20話 氷蛇
「時は満ちた!という訳で、そろそろ私の勇者としての名声を高める動きを英雄集めと並行して行わねばならんな。むはは!」
メイアによる鍛錬を終え、疲れた身体を休めていたリアンとマリーヴェル。そんな彼らに、突然思いついたようにサトゥンが言い放った。
まーた病気が始まったと、マリーヴェルは『何とかしろ』と視線をリアンへと向ける。彼の相手をするのは決まってリアンが担当なのである。
マリーヴェルに終身名誉勇者担当の地位を与えられているリアンは、首を傾げながらサトゥンの意図を問う。
「ええっと、英雄を集めるというのは、マリーヴェルの時のように人を探すんですよね?
それと並行して、サトゥン様の名を高める、ですか?」
「うむ。思えば、私は少しばかり思い違いをしていたようだ。英雄をすべて集め、そこから己の覇道を歩もうと考えていたが、リエンティの勇者はそうではなかった!
彼は己の名を世界に轟かせつつ、義を為す過程の中で英雄達と出会っていったのだ!私としたことがなんという失策!
英雄を集めるとともに、私も動いて名を高めていく、それが勇者として必要だと考えたのだ!ふはは!」
「考えたのは分かったけど、具体的に何するのよ。そもそも勇者になる、英雄を集めるっていうけど、具体的な目標って何?」
「うはは!ここに馬鹿がおるわ!勇者の目標など、魔物の王を滅ぼして世界に平和をもたらす他あるまい!」
「馬鹿はアンタだ!この世のどこに魔物の王なんて眉唾物が存在するっていうのよ!ばーかばーかばーか勇者馬鹿!」
「ぬ?」
マリーヴェルの反論に、サトゥンは少しばかり考えるような仕草を見せる。
腕を組み、髪を弄り、瞳を閉じて、肩を回して。心を落ち着ける為の仕草を何度か繰り返した後、視線をメイアへと向け恐る恐る訊ねかける。
「……魔物の王は、人間界におらぬのか?」
「御伽噺の世界だけですね」
「なんとおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?だ、だが勇者リエンティの物語には魔物が在るのは魔物の王が指揮しているからと」
「魔物とは魔核を持つ生き物の総称のことですよ。動物と違い、心臓部が魔核で出来ています。
御伽噺の魔物は、人間を襲うことばかり書かれてますが、大人しく人になつく魔物もいますよ。魔鳥獣レベッキなどは騎獣として愛されてますね。
魔物の王が生み出したから魔の物だから魔物ではありません。魔核で生命活動を行っている物、だから魔物なんですね」
「ふぬうううううううっ!」
全身を絶望に染め上げて、サトゥンはその場に膝をついた。あまりの彼の絶望っぷりに、サトゥン崇拝者であるリアンですら少し引いていた。
少し遅れて響く嗚咽。身長が二メートルに届こうかという銀髪筋肉ばっつんばっつんの青年が鼻水を啜って泣いていた。その光景は正直気持ち悪いどころではない。
一度二度と拳を大地に叩きつけ、『魔物の王を私が生み出せば』『いっそ私の分身を魔物の王として君臨させれば』などと恐ろしく物騒なことを言い出すサトゥンに、これはやばいとリアンは必死に彼の意識をそらそうとする。
何か、何かないか。困った時のメイア頼み、何とか助けて下さいとリアンは必死にメイアへと懇願の瞳を向ける。
そんなリアンに優しく微笑み、メイアはサトゥンに向けて一つの話を始める。
「確かに魔物の王は存在しません。ですが、それに近い存在はこの大陸に数多存在すると私は聞いています」
「……近い存在だと?」
彼女の話に喰いついたサトゥンは、顔を上げてメイアを見つめる。涙と鼻水でとんでもないことになっている顔を直視しないように、メイアは視線をリアンに向けたままで話を続けていく。
「魔物とは先程言うとおり、魔核にて生命活動を行う生き物ですが、これらの中に恐ろしく強大な力を持ち、人間に害を為し続ける者達がいます。
その者達は長き生により、自我を芽生えさせ、自分の意志で人間を喰らい殺していると聞きます。
言ってしまえば、彼らのような存在こそ、リエンティの勇者の中の魔物の王の原形であると言えるかもしれませんね」
「ほう、ほうほうほうほうほう!」
「彼らは今もなお、大陸の各地で人間達に滅ぼされることなく返り討ちにし続けて、人間を初めとした他の生物を喰らって生きているそうです。
すなわち、これこそサトゥン様の求める存在だと私は思いますよ。つまり、彼らをサトゥン様が倒してみせたならば――」
「――私の名が、救世主として賛美されるという訳か!むは、むははは、むははははは!素晴らしい、実に素晴らしい!」
泣いたサトゥンがもう笑っていた。玩具を与えられた子供のように狂喜乱舞するサトゥンへ冷たい目を向けながら、マリーヴェルも実は満更ではない。
英雄になると誓った。そしてその為の力を日々磨いている。それがどこまで通用するか楽しみなところでもあるのだ。
自分ですらこんな気持ちなのだから、リアンは自分以上だろうと思い、視線を彼の方へと向けると、案の定、槍を強く握り締めて目を輝かせていた。
サトゥンとリアンがこのような感じだから、自分が冷静をつとめようと心を引き締め直し、マリーヴェルはメイアに訊ねかける。
「そういう化物の話は私も聞いたことあるけれど、実際に何処にいるのかまでは知らないのよね。メイアは知ってるの?」
「そうですね……この辺りで有名どころとなると、魔竜レーグレッドでしょうか。千年も前に、この大陸中で暴れ回った恐ろしき災厄竜」
「ふむう!いいではないかいいではないか!名前をきいただけで強者の匂いがするわ!どのような竜なのだ!」
「姿形までは詳しくは知らないのですが、千年前に英雄から身体に傷を受け、現在は地中のどこかで眠りについていると言われていますね。
千年前、人間の中で一番強いと言われていた英雄ですら、命を賭しても身体に傷をつけることが精一杯だったのですから、その強さはあまりあるものでしょう」
「滾る、滾る滾る滾る滾るぞ!私の勇者としてのデビューに相応しい!メイアよ、その竜は今どこにいるのだ!」
「大陸の地中にいると言い伝えられてはいるのですが、そこまでは。ですので、魔竜レーグレッドを探すのは困難を極めるでしょうね」
「何よそれ、ひたすら地面を掘って探せっていうの?パスパス、別の奴にしましょ」
「む、むうううう……」
うなだれるサトゥンだが、実はその魔竜レーグレッドは既にこの世に存在しない。
この人間界に舞い降りたサトゥンが、リアンの前で意気揚々と殺してしまった竜が一匹。それが実は、魔竜レーグレッドなのだから。
人間界において恐怖の魔竜と恐れられた化物は、哀れサトゥンに『脆弱なトカゲ』と馬鹿にされて命を終えていた。
勇者のデビューに相応しいとサトゥンは言っていたが、実際彼の勇者としてのデビューは魔竜によって飾られていたのである。
なお、余談となるが、魔竜の血肉を素材として、隣村出身のラターニャという女性がサトゥンの手によって生まれている。
ラターニャ十七歳。彼女の最近の悩みは、食事の嗜好が肉ばかりに偏ってしまうことによる、太ってしまうのではという不安であるとか。
力強い竜角と、背中の竜翼がチャーミングな年頃の女性である。歳が同じミレイアとは最近仲がいいらしい。まさに余談である。
他になにかいないのかとせっつくサトゥンに、メイアは頷いて次の案を提示する。
「隣国、ローナン王国……その北部地方の雪山に縄張りを持つ氷蛇レキディシス。
この魔物は最近ある事件をきっかけに名が知れ渡った新しき化物と言えるでしょう」
「『ヴェルドルの悲劇』、ね」
マリーヴェルの放った言葉に、メイアは小さく頷いて肯定する。
その単語に聞き覚えのないリアン達に、メイアはその魔物の引き起こした災害について説明を始める。
今より約十年ほど前のこと。ローナン王国、北部にあるヴェルドルという街がその舞台となる。
この街に突如、雪山より現れた巨大な大蛇。その身体は街のどの建物よりも高く、そして街の外を走る街道のように長く。
その大蛇は街中で暴れ回り、幾人もの人々を踏み潰し、丸呑みにし、街に壊滅的な打撃を与えた。
無論、その悪逆非道な魔物の振舞いを王国が許す筈もない。当時、どの国よりも精鋭と謳われたローナン王国きっての騎士団をヴェルドルへと送り込んだ。
千人をも超える兵達を率いるは、当時二十五という若さでありながら、既に大陸有数の使い手と名を馳せていた国一番の最強騎士。
彼らの出陣により、大蛇の狼藉もここまでだと誰もが疑わずにいられなかった。
だが、大蛇はそんな騎士団すらも捻じ伏せてみせた。
恐ろしき硬度を誇る大蛇の氷鱗に、騎士団の攻撃は何一つ通らず。勇敢に戦った騎士団の戦果は、散々なものとなった。
千人の兵士のうち、生きて帰った者は十五人のみ。彼らは大蛇を退治することも叶わず、街の生き残りを王都へ逃がすことが精一杯だったのだ。
結局、数日街で心ゆくまで暴れ回った大蛇は、山へと戻って行った。残されたのは、もはや機能する事のない街跡と、夥しい数の死体だけ。
この結果に王は憤慨し、敗軍の将である国一番の騎士の首を斬ろうとした。
だが、仮にも英雄である彼の首を落とせば色々と問題にもなるという周囲の諌めもあり、騎士団からの追放処分ということで落ち着いたのだ。
たった一度の魔物の蹂躙で、ローナン王国は二つの物を失ってしまった。国民の数多の命と、国の英雄である。
これが後に、国外各地に語り継がれることになる『ヴェルドルの悲劇』という訳である。
「当時、私は十すら数えぬ小娘でしたが、それでもローナン王国最強と謳われていた彼の強さには背筋が凍る思いがしたものです。
何度か軍同士の交流で拝見する機会がありましたが、勇猛にして巧み。あれほどの使い手はそう簡単には現れないでしょうね。今の私でも当時の彼に勝てるとは思いません。
ですが、恐ろしきは、その彼ですら、氷蛇レキディシスには手も足も出なかったという事実。これほどの化物が未だローナンの山奥に潜んでいるのです。
故に、今ローナン国では北部に街を構える者など誰一人存在しません。当然です、いつレキディシスがまた現れるのか分からないのですから」
説明を終えたメイアに、リアンとマリーヴェルは息を呑む。彼女をして、勝てないという程の英雄が、手も足も出ないのか、と。
だが、そこで怯え震えるような者ではないことをメイアは知っている。故に、彼らから返ってくる返答もまた、予想通りだった。
「面白いわね。つまり、私達がその蛇を倒せば、ローナン王国最強の英雄を労せずして超えられるって訳ね」
「今もなお人々を恐怖で縛り付けているというのなら、なんとかしなくちゃ。それがきっと、英雄としての役割だから」
それぞれの獲物を握りしめて嬉々とする二人に、メイアは愉しげに頷いてみせる。
そして己の立場を少しばかり恨めしく思うのだ。もし、自分が領主などという立場でなければ、剣を握り喜んでついていくというのに。
巨大な蛇とどのように戦おうかと話を弾ませるリアンとマリーヴェル。そんな彼らに水を差すように、機嫌がピークに達したサトゥンが高笑いと共に二人に告げる。
「ふはははははは!盛り上がっているところ悪いが、お前達の出番は今回ないと思うがいい!
今回の主役は私、勇者サトゥンである!人々を恐怖のどん底へと陥れた悪辣非道な氷蛇を、勇者がその手で退治する!
お前達は今回は見学だけだ!私の戦う背中を見て、強者とは何かをしっかりと学ぶがいい!私が勇者、私が主役、私の晴れ舞台である!
早速旅の支度を始める!ミレイア、お前も旅の準備を行えい!」
「え、え、ええええ!?な、何故私まで!?私嫌ですわよ!そんな恐ろしい化物と対峙するなんて、絶対にごめんですわ!」
「ぬははは、何を戯けたことを抜かしておる!お前には、この私の勇者としての覇道を後世に語り継ぐという仕事を与えたではないか!
私の晴れ姿をその目で実際に見てこそ、熱を込めて語り継ぐことが出来ると言うもの!今後私の輝かしい冒険に、お前がついてこない旅は無いと知れ!」
涙目で何とかしてくれと縋り付くミレイアをスルーして、マリーヴェルは早速旅の準備に取り掛かる為に教会へと戻ってく。
リアンもまた、氷蛇と戦う自分を強く何度もイメージするため、メイアに更なる詳細を聞いていた。
誰も助けてくれないことを理解し、何故私ばかりと涙を零しながらも、妹の分の防寒具を旅袋へと収納し始めるミレイア。そんな彼女の味方は、隣で眠るリーヴェだけなのかもしれない。駄目猫リーヴェ、ご飯と昼寝の時だけのミレイアの心強い味方である。
勇者の王道、竜退治(済)。次も頑張ります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。




