16話 生贄
剣についた魔獣の血を、二度三度と薙いで振り落とし、マリーヴェルは両剣を鞘へと収める。
そして、軽く息をついて、マリーヴェル達以外の生存者である実兄達のもとへと足を運んでゆく。
その際に、自分同様武器の血を落としているリアンが目に入り、思わず嘆息する。自分で選んだ道とはいえ、こればかりは仕方ない。
どうやら彼と『ミーク』の旅は、ここで終わってしまうようだ、と。
「ま、マリーヴェル……なの、か?」
「あら、たった数カ月ばかり会わなかっただけで私の顔を忘れるとは、薄情な人達ね。
ごきげんよう、お兄様、お姉様。いつまでも呆けてないで、さっさと立ち上がったら?妹相手に腰を抜かしたまま会話するのも情けないでしょう?」
彼女の言葉に、三人はなんとかその場から腰を上げて立ち上がる。
その様子をつまらなさ気に眺めているマリーヴェルであったが、上兄が彼女と、その背後に寄りそうミレイアの姿をみて、何かに気付いたように言葉を漏らす。
「そうか……お前は王位争いから脱落したと思っていたが、ミレイアと裏で手を組んだのか」
「馬鹿じゃない?王位に目が眩み過ぎて、まともな判断すら出来なくなったの?
そういう絡め手は貴方の得意分野でしょうけれど、私がそんな面倒なことをする訳ないじゃない。
私がもし、本気で王になろうとしていたなら、貴方達みんなまとめて力づくで捻じ伏せてたわよ」
「違いない。では、どうしてお前はミレイアと共にいるんだ」
「お兄様の姑息な計略に引っ掛かった哀れな姉に慈悲をくれてやった、それだけよ。
私は別に誰が王になっても構わないけれど、この娘だけ争うことなく脱落させられるのは不公平でしょう?
既に私は王位継承権を放棄しているけれど、誰かに手を貸すなとは言われていない。何の問題もないわ」
「大ありだ」
きっぱりと言い放つマリーヴェルに、上兄であるリュンヒルドは吐き捨てるように斬って捨てる。
その態度にむっとした彼女は、眉を吊り上げて、兄の首元を掴み上げて反論する。どうやら少しばかり感情的になってしまってるらしい。
ちなみに、そんなマリーヴェルの後ろで、リアンはいつでも止めに入れるように構えていたし、ミレイアはおろおろとするしかできなかった。
「何、その態度。貴方、自分の立場分かってるの?他の誰でもない、ミレイアに貴方は救われたのよ?
ミレイアが貴方達を助けろって言わなかったら、貴方達このデカブツに踏み潰されて『こいつら』の仲間入りしてたのよ?」
「分かっている。命を救ってもらったことには、お前にもミレイアにも、そこの冒険者にも感謝している。
だが、お前達が王位継承権の争いに参加する事は認めない。悪いがここで帰ってもらいたい」
「何様のつもりかと、言ったのよ。結果的に言えば、貴方達はここで脱落してるのよ。護衛が全滅して、震えることしか出来なかったくせに。
別に王位継承権を諦めろっていってるんじゃない、その争いにこの子を入れろっつってんのよ。ねえ、私の言葉、分かる?」
「……リュンヒルド兄様、お話してあげましょう。その娘達はここまできてしまった。事情を話さなければ、きっと帰ってはもらえませんわ」
売り言葉に買い言葉の二人に、マリーヴェルの上姉であるクシャトが提案する。
リュンヒルドは、嫌そうに表情を歪めたものの、このままでは埒があかないと考えたのか、大きく溜息をついて話を始めた。
「……マリーヴェル、ミレイア。お前達は、この国に伝わる王位継承争いについて、何処まで知っている」
「何処までって、仮にも当事者だったんだもの、一から十まで知ってるわよ。初代国王の子供の代から始まる、試練の争い。
次代の王を決める為に、継承者の権利を持つ王族の子供達が、この洞窟にて王位継承者を決めるんでしょう?」
「その方法は、どうやって決めている?洞窟内で何が起きている?」
「何って……そりゃ、何かはあるんでしょう。この扉の奥で、何かが」
そう言いながら、マリーヴェルは巨大な扉をこんこんと小さく蹴り上げる。
巨大な魔獣が護っていたその扉は、かなりの重さを持っていると見た目からも感じさせられ、どうやら押したり引いたりして開くものではないらしい。
抽象的な返答をするマリーヴェルに、リュンヒルドは眉間を抑えながらも説明を続ける。
「そうだ、何かがあるからこそ、王族達はここに集められている。では、そこに何があると思う?
王を決めるだけならば、城でも出来るではないか。全員を集め、王が次の後継者を指名すればいい。なのに何故、王はわざわざこのような手間のかかる方法を取る?
危険だってある。現に私達は冒険者共々死にかけていた。否、死んでいただろう。こんな危険の大き過ぎる方法を、何故歴代の王は取る?何故、それを誰も辞めようとしない?」
「それは……」
「それだけじゃない。この洞窟に向かった者達は、何故王位継承者以外誰一人として生きて帰ってこない?
マリーヴェル、私達の父には五人の兄弟がいた筈だ。お前は会ったことがあるか?彼らがどこにいるか知っているか?」
「知らないわよ……」
「当然だ。彼らは全員、王位継承権の争いで、父と共にこの洞窟を目指し、帰ってこなかったからだ。父以外の誰一人として、な。
祖父の代もそうだ。彼の時は、十五人もの兄弟がいた筈なのに、十四人は誰一人として戻ってこなかった。
お前の言う通り、私は人数倍性格が悪くてな。幼い頃から全てを疑って生きてきた。
何故、父は私達兄弟を争い合うように育てた?何故、私達は王位を自分達から求めるような思考を強制された?」
リュンヒルドの話の全てに、マリーヴェルは言葉を失うしか出来ない。
そんなことに、強く疑問など感じたことがなかった。それは『当たり前』のことで、そう考えるように教育されてきたのだから。
マリーヴェルはその考えに反発こそしたが、王になる者達がそのように育てられるのは『当たり前』だと認識していた。否、させられていた。
思えばリュンヒルドの言うとおりだ。何故、自分達は幼い頃から互いがライバルであるかのように育てられていたのか。
何故、自分は兄弟の誰もが王になろうとするのを『当たり前』だと思っていたのか。
長兄リュンヒルド、次兄レイドルム、長姉クシャト、次姉ミレイア。確かに好き嫌いはあった、相性があわないと思う者もいた。だが、自分の兄弟達は、強く王を望む性格であっただろうか。
リュンヒルドは性格こそ悪いが、面倒を嫌う性質で王などという面倒事よりも読書しているほうが性に合うタイプではなかったか。
レイドルムは無骨な性格で、頭を使うことが何より嫌いな為、王などとは最も縁遠いタイプではなかったか。
クシャトは何より貴族の華となることを好む女性で、王ではなく王に寄りそう賢妻を目指していたではないか。
そこまで、考え、マリーヴェルの頭に、道中の夜にミレイアが呟いた言葉が浮かんできた。
『出来ないわよ……私は、マリーヴェル程強くないのよ。嫌だって、言えなかった。だって私は、その為だけに育てられたんだもの。
小さい頃から、私達は王になる為だけに学び、競わされ、成長してきたのよ。そんな私達が王位争いから脱落してしまえば、一体何が残るというの……』
何故、王など興味もない彼らが、王を目指したのか。簡単な答えだ、王であらねば無価値だと、ゴミだと刷り込まれたからだ。
幼い頃から何度も何度も刷り込まれた彼らには、その道を目指す以外の道を知らないのだ。だからリュンヒルドの言うとおり、このような思考を強制されていたのだ。
全ては、王位を争わせるため、そしてその争いの場を、この地へと移す為。
思考がうまくまとまらないマリーヴェル。その隣で、青い顔をしていたミレイアは、震える声でリュンヒルドに、訊ねかける。
「お、お兄様……それでは私達は、何のためにこの場所へ呼び寄せられたんですの?この地に一体、何があるというんですの?」
「ミレイア、そしてマリーヴェル。お前達は、私達では比肩出来ぬ程の才と力が在る。だからこそ、私達は決めたのだ。
お前達を、この忌々しい王国の鎖から解き放つ。この呪いと付き合うのは、私達だけでいい。だからこそ、お前達を王位争いから排した。
もういいだろう。さっさと引き返せ。何もかも忘れて、お前達は全てを忘れて己が心と共に生きろ」
「っ、さっきから分かるような分からないようなことばっかり!ちょっとリュンヒルド、この先に一体何が在ると……」
『――代わりに私が説明してやろう。ただの生贄なのだ、お前達は』
リュンヒルドに再び掴みかかろうとしたマリーヴェルだが、洞穴内に響き渡る重く暗い声に身体を止める。
無意識のうちに剣を抜き、臨戦体勢を取ったが、既に敵の術中にはまっていることを知り、唇を噛み締める。
「っ、ミーク、身体がっ!」
気付けば、マリーヴェルの身体を淡い光が包み込んでいた。否、マリーヴェルだけではない。
この場にいる、リアン以外全員の身体が光に包まれていた。何か魔法をかけられたのか――必死に声をかけ続けるリアンがおぼろげに変わってゆき、そしてマリーヴェルは身体を転移をさせられる。
光が解放されると同時に、彼女は戦闘態勢を維持したまま即座に周囲の状況を観察する。
そこに広がっていたのは、先程までと同じように少し広さのある洞窟内部、彼女の背後には、先程と同じ大きな扉。
扉の向こうからリアンの、マリーヴェルを探している声が響いてきていたことから、自分達に起こった状況を分析する。
何者かによって、扉の向こう側へと転移させられた。それもリアンを除いて……否、王族達を一人残らず、だ。
では一体何者によってか……そんなことは考えるまでもない。マリーヴェルはその狩人の瞳に、明確に敵を捕えた。
彼女達の前には、夥しい白骨が朽ち捨てられていた。その積み重なった山の上で、悠然と怪物が佇んでいた。
山羊のような角を持ち、だがその顔は馬のようでもある。体躯は人間と同じ形であるが、右腕は肘から下が蛇そのものであった。
そして何より、その化物は先程言葉を放ったのだ。魔物が人間の言葉を話すなど有り得ない。故に、これは魔物ではない。魔物を超越した、何かである。
「……随分と酷いゲテモノが出てきてくれたけど、アンタ、何よ」
『恐怖に囚われず我が名を問うとは、人間にしては豪胆だな、娘。
我が名はレグエスク。偉大なる魔神七柱がひとり、フェン・ベベ様の忠実なる配下、魔人レグエスクである』
「知らないわね。何よ魔人って、魔物と何が違うのよ」
『私の正体など、貴様にはあまり意味がないであろう。それより知りたかったのではないのか、この洞窟の、お前達が争う意味を。
もっとも、後ろの連中はどうやら気付いてしまっているようだが。優秀だな、実に喰いでがある』
レグエスクの視線の先で、リュンヒルド達は恐怖を押し殺しながらも、必死に睨み返している。
その様子に、マリーヴェルは一つの確信をおぼえる。おそらくこいつが、この滅茶苦茶な王国の、しきたりの元凶なのだと。
そんな彼女に、レグエスクは淡々と事実のみを語っていく。それは、この王国の、王達の忌まわしき歴史。
『今より千年前の話だ。我が主、フェン・ベベ様は一人の人間と契約を交わした。
他国に攻められ、滅びをまつだけの哀れな男に、全てをねじ伏せる程の力を与える。その代償に、その男の血族を生贄に捧げる、それだけの契約だ。
我らは契約の代償として、この洞窟でしかこの世界に干渉出来ぬ。故に、その人間に主は命じたのだ、この場所に、生贄を捧げ続けることを。
貴様達は人間にしては破格の魂を持っている。故に、その魂はフェン・ベベ様の養分として十分過ぎるほどの意味を持っている。
分かるか?貴様達は、我らが主の餌なのだ。人間など、一人残せば後は幾らでも増えてくる。その一匹を傀儡にしてしまえば、労苦せずとも次を運んでくる。
お前達の国は、王族は、我らにとってただの家畜に過ぎんのだ』
「うそ、でしょう……?そんな、そんなふざけた要求を、私達の祖先は呑んできたというの?
そんなふざけた欲望の為に、家族を犠牲にしてきたというの?」
『契約は絶対だ。其を違えることは決して許されぬ。中にはお前達のように、この契約に気付いた者もいた。
我らに頭を下げ、契約の破棄を願い出る者もいた。我らを倒さんと、武装させた人間どもを送り込んでくる者もいた。
人間とは実に愚かな存在よな。その全ては、我が主の養分となるというのに。そのどれもを、我が嬲り殺してみせた。
人間如きが、魔人に敵う筈もない。自分の在る意味を牢記するがいい、お前達は餌なのだ。我ら魔人の、ただの餌に過ぎんのだ』
レグエスクの語る真実に、マリーヴェルは言葉が出なかった。これが、王国の真実なのか。これが、長い歴史のなかで続けられたことなのか。
恐らく、否、間違いなくマリーヴェルとミレイア以外の兄弟は知っていたのだ、このことを。
だからこそ、自分達を王位争いから除外し、自分達が犠牲になることを決めたのだ。
三人のうち、二人は死ぬだろう。だがそれを彼らはよしとしたのだ。自分達が死ねば、国は救われる。国は続く。そして、マリーヴェルとミレイアは生き延びる。
それでいいと、三人は勝手に決めて、死に向かおうとしたのだ。
勝手だ、勝手過ぎるとマリーヴェルは糾弾したくなる。醜い王位争いだと思っていた。下らぬ兄弟達の、下らぬ王権争いだと思っていた。
それが、蓋を開いてみれば、この様だ。自分達のことなんて、微塵も気にした素振りも見せなかったくせに、自分達の為に死ぬことを迷わなかったのだ。
頭にくる。兄も、姉も、みんなみんな頭にくる。もし、ギルドでミレイアと会わなければ、自分は何も知らずにのうのうと生きていたという事実が、頭にきて仕方が無かった。
兄達が、自分の為に死んでいったのを、何一つ知ろうともせずに。そして自分は言っただろう、『欲望に捕らわれて醜いだけの兄弟だった』と、吐き捨てていたのだろう。
悔しいではないか。悲しいではないか。だが、それ以上に、嬉しいではないか。
マリーヴェルは胸の中に湧きあがる気持ちを抑えられない。嫌われていると思っていた。実際、自分も嫌いだと思っていた。
そんな兄弟達が、自分達の為に全てを捨てようとしていたなんて、そんなこと、嬉し過ぎるではないか。
瞳を見開き、意志を込めて、マリーヴェルは一歩踏み出す。向かう先は勿論、全ての元凶に。
『ほう?無駄な抵抗をするつもりか?お前達の内、一匹残ればまた数は増える。一匹先に殺すにも私は躊躇せぬぞ?』
「さっきから黙って聞いてれば、よくもまあ好き勝手にぺらぺらと。慢心もそこまで来ると不快だわ。
何、難しく考える必要なんて何もないじゃない。リュンヒルド『兄様』達は、こいつの生贄となることしか考えてないようだけど……お前が死ねば、全て解決するじゃない。お前の首を刎ねれば、それで」
『人間如きが私の首を刎ねるだと?この魔人レグエスクの首を?――戯け。その傲慢、万死に値する。貴様はここで死ね、人間』
「はっ――死ぬのはお前だって言ってんでしょうが!魔人だか何だか知らないけれど、血族の怨み痛みをお前の死で贖え!」
地を駆けて刃を奔らせるマリーヴェルを迎え撃つように、レグエスクは己が魔力を解き放つ。
彼の蛇腕から放たれる魔力弾、それは恐ろしき速度と力が込められた暴力の結晶だ。マリーヴェルは身体を横へとずらし、一発二発と回避する。
だが、彼女は足を決して止めない。一つ、また一つとレグエスクへと近づいていき、その刃を流れの中にて解き放つ。
魔力を放った反動で動きが鈍ったその隙をマリーヴェルは逃さない。刃をレグエスクの首元へと疾走させ斬りつけた。しかし――
「なっ……」
『愚か者が。そのような棒きれで、我が身体に傷がつくものか』
奔らせた刃が、レグエスクの首元から弾かれる。首を切り離した筈だった。だが、その刃は皮一枚傷つけることすら叶わない。
慌てて距離を取ろうとしたマリーヴェルだが、少しばかり遅い。否、彼女が遅かったのではない、レグエスクが速かったのだ。
左腕を全力で彼女へと叩きつけ、身体ごと押しつぶそうとする。必死にマリーヴェルは剣で受け止めようとするが、その圧倒的な破壊を完全に受けきれはしない。
身体を宙に投げ出され、そのまま岩壁へと叩きつけられる。それは、彼女が城の外に出て初めて敵からもらう一撃だった。
強烈な痛みと押し出される肺の空気に咽るマリーヴェルだが、剣を離すことは無い。すぐに立ち上がり、体勢を立て直す。そう、休む間など無いのだ。
『後悔するが良い、弱き人間よ。貴様如きが魔人に歯向かうなどと、愚かな選択を悔いて死んで逝け』
圧倒的な暴力が、マリーヴェルのもとへ今にも荒れ狂わんと距離を詰めてきているのだから。
2章ラストまであとすこし、しっかり頑張りたいと思います。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。




