幕間6話 欠片
トントの街へ振りかかった災厄達、それは誰もが予期せぬ中で唐突に現れた。
街の上空に現れた巨大な飛行竜、その背に乗っていた二人の化物。彼らがこの街の住民達を一瞬にして絶望の海へと叩き込んだのだ。
紅き体躯に人間と同じ容姿をした男と、蒼き肌を持ち、巨大なトカゲを連想させるような容貌を持つ男。
その蒼き男が、竜の背中より飛び降り、空中にて人々を蹂躙する為の力を解き放ったのだ。それは例えるなら流星群、氷に包まれた魔力弾が、一斉に街中へと突き刺さり、大きな破壊を生んでいく。
街中から人々の悲鳴があがり、堅牢な建物は次々に破壊されていく。その光景を眺めながら嗤う蒼き男に、紅き男が呆れるように忠告する。
「下らないことに力を使うな。人間の命など、何人奪ったところで邪竜王様の足しにもならぬ」
「ふん、俺に指図するな。か弱い蟻共の悲鳴の良さが分からん奴は黙っていろ。
長年力を縛られ、邪竜王様の為とはいえ、人間達を蹂躙して暴れることすら封じていたのだ。これくらいの余興がなければやってられんわ」
「人間を舐めるな。その人間相手に、我らが怨敵である魔竜レーグレッドは手負いにされたのだぞ」
「それはレーグレッドの奴が弱かっただけよ!現に奴は最早この世におらぬではないか!
我らが邪竜王様の忌まわしき封印は解けた、それはすなわち、邪竜王様を封じていたレーグレッドが死んだということだ!
傷が癒えきれなかったのか、他の魔族に殺されたのか。どちらにせよ、我らにとっては好都合よ。奴が死んだ今、我らを止めるモノなど何もないわ!」
街の外へ逃げようとする人々の集団を見つけ、蒼き男は愉悦の表情を再び浮かべ、大きく息を吸い込んでそちらへ向けて白きブレスを吐きだした。
それは全てを凍てつかせ、破壊させるための殺戮の息。触れてしまえば、臓腑すらも凍てつかせる恐ろしき冷気の嵐。
恐ろしき速度で住民達へ襲いかかるブレスが彼らへ届くかと思われた刹那、その心配は杞憂に終わることとなる。
突如として、住民達から逆風が吹きつけ、ブレスを遮ってみせたのだ。空振りに終わってしまった目の前の光景に、蒼き男は憤慨し、叫ぶ。
「俺のブレスを掻き消しただと!?誰だ、俺の邪魔をする奴は!」
「――来たか、我らが王の核を担う呪い子よ」
紅き男の視線の先、そこには一人の女性が手をかざして魔法を行使した姿が在った。
その女性は即座に周囲の兵士達に住民の街からの避難補助の指示を出す。そして、自身は剣を抜き放ち、上空の巨大竜を睨んでいる。
こちらから迎えにいくべきかと考えていた紅の男だが、それは無駄に終わることになる。彼女は再び新たな呪文を唱えると、まるで空を蹴るように上空へと飛翔して彼らへ近づいて行ったのだ。
それは風の魔力に拠る特殊な飛行法。魔力によって見えない足場を形成し、力強く足場を蹴って跳躍しているのだ。
一気に距離を詰め、巨大竜の眼前まで駆けた女性は、底冷えするほどに冷たい声を発する。
「人間ではありませんね。かといって魔物とも思い難い……貴方達は、何者ですか。何の目的があって、この街を破壊するのでしょう」
「我らの正体などお前には関係ないことだ。我らの目的はただ一つ、貴様だ、メイア・シュレッツァ」
「……私の名を知っているのですか。私に用があるなら、上品に訪れてほしいものです。
このように街の人々を傷つける輩に、茶の用意をしてあげるほど私は寛容ではありませんよ」
「茶などいらぬ。我らが欲するは、貴様の身体の中にある邪竜王様の欠片よ」
「邪竜王……まさか、邪竜王セイグラード?」
「貴様如きが邪竜王様の名を口にするなっ!人間があっ!」
メイアがその名を口にした刹那、それまで黙っていた蒼き男が彼女に向けて魔弾を口から放出する。
だが、メイアはその魔弾をくらうことはない。何一つ慌てることなく、魔力による足場を霧散させ、落下する事で身体を回避させる。
そして即座に、新たな足場を形成し、何事もなかったかのように蒼き男を見下ろすのだ。それが蒼き男には我慢ならない。
巨大な翼をはばたかせ、メイアに向けて飛びかかろうとした蒼き男に、紅き男が制するように声を発するのだ。
「やめろ、ベルゼヴァ。貴様が暴れて、万が一にも邪竜王様の欠片を傷つけられては叶わぬ」
「止めろだと!?人間如きにコケにされて、この俺が止められると……」
「――俺が止めろと言った。これ以上俺の手を煩わせるな」
心臓が押し潰されかねない程の殺意と言う名の重圧をまき散らす紅き男に、蒼き男はそれ以上逆らうことは無い。
その様子を見て、メイアは敵の力関係を即座に見抜く。蒼き男も恐ろしい程に強いが、紅き男は破格の強さだと。
人間として覚えてしまう恐怖と、戦士として感じてしまう高揚。その二つの感情を抑えながら、メイアは紅き男を観察する。
戦いの基本は相手の洞察、観察。相手を見抜き、戦いの一手を導かなければ勝機は決してありえない。戦う前から戦闘は始まっている。
己の五感を総動員して相手を計るメイアに、紅き男は視線を向けて言葉を紡ぐ。
「貴様を傷つけるのは我らの本意とするところではない。
抵抗するな、メイア・シュレッツァ。我らと共に邪竜王様の聖地までついてきてもらう」
「会話になっていませんね。私が何故、貴方達と共に行かねばならぬのです?その理由も説明してもらえない。
何より、貴方達はこの街を傷つけた。そんな相手を私が許すと思っているのですか?」
「止めておけ。貴様では私に傷一つつけられぬ。力の差が分からぬほど、下等な人間ではあるまい。仮にも邪竜王様の欠片を継いだ人間なのだろう」
「邪竜王の欠片とやらが何を示すのかは分かりませんが……私は貴方達相手に絶望など感じてはいませんよ?自惚れも甚だしい」
「……愚かな。ベルゼヴァ、手を出すな。お前は力加減を知らぬ、この娘は私が相手する」
「貴方は確かに強いのでしょう。ですが、貴方相手では戦い前に絶望など出来ません。私は貴方とは比べ物にもならない力を持つ天蓋の存在と、既に出会っているのですから!」
風の術式を新たに展開させ、メイアは身体を加速させて、紅き男へと斬りかかる。
その一撃を男は呆れるように肩を竦めながら、面倒そうに腕を構えて受けとめようとする。だが、メイアの剣は男の腕に吸い込まれることはない。
彼女の剣戟は男に当たる瞬間に、朧霞のように空に溶け消え去る。それはすなわち、先の一撃は彼女の生み出した幻であり、囮。
本命の一撃は刹那遅れて男の首へと奔らせる。命を奪うことだけを任じられたメイアの一刀だが、男の命は奪えない。
メイアの繰り出した剣を、男は何ら抵抗せずに首で受け止めたのだ。恐ろしく強固な肌を斬りつけた感覚は、鋼鉄の壁に剣を叩きつけた感覚に等しい。
即座に距離を取るメイアに、紅の男は初めてその表情を変える。その顔は獰猛な獣の貌だ。楽しげにメイアに向けて言葉を紡ぐ。
「成程、どうやら貴様を侮り過ぎていたのは確かなようだ。まさか首に剣を入れられるとは思ってもいなかった。
だが、その程度の剣では私を殺すことは出来ぬ。我が身体は邪竜王様に与えられし誇り高き竜の身体、その程度では皮膚すら貫けぬ」
「そのようですね……ですが、この程度で終わりと思われては困ります。
私とて、メーグアクラス一の使い手と呼ばれたことのある戦士です。この程度で白旗をあげてしまっては、リアンやマリーヴェルに怒られてしまいますからね」
メイアは再び剣を構え、新たな術式を構成する。彼女は剣に吹き荒れる風を巻きつかせ、紅の男に向けて疾走する。
その一撃を再び腕で受け止めようとした男だが、何かに気付いたのかそのギリギリのところで目を見開き、即座に鋭い爪で受け止める。
彼の腕を襲う衝撃は、先程までの比ではなく重く鋭く。それが武器である爪でなかったならば、身を斬り裂かれてもおかしくはない程の力だ。
次々に流れるように繰り出される剣の舞を、男は爪で受け止めていく。その恐ろしき速さ、そして正確さは観る者全てが心奪われる程に美しく流麗で。
これが、メーグアクラス王国最強と呼ばれる女騎士の戦い。風の魔法という補助に特化した力を駆使し、己の力を最大以上に引き出す魔法騎士。
魔力にて底上げされた力と動きで相手を翻弄する、強さと速さと美しさ、全てを兼ね備えた戦闘スタイル。これがメイア・シュレッツァの強さだ。
細身で女性らしい身体からは考えられぬ力強さと動きで敵を圧倒する、この力とたゆまぬ修練、そして戦士としての強き心で彼女は国内最強の地位まで駆けのぼったのだ。
謙遜こそしているが、今の彼女の強さはあの英雄グレンフォードと最早同等、それだけの強さを彼女は二十歳という若さで磨き上げたのだ。
人間を超える強さを感じたのか、紅の男は腕だけではなく体全体を使ってメイアの攻撃を受け始める。腕だけでは捌き切れない証拠だろう。
変幻自在なメイアの攻勢、決して油断せず的確に男の隙をついて剣を抜き、剣を奔らせる。
圧倒的なまでのメイアの剣舞であったが、彼女は攻撃すればするほどに現実を理解してしまう。
はたから見れば、どこまでも彼女が圧倒している筈なのに。男は手が出ずに防戦一方に追い詰められている筈なのに、それなのに、嫌でも理解させられてしまうのだ。
それは、メイアが戦士として一流過ぎる証。故に彼女は、先の未来を読めてしまう。自分は恐らく……否、間違いなく――この男に、勝てない、と。
メイアが斬りつけ、跳ね上げた男の腕、その隙を狙って、メイアは最高の一撃を放つ。風の魔法を剣に乗せ、全身全霊を賭けた一撃を男の胸へと突き立てようとして――その剣は男の胸に沈み込むことはなかった。
「なっ――」
「悲しいな、人間。貴様が魔族であったなら、私と対等に戦えていただろうに……言った筈だ、貴様ら人間如きの力と人間が生み出した武器では、竜の鱗を貫くことなど出来ぬと。
だが、気に入ったぞ、メイア・シュレッツァ。人の身でありながら、よくぞ私に一撃入れてみせた。その褒美を取らせよう」
その言葉と共に、紅の男は、メイアに対し強烈な一撃を繰り出した。恐ろしき速さで、メイアの腹部を殴ったのだ。
苦痛に歪むメイアの表情だが、それは即座に驚きの物へと変わる。攻撃した男が、既に術式の準備を終えていたからだ。
紅の男は、メイアに向けて手をかざし、己が掌から深紅の蛇を召喚する。
その蛇は、彼女の身体を強く縛り付け自由を奪う。あまりに早い連続攻撃に、これまでの戦闘で男が手を抜いたことをメイアは痛感する。
だが、嘆く暇など男はメイアに与えない。男は動けなくなったメイアの顔を容赦なくその手で鷲掴みにし、愉しげに言葉を続けていく。
「邪竜王様の欠片を抜き取った後は殺して捨てる程度に考えていたが、気が変わった。
メイア・シュレッツァ、喜ぶが良い。貴様は力が在る。力在る者は、邪竜王様の駒となる資格がある」
「な、なにを――」
「身体を弄るのはケルゼックやヴェーニドが得意とするところだが、心を弄る程度ならば私にも造作のないことだ。
欠片を抜き取った後も、貴様は邪竜王様の為に戦う戦士として活かし続けてやろう。
邪竜王様の為に全てを殺し尽し、人間の血を浴びることが何よりの悦楽となる、最高の下僕として我らが手駒として生き続けるが良い」
紅き男はメイアに対し、己が魔力を容赦なく流し込む。そして彼女に訪れるは恐ろしい程の激痛と心の破壊。
全身を突き抜ける程の電撃のような痛みが延々と続き、彼女の心の中の全てが破壊されていく。
騎士として在り続けたこと、領主として立っていたこと、故郷の風景、騎士の仲間達、街の人々の笑顔。その全てが深き泥沼に沈みこんでいくように泡沫に消えていく。
「あ、あ、あああああ――!」
「何、不安に思うことは何一つない。これから貴様を待つ世界は、他者を蹂躙し殺し尽す悦びだけが待つ世界だ。
欲望に身を委ねるがいい、心を開放するがいい、下らぬ人間の常識に囚われる必要などない。それが我ら同胞となる者に許された最高の自由なのだから」
消えてゆく。メイアの中で、大切な人々が消えていく。大切な想いが、消えていく。
壊れていく心の中で、メイアの中に最後まで残ったもの。それは、キロンの村の、最愛の人々。彼女の愛した穏やかで優しく、そして賑やかな光景。
あの場所が、メイアは好きだった。あの場所だけが、本当に自分でいることができた。
サトゥンが、マリーヴェルが、ミレイアが、グレンフォードが、仲間達と過ごす時間が、何よりも幸せだった。あの輪に自分も入りたいと、いつも強く願っていた。
負けられない。もうすぐ彼らがミクランの街から帰ってくる。その時は、自分も領主の仕事を終えているはずだ。その時は、胸を張って彼らの一員となれるのだ。
何物にも縛られない、彼らと共に世界を巡る。きっと賑やかで、優しくて、楽しくて。そんな日々を、過ごせる筈だったのに。
壊れていく心に、最後に残ったものは、一人の少年の優しい笑顔。その少年は出会った時とは比べ物にならないくらい逞しく、強くなって。それでも出会った頃の優しさは何一つ変わらないで。
成長していく彼に毎日胸を高鳴らせていた。一歩、また一歩と高みへ登る彼がどこまでゆけるのか、自分を超える日がいつやってくるのか、毎日彼の顔を見て、そんなことを夢想する毎日が愛おしかった。
そんな彼と二度と出会えないかもしれない。その現実を突き付けられた今、メイアは初めて自分の本当の感情へと気付いた。
ああ、そうだ。自分は少年に――リアンに、きっと恋をしていたのだろう。彼の優しさが好きだった。彼のどこまでも上を目指し続ける姿が好きだった。彼の諦めない心が好きだった。ひたむきなリアンに、心奪われていた。
初めは、どこまでも才能ある少年が強くなることに興奮していただけだったのかもしれない。けれど、リアンと触れ続けた一年という時間が、彼の本当の強さに気付かせてくれて、そこに惹かれてしまった。
リアンにもう会えない。リアンの為に力になれない。そのことがとても悲しくて、とても苦しくて。
そこにはもう、強き騎士たるメイアの姿はなかった。涙を零し、必死に彼の名を叫ぶのだ。忘れたくない、消したくない、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。
「たす……けて、リアン……リア、ン……もう、一度、あなたと……」
想い人の名を紡ぎ続け、メイアの意識は闇の中へと堕ちていった。心優しき少年の笑顔が、漆黒の闇へと塗りつぶされて。
意識を失ったメイアを、満足そうに紅の男は眺め、その身を抱き抱える。用は済んだとばかりに足下の竜に指示を出し、街を去ろうとする。
そんな紅の男に、蒼き男は口を開く。
「おい、まさかこのまま帰るなどとは言わんだろうな。
人間達が足元にうじゃうじゃいるというのに、このまま何もせずに帰るというのか」
「用は済んだ。ケルゼックももう一つの欠片の居場所を掴み潜入している。私達は邪竜王様の為に行動するだけだ。これ以上ここに用はない」
「くそが……邪竜王様が復活した暁には、十分暴れさせてくれるんだろうな、え?」
「邪竜王様に直接お訊きするがいい。戻るぞ」
「ふん……せめてこれくらいはさせてもらうぞ。俺達が暴れた証を人間達に刻みつけてやる」
去っていく紅き男に、蒼き男は舌打ちをし、掌に巨大な魔弾を生みだす。
そして、その魔弾を領主の存在しなくなった館へと放り投げ、巨大な爆発を生みだしたのを確認して共に街から去っていった。
化物達が去った後、トントの街に残されたのは瓦礫と絶望の世界だけ。この絶望を、リアン達が半月後に視界に入れることとなる。
領主であり、メーグアクラス国最強の使い手であるメイア・シュレッツァを失った人々の絶望は重く、そして暗く――彼らに希望の光は、まだ見えない。
攫われた桃姫を助けてこそのイッツミームァーリオ。次から5章となります、頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




