55話 魔勇
復興の最中にあるトントの街。次代の王であるリュンヒルドが陣頭指揮をとり、街中も以前のような活気が少しずつ戻りつつある。
グレイドス達に襲われ、再び同じことが起こるのではないかと初めは怯えていた街の者達であったが、メーグアクラス王の指示のもと、迅速にリュンヒルドを派遣したことが大きく不安を取り除く結果につながっている。
百を超えるリュンヒルド直属の騎士団を従え、街の新たな領主として破壊された建物の再建に尽力を尽くすことで、トントを復興させるという姿勢を街の者達に示してみせた。
また、街の再建の為に、リュンヒルドは街の者達に仕事を与え、十分過ぎる程の褒賞を見返りに与えていた。こうして、トントの街は元々住んでいた者や、仕事を求める者が少しずつ集まってきて活気を取り戻し始めていったのだ。
この街を襲った魔物、それを前領主代理であったメイア・シュレッツァが退治したと広めたことも大きい。
彼女が身を盾にし、迅速な指示を出したおかげで、巨大竜に街を破壊されても奇跡的に死者が一人も出ることなく済んだことを街の者達は知っている。
メイアが魔物を退治したことは、街の者達に勇気を与えることにもつながった。正確には、メイアではなくメイアを含めたサトゥン一行が退治したとリュンヒルドは広めたのだが、メイアを慕う街の者達にとっては名の知らぬ冒険者よりもメイアの名が心に刻みつけられるのは仕方ないといったところだろう。
功績を残したメイアは、王国最強の『英雄』としてメーグアクラスの平和のために新たな仕事を与えたことを民達にリュンヒルドは伝えている。
彼の話を街の者達は喜ばしく思う気持ちと、自分達の領主として残ってほしかった残念な気持ちが入り混じった想いだった。その評価こそ、領主としてメイアが優秀であった証明なのかもしれない。
街に起こった悲劇、そして英雄の活躍、復興への道。楽しげに語る街の者の話だが、耳を傾けていた青年にとってはあまり興味のある話ではなかったようだ。
人間を虐げていた魔物は既に他の人間が手を下した。ならば、ここにはもう用は無い。黒髪の青年は、バーで三本目の酒をあけながら、隣に座り酒を呑む老人に更に問う。
「この街の復興話はもういい。それよりも、他に何か魔物の話はないか。お前達人間を脅かす存在は他にいないのか」
「人間を脅かすって、お前さんも人間じゃろう。何だ、強い魔物と戦いたいのか、お前さんは」
「戦いたいんじゃない、潰すのだ。俺様の野望成就の時を迎えるまでに、俺様以外の悪の全てを殺し尽さねばならんからな。
さあ、教えろ。この近隣で人間の命を脅かした魔物の存在を耳にしたことはないか」
「魔物なあ……そうさな、最近と言っても、もう一年以上も前になるか。
ここから山を幾つか超えたところに、キロンの村という山村があったんじゃがな。村人全てが魔物に食われてしもうたよ」
「ほう」
「逃げ帰って来た兵士達の話を聞くと、あの地帯一体には強力な魔物の棲み処となってしまっているらしい。
前領主であるメイア様も、あの山には決して入らぬようにと命じられたのでな。悪いことは言わん、話をきくだけにしておきなさい。
民芸品を売りに来るキロンの村の者の姿も、完全にみなくなってしもうた。全員魔物に食われてしもうたんじゃ」
「なるほど。ならば次の獲物はそいつらにすることにしよう。同じことを繰り返されてはたまらんからな。
人間の命を奪おうとする悪は、この俺様が全て排除してやる。俺様の支配する世界に、俺様以外の悪など存在させん」
席から立ち上がり、金を机の上に置いて去っていく。
その黒髪の青年――ノウァの背中を見つめながら、酒に酔った老人は追加の酒を頼みながら、ぽつりと言葉を漏らすのだった。
「不思議な坊主じゃのう……悪の全てを排除するなど、まるで物語の勇者様のようじゃわい。ほほほ」
トントの街から離れ、山道を歩くノウァだが、奥に進むにつれて不思議な感覚に見舞われる。
老人が話していたキロンの村という場所に近づけば近づくほど、理由もなく引き返さなければいけないのではないかと思ってしまう。
恐らく、普通の人間ならばこの時点で疑問を感じることもなく道を引き返しただろう。だが、ノウァはこの違和感の正体に気付いている。
この心に半強制的に引き返すよう錯覚させようとするものの正体、それは魔術。彼がそれを悟ることが出来たのは、彼の故郷にも同様の魔術が施されているためだ。
経験しているからこそ即座に正体を見破れる。この種類の魔術は、錯覚が魔術によるものだと強く自覚していれば、何の意味もない。
心に訴えかけてくる魔術を打ち消しながら、ノウァは言葉を漏らす。
「人為的な魔術がしかれているということは、キロンの村とやらを襲ったのは魔獣ではなく魔族か……?」
彼の推測は当然、間違いである。この魔術を施したのは、キロンの村の新たな住民として迎え入れられた流浪の民達。
キロンの村には、人とは異なる容貌を持つ魔人、魔族が多く住んでいるため、普通の人間が間違って足を踏み入れ、村のことを噂でも広められては困るのだ。
この地一体は強力な魔物が棲んでいるため、近寄らないようにと王国からのお触れもでてはいるのだが、その魔物を狩ることを目的とした命知らずがやってこないとも限らない。
そこで、魔術の行使に長けた流浪の民が認識阻害の魔術を村の周囲に張ることで、人に害をなすことなく、村への接近を妨害する事に成功していたのだ。
魔術を行使した者は、村を襲った存在ではなく、村人なのだ。だが、それを知る由もないノウァは、相手が魔族だと思い、剣を抜いている。
ただの魔獣ならば、思考などせず空腹のままに人間を喰らっているだろうが、魔族ならば話は変わる。
人間の命を弄ぼうとする魔族は、例外なく下種びた悪を振りかざしていた。そのことにノウァは何よりも強く憤りを感じている。彼らの反吐が出そうになる悪を見る度、怒りが身体を包んでゆくのだ。
彼の信じる美しき悪の在り方、それをまるで踏み躙られたように思えて仕方が無い。彼が幼い頃より憧れた真の悪とは、そのようなものではない。
ゆえに彼は、殺気を押し隠そうともせずに、怒りを露わにして剣を抜くのだ。この村を滅ぼした魔族がどのような存在であれ、一太刀のもとに斬り伏せることなど、彼にとっては造作もないことなのだから。
やがて、山奥を更に進んだところで、ノウァは一人の男と対峙する。
長身のノウァだが、その男は更に一回り大きいだろうか。ノウァの前に腕を組んで立つ男は、楽しげに笑いながら警戒するノウァに口を開く。
「ふははは! 変な気配がすると思えば、中々に面白い存在が現れたではないか!
殺気を抑えることなく振りまきおって! その目はまさに血に飢えた悪の瞳、人間の血を求めている悪に違いないわ! そうであろう!」
「……魔族か? いや、違う、これは……貴様、もしや『魔人』か」
「うんむ? 如何にも私は魔人だが……ほう? お前からも魔族ではなく、魔人の気配がするな。しかし完全な魔人ではない……興味深いではないか!」
対峙した銀髪の男から感じたモノに、ノウァは驚きを隠すことが出来ない。
何故なら、目の前の男は彼の知る者と同じ、魔族ではない異界の力をその身から放っていたからだ。そして、その大きさは少なく見てもノウァの知る者と同等以上。
言ってしまえば、実力者のノウァを以ってしても『化物』と評するに相応しい。対する銀髪の男も、ノウァから色々と感じ取ったようだ。
だが、彼はノウァと違い余裕を何一つ揺るがすことは無い。まるで自身を格下とみているようで、不快な気分にされる。そう感じたノウァは、手に持つ剣を突き付け、男に向けて訊ねかける。
「異界の魔人、名をなんという」
「うははは! 私に名を訊ねるか! よかろう、私は名乗ることが大好きなのだからな!
我が名はサトゥン! この世界に舞い降りた、最強にして人類の救世主、かのリエンティの勇者の再来、勇者サトゥンである!」
「サトゥン……奴からその名は聞いたことが無いな。古の魔神ではないのか。
ふん、ただの魔人ならば恐れることは無い。貴様、この地で何を企んでいる。人間達を使って何をしようとしている」
「我が企みだと? ぬはは、そこまで聞きたいなら教えてやろう!
バラクタとレメリーがまもなく結婚式を迎えるので、祝いのための花を手分けして探そうとしておるのだ!
村娘のウェリッシュが言うには、桃色の花が特に喜ばれるらしいのでな! くははは! 我が計画はもはや誰にも止められぬ!」
問いに対して帰ってきた目の前の男、サトゥンの答えに、ノウァは全く理解出来ないとばかりに眉を顰める。
この村を滅ぼし、人間を弄んでいる男の目的を聞けば、結婚式のための花摘みを計画しているという。意味が理解出来る筈もない。
魔人とは、異界にて殺し合いの為だけに生きる存在であると彼は聞いている。また、彼にそれを教えた者も、かつては自身もそうだったと振り返っている。
その魔人であるサトゥンが胸を張って告げた言葉を、ノウァが理解出来ないことを一体誰が責められるだろうか。
そんなノウァに追い打ちをかけるように、サトゥンは嬉々として人懐っこい笑みを浮かべて話を続けるのだ。
「バラクタとレメリーが結ばれ、子をなせば、それはそれは立派な赤子が生まれるであろう!
子とは宝だ、可能性の塊だ! 立派な家庭を築き上げられるよう、私は勇者として全力で支えねばならぬのだ! その手始めとして、まずは花を……」
「待て。俺様には貴様の言っている言葉の意味が何一つ理解出来ん。
貴様、魔人ではないのか? 魔人とは他者を蹂躙し、踏み躙り、殺すことで充足を感じるのだろう」
「ほほう? 魔人について詳しいではないか。
魔人界にすまう魔人共、奴らはお前の言う通りの存在ばかりであった。どいつもこいつも殺すこと蹂躙することしか考えぬ奴らばかり。
だが、なかにはそのことに疑問を示し下らぬと断ずる魔人も存在するのだ。そう、貴様のような悪を打倒し、人々の希望となることを願う私のような魔人がな! それこそが私、勇者サトゥンである!」
「待て。俺様が悪であることは否定せん。俺様はいずれ魔の王としてこの世界を支配するという大望がある。
だが、貴様が勇者だと言うのは納得いかん。貴様の何処が一体勇者だというのだ。
貴様は勇者というより、俺様の目指している魔の王そのものではないか。世界広しといえど、貴様のような勇者などいてたまるか」
「誰が魔の王だ! ふん、貴様の目はどうやら節穴のようだな。よく目を見開いて観察するがいい! 私のどこが魔の王だと言うのだ、誰がみても勇者そのものではないか!」
「目を見開いて水面でも眺める必要があるのは貴様の方だ。仮に俺様が魔の王となったとしよう。
玉座に座り、勇者の訪れを待っていたとして、そのときに貴様が現れでもしてみろ。別の悪が魔の王の座を奪いにきたとしか思えぬわ」
「ぬ、ぬううううううううううう!」
これまで誰もがサトゥンを傷つけまいと、言えなかった言葉の数々。
容赦なく言い放つノウァに、サトゥンはグサグサと心が傷つけられていく。少しばかり涙目だが仕方ない、サトゥンの心は意外とデリケートなのだから。
だが、当然のことながら、ノウァにとってサトゥンが傷ついたかどうかなど興味あるものではない。軽く息を吐き、ノウァは剣を下ろしながらサトゥンに訊ねかける。
「とりあえず、貴様が害の無い生態の魔人なのは分かった。貴様に問いたいのだが、この近くにキロンの村という滅んだ村がある筈だ。
その村を滅ぼした魔物を探している。何か知っていることは無いか」
「待て、その前に私が勇者ではなく魔の王のようだと言ったことを訂正しろ! このままでは心が立ち直れぬ!」
「なぜ訂正する必要がある。むしろ喜ぶべきことではないか、我らのような悪に生きる者にとって最高の褒め言葉だろう。
魔の王を目指している俺様がここまで褒めることなど、そうはないのだぞ。少しばかり嫉妬すら覚えている、光栄に思うが良い。
悔しいが、今の俺様ではお前ほどの魔の王としての貫禄が出せるとも思えないのでな」
「思える筈がなかろうっ! この私が、勇者である私が、魔の王などと、これ以上の侮辱があろう筈もない!
ぐぬぬぬ、少し待っていろ! 貴様の目が節穴であることを、私がいますぐ証明してやる! いいか、逃げるでないぞ!」
目に涙をためて、身を翻して駆けていくサトゥンに、ノウァはますます理解出来ず大きく息をつくしかない。
ただ、待てと言われて真面目に待つノウァも律儀だ。真の悪は約束事を違えないというポリシーのもと、彼はサトゥンの帰還を待つ。
やがて数分が過ぎ、再びノウァの前にサトゥンが現れる。迷惑そうな顔をした青髪の少女、ミレイアを連れて。
サトゥンに言われるままについてきた彼女は、初めてみるノウァに目をきょとんとさせるものの、頭を下げて一礼する。それに対し、首を軽く縦に頷かせて応える。無視しないあたり、何だかんだで礼儀はしっかりしているのかもしれない。
涙目のサトゥンと、無愛想なノウァ。そんな二人の前に連れてこられたミレイアは改めて首を傾げて何事かとサトゥンに訊ねかける。当然だ、教会の清掃をしていたら、突如現れたサトゥンが涙目で無言のまま彼女の手を引いてここまで連れてきたのだ。事情を説明されていないミレイアが訊ねかけるのも、仕方のないことだろう。
「それで、何事ですの? 突然連れてこられて、私、訳が分からないのですけれど……」
「ミレイア、正直に答えてくれ」
「ええと、何をでしょう?」
「私とこの男、どちらが魔の王に見える」
「……正直に、答えて構いませんのね?」
「そうだ、正直に答えてほしいのだ」
サトゥンにきっぱりと言われ、ミレイアはサトゥンとノウァ、二人を真剣に見比べる。
彼女の本音としては、既に答えは出ているのだ。だが、改めて見比べれば、違う答えが出るかもしれない。
サトゥンとノウァの容貌、格好、体躯、全てを見比べ……そして、ミレイアは答えを紡ぐのだ。
彼女がおそるおそる指差した、その先には――その場で崩れ落ち、嗚咽を漏らす大男の姿があった。
さめざめと泣く勇者、それを見下ろしながら、ノウァは今日何度目かとも分からぬ溜息をついてミレイアに訊ねかけるのだ。
「この男は一体何がしたいのだ。俺様にはこいつが泣いている理由がさっぱり分からんぞ」
「や、やっぱり嘘をついてでも誤魔化すべきだったのかしら……胸に凄く罪悪感が」
オロオロと困惑するミレイアと、強き魔人の涙の理由など思いつかず呆れるしかないノウァ。
結局サトゥンが泣きやむまで、二人はその場に留まるしかなかった。勇者サトゥン、ここまで心を傷つけられたのは生まれて初めての経験だった。
曖昧な言葉って意外に便利だって叫んでるヒットソング聴きながら。次も頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




