28話 一刀
船の甲板から飛翔し、大海獣デンクタルロスを見下ろせる高度にて、楽しげに笑っているサトゥン。
そんな自身の姿を、少し離れた船の上から観戦しているリアン達にサトゥンは馬鹿でかい声で指示を出す。
「お前達!今から私がこのデカブツを倒してしまうが、一瞬たりとも決して目を逸らしてはならんぞ!
うはは!何せ私は強過ぎるからな!ある程度手加減をしてやらねば、こやつ程度一瞬で消し炭にしてしまうわ!むはは!強過ぎるとは罪である!」
さっさと戦えばいいものを、ちらちらと何度もリアン達の方を見ては愉しげに語っているサトゥンに、マリーヴェルが『さっさと戦え』と大声で野次を送るが、微塵も聞いていない。
そんなマリーヴェルとは対照的に、グレンフォードは真剣だ。腕を組み、顎に手を当てながらサトゥンと魔物との間を幾度も視線を往復させながら観戦していた。
リアンもまた、グレンフォードのように真面目に観戦しようとするが、隣に立つグレンフォードの呟くような質問に意識をそちらへと向ける。
「初めてだな。サトゥンの戦いを観るのは……リアンは、これまでにアレの戦いをみたことがあるか?」
「ええと、戦いというか、一方的に叩き潰している姿なら。
僕の村が魔獣に襲われそうになっていたときに、その魔獣の全てを倒してくれたときに一度だけ」
「そうか。魔人界と言ったか、その中でも最強の一角という話だったな……興味深い。異界最強の力、我らが勇者の力をとくと拝見させてもらおう」
「はいっ!」
遠く離れたリアン達の会話は、サトゥンの耳にもしっかり入っている。
どんな話をしているのかを聞く為だけに、魔力によって聴覚を三人の会話へと集中させていたのだ。
これがどれだけ複雑かつ難易度の高い魔術なのか、王国の魔術師たちが耳に入れれば卒倒しそうな内容ではあるが、サトゥンは自分の欲望の為だけに力を行使するのである。
リアン達の反応にすこぶる満足したのか、サトゥンはバカ笑いを止め、いつものおちゃらけた彼とは違う表情へと変わる。
それは、獰猛な獣の愉悦。獲物を目の前にし、ただ純粋に闘争を愉しむ魔人本来の姿。魔神七柱が三位と謳われた超人の素顔だ。
「……人間界に足を踏み入れたこと、リアンに出会えたこと、全てに感謝せねばなるまいよ。
何の意味もない作業と思っていた。何の感傷も湧かぬ下らぬ日常だと思っていた。だが、悔しいが今ならば魔人界の馬鹿共の気持ちが痛い程に分かる。
愉しい、実に愉しいではないか。『理由』を得た闘争とは、こんなにも胸が昂ぶるものだったのか。『意味』のある戦場とは、こんなにも心揺れ動く世界だったのか。
くはは、くはははははははっ!『暗き大地の底より来たれ、全ての愚者を魑魅魍魎蠢く冥府へ導く我が闇の牙よ』!」
詠唱と共に、サトゥンは右腕を天へと翳し、空を掴むように掌を握りしめる。
何もなかった筈の彼の右腕が暗き輝きを放ち、光が収まると共に、その手には一振りの刃が握りしめられていた。
その剣は、どこまでも暗く禍々しく。捩れそり曲がり、だが、その刃は恐ろしい程の力が秘められていて。
二メートルを超えるサトゥンの身長と同等の長さを持つ大剣を容易に振り回し、大海獣相手に剣を突き付け、サトゥンは叫ぶのだ。
「刮目せよ――これがリエンティの勇者のみに許された神器、『聖剣グレンシア』である!うはははははは!」
「そんな禍々しい聖剣があってたまるかああああああああ!暗黒剣の間違いでしょ!」
剣を振り回して聖剣と訴えるサトゥンに、マリーヴェルは船から身を乗り出して非難の声をあげる。
悲しいことに、サトゥンの剣は百人見れば百人が魔剣とみなすほどに禍々しい形をしていた。色も漆黒で形も歪で。
マリーヴェルの抗議に、サトゥンはむむむと押し黙ったかと思えば、ぽつぽつと言い訳じみた主張を始める。
「仕方ないではないか。これはお前達の武器とは違い、私の魔力で生み出し造形した訳ではないのだ。
これは魔人界にいた頃に、私が長年愛用していた剣だからな。お前達の武器のように、姿形をリエンティの勇者の物へと変えることが出来んのだ。
何、少しばかり形は悪いが、些細なことである!私が勇者として世界に名を残した暁には、この剣の形が世界の標準となるのだからな!」
「そんな馬鹿みたいにデカイ剣が標準であってたまるか!大体その剣にサトゥンの容姿じゃ、勇者の剣じゃなくて魔王の剣にしか見えないのよ!」
「誰が魔王か!私の姿が勇者以外の一体何者に見えると……」
「あ、あ、あー!サトゥン、後ろ後ろ後ろ!」
「ぬ?後ろだと」
彼が口に出来たのはそこまでだった。ふと視線を下げれば、身体に巻きつく太い何か。
それが一体何であるかを理解できた時には、サトゥンは深い海の底へと引きずり込まれていた。
彼の身体を捕え、海へと引きずり込んだもの――その正体は勿論、デンクタルロスの巨大な足の一本である。
魔獣の足が届かないところまで飛行高度をあげていたつもりのサトゥンであったが、デンクタルロスの足は伸縮自在の構造であったのだ。
足を伸ばし続けたデンクタルロスの行動に、サトゥンはマリーヴェルとの口論のため、微塵も気付けない。その結果が海の底である。
あっという間に海の中に引きずり込まれた勇者の姿を呆然と見送った三人だが、やがてぽつぽつと言葉を漏らした。
「……マリーヴェルが悪いな」
「……マリーヴェル、駄目だよ今のは」
「え、えええええ!?私!?やっぱり私が悪い訳!?」
自身に向けられた二人からの非難の声に、マリーヴェルはあわあわと慌てふためくしかできない。
あいつが悪いとサトゥンに文句を言おうにも、当の本人は海中深くに文字通り沈められてしまっているので、矛先にあげられない。
ううう、と唇を噛み締めるマリーヴェルだが、そんな彼女をおいて、グレンフォードが突如として鎧を脱ぎ始めた。
鎧、服と次々と脱ぎ捨て、褌一丁となったグレンフォードに、マリーヴェルは酸欠の金魚のごとく口をぱくぱくさせて訊ねかける。その顔は真っ赤である。
「あ、あんた、一体なにして」
「無論、助けに行く。サトゥンが強者とはいえ、海中で戦えるとは限らん。海に潜り、サトゥンを縛る足を切り落としてくる」
「あ、そ、そうです!サトゥン様が危ないんです!僕もいきます!」
「なっ!」
グレンフォードに続いて、リアンまで服を脱ぎ始め、マリーヴェルは最早頭の中が真っ白に塗りつぶされていた。
いくら戦友とはいえ、仲間とはいえ、年頃の少女の前で、二人は見事に下着一丁になってしまったのだ。
その手のことに興味が殆んどなかったとはいえ、マリーヴェルも十六を迎える少女なのだ。こんなことされて動じない訳が無い。
リアンは少し童顔、それも女よりの顔つきとはいえ、かなりの美少年だ。対してグレンフォードは三十半ばとはいえ、恐ろしい程の美形である。
そんな二人が下着一丁、身体の造形むき出し。それだけでも頭は混乱状態だというのに、ここまでの状況が更にマリーヴェルを混乱させる。
流れとはいえ、サトゥンを海の中に叩き落としてしまったのは、他ならぬ自分に責がある。それなのに、関係ない二人が服を脱いで海に潜ろうとしている。
その状況がマリーヴェルを更に追い詰める。これはあれか、もしかして、私も脱がないといけない流れなのだろうか。私も行かなければいけない流れなのだろうか。
しかし、いくらサトゥンを助けるためとはいえ、年頃の女の子が肌を晒すのもどうなのだ。嫌だ、嫌だ、でもサトゥンが危ない、いやサトゥンはどうでもいいが、他の二人に危険な目にあわせて自分は安全な場所でというのはもっと嫌だ。
混乱が混乱を加速させ、顔は熱でオーバーヒートさせ、女としての自分と仲間、どちらをとるかの岐路に立たされるマリーヴェル。
人生最大の分かれ道に立つ彼女をおいて、リアンとグレンフォードは海に潜る準備を着々と進めていく。
その姿に、とうとうマリーヴェルは決意を固める。目を回し理性の箍が外れかけ、己が服に手をかけようとしたマリーヴェルだが、その行動はギリギリのところで止められることになる。
「この戦場は私のモノだ!お前達は手を出してはならん!」
「さ、サトゥン様!」
海に潜ろうとしたリアン達を叱責するように、サトゥンからの声が海上に響き渡ったのだ。
一体何処に、いつのまに脱出を。必死に辺りを見渡すリアンだが、そう時間がかかることなくサトゥンを見つけることに成功する。
サトゥンは、海獣の近くにいたのだ。何故か、逆さ向きに吊るされて。何故か、両足をがっちり海獣の足で固定されたままで。
呆然と見つめる三人に、サトゥンは口元を吊り上げ、愉悦を零して言葉を紡ぐ。
「言った筈だ、今回は何があろうと私だけで倒すと。お前達はただ私の戦いを観戦していればよい。なに、私があぶっ」
会話はサトゥンが再び海の中へ叩きつけらる事で打ち切られることになる。
海獣がサトゥンを弱らせようと、何度も何度も海面に叩きつけては戻し、叩きつけては戻しを繰り返していたのだ。
だが、何を意固地になっているのか、サトゥンはその状態でなおリアン達に魔力で拡張させた声で語り続けていた。その結果。
「この程度の魔物にあぶっ、負ける筈がないだろうあぶっ、ふはは!勇者たるものあぶっ、これくらいの魔物にあぶっ、後れを取るなどあぶっ、恥以外のなにものでもあぶっ、ないわ!くははははははあぶっ、はははははははは!あぶっ」
とんでもなく格好悪い光景が繰り広げられていた。
餅つきのように海面に何度も何度も叩きつけられても高笑いを続けるサトゥンの姿は、最早格好悪いを通り越して気味が悪い。
どこまでも『いつも通り』なサトゥンの姿に、冷静さを取り戻したマリーヴェルは服に掛けた手を下ろし、じと目でサトゥンを見つめていた。
リアンとグレンフォードも、淡々と何事もなかったかのように服や鎧を着直して、観戦モードへと戻っていった。
そんな三人の視線など微塵も気にしないサトゥンは、武器を収めた三人に満足し、視線をデンクタルロスの方へと戻し、言葉を紡ぐ。
「ふはははは、あまり時間をかけてしまっては、どうやら仲間が心配してしまうようでな!
いやいや、私はこの程度何の問題もないのだが、他の者達が私の身体を心から心配しているようなのでな!
私は本当になんてことはないのだが、私にもしもがあったら生きていけないと他の者達が言うのでな!うはははははは!故に!」
話は終わりとばかりに、サトゥンはこともなげに身体に力を込めて、デンクタルロスの足を引き千切った。
まるで野道の雑草を引き抜いたかのように、いとも簡単に海獣の拘束から脱出し、右手に持っていた聖剣を頭上へと掲げる。
小さく紡がれる術式と共に、サトゥンの頭上の聖剣の刀身は、禍々しき黒き光に包まれていく。魔力の焔が魔獣を超える程の巨大な刀身と成って、天に向かって突き抜けてゆく。そしてサトゥンは――
「――遊びの時間は終わりだ。『俺』の手にかかる幸福を噛み締めながら、この地より冥府へと消え失せるがいい」
掲げた聖剣を振り下ろし、それだけで全てを終幕と為す。
闇色の魔力により創られた刀身は、大海獣デンクタルロスの脳天へと沈みこんでゆき、微塵も抵抗なくその身体を二つへと切り裂いた。
絶叫も、咆哮も許さない。デンクタルロスは自身の身に何が起こったのかを理解する事も出来ず、一瞬にその命を終わらせた。
その光景に、マリーヴェルも、グレンフォードでさえも言葉を失ってしまう。
それも仕方のないことだ。巨大さでいえば、氷蛇にも劣らない大海獣デンクタルロスが、たったの一撃で文字通り沈められてしまったのだから。
この光景は、最早戦いなどとはいえない。ただの蹂躙だった。戦うという土俵にすらデンクタルロスは上がれなかった。
人間と蟻が対峙して、一体誰がそれを戦いなどと呼ぶだろうか。あるのは一方的な生殺与奪の権利のみ。その関係が、海獣とサトゥンの関係だったのだ。
強いとは思っていた。遥か格上だと認識していた。だが、そんなものとは次元が違う。マリーヴェルとグレンフォードは、認識を改め直した。
サトゥンは神をも殺したと言っていた。それは冗談だと思っていた。だが、彼ならば本当にやってのけても不思議はないと、ようやく『現実』を理解したのだ。
彼は、勇者サトゥンは、真に『最強』であるのだと。
二人とは別に、リアンの胸を占めているのは驚きでも何でもなかった。
彼は知っていた。サトゥンがそれくらい難なくやってみせると、知っていた。
彼と出会ったあの日、サトゥンは魔獣も竜も簡単に倒してみせたのだから。その光景がリアンの全ての始まりだった。忘れる筈もない、全ての始まり。
自分に全てを与えてくれた神、それがサトゥンだった。自分の全てを救ってくれた勇者、それがサトゥンなのだ。
あの時のリアンは、強さとは何かを微塵も知らぬ少年だった。あれから一年、自分を鍛えに鍛え抜いてきた。サトゥンと共に走り続けてきた。
昔の自分は、この強さは絶対に届かないものだと信じて疑わなかった。決して届かない背中だと決めつけていた。
他の二人とは違い、リアンはサトゥンに絶対の憧れを胸に抱いている。だからこそ、二人とは異なる想いを強く感じていた。
サトゥンは勇者リエンティに憧れ、その姿になろうとしている。ならば、リアンはサトゥンに憧れ、一体何を目指しているのか。
そう、この場で一人、リアンだけがサトゥンへ手を伸ばそうとしていた。時間を重ね続け、諦めの想いよりも憧憬は誰よりも強くなり。
いまはまだ届かなくても――必ずいつの日か、世界一の勇者様に、自分も追いついてみせる、と。
その想いを込めて、リアンはサトゥンに叫ぶのだ。この声が僕の勇者様に、届きますように、と。
「サトゥン様!すごく、すごくかっこよかったです!やっぱりサトゥン様は誰よりかっこいい勇者様ですっ!」
「ふはっ、ふはははっ、ふはははははははははははは!当然である!我が盟友リアン!勇者の活躍、その目に焼き付けたか!」
「はいっ!」
「ぬははははははははははは!これぞ勇者!これぞ救世主!みよ、この聖剣の輝きを!我が剣こそが正義を切り開く勇気の剣なり!」
調子に乗ったサトゥン。だが、それがいけなかった。
彼の剣は、未だに黒き魔力が込められていて。その剣を、サトゥンが天高々と掲げる為に、グルンと一回転させてしまい。
聖剣から再び解き放たれた黒き光は、その直線状にあったリアン達が乗る船へとさくりと突き刺さり。
「あ……」
「ちょ……」
「……なんと」
リアン、マリーヴェル、グレンフォードの漏らした言葉は海風に溶け。
彼らの乗る王族専用船は、中央部から見事に真っ二つに割れ、そして――沈んでいく。それはもう、ぶくぶくと。
「し、しまったあああああああああああああああああああああああ!ぬううん!」
慌てて乗客全員に強制転移魔術を行使し、港町へと脱出させるサトゥン。
一瞬にして無人となった船は、それほど時間がかかることもなく、大海獣と共に海底へと沈んでいった。
一人残されたサトゥンは、少し考える仕草を見せた後、掌を叩いて一人呟く。
「うむ、海獣により船は大破させられたが……しかし、我が剣によって悪辣非道な魔物は退治された!ふはは!これにて一件落着である!」
全ての責任を魔物へと押し付け、サトゥンは港町へと戻っていった。
少々の犠牲は出てしまったが、これで街の者達は平穏を取り戻すことが出来たのだ。さぞや熱狂して出迎えてくれるであろう。
そんなウキウキとした気分で港町へ戻った彼を待っていたのは、鬼の形相を浮かべたマリーヴェルの鉄拳と、彼女の片手に握りしめられた一切れの紙切れであった。
その紙切れに書かれていた内容は語るまでもない――サトゥンが派手にぶち壊してくれた王族用船、その膨大な額の船の費用の請求書である。
勇者サトゥン。誰一人として立ち並ぶことを許さぬ強さを持った最強の魔人。
彼の勇者としての大々的デビュー、その一歩は借金を背負うことから始まったのであった。
借金勇者(所持金0)サトゥン、これでいくしか。次も頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




