39話 報酬
たった一夜の中で起きた領主館での一騒動は、ケルゼックという魔族の死をもって終結を迎えることになる。
地下に集ったリアン達は、眠りこけるサトゥンとレーゲンハルト、疲れ果てたロベルト達をみて、この地下で一体何が起きたのかを二人から事情を聴いた。
レーゲンハルトがケルゼックという化物と手を組んでいたこと、そのケルゼックにレーゲンハルトが魔物に変えられてしまったこと、そんなレーゲンハルトを人間に戻す為に奮闘したこと、そしてサトゥンがケルゼックを打倒してみせたこと。
全ての話を聞き終え、マリーヴェルは全員にレーゲンハルトの拘束と、彼の部屋から犯罪の証拠を押収しておこうと提案する。
ロベルトの話では、レーゲンハルトは何人もの罪なき冒険者の命を奪ったという。ならば、その罪を裁かねばならない。
証拠を掴み、国へ突き出す。今回のライティを攫った罪も含めて、重罪は免れないだろう。しらを切られ、逃げられる前に、先手を打つ必要があるという訳だ。
マリーヴェルの話に同意し、いざレーゲンハルトを拘束しようとした際、『その必要はない』という声が眠っていた筈のレーゲンハルトから発せられる。
タヌキ寝入りをしていたらしく、慌てて武器を抜き放とうとする面々に、レーゲンハルトは力ない声でぽつりと紡ぐのだ。
『抵抗はしない。全ての罪を王の前で話し、罰を受ける。私はもう、お前達に危害を加えるつもりはない』
突然の変わりように、訝しい顔を見せたのはロベルトだ。散々さっきまで骸骨を使って人の命を脅かしていたくせに、どういうつもりだと追及する。
そんなロベルトに、レーゲンハルトは謝罪をすることはない。ただ、何かに怯えるように身体を震わせながら、焦点の合わぬ瞳で虚空を見つめて呟く。
『人を超越した力を欲した。そうすれば全てを支配できると思っていた。
……だがな、ケルゼックに与えられたそれは、そのような甘美なモノとは別物だった。
分かるまい、身体がおぞましき魔物へと変えられてゆく、自分が自分でなくなっていく、崩壊していく様を感じていく恐怖を。
あれは……人間が触れてはならぬ禁忌だった。例え王に首を叩き落とされても構わない、あの悪夢を忘れさせてくれるなら、それでいい』
どこまでも自分勝手な言葉に、マリーヴェルなどは呆れてものも言えないようだが、ロベルトはこれ以上何も言えなくなる。
ケルゼックに変えられた姿を、醜悪な芋虫に変えられたレーゲンハルトを、ロベルトは見ていたからだ。
もし、自分があのような目にあっていたならば、彼と同じように死を望んでしまうかもしれない。一度こびりついた悪夢を拭うことは、簡単なものではない。
きっとこの先、レーゲンハルトは幾度となく夢を見るだろう。自身がおぞましい魔物となり、石畳を這いずる何かへと変容する悪夢を、何度も何度も。
もしかしたら、生き延びたということは、レーゲンハルトにとって最大の罰であったのかもしれない。同情はしないが、哀れではある。
サトゥンがレーゲンハルトを助けたことは正義であり、罰でもある。ロベルトはこれ以上言葉をレーゲンハルトにかけることはなかった。
眠りこけているサトゥンは、何度もリアンやマリーヴェルが声をかけたが、起きることは無い。余程疲れていたのか、完全に意識を失っているサトゥンを、おろおろと心配するのはリアンだ。
そんな不安そうなリアンに、マリーヴェルは『とりあえず持って帰りましょう』とサトゥンを巨大な荷物のように扱う。平常運転である。
巨大な体躯のサトゥンを軽々と背負うリアンに、ロベルトは絶句しかけたものの、最早この連中は常識で測れないのだと結論付け、自分もまたライティを背負って領主館を後にする。
途中でグレンフォードと合流し、レーゲンハルトを兵所に突き出した。あわせて領主館で暴れた一件も説明を行う。
突然のことに困惑する兵士だが、ここでマリーヴェルの王族としての地位が生きる。彼女の名と、レーゲンハルトが全てを認めていることで、レーゲンハルトは地下牢へと囚われることになる。
後日、城へと連行されるとのことで、罪が裁かれるのはその時であろう。ここに一人の男の欲望に振り回された物語が、終焉を迎えることになる。
レーゲンハルトを突き出した後、一同はライティをフェアルリ達の元へと送り届ける為に街の外へと向かう。
ライティに指示されるままに道を進み、やがて流浪の民達が駐留している場所へと辿り着いた。
そこには、ライティを取り戻す為に武装を整えている流浪の民達が集まっていて、その人だかりの中に、ライティは目的の人物を見つけ。
「おかあさんっ!」
「ライティ!」
ロベルトの背中から飛び降りて、ライティは真っ直ぐにフェアルリへと駆けていく。
ライティの小さな身体を包み込むように、フェアルリは優しく抱きしめる。そこが、ライティの限界だったのだろう。
今までの無口な少女はどこか置き去りにして、ライティは瞳から涙をあふれさせて、わんわんと泣いた。
その姿に、ロベルトは安堵の息をつく。そうだ、どれだけ魔法を上手く使えようと、知識があろうと、ライティはまだ子供なのだ。
怖くなかった訳が無い。あのような化物達と対峙して、恐怖に怯えなかった訳が無い。ただ、無理をして抑えつけていただけで、本当はこうやって泣きたかった筈なのだ。母親に会いたかった筈なのだ。
戻ってきたライティに、流浪の民達は彼女達のもとへと集まり、誰もが笑い、安堵し、心からライティの帰還を祝う。
そんな光景を眺めていたロベルトに、横から声がかけられる。それは、先程までぐーすか眠っていた筈の我らが勇者の声。
「どうだ、ロベルトよ。これこそが、最高の美酒の味よ。英雄として生きる者が、この世で何よりも美味いと感じる最高の悦楽よ」
「最高の美酒?」
「くはははは、然りである。胸を張るが良い、ロベルトよ!
この者達の笑顔は、お前が勇気を以ってもたらした光景なのだぞ!ライティを救いたいというお前の勇気の結果が、この光景なのだ!うははは!」
リアンの背中で拳を握りしめて力説するサトゥンに苦笑しながら、ロベルトはライティとフェアルリの表情へと視線を向ける。
二人は涙を零しながらも、心の底から笑いあっていて。それを見つめながら、ロベルトは柄ではないと分かっていても、思うのだ。
自分のちっぽけな力でも、自分のなけなしの勇気でも、こんな風に人を笑顔に変えることが出来るのならば。
自分が信じる格好良さを貫くことで、誰かをこんな風に笑わせてあげられることが出来るというのならば。
「――全然似合ってないけれど、こんな俺が英雄様になるのも、そんなに悪いもんじゃない。そう思うだろ、相棒」
その手に握る黒き刃に、ロベルトは苦笑交じりで話しかけるのだ。
担い手と認める主の呟きに、黒き刃は月光を反射してただ静かに応えるだけだった。
ライティの帰還とサトゥン達への感謝を込めて、流浪の民達から歓迎の宴会が行われる。
酒に料理に次から次へともてなしてくる流浪の民に、サトゥンはもうこれ以上ない程にだらしなく頬を緩め、最高に宴会を楽しんでいた。
流浪の民のその全てが、フェアルリやライティと同じように人外の特徴を持っていたが、このことを気にする人間など誰一人いない。
そのことが、流浪の民にとってサトゥン達に対する好感をうなぎ上りにさせていた。
流浪の民達を集め、サトゥンは酒を煽りながら、自身の武勇伝を語るのだ。特に今回は悪の親玉を自分が倒したということもあり、語る口調に熱が込められている。
剣を振る仕草をして、『このとき私は命の危機だった。もうだめかと思った時、諦めてはならぬと心の奥底で勇気が語りかけてきたのだ。ライティを救えと、勇者である使命を果たせと!』などと意味不明な供述をノリノリで行っているが、微塵も命の危険などなかったことは誰も突っ込まない。
力も在り、顔もよい、そして身体も鍛えられている。そんなサトゥンは流浪の民の女の子達から恐ろしいくらいモテモテだった。
だが悲しいかな、彼の回りに集まるのは何故か子供ばかりである。大人の女性達は、力も在り、顔もよく、身体も鍛えられて、なおかつクールな雰囲気を持ち、静かに呑んでいるグレンフォードの方へ集まっていたりする。
女子供にちやほやされるのがサトゥンの望みであったのだが、その望みの半分は達成できたといえよう。
酒の飲めないリアンとマリーヴェルは、二人で寄りそって色んなものを食べながら今日の戦闘について振り返っている。
その話を目を輝かせて聞くのは、まだ幼い流浪の民の男の子達や争いを好む男衆だ。
百人を相手にねじ伏せた戦いなど、男心をくすぐる話に胸高鳴らせるのは仕方のないことだろう。
話をしては喝采をあびる二人だが、マリーヴェル的には悪くは無いらしい。楽しげにふふんと笑みを零すマリーヴェルに、リアンもまた楽しく時間を過ごすのだった。
そんな騒がしい面々から、少しばかり離れて酒を呑んでいるのはロベルトだ。
サトゥンのようにちやほやされたい訳でもなければ、マリーヴェル達のように人に賞賛されていることに慣れている訳でもない。
ようするに、少々小っ恥ずかしいのだ。うまく流浪の民達の歓迎を回避して、ロベルトは一人酒を飲み続ける。
そんな彼の元に、とことこと近づいてくる少女と大人の女性。それをみて、ロベルトは笑って冗談を投げかける。
「おいおい、主役がこんな隅っこにいちゃ駄目だろう」
「主役はサトゥン。私はいいの。私はロベルトの隣が良い」
「ごめんなさいね、ロベルトさん。ライティったら、貴方と一緒に居たいみたいで。
一度決めたら頑として動かないの。前から注意はしているんですけど、ずっと子供っぽい性格が治らなくて」
「構いませんよ、フェアルリさん。それくらいがこいつらしいですよ」
腰を下ろしていたロベルトの膝の上にちょこんと座るライティの頭を、ロベルトは少し強めに撫でてあげる。
それを目を細めてされるがままに受け入れるライティ。そんな光景を微笑ましく眺めていたフェアルリが、ゆっくりと言葉を紡ぐのだ。
「……ありがとうございます、ロベルトさん。貴方達のおかげで娘は戻り、私達が人間と刃を交えずに済むことが出来ました」
「いやいや、頭をあげて下さい。俺なんか、何もしてませんって。
館の兵士達を叩きのめしたのはリアンやマリーヴェル、グレンフォードの旦那だし、魔物を倒したのはサトゥンの旦那やライティ自身だ。
俺がやったことなんて、本当に微々たるものですよ。逆に足を引っ張りまくったような気もしますし」
「そんなこと、ない。ロベルトは私を助けてくれた。ロベルトのおかげで、私はここにいる」
「ふふっ、そういうことみたいですよ、英雄様」
「参ったな……勘弁して下さいよ」
誤魔化すように酒を一気に飲み干すロベルト。だが、フェアルリはそんなロベルトを優しく見つめるだけだ。
出会った頃から誠実な青年だと感じていた。誰かの為に一生懸命になれる、そんな優しい男の子だと思っていた。
その青年に、娘は救われ、そして親から見ても簡単に分かる程に、青年に心惹かれ懐いている。それはよいことだと、フェアルリは思う。
ライティは魔法の才に優れ、優秀である半面、それ以外のことはあまり興味を持てない無口な娘であった。
そんな娘が、ここまで誰かに入れ込むことなど、初めてのことだろう。それは祝うべきことだ、それは喜ぶべきことだ。
だからこそ、フェアルリは後押ししてあげようと心を決めている。何より、フェアルリ自身、ロベルトを逃がすつもりはない。
これはきっと、娘にとって初めての恋なのだから。何よりフェアルリがロベルトを気に入っている。このような誠実で優しい人ならば、と。
ロベルトにはばれぬように心で思考を働かせながら、フェアルリは楽しげに言葉を続ける。
「それではお約束の報酬をお渡しさせて頂きます。報酬は皆様が望むだけの額をお渡しする約束でしたね」
「……いや、報酬はもう貰ってますよ。俺にとっては十分過ぎる程の報酬だ、これ以上もらっちまうと詐欺になっちゃいますよ」
「報酬を、もう貰っている、ですか?」
「ええ、サトゥンの旦那から教えられましたよ。フェアルリさんに再会した時、こいつ、泣いて喜んでたでしょう。
それが俺達英雄にとって、何よりの報酬なんですよ。まあ、俺は英雄駆けだしってところなんですけどね。
何より、金をもらいたいが為にこいつを助けた訳じゃない。こいつを助けた理由を、金の為になんてしたくない。
……まあ、そういう理由ってことにして引っ込めちゃくれませんかね。多分、サトゥンの旦那も同じことを言うと思いますよ」
「本当に、貴方と言う人は。これはますます手放せなくなってしまいそうです」
「手放せなく、ですか?」
何でもありませんと微笑むフェアルリに、ロベルトは首を傾げながらもライティを撫で続けている。
彼の膝の上でライティは気持ちよさげにウトウトとし始めている。小動物が懐いているようで、何だか面白くなってきたロベルトは手を止めようとはしない。
そんな彼に、フェアルリは最早迷うことはなくロベルトを罠へと追いやることにする。娘の為に、娘の未来の為に。
「ところでサトゥン様にお聞きしましたが、ロベルトさんはライティを抱こうとしたらしいですね」
「ええまあ……え、は、ちょ、はあ!?」
「地下で行為に及ぼうとしていたところをサトゥン様に発見され、途中で終わってしまったとお聞きしました」
「してねえ!これっぽっちもしてねえ!ていうかしたら犯罪じゃねえか!サトゥンの旦那の野郎、母親に何てこと言ってやがるんだ!」
「あら、私としては咎めるつもりは微塵もありませんよ?今夜、私のテントは空けておきますので、ライティと続きをしても」
「何の続きだよ!?続きもくそも始まってすらねえよ!?頼むから人を犯罪者みたいに言うのは止めて!
こんな噂流されたら俺二度と表道を歩けなくなるだろ!」
完全にそっちの趣味の人扱いされて憤慨するロベルトに、何を憤っているのかと首を傾げるフェアルリ。
だが、現に彼の腕の中では少女がこてんと眠りこけているのだから、物的証拠としては完全に抑えられていて弁護が難しい。
必死に俺はそういう趣味じゃねえと何度も自問自答するロベルトに、フェアルリは楽しげに追い打ちをかけていく。
「この娘はどうやら貴方に恋をしたみたいなんです。その想いを叶えてあげたい、娘の幸せを願うのは親として仕方のない気持ちなのです。
娘の見る目は確かなようで、貴方は私から見てもとても魅力的な男性ですよ。ですので、出来れば娘と付き合って頂き、私に初孫の顔を見せて頂けたらな、と」
「十年早いだろ!初孫とか生々しいことを言わんでください!大体十歳のガキに子供なんか孕めるか!いや、それ以前の問題じゃねえか!」
「あら、私はライティの歳の頃には既にこの娘を産んでいましたよ?そもそもライティが十歳だなんて誰が言ったのですか?
ライティも今年で二十歳を迎えます、そろそろ良い人を見つけてほしいのですよ」
「……はた、ち?」
「ええ、二十歳」
突然フェアルリから紡がれた言葉に、ロベルトは手に持っていたグラスを地面へと落としてしまう。
だが、割れて飛散したグラスになど最早気にもならない。ロベルトは酸欠状態となった魚のように口をパクパクとして、腕の中で眠る少女の顔へと視線を送る。
それは、どう見ても十歳そこらの幼子で。身体が発育してもいなければ、顔だって幼い。これが、二十歳。ロベルトが二十一歳なので、一つ違い。
馬鹿な、そんなこと有り得る筈が無い。何かの間違いだ。必死に現実逃避を行おうとするロベルトに、ようやく彼の勘違いに気付いたフェアルリは、楽しげに説明を始めていく。
「私達、流浪の民は人間より歳の経年が遅いのですよ。といっても、それは外見だけの問題なんですけど。
ライティも、外見だけなら人間で言うと十歳程度ですから、この子を探す時に『外見は十歳の子供』と言ったのですけれど、それで勘違いなされたのでしょうね。
この娘も立派な成人を迎えていますし、子供だってちゃんと産める身体なんですよ」
「う、嘘だ……こんなガキが、俺と一つ違いな訳がない……駄目だ、俺、酔いすぎたかもしれねえ……なんか幻聴が聞こえる」
「と言う訳で、ライティを抱くのに何の問題もありませんから――今夜、テント、使います?」
妖艶に微笑むフェアルリから逃げるように、ロベルトは走り去った。腕にライティを抱いたまま、恥も外聞もなく全力で。
だが、それは悪循環に悪循環を生む行為に他ならず。ライティを抱き抱えて、流浪の民の間を走り回った彼の姿を見て、民の誰もが囃し立てるのだった。
あまりに下手くそなロベルトの失策と、フェアルリの手管によって、流浪の民公認の恋人がこの地に誕生したのである。
宴から一夜が明け、サトゥン達は流浪の民達と別れを告げ、街へと戻っていった。
ただ、彼らとは一時の別れに過ぎない。流浪の民達は、サトゥンからの提案により、キロンの村をを目指すことにしたのだから。
彼らが一部の場所に留まらず、人から離れた生活を送り続けている理由は、その身が人外の特徴を持っているからである。
故に、魔物と恐れられない為に、身を外套に隠して転々とする生活を送っていたのだが、その流浪生活に終止符が打たれることになる。
『人外である特徴なんぞ、私の村には山ほど生活しておるわ!ぬはは、貴様達もキロンの村で暮らすが良い!
あの場所は我が勇者の聖地となる場所である!どんな輩が襲ってこようが、私が護ってくれるわ!がはははははははは!』
そんなサトゥンの言葉に、流浪の民達は感謝の言葉を告げながら、キロンの村へと向かって去って行った。
サトゥン達に感謝と歓声を、ロベルトには『婿殿』と囃し立て。無論、その中にフェアルリの姿があったのはいうまでもない。
流浪の民ではなく、ロベルトと一緒にいることを選んだライティを優しく撫でながら、ロベルトに『娘をよろしくお願いしますね、娘の旦那様』と冗談交じりで告げていった。
二人の関係が流浪の民公認でそのようになってしまったことに、サトゥンとリアン、そしてグレンフォードは心の底から祝福していた。
そしてマリーヴェルは、祝福して良いのか、それともロベルトの性癖に正直に蔑んだ目を向けていいのか迷っていたが、ライティが幸せそうなのでまあいいかと思うことにしたらしい。
最早反論を許されないような状況でも、ロベルトは涙を零しながら『俺にそんな趣味はねええええ』と叫んでいたという。ライティはロベルトの背中で満足そうな顔をしていた。
そういう流れで、街へと戻り、宿で待ってくれているであろうミレイアを迎えに来た面々だが、これからどうすべきかで頭を抱えていた。
ライティを救った、悪の親玉を叩き潰した、それは良い。それは良いのだが、結局彼らは一番大事な目的を完全にド忘れしていたのだ。
そもそもライティに出会ったのは、どういういきさつだったのか。何故この街でロベルトやライティに出会ったのか。
能天気に笑うサトゥンの尻に蹴りを入れて、マリーヴェルは頭を痛めながら、ぽつりと青空に呟くのだ。
「……船の修復代、金貨一万枚、どうしよう」
そんなマリーヴェルの呟きに、応えてくれる者はいない。ロベルトなんかは、顔面を青くしてそっぽを向いている。
結局、この場の誰もがフェアルリ達に『ライティを助け出したから金貨一万枚よこせ』とは言えなかったのだ。
きっかけはそうであったかもしれないが、結局彼らは勇者として、英雄としてライティを救うことを選択した。その行動を金の為と思われたくはないという想いもあったが、何よりあの場の空気で言いだせるはずもないのだ。
無論、フェアルリとて踏み倒すつもりは毛頭なかった。代価をしっかり払おうと話を提案したのだが、それを蹴ってしまった者がいることを本人以外は知らない。
そのことを本人であるロベルトは絶対に言おうとしない。『俺が報酬なんて要らねえよって言ってしまったあはは』などと言おうものなら、マリーヴェルにどんな目に遭わされるか分からない。下手をすると死ぬかもしれない。
故に、沈黙。英雄の道を歩き始めたロベルトだが、怖い物は怖いのだ。誰だって自分から死にに行きたい等とは思わない。思えない。
良いアイディアが何も思いつかず、最終手段として実家に泣きつくしかないのかと思い詰め始めたマリーヴェル。そんな彼女達の前に、宿屋から現れたミレイアが手を振って駆けつける。
彼女はデンクタルロス事件から今まで宿で過ごしていた為、領主館でのことを何一つ知らないのだ。故に、ロベルトやライティとも当然面識はない。
初対面の二人に丁寧に挨拶をした後で、ミレイアはマリーヴェル達へと向き直り、改めてぷんぷんと怒ったように話を続ける。
「気付いたら皆様がいらっしゃらないから、何処に行ったのかと午前中は街中を探し回ってしまいましたわ」
「悪いわね、色々あったのよ。それより船酔いと熱はもう平気な訳?」
「ええ、ご心配をおかけしました。もうすっかり元気になりましたわ。
私が倒れている間、リーヴェが水を持ってきてくれたり、額の水布を何度も代えてくれたりしてくれまして……もう私、リーヴェが何をしても驚かないことにしましたわ。マリーヴェル、貴女に分かります?猫が、水桶を片手で持って運んできて、目の前で水布を絞って布を交換してくるんですのよ?その光景がどれだけ凄いか、貴女に分かります?」
「いや、知らないわよ……世界は広いもの、芸をする猫もいるんだし、水布を絞る猫だって探せばいるでしょうよ」
「ああ、やっぱりこの異常を私以外誰もおかしいと思ってくれていない……もう慣れましたわ、ええ慣れましたわよ」
いじいじと拗ねるミレイアに、元気出せとばかりに背中のリュックから『にゃー』とリーヴェの声が聞こえる。
そんなミレイアをリーヴェ同様に元気づける……気は微塵もなく、マリーヴェルはミレイアにあることを訊ねかけた。
「宿の部屋の机の上に、借用書があったでしょ?悪いんだけどそれ、渡してくれない?」
「ああ、船の修理代がどうこうと書かれていたものがありましたわね。あれなら私が払っておきましたけど、必要でしたの?」
「……え?」
「いえ、ですから、何やら貴女の名義の借用書があったので、私が代わりに金貨一万枚払っておきましたっけっどっ!?」
話を最後まで続けられず、ミレイアは言葉を途中で切ってしまう。
その理由は、マリーヴェルがミレイアの両肩を掴んで全力でシェイクした為だ。ひええ、と情けない声をあげて目を回すミレイアに、マリーヴェルは声を荒げて問い詰める。
「払ったって、貴女一体何処からそんな金を工面したのよ!?まさか父様達に泣きついたの!?」
「ち、違っ、違いますっ!私の個人資産からっ!工面いたし、ましたっ!」
「な、何で!?何でアンタそんなに金持ちなの!?金貨一万枚なんて、いったいどうやって稼いだのよ!?」
「それっ、はっ、私がっ、女神リリーシャ教の本山で修業、してたときに、治癒した患者の方々からのっ、お布施の一部でっ」
ぽつりぽつりとぶつ切りに語られるミレイアの真実。
彼女は女神リリーシャ教本山にて神魔法を研鑽していた。その中でも彼女は神の巫女に選ばれるかどうかというレベルの使い手であったのだ。
彼女は自分を高め、教えを極めることに集中していたので、あまり興味はなかったが、治療という行為を行うことで、本山にお布施と言う名のお金が依頼者から振り込まれるシステムを女神リリーシャ教本山は形成している。
そのまた更に一分が、やがて独立した術者達の為に渡される仕組みなのだが、何せミレイアは王族の娘であり、金など使い道がない。
彼女は金を使わず、しかも恐ろしい程に強力な治癒魔法をひたすら使い続ける為、彼女の貯金はぐんぐんと溜まっていったのだ。
そして、本山を出る頃には、彼女の手元には金貨三万枚という恐ろしい一財産が築きあがっていた。だが、ミレイアはお金に興味が無い人間だったので、今の今までその金は何一つ手つかずで残っていたという訳である。
今回、朝起きて見れば、サトゥンやマリーヴェルは誰一人おらず、机の上にはマリーヴェル名義の借用書が残されていただけ。
それをみて、『また何か問題を起こしたのだろう』とミレイアは溜息をつき、その借用相手である造船所へと赴き、自分の懐からその金を支払ったのである。
請求をリリーシャ教本部にお願いしますと造船所の主に頭を下げ、ミレイアは今の今まで街中でマリーヴェル達を探し回っていた、という訳だ。
すなわち、今回の一件はミレイアが事情を何も知らなかったことが、全ての始まりであり間違いであった。
もし、ミレイアが今回の事情を知っていれば、即座にマリーヴェル達に金を貸していただろう。何せ、彼女は金貨一万枚を払ってなお二万枚の猶予があるのだから痛くも痒くもない。
その説明を聞いていて、最早言葉が出ずにワナワナと震えるマリーヴェル。そんな彼女に、能天気なサトゥンからの容赦ない一言が突き刺さる。
「ふはははは!なんだなんだ、最初からミレイアに頼れば良かったのではないか!
だが、まあ良いではないか!新たな英雄とも出会い、何より私が楽しかった!おお、そうだミレイア!私は街でカードゲームなるものが買いたいのだ!
ぬははは!あとでそれでみんなで遊ぼうではないか!という訳で早速金を私に寄越して……げふぅうう!」
「がああああああああああ!私達の苦労は一体何だったのよおおお!」
サトゥンの鳩尾に星剣の柄を叩きこみながら、マリーヴェルは地団駄を踏んで絶叫する。
その光景をミレイアはただただ理解出来ず疑問符を浮かべて首を傾げるだけだ。彼女はまだ、昨夜の出来事を何も知らないのだから。
勇者パーティ、彼らの窮地を救ったのは、巨大な魔物を倒したものでも少女を救ったものでもなく、宿屋で吐き気にうなされ続けた少女だったという。
余談ではあるが、サトゥンは後日、新たにマリーヴェルから借用書を手渡されることになる。『死ぬまでに必ず、金貨一万枚をミレイアに返します』という内容に、サインをさせられたらしい。本当に、余談である。
これにて四章は終りとなります。本当に本当にありがとうございました。
皆様のお力のおかげで、無事四章も終わることが出来たことに感謝いたしますと共に、本当によかったと安堵しています。
また、幕間を挟んで、次の五章に移ることが出来ればと思っています。
これからも物語は続いていきますが、どうか今後も皆様とご一緒に物語を進めていければと思います。本当に、本当に本当にありがとうございました。




