32話 強引
31話のあとがきにも書いたのですが、31話のサトゥンとロベルトのセリフ内容を一部修正しております。(16日朝4時)大変申し訳ありません。
裏賭場での話し合いを終え、一同は一度解散し、夜に再び領主の館の前で集まることとなった。
事が事だけに、白昼堂々ではなく夜襲をしかけようという結論になった為、それから夜までの時間は丸々空き時間となる。
サトゥン一行と別れたロベルトは、未だに解消されない胸のもやもやを抱えたまま、自室へと戻っていた。
木造で古びた住宅建築物の一部屋、そこが彼の小さな居城であった。寝ることくらいしか出来ない粗末なものであったが、彼の懐具合ではこの程度の部屋を借りるのが精いっぱいだった。
「……ったく、一体なんだってんだあの連中は」
木製の硬いベッドの上に身を投げ出し、先程の出来事をロベルトは一人毒づく。
結局どれだけ止めようと、サトゥン達は貴族の館へ突入する事を考え直すことは無かった。
ロベルトの知るこの世界は、階級は絶対だ。貴族に刃を向けるなど、天地が逆さに返ってもありえないことだ。
だが、彼らはそんな一線を簡単に踏み越えようとする。何の迷いもなくやってのけようとするのだ。
常人からしてみれば、それははっきり言って狂人の領域だ。他人の為に、そんな滅茶苦茶を簡単にやってのけようとする。そうだ、彼らはおかしいのだ。
「まあ、よくよく考えてみれば、デンクタルロスをぶっ潰すような連中だしな……常識外の存在ってのは当たり前か」
そう、サトゥン達は何十年もこの街を悩ませ続けた海獣を簡単に叩き潰してしまったような連中なのだ。
そんな彼らに常識などを求める方がどうかしているかもしれない。自分と同じような狭苦しい型になど囚われない存在なのだろう。
自分とは違う。その言葉が、ロベルトの胸に刺さる。自分は何処にでもいる一般人、そう、ただのどこにでもいる人間だ。
連中のように海獣を倒したりなど出来ないし、貴族の館に乗り込もうなんて酔狂なことは考えられない。
ただ、身の程を弁えて誰にも馬鹿だ愚かだなどと哂われない、賢い生き方を心がけ、毎日をつなぐだけの稼ぎを得て。
「……違うよな。そんな生き方をしたくて、俺は村を出たんじゃないよな」
十を数える頃、彼は村の外の世界に憧れた。
退屈な村の中だけで一生を終える人生は真っ平だと、自分の人生はもっと特別な世界が待っているんだと、胸躍らせて飛びだした筈だった。
だけど、街で日々を重ねた自分は何もかも中途半端で。歳を重ねるにつれ、そんな生き方は幻想だと、馬鹿な夢見がちなガキの思想だと思うようになって。
『格好良い生き方』に憧れた昔の自分が、今の自分を見れば何を思うだろう。
身の丈にあった金を稼いで、何を目標とすることもなく心は宙に浮いたままで、時間だけを浪費して。
言い訳なんて幾らでも出てくる。でも、そうじゃない。過去の自分に告げるべきは、そんな言い訳なんかじゃない筈だ。そんなものを昔の自分は聞きたい筈がないだろう。
裏の世界に足を踏み入れたのも、大金を得ようとしたのも、何かを変えたかったからじゃないのか。周囲に流され格好付けて生きてきた自分を一度リセットしたかったからじゃないのか。
瞳を閉じ、ロベルトはサトゥン達と別れ際にマリーヴェルから言われた言葉を思い出す。
サトゥン達とは違い、彼女は自分のそんな浮ついた心を見透かすかのように言葉をぶつけてくれた。
『怖いなら来なくてもいいわ。心配しなくても報酬の分け前はちゃんと分配するから。
サトゥンの馬鹿はああ言ったけど、私は正直あんたには『こっちの世界』は向いてないと思うもの。
あんたが私達を心配して止めてくれようとしてるのは分かってるけど、私達の何より大事なモノは『それ』じゃないのよ。
言ってしまえば、私達は誰一人例外なく頭がおかしいの。貴方は正しいわ。だけど、その正しいと思える頭があるうちは、こっちに来ないで。正直邪魔だし迷惑だわ』
遠慮のなく、そして痛い言葉だと思う。吐かれた時は呆然としてしまったが、その言葉の意味は今なら痛い程分かる。
彼女達が一に大切としているモノと、自分が大事だと思ったモノはずれていた。
フェアルリの話を訊いた時、彼女達は『娘』だけが心を支配し、自分は『貴族』に対することを恐れた。
そして、そんな自分の考えを、マリーヴェルは正しいとも言った。だが、その正しさは普通の人間としての正しさなのだ。安全に生きる為、自衛のための正しさだ。己の心に殉ずる正しさじゃない。
自分の迷いを感じ取ったからこそ、マリーヴェルは突き放した。確かにその通りだと思う。こんな迷いを抱いてる者に背中を預けるなんて誰が出来るだろうか。
結局、自分は覚悟が出来ていなかったのだ。あの厳しい言葉は、優しさの裏返しでもある。
無理してこちらに踏み込まなくても、自分達だけでフェアルリの娘は救ってあげられるから心配するなというメッセージも確かに込められていたのだから。
「格好悪いよな……自分より年下の女の子に、ああまで言わせて。だけど――このまま逃げちゃ、もっと格好悪いよな」
ロベルトは気付けば、拳を強く握り締めていた。そして、手の中に握る一振りの鞘に入った短刀を見つめた。
それは、彼がサトゥンに押し付けられた黒き刃。冥牙グリウェッジ、その名はロベルトもよく知っている。幼い頃、父母に読み聞かせられたリエンティの勇者に出てくる伝説の武器の一つだ。
その武器を担うは英雄。彼らは伝説の武器と友、そして大きな勇気を抱いて、魔物の王を倒すのだ。子供の頃、誰もが楽しみ憧れた勇者物語。
人間達の希望、英雄。その英雄の武器をここまでくよくよと思い悩む小さな自分が渡されたなんて、皮肉にも程がある。身分不相応だ。
けれど、これを渡された時、サトゥンは言っていた。何もかもが足りていない自分に、彼は笑ってこう言ってくれた。
『足りなくともよいではないか!足りないことを恥じること、悔しがること、それこそが人間だけに許された心の煌めきではないか!
足りないからこそ人は手に入れようと努力邁進し、掴みとろうとする!その姿こそが人を何よりも輝かせる!足りぬことは恥ずべきことではないぞ、ロベルト!
足りぬということは、これから追いかける楽しみがあるということだ!お前にはまだまだ輝かける未来が待っている、羨ましい限りではないか!うははははは!』
そう、足りぬならば足掻くことが出来る。努力邁進することが出来る、それが人間なのだ。
聞いてるこちらが馬鹿らしくなる程の人間賛歌の花畑思考だ。だが、その言葉は嫌いではないと思う。有難いと思う。
別に英雄になりたい訳じゃない。別に勇者になりたい訳じゃない。大きな高望みも野望も抱いてる訳じゃない。
ただ、自分はなりたかった。格好良い自分に、今度こそ生まれ変わりたかった。
ただ、自分は変わりたかった。昔、憧れ夢を追い村を出た過去の自分に、誇らしいと思って貰えるような自分に、今度こそ変わりたかった。
ゆっくりと眠りに誘われる中で、ロベルトは心の中で願うのだ。強く、ただ強く黒き刃をその手に握りしめて。
「それで、結局来たのね。あんた馬鹿でしょ?大人しく逃げてれば、何も危ない橋を渡らずに大金貰えたのに」
「覚悟を決めて頑張ってやってきたのに、何で俺はこんな酷い言葉を早々に投げつけられにゃならんのだ」
太陽の日が落ち、闇が支配する時刻。
約束通り、領主の館の近くで待ち合わせ場所に向かったロベルトを出迎えてくれたのが、マリーヴェルの冷たい一言であった。
開幕早々泣きなくなるロベルトであったが、そんな彼にフンと息を一つ吐いて、そっぽを向いてマリーヴェルは言葉をかけ直すのだ。
「でも、ま、ちょっとは見直したわ。正直みくびってた、それは謝る」
「あ、ああ……正直、俺がいても足手纏いになるだけだとは思うが、参加させてくれ。
フェアルリさんの娘っ子を助けたいという気持ちは、俺だって同じなんだ。どうせ格好付けるなら、中身を伴って道化を演じてやる」
「ロベルトさん、ありがとうございます!一緒に頑張って娘さんを救出しましょう!」
「あ、ああ、よろしくな、リアン。言っておくが、俺は本当に弱いからな!絶対に戦力として期待するなよ、絶対にだぞ!」
手を握りしめてぶんぶんと振り回して喜ぶリアンに、ロベルトは一応釘を刺すとばかりに必死に自分の弱さをアピールしておく。
彼の発言は真実で、一人では野良魔物すらろくに倒せない実力である。対人戦など経験したこともないのだ。
そんなロベルトに、今度はリアンとは別の人物が彼の肩を叩く。そちらを振り向けば、勇者様が全力スマイルを振りまいて下さっていた。
「ふはははははは!よくぞ、よくぞよくぞ覚悟を決めた!ロベルト!否、英雄ロベルト!
幼子を救うという強き心、しかと受け取ったぞ!ならばお前に、今宵私が最高の美酒の味を教えてやろう!
英雄として生きる者が、この世の何よりも美味いと感じる最高の悦楽を、駆け出しのお前にとくと教授してくれる!むはははははは!」
「あの、もしかしなくても、サトゥンの旦那っていつもこうなのか……?」
「いつもそうよ」
「いつもこうなのか……」
ハイテンションでバンバンとロベルトの背中を叩くサトゥンを止めることは出来ないと悟った彼は、抵抗する事もせずされるがままになる。
そんなサトゥンを放置して、マリーヴェル達は少し離れた場所にある領主の館を眺めながら、話し合いを始めていく。
「とりあえず、ここから見ただけでも見張りがいっぱいいるわね。
兵士だけじゃないわね、冒険者みたいなのもいっぱいいるわ。ここの領主って普段からああやって冒険者を護衛に雇ってるの?」
「裏賭場の依頼の中に、領主直々に冒険者達への護衛依頼があったな。期間は明日まで。報酬は一日金貨一枚。恐らくはその話に乗った連中だろう」
マリーヴェルの疑問に答えたのはグレンフォードだ。遊び呆けていたサトゥンとは違い、きっちり情報を集めているあたりが彼らしい。
その話をきいて、マリーヴェルは首を傾げる。腑に落ちない点があったようだ。
「おかしいわね……そんな急に冒険者まで使って館を固めるなんて、『私はあやしいです』って言ってるようなもんじゃない。
しかも期限が明日までっていうのも分からないわ。奪還に備えているなら、何故期限を明日までとしたの?」
「多分だが、雇った襲撃者が流浪の民に口を割るのは想定済みだったんだろうさ。
そして、期限が明日までっていうのはもっと簡単だ。その間に『取引』か『目的』か知らないが、それが済んじまうってことだろ。
一番思いつくのは、どこかよその誰かに売り渡す計画だな。よく分からんが、フェアルリの娘さんは凄く魔法の才能があるんだろ?魔法使いは稀少ってきいたぜ?」
「その辺りでしょうね。まあ、別に理由とかは何でもいいわ。私達には関係ないし、水泡に帰すのは時間の問題だから」
「それで、どうするんだ?あれだけ館の扉の前を固められちゃどうしようもないぜ。軽く百人はいるんじゃないか、あれ」
そう言って領主の館の方へ視線を向けるロベルトだが、再びマリーヴェル達の方へ視線を向けた時、とんでもない光景が目に飛び込んできた。
リアンが、マリーヴェルが、グレンフォードが何の躊躇いもなく武器を握りしめ、淡々と会話していたのだから。
「外に百人いるとして、中も含めると三百ってところかしら。まあ、一人当たり百潰せば問題ないでしょ。とりあえず私が先頭で切り込むわ」
「外の連中は全て俺が引き受けよう。お前達は中に向かうと良い」
「ミレイアさんが体調不良でダウンしているから、怪我だけには気をつけないとね。もし離れ離れになったらサトゥン様を通じて連絡取り合おう」
「ふはははははは!滾る!血が滾るぞ!いざ行かん!生贄にされし小娘を助け出し、館に住まう魔物を打ち倒すのだ!がはははははは!」
どう考えても、作戦など何もなく、真正面から兵士達の壁を突き破ろうとしている連中に血の気が引きかけるが、ぐっとこらえる。
そうだ、ここで逃げないと自分は決めたのだ。決めたからこそこの場に立っているのだ。
打算とか、時間稼ぎとか、そんなものとは外の領域にある彼らの馬鹿に付き合うと決めた。なら、逃げるな。逃げずに踏み出せ。
震える足を何度も地面に叩きつけ、軽く頬を叩いて気合を入れ直し、冥牙を握りしめる。強く頷き、準備は大丈夫だと心を静める。
本格的な実戦は、ロベルトは今日が初めてだった。人と対峙するのも、刃を突き立てるのも。故に、もう一つの覚悟を必要とした。
避けえない状況になったとき、必要になれば、人を殺める覚悟。自分以外の誰かを殺す覚悟。その決意を、彼は言葉にする。
「ああ、俺も覚悟を決めたよ。俺は自分の為に、逃げない為に、この刃で人を――」
「良いか!英雄たる者、決して他者を殺めてはならんぞ!うはははは!我が勇者の道に人の命を奪って泥を塗ることは許されぬ!」
「当たり前でしょ。人殺しなんてまっぴらごめんだわ。言われなくても分かってるっての」
「……は?」
その覚悟はほんの数秒で見事に無駄となる。サトゥンの言葉に皆が当たり前だと頷き同意していたのだ。
冗談だろう。これだけの人数が、自分の命を奪おうと刃を向けてくるのに、こちらは誰一人として殺さないなど出来る訳が無い。
そう考えていたロベルトの思考を読んだのか、マリーヴェルは口元を猫のように楽しげに吊り上げる。
「何、その顔。まさか私達が人殺しでもするのかと思ってた?」
「あ、当たり前じゃねえか!武器持って、人に向けるってのは、そういうことだろ!俺は必死で殺す覚悟を持とうとしたんだよ!」
「ふははははは!何を言ってるのだお前は!勇者とその一行である我らが人間を殺すなど許される筈がなかろう!
英雄とは選ばれし者である!その剣は弱き人を護る為の剣であり、魔を払う刃なり!人を殺す覚悟など川に流して捨ててしまえ!お前が持つべきは別の覚悟であるぞ!ぬはははは!」
「別の覚悟って、それは一体――」
「馬鹿ね、そんなの決まってるじゃない――何があろうと絶対に人を殺さないという『意志』と『意地』を貫き通す自分勝手で我儘な『覚悟』よ!」
刹那、全員が領主の館へ向けて疾走する。
恐ろしき速度で、ロベルトは一瞬目が飛び出そうになるほど驚きかけたが、遅れはしないと必死にくらいついて並走する。
サトゥンだけは空を飛んでいる。飛んでいるが、飛び方が不気味すぎる。腕を組んで足を広げ、ふはははははと全力で高笑いするスタイルを固定しているのだ。こんなものが高速で飛んできたら誰だってドン引きである。
突然の彼らの襲来に兵士や冒険者達は気付き、手に持っていた武器を構えてサトゥン達へ警告の意味の台詞を叫ぶが、遅い。
「な、何だお前らは!ここを一体何処だとはぶうっ!」
「悪いわね!通りすがりの『勇者一行』のお通りよ!」
兵士の一人の顔面に、これ以上ない程に美しくマリーヴェルの飛び蹴りが突き刺さる。
美しい程に速度の乗った蹴りの威力は凄まじく、兵士は吹き飛ぶように大地を転がっていく。
一回転して着地をして、マリーヴェルを先頭にサトゥン達は真っ直ぐに館の入口へと向かうが、兵士達も指をくわえて見ている訳ではない。
彼らを止めんと、武器を片手に襲いかかっていくが、それらをリアンやマリーヴェルが次々と容易に打ち払っていく。
まるで当たり前のように刃を撃ち落としていく面々に、ロベルトは最早驚きの言葉もない。非常識が、服を着て歩いているようなものだと認識しなおした。
速度を一切落とさぬまま、マリーヴェル達は扉を護る兵士達を横薙ぎに切りつける。彼らの剣はサトゥン特製の魔剣であり、主が望まぬ者を切れないという特性がある。
だが、それはただ単に切れなくなるというだけで、鈍器で殴られるような衝撃が避けられる筈もない。哀れ兵士達は地べたに叩きつけられ、その上を飛び越えて、全員は扉の中へと突入するのだ。
全員が扉の中へ入ったのを確認し、唯一人扉の外へ残るはグレンフォード。扉を背にし、漆黒の斧を一振り二振りして彼を取り囲む冒険者と兵士達を眺めて呟く。
「さて、悪いがリアン達を追わせる訳にはいかんのでな。お前達には朝日が昇るまで俺と遊んでもらおう。
ざっと見たところ百人程度だが……リアン達に蹴散らされた連中の力量を見るに、お前達はどうも鍛え方が足りていないようだな。
誰からでも構わん。何人まとめてでも構わん。向かってきた奴から一人残らず俺が鍛え直してやろう――民を護る兵士ならば、泣き事は言わせんぞ」
天壊斧ヴェルデーダを構え、グレンフォードは周囲の連中を一睨みして襲いかかってくるのを待つ。
この日、外に配備された彼らはある種において誰より不幸だったのかもしれない。一切の手抜きを嫌う男、グレンフォードがこの門を護ることを選択したことが、彼らにとって避けられない悪夢の始まりだったのだから。
館の外に配備された面々は、結局朝がくるまでグレンフォードに半強制的に鍛錬という名の地獄に付き合わされることになる。
足腰が立たなくなって泣きを入れるまで、グレンフォードは彼らを扱き続けるのだった。彼の鍛錬を乗り越えられるリアンとマリーヴェルを少し褒めるべきなのかもしれない。
グレンフォード、三十五歳。容赦と手加減を知らぬ愚直な男である。
マリーヴェル「通りすがりの……英雄サンよ!」(ド根性キック) 次も頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




