15話 報い
暗闇に支配される洞窟内部を照らすように、淡い光をミレイアは放つ。
薄ぼんやりとした光が闇を裂き、うっすらとした暗さの洞窟へと変容する。神魔法を行使するミレイアに、マリーヴェルは容赦なく駄目だしを重ねる。
「ちょっとミレイア、どうしてそんなに光を弱めてるのよ。貴女ならもっと洞窟中を明るく出来るでしょう?サボってないでやりなさいよ」
「サボってなどいませんっ!洞窟内部の明かりは最低限にする、そんなことは常識中の常識ですわ!
強い魔力光は、洞窟内の魔物を呼び寄せてしまうことくらい、貴女の方が詳しい筈でしょうっ」
「馬鹿ね、だから強くしろっつってんのよ。洞窟中全ての魔物をここに呼び寄せるくらいの光を、さっさと放ちなさい。
安心しなさいよ、襲ってくる玩具は、私達が相手してあげるから。ほら、早くしないと私達引き返しちゃうわよ。さーん、にーい、いーち」
「わ、分かりましたわよ!でも、どうなっても知りませんからね!『我らとは異なる世界におわす女神リリーシャよ、その力を我に与えたまえ』、えいっ」
最早やけっぱちと言ってもいいような、そんな投げやりな気持ちでミレイアは両手で抱いている魔力光の玉の大きさを増大させる。
その光は、暗闇を追いやるように洞窟内を照らし、まるで外の明かりと何ら遜色ない程となって。
ようやく満足したらしく、マリーヴェルはうんうんと頷きながら、賞賛の声を送る。
「やればできるじゃない、流石神の子ミレイア様だこと。まあ、後は私とリアンに任せておきなさい。貴女をこの洞窟の最下層にエスコートしてあげるわ」
「ほ、本当に頼みますわよ。私は両手がふさがってますので、何も加勢が出来ません。そのことを忘れないで下さいね」
「要らないわよ。ぶっちゃけ、貴女の戦場は悪いけれど、ここで終わりよ。ここから先は、私達だけのモノ――ほら、早速お客様がお出ましだわ。やるわよ、リアン!」
「了解だよ、ミーク!狼型の魔獣……初めて見るな、こいつも」
彼らの前に洞窟の奥から現れたのは、狼のような犬型の魔獣。ただ、首から上に頭が二つ付いているという、禍々しき容貌をしていた。
それらが六頭ほどの群れを作り、涎を滴らせて三人に唸り声をあげている。
狼型の魔獣が戦闘態勢をとって、今か今かと飛び込もうとしている姿に、マリーヴェルは腰に下げた二本の剣を抜き、愉悦に唇をゆがめる。
そして彼らの先を制するように、真っ直ぐ獣達に向かって跳躍した。
「リアン、ミレイアの子守りは任せたわ!打ち漏らし任せた!」
「分かった、ミークも気をつけて!」
「はっ!一体誰の心配をしてるのよ!」
速度を乗せた右手の剣撃を全力で獣達の中央へと叩き込む。だが、並みの魔物とは違い、狼達はなんとマリーヴェルの剣をかわしてみせたのだ。
外の魔物なら、これで一匹は持って行けたのだが、流石に歯応えが違う。評価としては、外の魔物よりワンランク上をつけてあげてもいいだろう。
けれど、所詮そこまでだ。散開しようとした狼の一匹に対し、マリーヴェルは『予定通り』に逃げ道を塞ぐように左の剣を突き立てる。
第二の刃を想定すらしていなかった狼は、奔る刃に気付くことなく脳天を串刺しにされ、痙攣して生命活動を終える。
その光景に、ミレイアはぞっとするものを感じ、リアンは感嘆し胸を熱く焦がされる気持ちになる。初見の相手にも、マリーヴェルは恐ろしく冷静に流れの剣舞で仕留めて見せたのだから。
仲間を一匹潰され、体制を立て直そうとする狼達の隙を逃しはしない。マリーヴェルは一番近くにいた一匹の腹部を蹴り上げ、吹き飛ばす。
その蹴りの力では、魔物の強靭な身体には深いダメージを与えることは出来ないが、狼の命を奪うには十分過ぎた。何故なら、蹴り飛ばしたその先には、マリーヴェルが認める死神の槍が待ち構えていたのだから。
宙を舞う狼に、リアンは強く一歩を踏みこんで槍を全力で獣ごと大地に叩きつける。まるでトマトを地面に投げつけたかのような紅の跡が華のように広がった。
開戦と同時に群れの二匹を失ってしまった狼達の末路は悲惨だ。群れと役割分担が彼らの強みであり、最大の武器である。それを真っ先に潰されてしまっては、鳥が両羽をもがれてしまったに等しい。
マリーヴェルの容赦ない剣舞が狼の首を切り、逃げようとした狼をリアンが貫き、叩き壊す。
恐ろしいまでの破壊劇に、ミレイアは震えながらもしっかりと光球を維持する事が精一杯だった。よく精神が保てたと自分をほめてあげたいくらいだ。
全ての狼達をものの一分と掛からず始末し終え、マリーヴェルは剣についた血を払い落しながら何事もなかったかのように告げるのだ。
「さあ、どんどん先に向かいましょう。前菜ではいくら食べてもお腹は膨れないものね、次はしっかりと歯応えのある魔物が食べたいわ」
「本当、一つ一つが勉強になるよ。次はどんな相手と戦えるのか、楽しみだね」
言う方も言う方だが、応える方も応える方だ。
嬉々として先に進んでいく彼らを追いながら、ミレイアは思うのだ。多分、この中で普通の人間は、私だけなのだ、と。
次々に現れる魔物達に、マリーヴェルとリアンは確実に一匹ずつ屠っていく。
芋虫のような魔物、人とカエルの合成されたような魔物、亀のような魔物、どれもこれも初めてみるような魔物達が群がるように押し寄せてきたが、二人は問題にすらしなかった。
マリーヴェルが単身で飛び回り、切り込みと撹乱を担当し、リアンが堅牢な守りと圧倒的な力でミレイアに魔物を一匹として近づけさせない。
ミレイアの目から見れば、それはまるで退屈な作業でもしているのではないかと思えるほどの力の差が、魔物と彼らに感じられたのだが、どうやら二人はそれなりに満足しているらしい。
魔物を全滅させる度に、戦闘の反省と魔物の特徴、どうすればよかったかなどを楽しそうに話し合っている。
その光景に、やっぱり二人はそういう関係なのではないかと疑いたくなるミレイアであるが、口には出さない。誰だって自分から虎の尾など踏みたくは無いのだから。
魔物を圧倒して、進んでいく彼らだが、その道中で嫌でも目につきはじめるものがある。それは、冒険者の死体であった。
首を噛み切られたもの、魔物達に群がられ貪られているもの、もはや原形すらとどめていないもの。その数は、奥へ奥へと進むごとに増えていく。
そんな死体を見て、マリーヴェルは動じない。ギルドで金銭を稼いでいた彼女にとって、魔物にやられた死体など、見慣れたものだった。
彼らは己の命を賭け、魔物に挑み、そして殺されたのだ。自業自得とはいわないが、その死に他人がどうこう思うことは無意味だと思っていた。
対してリアンも、少しばかり悲しそうな表情を見せるものの、慌てることは無い。彼も村で魔物退治に参加しており、その時に何人もの村人の死をみてきたのだ。
魔物との戦いは、己の命を賭けている。故に、死は当然つきまとうもの。それを避ける為に、人は鍛錬を積み重ね、武器を磨き、観察する事を学ぶ。
他人の死は事実として受け取る。だけど、他人の死には囚われない。それが、この世界で生きる彼らの常識なのだから。
ただ、唯一ミレイアだけは違った。人の生き死にを経験しておらず、箱の中で育てられた彼女には、刺激が強過ぎた。
何度か嘔吐し、涙することもあったが、その度にマリーヴェルが頭を叩いてぶっきらぼうに励ましていた。何だかんだで彼女も甘いのである。
屍を乗り越えながら、一歩、また一歩と洞窟を踏破していくそんな彼らに、これまでとは異なる状況が襲いかかった。
洞窟の奥から、人々の悲鳴が聞こえてきたのだ。その声に、マリーヴェルは視線だけリアンと交わし合う。恐らくは、彼女の兄弟達の誰かの護衛団が、魔物に襲われているのだろう。
となると、問題はこの後どういう一手を打つのか。どうするのかという視線を、マリーヴェルはミレイアへと向ける。
このパーティの依頼者はミレイアである。すなわち、彼らを助けるか見捨てるかは、ミレイアの判断次第ということになる。
人道的には彼らをここで救うのが当然の選択だろう。だが、ここで彼らが潰れてくれれば、ミレイアは王への道が近づくことになる。
何せ彼らにはミレイアは脱落させられかけた恨みもある。どんな選択肢を選ぶのか、マリーヴェルが興味深そうに見つめていたが、それをミレイアは涙目で一蹴する。
「下らないことを試さずに、さっさと助けにむかってください!人命救助が優先でしょう!」
「いいの?あいつら、あんたのこと騙したんでしょ?」
「いいんです!兄様や姉様が例えここで生き延びても、私には何の問題もありません!
私にはミークとリアンがついているのです!だ、だからこっちに刃を向けるようなら逆に改めて叩き潰してみせますわ!」
「ぷ、ふふふ、あははっ!――よく言ったわ、ミレイア。さて、リアン、依頼者からの命令は絶対よ?ならば、意地でも叶えてあげないとね」
「勿論分かってるよ。――ミレイア様の為にも、魔物を討つ!」
意識を集中させ、二人は叫び声の聞こえた場所へと疾走する。
そこは、洞窟内でも大きく開けた場所だった。二人の視界の前に入ってきたのは、扉の前を塞ぐ巨大な魔物の姿だ。
大きさにして、リアンが五人分ほどの高さはあるだろうか。六本の足で巨大な身体を支える、ウシ型の魔獣が荒々しく何度も地を踏みならしながら唸り声をあげている。
そして、大地に散乱する最早原形すらよく掴めない程に千切れ潰された冒険者だったモノ達。恐らく、あの魔獣に容赦なく踏みつけられたのだろう。
目の前に広がる光景に軽く息を呑みながら、マリーヴェルは視線の隅に彼女が探していた人物達の姿を見つけ、一瞬安堵の息を吐く。
即座に頭を切り替え、自分の半歩後ろを駆けるリアンに荒げるように指示を出す。
「リアン!あの『馬鹿共』の前に!私はあいつの意識を引き付ける!」
リアンの返答を待たぬまま、マリーヴェルは地を蹴り飛ばすように駆け抜け、魔獣を薄く切りつける。
深く剣を入れなかったのは、魔獣の硬さを警戒したからだ。これだけの大型の魔獣を相手にするのは、流石のマリーヴェルも経験がない。
強固な皮と筋肉に、剣は果たして差しこめるのか。仮に差しこめたとしても、収縮した筋肉によって抜くのを阻害されないか。
いうなれば、マリーヴェルが行ったのは触診のそれに近い。魔獣の腕部を切りつけることで、意識をこちらに向けさせると共に、その斬りつけた部位からの『返り具合』を確かめたのだ。
斬りつけた後、大きく跳躍して、魔獣からマリーヴェルは距離を取る。そして、剣が通るという情報を持ちかえることに成功する。
魔獣の意識は、当然斬りつけたマリーヴェルへと向き、魔獣は顔をそちらへと向ける。敵の攻撃がくることを予想し、剣を構えるマリーヴェルだが、その予想は大きく外されることになる。
『グォォォォォォォ!』
「っ、まずい、リアン!」
魔獣は一度二度と足を蹴り上げ、マリーヴェルではなく、反対側へと駆け抜けたリアンの方へと突進し始めたのだ。
舌打ちをして、マリーヴェルは目の前の魔獣の評価を改める。こいつ、頭がいい、と。リアンの方へと狙いを定めたのは、恐らく弱った獲物を逃さない為だ。
何故なら、リアンの背後には、腰を抜かして震え怯えているマリーヴェルの兄弟達がいるのだ。恐らく先にそちらを潰すことだけに意識が向いているのだろう。
そう思考して、マリーヴェルは再び疾走を試みるが、リアンとの接触には間に合わない。頼むわよ、心の中でそう念じながら、マリーヴェルは必死に加速する。
向かってくる魔獣に対峙するリアンは、獣の狙いがこちらだと即座に認識し、獣に対抗するように前へと疾走する。
それは、彼の後ろの王族達と距離を取ることで、彼らを巻き込まないようにする意味が一つ。そして、自分から距離を潰すことで、マリーヴェルとの距離も縮めることで出来る意味で一つ。前に出るという判断は、英断といえるだろう。
だが、そう褒められるのは、あくまで魔獣の突進を止められた後だけだ。自分の何十倍もの重さを持つ獣の、それも加速の付いた突進を前に出て止めるなど、普通なら正気の沙汰ではない。よほど自信があるか、馬鹿でなければ選べない選択肢だ。
リアンは大きく踏み込み、両足を力強く大地に踏みつけ、腰を落として槍を構える。正面からの力比べに、真っ向から挑むことを選択した。
大きく開いていた距離は、一人と一匹の疾走によって、ついにゼロとなる。強烈な衝撃音と共に、リアンの槍と魔獣の角が火花を散らす。
そして、大きく後退したのはリアンだ。衝撃を完全に押し殺すことは出来ず、大地を抉りながら魔獣にぐいぐいと押し込められてしまう。
しかし、それこそがリアンの狙い。大地を足が抉っているというのは、それだけ抵抗を生んでいるということだ。ならば、魔獣の前進速度はかなり低減させることが出来た筈。
ならば、この賭けはリアンの勝ちだ。この戦闘は彼と魔獣の一対一ではない、リアンには優秀過ぎるほどの剣姫がついているのだから。
「ぁあああああああっ!」
閃光一閃、背後から恐ろしい加速をつけて、マリーヴェルは魔獣の六ある脚の一番後ろ右を強く切りつける。
これだけの巨体を支える脚だ、どれだけマリーヴェルが加速をつけて、どれだけ強く斬撃を加えようと、簡単に斬り落とせるものではない。
だが、切り落とせなくとも、バランスを崩すことは出来る。痛みに耐えられず、魔獣の巨体が大きく沈み込む瞬間を、リアンは逃さない。
鍔迫り合う槍を引き戻し、恐ろしい程の力を込めた鋭い突きを、右前脚へと叩き込む。それも一撃ではない、リアンの槍は重い連撃を可能とする。
返す刃で三度、四度、五度と貫き、巨体を持つ魔獣の右足を完膚なきまでに破壊する。これで六ある脚のうち、二が破壊されてしまい、魔獣は自立する事が不可能となる。
片側を集中的に削られた為、巨体を支えることは出来ず、大きな音を立てて魔獣は身体を大地へと叩きつけられた。
その光景に、槍を下げようとしたリアンだが、その刹那、マリーヴェルから大きな声が飛んでくる。
「馬鹿リアン!まだ終わってないわ、気を緩めないで!そいつは後ろの馬鹿達を狙ってるんじゃない、『貴方だけ』を狙ってるのよ!」
マリーヴェルの言葉通り、魔獣はリアンに向け口を開き、何かを彼に向けて放出した。
彼女からの指示のおかげで、間一髪その何かを避けたが、それが大地に付着した光景を見て戦慄する。
何もない湿った大地から強烈な炎が一瞬にして燃え上がったのだ。幸い、土の上の為燃え移るものは何もなかったが、それでもリアンは自身の油断を恥じる。
もし、あれが自分に付着していたら、一瞬にして火達磨にされていた。気を引き締め直し、そしてマリーヴェルに感謝して、リアンは槍を一度二度と大きく回して、勢いをつけて魔獣の胴体へ突き刺した。
臓腑を貫かれ、悲鳴と共に大きく悶える魔獣が、四方八方に先程の発火液を放出するが、マリーヴェルとリアンはそれを巧みにかわしていく。
当たらぬことを悟った獣は、ならばとばかりに壊れた脚に構わず再び大地に立ちあがろうとするが、それが敵うこととはない。
魔獣の頭が、美しき少女の脚に踏みつけられ、その少女は唇を美しく歪めながら無慈悲な宣告を突き付けたのだ。
「残念だけど、貴方はここで終わりなのよ。もう十分暴れたでしょう?足りないというのならば、貴方の心残りの分は、私が代わりに暴れてあげるわ。だからさっさと――無様に息絶えなさい」
そこから彼の瞳が恐ろしき少女を移すことは無い。まず初めに獣の目が潰された。両目共に深く剣で抉られたのだ。
続いて臓腑を完膚なきまでに壊された。肺を、腸を、生物が動く為に必要な臓器、そのすべてを。
この洞窟に生まれ、数百年。この門を守り、『王族以外』の侵入者を排除せよと命じられたその獣は、あっけない最後を迎えることになる。
古来の時より数百人もの命を奪った獣の末路は、恐ろしい程に惨めで。誰よりも無様な亡骸を晒して、その生涯を終えた。
マリーヴェル乱舞。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございました。次も頑張ります、よろしくお願い致します。




