35話 影刃
骸骨達から繰り出される渾身の一撃を、ロベルトは必死に避け続ける。
否、彼の心境を察するに、必死などと言う二文字では表せない程に彼は全力で骸骨達から逃げ回っていた。
時間をかけて武を修めた経験もなければ、数多の戦闘経験も持ち得ないロベルトが出来ることは、無様も承知の上で骸骨達の攻撃を避けることだった。
避ける為ならば地べたに膝もつくし、背中だってみせる。あまりの不格好、あまりの無様さにレーゲンハルトは笑いが抑えられず嘲笑している程だ。
だが、レーゲンハルトに笑われようと、ロベルトは微塵も気にすることは無い。出来ないことをやろうとして、無駄に一撃を貰う方が、何倍も格好悪いことだと理解しているからだ。
今必要なのは、見てくれを取り繕うことじゃない。どんなに無様でも、みっともなくとも、ライティを助ける為に好機を待つことなのだから。
「クカカ、先程の威勢はどうしたネズミ!私を殴りつけるのではなかったのか!」
「うっせえな!もうちょっと待ってろ!そのにやついた顔面を思いっきりぶん殴ってうぉおお!」
視線を一瞬レーゲンハルトの方に向けかけたが、眼前を骸骨の拳が通り過ぎた為、すぐその顔を躯達の方へと切り返す。
次々と容赦なく襲いかかってくる骸骨達の攻撃を、ロベルトは土埃に塗れる程に石畳を転がり回避する。
優雅さのかけらも見えない、戦闘者ではなく狩られる者の姿、それこそが第三者から見たロベルトだった。事実、敵にもならぬとレーゲンハルトは小馬鹿にして見下ろしている。
だが、もしこの光景をリアンやマリーヴェル、グレンフォードが見た場合、ロベルトのことを同様に馬鹿にするだろうか。
答えは断じて否である。リアンなどに至っては、ロベルトのことを目を輝かせて拍手で賞賛するだろう。
確かに見た目は不格好だ。回避行動などと表現することすらおこがましい、必死にがむしゃらに逃げ続ける素人のそれに見えるだろう。
しかし、骸骨達から襲われてというもの、なんとロベルトは骸骨達からただの一発も攻撃を受けていないのだ。
一撃が死につながる程の攻撃を繰り出す骸骨達、それも六体を同時に相手取って、ロベルトはただの一度もその身にダメージを受けていないのだ。
リアンのように力で跳ね返すことも出来ない。マリーヴェルのように技術で流すことも出来ない。それでもロベルトは、この戦場で今もなお立ち続けている。
彼は自分のことを戦闘センスが無いと思っている。事実、彼は魔物を一匹屠ることすら苦労する、駆けだしの冒険者程度の力しかない。
だが、彼には誰にも気付かれない程の一つの才能があった。それは、『守ること』。
常人では考えられない程に、彼の空間把握能力は常軌を逸しており、彼は戦闘において身を守ることにおいては英雄達の誰にも負けない程の力が在った。
敵の攻撃が繰り出されれば、その攻撃に対する安全域を即座に見つけ、そこへと辿り着く。敵の攻撃の範囲内にありながら、安全圏という矛盾の空間を探し出す、それが彼に与えられた才能だった。
しかし、素人に毛が生えた程度のロベルトでは、その空間の有効活用は逃げに使うことしか出来ない。もし、彼が武人としてこの才能を利用出来たなら、どのような相手にも無傷で勝利する事が出来るだろうが、彼はその鍛錬もつんでいなければ、敵を倒す剣技も持ち得ない。
故に、彼はこの能力を逃げることだけに全力で費やすことしか出来なかった。その姿を見て、彼を鍛えた誰もが才能がないと笑った。
ロベルトは才能が無かった訳ではない、この才能に気付ける者が自分を含め周囲に誰もいなかったのだ。よほどの武人や強者でなければ理解出来ない、彼の『守り』の才能はこの日ようやく日の目を見ることになる。
だが、前述したとおり、彼には致命的に攻撃手段が無い。骸骨にダメージを与えられなければ、ライティを救うことなど到底出来はしない。
リアンとは違い、彼は常人なのだ。スタミナが無限にあるわけではない、このまま逃げ続けてもやがて体力が消耗し、逃げ回る足が止まってしまう。その時がロベルトの死を意味するのだから。
何か、何か良い手はないのか。このまま待っていても、リアン達が駆けつけてくれるなど楽観的な未来に縋る訳にはいかない。
どうにかして彼女を、ライティを救わなければ。そう考えながらちらりと視線を少女へと向け、ロベルトは感情を昂らせる。
檻の中のライティは、目の前に助けが来たにも関わらず、全てを諦めたように絶望の瞳をしていて。それが、ロベルトは気に食わなかった。
「――何を諦めてやがる。俺の前で、そんな目をするんじゃねえ!」
胸に浮かんだ怒りは、そのまま言葉へと発露される。
理由など余りある程に察することは出来る。まだ年端もいかぬであろう少女が、親から引き離され、このような檻に閉じ込められたのだ、絶望しない訳が無い。
だが、それでもロベルトは心に点火された炎を消せなかった。幼子が、そんな目をし続けることが我慢ならなかったのだ。
骸骨から必死に逃げ回りながら、ロベルトはどなり声をあげつづける。それが少女にとって見当違いな八つ当たりかもしれないことは重々承知しながら、それでもロベルトは叫ぶのだ。
「目の前に助けが来てるんだよ!お前を助ける為に、お前のかーちゃんに頼まれて、お前を救う為に俺達はここまで来たんだよ!
希望は目の前にある!お前はもうすぐかーちゃんに会えるんだよ!だからもう絶望なんてするんじゃねえ!子供は子供らしく笑ってろよ!」
「くはっ、急に何を言い出すかと思えば、無駄だネズミ。この娘には枷を嵌めたと言っただろう?
魔封じの首輪を掛けられたのだ。得意の魔法を封じられ、自分は何も出来ぬ無力な小娘となったのだ、絶望しない理由が無いわ」
「うっせえジジイ!俺はお前に話してんじゃねえ、ライティに話してんだよ!」
必死に骸骨の攻撃を屈んで避け、ロベルトは肩で息をしながらも言葉を止めない。
絶望の原因は、あの首輪か。そう当たりをつけ、ロベルトはライティの首につけられた首輪を睨みつける。
それは黒き金属製の輪で、側部に錠が取り付けられている。恐らく鍵は、レーゲンハルトが持っているのだろう。
何とかしてレーゲンハルトから鍵を奪えないか。無理だ、骸骨六体を相手にして奴の元まで辿り着くのは不可能だ。骸骨六体のうち、三体はレーゲンハルトの守りを中心に動いているのだ、何度か探ってはいるが、一度も抜けられると感じたことはない。
何より、ライティは牢屋の隅で膝を抱えているのだ。彼女が牢の格子まで近づいてくれなければ、接触すら出来ない。
鍵は奪えない、ライティは絶望に染められたまま。最早打つ手がなにもない、どうすればいい。そんな迷いを抱えかけたロベルトだが、その手に握る冥牙を一瞥し、口元を緩める。
伝説の武器として御伽噺に出てくる冥牙グリウェッジ。これをくれた勇者様が、ロベルトに送った言葉を思い出して。
『――言葉など要らぬ!強く輝きたい、そう願ったときは、強くこの刃を握りしめるがいい!何も考えるな、ただそれだけでいい!』
ああ、そうだ。不安など抱えるな、絶望など抱えるな、迷いなど斬り捨ててしまえ。
勇者の言葉が、ロベルトの心を軽くさせる。そうだ、自分は一人じゃなかった。自分一人で全てを救う必要など、どこにもないのだ。
たった一人で全てを解決してしまうなんて、自分の柄じゃない。そんなこと、最初から無理なのだ。
自分がなるべきは、完全無欠の存在なんかじゃない。どんなに無様でも、強く輝き胸を張れる、そんな格好良い英雄だ。
冥牙グリウェッジ。その手に握る黒き刃を強く感じ、ロベルトは覚悟を決める。
「……頼むぜ相棒。今の俺にはお前が分不相応過ぎる力だとは分かってるよ。俺はリアン達みたいに、自分を磨いてもなければ、高みを目指そうとしたことだってない。
――けど、今回だけでいい!たった一撃でいいんだ、俺が主で在ることを一撃だけ前借りさせてくれ!
目の前に泣いてる子供がいるんだよ!膝を抱えてる子供がいるんだよ!そんなの絶対許せねえだろうが!
あのふざけた絶望顔を年相応の笑顔に変えてやりてえんだよ!俺のちっぽけな願いを叶える為に、お前の力を、『英雄』の力を一撃だけ俺に貸してくれ!」
心を決めて、骸骨達へ向けてこの戦場で初めて自分から敵に駆けだしたロベルト。
その背中は、表情は、まぎれもなく『戦士』のものだ。覚悟を決め、胸に勇を抱いた、サトゥンの求める『英雄』であった。
少女の心は、絶望に染まり切っていた筈だった。
彼女は、誰より魔法の才に溢れ、その力にも誰より強い自負があった。
流浪の民の中でも誰よりも強く、自分に勝てる者は存在しないのではないかと思いあがる時もあった。
だが、そんなものは所詮ただの幻想に過ぎず。
流浪の民が冒険者達に襲われた時、彼女は率先して冒険者達を撃退した。
一人、また一人と冒険者を倒し追い払うことで、少女は浮かれていた。自分の力が、仲間達を救っていると。
だから、過信した。仲間達が深追いは止めようといっても、耳を貸さずに一人前に出てしまった。
完膚なきまでに敵を倒せば、もう二度とこのような馬鹿な真似はしてこなくなると思って。
自分の力が、みんなの武器になると信じて。この力は、魔法は、みんなを守る為に行使されるもので、自分が斬り込んでいくのは当然だと思っていた。
だが、少女はそのとき生まれて初めて己の無力を知る。
突出した少女を狙い澄ましたように、冒険者達は彼女に対し数で攻め立てた。
幾ら魔法のスペシャリストといえど、距離を詰められてしまえば無力な少女のそれと変わらない。
数人倒したものの、結局重い一撃を放たれ、少女はあえなく意識を奪われ力尽きた。そして、何も出来ぬままに攫われてしまったのだ。
貴族邸の地下に幽閉され、首には魔力封じの首輪を嵌められた。
魔法の使えぬ自分が何も出来ない屑であると、レーゲンハルトに哂われた。
彼の言葉は、真実で。魔法を使えぬ少女は、逃げ出すことは愚か、牢を壊すことも出来なかった。
暗闇の中で何日も経過し、少女の心は摩耗していった。自分が感じていた強さは、全てがまやかしだった。ここにいるのは何一つ抵抗出来ない無力な自分。
捕まってしまったことで、同胞たちにも迷惑をかけているだろう。肉親である母はどれほど心配しているだろう。
その現実が、少女の心を壊していく。皆を救う為の力を持っていた筈なのに、自分はこうして無力に迷惑をかける邪魔な存在なのだと、自分を責めていく。
このまま死んでしまったならば、迷惑はかけずに済むかもしれない。一体何度そう思っただろう。
これが、力に酔った者の末路。勘違いした者の終末。情けなさに流れる涙など、とうに枯れ果てていた。恐怖と絶望だけが、彼女の心を占めていたのだから。
そんな切望の中の少女の前に、一人の人間の青年が現れた。
青年は少女の姿を見て、瞳に怒りを灯してナイフを握る。そして、領主の召喚した骸骨達を相手に必死に戦っていた。
彼は言う、自分は助けに来たのだと。少女を救いに来たのだと。
だが、その言葉が少女には届かない。こんな何も出来ない自分を救うなんて、馬鹿だ。こんな駄目な私など放って逃げてと願う。
絶望だけを映し出す少女の瞳に映った光景は、想像通りの暗闇で。
青年は骸骨達に手も足も出ない。戦う力のない彼は、必死に逃げ回るだけだ。少女から見ても、青年が骸骨相手に勝てる見込みなど微塵もなかった。
どうして命を賭して、危険な目にあうのか。骸骨に勝てないのだ、自分などと言う他人の為に、その命を危険に晒さないで。
そう願う少女の想いは、決して届くことは無い。青年は、決して少女を置いて逃げ戻ろうとはしなかった。
必死に骸骨達の攻撃を回避し続け、少女へと言葉をかけ続けるのだ。
――諦めるんじゃねえ、お前は絶対に救ってやる。
――お前は助かるんだ、だから頑張って上を向け。必死に歯を食いしばって立ちやがれ。
――フェアルリさんから聞いてんだよ、お前は強いんだろうが。だったらこんな連中雑魚だって見下してやりゃいいんだよ。
――お前は弱くなんかねえ、お前が絶望する理由なんかねえんだ。
何度も何度も少女へ怒鳴り散らすように呼び掛ける青年の声に、やがて少女はゆっくりと瞳の色を変えていく。
その青年は、もはや肩で呼吸をすることすら困難なほどに疲弊していた。足は震え、全身は土埃に塗れ、とても救いの英雄なんて言えない滑稽な姿だ。
だが、その青年から少女は目を逸らさない。彼の言葉の一つ一つが少女にしみ込んでいくように、少女はゆっくりと立ちあがろうとする。
彼が骸骨達からの攻撃を必死に避ける度に、彼が荒くなった呼吸を抑えるように声をかける度に、重い鉄球をひきずりながらまた一歩と足を進めて。
諦めない。絶対に諦めない。その青年の意志が、痛い程に少女へと伝わっていく。
気付けば、少女は涙を零していた。青年の想いが、どうしようもないほどに嬉しくて、うらやましくて、格好良くて。
自分は、簡単に諦めてしまった。弱い自分に直面して、その重さに耐えきれず、心折れてしまった。
だけど、青年は諦めようとしない。どんなに格好悪くても、骸骨に勝てなくても、青年は瞳に希望を燃やしてこんな自分に声をかけてくれる。
必死で戦い続ける青年の姿に、少女は教えられたのだ――ああ、そうだ、あれが本当の『強さ』なのだ。
自分のように、少し力を使えるから何だと言うのだ。本当の強さとは、どんなことでも諦めない、絶望しない心の強さだ。
青年は諦めない。決して諦めずに、自分を信じてくれている。かならず声に応えてくれると、立ちあがってくれると、信じて骸骨達に身を投げ出している。
その想いが、少女に届いたとき、絶望に染められた少女は初めて強く願うのだ。
――応えたい。こんな私を信じてくれるあの人に、応えたい。
――こんな私でも、再び立ち上がることが許されるのならば、私もあの人のように、強く!
少女が立ちあがり、瞳に意志を宿した瞬間を、青年は見逃さなかった。
骸骨達の隙間を縫うように駆けだし、真っ直ぐに少女の元へ。だが、彼の行く手を阻むように、彼の背中をめがけて骸骨の拳が振り下ろされる。
その瞬間、青年は笑った。避けようと思えば避けられる攻撃だが、青年はあえて避けなかったのだ。そちらの方が『早い』と判断したから。
骸骨の全力の一撃を背に受け、青年は苦痛に表情を歪めながら吹き飛ばされる。だが、それも全ては計算通り。青年の吹き飛ばされた方向には、少女が居る。
檻の中に囚われた少女、その瞳に宿る強き意志が伝わるかのように、青年は苦痛を押し殺して手に握る黒き刃を解き放つのだ。
「もし、お前が本当に伝説の冥牙だって言うのならたった一度で構わない――こいつを縛る下らねえ鎖なんぞ、立ち切ってみせてくれ!」
鉄格子に叩きつけられる寸前、青年は手に持つ冥牙を少女の首元へと奔らせた。
冥牙グリウェッジ、それは勇者の影として仕え続けた影刃ドードニスが担う神の刃。幾多もの悪鬼達を冥府に沈めたその武器が、もしこの世に本当に存在したならば――たかが少女を縛る首輪如き、断てぬ筈もない。
少女を縛る、絶望の証が石畳へと打ち付けられた時、青年は身体中を襲う激痛を必死に押し殺しながら呟くのだ。
「は、なんだよ……『格好付ける』って、存外簡単なんじゃねえか……
俺みたいな奴にだって、頑張れば出来るんじゃねえかよ……ああ、もう痛みで指一本動かせねえぞ畜生……」
「い、いかん!魔力封じが!骸骨共、小娘を取り押さえろ!」
少女から楔が外され、それに気付いたレーゲンハルトは骸骨達に必死に指示を出すが、全ては遅い。
骸骨達が走り出すより早く、少女が小さな声で呪文の詠唱を行うと、その刹那――瞬く間に、骸骨三匹が消滅した。
少女の前に巨大な光球が現れ、そこから恐ろしい威力が込められた光が骸骨達を呑みこんだのだ。
あまりの威力に、呆然として言葉を失うレーゲンハルト。だが、そんな彼の姿など、少女の瞳には映ってはいない。
彼女は、石畳に倒れて笑みを浮かべる青年の手を握り、初めて青年に言葉を伝えるのだ。
「……私はライティ。貴方の名前は、何て言うの?」
「俺の名はロベルト、世界で一番格好良い男を目指すことにしたロベルト・トーラだ。どうだ、俺は格好いいだろう、ライティ」
「ロベルト……ロベルト、ロベルト」
自分を救ってくれた世界一格好付けの青年の名前を、少女は何度も何度も口の中で繰り返し呟き続ける。
あたかもその名を自分自身に刻みつけているかのように。青年の名を、勇気を、行動を、全てを忘れないためであるかのように。
指一本動かせない程にいっぱいいっぱいなくせに、それでも必死に格好付ける青年の姿。その姿を少女は決して記憶から忘れ去ることはないだろう。
きっとこの青年の今の姿が、少女にとって世界で一番何より誰よりも格好良い姿なのだろうから。
ロベルト回であってロリベルト回ではありません、決して。次も頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




