128話 極み
先陣を切るノウァ、その加速のついた大剣は残像すら残さない、まさに雷光の一撃。
闇の黒鎧によって全ての身体能力を向上させたノウァは、かつてのサトゥンすらも上回るかもしれない。それほどまでに今のノウァの強さは極まっている。
「ほう? 先日戦った時とは比べものにならんな。力を隠していたか」
「――チッ!」
ノウァの黒剣による一振りを、ヴァルサスは馬を半歩ほど下がらせて回避する。
否、ただ回避しただけではない。ノウァが剣を撃ち込む瞬間、彼は裏拳を剣の柄へと軽く押し当てた。
たったそれだけのことで大きく剣が外れる筈もない。ましてや、ノウァは剛力無双、そのような抵抗など物ともせずに呑み込んでくれよう。しかし、僅か、ほんの僅かに呼吸を乱すこと、それだけでヴァルサスには十分過ぎた。
流れる動きに一針を刺すことで、小さな穴を生み出し、そこを再度突くように戦いを組み立てる。それだけで彼はノウァを手玉にとっていた。
ノウァの返す刃がヴァルサスの首へ奔るが、彼の意識は既にノウァにはない。
ヴァルサスの視線は遅れて訪れる第二、第三の刃へと向けられていた。
ノウァの黒剣を回避し、流れる動きで彼は槍を一閃する。それだけで、二対の風神は動きを止めざるを得ない。
「くっ」
「まさか、間合いを読みきりますか……」
ヴァルサスの牽制で動きを止められたのはマリーヴェルとメイアだ。
彼女たちがもう半瞬ほど判断が遅ければ、間違いなく二人の首は胴体と別れていたであろう。それほどまでに完全なタイミングでヴァルサスは二人の動きを封殺した。
大きく槍を旋回させ、そのままの勢いでノウァと武器を打ち付け合う。ノウァを引き込むように後ろに後退するが、それもまた彼の一手。
「っ、撃ち合わせてすらもらえんか!」
振り上げようとした斧を止めたのはグレンフォードだ。
ヴァルサスはノウァと激しい剣戟を交わしながら、彼をグレンフォードの盾として動きを誘導していたのだ。
味方を巻き込むわけにはいかず、グレンフォードも自慢の斧を取りまわせない。それはリアンも同じだ。彼もまた、ノウァを巻き込むことを恐れて踏み込めずに躊躇してしまう。
「数が多ければ戦いは有利に進めるというものではない。それはレーヴェレーラ軍の役立たずどもが敗北を以って示したはずだがな。戦いには絶対強者が一人存在すればそれで終わる」
「その通りだ! そしてその絶対強者は俺様であり、貴様は俺様の前に這いつくばることになる!」
「愚かだな。想像を絶するほどの身体能力を得て元気を取り戻しているようだが、それでは俺に勝てんと言ったぞ」
「ほざけ!」
ノウァは剣を翳し、その刀身に黒き焔を纏わせる。
それは彼が本気で敵を仕留めるときに見せる最強の武器。
「馬上から鬱陶しい! まずは貴様を地に下ろしてやろう!」
「無理だな。貴様には」
ノウァの黒き斬撃がヴァルサスの白馬へと奔るが、その剣をヴァルサスが槍で救い上げる。
勢いのある攻撃は支点さえ抑えれば流れやすい。恐ろしき精密な作業で、ヴァルサスはノウァの攻撃を退けていく。
そんな二人の攻防が繰り広げられるなか、戦場を風切り音が疾走する――だが、放たれた刃はヴァルサスの愛馬を貫くに至らない。
飛翔してきた光の矢を、騎馬は歯で咥え、噛み砕くことで霧散させてしまったのだ。
その姿を観察しながら、矢を放った少年――ラージュは息を吐き出す。
「やはりあの馬も特別なようだね。あれだけの戦いについていくのだから、当然といえば当然だけど」
「なら今度は私の出番。いくよ。みんな下がって」
ラージュと入れ替わるように、ライティが前に出てヴァルサスへ向けて砲撃を放つ。
全てを飲み込むような黄金の輝きが、ヴァルサスと愛馬を捉える。英雄随一の破壊力を秘めたライティの魔法だが――ヴァルサスの前では無力に終わることになる。
魔法がたどり着くより速く、ヴァルサスは片手を魔法へ向けて突き出した。
刹那、ヴァルサスと愛馬を黄金の光が包んでいく。彼らを纏った輝きは、まるでライティの魔法から護るように展開され、大きな盾と変容した。
その光景を見て、メイアとグレンフォードは驚愕する。
「あれは……まさか、闘気!? そんな、魔法を弾く障壁を生み出せるほど濃密な闘気だなんて……」
「なるほど……ノウァの言っていた意味、よく分かった。確かに奴は、俺たち英雄が目指すべき世界――『遥か遠き到達点』に辿り着いた戦士に他ならん」
「感心してる場合じゃないわよ! あいつをぶっ倒さないと戦いは終わらないんだから! リアン!」
マリーヴェルの言葉に呼応するように、リアンは闘気を解放し、地を疾走する。
リアンとマリーヴェルのコンビネーション、それは英雄たちの中でも随一と言っていい息の合った戦法だろう。
個々が強者であり、単独戦に秀でた英雄たちの中でも、この二人は近接戦闘において相乗効果を発揮する力を持っている。
ゆえに、二人がかりながら少しでも切り崩せる――そう踏んだのだが。
「脆弱だな。覚醒していない英雄とはこの程度か」
「があ!?」
「きゃあ!」
リアンの神槍とマリーヴェルの二剣、同時に繰り出された攻撃をヴァルサスは一振りでねじ伏せてしまう。
円の軌道を描く槍の一閃に、二人は大きく弾き飛ばされる。武器に当たったから助かった、命拾いしたと評価したほうが正しいかもしれない。ノウァの剣を防ぎながら、ヴァルサスは一瞬にして若き英雄を返り討ちにしてしまったのだ。
二人と入れ替わるように前に出たのはグレンフォードとメイアだ。
百戦錬磨の英雄二人、そしてノウァの三人。この世界でも指折りの強者の演武が繰り広げられるが、それも長時間は持たない。
闘気をグレンフォードが武器に纏わせても、当たらなければ意味がない。メイアが分身体でいくら翻弄しても、その全ての斬撃をヴァルサスはいなしてしまう。
そして、僅かな隙を巧みに作り出し、そこからなし崩しに連携を崩壊させてしまう。
槍を一閃させ、三人はリアンたちのように大きく後方へ叩き飛ばされてしまう。
それを見て、後衛の守りについているロベルトは息を呑む他ない。
「マジかよ……グレンフォードの旦那やメイアさんも届かねえのかよ」
「参ったね。先ほどから矢を放ったり、みんなの身体能力を引き上げたりしているんだけど、何の意味もないようだ。顔色一つ変えられないとはね」
起き上がった英雄たちが、次々に再び立ち向かっているものの、ただの一太刀すらヴァルサスには届かない。
馬上の利を巧みに使い、上方からの正確無比の攻撃。卓越した戦闘技術。多対一をものともしない在り方――それはまさしく、一騎当千、無双に相応しい。
英雄たちを一蹴し、ヴァルサスは表情一つ変えることなく、視線をある男へと向ける。
「無駄だ。目覚めていないこいつらでは俺に何一つ出来ぬと分かっているはずだ。遊びの時間は終わりだ。貴様らが『本気で』かかってこなければ、女神に造られた俺は止められんぞ――サトゥン、カルヴィヌよ」
ヴァルサスの視線の先には在るのは、最強の魔神勇者と紅の魔神。
サトゥンが腰を深く落とし、カルヴィヌが鞭を構える。静寂が草原を支配する中、その張りつめた空気を破壊するように――地を疾走するサトゥンの咆哮が大空に響き渡った。




