49話 光
自我を取り戻したメイア、彼女の口から洩れた嘆願は自身を殺すこと。
その言葉の意味を理解した時、ミレイアは声を震わせながら、必死に否定の声をあげる。
「な、何を言っているんですか。私達は、メイアさん、貴女を助ける為にここまできたんです。そ、それを殺せだなんて……」
「私は、グレイドスに敗れ……身体の自由を、思考を、奪われました……
心の中に、もう一人の自分が生まれ、最早この身体は私の物であって、私の物ではありません……貴女達を、殺そうとする衝動が、止められない……私は、貴女達に剣を向けたく、ないのです……
早く、早く私を殺して、リアンを追って下さい……グレイドスは、リアン一人では……彼を、彼を失いたくはないのです、早く……」
顔を苦痛に歪めながら、メイアは必死に二人に自身の命を断つことを願う。恐らく彼女は、自分の中で暴れ回るもう一人の自分を抑えているのだろう。
どんな時でも苦しい顔を見せない彼女が、ここまで表情を歪めるのだ。全身を襲う激痛が、筆舌に尽くし難いことが伝わってくる。
だが、そんな苦痛よりもメイアはマリーヴェル達の、そしてリアンのことを口にした。彼女達が救われるならば、その身を犠牲にすることすら躊躇わない。
グレイドスに敗れた時から、メイアは自身の死を受け入れている。自身が生きていることで、マリーヴェル達に害が及ぶというのならば、彼女は迷わず自身の死を選びとるだろう。
その覚悟に触れ、ミレイアは悲痛な声をあげる。こんな現実の為に、ここまで来た訳ではないと。こんな結末の為に、自分達は。
「どうにかなりませんの!?まだ、まだ手は在る筈です!今、この状態のままメイアさんの意識を奪ってしまえば、時間を稼げるのではなくて!?」
「無理、でしょう……私が意識を失ったところで、もう一人の私は止められない……
最早、私を止めるには、この場で首を叩き落として貰う他にないのです……貴女達には、本当につらい選択ばかり押し付けてしまい、申し訳ありません……
ですが、ですが、こんな私を想ってくれるのならば、どうか……その手で、私を」
「嫌っ!嫌ですっ!こんなの、こんなの絶対におかしいじゃないですか!
メイアさんは、私達と一緒に村へ戻るんです!連れて帰るって、みんなで誓い合ったんです!
死んでしまっては、死んでしまっては全て終わってしまうんですのよ!もう二度と、もう二度とお話も出来ないんですのよ!そんなの、そんなのっ!」
頬から溢れる涙を抑えきれず、子供が駄々をこねるように、ミレイアはメイアに想いをぶつける。
必死に思い止まるように説得するミレイアだが、悲しいかな、メイアの気持ちが痛い程に理解出来るもまた事実。
もし、自分が彼女の立場であったなら――自分の身体が己の意志に逆らい、大切な友を、仲間を傷つけていく。
そして、自分を助ける為に、たった一人で強大な敵に向かった大切な人。その人が、自分のせいで命を落とすかもしれない。重過ぎる現実に果たして自分なら耐えられるだろうか。
きっと同じ選択を選ぶ。誰だって死にたくはない。悔いだってある。けれど、自分のせいで大切な人が命を失うくらいなら、そちらの方が何倍もマシだろうから。
仲間を失うことは、悲しいことだ。自身の死で、リアン達の心は深く傷つくだろう。けれど、死を乗り越えて得る強さだって在る。
自分の死を、きっとリアンは、マリーヴェルは、みんなは無駄にしない。そう信じている。だからこそ、メイアは己の死を願うのだ。
痛みに苦しみながら、メイアはミレイアに優しく微笑む。ありがとう、こんな自分を想ってくれて、ありがとう。
最早、自分の言葉は届かないと悟ったミレイアは涙を零すしか出来ない。誰か、誰か止めて。メイアさんを、死なせないで。
必死に願うことしか出来ないミレイア。そんな彼女のどこまでも縋るような願いを受け止める人は、誰よりも傍にいた。
メイアの言葉を黙って聞いていたマリーヴェルが、そっと剣をメイアに突き付け、ゆっくりと口を開くのだ。
「……『メイア様は、僕の目標なんだ。あの人が初めて、僕に敗北を教えてくれた』」
「マリーヴェル……?」
「『メイア様に勝ちたいと、思った。この人に追い付きたいと、思った。
自分を鍛えてくれるメイア様に、自分はこれだけ成長したんだって、結果を出したいと思った』」
マリーヴェルが紡ぐ言葉、それが一体誰の物なのか。そんなものは、問い返すまでもない。
それに気付き、呆然とするメイアに、マリーヴェルは不機嫌丸出しの表情で、メイアを睨みながらたたみ掛けていく。
「リアンはさ、戦ってんのよ。今、この奥で、あんたを助ける為に。
あいつはね、メイアが攫われてから、ずっとあんたを助けることだけを考え続けた。最初にトントの街がボロボロになってるのを見た時、リアンがどんな顔して泣いたのか、想像すら出来ないでしょう?
ボロボロだったわ。見る影もないくらい、リアンの心が壊れかけたの。リアンの心の中に、どれだけメイアの存在が大きいか、考えたこともないでしょう?
大切な人を失った心の穴は、簡単には塞がらないの。あんた、自分の命の重さ、勘違いしてるんじゃないの?自分の命、それがどれだけ私達にとって、リアンにとって重いものか、理解出来てないんでしょう?」
苛立たしそうに容赦なく言葉を並び立てるマリーヴェルに、メイアは表情を悔しそうに歪ませる。
分かっている。そんなこと、言われなくとも分かっている。リアンは優しい子だ。リアンだけじゃない、マリーヴェルも、ミレイアも、仲間の誰もが心優しく、自分が死ぬことなど微塵も望んでないことくらい分かっている。
けれど、どうしろというのだ。自分がここで死ななければ、確実にマリーヴェルやミレイアを傷つける。否、傷つけるどころか殺してしまう。命を奪ってしまう。
そんな未来、絶対に許せない。自分の為に、大切な人が死ぬなんて絶対に認められない。そんなこと、言われなくても分かってるのに。
普段は落ち着いたメイアだが、今はまるで拗ねた子供のように、マリーヴェルに対し、目に涙を溜めて睨み返す。
それは、先程までの諦めきった死んだ瞳ではなく、初めて見せる生きた瞳だ。人間らしい感情を、熱を感じるメイアの素顔だ。
ようやくみせてくれた本音。それは望んで死にたくはないという、行きたいというメイアの本当の意志表示。
彼女の熱を感じ取ったマリーヴェルは、表情を崩し笑う。それは何処までも優しく悪戯が成功したような表情で、メイアに言葉を紡ぐのだ。
「あんたは少し気真面目過ぎるのよ、メイア。何もかも自分の責任、全て自分で解決しようとし過ぎてる。
――頼りなさいよ、私達を。私達は、仲間でしょう?確かにあんたに比べたら、まだまだ頼りないけどさ……少しは、信じてくれてもいいんじゃない?」
「マリー、ヴェル……」
「私はね、英雄を目指してるの。私の目指す英雄は、大切な人の死を……メイアの犠牲を糧に強くなる英雄じゃないわ。
私が目指すのは、どんなに無様でも格好悪くても、必死に守り抜いた大切な人の命を誇り、強くなれる英雄。忘れた?私達のふざけた勇者様が、毎日のように馬鹿笑いと一緒に教えてくれる、英雄の条件を」
英雄の条件。それは勇者サトゥンが、彼らに毎日のように繰り返し教えてくれる、彼らの心に生きる心得。
一つ、英雄とは他者を守る為に全力を尽くす者である。
一つ、英雄とは他者の希望となる者である。
一つ、英雄とはどんな困難をも切り開く勇ある者である。
一つ、英雄とは驕らず研鑽し、他者の為にその力を行使すべき者である。
一つ、英雄とは決して己に負けない心折れない諦めない者である
サトゥンが示したその道の上を、マリーヴェルは決して踏み外さずにゆこうとしている。
そう、メイアを救うこと、それがどれだけ困難な道でも、リアンは、マリーヴェルは、決して迷わず心強く踏破しようとしているのだ。
メイアを守る為に、全力を尽くす。メイアの希望となり、困難を勇気を以って切り開く。研鑽した力はメイアの為に、そして――どんな艱難辛苦をも乗り越え、決して心折れない。
例えボロボロになっても、マリーヴェルは英雄として在ろうとしているのだ。その姿に、メイアは涙を堪え切れなかった。
何処までも強く、真っ直ぐに。諦めていた自分よりも、目の前の少女は何処までも英雄ではないか。そのことが嬉しく、そして諦めていた自分が情けない。
そうだ、自分は彼女達を侮っていた。英雄としてみていなかった。故に、本当の意味で信じることが出来ていなかったのだ。
この場で自分がすべきは、己の命を犠牲にするなどと彼女達の負担になることではない。この場で自分が為すべきは、彼女達に負けないくらいに、自分も諦めないことではないか。
自分を救う為に、この化物が蠢く島に、みんなは駆けつけてくれた。数多の化物を薙ぎ倒し、今、こうして自分の前まで来てくれたのだ。
格好良く死ぬことが、英雄なんかじゃない。誰かの為に、なんて理由を付けて犠牲になることが、正解なんかじゃない。
何処までも心折れず譲らず負けず、必死にあがき通せ。みんなが自分の命を救う道を選んでくれたのならば、それに応える為にも必死でもがけ。
瞳に完全に炎を取り戻したメイアは、痛みを跳ね除けながら、マリーヴェルに問いかける。
「……マリーヴェル。私は、強いですよ。信じても、いいのですね?」
「はっ、それだけ言えるなら十分だわ。任せておきなさい。私一人じゃ勝てないかもしれない。けれど、戦うのは私一人じゃないわ。
貴女を救う為に、サトゥンも、グレンフォードも、ロベルトも、ライティも、ミレイアも……リアンも一緒に戦ってくれている。
そしてこれからは、メイアも一緒に戦ってくれる。みんなに背を押して貰ってる私が、負けるなんて絶対にありえないわ」
「ええ、そうですね、マリーヴェル……私も、戦います……貴女達と、共に……」
決意を胸に抱き、メイアはゆっくりとその意識を落としていく。足元の破邪陣が薄れてゆき、メイアの解放される時が訪れたのだ。
そのことに気付き、ミレイアは慌てて術をかけなおそうとするが、二度目は無い。
意識を取り戻したもう一人のメイアは、大きく背後に跳躍し、二人から距離を取ったのだ。
ゆっくりと剣を構え直すメイアに、ミレイアはあわあわと慌ててマリーヴェルに声をかける。
「ど、どうしますの!?メイアさんが、また襲ってきますわ!」
「どうするって、決まってるじゃない。あのメイアを叩き潰して、終わりよ。気を失わせて、リアンが黒幕を潰してくれるのを待つだけよ」
「そ、そんな簡単に!先程まで貴女、メイアさんにコテンパンにされて手も足も出なかったではありませんの!何か、何か策はないんですの!?」
「ないわよ、そんなもの」
あっさりと言い放つマリーヴェルに、ミレイアはこの世の終わりを感じたような気がした。
あれだけ大口を叩いておいて、打つ手なし。最早自分達はメイアを救えず、それどころか命を奪われる結末しか待っていないのか。
悲観に暮れて泣きそうになる。ミレイアを笑いながら、剣を握り直してマリーヴェルは楽しげに言葉を紡ぐのだ。
「落ち着きなさいよ、泣き虫ミレイ。私一人じゃ悔しいけれどメイアには勝てない。
でもね、さっきも言ったでしょう。この戦場、最早私とあのメイアだけの戦いじゃないのよ。
悪いけれど、私には負ける未来なんて全然見えないわ。勝利の女神が、微笑んでくれるどころか、私達の勝ちを信じて共に戦ってくれてるんだから」
そう言い残し、マリーヴェルはメイア目がけて全力で疾走する。
それは彼女らしくない、何の工夫もない獲物目がけて真っ直ぐ突っ走るだけだ。あれではメイアに迎撃され、返す刀で潰されるだけだ。
目を背けそうになる光景を必死で見守るミレイアだが、彼女の予想は大きく反する結果になる。
マリーヴェルが走りながら奔らせた剣撃を、メイアは大きく身体を横に移動させて回避したのだ。はっきりとした拒絶、マリーヴェルの接近をメイアが嫌がったとしか見えない。
一体何が――その理由をミレイアは、遠目ですらはっきりとわかるメイアの異常から感じ取った。
マリーヴェルから距離を取ったメイアは、片手で必死に頭を押さえながら顔を苦痛に歪めて呻いていたのだ。
第三者が遠目に見てすら分かる程のトラブル。何が起きているのか呆然とするミレイアに、彼女の腕の中で抱かれているリーヴェが眠そうな瞼で見つめながら説明する。
「戦っておるのよ、メイアの中で二つの意識が」
「戦って、いる?」
「メイアにかけられた術、あれは洗脳というよりも、自身の中の悪意を増長させ、理性を押し殺す影を生みだす魔術に近い。
遠い昔に魔族共が神々と争った際によく使用した下らぬ術よ。あれを打ち破るには、先程もいったように術者を殺すしかないが、抗うことは出来る。
しかし、あれに抗うは並大抵の精神力では出来ぬものだが……あそこまで顕著に表に見せるのは、妾も初めてみるわ。素晴らしいの、メイアの資質は」
「マリーヴェルの言っていたことは、そういうことですのね……って、あああ!ま、またリーヴェが喋りましたわ!貴女、やっぱりただの猫じゃありませんでしたのね!」
問い詰めるミレイアに欠伸一つで応えるリーヴェ。彼女達を置いて、マリーヴェルとメイアの戦闘は続く。
戦況は完全に五分だ。身体の中で抵抗する本当の自分に苦しめられるメイアと、先程までのダメージが色濃く残るマリーヴェル、お互い手負いではあるが、ようやくこれで戦況の天秤がつり合いをみせたのだ。
力が入らぬ身体故、一撃ではなく手数で攻め立てるマリーヴェルの剣を、メイアは剣で払いあげるように迎撃する。
だが、頭痛のせいで呪文の詠唱に集中できず、得意の風魔法に頼ることが出来ない。それを観察し、感じ取ったマリーヴェルは更に一段階戦場を近づける。
言うなれば、二人の間合いは完全な接近戦。距離を潰した戦闘で刃を交わし合う二人だが、徐々にその優劣の差が出始める。
優勢に押し始めたのはマリーヴェルだ。その理由は、彼女とメイアの戦闘スタイルの差が如実に表れている。
マリーヴェルはショートソード二本による、手数による戦闘を好み、狭い空間で身体の各部に回転をつけて剣撃を繰り出す戦闘を得意とする。
それに対し、メイアはロングソードでやや離れた近距離に相手を釘づけにし、フェイクや魔法、体捌きで空間を奪いながら推し進めるスタイルだ。
故に、完全に密接に近い距離での撃ち合いならば、マリーヴェルに分がある。それを嫌って、何度も距離をとろうとメイアは試みるが、易々とマリーヴェルは離れない。
身体の痛みと五月雨のように繰り出されるマリーヴェルの剣舞に余裕を失うメイア。そんな彼女に、マリーヴェルは愉しげに追撃をかけるのだ。
「散々地面に転がされたけれど……やっと、見つけたわよ。アンタに勝つ道を。この距離こそが、アンタの一番嫌がる領域なのね。
魔法があれば話は変わったんでしょうけれど、今のメイアならこの距離で出せる手なんてないでしょう?
『メイア』が戦ってくれてるおかげで、自慢の足も私から逃げきれない。腕が縮こまって速度の乗ってないアンタの剣なんて、微塵も怖くないのよね」
「まさか、まさかこれまで一方的にやられていたのは、私を『観察』して……」
「私の剣の師匠にね、夢に見るまで叩きこまれたのよ。
対峙した相手に絶対に勝つ為に何が必要か、それを最後まで気を緩めずに『観察』しなさいって。
だから、私は師匠に感謝してるわ――ありがとう、メイア、貴女の教えのおかげで、私は貴女を止められるっ!」
ゼロ距離に等しい距離でマリーヴェルはメイアに星剣で斬りあげる。
あまりに近過ぎる距離で、剣による防御を排されたメイアは、身体を逸らして避けるしかない。
必死に避けながら、メイアは立て直しの術を探るが、良案が思いつかない。距離を取る為に足を運ぼうとすれば激痛が身体を走り、それを拒む。
最早マリーヴェルを振りきるだけの脚が使えない。魔法で彼女と阻害する事も出来ない。ならば剣で彼女の首を刎ね飛ばせば、となるが、それもままならない。
彼女の懐で器用に立ちまわるマリーヴェルが、剣を振り上げようとする腕を何度も軽く剣を押しあてることで動きを抑制するのだ。
剣を繰り出すには、断ち切るだけの力を込めなければ意味が無い。その力を生みだすのは、振り下ろす距離、そして身体の動きだ。
振り下ろす為の距離はマリーヴェルの剣が阻み、身体の動きも近接で密着した状態では生み出せない。一撃を生みだす為の牙を奪われたことを悟り、驚愕するメイアに、マリーヴェルはそっと小さく言葉を紡ぐ。
「悪いけれど、私の勝ちよ。『メイア』が私と戦ってくれてるんだもの、最初から負ける筈がないわ」
「まだ、まだ終わっては――」
「――幕引きの時間は既に超えてるわ。何一つ諦めない私達と『メイア』に、アンタは負けるのよ!」
メイアの繰り出す半端な一撃を避け、その勢いをつけたまま、身体を捩じり、背後から奇襲をかけるように、マリーヴェルは月剣をメイアの後頭部へと奔らせる。
十分に速度の乗ったそれは、本来ならば何物をも叩き切る刃となるのだが、マリーヴェルが握るはサトゥンに与えられた英雄の剣なり。
持ち主が願うものを斬り、願わぬ者を守り抜くその剣は、メイアの意識を刈り取るのに必要なだけの威力に抑制されていて。
その月剣が美しく弧を空に描き終えるとき、メイアの意識は完全に断たれ――ゆっくりと膝から地に、身体を崩れ落としていった。
倒れ落ちる刹那、メイアが僅かに微笑んだのを見届け、マリーヴェルは己の勝利を悟り、そして彼女も剣から手を離し、その場に崩れ落ちた。限界だったのだ、彼女の身体はダメージと疲労でとうの昔に。
「ま、マリーヴェルっ!」
「ごめん、もう無理、限界だわ……本当、馬鹿みたいに強かったわ、メイア……」
慌てて駆け寄るミレイアに、指先一つすら動かすのも億劫だとばかりに、地に頬をつけたままで、マリーヴェルは呟く。
必死に神魔法でマリーヴェルの治癒をかけるミレイアだが、マリーヴェルの怪我はともかく、疲労は短期間で抜けるようなものではない。
それだけこの戦闘が激しかったことを物語っている。しかし、その頑張りに見合うだけの報酬をしっかりと彼女は手にしたのだ。
メイアを殺すことなく、無力化する事に成功した。これで後は、リアンが術者を倒してくれれば、それでメイアの身体と心は自由になる筈だ。
そんな偉業を成し遂げた妹を、心から誇らしいと思いつつ、ミレイアは涙ぐみながら必死に治癒を進めていく。
魔法を受け続けるマリーヴェルは、心の奥底から安堵の息を一つ吐き出して、ぼやける視界に一人の男を捉えながら、言葉を紡ぐのだ。
「後のことはリアンと……あの勇者馬鹿に、任せる……本当に、疲れた……こんなのは、二度と、ごめんだわ……
私の剣は、身内に向ける剣じゃないっつーのに……でもまあ、悪い気分じゃないわ……英雄に、少しは近づけたかしらね……」
いつもの馬鹿笑いの声が近づいてくるのを感じながら、マリーヴェルはゆっくりと意識を落とすのだった。
その顔は、隣で意識を失っているメイアと同様、優しく安堵に満ち足りた顔で、年相応の少女らしい表情だった。
力尽き、地に伏したリアンを悠然と見下すグレイドス。その二人の在り方が、勝敗を雄弁に物語っていた。
肩から血を流し、身体の各所が炎に掴まれ、無事な場所を探すほうが難しい状況でありながら、最後まで立ち向かい続けたリアンの奮闘は見事だが、終にはグレイドスを倒すだけの一撃を放つことが出来なかった。
これまでに多くの魔物達に打ち勝ったリアンの槍術は、グレイドスの牙城を崩すには至らなかったのだ。それほどまでに、グレイドスの強さは抜きんでていた。
血を流すことすらなく、圧倒的に勝利した筈のグレイドスであったが、その表情に緩みはない。むしろ、不満そうですらあった。
彼にしてみれば、人間如き弄ぶがごとく一蹴出来る筈だったのに、思いのほかリアンが粘ったこと、それが気に食わなかったのだ。大鎌を地に下ろし、グレイドスは言葉を紡ぐ。
「驚いたぞ、人間如きがここまで俺に食い下がるとは思いもしなかった。
だが、相手が悪かったな。俺は邪竜王様が生み出した最強の戦士、俺に勝てる者など邪竜王様の他に存在しない」
グレイドスの言葉は、最早リアンの耳には入っていない。彼は今、混濁する意識を必死に保つのに精いっぱいなのだから。
よくぞその身体で、立ち向かい続けたと賞賛したい。だが、敗北は敗北、彼に待つのは己の死という未来のみ。奮戦奮闘は何の意味もなさない、負けてしまえばそこで命が終わるのだ。
立ちあがらないと、終わってしまう。全てが、終わってしまう。必死に自身に言い聞かせるが、身体に力が入らない。限界はとうの昔に超えてしまっていた。
限界を超えてなお、己を奮い立たせようとするリアンに気付き、グレイドスは顔を歪めて怒りを表す。どこまでも足掻こうとするリアンの姿が、絶望に身を落とさないリアンの姿が苛立たしく感じずにはいられないのだ。
「……不愉快だな。まだ俺に勝てぬという現実が理解出来んか。見苦しさもここまでくると呆けてしまうわ。
邪竜王様の目覚めの時は近い。その喜びによくもこれだけ水を差してくれたな、人間。無様な足掻きもこれで終わりだ」
立てぬリアンに向け、グレイドスは大きく円を描くように鎌を回転させ、己が眼前に大きな炎の魔法陣を生みだす。
その魔法陣から荒れ狂うように迸るは、炎の竜巻。吹き荒れる炎の渦が、リアン目がけて放たれたのだ。
骨一欠けらすら残さないであろう獄炎の訪れを感じながら、リアンは混濁する意識の中で、己の命の終わりを感じてしまった。
恐らく、否、間違いなく自分は死ぬのだろう。あの炎に全身を焼かれ、痛みすら感じる暇もなく。結局、自身の槍はグレイドスに届かなかったのだ。
心に在るのは、ただただ無念の想い。勝てなかったことが悔しかったのではない、守れなかったことが悔しいのだ。
大切な人を、メイアを救いだすと誓った。マリーヴェルの剣を信じ、この槍で応えると誓った。誓いを守れなかったこと、それが悔しくて仕方が無かった。
どんなに悔やんでも、結果は出てしまった。自分の槍は、何一つ守れなくて。どれだけ鍛え続けても、大事なところで大切なモノを何一つ守れない無力な自分が悲しくて。
このまま、終わってしまうのか。メイアとの再会も、マリーヴェルとの誓いも、果たせぬまま死んでしまうのか。
本当にそれでいいのか。ここで心折れ、諦めてしまうことが、自分のなりたかった姿なのか――否、断じて否。
自分が憧れた人は、こんな逆境でも決して負けない心折れない。どんな状況でも、必ず自分達を救ってくれると信じられる、そんな強い背中をみせてくれた。
その人のように、なりたかった。自分も誰かを救えるような、守れるような人間になりたかった。あの日、命を救って貰ってからも、この想いは今もなお消えることなく胸の中で燃え続けている。
自分は沢山のことを、あの人に、そして大切な仲間達に教えて貰った。それは胸を張って誇れる、誰にも負けない最強の武器だ。
それを活かさぬまま、このまま全てを諦め、死ぬなんて絶対に嫌だ。こんな悔いばかりを残したまま、死んで行くなんて許せるものか。
メイア様を救う。絶対に、何があっても、メイア様を守る。決して折れぬ揺らがぬ確かな想いが胸に在るならば、『英雄』は負けない折れない決して揺らがない。
この身が限界などと、一体誰が決めつけた。それを定めたのが己の弱き心ならば、揺らがぬ心で限界の壁などぶち壊してしまえばいい。
少なくとも、このまま負けてしまうよりは、よほどいい。まだ自分は、全てを――みんなと、サトゥン様と過ごし学んできた己の全てを、出し切ってはいなのだから!
「っ、何だ!?」
驚愕の言葉を漏らしたのが先か、荒れ狂う紅蓮の炎が切り裂かれたのが先か。
リアンの命を奪ったと確信していたグレイドスが、その表情を驚愕に染め上げる。己の生み出した最大級の魔術の炎が、黄金の光によって四散させられたからだ。
一体何が起きているのか。その正体は、炎の中から現れる。先程まで満身創痍で地に伏していたリアンが、再び槍を構えて立ちあがっていたのだ。
だが、グレイドスを驚愕させたのはリアンが再度立ちあがったことだけではない。彼の武器、神槍レーディバルと彼の身体を包む黄金の光――それは、人の生きる力、闘気の解放。
その眩くも、明らかに常軌を逸した力を感じさせる光の衣。人間とは思えぬ程の力を放つその輝きに、グレイドスは驚きを隠せなかったのだ。
何が起きた。先程まで半死の状態だった人間が、一体何をした。表面上は冷静を取り繕っているが、その心には動揺を隠せる筈が無い。
されど、グレイドスは百戦錬磨の竜戦士。リアンの異常を感じた彼は、すぐさま炎の鞭を生みだし、リアンへ向けて解き放つ。
己の視覚の外から無数に放たれる炎蛇の鞭。それらをリアンは視界に入れない、否、入らない。限界を超えてしまっている彼の視界はおぼろげにしか世界を映していないのだから。
だが、この状況を彼は知っている。視覚の外から四方八方から攻撃された時の対処を、リアンは学んでいる。
それは、リアンが初めてメイアに敗北した次の日から、サトゥンが生み出した複数の影で模擬戦闘を行ってくれていたのだ。
メイアに勝つ為にサトゥンが用意したメニューを、リアンは欠かさず毎日積み重ね続けた。考えるより先に、身体が動いてくれるのだ。
瞳を閉じれば、サトゥンの影と対峙する自分が思い出される。自分の動きに、メイアが何処が悪いのかを指摘し、修正する日々。
その積み重ねが、今のリアンを形成している。ならば、この程度の攻撃に遅れなど取るものか。この程度の炎蛇の動きなど、サトゥンの影に比べれば生温いことこの上ないのだから。
身体の周囲の風、気配、音。全てを利用し、リアンは次々に炎蛇を光に包まれた神槍で薙ぎ払ってゆく。
リアンの槍に斬り潰された炎は、まるで力を根こそぎ奪い取られたように霧散し、再び再生する事はない。
一撃ももらうことなく、確実に蛇を斬り落としながら一歩ずつグレイドスへと近づいていくリアン。その姿に、グレイドスは圧倒される。
彼の操る炎の鞭は軌道の読めぬ最強の鞭。それをリアンは、まるでどのように攻撃がくるのか見えているとばかりに潰していくのだ。その姿を不気味に感じない訳が無い。
炎の鞭が無駄だと感じ、グレイドスは鎌を翳し、リアンに向けて刃を解き放つ。それは先程リアンの肩を斬り裂いた破壊の刃だ。
恐ろしい速度でリアンに迫る刃だが、その速度をリアンは速い等とは感じない。彼はこの刃よりも速い剣を知っている。
遠くから一気に距離を詰めて斬りかかるマリーヴェルの剣は、こんなものとは比較にならない程に速い。遥か格上の刃を知っているのならば、このようなものを止められない訳が無い。
炎の鞭も、風の刃も、リアンは先程身体で痛みをもって『覚えて』しまっている。そして、それ以上のものを学んでいるのならば、避けられない道理などある筈もない。
風の刃も見切ったように紙一重で避け、リアンのグレイドスへの前進は止まらない。目は虚ろ、身体はボロボロである筈のリアンの歩みに、グレイドスは冷や汗を流している自分に気付き、憤怒する。
「馬鹿な、この俺が圧されただと?最強の戦士である、この俺が、人間如きに、強さを感じているだと?
貴様、ただの人間ではなかったのか!?その身体を包む輝きの力、一体――まさか、貴様がそうだとでもいうのか!」
何かに気付き、グレイドスは瞳に禍々しい程の殺意を抱き、大鎌を握ってリアン目がけて身を奔らせる。
その巨体と剛腕によって繰り出される大鎌の一撃は、全てを刈り取る悪鬼の一撃。だが、リアンは決して逃げない。
何故なら彼は、この一撃に勝るとも劣らない巨斧と何度も刃を交えてきた。繰り返し倒されては、英雄グレンフォードにどうすればよかったのかを反省し、次に活かしている。
グレイドスの振りかざす一撃は、力こそ乗っているが、そこには技量も何も感じられない。ただ、魔物が他を蹂躙する為に力によってねじ伏せる一撃だ。
この一撃と同等でありがなら、技量によって裏打ちされたグレンフォードの攻撃を身を持って知るリアンならば、止められない筈が無い。
大鎌の一撃を黄金の槍で受け止め、押し返すように強引に薙ぎ払う。力によって押し返された事実、そのことでグレイドスは自身の心に確信を抱くのだ。
リアンの首を狩る為に、目にも見えぬ程の速度と力で鎌を振り回しながら、吐き捨てるようにグレイドスは呪詛を紡ぐのだ。
「そうか、全て合点がいった!貴様らは、そこまでして我ら魔族が憎いか!
貴様の手で生み出されなかった世界の異物たる我らは、この世界に居場所などないと、そう言うのか!」
「守るんだ……メイア様を、みんなを、僕が、僕が……」
「この世界は、まもなく邪竜王様が全てを支配する!その暁には、貴様ら含めて全てを葬り去ってくれる!
自分勝手に我らをこの世界に生みだした魔神も!この世界に我らの居場所を許さぬリリーシャも!そしてその先兵である貴様も!全て、この手でっ!」
鎌を大きく振りかぶり、リアンを胴体から真っ二つにせんと殺意を漲らせるグレイドス。
その姿を、リアンは昨日の光景と重ならせる。強くなりたいと願うリアンの為に、サトゥンが剣を何度も交えてくれた昨日の夜。
どれだけボロボロになっても、立ちあがるリアンに対し、サトゥンは最後まで付き合ってくれた。
あの時、サトゥンに一撃を入れた時を思い出せ。どれだけ攻め立てても掠りもしなかったサトゥンに、どうやって一撃を入れたのか。
強者が隙を見せる時、その瞬間は数えるほどしかない。そして、その中でも一番分かりやすく、逃がしてはならない瞬間――それは、相手が本気で攻撃をしかける瞬間だ。
牙を剥き、襲いかかる瞬間こそが、防御の疎かになる最大の好機。逃さない、今度こそ逃さない。
リアンは槍を強く握り直し、ボロボロの身体に力を込めて攻撃へと移る。あと一撃でいい、後一撃だけ持ってくれれば、それで。
最早リアンに、敵の大鎌を払うだけの力はない。言うなれば、これは捨て身の一撃だ。敵の攻撃を避けることは考えない、ただ最高の一撃をカウンターで放つこと、それだけに全てを賭けたラストアタックなのだから。
例え刺し違えても、負けない。絶対の覚悟を以ってリアンはグレイドスの心臓目がけて神槍を解き放つ。
お互いの得物が、互いの命を奪わんと交差する刹那――リアンの耳に、飛び込んできた声、それが彼の運命を変えることになる。
「――相討ちの方法など誰も教えておらんわ!英雄ならば、生きて胸を張って私達のもとへ帰ってこい!」
その声は何処までも強く、そして何処までも信じられる、リアンの目指す人の声で。
理解せずとも、自然と身体で反応する。それほどまでに、声の主に対してリアンは心から陶酔し、信じ切っているのだから。
踏み込んだ右足を深く沈ませ、リアンは槍の軌道を無理矢理ねじ曲げるように身体ごと落としこむ。
身体を沈ませることで、リアンの必殺の一撃は虚空を貫いてしまい――だが、それと同時に、グレイドスの大鎌もリアンの頭上をすり抜けていく。
ここで、二人の意識の差が勝敗を分かつのだ。全てをこの一撃でねじ伏せようとしたグレイドスと、必殺の一撃を次の返しにと切り替えていたリアン。
身体を完全にねじ切って鎌を戻せないグレイドスに、リアンは身体を沈ませ十分に反動をつけた状態で槍の矛先を向け直して、今度こそ己の全ての力を込めて槍を奔らせたのだ。
神槍は黄金の輝きを迸らせ、グレイドスの鋼の肉体を真っ直ぐに貫いた。胸を貫かれ、目を見開き血を吐くグレイドスに、リアンは肩で息をしながら、言葉を紡ぐのだ。
「……僕が、守るんだ。そして、みんなのもとに……帰るんだ……」
「ばか、な……」
力なく鎌を落とし、鮮血を胸からまき散らしながら、グレイドスは地に膝をつく。
リアンもまた、力の全てを使い果たしていた。身体と武器を包む黄金の輝きが消失し、完全に意識を失い、地に倒れそうになるリアン。
だが、勝者である彼をそのような状態に陥らせることなどさせはしない。倒れていくリアンを優しく抱きとめ、彼の勝利を誰よりも心から喜ぶ男が笑みを零して優しく言葉をかけるのだった。
「……本当に強くなったな、リアン。お前の勝利、私がしかと見届けた。お前は私の――サトゥンの誇りである」
その声は意識を失っているリアンには届かない。けれど、その言葉はリアンが何よりも喜ぶ言葉なのかもしれない。
サトゥンと並び立ち、彼の背を守ることを誓ったリアンが、サトゥンへと近づいた大きな一歩、その証明となるであろう確かな言葉なのだから。
中ボス中 回復忘れ 撃破して 次ボス現る 心の絶望。戦闘中の回復って難しいですよね。五章も残りもう少し、次も頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




