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魔人勇者(自称)サトゥン  作者: にゃお
三章 烈斧
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25話 烈斧





 眼前に迫るレキディシスの突進を、リアンとマリーヴェルは左右に散開して初撃を回避する。

 二人を通り過ぎてしまいそうになる身体をもたげさせ、再び二人の方へ頭を向けようとしたレキディシスの隙を見逃してやるほど二人は甘くは無い。


「はっ、これだけ身体が大きければ、狙い放題じゃない!その無駄に長い身体、短く刻んでスマートにしてあげるわっ!」


 駆け抜ける足を止め、マリーヴェルは右手の星剣をレキディシスの太い胴体めがけて全力で振り抜く。

 深く切り込んだかに思えた彼女の一撃だが、その剣はレキディシスの身体を貫くことはなかった。剣に掛かる恐ろしい程の抵抗に、マリーヴェルは目を見開いて驚く。

 彼女の剣は、確かに氷蛇の氷鱗を砕くことに成功したが、そこまでだった。レキディシスの身体の表面を覆い尽くす氷鱗と剣が衝突し、その堅牢の守りを突破する事が精一杯で、その下の蛇皮を傷つけることすら出来ないのだ。

 剣を慌てて引き抜いて、マリーヴェルは視線をリアンへと向ける。自分が駄目なら、彼ならどうだと期待の視線を向けるが、結果は自分と何も変わらない様子で。


「槍が通らないっ!なんて硬さっ!」

「リアン、くるわよ!」


 声を荒げて、二人は氷蛇の身体の上から跳躍して距離を取る。その刹那、彼らがいた場所を巨大な蛇の牙が空を噛み砕いて通過した。

 あのような巨大な顎に捕まってしまえば、人間の体など即座に真っ二つだ。冷や汗を流して、二人は再度その身体へ攻撃をしかける。

 今度はより重い一撃で、より深い一撃で。マリーヴェルが氷蛇の視界に入るように囮となり、その隙にリアンが自分に持てる最大限の一撃を放つ。

 大きく宙へ跳躍し、全体重を乗せた胴体への一撃。全てを貫かんとする彼の渾身の槍は、やはりその皮膚を貫くには至らない。

 全てを喰らい尽くさんと襲いかかる氷蛇を必死に避け、マリーヴェルとリアンはようやくグレンフォードの絶望の意味を知る。


 攻撃が、通らないのだ。

 魔人をも倒してみせた、自分達の持てる最大の攻撃が、この化物には傷一つつけられないのだ。


 その後何度か試行を繰り返すが、結果は同じ。

 剣を突き刺そうが、槍で叩きふせようが、氷鱗は割れるものの、その下の身体にはダメージを与えられないのだ。

 このような状況を、マリーヴェルは先日の魔人との戦いで経験している。だが、今彼女が手にしているのは、市販の剣ではなく、サトゥンより譲り受けた剣なのだ。

 彼の言う言葉を信じれば、この剣には断てぬ者など存在しない、伝説の剣なのだ。自分が振るう剣の異質さは、痛い程に理解している。

 ならば、その剣を持ってしても、敵を断てぬというのならば、その理由は剣の良し悪しではない。自分の力量が足りぬのか、もしくは――


「この化物の身体に、からくりがあるか、よね。それなら、これはどうかしら!」


 マリーヴェルは剣の運びを重さ重視から手数重視へとシフトする。

 彼女ならではの手数の速さで、恐ろしき程の太刀を氷蛇の『同じ場所』へと切りつけていく。

 一撃で仕留めようとするから届かない。ならば、同じ場所を何度も切りつけ、氷鱗を剥ぎ取った場所にとっておきの一撃をくれてやればいい。

 彼女の意図を理解したリアンは、マリーヴェルが何度も切りつけている場所へ槍を振りかぶり、彼女が剣を引いた瞬間にその場所へ全力で槍を振り下ろす。

 マリーヴェルが削り、リアンが仕留める。二人ならではのコンビネーションを決めてみせたのだが、二人の表情は以前凍ったままだ。

 氷鱗を叩き割った筈だった。その何もない皮膚に、リアンが槍を突き刺した筈だった。だが、彼の槍は氷鱗を叩き割る音を響かせたのだ。その理由はただ一つ。


「嘘、でしょ?」

「氷鱗が、再生されてる。それも、恐ろしい速さでっ、くっ」


 頭ではなく、今度は尾を振り回して二人を叩き潰そうとする氷蛇の一撃を避けながらも、リアン達の視線は攻撃した箇所に釘付けとなる。

 リアンが槍で叩き割った氷鱗が、既に再生を完了させていたのだ。あまりにも早過ぎる再生で、二人に更なる絶望がおしかかる。

 一体どうやってこの守りを突破すればいい。唯一鱗に守られていない場所は、口内と瞳くらいだ。その二か所は恐ろしく高いレキディシスの体高が邪魔をして、とても狙える場所ではない。


 この氷蛇は、二人が以前戦った魔人レグエスクとは異なる強さを持っている。

 レグエスクの強さが全てを滅ぼすほどの力と魔力であるとすれば、レキディシスの恐ろしさは尋常ではない程の鉄壁の守りであろう。

 攻撃自体は、確かに一撃一撃が致命傷になりかねない一撃であるが、速度も遅く回避するだけならば恐怖に値しない。

 だが、レキディシスにはこちらの攻撃が通らないのだ。片や何度剣を振るおうと無意味であるのに対し、あちらは一撃さえ当てれば勝ちなのだ。

 これが何度も積み重なれば、例えどんな勇猛な戦士であっても、最後には心を絶望という闇に染められてしまう。

 レグエスクとは違い、レキディシスは他者を重圧で殺す。対峙した者の心に絶望を埋め込み、己の無力さを噛み締めさせて押し殺すのだ。


 槍と剣を構える己が前に、全てを呑みこまんと立ちはだかる巨大蛇の姿に、二人は戦慄を覚えずにはいられなかった。

 ――これが、英雄グレンフォードがあの日見た絶望なのだと。

 ――これが、数千の命を奪った化物の、真の力なのだと。


 先に氷蛇に捕まったのは、リアンだった。

 暴れ狂う氷蛇の猛攻を必死に避け続け、何とか反撃の機会を伺っていた彼の足を止める為に、氷蛇は突如として行動パターンを変えたのだ。

 レキディシスの噛み付きを大きく横に逸れて回避しようとしたリアンの逃げ道を、巨大な尾を叩きつけることによって逃げ道を塞ぐ。

 突如現れた巨大な尾に気付いた時には遅く、リアンは身体をその尾へと衝突させてしまう。それを待っていたかのように、氷蛇は頭をもたげさせ、リアンに向けて口を開き――口内から強烈な冷気を解き放ったのだ。


「嘘っ!?こいつ、こんな攻撃まで!?――っ、リアン!」


 悲鳴に近い声を上げるマリーヴェルだが、氷霧から解放されたリアンを視界に入れて、その顔が絶望に染まる。

 直撃こそ避けたものの、リアンの右肩から先がだらりと下がってしまっている。彼は必死に肩で呼吸をして、左手だけで槍を持っている状態だった。

 氷蛇の凍てつく吐息は、彼の右腕を完全に機能停止へと追い込んでしまったのだ。悲鳴にならない悲鳴をあげ、マリーヴェルは我を忘れてリアンへと近寄ろうとする

 だが、それを簡単に許すような化物ではない。マリーヴェルの動きを視界に入れ、今度は彼女へ向けて先程の冷気を解き放ったのだ。

 その吐息をかろうじて避けたマリーヴェルだが、リアンとの距離は更に離されてしまう。リアンを包むように身体を動かし、壁を作るレキディシスに、マリーヴェルは憎悪の瞳を向ける。

 魔人レグエスクとは違い、考える頭を持たぬ獣であるレキディシスは合理にのみ動く。つまるところ、マリーヴェルより動きの弱ったリアンを『餌』だと断定したのだ。

 マリーヴェルはどうでもいい、先にこの弱ったリアンを喰らう。それがレキディシスの導いた結論だった。


 吟味するように眺めている氷蛇を、リアンは見上げる。

 視線を敵から逸らすことなく、右手の状況を確かめる。感覚もなければ、痛覚もない。ただ、何がかぶら下がっている程度しか感じない。

 これでは槍を持つことすら不可能だ。つまるところ、片手一本で槍を操り、この敵と対峙しなければならないのだ。

 ――強い。それはリアンの胸の中にある正直な感想だった。魔人レグエスクも強かったが、この氷蛇はまた別次元の強さだと。

 どれだけ槍を叩きつけても、どれだけ鱗を砕いても、敵には傷一つつけられない。片やこちらは、一撃くらっただけでこの様だと。


 そしてリアンの胸を占めるのは、たった一人の男の背中。

 あの人は、グレンフォードさんは、こんな絶望に挑んでいたのか。これを相手に一歩も怯まず、闘う意志を持ち続けてたのか、と。

 その事実が、リアンの胸を熱くさせる。絶対絶命で在る筈なのに、リアンの胸には恐怖など微塵も浮かばない。

 そんなリアンの表情の変化に気付いたマリーヴェルは、驚くことしか出来なかった。


 ――リアンは、笑っていたのだ。

 ――右手も動かず、敵に傷も付けられない、この絶体絶命の中で、楽しそうに笑っているのだ。


 マリーヴェルだけではない、ミレイアもリアンの表情に困惑することしか出来ない。

 当然だ、何故死を待つような状況なのに、笑えるのだろう。こんなに追い詰められているというのに、笑っているのだろう。

 その疑問の答えを、二人がリアンから聞いてしまえば、怒るだろうか。それとも呆れるだろうか。

 リアンが笑ってみせた、その理由はただ一つ。それは、嬉しかったから。それは、自分は間違ってなどいないと確信できたから。

 氷蛇が自分に狙いを定め、口を開き、トドメとばかりに氷のブレスを吐く姿を見つめながら、リアンは思うのだ。



 こんな化物に、一歩も怯まず戦い抜いた彼は、間違いなく英雄だった。

 逃げ惑うだけで精一杯の自分達とは違い、彼は数百もの命をこの化物相手に救ってみせたのだから。

 自分があの人に言葉をかけるまでもなかった――そう彼は、グレンフォードは今もなお――



「――グレンフォードさんは、間違いなく今もなお、英雄のままじゃないですか」



 リアンに向けられた強烈な氷の息は、突如として巻き上げられた暴風の反流によってかき消された。

 何が起きたのかなど、最早考える必要もない。リアンは知っている、彼の視界の目の前に映る、その背中を知っている。

 その背中は、リアンが追い続けた勇者と同じ強き者の背中だ。誰かを救う為に、誰かを守る為に、強い意志を感じさせるリアンの追い求める背中なのだから。

 振り抜いた獲物を構え直し、この世界に再び舞い降りた英雄は、リアンに背を向けたまま言葉を紡ぐのだ。


「……すまんな、リアン。遅くなった」

「いえ、大丈夫です。それよりもグレンフォードさん、その斧は……」

「ああ、俺は情けない男だ。お前に言葉をかけてもらっても、立ちあがる勇気を持てないでいた。

だが、あの『勇者』に背中を押して貰った。もう、俺は後悔はしない。逃げもしない。俺は、俺が俺であるために……英雄である為に、奴を討つ」

「――はいっ!」


 英雄、グレンフォードと共に並び立ち、リアンは片手でその槍を構える。

 未だ片手は動かず、危機は去っていないというのに、リアンは恐ろしい程の安心感を感じていた。

 隣に、グレンフォードが並び立っている。自分達では届かない領域に立っている英雄と、共に戦えるのだ。その喜びが、リアンの胸に不安など微塵も生じさせないのだ。

 新たな敵の出現に、今にも牙をむき出しにして飛びかからんとする氷蛇を見据えながら、グレンフォードはリアンへ助言を施す。


「その腕の様子では、まともに槍は振れまい。一度ミレイアの元へ走り抜けろ。いいな」

「は、はいっ!ですが、その間の氷蛇は」

「俺が喰いとめる。何、十年前の俺とは違う――勇者に感謝せねばならん。

あの男が与えてくれたこの斧は、俺の呪縛を解く為の道標だったのだから。見て学ぶが良い――お前達も与えられた、この武器の『真の力』を」


 会話はそこまでだった。リアン目がけて、氷蛇の頭が再び突っ込んできたのだ。

 恐ろしき加速が込められた突進を、リアンはぎりぎりまで引きつけて回避して避けようとするが、それをグレンフォードが手で制止する。

 必要ないと、無言で伝えた後、グレンフォードは斧を背中まで引きもどし、構えたままで氷蛇を待つ。


「よく見ておけ、リアン。これがお前達に与えられた武器の、真の使い方だ――ハァァァァ!」


 腰を深く落としたグレンフォードの咆哮と共に、それは起こった。

 彼の持つ暗黒の斧が金色の光に包まれ、眩い光を放ったのだ。彼の恐ろしい程の闘気に呼応するように、斧からは光が四方八方へと溢れていて。

 その光に怯んだのか、氷蛇の突進速度が少しばかり遅くなったのを目で捉え、グレンフォードは距離があるにも関わらずその光の斧を薙ぎ払ったのだ。

 横一文字に振り抜かれた斧から解き放たれるように、斧から飛び出した光の刃は、怯んだレキディシスの尾を捕え――氷の鱗ごと、その身体を引き裂いたのだ。

 蛇の身体から噴水のように吹き出る青い血液、そして響き渡る氷蛇の悲鳴。

 その光景に目を奪われて固まるリアンに、グレンフォードは『今のうちだ』と指示を飛ばす。はっと意識を取り戻したリアンは、自慢の脚力でミレイアの元へと駆け抜けた。

 リアンに合流するように、マリーヴェルもまたミレイアの元へと駆け抜けた。二人が距離を置いたのを確認し、グレンフォードは氷蛇と正面から対峙した。


「……十年、か。この時間は、あまりにも長過ぎた。お前という存在が、俺の弱き心の中で勝手にどこまでも増長してしまった。

長い間、待たせて済まなかったな。もう逃げたりはしない……俺の弱き心と、忌まわしき呪縛と共に、ここでお前を討つ!」


 巨大な斧を再び金色に輝かせて、グレンフォードは氷蛇へと向かって大きく飛びこみ切り込んでいった。

 その人間離れした戦闘風景を唖然と見つめながら、マリーヴェルはわたわたと慌てながら、サトゥンへと問いかける。


「な、何なのよあの斧は!?私達があんなに斬り込んでも傷一つ付かなかったのに、どうしてあんな簡単に!」

「むはははは、当然である!お前達の武器は、リエンティの勇者に登場する伝説の武器であるのだぞ?

それがどうしてあの程度の蛇如きを貫けぬと思ったのだ。私が生み出した武器は神すらも切って落とす武器である!

お前達が切れずに奴がああやって敵を貫けるのは簡単なことだ、お前達が『闘気』を使いこなせておらんからだ」

「闘、気ですか?」


 マリーヴェルから神魔法の治癒を受けながら、リアンは言葉の意味をサトゥンに確認する。

 サトゥンは氷蛇と単独で渡り合うグレンフォードを指差しながら、説明を始めていく。


「闘気とは言葉通り、闘う者が発する気のことだ。これは身体の奥底から生まれ、その者の身体を強く強化する作用を働かせる。

闘気とは名ばかりで、それは人間ならば戦い以外においても常に発揮されている。

重い物を運ぶ時、全力で走る時、遥か高き場所へ跳躍する時。意識していないかもしれんが、お前達も闘気を実際に使用している筈だ。

覚えがあるだろう?お前達は常人よりも遥かに高く強い闘気を内包しているからな」


 サトゥンの指摘に、二人は数々の心当たりに思い至る。

 例えばリアンは、重いものを軽々持ち上げたり、どんな長距離をもばてることなく走りきったりしていた。

 例えばマリーヴェルは、目にもとまらぬ速度で動いたり、遥か高い木の上まで跳躍する事が出来た。

 常人とはかけ離れた力を、確かに二人は使っていた。それがサトゥンの示す闘気である。


「とはいえお前達が気付かぬのも無理は無い。

闘気とは、本来ならばグレンフォードのように指向性を持たせることなど出来はしないのだ。

自分の意志とは関係なく発揮される。それが他人との差別化となり、その者は他人より一部が秀でた者と認識される。

自身の闘気を、あのように武器に纏わせるなど、普通ならば人間だろうが魔人だろうが出来る筈がないのだ――そう、普通ならば、である!」

「私達の武器は、普通じゃ、ない」

「そうだ!お前達の武器は、この私が魂を込めて創り上げた技術の結晶なのである!

お前達も感じたであろう!初めてその武器を握った時、己の胸の中で何かが暴れる感覚を!ふはははは!それこそが、それこそが闘気である!

お前達に与えた武器は、その者が持つ闘気を吸い上げる為の機構を与えてあるのだ!吸い上げられても身体に問題が生じぬほどに、その者が闘気を鍛え上げた時、あのように全てを断つ真の英雄の武器へと変貌するのだ!うははははは!

やつが握るは英雄烈斧アグレイドが振るった天壊斧ヴェルデーダ!冥界の巨人達を全て引き裂いたと謳われる破壊斧よ!」


 氷蛇の攻撃を難なくかわし、その身体に容赦なく金色の斧を叩きつける姿に、リアンもマリーヴェルも言葉を失うしかない。

 あれほどまでに、強いのか。闘気を使いこなす英雄の、あまりの一方的な蹂躙に、何も言葉が出ない。

 そんな二人に代わって、ミレイアがおずおずとサトゥンへと訊ねかける。


「それでは、マリーヴェル達もその『闘気』とやらを纏えば、グレンフォード様のように……?」

「無論だ!だが、今のこやつらでは同じことは出来まい。あんな真似をすれば、三十秒と持たずに意識を失うだろう。むはは、貧弱なり!」

「じゃ、じゃあなんでグレンフォードは大丈夫なのよ!なんであんなに強いのよ!」

「決まっているだろう――奴はそれだけ強いのだ。仮にも一国の英雄であった男だ、ひよっこのお前達との差はそれだけあるということだ」


 がなりたてるマリーヴェルに、サトゥンは小さく息をついて視線をグレンフォードへと向ける。

 その戦況は、最早何があっても覆らない。狂戦士のように暴れ回り斧を振るうグレンフォードに、氷蛇は為すすべもない。

 十年前、手も足も出なかったグレンフォードが、ただ我武者羅に氷蛇を蹂躙せしめているのだ。

 力も、速度も、技術も、何もかもを携えた英雄が、神をも叩き切る程の武器を手に入れた。その結果など、考えるまでもなかったのだ。

 やがて訪れる、グレンフォードと氷蛇の終局にサトゥンは視線を向けることもなく、ただ残念そうにつぶやくのだ。


「だから私は最後まで悩んだのだ。迷いのなくなった英雄グレンフォードに斧を与えれば――こういう結末になると、分かり切っていたのだから。

ああ、私の勇者としての活躍の場はいつになれば訪れるのだ……英雄が集まるのは嬉しいが、欲求不満が溜まってしかたないではないか……」


 サトゥンが視線を向けるのを止めたその先では、グレンフォードが氷蛇の首を叩き落とす光景が広がっていた。

 真の英雄が、その輝きを取り戻した瞬間を、勇者は愚痴ばかり零しながら迎えていた。















 絶命する氷蛇を見下ろし、グレンフォードは己の掌をじっと見つめ続けていた。



 この瞬間の為に、自分はきっと生き延びてきた。

 この悪夢を振り払う為に、この十年迷いと共に斧を振り続けてきた。

 自分に地獄を与えた存在。だけど、全ての絶望の中、英雄であることを諦めない自分を生んだ存在。

 天敵を、己が呪縛を仕留め終えたグレンフォードは、ゆっくりとその拳を握りしめ、一筋の涙を零した。


 見ているか、あの日俺と共に闘い散って逝った兵士達よ。

 見ているか、あの日氷蛇に命を奪われたヴェルトルの民達よ。

 氷蛇は、もうこの世にはどこにもいないのだ。氷蛇は、この世から命を絶ったのだ。

 この十年が長かったのか、短かったのかは分からない。だが、グレンフォードの心に在るのは、今は感謝だった。


「グレンフォードさん!」


 自分の元へ走って来てくれる少年達に、感謝を。

 お前達が手を差し伸べてくれたからこそ、俺はもう一度立ち上がれた。

 お前達が背中を蹴ってくれたからこそ、俺は英雄としての自分を取り戻そうと思えた。

 だから、今自分がすべきことは理解できている。後に後悔だけは、二度としないように、自分はその言葉を彼らに伝えるだけでいい。


「――ありがとう、お前達のおかげで、俺は救われた」


 歓喜のあまり、グレンフォードの胸に抱きついてくる少年を受け止めながら、彼は何度も感謝を口にするのだ。

 ありがとう、と。今はその言葉だけでいいと思えたから。

 そんな彼と喜びを共有しあっていた面々だが、サトゥンだけは彼の傍まで歩み寄り、口元を吊り上げて皮肉交じりに言葉を紡ぐ。


「私の大切な出番を奪ってくれたのだ。さぞや立派な答えを導いてくれたのだろうな?」

「ああ、俺の力は『この為』に在る。お前達が俺にそうしてくれたように――今度は俺が、人々の心を救う為に、力を振るおう。それが俺の答えだ」


 胸を張って答えるグレンフォードに、サトゥンは満足気に笑い、『上出来だ』と一言だけ言葉を紡ぐ。

 そんな彼に『格好つけ過ぎだ』だの『似合わないですわ』だの散々な言葉が飛んでいるが、微塵も堪えてはいないようだ。

 ひたすら自分がどれだけ我慢をして、己の心を抑えて良い場面をグレンフォードに譲ってやったかを切々と語るサトゥンにドン引きするマリーヴェル達。

 再びコントを繰り広げ始めた連中に軽く息を吐き、グレンフォードはリアンに言葉を紡ぐのだ。


「――戻ろうか。国の者達に、長年待ちわびた吉報を届けに……『我らが勇者の偉業』を伝える為に」

「グレンフォードさん……はいっ!」


 そして、リアンが三人の漫才を何とか止め、五人で山を降りようとしたその時であった。

 突如、リアン達を襲う強烈な何かに身体中が震えた。それが寒気ではなく、重圧であることにリアン達は少し遅れて気付く。

 そのプレッシャーの発生源に視界を送り、リアン達は驚愕に表情を歪ませ、言葉が出ない。


 その者は、悠然と上空に佇んでいた。

 白き布を纏い、顔までは見えないが、その者から放たれる尋常ではない殺気が、この場の空気を包み込む。

 外套を纏う男は、見えない視線をレキディシスの死骸へと向けた後、淡々と言葉を紡ぐ。


『――戯れに昔生み出した玩具の様子を見に来てみれば、面白い光景が広がっているではないか。

いくら失敗作とはいえ、人間程度に殺されてしまうとは思わなかったが。実に興味深い』


 まるで血の通っているとは思えない冷たい声を発する主に、気付けばリアンもマリーヴェルも、グレンフォードでさえも武器を握っていた。

 そしてグレンフォードが冷や汗を流す姿に二人は驚愕する。この英雄ですら、このような表情を見せる程の相手なのか、と。

 やがて外套の男は、ゆっくりと掌を上に捧げ、その手に魔力を集め始める。それは恐ろしい程に濃密な破壊の魔力球だ。

 魔人レグエスクとは比較にならぬほどの、圧倒的な力に、リアン達は言葉を発せない。


『貴様達がこの玩具を壊してくれたのか。ふむ、ならば礼をしなくてはなるまい。私自らお前達に死をプレゼントしてやろう』

「あ、貴方一体何者!?名を名乗りなさいよ!」

『死にゆく貴様達に我が名を語る意味が在るか?ふむ、人間の分際で命令するなど万死に値する。疾く消えうせるがいい』


 話はこれまでとばかりに、外套の男は、破壊の魔球をリアン達へ向けて放出した。

 それは恐ろしき破壊の力が込められ、衝突すれば一山など簡単に消し飛ばせるほどの魔力が込められていた。

 このままでは何もすることなく死んでしまう。折角氷蛇を倒したのに、こんな終わり方が許されるのか。

 後悔すらも、憤怒すらも感じる暇もなく、四人を死が襲う――ことは全然なかった。微塵もなかった。かすることもなかった。

 目をキラキラと輝かせたサトゥンがその魔弾を掴み、そのまま右手で握り潰してしまったのだ。そして始まる彼の高笑い。


「ふは、ふはは、ふははははははははははははははは!」

『な、なんだと……!?』

「貴様!敵だな!どう見ても敵だな!今の花火は私達を殺そうとして放ったのだな!?子供の火遊びのような炎であったが、確かに殺そうとしたな!?」


 困惑する外套の男を無視して、サトゥンはそのテンションをトップギアまで一気に引き上げる。

 まるで子供がようやく我慢していた玩具を与えられたかのようにはしゃぎまわり、四人の前に踊り立ち、楽しげに言葉を並べ立てる。


「その人間をどこまでも見下し殺そうとする空気は間違いない貴様は悪だ悪に違いない平和を脅かす悪だいいやきっとこの人間界征服をたくらんでいるに違いない間違いないそうじゃなくてもそうだと言えいいやそれ以外の答えなど求めていないお前は悪だ悪である勇者の敵であるふははははははははとうとう現れたな勇者の敵よ我が名はサトゥン勇者サトゥンであるお前達の野望を打ち砕く為にこの人間界に舞い降りた救世主であるお前に人間を殺させる訳にはいかん人間は私が護る何故なら私が勇者だからなそうかこれだけ言ってもかかってくるなら仕方が無いこの勇者の力を思い知るが良い!」

『お、おい……少し待て、一体貴様は……』

「グレンフォード!あの男は私がもらっても構わんのだな!あいつとの因縁があったりしないだろうな!?」

「……強者だとは分かるが、何もないな。俺の敵は、氷蛇だけだった」

「ふははははははははは!ならばよし!準備はいいか、魔王四天王が一人、大地のヴェルヴェドス!この勇者サトゥンが相手である!」

『だれがヴェルヴェドスだ!我が名は邪竜王が四天……ぬおおお!?我が身体が、転送されるっ!なんだこの魔術は!?』

「うはははははははは!何、私が本気を出してしまうと大地が色々とまずいことになるのでな!貴様には我の生み出す異界にて遊んでもらおう!

何、安心するが良い!私も色々と溜まっていてな、簡単には殺しはしない!仮に死んでも私が満足するまで何度でも蘇らせてやろう!がははははははははは!」


 好き勝手に言葉を並べて、サトゥンは外套の男を異次元の割れ目へと放り込み、うきうきとした様子で自分もその割れ目へと飛びこんでいく。

 外套の男とサトゥンが消え、残された四人を包むは静寂。そこには、全く状況についていけず呆然とする四人が立ちつくしていた。

 ただ、サトゥンがその身を乗り出し、残された空間の割れ目から『勇者天滅王斬波』や『勇者暗黒撃魔弾』や『勇者プリティダイナマイツミラクルボンバー』など楽しそうな叫び声と、破壊音衝撃音がびっくり箱のように飛びだしていた。

 あまり触れたくないので、四人は荷物の整理を終えながらサトゥンが戻ってくるのを待つことにした。

 サトゥンが空間の割れ目から憑き物が落ちたようにすっきりした顔で出てくるのは、それから三十分ほど後のことである。








物語を彩る程の凄い強敵が現れたかと思ったがそんなことはなかった。次も頑張ります。

ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。

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