34話 檻
リアンに先駆け、ロベルトは来た道を全力で疾走して戻っていく。彼の頭の中は、先程対峙した全身黒づくめの男の発した言葉で埋め尽くされていた。
あの男はライティと領主が地下にいるといっていた。そして、ライティの『使い道』が、邪竜王復活の生贄であるとも。
何処まであの男の言葉を信じてよいのかは分からない。分からないが、それが虚言だと断定する材料もない。
ならば一刻も早く地下へと駆けつけなければならない。真偽を確かめるのは、それからでも遅くは無いとロベルトは判断し、駆け出したのだ。
邪竜王だ生贄だ、そんなものの意味はロベルト自身あまり理解出来ていないが、このままではライティの身に安全が保証出来ない事態であることは感じ取っていた。
もし、ライティが傷つきでもすれば……否、最悪命を奪われてしまったならば。そんな悪夢の未来図を必死に頭で打ち消して、ロベルトは一階へ戻る為に駆けるのだ。
だが、そんな彼の行く手を阻む者が次々と現れていく。リアンと共に二階を駆け抜けた時には居なかった筈の兵達が、数名現れ剣を抜いていた。
それを見て、ロベルトは打ち漏らしがあったのかよと内心毒吐き小さく舌打ちをする。相手はロベルトの姿に気付いており、疾走する彼を止めんと剣を既に構えている。
兵士が二人に冒険者が二人。連中を見て、ロベルトは足を止めることなく駆けながら必死に脳内でどうすべきかの判断を下す。
恐らく、否、間違いなく自分が彼らを倒すことなど出来はしない。ナイフの腕前は並みの冒険者以下で、敵を打倒する力がないのは、師のお墨付きだ。
ならば戻ってリアンが来るのを待つか。彼ならば四人程度簡単に打倒してくれるだろう。恐らくそれが一番の良手だろう。もうすぐリアンも後ろから駆けつける筈だ。
これまでのロベルトならば、間違いなくその選択を選んだだろう。足を止め、なんとか逃げ回って時間を稼いで誰かの助けを待つ。それが『頭の良い』判断だ。
彼の心が、脳が、全てが賢く安全な選択を選べと叫んでいる。ロベルト自身もそうすべきだと納得している。だが、それでも何故か彼の足は止まらない。
心と体がバラバラに動く状態に、ロベルト自身面喰らうものの、やがて楽しげに笑みを零して冥牙グリウェッジを腰から抜いて覚悟を決める。
敵と対峙することは怖い。命を取られるかもしれないことは怖い。けれど、それらの感情を乗り越えて自分の身体は動いてくれた。
『賢く』足を止めるよりも、『馬鹿』そのものに駆け続ける。そのことがロベルトは嬉しかったのだ。身体が『馬鹿』でいることを選んでくれたなら、俺はまだ――俺はまだ、格好を付けられる、と。
「兵士の皆さぁぁぁん!先にいっておくが、俺ぁくそ弱ぇからなぁ!全力で手加減してもらわねえと死んじまうぞぉぉぉぉ!」
これだけの兵士達を相手にしても、馬鹿で在り続けそれを誇ったリアン達のように、自分もまた、馬鹿であることを誇る為に。
ロベルトは真っ直ぐ兵士達に疾走し、冥牙を顔の前に構える。兵士達は、ロベルトが足を止めることがないと悟り、剣を彼へと振りかぶる。
彼らの攻撃動作に集中し、ロベルトは思う。成程、鍛えられてやがる。日頃街の中で遊び回ってばかりの俺じゃあとても敵わない相手だ、と。
打倒は出来ない。相手より強き者になることも出来ない。積み重ねた努力も修練も桁違いだ。だが、それでもロベルトは必死に笑う。
誰かより強いことを誇りたいんじゃない。誰かより腕が立つことを褒められたいんじゃない。そんな才能が自分にはこれっぽっちもないことくらい、この二十一年の人生で嫌というほど分かってる。
けれど、そんな弱くて情けない自分だって諦めなければ輝ける筈だ。格好良い自分になることだって不可能じゃない筈なんだ。
そう、大事なのは強きことではなく、『格好良く在ること』だ。誰に後ろ指さされても、馬鹿にされても構わない。そこに自分が納得できるだけの『格好良い自分』が在るならば、それでいいのだ。
ここで格好良い自分とは何だ。強い兵士達を叩きのめす自分なのか。違うだろう、そうじゃない、最高に格好良い自分とは、決してそうじゃない。
今の自分が描く、最高に格好良い自分とは何か。その答えは得ている、導いている。
最高に格好良い自分とは、どんな敵に無様を晒しても――勇気を胸に、絶対に囚われのお姫様を救い出す、そんな自分に他ならない!
ロベルトは迸る剣撃を短剣で受けとめ、その衝撃をそのまま利用する。剣戟を受けつつ、身体を地面へと滑らせ、兵士の股を潜り抜けるようにスライディングしたのだ。
先走っていた兵士二人は抜き去ったが、その先には冒険者達が存在する。驚いた表情を浮かべた冒険者達に、ロベルトは全力で斬りかかるように大きく冥牙を振りかぶる。
彼の攻撃に備えようと、武器を守りに固めた冒険者たちだが、それこそがロベルトの狙い。守りを固めた彼らに向けて、ロベルトは腰にかけていた小銭袋を鷲掴みにし、全力で投げつけたのだ。
その中身が小銭だと気付かない冒険者達は、当然警戒をしてそれを撃ち落とそうとする。中身が毒薬などであったなら、一大事だからだ。
二者の剣が空を切って生まれた隙を、ロベルトは逃がさない。体勢の崩れた冒険者の一人に体当たりをし、生まれた道を全力で駆け抜けていった。
四人を見事抜き去ったロベルトは、そのまま速度を落とさずに、サトゥンが壊した階段の場所まで辿り着く。
背後の兵士達との距離から、数秒の猶予があることは感じ取っている。その間に、ロベルトはどうやって下に向かうかを考える。
飛びおりるには、少々高さがあり足を痛める可能性がある。何より一階では、未だマリーヴェルとサトゥンが数多の兵士を相手に戦っているのだ。
下手なところに着地してしまえば、それこそ足手纏いだ。地下への階段は少しばかり離れた場所にある。どうやってそこまで向かうべきか。
そこまで考えた時、ロベルトは宙にふわふわと浮いて七色に輝いている無数のサトゥンを視界に入れる。
様々なポージングをとって高笑いをするサトゥン。それも何故か増殖している。最早突っ込みどころしかないそれを視界に入れ、ロベルトは一つの名案を思いついた。
程良い高さに、程良い数。そして何より、地下階段までの『道』が出来ているのが完璧だ。
背後には兵達が迫っている。最早この方法より他に道はないと結論を出したロベルトは、大声でサトゥンに向けて謝罪を口にするのだ。
「サトゥンの旦那!謝罪の言葉は後で山ほど送って頭を下げるから、今はその力を貸してくれぇ!」
「ふんむ?わはは!我の力が必要とは可愛い奴め!どれ、力ならいくらでもうぶぅ!」
サトゥンが口に出来るのはそこまでだった。何故なら彼の頭を、二階から飛び降りたロベルトが全力で踏みつけてしまったためだ。
彼の頭に飛び乗ったロベルトは、すぐに身体のバネを利用して『次のサトゥン』の頭へと飛び移る。そこから再び聞こえてくるサトゥンの潰れ声。
まるで曲芸師のように、ロベルトは七色ポージングサトゥンの頭の上を次々と乗り換えていき、十一人の七色不気味サトゥンを押し潰して無事に地下階段まで辿り着いたのだった。
ロベルトのとんでもない一手に度肝を抜かれたのは、地下への道を護っていた兵士たちだ。
特に重点的に守りを固め、マリーヴェルですら攻めあぐねる程の数を配備していた守りを、このようなアホみたいな一手で突破されたのだ。驚かない訳が無い。
やがて冷静さを取り戻した兵士達は彼を追う為に、兵士達を地下へと向けようとしたが、その一手は遅過ぎた。
異常なまでの地下への守り、陣形を崩してまでロベルトを追おうとする兵士達。その様子を見て、マリーヴェルが何も察さない訳が無い。
彼女もまた、ロベルトを追うように七色サトゥンの頭を『全力』でふみつけて、兵達より先んじて地下への階段の前に立ち塞がったのだ。
「成程ね、上じゃなくて本命はこっちだったって訳。残念だけど、ロベルトの後を簡単に追えるなんて希望は捨てたほうがいいわよ。
――さて、サトゥンを囮にして飛びまわるのはもう終わり。ここから先は、ちょっと本気でやらせてもらうわよ?地獄をみる覚悟の出来た奴から遠慮なくかかってきなさい」
「勇者を足蹴にするなど不届き千万!ならば私が一番手として相手してやろう!ゆくぞ、マリーヴェル!最強にして最高の勇者サトゥンが相手である!ぬはははははは!」
「アンタが敵にまわってどーすんのよ!ほら、出番あげるからさっさとこっちにきなさい!もう気持ち悪い分身も引っ込めていいから!」
マリーヴェルに呼ばれ、サトゥンは素直に分身を引っ込めて彼女の隣で兵士達にむけて踏ん反り返る。
勇者サトゥン、小さなことは根に持たない寛大な英雄なのである。あと出番をくれるというマリーヴェルの言葉が凄くうれしかったらしく、現在非常に上機嫌であった。
地下への薄暗い階段を駆け下り、ロベルトは周囲に人の気配がないことを確認して先へ先へと進んでいく。
どうやら後ろからの追手がこない状況から、マリーヴェル達が何とかしてくれているのだと推測し、ロベルトは安堵の息をつく。
前と後ろ両方から挟まれては、流石にどうしようもない。彼は二人に感謝をしつつ、地下通路を進んでいった。
「ここに兵士は配置してねえのか……大助かりだが、逆に薄気味悪く感じちまうな」
真っ直ぐに続く狭く暗い地下通路を進みながら、ロベルトは一人呟く。
兵士や冒険者を配置していないのは、恐らく一般の連中には地下に触れられたくないことに他ならないのではないか。
ノウァの発言に信憑性が増していくのを感じ、ロベルトは奥歯を噛み締めて目が熱くなりかけた自分を押し殺し、先へと進んでいく。
細長く暗い通路を抜けた先に、一つの扉の存在があるのを確認し、ロベルトは少し迷ったものの、ここで気配を殺してどうこうする意味は無いと結論を出し、リアンがやったように力強く扉を開いた。
相手は貴族様だ、どうせここまでやったのだから精神的優位に立つ為に、自分を鼓舞する為にと行った行為であったが、部屋の中の光景にロベルトのそんな思考は全て台無しになることになる。
部屋の中には、一つの牢が存在した。
その中に、ロベルトが探していた少女の姿が確かに在った。フェアルリと同じく深紫の美しい髪を持ち、頭に兎のような耳を生やした幼き少女、ライティ。
だが、そんな幼き少女を縛るように、彼女の足には鉄球という楔が打ちつけられ。彼女の首には禍々しい首輪のようなものが巻かれ。
全てに絶望したように、瞳に光を灯さぬ状態で牢屋の隅に蹲っているライティの姿に、ロベルトは何一つ言葉が発せなかった。思考すら回らない。
その牢屋の傍に立つ男から声を掛けられて、ロベルトは初めてこの少女以外の存在に気付くことが出来た、それくらいに呆然と立ち尽くしていたのだから。
「こんな夜更けに侵入者とは、兵士も冒険者も役立たずだな。大金を払った意味がないではないか」
「……誰だ、てめえは」
「それは私の台詞だと思うのだがな、薄汚いネズミが。
私はこの館の主、レーゲンハルトである。ああ、貴様の名乗りは結構。どうせすぐに死に行くのだ、貴様の名などに興味はないわ」
「てめえ、てめえがこんなことしたのか!年端もいかないガキに、こんな真似をしやがったのか!こんな顔をさせやがったのか!」
「この悪魔の小娘か。何をそんなにいきり立っておる、こ奴は人間ではないのだぞ?ただの魔物の一匹だ。
みよ、頭に生えた忌まわしい人外の証を。こやつら流浪の民は人間の皮を被った悪魔よ、言わば人間にとって害を為す塵に過ぎん。それをどう扱おうと誰にも咎められる謂れはない」
悪魔の娘という発言に、牢屋のライティはその表情を更に絶望の色へと染める。それが更にロベルトの怒りに火をつける。
別段彼は正義正しく悪を許せぬという人間ではない。だが、年端もいかない幼子がこのような目にあっているのを目前にして、怒りを覚えぬほど人間を捨ててはいない。
レーゲンハルトの発言の一つ一つが気に食わない。貴族だどうだ、などという小さな問題は最早彼の頭にはない。
ロベルトの頭の中には、ライティを救い出すことと、例え犯罪者となってもこの馬鹿貴族の顔面をぶん殴ることしか存在していなかった。
そんな彼の怒りなどどこ吹く風で、レーゲンハルトは愉悦の笑みを浮かべて言葉を紡ぐのだ。
「しかし、実に楽な仕事よ。冒険者達を金で雇い、使い潰してこの娘を攫うだけで、私はこの国を手にする程の力を与えて貰えるのだからな。
ケルゼックには感謝してもし足りぬよ。魔力封じの首輪も嵌めた、後はこの力の無い小娘をケルゼックに渡すだけで私は全てをこの手に収める。笑いが止まらぬわ」
「そのケルゼックって奴がやっぱりてめえの親玉か……」
「親玉?協力者と言って貰いたいがな。これで私は強大な力と永遠の命を得、メーグアクラス王を殺し、この国を支配する。
否、この国だけなどという小さなものでは終わらない。ローナンも、クシャリエも、レーヴェレーラも、全ての国が私のモノとなるのだ!」
「寝言なら地べたで這いずった後でほざけ!お前をぶっとばして全部終わりになるんだよ!」
怒りが頂点に達し、ロベルトは冥牙を構えてレーゲンハルトへ向けて疾走する。
そんな彼に、レーゲンハルトは小馬鹿にしたように笑みを零し、手に持っていた杖で軽く石畳を叩いた。
刹那、石畳が割れ、その中から六体もの化物が室内に生み出され、ロベルトは表情を驚愕に染める。
「が、骸骨だと?な、なんだこいつら……これも、魔物なのか!?こんな魔物がいるなんて、聞いたことねえぞ!?」
「馬鹿め、私は既に幾らかの力をケルゼックに与えられているのだよ。最早私は、既に人間を超越しているのだから――クカカ、やれ、躯共よ」
骸骨達はカタカタと骨を振るわせ、獲物に群がるようにロベルトへと集まっていく。
突如現れた魔物達に、ロベルトは脳内を混乱に突き落とされかけるが、牢の中の少女を見て、すぐに冷静さを取り戻す。
――落ち着け、自分がここで駄目になってどうする。あの娘を助ける為には、この骨どもを突破して貴族の奴を一発ぶん殴るしかないのだから。
自分に冷静に言い聞かせ、ロベルトは短剣を構えて骸骨の一撃を受けようとしたが――すぐにその腕を引っ込めて回避へと移行した。
ロベルトの中で駆け抜けた嫌な予感が、彼を回避行動へと移らせたが、それが彼を救うことになる。
骸骨の一匹から繰り出された一撃は、回避したロベルトのいた足元の石畳をまるで労する事もなくぶち抜いてみせたのだ。
余りの破壊力に、ロベルトはぞっとする。もし、あれをまともに受けていたら、右腕がおしゃかになっていたのだから。
次々に襲い来る骨達の攻撃を、ロベルトは必死に回避する。その光景を眺めながら、レーゲンハルトは愉しげに笑う。
「その骸骨共はただの骨ではないぞ。この国でも強さを謳われていた冒険者達のなれの果てだ。その骨を我が力によって強化したのだ、弱き筈もない。
くはははは!貴族から招待という言葉につられ、奴らは何の疑いもなく死んでいったぞ!馬鹿な奴らよの!」
「てっめええええ!」
次々に繰り出される骸骨達からの攻撃を必死で避けて凌ぎながら、ロベルトは何とかレーゲンハルトをぶっ飛ばす為の策を必死で頭で練っていた。
少しでも早く、あの少女の顔を絶望から救う為に、何よりこのどうしようもないくらい反吐の出るクソ野郎をぶっ潰す為にと、彼は骸骨達の猛攻を耐え凌ぐのだ。
サトゥン勇者ではなくパタパタ説。次も頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




