23話 後悔
思わぬハプニングがあったものの、サトゥンとグレンフォードの勝負はサトゥンへと軍配があがった。
地面に転がった斧を回収しつつ、グレンフォードは四人へと視線を向け直す。その視線に気付いたマリーヴェルは、ふんと鼻を鳴らして口を開いた。
「形はなんであれ、私達の勝ちは勝ちよね。悔しいけど、自分で勝てなかったことがすごく悔しいけど……」
「分かっている。お前達は俺に勝ったのだ、敗者が勝者を引きとめることなどはしない。だが、それでも今から山に向かうのは止めておけ。
もうまもなく山の天候が変わる。この空気の変わり方をする雪山を登るのは自殺行為だ。向かうのは明日の早朝にしておけ」
淡々と説明していくグレンフォードに、マリーヴェルは反論出来ずに口を噤む。
山の気候の変動など、マリーヴェルを初めとした四人には微塵も分からないが、この山に恐らく住んでいるのであろう彼の発言は正しいのだろう。
結局、四人がグレンフォードの言葉に頷き、今日はこれ以上の行軍を中止する事にした。
グレンフォードは四人を先導するように歩きながら、低い声で呟く。
「この先に俺の家がある。粗末な小屋だが、雨風を遮るくらいの役には立つだろう。馬ごとこっちについてこい」
先程までとは打って変わって協力的な態度をみせるグレンフォードに、マリーヴェルやミレイアは少し疑うような視線を見せるが、このパーティーのリーダーであるサトゥンはどこまでも軽く考えていたらしく、案内をする彼に『勇者を持て成す心、感心である!』などと言って笑っていた。
その姿に毒気を抜かれる面々だが、結局このサトゥン相手に罠をしかけるなど徒労もいいところなのだろうと思い直し、深く考えることは止めることにした。
山道のすこし横道にそれた場所に、グレンフォードの住む小屋は建っていた。丸太を彼自身で切り出したのだろうか、五人が中に入って少し手狭に感じる程度の広さである。
中に入るなり、リアン達は彼に促されるままに腰を下ろす。その間にグレンフォードは火を起こし、部屋を暖めてくれていた。
そんな彼に、リアンは頭を下げて礼を言う。
「ありがとうございます。えっと、グレンフォードさんに教えて頂かなければ、
あのまま山に向かっていて大変な目にあっていたと思います。それだけでなく、滞在までさせて頂いて……」
「気にするな。そもそもお前達が山上に向かうのを阻害したのは、他の誰でもない俺だ。このくらいはさせてくれ。
それよりも傷の方は大丈夫なのか、少年。手応えからして骨は持っていったと思っていたのだが。それと少女、お前の手首もだ」
「ああ、大丈夫よ。うちには優秀な神魔法の使い手がいるから。あと少女っていうの止めてくれる?私にはマリーヴェルって名前があるんだから」
「マリーヴェル……?もしや、マリーヴェル・レミュエット・メーグアクラス王女か?」
「王女も止めて。今の私はただのマリーヴェルよ。そうでしょう、英雄ではないただのグレンフォードさん?」
マリーヴェルの皮肉めいた言い方に、グレンフォードは愉しげに喉を鳴らして笑う。
そして、マリーヴェルの自己紹介を皮切りに、残りの者達が彼へ名乗っていった。
「リアンです。リアン・ネスティ、キロンの村からやってきました」
「ミレイア・レミュエット・メーグアクラスと申しますわ。この子はリーヴェです」
「ふははははは!我が名はサトゥン!この暗雲漂う人間界に差し込む希望の光にして唯一無二の救世主、勇者サトゥンである!」
ぺこりと頭を下げるリアン。リーヴェを膝の上に抱いて挨拶するミレイア。欠伸をして尻尾を一振りするリーヴェ。お馬鹿なサトゥン。
彼らの挨拶を受け、グレンフォードは火に薪をくべながら、己の名を改めて名乗る。
「グレンフォードだ。家名は捨てた」
「貴方が、あの『ヴェルドルの悲劇』の英雄グレンフォード……あ、ご、ごめんなさい」
「謝る必要は無い。英雄などではなかったが、あれは俺が招いてしまった災厄だ」
「貴方が招いた災厄って、貴方はあいつを倒す為に兵達を指揮してたんでしょう?街の人を救おうとしただけじゃない、それをどうして……」
そこで、マリーヴェルは追及の口を止めた。
室内にぺきんと渇いた破裂音が響き渡ったからだ。それは薪が割れる音。その発生源はどこか、決まっている、グレンフォードの手の中だ。
彼が無意識のうちに、手に持っていた薪を割ってしまったのだ。恐ろしき程の力が、その手に込められていたのだ。
割れた薪を火に投げて、グレンフォードは大きく息を吐いて、小屋の外へと向かって行く。
「獲物を狩ってくる。今日は冷える、明日に備えて身体を暖めておくがいい」
「あ、ぼ、僕も行きますっ!」
雪のちらつく外へ出て行ったグレンフォードを追って、リアンは慌てて槍を抱えて彼についていった。
何故、グレンフォードについていったのか。飛びだしたばかりのリアンは、自分でもその理由が上手くつかめていなかった。
だが、何故か放っておけない気がしたのだ。英雄の背中というには、グレンフォードの背中が迷子の子供のように、あまりにも小さく見えてしまったから。
熊の身体に、蟷螂のような腕が接合された魔物が、悲鳴を上げることすら許されず絶命する。
グレンフォードの斧が、彼の姿に気付かせる暇など与えることなく、魔物の首を叩き落としたのだ。
その光景に、リアンは呼吸をすることを忘れてしまうかのように魅入ってしまった。それは、彼の師であるメイアとは異なる武の極み。
メイアが柔の剣とするならば、グレンフォードはまごうことなき剛の剣。技量もある、技の巧さもある、だがそれ以上に強く重い。
言うなれば、リアンの目指すべき世界に彼は立っている。数多の技術を積み重ね、どんな強者をも一撃で屠り去る程の力を発揮できる環境を整える。その光景が、リアンには眩くて仕方が無いのだ。
まるで子犬が尻尾を振っているように、リアンは嬉しそうに彼へと賞賛の言葉を送る。
「凄いです、グレンフォードさん!あれだけの巨体を持つ魔物を、一撃で倒してみせるなんて!
何より当てるまでの過程が凄かったです!気配を殺して、足音を消す為に重心移動に変化をつけたんでしょうか、あの歩行は初めてみました」
「獲物を倒す一撃ではなく、足捌きに目を付けたか。本当に良き戦士だな、リアンは。観察を怠らず、正しい視点を持っている。良い師に巡り会えたようだな」
「はいっ!メイア様は、僕には勿体ないくらいの先生です!」
楽しげに自慢しながら、リアンは片手でグレンフォードの屠った魔物の身体を担ぎあげる。
その光景に、グレンフォードは少しばかり驚愕の表情を浮かべながら、リアンとの会話を続けていく。
「強いな、身体が。だが、その恐ろしき身体能力を技術が持て余しているようだ。槍を握って何年になる?」
「ええと、半年くらいでしょうか。剣自体は子供のころから、山で狩りをするために振ってはいたのですが、所詮一人遊びでした」
「半年だと……?半年であれだけ戦えるのか。類稀なる天賦の才を有しているようだな、リアンは」
「そんなことないですよ。鍛錬ではいつもマリーヴェルやメイア様に手も足も出ない状態ですし、先程はグレンフォード様に何も出来ませんでしたし……まだまだ未熟です。
僕の力は、サトゥン様に貰った槍の力に頼っているだけに過ぎません。この槍に恥じないだけの努力をしないと、きっと英雄になるなんて夢また夢の世界ですから」
軽く息を吐くリアンに、グレンフォードは少しばかり考えるような素振りをみせた。
そして、彼はリアンの頭をわしわしと不器用に撫でる。突然頭を撫でられ、目をきょとんとさせるリアンに、グレンフォードは淡々と言葉を紡いでいく。
「強さとは、他人に与えられて輝きを放つものではない。
お前のその槍は、確かに恐ろしい力を感じる、業物の槍だろう。だが、その槍があるからお前の強さが在る訳じゃない」
「グレンフォードさん……」
「強さとは、自分がどれだけ痛み苦しみを乗り越えてきたかで裏打ちされるものだ。
何の努力も困難もなく与えられた力には、それを自信とするだけの厚みがない。厚みのない強さは虚構だ。根拠がないから、最後の最後に縋ることも心中する事も出来ない。
胸を張れ、リアン。お前の力は、槍から与えられたものではないだろう。強くなる為に、高みを目指す為に、お前は一体何度身体を痛めつけた。
戦士が胸を張れるのは、強さではない、その強さを得るための過程だ。人に誇れる研鑽を積んできたならば、それが戦士にとって誇れる強さだ。
少なくとも、アバラの骨が折れてもなお俺の前に立ち塞がろうとしていたお前は、誰かに与えられた力だけに拠っている男の目ではなかった」
グレンフォードの言葉が、リアンの胸に残る。
彼の言うとおり、リアンは己を鍛え続けてきた。サトゥンやメイアに出会う前から、家族を護るための力を得るため、日々身体を研鑽し続けてきたのだ。
リアンは、サトゥンやメイアと出会い、彼らの眩さに心奪われ知らず知らずのうちに忘れてしまっていた。強さの根源、自分の歩み。
自分が魔物と渡り合えるのは、二人に鍛えて貰ったから。自分が魔人と戦えたのは、サトゥンに槍を貰ったから。
それは間違いではないだろう、だがそれだけで強さを為せるほど、この世界は甘くは無い。
どれだけ鍛錬を与えられても、それを続ける為の土台が無ければ意味が無い。どれだけ槍が強くとも、それを操れるだけの基礎がなければ意味が無い。
その人間の強さの根幹となるものは、誰かの手で与えられたり強制されたりしても決して身にはつかないのだ。
道に迷っても、困難に当たっても、それでもなお己を研鑽し続けること。心折れず腐らず諦めず、努力し続けた結果。それこそが、リアンという少年の最大の武器なのだ。
グレンフォードの言葉が、嬉しくて。緩みそうになる涙腺を必死に抑えてリアンはごしごしと瞳を袖で拭った。
いくら強くとも、いくら鍛えられようとも、彼はまだ十五になったばかりの少年なのだ。
戦いに生き続けたメイアや、天蓋の存在であるサトゥンでは分からない機微を、グレンフォードは見抜いてみせた。否、同性であり、リアン同様に強さを研鑽し続けてきた彼だからこそ分かったといえよう。
「お前が真の強さを得るのは、まだまだこれからだ。お前の戦士としての資質は余りあるものがある。
焦らず一歩ずつ上を目指すといい。数年もすれば、リアンならば俺など簡単に飛び越えていくだろう」
「僕にグレンフォードさんを、超えることが出来るでしょうか」
「英雄を目指すならば、俺如きを壁だと思うな。俺はもう終わった男だ。お前のように上を目指すことも、何かを為すことも俺は目的としていない」
ぽつぽつと紡ぐグレンフォードに、リアンは何も返せずに押し黙る。彼の言葉が、とてつもなく重く感じた。
雪が舞いおりる中、小屋へと戻る二人の間を静寂が支配する。何も話すことが出来ず、下を向くリアンに、やがてグレンフォードがゆっくりとその重い口を開いた。
一つ、昔語りをしようか、と。
それはある王国の、英雄になり損ねた愚かな騎士の、物語。
その青年は、国一番と謳われるほどに強き騎士であった。
貴族である両親を持ち、ある家の三男坊として生まれた彼には、神から愛されていると賞賛されるほどの天賦の才があった。
彼はめきめきと実力をつけていき、十五で騎士団に入隊した時点で、国内に並ぶ者は無いと言われるほどの実力を持っていた。
そして、恐ろしい程の戦果をあげ続け、二十五にして騎士団のトップへと上り詰めた。
国内外から青年は賞賛された。その実力は国士無双、大陸一だと持て囃された。
若獅子などと異名で呼ばれ、青年の名は国内外へと響き渡ったのだ。
彼はそんな周囲に認められ、自信を深めていった。他国の強者や魔物を打倒し、その自信はいつしか慢心へと変わってしまった。
この自分にかなう者などいないと、この自分に救えない者などいないと、豪語するようになった。
努力を怠らず、結果を残し続けた彼がそうなることは仕方ないといえば仕方なかったのかもしれない。
故に、周囲の者達は彼に更なる期待を込めた。彼ならば、どんな困難をも乗り越えてみせる。どんな強敵をも打倒してみせる。
負けることなどありえない。どんなときでも勝利を掴みとる、それが『英雄』なのだから。
そんな折、青年のいる国内で大きな事件が起きる。
巨大な蛇の魔物が街に現れ、大暴れしているというものだ。それをきき、彼は迅速に兵を纏め街へと進軍した。
どのような化物であろうと、自分が負ける筈が無いと確信していた。千の軍隊を指揮する自分が化物を退治し、皆を救ってみせると。
それは、国中の者達が同じ考えでもあった。王も、貴族も、兵士も、国民も。誰もが英雄の勝利を信じて疑わなかった。
だが、青年を待っていたのは、想像を絶するほどの地獄であった。
巨大な氷蛇の化物相手に、千を数えた兵士達が一人また一人と殺されていった。
青年も必死に氷蛇へ挑んでいったが、武器を一振り重ねる度に、己の無力を突き付けられていった。
どんな敵をも打倒してきた一撃が、通じない。
どんな困難をも乗り越えてきた一撃が、通らない。
傷一つつけられず、悠然と暴れ回る氷蛇に、青年は自身の『英雄』が虚構であることを理解した。
目の前で死にゆく街の住人達を、救うことすら出来ない程の無力。
怯えまどう人々の不安を取り除くどころか、傷一つつけられない未熟。
自らの心に芽生え始めた不安と恐怖を噛み殺し、青年は必死に氷蛇と戦い続けた。英雄という偽りの肩書きが、彼に敗走を許さなかった。
兵士達が信じている。街の人々が信じている。ならば自分は闘わなければならない。例え勝てなくても、それでも。
そんな狂気にとらわれていた彼を解き放ったのは、一人の幼子だった。
氷蛇のすぐ傍でボロボロになって気を失っている幼子を、青年は見つけてしまった。
急いで駆けより、その幼子が息があることに気付いた。まるで頭から水をかけられたように、青年は目が覚めて、慌てて周囲を見渡す。
彼の周りには、幾人もの街の住人が転がっていた。だが、その中には何人もいたのだ。まだ息のある、まだ生き延びる可能性がある者達が。
そして、ようやく彼は気付くのだ。自身の驕り高ぶりが、英雄であろうという無駄なプライドが、大切なことを見失っていたことに。
何故、自分は勝てないと悟った時に撤退を命じなかった。
何故、敵を打倒出来なことを悟った時、街の人々の救助を優先させなかった。
救うべき命が目の前にあるのに、自分は何を優先した。自分の頭は一体何が支配していた。
氷蛇を倒すこと。倒して、己が名声を保つこと。何故氷蛇を倒すことが何より優先すべき仕事だと思いこんだのか。
幼子を抱き締め、青年はやがて生き残った兵士達に生き残った住民達の救助を指示した。
青年の命令に、氷蛇を打倒すべきだという声があがったが、全責任は自分が取ると言った彼の言葉に、結局全ての兵士は従った。
街を諦め、わずかでも生き残った街の人々を優先する。彼がその決断を下したのは、正しかったのかどうかは分からない。
だが、彼の命令により、百人ほどの怪我で動けなかった住人達が命を救われたのは事実であった。
怪我人達を連れ、青年は氷蛇から敗走をしたのだ。己の無力さと、己の判断のミスが多くの人命を奪ってしまったことを呪いながら。
それから先は、地獄の一言だった。
氷蛇相手に何一つ戦果をあげられず、多くの兵を殺してしまった彼を王も国民も掌を返すように責め立てた。
何より彼が敗走し、おめおめと生き延びて帰ってきた事実が、国民達の怒りを買った。
何故、街の人達は犠牲となったのに、自分は逃げ帰ってきたのか。
何故、英雄であるはずの彼が、何も出来ずにのうのうと城に戻ってきたのか。
罵声など数えるのも億劫になる程に浴びせられた。石を投げつけられたことだってある。
街の者達は、城の者達は彼を役立たずと、臆病者だと罵った。氷蛇の恐怖が大きかったこともある、はけ口が欲しかったのだ。
だが、彼はそれらを全て甘んじて受け入れた。首を落とすと王が告げた時も、彼はただ黙って受け入れた。
彼の胸を支配するのは、ただ只管の絶望と後悔。自分の力を慢心し、多くの人々を救えなかった自責の念。
長きの拘束を終え、王が彼を騎士団から追放すると最終結論を出した時も、青年は黙って受け入れ、城から去って行った。
王都から出ていく彼に、街の人々は誰も彼も罵声を投げつけた。出ていけと、役立たずと、何が英雄だと。
そして、青年は……この国の英雄だと持て囃された若獅子グレンフォードは、表舞台から消えていったのだ。今より十年も前の昔の話である。
その昔語りを聞き終え、リアンはかけるべき言葉が見つけられなかった。
ただ、グレンフォードが悪とは思わない。彼は自分のやれるべきことをやっただけなのだ、精一杯なすべきを為しただけなのだ。
勇敢に氷蛇という化物に対峙した彼を、傲慢だと責めるには酷過ぎるではないか。納得出来ないリアンに、グレンフォードは背を向けたまま言葉を続けた。
「俺は誰かを責めたい訳でも、恨みをぶつけたい訳でもない。王の判断も、民の行動も、全ては当然だとしか思わない。
だが……だが、今でも夢にみる。あの日の光景が、俺の頭に焼きついて離れないのだ。何か一つでも、自分が出来ていれば、あの光景はなかったのかもしれない。
敵を打倒する事が英雄の仕事だと思っていた。人を救うことが英雄の仕事だと思っていた。敵を打倒する事も、人を救うことも出来なかった俺は……英雄になど、なれなかったのだ」
「グレンフォードさん……」
「リアン、お前は俺のようにはなるな。英雄を目指すなら、己の強さに酔わず自分の為すべきことを為せ。
……あの氷蛇を、お前達は倒してくれるのだろう?あいつはヴェルトルの民の命を吸った呪われし化物だ。
俺などでは出来なかったが……どうか、民や兵達の無念を晴らしてやってくれ。きっと彼等も救われる」
それだけを言い残し、グレンフォードはそれ以上口を開くことなく山小屋へと戻って行った。
彼を見つめながら、リアンは訊ねようとした言葉を呑みこんだ。もし、その化物が他の誰かに退治されたとして――救われる人々の中に、グレンフォードさんは入っているのですか、と。
夜が訪れ、リアン達が眠りに就いた深夜。
小屋を出て、グレンフォードは一人斧を振るっていた。
使い込んでいた狩猟用の斧は、サトゥンにものの見事に真っ二つにされた為、彼が使用しているのは予備である斧だ。その斧を目にも止まらぬ恐ろしき速度で振り回してく。
城から追い出されて十年の月日が流れるが、彼は一日足りとてその鍛錬を休んだことは無い。
それも当然かもしれない。鍛錬を積み重ねていなければ、リアンとマリーヴェルと相手にして圧倒することなど出来はしない。
一つ、また一つと斧を振りおろしてグレンフォードは息を吐く。彼の心にあるのは、今日出会ったばかりのサトゥン達のこと。
彼らは氷蛇を退治する為に来たと言った。その言葉を初めて聞いた時、グレンフォードはまともに聞き入れるつもりなどなかった。
城から追い出された彼が、この山道に十年もの間居続けた理由、その一つはこれ以上氷蛇の犠牲者を出さないためでもあった。
だからこそ、追い返そうとした。だが、彼らは予想以上に実力があった。
リアンとマリーヴェルは、荒削りではあるが将来恐ろしき使い手になるであろうという確信を持たせる腕であった。
ミレイアは、神魔法で二人を治癒していたが、その速度がすさまじい。彼女もその道では名を残せるほどの実力者だろう。
そして何より、サトゥンの存在がグレンフォードに道を譲らせた。研鑽をつみ続けた彼をも相手にせず一蹴してしまったサトゥンに、グレンフォードは可能性をみた。
彼ならば、本当にやってのけるかもしれない。
彼ならば、あの氷蛇を簡単に打倒してくれるかもしれない。
それは、彼が長年待ち続けた時だったのかもしれない。彼の無念を、街の人々の無念を晴らしてくれる存在の登場だった。
もし、サトゥンがあの化物を打倒してしまえば、この国を恐怖で陥れた影は消えるだろう。この国もきっと明るくなる。
そうだ。それは喜ばしいことなのだ。あの魔物が消えること、殺されてしまうことは何よりも喜ぶべきことなのに。
――それなのにどうして、俺の胸はこんなにも落ち着かないのだ。
――それなのにどうして、俺の心に喜びが微塵も浮かんでこないのだ。
その事実を認識して、グレンフォードは自嘲する。
本当に無様だ。自分にその資格はないのに、そのような立場などないのに。
だが、それでも彼は望んでしまう。あの氷蛇を倒すのは、自分の役目でありたかった、と。
それは未練だ。敗北してもなお、自分はきっと復讐を諦められない。あの氷蛇は、自分の全てを奪って行ってしまったのだから。
自信も、戦士としての生き様も、希望も、未来も。グレンフォードを形成する全てを、あの蛇が奪ってしまったのだ。
城を追われてもなお研鑽を積み続けたのは、あの絶望の景色が忘れられないからだ。偽りの英雄であった自分の無力さが、耐えられないからだ。
きっと、サトゥンはあの氷蛇をも打倒してみせるだろう。その時自分は、一体どんな顔をしているのだろうか。
救えない。自分は氷蛇が滅び去るのを誰より望んでいながら、その死を誰よりも嫌がっている。何もかもを失った自分にとって、奴への復讐しかこの身体には残されていないのだから。
思考の海に溺れる自分を振り払うように、グレンフォードは必死に斧を振るい続けた。
自責の念と後悔に捕らわれ続けているグレンフォードには、必死な彼の姿を、小屋の影から見つめ続けていた筋骨隆々の男の気配には、最後まで気付くことは無かった。
筋肉を見つめる筋肉。次も頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




