51話 刀覇
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邪竜王セイグラード。その巨体はこの地にいたどの巨竜よりも大きく、そして逞しく。
ドラゴンの王と形容するに相応しい体躯に、頭上には天を貫くように巨大な一角が真っ直ぐにそそり立ち。
紅に光る瞳は、彼の前に立つサトゥン達を映しているだろうか。セイグラードは蒼く晴れた空に巨大な咆哮を轟かせる。
その声は何処までも他者を威圧するような、恐ろしき魔力が載せられた他者の意識を奪える咆哮だ。並みの人間ならば、その場で気を失っても不思議ではない。
事実、サトゥン達に助力をせねばと飛び出そうとしたロベルト、ライティ、ミレイア。この三人は、まるで影を縫いつけられたかのように、その場から動けなくなってしまう。
彼らを縛るのは、絶対的な恐怖。これ以上近づけば殺されると身体に叩きこまれてしまったのだ。
言うなれば、三人の喉元に鋭利なナイフが突きつけられているようなもの。これ以上進めば確実に死を迎えてしまう光景が目の前に広がっているのに、一体誰がその一歩を踏み出せるだろうか。
恐ろしい程の力量差を覆せる程の経験も積み重ねもない、言ってしまえば三人はこの時点で敵ではないとセイグラードに一蹴されてしまったのだ。
邪竜王セイグラード、かつて世界をその手に収めかけた、竜の王。この世界でも有数の化物である彼に挑む資格を、三人はまだ持ち得なかったのだ。
では、彼と戦う資格を持つ者は誰か。それは、突き付けられたナイフを一笑に付し、まるで何もない草原を歩くかのごとく力強く一歩を踏み出せる強者達だ。
セイグラードの放った殺気を気にする事もなく、メイアが、グレンフォードが、そしてサトゥンが黒竜へ向けて足を進めていく。
その先頭を行くサトゥンに、セイグラードは試すように一撃を放つ。黒竜の瞳が光った刹那、サトゥンに一筋の赤い光が奔る。
恐ろしく圧縮された魔力、その威力は山をも貫く力が込められた光線だった。しかし、サトゥンは聖剣グレンシアを切り上げるように薙いで紅の光を真っ二つに切り裂いたのだ。まるで近づいてきた羽虫でも払うかのように。
そして、セイグラードにグレンシアを向け、小馬鹿にするように言葉を投げかける。
「ふむ、こうして無事にメイアを救いだし、用件はほぼ済んでいるのだがな。
ふははは!かつて人間界をその手に収めかけた伝説の竜の首まで持ち帰らせてくれるとはな!随分と気前が良いではないか!私は貰える物は何でも貰う主義だ!」
『……貴様の気配、目覚める前より感じていた。
我らとも人間とも異なる、歪な在り方……貴様、異界の地の『魔神』か』
「ぬ、如何にも私は魔人界より現れた人間を救う者、勇者サトゥンその人である……が。
他の連中は微塵も知らなかったようだが、貴様は魔人界と魔神を知っているのか」
『成程……グレイドス如きでは歯が立たぬも道理か。我が自ら生み出してやったというのに、使えぬ奴よ』
セイグラードの言葉に、サトゥンは視線を強くする。
メイアを攫い、リアンをボロボロにしたグレイドスに対し、サトゥンは何の感情も持たない。自分が対峙したならば、迷わず聖剣グレンシアをつきたてて殺していただろう。
だが、セイグラードのグレイドスへの言葉、それが彼は気に食わない。自ら生み出した命、配下を、仲間を塵のように虚仮にする言葉が、サトゥンは苛立ちを感じずにはいられなかった。
『一応訊いておこう、名も知らぬ新たな『魔神』よ。貴様は何ゆえ、この世界に降り立った。
貴様も我らを生みだした魔神のように、天界の神々を滅ぼす為の兵を創りにきたのか』
「私がこの世界に来た理由が、そのような下らぬ理由である筈がなかろう!
くはははは!私はこの世界のリエンティの勇者として君臨する為に、人間達にちやほやされる為に魔人界からやってきたのだ!
この世界を生みだした神々なんぞどうでもよいわ!いや、この世界に出会えたのだから、あの性悪女神にも深く感謝せねばなるまい!」
『……下らぬな。人間など我らが餌に過ぎん。耳に入れることすら障る世迷言よ。そのような戯言には付き合ってられぬ。
我はこれより、人間共を全て淘汰し、新たな配下共を生みだし、魔の神を殺しにゆかねばならぬのだ』
「下らぬと、言ったか。クハハハハッ、そうやって人間を何処までも見下すことしか出来ぬ故に、貴様達は滅びの運命を迎えるのだ」
『戦うと言うつもりか、我と。人間如きの為に、そのような下らぬ物の為に』
黒竜の吐き捨てる言葉に、サトゥンは剣を構え直し、瞳を閉じて語る。
彼の脳裏に思い出されるは、黒竜が下らぬ物と断じた人間達の、彼の心から信じる仲間達の戦う姿。
家族の命を守る為に、魔人相手に勝利を掴みとった少女。彼女の繰り出した美しき一太刀にサトゥンは心奪われた。
忌まわしき過去と決別する為に、身体を縛る呪いを振り切り、氷蛇を打倒した男。彼の背中、想いを背負った力強き姿をサトゥンは忘れることはない。
囚われた少女を救う為に、己が無力であることを知りながら立ちあがった青年。意地を貫き通し、少女を救いだした青年に惜しみない賞賛を送った。
守られるだけではなく、自分も守る為に杖を取った少女。皆の命を救う為に、恐怖に打ち勝ち、針の穴を貫くように放った魔弾、その光景にサトゥンはどれだけ胸震わせたことだろう。
そして、今、サトゥンの隣に立つ女性を守る為に遥か格上の相手にも勇気を持って立ち向かい、見事打倒してみせた少年。サトゥンの背中を守ると誓った、その言葉が今現実味を帯びようとしている。
サトゥンは人間界に降り立って、人間の、仲間の織り成す奇跡というものをその目で見守ってきた。
仲間を想い、友を愛し、家族の為に武器を取る彼らの姿、その全てがどれも輝いて、言葉に出来ない程に美しく。
ゆっくりと瞳を開き、サトゥンは左右の二人に視線を送り、そっと笑った。改めて、自身がこの世界にいる意味を理解したのだ。
自分は勇者になる為に、この世界にきた。勇者リエンティに憧れ、あのように自分も輝きたいと願い、その為だけに行動し続けた。
だが、今ならばはっきりと分かる。この世界に来て、出会った仲間達と共に時間を過ごし、この世界に自身が在る理由、それは今となっては笑えるくらいに増えてしまったのだと。
人間が、仲間達が輝く姿を、成長を誰より傍で見守り続けたい。
彼らと共に、どこまでも胸躍る日々を過ごしていたい。
戦うことしか価値のなかった、それだけしか生の意味を与えられなかった魔人である自分が、初めて手に入れた宝物達――大切な仲間達と、いつまでも共に在る為に。
「そうか……これが、私の欲しかった『世界』だったのか――これが、私の探し求めた『答え』だったのか。
クハッ、クハハハッ、クハハハハハハハハハハハハ!そうだ、私はこれが欲しかったのだ!私が戦う理由!私が生きる意味!私の求めたモノ!」
『よかろう。いずれは魔の神を滅ぼすのだ、同族を先に我がこの手で殺してやるのもよかろう――消えろ、愚物よ』
「愚物で結構!この答えの価値は私だけが知っていればよい!
ゆくぞ!メイア、グレンフォード!この愚かな蜥蜴に教えてやろうではないか――人間の強さを、輝きを!」
サトゥンの声に応えるように、メイアとグレンフォードは武器に闘気を灯して走りだす。それが戦闘の始まりの合図となる。
邪竜王セイグラードは三人に向け、口から黒き炎の嵐を吐き出す。それはグレイドスとは比べ物にならぬ、全てを闇へと葬り去る漆黒の業火だ。
その炎の嵐を、各々が当然のように対処する。メイアは即座に風魔法で足場を生みだし、上空へと退避を行い、サトゥンは空を飛んで同様に避ける。
唯一残るグレンフォードにも焦りはない。百戦錬磨の彼にとって、ドラゴン退治は慣れた物。ブレスなど当然予想の範囲内だ。
巨大な天壊斧ヴェルデーダを構え、自身の元に訪れる炎に対し、咆哮と共に一閃する。
「はああああああああああああああっ!」
彼の放つ一撃は大地と共に炎を裂く。斧から放たれた光の刃が、海を割るように駆け抜け炎の間に隙間を生み出す。
それを見通していたのはメイアだ。上空から身を投げ出し、炎が消失した大地に着地し、その刃を盾にするようにセイグラードへと疾走する。
上空からサトゥンもまた剣を翳して黒竜へと飛翔している。天と地の二方向からの攻勢だが、セイグラードに慌てる様子はない。
黒竜の角、その先に奔る光に気付いたのはサトゥンだ。飛行を止め、剣を構えて防御の体勢を取る。彼が守りに入るのは、これが初めてのことではないだろうか――それほどまでに、セイグラードの一撃に力を感じていたのだ。
そんなサトゥンの予感は的中する。セイグラードの角より解き放たれるは神雷。大地に、空に、荒れ狂うように奔る魔力のそれはライティとは比較にならない程に破壊の力が込められていた。
大地を焼き尽くすような雷撃を、メイアは目ではなく直感で身体を移動させて回避し続ける。戦場の空気を肌で感じ行動を切り替えるのは、彼女達歴戦の英雄ならではと言えよう。
サトゥンもまた、雷撃を時に躱し、時に魔力を剣に込めてぶつけ軌道を変え、回避に徹しているが完全に攻勢の炎は水をかけられた形になる。
「この程度で勇者の進撃を止められると思ってかああああ!」
前に進むことが困難とみるや、聖剣グレンシアに黒き炎を纏わせ黒竜に狙いを定める。
それはかつて、海上でサトゥンがデンクタルロスを一撃で沈めた剣撃だ。雷撃をかわしながら、セイグラードへ向けてサトゥンは必殺の斬撃を解き放つ。
サトゥンの放った黒き鎌鼬は荒れ狂う雷撃を切り裂き、黒竜の顔面めがけて奔っていくが――セイグラードに届くことなく霧散してしまう。
全く予期せぬ事態に、目を見開くサトゥン。当然だ、殺すつもりで放った一撃が霧散されたことなど、サトゥンにとっては初めての体験だったのだから。完全に攻撃を防ぎ、無効化したセイグラードはサトゥンを見下ろしながら言葉を紡ぐ。
『……同じ魔神でも、格差はあるか。その程度の力で我が障壁を破れる筈がなかろう。
我は最強にして最固の竜なり。我が障壁を砕くのに、レーグレッドすら十の年月を費やしたのだ』
「――ならば、十年分の攻撃を私達三人で積み重ねるだけのこと」
『ほう……人間でありながら、あれを潜り抜けるか』
雷撃の隙間を縫って嵐を抜けたメイアが、駆け抜けながらセイグラードの巨体目がけて刀を抜き放つ。
その速度はまさに疾風迅雷、剣の速さだけならばサトゥンをも超える体技と風魔法を組み合わせた芸術的な攻撃だが、それもセイグラードの身体を包む障壁を超えられない。
だが、彼女はその表情に絶望の色など見せない。反撃としてセイグラードの瞳から放たれる紅光の矢を後ろへ跳躍して避け続ける。
メイアの狙いは一撃を叩きこむことだけではない、敵の狙いをサトゥン達から自分へと引き付けること。リアンやマリーヴェルと違い、彼女は集団戦の経験も豊富であり、自分が攻撃を繰り出すことだけが戦いではないことを熟知しているのだ。
一撃で届かなければ二撃、それでも届かなければもう一撃、それを積み重ねることが勝利への道だと知っている。
メイアが引けば、新たな刃が敵を穿つのみ。メイアと入れ替わるように大地を走るグレンフォードが、全身の力を解放してセイグラードの首筋目がけて渾身の一撃を振るうのだ。
彼の一撃も、セイグラードの障壁を貫くことは出来ない。だが、彼は斧を通じて確かに『セイグラードの肉を押し潰す感触』を感じていた。
行動を起こし、観察し、分析する。得た情報を元に戦術を変える、それが一流の英雄の戦い。確かな情報を得たグレンフォードは、二人に対して声を張り上げて情報を共有する。
「サトゥン、メイア!手数ではなく、力で押し込め!
こいつの障壁は完全無効化ではなく、抵抗の役割を果たしているだけだ!攻撃箇所を集中させろ!」
目障りだと踏み潰そうとする黒竜の足を避けながら指示するグレンフォードに、二人は大きく頷き、グレンフォードが刃を突き立てた箇所、首元を狙って疾走する。
グレンフォードの読みは正確であり、セイグラードの身体を包む衣、それは完全無効化ではなく威力減衰させる代物だった。
竜の巨大な身体と固い鱗、そしてその衣によるダメージ低下によって、彼は鉄壁の守りを、完全無効化を演じていたにすぎない。
攻撃が全く通じないというものは、心に絶望を生みだす。何をしようと光が見えない状況は諦めという闇を創りだしてしまう。
人間とは身体だけでなく、心も脆く折れやすい。そう決めつけていたセイグラードだが、目の前の人間達は微塵も絶望などしなかった。
攻撃が通じないと知るや、即座にその絶望に光を見出す為に、必ず手はあると強き心を胸に抱いて走りだしたのだ。
嵐のような雷撃やブレスを潜り抜け、幾度と首筋に向けて攻撃を放つ三人の姿、それはまさしく物語の勇者達の姿だ。
その光景を見守ることしか出来ない三人は、賞賛の言葉すら口にすることを躊躇われた。それほどまでに、今、目の前に広がるこの光景は――
「……これが、真の英雄の戦う姿、なのか」
伝説に残る程の邪竜を相手に、一歩も引かぬ三人の姿を、ロベルトは目に焼き付ける。
彼はこの光景を、忘れることはないだろう。それはまさしく、ロベルトが成りたいと、在りたいと願う姿なのだから。
死を恐れず、誰かの為に、どんな相手だろうと武器を取って戦う姿。それはまさに幻想世界だけだと思っていた英雄。
胸を焦がす程の憧れと共に生じるは、彼らの力になれない己の無力さ。今、ロベルトは心の底から強くなりたいと願っていた。
あの黒竜に勝つ為の力ではなく、自分達の為に必死で戦っている三人に少しでも力になれるような、そんな力を。
そんなロベルトの心に気付いたのか、彼の背に乗っているライティは、優しく小声で言葉を紡ぐのだ。
「なろうね。ロベルトも、私も、三人のように……強く、なろうね」
「そう……だな。強く、なりてえよ……大切な仲間の背中くらい、守れるくらいに……俺だって」
「うん」
その呟きに、心動かされたのは二人だけだったのだろうか。
彼ら同様に三人の戦いを眺めている少女、ミレイアもまた心の在り方が変わり始めていた。
戦う力等、ないと思っていた。マリーヴェルやリアンのように強くない自分では、何も出来ないと思っていた。
けれど、マリーヴェルの戦いを、そして今、サトゥン達の戦いを見て、それでいいのかと疑問に思うもう一人の自分に気付いてしまった。
ただ、守られるだけで。ただ、蚊帳の外にいるだけで。それで、本当に自分はいいのだろうか。
今は小さな気持ちの発芽に過ぎないが、それはとても大切な一歩だった。ミレイアの心に目覚めかけた感情は、想いは、ゆっくりと、そして確実に成長して花開くだろうから。
違和感に気付いたのは、初太刀を入れた時からだった。
確かに、サトゥンの力は魔界にいた時よりも格段に衰えてしまっている。そのことを自身で否定するつもりはない。
だが、それでもなお目の前の光景に違和感が残る。例え力落ちたとしても、殺す為に放った一撃が、あの程度の薄い防壁を切り裂けぬだろうか。
否、断じて否。広く強者が蠢く魔人界において、序列三位まで上り詰めた程の強者であるサトゥンの技を、簡単に無効化など出来る筈がないのだ。
故に、サトゥンは初撃を入れた後から、邪竜王を包むベール、その正体を探るように攻撃を繰り返していた。
グレンフォードの指示の通り、成程、確かに障壁を押し、肉を押しこむような感触は伝わってくる。だが、その感触に違和感を抱く。
何故、全力で攻撃した時と手加減をしたときの『返り』が等しい。障壁で減衰する力の量が同じならば、強く打てば打つほどに深くめり込む筈ではないか。どれだけ強く打とうと弱く打とうと、身体の外殻を覆う鱗を若干押し潰す程度で終わる筈が無いのだ。
何より、グレンフォードの指示通り、全員が首筋の一点を狙って攻撃を続けているのに対し、セイグラードが何一つ動揺せず、自分達を見下すように佇み続ける様もおかしい。
もし、グレンフォードの推察が当たっているならば、そうはさせまいと行動を起こしている筈だ。だが、セイグラードはサトゥン達の狙いを理解してもなお放置して彼らを火力で押し潰すことに専念している。
すなわち、セイグラードの反応は、黒竜の弱点がグレンフォードの推測だけでは『足りない』証明に他ならない。
何が、何が足りない。少なくとも今の状態では、邪竜王の守りは突破出来ない。このままではじりじりと火力によってこちら側が押し潰されてしまう。
この謎を解き明かさずして黒竜を打倒する、そんなサトゥンの持つ手札の枚数は限りなくゼロに近い。この状況を打破できるジョーカーは確かにある。だが、それを切る場面は果たして今なのか。
この世界に来て、初めて戦闘にて余裕が失われていくサトゥン。迷っていては、二人が邪竜王に押し潰される。仲間を、友をこんな奴如きに殺される訳にはいかない。
故に迷いぬいたサトゥンは、切り札を切る為に二人へ離れるように声をかけようとした――その時だった。彼がその光景を視界に入れたのは。
それは例えるなら、荒れ狂う稲光の中に舞い降りた風の精霊。
セイグラードの放つ暴力の五月雨の中で、流れるように足を運びながら刀を振るうメイア。その動きを、セイグラードは捉えられない。
否、セイグラードでなくても、サトゥンですら今のメイアを果たして捉えられるかどうか。
何故なら、彼女は一人であって一人ではない。流れるように剣の舞を踊る彼女の幻影が、その足運びの中で幾人も重なり見えているのだから。
それは、彼女が風魔法で生み出した幻影。それも、ただの幻影ではない。その影の一つ一つに闘気が込められ、本人と何ら変わりのない、言うなれば重なり合って存在するメイア達。
彼女が刃を振れば、その剣撃は幾重にも重なりセイグラードへと放たれ、セイグラードの紅の矢は彼女を捉えられず。
その足運び、幻影魔法、闘気の配分、全てが芸術的なまでに昇華されたメイアの戦闘に、サトゥンは感嘆の言葉を紡がずにはいられない。
「――これが、完全に闘気に目覚めたメイアの真の力なのか。これが、人の持つ輝き、可能性の力なのか。
クハッ、くははははははっ!リアンといい、メイアといい……愛おしい、心の底から愛おしいぞ、お前達」
メイア・シュレッツァ。彼女の心には、恐怖や迷いの一切が存在しない。
彼女は救われた。危険を顧みず、自分の為に多くの敵と対峙し、勝利を勝ち取ってくれた仲間達に、全てを救われたのだ。
彼女の心を満たしているのは、感謝の想いとそれを形にする意志。自身を救ってくれたみんなを守る為に、武器を与えてくれたサトゥンに報いる為に、それだけに心を燃やして。
メイアの真っ直ぐな想いに、煌刀ガシュラも応えてみせる。サトゥンの生み出した武器は、己が意志を持ち、主を選ぶ。
握られたその瞬間に、ガシュラに伝わるメイアの想い。そのひたむきさ、真っ直ぐさは英雄として十分過ぎる程の器を持っていた。
主の想いを、意志を、決意を無駄にする訳にはいかない。故に、ガシュラは眩い程に光り輝き応えてみせる。
武器を構成するサトゥンの魔力、それを主の魔力へと変換し、本来のメイアならば実現出来なかったであろう、実体を持つ幻影を生みだしたのだ。
一太刀にて二十を超える連撃を放つメイア、本来ならば在り得ぬ筈の攻撃に、サトゥンは糸口を見つける。
メイアの攻撃した箇所とは異なる場所をグレンフォードが斧を振り下ろした時、それは起きた。
「っ、刃が」
『グッ……この羽虫どもがっ!』
グレンフォードの刃が、セイグラードを包む衣を貫き、その下にある鱗を切り裂いたのだ。
吹き出る血飛沫に、誰より驚きを見せたのは攻撃を繰り出したグレンフォード本人だ。メイアに集中する意識をそむけさせる為に、首ではなく腹部を切り裂いた。視線をこちらに向けさせようという意図によって放った一撃は、どれだけ一点集中しても貫けなかった衣を呆気なく貫いてみせたのだから。
その光景を、サトゥンは決して見逃さない。何故、攻撃があれだけ集中していた筈の首元ではなく、腹部が貫けた。
腹部には衣が存在しないのか。否、二撃目を放つグレンフォードの攻撃は、これまでのように完全に防がれてしまっている。
ではなぜ、メイアの十重二十重の連撃では貫けなかったものが、グレンフォードの威嚇のような攻撃で貫けてしまったのか。
その二つの違いは何か。意識し過ぎたメイアの対処、意識の外から放たれたグレンフォードの一撃――答えが、一つにつながった。
「あの衣は、障壁は――強度を一部に集中させることが出来るのか」
分かってしまえば、酷く単純なものだ。それは、邪竜王の鉄壁の守りの秘密。
どうしてサトゥンの一撃を簡単に防ぐことが出来たのか。まず、その前提がおかしかったのだ。
邪竜王は『簡単』になど防いではいない。守りの力、その全てを一点に集中させて攻撃を防いでいたのだ。
身体を包むセイグラードの魔力は、薄く引き延ばされた衝撃吸収のような役割を果たす衣だ。それはグレンフォードの読み通り間違いはない。
だが、敵の攻撃をセイグラードは瞬時に見切り、どれだけ防御に力が必要かを導き、その為の壁を身体の前に生み出しているのだ。
故に、どんな力を込めようと、手に戻ってくる『返り』の感触は変わらない。そうなるように、セイグラードが壁の厚みを変えているのだから。
それは恐ろしく戦闘に長けた邪竜王ならではの技だろう。事実、百戦錬磨のサトゥンですら、騙されていた。
強大な竜、堅牢な鱗、絶対の障壁。その全てが、邪竜王の持つ圧倒的な技量を隠す為のまやかしにすぎず。邪竜王の真に恐るべきは、相手の攻撃全てを瞬時に見切り、魔力の配分を完璧にこなすその戦闘センスだった。
騙され続けた者は、恐ろしき火力の雷撃と紅の矢によって灰と化すまで嵐を放ち続ける。そう、邪竜王の最大の武器は守りだった。完全無欠の守りという刃によって、敵を滅ぼす化物なのだから。
そんなセイグラードが最大の武器のヒントを送ることになってしまった理由、それはひとえにメイアの存在が想像の外に在ったことに他ならない。
一度の斬撃が二十にも三十にも重なるなど、一体誰が考えるだろう。その全てに闘気が乗り、実体となんら変わりが無いのだ。
己の読みを履き違えたセイグラードは、見当もつかぬメイアの攻撃力に、魔力の配分を間違えてしまった。強固に張り過ぎ、一部だけに特化したその衣は、他の部分を酷く薄くしか覆えぬ程に偏ってしまった。
そこにグレンフォードから意識の外の攻撃を受け、彼はサトゥンに情報を流してしまった。このことでセイグラードを責めるのは余りに酷過ぎるというものかもしれない。
光ささぬ洞窟の中に、風穴をあけたのは紛れもなくメイアの研鑽の果てに辿り着いた奇跡によるもの。人が下らぬ存在と決めつけ、見下していたセイグラードが予想するなど、出来る筈もないのだから。
グレンフォードが、そしてメイアが与えてくれた情報を決して無駄にはしない。
種を知ってしまえば、あの障壁を破る為の手段が幾つか思い描かれる。問題は障壁を破る役と、破った後にセイグラードを叩き伏せる役だ。
その役をサトゥンとメイア達がどのように受け持つか。それを考え、サトゥンは笑う。以前までの彼ならば、迷うことなくトドメは誰にも譲らなかっただろう。
目立ちたい。人に賞賛されたい。認められたい。勇者として在りたい。その想いは今もなお変わっていない。けれど、それ以上に『大切なこと』を知ってしまった。彼らの紡ぐ世界を、輝く姿を、もっと見たいと願ってしまった。
故に、サトゥンは迷うことなく二人に指示を送る。彼は瞳を閉じ、英雄達の武器を通じてメッセージを送った。
『奴の防壁は私に任せるがいい!勇者からのお願いである!時間を稼いだ後、隙あらば奴の首を叩き落としてやれい!』
短い中に数多の想いを込めたサトゥンの言葉に、メイアとグレンフォードは表情一つ変えることなく、邪竜王の前に立つ。
上空にて待機し、意識を集中するサトゥンの邪魔をさせぬ為に、二人は刃を邪竜王へと向けて、最後に言葉を交わし合う。
「勇者の願いだ。本来ならば、決着は自身でつけたいだろうに、それを俺達に譲ってくれたのだ――応えねばなるまい」
「勿論です。どんな相手であろうと、私達は負けません。生きて、みんなと一緒に帰る為に!」
メイアが紡いだ言葉、その誓いは奇しくも彼女の愛弟子の誓いと重なって。
サトゥンに任せられた時間稼ぎ、それがどれほど困難なことかは今更言葉にする必要もないだろう。
一撃貰えば即座に死につながるプレッシャーの中で、二人は闘い続けている。炎を、雷撃を、紅の光を避け続けてはいるが、それがどれだけ重圧が掛かり続けているだろうか。
想像を絶するほどの張り詰めた世界で、メイアとグレンフォードは心折れることなく戦い続けているのだ。
それはまさしく幻想の世界の化物退治の一ページ。大地を駆けるメイアとグレンフォードを狙い澄まし、黒竜の息吹が襲いかかる。サトゥンよりもメイアの幻影を危険と判断し、狙いの優先順位を変更したのだ。
雷や光の矢のように個体狙いの攻撃と幻影は相性が良いが、ブレスのように全てを覆い尽くす殲滅攻撃にはあまりメイアの幻影は意味を持たない。
それを見越した上でのセイグラードの灼熱のブレスだったが、解き放った炎の嵐はメイアへは届かない。
この大陸最強の戦士、グレンフォード。彼がメイアを守ると武器を手にした以上、その誓いは必ず順守されるのだから。
「メイアを脅威と感じ、俺を無視して潰しにきたか。その判断は英断だが……あまり俺を舐めるなよ、セイグラードッ!」
吹き荒れる炎の嵐に対し、グレンフォードは斧を翳し、その刃に闘気の輝きを集中させる。
武器全体ではなく、刃先にのみ集められたその力は、まさしく圧縮された闘気そのものだ。
メイアが闘気を魔力と混合させ、幻影を生みだすことに使用したのに対し、グレンフォードはどこまでも純粋に闘気を攻めへと高めていった。
その結果、刃先のみに集められ、凝縮された輝きはどこまでも強く眩く。襲い来る嵐に、グレンフォードは咆哮をあげながら黄金の光を解き放つのだ。
「人間の力を、羽虫と蔑んだ者達の力を思い知るが良い!荒れ狂え、ヴェルデーダッ!」
振り下ろされた天壊斧の衝撃は、その名に恥じぬ天をも貫く一撃で。
光り輝くその一撃は、荒れ狂う炎の渦を呆気なく飲み込み蹴散らし、真っ直ぐにセイグラードへと疾走する。
それは最初にグレンフォードが放った一撃とは威力の質が大きく異なる一撃だった。炎を切り裂いてもなお、威力は収まることなくセイグラードの命を狩りとらんと疾走する刃、それはかつてサトゥンが海上でデンクタルロスを葬った一撃と最早同等。
人間の身でありながら、その頂まで駆けあがったグレンフォード。積み重ね続けた修練と天賦の才が、彼をこの高みへと導いたのだ。
己が腹部へと襲い来る高密度に圧縮された光の刃を、セイグラードは魔力防壁を集中させて受けとめようとする。しかし、予想以上の力を感じ取り、身体中の衣から魔力をその腹部へと集中させていく。
『人間如きが、我の守りを貫けると思ったか。その程度では――』
「一人で足りないのなら、二人で手を取って戦うことが出来る!それが私達、人間の強さですっ!お願いガシュラ、私に力をっ!」
『ッ、人間風情がああああああっ!』
守りに転じたセイグラードの隙をつき、幻影を纏ったメイアが大きく空へ跳躍し、振り上げた刀を黒竜の頭上目がけて振り下ろす。
だが、相手もまた歴戦の強者。グレンフォードの攻撃を受けつつも、メイアへの警戒を完全に解いた訳ではなかったのだ。
グレンフォードの一撃を耐えうる障壁を保ちつつ、己が頭上にもメイアの連撃に耐えうるだけの衣を展開していく。
メイアの刀は一手遅く、その守りに阻まれ頭に刃を突き立てることが叶わなかった。二人の一撃を耐え、セイグラードは再び攻めへと転じようとしたその時だった。
遥か空高くより、己に向かってくる強力な力を感じ取り、意識をそちらへと向ける。そう、セイグラードは大きなミスを犯してしまった。
下等と見下していた人間が、己の想像を遥かに超えてきたこと。そして魔神とみなしていたサトゥンが彼らより脅威ではない一手しか紡いでいなかったこと。故に、誤解した。
サトゥンは警戒するに値せず、メイアこそが一番危険であると判断し、戦場から消えたサトゥンを追撃しなかったこと。それが彼の最大にして最悪の失態だった。
なぜならば、彼ら英雄達を束ねる者は勇者であり、勇者こそが最強にして彼らの心を支える柱。
どんな困難でも、サトゥンが必ず打破してくれる。どんな逆境でも、サトゥンが諦めない限り、何度だって立ちあがれる。これまでも、そして今も、それは何一つ変わらない。
彼が障壁を取り除くと誓ったのだ。ならば、あとはそれを信じて闘うだけ。その期待に必ず応え、全てを救う者――それこそが勇者なのだから。
「悪役らしい台詞を吐いてくれるではないか!貴様には感謝するぞ、邪竜王!貴様のおかげで、私の心は今、これまでにない程に熱く燃え、絶頂に達している!
クハハッ!愛する仲間達の輝く想いと、私の誰よりも美しき欲望を存分に乗せた聖剣グレンシア!希望を乗せた勇者サトゥンの剣、その身に味わうが良い!」
上空にて己が力をかき集め、聖剣グレンシアに全て叩き込んだサトゥンによる不可避の特攻。
恐ろしく速度の乗った一撃を、セイグラードは余裕を完全に失って防御壁をサトゥンの一撃へと合わせる。
迎撃しても間に合わない、ならば自身が最強を誇る守りによってサトゥンの一撃を防ぎきる。そして魔力が霧散したサトゥンを返しの一撃で叩き潰す、それがセイグラードの描いた勝利絵図だったのだろう。
だが、百戦錬磨のセイグラードを以ってしても、サトゥンの力の全てを読み取ることなど出来はしない。何故なら彼は『破天』のサトゥン、常識や限界などどこ吹く風と突き破り続けた彼を計りきることなど誰にも出来はしないのだから。
聖剣グレンシアと邪竜王の防壁が衝突する刹那、眩い程の輝きが周囲を包み込む。強大な魔力と魔力のぶつかり合い、その力は光となって眼を開くことすら出来ぬ程に。
強固な障壁を展開したセイグラードだが、その障壁が幾層にも貫かれ、驚愕に瞳を見開く。かつて魔竜レーグレットですら時間をかけることでしか打ち破れなかった魔力壁を、完全無欠の衣をサトゥンがたった一撃で全てを貫こうとしているのだ。
身体を包む衣、その魔力を次々にサトゥンの一撃が放たれている箇所へ集めていくが、どれだけ集めようとその剣は止まらない。
『馬鹿な、馬鹿な!最強にして最固の我が衣が、たかが一人に、たかが一撃で破れる筈が!』
「一人の力ではない!この一撃は、友の、仲間の、愛する者たちの想いが込められておるわ!
確かに私はかつて程の力は無いかもしれぬ!だがな、今の私はかつての私の何倍も強いと確信しているぞ!
今の私には負けられぬ理由がある!大切な人の為に捧げたいと願う勝利が見えている!私の剣には、私の背には皆の願いが、想いが乗っている!故に――私『達』の剣に!貫けぬ物は無いっ!」
サトゥンの熱き叫びと黒竜の咆哮、それが響き渡ったのはどちらが速かっただろうか。
聖剣グレンシアは邪竜の守り、完全なる守りを生みだしていた防御壁の全てを貫通し、堅牢な邪竜王の鱗すらも突き破る。
深く差しこまれたサトゥンの剣と、周囲に吹き出すは邪竜王の黒き血飛沫。数千年ぶりに味わう死の痛みに、邪竜王は身体を突き上げて悲鳴のような咆哮をあげる。
胸に燃えるは怒りと呪い。サトゥンへの殺意が止まらぬばかりに増幅を続け、その猛りをぶつけんとサトゥンへ襲いかかる。恐ろしい程のダメージを受けてなお、邪竜王の進撃は止まらない。
だが、サトゥンは迎撃の姿勢さえみせず、邪竜王に向けて口元を歪めて言葉を紡ぐのだ。黄泉路への土産のように。
「最初に言った筈だ。貴様に教えてやる、とな――人間の強さ、輝き、ゆっくりと味わいながら死への旅路へ赴くがよい」
『――馬鹿、な』
神速にして神撃。怒りと痛みで我を忘れ、完全に障壁を打ち壊され再生することなど頭にすらなかった邪竜王の命運は尽きる。
サトゥンを喰い破ろうと顔を突き出した邪竜王のその首は、大地へと叩き落とされて。
叩き落とした者が一体誰かなど今更考える必要すらない。刀と斧を首元目がけて一閃させたメイアとグレンフォードが邪竜王の首に遅れて大地へと着地する。
この結果は当然のもの。何故なら二人はサトゥンとセイグラードが刃をかわし合う直前から、邪竜王の首元目がけて武器を手に駆けだしていたのだ。
どれだけ警戒をしていても、あれほどの一撃をサトゥンから受け、衣を維持する事に集中した邪竜王に二人の姿を追える筈が無い。否、そもそも二人が攻撃に来ることすらセイグラードには読めなかった。
当然だ。もし、サトゥンのアタックが失敗に終われば、邪竜王は即座に二人に気付くだろう。そして全ての力を以って、命を奪った筈だ。
自身が最強と自負し、他者は塵芥と見做すセイグラードには、そんな二人の行動など読むことなど出来る筈が無い。
サトゥンを信頼した。結果などみなくとも、必ず防壁を突破してくれると確信していた。故に、二人は守りではなく力の全てを攻めに費やし、捨て身の一撃を繰り出したのだ。
そう、邪竜王は全てを読み違えた。強者故に、他者を見下すが故に、思考すら届かなかった。
自身の命を他者に預ける程の信頼し合う強き心、自身の攻撃すらも人間の一撃の為の囮にするサトゥンの在り方。その何もかもが。
鮮血を振りまきながら、頭部のみとなりながら、それでも邪竜王はサトゥンへと訊ねかける。理解出来ぬ存在に、どうしても口にせずにはいられなかったのだ。
『何故だ……何故、それほどの力が在りながら、人間などに味方する……人間など、我らにとってただの家畜に過ぎんというのに……
貴様程の力があれば、人間など必要とせず、この世界を支配できるだろう……魔の神をも、天上の神々をも滅ぼし、全てを手中に……』
「私の手にした幸福の価値は、私だけが理解していれば良い。貴様になど、理解して貰おうなどとも思わぬわ。
……いいや、それも違うな。私の手にした幸福の価値は、愛する皆と共に共有できればそれでいい。この世界で出会えた私の愛する者達と共に、な」
聖剣グレンシアを次元の割れ目へ収納し、サトゥンは穏やかな笑みを零して後ろを振り返る。
そこにあるのは、メイアとグレンフォードの笑顔。ボロボロになった二人に近づいて、サトゥンは徐に二人の首元に手を伸ばし、抱え込むように強く抱きしめ、大声で叫ぶのだ。
「ふはははははははははは!勇者と、英雄の、竜退治はここに成った!我らの勝利である!」
胸を反りかえって高らかに笑い声を続けようとするが、残念ながらサトゥンお得意の高笑いは続かない。
彼の胸に飛び込んできたミレイア、ロベルト、そしてライティによって、勇者はもみくちゃにされながら大地へと倒れて頭を強く打ちつけてしまったからだ。
痛みにもがくサトゥンを気にする事もなく、歓喜に声を上げる三人。その光景を、メイアとグレンフォードはしばしのあいだ優しく見守りつづけてた。
邪竜王セイグラード――伝説に残る最強の竜を相手に闘い抜いた彼らと喜びを共有し合うこの時間を愛おしく思いながら。
ゆっくりと、意識を覚醒させていく。リアンが目覚めて初めて目にした光景は、どこまでも暖かく燃えるような紅。
その優しき紅を、彼は知っていた。追いつきたいと願った人、守りたいと願った人、救いたいと願った人。
リアンの意識が戻ったことに気付いたその人は、自身を見上げるリアンに向け、暖かな笑みを浮かべてくれた。
それをみてしまって、リアンは感情を抑えられなくなってしまう。グレイドスを貫いてから気を失い続けたリアンは、その後のことなど何も知らない。
けれど、彼女の――メイアの笑顔が、確かに今、ここに在る。それはつまり、彼女を救えたということだ。
守ることが出来た。また共に在ることが出来る。そのことが、ただどうしようもなく嬉しくて。だからこそ、リアンは溢れ出る涙を抑えられなかった。
そんなリアンを優しく抱きしめながら、メイアは瞳を閉じて言葉を送るのだ。彼と温もりを共有し合うように、そっと。
「私は、生きていますよ、リアン。みんなの、貴方のおかげです。本当に、本当にありがとうございます」
「よかっ……た。ほんとう、に、ほんとうに……よかった。メイア様が、いきてて、また、あえて、ほんとうに……もう、にどと、会えなかったらって……」
「リアン、泣かないで下さい。貴方が泣いてしまうと、私まで抑えられなくなってしまいます。
本当に……本当に、ありがとう、リアン。貴方に、再び会えて、よかった……貴方に、会いたかったのです。貴方の優しさに、真っ直ぐな心に、触れたかった。
怖かった。みんなのことを、貴方のことを忘れることが怖かった……消えることが、怖かった……貴方はここに、いるのですね、リアン。幻では、ないのですね」
互いの存在を確かめるように強く抱き合う二人に、最早言葉は必要ないだろう。
救う者、待つ者、互いが不安を、恐怖を押し殺して強く在り続けたが、決して心が潰れそうにならなかった訳ではない。
必死に歯を食いしばって戦い続け、希望へ向かって走り抜いた。その結果が今、二人の再会を紡ぎ出したのだ。
二人が感じていた不安を、恐怖が安堵と喜びに変わるまで、二人は温もりを交わして互いの存在を感じ合うのだった。
文字通り、二人だけの世界が展開されているが、無論、ここにいるのは二人だけではない。
邪竜王の聖地からの帰路、大空を翔ける巨大なポフィールの背上には、他の面々も当然乗っている訳で。少し離れた場所から、全員が二人の世界を見守っていた。
マリーヴェルは少し顔を赤らめながら視線を背け、ミレイアとライティは興味津津とばかりにじっくり二人を観察している。
グレンフォードは穏やかに微笑みながら武器の手入れを続けているし、ロベルトは甘さに耐えきれず砂を吐くばかりだ。
そして勇者サトゥンはポフィールの口の中から必死に脱出しようともがいている最中である。どうやら酷く愛されてしまっているらしい、鳥に。
「まあ、しばらくは放っておいてあげましょう。リアンもそうだったけど、メイアも精神的にかなり辛かったでしょうし。あの二人は互いの存在が今は最高の良薬でしょ」
「え、ええ……でも、マリーヴェル、その、構いませんの?その、リアンさんが……」
「この口?ねえ、余計なことしか言えないのは、この口?」
「ひいいいい、いはいいはいいはいいはい!」
藪蛇を突いてしまったミレイアの頬を容赦なく引っ張るマリーヴェル。だが、その表情は明るく楽しげで。
素直になれないマリーヴェルだが、彼女の心はこの場の誰よりも喜びに満ちていたのかもしれない。
姉のような存在であるメイアが無事戻ってきてくれたこと、そしてリアンの心を守ることが出来たこと、それが嬉しくて。
そんなマリーヴェルに、話題を提起するようにロベルトは彼女へと話しかける。
「そういえば、マリーヴェル、お前メイアさんに勝ったんだって?本当にすげえんだな、マリーヴェルって」
「私が凄いのは事実だけど、あんなの勝った内にも入らないわよ。本気のメイアはあんなもんじゃないし。
……というか、何で私にはマリーヴェルでメイアにはメイアさんなのよ。メイアもアンタより歳下なんだから、メイアって呼べばいいじゃない」
「いや、なんつーか、恐れ多いというか……ライティもそう思うよな」
「メイアはメイア。全然思わない」
「俺だけかよ……」
腕の中のライティに否定され、ロベルトはがっくりとうなだれる。何故かライティは得意そうに胸を張っていた。
そんな三人の会話、マリーヴェルとメイアの戦いのことを思い出し、ミレイアは突如『ああああああ』と声を上げる。
何事かと皆の視線が集まる中、ミレイアは慌てふためきながら鞄の中から眠りこけるリーヴェを抱き抱え、全員に向かって口を開く。
「皆さん!聞いて下さい!実はリーヴェにはやはり凄い秘密が隠されていたんです!」
「秘密?何よそれ」
「驚かないで下さいまし!実は、実はリーヴェは……人間の言葉をしゃべることが出来るのです!」
ババーンとリーヴェを皆の前に突き出して言い切るミレイア。欠伸をするリーヴェ。
ミレイアの発言後、沈黙がポフィールの背上を支配したが、やがて仲間達の視線は生温かいものへと変わっていく。
マリーヴェルは優しくミレイアの肩を叩き、天使のように慈しむ微笑みを浮かべて優しく語りかけるのだった。
「……ミレイア、帰ったらゆっくり休んでいいからね。疲れてるのよ、貴女」
「え」
「沢山やべえ目にあったもんな。心も体も流石に参っちまうよな。うんうん」
「え、ええええ」
「元気出して、ミレイア。疲労回復の果実、お母さんに分けてもらうから」
「し、信じてないでしょ!?皆さん、誰一人信じていないでしょ!?ちょっとリーヴェ、お願いだから話して!あの時のように!ほら、早く!」
必死にリーヴェにお願いするが、『にゃあ』と返事をしてリーヴェはどこ吹く風でコロンと寝転がる。
お願いしますからと必死に猫に頭を下げるミレイア。そんな姉を可哀想なものを見る目で眺めるマリーヴェル。当然であるが、その目は微塵も信じていない。
どうすればと頭を抱えるミレイアだが、ポフィールの口から解放された涎まみれのサトゥンが近づいてくるのを見て、彼に縋りつくように訊ねる。
「そ、そうですわ!サトゥン様、リーヴェを連れてきたサトゥン様ならご存知ですわよね!リーヴェ、人の言葉を話しますわよね!?」
「ぬはははははは!何を言ってるのだお前は!猫が人間の言葉など話す筈がなかろう!変な奴であるな、ミレイアは!うはははははは!」
「へ、変なっ、奴っ」
サトゥンの放った言葉の刃は何よりもミレイアの心に突き刺さる。
他の誰でもない、サトゥンに変人扱いされたこと、それが彼女の限界だった。リーヴェの隣に横たわり、口から魂が抜けたようにミレイアは陥落した。
そんなミレイアを気にする事もなく、サトゥンはリアンやマリーヴェルの方へ目を向けて嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「おお、二人とも目覚めたのか。ふはははは!何よりである!」
「邪竜王のことはグレンフォード達にきいたわ。最後の最後に参加出来なくて悪かったわね。ありがとう、サトゥン」
「構わぬ構わぬ!お前もリアンも、ロベルトもライティもミレイアも十分過ぎる程に頑張ってくれたのだ。
それに、感謝をするのは私の方だ。お前達のおかげで、私はようやく大切なモノを知ることが出来た。自身の意味を、求めていた答えを知ることが出来た」
「求めていた答え?何それ」
サトゥンの言葉に、首を傾げるマリーヴェル。
そんな彼女に、サトゥンは穏やかな笑みを湛えながら、話を続ける。それは彼がこの世界で得た、自分の生きる道。自分の願う道。
「私は、この世界の『勇者』と成る為にやってきた。『勇者』となり、人間にちやほやされることが一番の目的と思っていた。
だが……いつの間にか、変わっていたよ。私には、それ以上に大切なモノが出来た。それをお前達が教えてくれた。私に、新たな夢が出来たのだ」
「新たな夢?」
「ああ、そうだ。この世界でようやく見つけた、私が追い求めたいと願う、新たな夢。それはお前達と――」
そこまで言葉にして、サトゥンはぴたりと止まることになる。否、遮られたと言った方がいいだろうか。
サトゥンの話の途中で、ポフィールの可愛らしい鳴き声が周囲に響き渡ったのだ。何事かと面々が顔をあげれば、ポフィールの前方には大きな翼竜がこちらを威嚇していた。
明らかに戦闘モードに入っている竜を眺めながら、グレンフォードが口を開く。それに続くように、集まって面々が好き勝手に言葉を並べるのだ。
「……撃ち漏らしがいたのか。全部仕留めたと思っていたが」
「いや、違うんじゃねえかな。邪竜王の死体をサトゥンの旦那が燃やした時、一緒に竜の死体も消えてたし……邪竜王とは関係のない竜なんじゃねえかな」
「もう竜はお腹いっぱいだっていうのに……面倒ねえ」
「撃つ?撃つ?私撃つよ、魔法」
「あら、ならば私もいきましょうか?空中戦も大丈夫ですし」
「ど、どうしましょうサトゥン様」
リアンに声をかけられたサトゥンだが、その様子がおかしいことにリアンが気付く。
先程まで穏やかに口を開いていた筈のサトゥンが、額から夥しい量の冷や汗を流してしまっている。顔も引き攣っている。
どうしたのかと訊ねかけようとしたリアンだが、その理由はサトゥンの口から直々に語られることになる。
「し、しまったああああああああああああああああ!
何も考えずに邪竜王の死体を焼き払ってしまったが、よくよく考えれば、これでは私達が邪竜王を退治したという証拠が何一つ無いではないか!
奴の首を持ち帰り、人々の前で我が勝利を喧伝し、トントの街の者達の復興を応援しつつもちやほやされる私の計画があああああ!」
「そんな下らないことで頭抱えてんじゃないわよ!というか、メイアを連れ帰っただけで、十分証拠になるんじゃないの?」
「それではインパクトに欠けるではないか!邪悪の亡骸を勇者が持ち帰るということに意味があるのだ!ぬうううううう!」
「ど、どうするんですかサトゥン様。もう死体は燃やしちゃったんですよね、今更流石に……」
悩むサトゥンだが、ふと視線をあげれば、その先にはこちらを威嚇する巨大な翼竜の姿が。
その翼竜をじっと眺めること数秒。そして全ては解決したとばかりに、サトゥンは顔をあげ、野良翼竜へむけて声を張り上げるのだった。
「とうとうその姿を現したか、邪竜王セイグラード!我が友メイアを攫い、トントの街を破壊した罪、見過ごしてはおけぬ!この勇者サトゥンが相手である!」
「え、ええええええええっ!?ま、まさかこの竜をセイグラードと偽るおつもりですの!?」
「偽ってなどおらん!こいつは正真正銘、セイグラードである!そう私が決めた!間違いない、こいつは世界を征する程の邪悪である!これほど凶悪な邪竜は見たことが無い!こやつこそが最強にして最悪の存在である!
くははははははは!待っているが良い!その首叩き落として、トントの街の者達のもとへ持ち帰ってくれるわ!」
「さ、最低じゃねえか……勇者が堂々と詐欺を働こうとしてやがる、かっこわりいよ、旦那」
「……まあ、別にいいんじゃないの?セイグラードを倒したことは事実だし、どれがセイグラードなのかなんて誰もわかりゃしないわよ。
これで街の人達が安心して、サトゥンも満足するなら万々歳じゃない」
「優しい嘘、だよ」
「優しいのか!?これは本当に優しい嘘なのか?!」
ノリノリになっているサトゥンを止められないと感じたのか、最早ロベルトすら勝手にしてくれとばかりに腰を下ろして観戦モードに入る。
戦いに向かうサトゥンの背中を誰もが笑って見送っている。そんな彼らの期待に応えるように、サトゥンは空を舞って竜に対峙する。
愛剣グレンシアを取り出し、竜へ向けて構えて、サトゥンは心から楽しそうに微笑みを零して叫ぶのだ。
やっと見つけた、生きる意味。やっと手に入れた、自分の生きる場所。探し求め続けた答えが、今ここに在る。
「さあ、ゆくぞ――私の大切な仲間達と共に、世界中の人々からちやほやされる為に!うははははは!勝負だ、邪竜王セイグラードっ!」
一人じゃない。サトゥンの傍には、大切な人達が傍にいる。愛する人々が共に笑ってくれる。
強大な魔人が、人間界で巡り会えた愛しい仲間達。宝石のように強く輝く彼らと共に、どこまでも――それが勇者の手に入れた、胸を張って誇れる何より大切な夢だから。
これにて五章は終りとなります。本当に本当にありがとうございました。
皆様のおかげで、ここまで書くことが出来ました。心には感謝しかありません。本当に、お付き合い頂きありがとうございます。お読み下さりありがとうございます。
幕間を挟んで六章となります。六章は戦闘ではなく日常メインになると思います。村の生活とかサトゥンとかちょっとラブっぽいのとかサトゥンとかサトゥンとか筋肉とかサトゥンとか描ければいいなと思います。
物語は折り返しを超えましたが、この先も皆様と一緒に歩いてゆければと思います。本当に、ありがとうございました。




