幕間4話 蕾
ミレイア・レミュエット・メーグアクラスの朝は早い。
朝焼けが見えるか否かの時間に、彼女の一日は始まる。
目を覚ました彼女は、自分のベッドの中で同じように眠る猫のリーヴェを一撫でし、身の回りを簡単に整えて、朝食の準備を始める。
メーグアクラス王国の次女であり、王女という肩書を持つ彼女だが、料理の実力はなかなかのものを誇る。
彼女が王女でありながら、家事全般を得意とするのには勿論理由がある。彼女は神魔法を学ぶ為に、数年間城を離れ女神リリーシャを信仰する宗教の総本山に預けられていた時期があった。
王女という肩書が通用せず、一教徒として生活を送り、日々神魔法を学んでいた彼女にとって、家事スキルがなければ何も始まらないのだ。
なにせ、その場所は掃除洗濯食事の用意全てを自分で行わなければならない。それはミレイアとて例外ではなかった。
そんな日々が、彼女の家事能力をメキメキと上達させてゆき、彼女自身も家事が全く苦にならなくなったのだ。
現在、村の教会で二つ年下の妹であるマリーヴェルと暮らしているが、教会における家事は全てミレイアの仕事なのである。
ちなみに、マリーヴェルが家事を全くできない訳ではない。彼女も王女にも関わらず、城を跳び出しギルドの稼ぎだけで生活し続けた、おてんば姫なのだ。最低限のスキルは兼ね備えている。
だが、マリーヴェルのそれはあくまで必要に駆られたらやる、という程度のものである。器用なマリーヴェルは、料理も洗濯も掃除もそつなくこなすが、この家には自分より家事を上手にこなす姉がいる。
それなのにどうして自分が手を出す必要があるだろうか、ミレイアがやりたくなかったりやる暇がなかったりしたら、自分がやってやる、程度の認識なのである。
そんなマリーヴェルの意見に、ミレイアは別段文句を言うつもりはない。確かに自分は家事が趣味であることは認めているし、何よりマリーヴェルは毎日鍛錬をしているのだ。
妹の頑張っている姿を見ている彼女は、『せめて回りの世話くらいは自分がしてあげよう』と早々に結論を出した訳である。
ミレイア十七歳。押しが弱く気付けば回りに流されやすい涙目系美少女である。家庭内のパワーバランスは言うまでもなく妹に傾いていた。
朝食の準備を終え、良い匂いにつられるように寝ぼけ眼のマリーヴェルが現れて朝食となる。
ミレイアとマリーヴェルとリーヴェが卓について、全員そろっての朝食である。
ここで、リーヴェも朝食をともにしていると述べたが、猫であるリーヴェも何故かミレイア達と同じものを食べている。人間用の食事である。
ミレイアが世話役担当となったとき、初めの頃は生肉などといった村の犬猫と同じ餌を与えようとしたが、リーヴェは見向きもしなかった。
ちょこんとミレイアの前に座り、じーっと彼女の食べている人間の食べ物を見つめていたのである。
まさかと思い、その人間用の食事を与えてみると、リーヴェはそれが当然というように黙々と食べたのである。
動物の餌に人間と同じものを与えるのは、健康上良くないのではと不安に思っているミレイアだが、それ以外食べないのだから仕方ない。
というよりも、ミレイアは最近この猫が本当に猫なのかと疑わしく思い始めている。
何せ焼いたパンを器用に小さな猫手で持って食べる。熱いスープも猫舌など何のそのとばかりに飲み干す。
あげくの果てには、パンに味付けが足りないのか、果物を使ったジャムを塗って食べている。その光景に何度も何度もミレイアは己が目を疑ったものだ。
そしてマリーヴェルにそのことを話すが、『そういう猫も大陸中探せばいるんじゃないの』と適当な返答をもらうだけ。
食事をとり終えて、ミレイアの足元で優雅に毛繕いを行うリーヴェを必死に気にしないようにして、彼女の朝食の時間は進行していくのだ。
朝食を終え、鍛錬に出かけた妹を見送り、彼女は残った家事を手早く終わらせる。洗濯に掃除、簡単に終わらせた後、彼女は教会の門を開く。
ここ、キロンの村での彼女の仕事はここから始まる。ミレイアの仕事は、教会で村の人々の相談に乗ったり、神魔法にて怪我人の治療を行ったり、子供達の面倒を見たりといった内容である。
本来であれば、彼女が信仰するリリーシャ教の教えを広めるために、教会の主となった筈なのだが、この教会が祀っているのは女神リリーシャではなく勇者サトゥンである。
また、村の者達も自分達の命を救ってくれた彼を文字通り狂信しているため、女神リリーシャなど誰一人として興味を持つ訳が無い。
故に、彼女はこの村での布教を早々に諦め、サトゥン教という訳のわからない宗教ではあるが、教会の司祭としての仕事をこなそうと考えた訳である。
教会を持つこと、責任者となること、それは宗教を学ぶ者にとって非常に夢見るステータスだった。
棚から牡丹餅ではなくおにぎりが降ってきた内容ではあったが、同じ司祭には違いないと、ミレイアは今日もせっせと働くのだった。
午前中は暇を持て余した村の子供達の世話をしつつ、身体の調子の悪い老人や怪我をした若者に治療をするのが日課となる。
特に子供達の世話は忙しく、何かにつけては遊んで遊んでとミレイアへ頼んで来るのだ。それがミレイアは嫌だとは思わなかった。
時たま暇を持て余したサトゥンが、何かにつけては遊べ遊べ私の武勇伝を聞けとミレイアにまとわりついて来るのだ。それがミレイアは心底嫌だった。
今日も集まった八人程の子供達に、何か面白い話をしてくれとせがまれ、ミレイアはうーんと頭をひねる。子供達が喜ぶような話はあるだろうか。
そんな中、困るミレイアに大きな子供がむははとバカ笑いをして提案するのだ。
「何を迷うことがある!子供達に語るは勇者の武勇の他にないわ!私のこれまでの勇者としての軌跡を子供達に語るが良いわ!うはははは!」
大きな子供の提案に、子供達も賛同して『サトゥン様のお話がききたい』とミレイアに訴えていく。
やがて根負けしたミレイアが軽く息をつき、みんなの要望に応えるように、勇者サトゥンのこれまでの軌跡を語るのだった。
王家の命運を握った魔人レグエスクとの戦い――強大な魔人レグエスクを、リアンとマリーヴェルは勇気を持って打ち破ってみせた。
ローナンを絶望に染めた氷蛇レキディシスとの戦い――リアンとマリーヴェルのピンチを、颯爽と英雄グレンフォードが救ってみせた。
その話をすると、小さな子供達はすごいすごいと歓喜し、大きな子供は私の活躍も語れと憤慨する。
ミレイアは必死にサトゥンの活躍の場を思い出すが、それが上手く思い出せない。レグエスクの時は後ろで高笑いしていただけだし、レキディシスの時も後ろでうんうんと悩んでいただけだ。
ただ、レキディシスの戦闘の後、突如現れた変な外套の男と遊んでいた気がする。それを思い出し、ミレイアは子供達に語るのだ。
「レキディシスと戦った後、変な男が現れたんですの。それをサトゥン様は追い払ってくれたんですのよ」
「……それだけ?」
「ええと……そ、それだけ、かしら」
「ええええええ」
ミレイアの説明に、子供達から次々と起こる『サトゥン様かっこわるい』コール。正直過ぎる子供達は残酷である。
サトゥンが誰より強者で、彼の力なくしてレグエスクもレキディシスも打倒出来なかったことは誰もが周知の事実であったのだが、子供達にそれを理解せよというのも酷な話である。
子供達にとって英雄とは、強い化物と戦って倒した者のことであり、一番かっこいいものなのである。
この後、子供達の中で勇者ごっこ遊びが流行る。役割で人気なのは、当然リアンとマリーヴェル、グレンフォードだ。続いて、ヒロインポジションが与えられてしまったミレイアだ。
肝心のサトゥン役は子供達にめっきり人気が無い。何故なら彼の役を与えられた子供は、戦闘ごっこをしている子供達の後ろで腕を組んで高笑いするだけの仕事なのだ。まだミレイアの横で寝転がるリーヴェ役の方がマシな部類である。
その光景にサトゥンは心へし折られたように号泣してリアンの妹であるミーナに愚痴を零していた。5つにもならぬ幼子に泣きつく筋肉勇者は実に哀れだったと、その光景を見てしまったマリーヴェルは零したという。
午前の分の仕事を終え、ミレイアは昼食を用意して、マリーヴェル達が待つ通称『サトゥン城』へと足を運ぶ。足元にはとことことリーヴェも当然のように付き添っている。
馬鹿でかい岩壁の城を進んでいき、一室にて彼女達の昼食は始まる。鍛錬を終えたマリーヴェル達がミレイアを待っていてくれていた。
各々が食事をとっている間に、領主としての仕事を終えて中休みになったメイアもこの場所へ現れ、一同が会することになる。
のんびりと昼食をとっていた六人と一匹だが、いつもとは違い、食事を終えたリアンとグレンフォードが立ちあがり、この後用があることを告げる。
何でも、村の北部に新しく家畜を飼育する為の施設を現在村の衆達が作っているらしく、その手伝いを村長からお願いされているらしい。
ならばということで、男衆である自分達も助力しようと願い出たという訳だ。木材の準備や重量物運搬は彼らにとってお手の物である。
故に、今日は鍛錬は午前中で終わりらしい。それは残念だと笑うメイアに、本当に戦闘狂ねとつっこむマリーヴェル。
部屋から出て行ったリアンとグレンフォードを追うように、サトゥンも立ちあがり去っていく。彼は手伝いを頼まれた訳ではないが、仲間はずれが嫌だったらしい。
『ふはははは!家畜の飼育場作成など、勇者である私にとっては片手間の作業よ!
何を飼うつもりは知らんが、私が良い獣を生みだしてやろうではないか!そうだな、死獣王ゲルドヴァスト等はどうだ!?
あいつを飼えば肉などいくらでも取れるぞ!何せ奴はこの山を超える程のでかさがあるからな!触れると腐り落ちるような毒を持つが、まあ何とかなるだろう!うはははははは』
意気揚々と出て行ったサトゥンの背中を見ながら、女三人の心の中は一つであった。『絶対、作業の邪魔をするんだろうな』と。
男達が去り、珍しいことにこの場には女性陣だけが残ることになる。折角メイアが来てくれたのだからと、三人はたちまち雑談で盛り上がることになる。
その内容はこれまでの冒険のことから、サトゥンの滅茶苦茶ぶりの愚痴、けれど、そんな日常が悪くないというようなもの。
楽しげに語るマリーヴェルに、メイアはうんうんと微笑んで相槌を打つ。その光景が、ミレイアは今更ではあるが、やはり嬉しく思うのだ。
城にいた頃のマリーヴェルは、このような笑顔を決してみせることは無かった。そんな彼女が心からこうして笑ってくれている。
彼女をそのように変えてくれたのは、きっと――
「――貴女をそんな風に変えてくれたのは、やはりサトゥン様のおかげなんでしょうね」
「え?」
「え?」
メイアが何気なく言った言葉に、マリーヴェルもミレイアも思わずぽかんとしてしまう。
そしてミレイアは心の中で強く何度も何度も何度も突っ込む。そうじゃないでしょう、と。妹を変えたのは、勇者馬鹿の方ではなく、純朴な少年の方でしょう、と。
今更ではあるが、ミレイアはマリーヴェルがリアンという少年を憎からず思っていることには気付いている。
その感情が何であるかなど断定は出来ない。十五になったばかりのマリーヴェルには気付くことすら出来ていないかもしれない。
だが、妹がリアンのことを何より気にかけていること、気を許していることは誰よりも理解している。
口を開けばよくリアンのことが飛び出してくる。やれリアンは動きはいいけど、技術がまだまだだの。やれリアンは抜けてるところがあるから自分がしっかりしないとだの。
それは戦友としての信頼かもしれない。けれど、リアンとマリーヴェルは異性であり、年も同じ。
そんな二人の間に発露する感情の未来は、何となく予想が出来るとミレイアは思っている。だが、今は芽吹いただけの状態だ。
花が育つのかどうかは分からないが、この娘の姉として、その気持ちがどんな風に育まれるのかを見守っていこうと思っていた。
多分、自分と同じように、メイアもマリーヴェルの心の動きは感じ取っているだろう……そう思っていたのだが、甘かった。
ミレイアが思う以上に、想像を遥かに絶するほどに、メイアはこの手のことに鈍感だったのだ。
斜め上の暴投を行ったメイアの発言に、マリーヴェルが思いっきり眉を顰めて嫌そうに言葉を紡ぐ。
「私がサトゥンに変えられたのは、あいつの滅茶苦茶に付き合わされて弱ってしまった胃の調子くらいだと思うんだけど」
「そうですか。貴女がよく笑うようになったのは、サトゥン様ではないと」
「当たり前でしょうが。よく怒るようになったなら、使っても良いわ」
「サトゥン様でなければ、ではリアンですか」
「な」
即座に軌道修正をしてきたメイアに、マリーヴェルは動揺を隠せない。
第三者として眺めているミレイアには、メイアの言葉が何一つ深い意味のない疑問を投げかけただけだと分かるのだが、マリーヴェルにはそれが分からない。
頭の中にリアンを想像してしまったのか、瞬時に言葉を続けられないマリーヴェルに、メイアは愉しく微笑んで、追い打ちをかけていく。
「成程、貴女もそうでしたか。その気持ちは分かりますよ」
「――貴女、『も』?」
「ええ、私もリアンによって変えられた一人ですから。あの子を見ていると、冷静でいられなくなる。自分が自分を保てなくなります」
「え、えええ、ええええええええ!?」
次々投げられる爆弾発言に、最早マリーヴェルの頭の中は落ち着きのおの字もない。
それはそうだ。別段マリーヴェルはリアンを異性として意識をしている訳ではない。恋をしている訳でもない。
ただ、身近な女性から、一番仲の良い男の子に対するそんな女としての意見を聞かされて落ち着ける訳が無いのだ。
第三者であるミレイアですら、メイアの言葉には驚きを隠せないのだ。まさか、こんなところに刺客が隠れていたとは、と。
メイアは十九歳で、リアンより少し年上の女性である。だが、その美貌は今更言うまでもなく、マリーヴェルには無い大人としての色香という大きな武器を持っている女性だ。
家格もあり、才もある。何よりリアンが師として心より慕っている。そんな彼女がリアン相手にそのような感情を抱いているなど、強敵の出現以外の何物でもないではないか。
温かく見守る方向でいこうとしていたミレイアだが、これは少しばかり妹を焚きつけないと危ないかもしれない。そう考え始めていたのだが、それは無駄な心労に終わる。
楽しげに微笑みながら、メイアはリアンについて熱く語っていくのだ。
「あの子の成長速度は異常です。槍を握り始め、一年も経っていないというのに、あの実力です。
サトゥン様と一緒に冒険をし、様々な強敵との戦闘を重ね、あの子の力は着実に常識の外へと向かっています。
私はリアンと剣を交える瞬間が何より楽しくてたまりません。あの子の成長の一つ一つが、真っ直ぐな太刀筋が、心を震わせて仕方が無い。
明日はどんなに強くなっているだろう。明後日はどれだけ積み重ねてくるのだろう。そう考えるだけで胸の高鳴りが止まりません。
私が誰かをこんなに想うのは、初めてかもしれません。本当にリアンは、不思議な男の子ですね」
「あ、ああ……そういう……不憫ね、リアンも」
目を輝かせて語るメイアに、憐れむような視線をみせるマリーヴェル。
だが、マリーヴェルはその感情に気付かない。メイアがリアンに向ける感情が『それ』でないと知った時、己が胸に溢れた安堵の感情の意味を、彼女はまだ。
唯一マリーヴェルのそれに気付いているミレイアは、その気持ちに自分から気付くように仕向けるべきか敢えて教えてあげるべきかを悶々と一人悩むのであった。
三人の雑談が終わりを迎えたのは、メイアの中休みが終わりを告げる時間であった。
午後からも教会へと戻り、ミレイアは日が落ちるまで教会で仕事に従事する。
子供達が怪我しないように遊んでいるのを見守りつつ、治癒の魔法を怪我した者に使いつつ、リーヴェをブラッシングしつつ。
日が落ちる頃には、夕食の準備となる。洗濯物を取り込んだり、夕食を作ったり。完成する頃には、どこかで鍛錬をしてきたのか、ふらふらなマリーヴェルが家に戻ってくる。
再び二人と一匹で食事をとり、身体を清めて、眠るまでのんびりとした時間を過ごすのだ。
そして、教会内の灯りの全てを消して、もふもふしたリーヴェを抱いてミレイアはベッドへと潜り込む。
温かな猫の温もりを抱きしめて、明日も良い日になりますようにと願いながら。
女の子も女の子で色々大変。次から新章に入ります、頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




