
先ほどまで自分の剣の動きを追えず棒立ちになっていた筈のサトゥンが、何故か剣を振り上げた体勢を取っている、何故だ。どうして。いったい何が起きたのだ。
ノウァが求めるその答えは少し遅れてやってくる。遥か上空から空気を裂くような落下音が響いてきたかと思うと、その物体は大きな音を立てて草原へと突き刺さった。落下してきた物体の正体は、ノウァの右手から失われていた己が得物。
サトゥンの完全な迎撃態勢、そして落下してきた武器、痺れる右手。三つの状況から、ノウァは初めて何が起きたのかを理解する。
「馬鹿、な。俺様の一撃が止められたというのか。それも目に追えなかっただと」
「このままグレンシアを振り下ろせば決着、お前に打つ手は存在せぬな。
うははは! 私の勝利である! いや、これは仕方の無いことなのだ! なぜなら私は勇者だからな!
勇者とは人の希望を、期待を背負って戦う者! ゆえに敗北は許されぬ、負けなど有り得ぬ! 勇者であり最強、それが私なのだから!」
「く……まだだ、まだ、やれる。俺様が何も出来ずに終わるなど、そんな」
「その意気やよし! 何度でも相手をしてやるからさっさと武器を拾ってくるがいい、うははは!」
サトゥンの言葉に表情を屈辱に歪めながら、ノウァは草原に突き刺さった得物を手にして体勢を整え直す。
そして再びサトゥンへと斬りかかるが、先程のように攻めに全てを費やすような攻撃ではない。すぐに守りにもシフトできるように重心をやや後ろに残した状態での攻撃だ。
ノウァが攻め一辺倒ではなく、守りも視野に入れた判断は間違いではないだろう。不用意に攻撃に全てを注ぎ込んだ一撃を放ち、それをサトゥンに返されたのだ。警戒を引き上げるのも戦士として当然の判断だ。
閃光のごときノウァの攻撃に、サトゥンは再びグレンシアを振り抜いて対応する。ただ、今回はノウァが守りの余力を残しており、剣を完全に振り切っていないことが幸いした。
ノウァを遥かに上回る斬撃速度、それを驚愕しながらも彼は剣を振り切る直前で止めることに成功した。サトゥンの剣が宙を通過したのを見極め、強引に剣の軌道を変えてサトゥンの逆を突く。いわゆるフェイントだ。
対してサトゥンは完全に剣を振り切った状態で身体が流れている。どう考えても防御も回避も間に合わない。ノウァの剣は必ずサトゥンを貫く、そうノウァは確信していた。
だが、彼の剣はサトゥンへと届かない。剣を振り切っているサトゥンが、踏み込んでいた足を強引に軸として回転させ、恐ろしき速度で剣を切り返してきたのだ。
常識はずれにもほどがあるサトゥンの剣撃は間に合わぬ筈のノウァの剣を捉え、打ち返す。手に伝わるあまりの衝撃にノウァは再び剣から手を離しそうになるが、両手で必死に握ることで持ちこたえる。
冗談ではない、心の中でそう悪態をつく暇もない。何故なら受け一辺倒だったサトゥンがノウァに向けて攻撃へとシフトしてきたからだ。
サトゥンの振るう剣をノウァは必死に受け続ける。否、受け切れてなどいない。必死に流しているだけだ。サトゥンの一撃は到底抑えきれるものではなく、剣の軌道をなんとか逸らすことで精いっぱいなのだから。
一歩、また一歩と踏み込んでノウァへグレンシアを振り回すサトゥン。彼の剣に観戦者の誰もが言葉を失わずにはいられない。サトゥンのみせる剣は彼らにとって絶句する他ない歪な剣技だったのだから。
剣というものは技術と経験によって積み重ねて強さを熟成させる。マリーヴェルしかしメイアしかりノウァしかり、彼らの剣は身体の強さという土台の上に技術や経験を積み上げることで戦闘力に昇華させているのだから。
だが、サトゥンの剣はそれらとは一線を画する。別世界の剣技といっても差し支えが無いだろう。何故なら、彼の剣、その強さの根源は全てがサトゥン自身の強さに拠って成り立っているのだから。
彼らの戦いを観戦しながら、グレンフォードが説明するように口を開く。
「サトゥンがノウァを圧倒しているのは、サトゥンがノウァよりも剣の技術が卓越しているからではない。サトゥンの全てが強いからだ」
「全てが強い、ですか?」
「そうだ。サトゥンがやっていることは、目で見て敵の攻撃を判断し、剣を握って己の力の全てを相手に叩きつけている、ただそれだけだ。
俺達は技術や経験を持って敵と戦う。敵の呼吸、思考、動きを読み、駆け引きを行い、自分が戦いやすい環境を作り出した上で磨き抜いた技術を以って戦っている。
だが、サトゥンにそんなものは必要ない。人智を超越した身体能力によって成り立った強さの前には、そんなものは余分でしかない。
俺達のように敵の行動を読んだり誘導したりせずとも、目で視て避ければそれが絶対回避。俺達のように敵の隙を作り斬り込まずとも、剣を握って全力で切り込めばそれが必殺となる」
「な、なんてデタラメなのよ……」
「魔物相手ではあまり分からないだろうが、こうして武器で競い合う相手と対峙するとその異常さが顕著になる。
俺やメイアがお前達にサトゥンと模擬戦をさせない理由がこれだ。リアンのときのように、闘気の目覚めを掴ませるためならまだしも、サトゥンの技術をお前達が学んだところで意味は無い。
何故なら、あいつの強さは理ではなく純然たる力によって成り立っている。サトゥンの剣には攻めも受けも存在しない、必要ないのだ。
サトゥンの放つ攻撃の全てが相手を捻じ伏せ、蹂躙することを可能とする一撃なのだから。何度でも言おう、あいつは――サトゥンは最強なのだ」
淡々と告げるグレンフォードの説明に呆然としていた仲間達だが、やがて胸にこみ上げる熱い物を感じていた。
何て無茶苦茶、何てでたらめ、何て常識外れ。そんな言葉を口にしたくもなるが、それ以上にサトゥンらしいと思ってしまう。
人の想像の遥か上を笑って飛びまわる姿こそ、サトゥンがサトゥンたる所以。自分達を導いてくれる勇者の圧倒的な強さ。
その姿を誰もが誇らしいとすら思ってしまう。誰かに自慢したくなるほどに、胸を張りたくなるほどに。これがサトゥンだと、自分達の勇者の力なのだと。
普段は馬鹿な行動をしてばかりだが、大事な時には決して自分達の期待を裏切らない。どんなときでも安心を与えてくれる、誰にも負けない勇者様、それが彼らのサトゥンなのだから。
前進制圧を繰り返し、人外の力を以ってサトゥンはノウァへ休みなく剣を放ち続ける。彼に疲労など存在しない、終わりの無い必殺の一撃にノウァは堪らず距離を取る。そして剣を構え直し、肩で呼吸をしながらサトゥンへ言葉を紡ぐ。
「俺様が手も足もでないなど……こんなこと、認められるか! 魔の王を目指し、あの男を超えるために修練を重ね続けたこの俺様が、見ず知らずの魔人ごときに負けるなど!」
「ふはは、敗北は恥ではないぞ、ノウァよ! 敗北を知るということは、超えるべき新たな目標を見つけるということだ!
その目標をひたすら追い続けて、遥か高みへ昇りつめたリアンの姿を私は知っている。必死に壁を乗り越えようと努力を重ね、ついには目標に肩を並べた瞬間の感動は言葉にすることすら出来ぬほどだった。
ゆえに! メイアがリアンにそうしたように、今度は私がお前の壁となろう! 後悔のないよう、己の持てる全力でかかってこい、ノウァ!」
サトゥンの言葉に、ノウァは己の持つ最強の力を解放する。それは彼がリアンに説いた己の全てを賭すことの出来る一撃。
己が大剣に黒き炎を纏わせ、ありったけの力を剣に込めてサトゥンを叩き潰す。それがノウァの選んだ最後の選択だった。
力を高めていくノウァにリアンは戦慄する。ノウァの炎を纏った一撃の重さは誰よりリアンは知っているが、今のノウァの力はリアンに放ったときとは比較にならない破壊の力を秘めている。
それを肌で感じたリアンは、サトゥンに気をつけてと声を送ろうとするが、その言葉が彼に紡がれることはない。対峙するサトゥンの姿を見て、その心配は必要ないと分かってしまったから。
「その若さでよくぞ磨き上げた。賞賛に値するぞ、ノウァよ。ゆえに、貴様に見せてやろう――この私、サトゥンの自慢の一撃を!」
大剣を振り上げて構え、サトゥンもまたノウァのように己が力を剣へと解放する。
グレンシアの刀身を包む黒き光、魔力の焔が巨大な刃を形成していく姿を、リアン達は知っていた。それは彼が海獣デンクタルロスを一撃にて葬った技。
巨大な海獣を一撃でしとめるほどの力を持つ強力無比な必殺技。それを人外とはいえ、おなじ人型のノウァに向けることから、サトゥンがどれだけノウァの力を評価しているのかが伝わるだろう。
サトゥンの力が込められた剣を前にしても、ノウァは怯まない。剣を握りしめ、サトゥンへ向けて咆哮をあげて疾走する。己の誇りと自信のために、逃げることなど許されない認められない。
ノウァの想いに気付いているが故に、サトゥンもまた全力で彼に応える。互いに魔力を纏った最強の剣を奔らせ、己の全てを詰め込んだ刃同士が重なりあって――爆ぜた。
巨大な力のぶつかりあいは、周囲に激しい風圧を生みだす程で。激しい閃光の中、力勝負に敗れたのはノウァだった。
サトゥンの振り抜いたグレンシアは、彼の持つ大剣の刃を真っ二つに叩き割り、それでもなお飽き足らず衝撃はノウァの身体を包み込んでいく。
解き放たれたサトゥンの刃はノウァを吹き飛ばし、後方に広がる森林、その木々を幾重にもへし折ってなお勢いは止まることなく。
合計にして十二本もの木をへし折り、森林のなかにある巨大な岩壁に叩きつけられてノウァはようやく停止する事ができた。無論、今の彼に意識などある筈もない。ボロボロになったノウァは完全に気を失い岩壁に身体をめり込ませていた。
数分待っても戻らぬノウァに、慌てて彼の気絶している場所へ駆けつけた面々だが、ノウァのあまりの惨状に言葉を失う他ない。
自業自得とはいえ、これがサトゥンに喧嘩を売り、全力を受けた者の姿。おそろしいほどの力を持つノウァ、若き魔人を歯牙にもかけずねじ伏せた勇者は、得意げにむふんと笑って言葉を紡ぐのだ。
「さあノウァよ! 勝負は決した、ゆえに私達もリアンとメイアのように互いの健闘を讃えあおうではないか!
確かにお前は私のことを魔の王だなんだと馬鹿にして気に入らぬ点は多々あるが、磨き上げた力と技術は感動を覚え……ぬ、ノウァよ、昼寝などしている場合ではないぞ、互いの健闘を……」
「あの、サトゥン様、無理ですからね。ノウァさん、完全に気を失ってますからね」
気を失ったノウァの手を握りぶんぶんと握手をするサトゥンを諭すように説得するリアン。どうやらサトゥンはリアンとメイアの関係が羨ましかったらしく、真似したかったようだ。
どこまでも自分勝手自由気ままに我が道を往く勇者様に、その場の誰もが息をついて笑う他ない。つくづくもって彼らしい、と。
ただ、サトゥンの自慢の一撃を受け切ったノウァの身体は想像以上にボロボロで、治療にあたったミレイアだけは笑い事ではなかったことを付け加えておく。気を失ったノウァが意識を取り戻したのは、翌日の朝のことであった。
今章の戦闘パート終了です。次も頑張ります。
ここまでお読み下さり本当にありがとうございました。




