114話 暗騎
サトゥンとマリーヴェルたちが屋上で大騒ぎをしている同時刻。
城の中で最も空に遠い場所にて、リアンの告白とはまた異なる大きな動きが生じていた。
地下で眠り続けていたレーヴェレーラ第五軍、遊神隊の長であるニーナ・アプリアが目を覚ましたのだ。
「……ここ、は」
ゆっくりと目を開き、覚束ない意識のままニーナは独り言を呟く。
目覚めたばかりの彼女に分かるのは、自身の体がベッドに寝かされていることくらいだろうか。
覚醒と共に情報収集を脳が図ろうとするが、其れよりも早く、彼女の意識は強制的に目を覚まさせられてしまう。
己が喉元に、嫌というほど見慣れた剣が突きつけられたのだ。
「……怪我人相手に容赦がないわね。負傷者に剣を突きつけるなんて、自慢の騎士道が泣くわよ、偽善者」
「お前の体の傷はミレイアが完治させている。武器は取り上げているが、暴れられても困るからな。おとなしくしてもらうぞ、ニーナ」
剣を突きつけている相手、それはニーナが心底嫌っていた元同僚であるクラリーネだ。
彼女はニーナの見張り役として、この場所を任されている。ないとは思うが、暴れたりする可能性はゼロではない。それゆえに、クラリーネは剣を突きつけて先を制したのだった。
だが、喉元に剣を突きつけられても、ニーナは動じない。くああと大きな欠伸を一つして、クラリーネに問いかける。
「ここはキロンの村? わざわざ私を内側に連れてきたわけ?」
「その質問に答えると思うか? 情報を得て脱走する可能性もあるというのに」
「いいじゃない。武器も取り上げられているし、私にはアンタに勝てる算段なんて何一つないもの」
「武器は無くても戦う力ならあるだろう? 我ら呪われし六使徒ならば……」
「はっ、安心しなさいよ……役立たずの私は既に神から見捨てられているわ」
神に見捨てられた。その言葉に、クラリーネは記憶を先日へと遡らせた。
ニーナを倒したとき、最後に彼女が見せた変貌。
普段の彼女とは全く異なる、別人が憑依したかのような様子で自害しようとした姿はクラリーネの記憶に新しい。
その後、ラージュにニーナを診断してもらったが、彼女の体に異形の力らしきものが見当たらないと告げられた。
戦闘で見せた異形化、その力が体内から消え去っていることに、サトゥンは巫女シスハに憑依していた者が回収したのだろうと予測していた。ニーナの発言からして、それは正解だったのだろう。
「異形の力の回収……そんなことができるのか」
「現に私がそうなっているのだから、できるんでしょうね。はっ、無様。奪われる弱者として終わりたくない、奪う側に立ちたい一身でどんなことだってやってきて、ここまで来たっていうのに、最後の最後でこれだもの。笑っちゃうわね。さ、殺しなさいよ。後悔なんてないわ」
「……その判断を下すのは私ではない。おそらく、お前を殺す判断を彼らがするとは思えないが」
「はっ、随分と甘い連中に絆されたのね、裏切者。アンタのそういう良い子ぶるところが嫌いだったのよね。アンタも私と同じ、返り血の匂いを充満させた殺人鬼だっていうのに」
「否定はしない。どんな理由があるとはいえ、私は大罪を犯している。それを償うために、私の今の命はある」
「馬鹿らしい。償いなんてできっこないわ。裏切者のアンタも役立たずの私も、すぐに殺されるんだから。アンタや私をヴァルサスが生かしておくはずがないでしょう?」
――ヴァルサス・レザードウィリス。
レーヴェレーラ軍筆頭騎士にして、軍のすべてを統括する最強の騎士。
十も数えぬ頃に、前巫女に見出され、メキメキとその素質を開花させ、十五で軍団長の座についた恐るべき鬼才。
他国の英雄との対外試合や魔物討伐に出ていないため、その名をあまり他国に轟かせてこそいなかったが、彼の実力は武人であるクラリーネは痛いほどに熟知している。
一切の無駄がなく、最小限の手で敵を追い詰め、殺す。あまりに隙が無く、彼が敵から攻撃を受けたことなど、その生涯で一度もない。ゆえに、最強。
だが、それはまだ、あくまでクラリーネの知る『人間』としてのヴァルサスの姿に過ぎない。六使徒であり、その筆頭である以上、彼も当然女神から『異形の力』を与えられているだろう。
彼は力を解放せずにノウァを打倒している。その彼が異形の力を解き放ったとき、いったいどれほどの力を得ると言うのか。
それを理解しているからこそ、ラージュが口を酸っぱくして何度も繰り返すのだ。
この戦場において、何よりも恐ろしいのは万を超える兵士などではなく、一のヴァルサスなのだと。
「あいつの狂信者ぶりは知ってるでしょう? アンタたちがエセトレアで女神を侮辱した以上、その運命は最初から決まっているのよ。女神に仇成す者は殺す、それがあいつの絶対にして唯一の掟だもの。覚えているでしょう? あいつの引き起こした、エヴィラの街の惨劇を」
「エヴィラの街、か……」
かつて、レーヴェレーラ国内にて、リリーシャ教を止めて新興宗教を起こそうとした街があった。
その街の規模は大きく、数万人の住むレーヴェレーラ有数の都市だった。
だが、その街はいま、この世界の地図には存在しない。その街の住人全てを、ヴァルサスが一人残らず惨殺したからだ。
女神への裏切りは絶対悪。女神を信じぬ人間に生存権はない。彼は表情一つ変えないまま、老若男女問わず全てを殺し尽したのだ。
街を守ろうと数千の兵も立ち向かったが、それを物ともせずに屠り捨て。たった一人で全てのことを終えたヴァルサスを、前巫女はことさら寵愛するようになり、確固たる立場を築き上げることとなった。それがエヴィラの惨劇である。
「あれは化け物よ。神が生み出した最高の殺戮人形だわ。誰が相手でも勝てっこないのよ。そう、人間如きが女神とその眷属に勝てるわけがない。だから私もアンタも膝を折って従属したんじゃないの? 死にたくないから、蹂躙されるだけの弱者になるなんて絶対にご免だからこそ必死に尻尾を振って縋り付くしかなかった」
「……希望はある。ここには英雄たちが、サトゥンがいる。彼らはエセトレアで、巫女シスハを退けてみせた。彼らならば、ヴァルサス相手だろうと、負けはしない」
きっぱりと言い放つクラリーネに、ニーナは気圧されるように黙る。
そして、全てを放り投げるように視線を背け、寝転がりながら言葉を紡ぐ。
「あがいても絶望するだけだわ。馬鹿な奴ら。抵抗しても無駄なのに」
「もうすぐラージュたちがここに来る。その時には持っている情報を全て吐いてもらうぞ」
「いいわよ。どうせ何があろうと私が死ぬのに変わりはないんだし。ヴァルサス相手に、どこまで無駄な抵抗が続くか楽しませてもらうとするわ――あの男に勝てる奴なんて、この世に存在しないのよ」
全てを諦め、自嘲するように吐き捨てるニーナの言葉。
それを耳にし、同意しそうになる思考を強く否定する。この世界に絶対など存在しない。不可能を可能にする奇跡、それをサトゥンたちがエセトレアでみせてくれたではないか。
ならば自分は彼らを信じ、少しでも力になれるよう助力するだけだ。それが救われた自分にできる、罪滅ぼしであり、望むべきことなのだから。
翌朝、サトゥン室の会議室に英雄たちは集合する。
ラージュたちの反攻作戦の詰め作業を終え、それを皆に指示をするために集まっているのだが、ある男に英雄たちの視線が自然と集まってしまう。
「ノウァさん、体は大丈夫なんですか?」
壁に背を預け、腕を組んでいるノウァに、リアンは心配そうに訊ね掛ける。
彼は先日、ヴァルサスと一対一で戦い、完膚なきまでに叩きのめされてしまった。
その傷は深く、カルヴィヌが治癒したとはいえ、完全に復調するまで時間がかかると見通されていた。
また、サトゥン以外の人間に一蹴されたことが、プライドの高いノウァの心を傷つけてしまっているのではないかと危惧していた。
よって、ラージュたちは彼がこの戦いの中で復帰するのは極めて難しいと判断していたのだ。
そんなリアンに、ノウァは片目を開いて、彼を見据えながらきっぱり告げる。
「体の心配は不要だ。傷などそこの魔人に塞いでもらっている」
「そうですか……では、ノウァさんも戦いに参加して頂けるのですか?」
「当然だ。奴は……ヴァルサスは俺様が必ず殺す。絶対にだ」
ぎらつくほどに殺意をむき出しにするノウァに、リアンは息を飲む。
彼がこれほどまでに悪意の籠った殺気を向けるのは初めて見た。サトゥンとは異なりながら、悪に徹しきれない憎めない魔族である彼が、初めて見せる姿かもしれない。
そんなノウァに対し、マリーヴェルがリアンの背中に抱き付きながら文句を言う。
「ちょっと、リアンを睨んで殺気ふりまかないでよ。アンタの相手はリアンじゃないでしょ」
「む……確かに。すまんなリアン」
「いえ、それは構いませんが……ノウァさんがそうやって殺意を表に出すのは珍しいなと驚いちゃいました」
「ふん……奴は生かしておいてはならん。あれを人間として生かしておけば、必ず『人間に』牙を剥くだろう。奴は、誰かが殺さねばならん存在なのだ」
「それは……」
言葉の意味を追及しようとしたリアンだが、ノウァが話は終わりとばかりに切り上げてしまった。
そんななか、ラージュが話し合いの始まりという形で口を開く。
「それでは、みんなも集まったことだし、早速始めようか。知っての通り、キロンの村を目指して、レーヴェレーラ軍は接近を続けている」
壁に貼った地図に、ラージュは指し棒で示しながら、第一軍、第二軍、第三軍、第四軍のおおまかの位置を示していく。
昨日の偵察から得た情報を展開していき、それを受けてロベルトがぽつりと言葉を紡ぐ。
「第二軍の動きが速えな……下手すりゃ、今日の昼には村に到着するぞ」
ロベルトの目には、村の南東から攻め入ってきている第二軍があった。
彼の言葉に、クラリーネが補足するように第二軍の説明をする。
「第二軍、『黒神隊』。リックハルツ・ナルバルが率いる、歩兵剣士を中心に編成された、通称『人斬り部隊』。馬も重鎧も使わない、軽装な彼らだからこそ、山道を物ともせずに進軍を可能としたのだろう」
「その通り。彼らは分断されても山道を苦にせず、あれよあれよという間に接近している。まあ、これは僕らにとって非常に僥倖、涙が出るくらいありがたいことだね」
「敵は未だにこの戦いを一方的な狩りとみなしているようですね。ですから、他軍と歩調を合わせることなく、自軍だけで蹂躙できると考えている。ならば、つけ入る隙は十分にあります」
メイアの言葉に、ラージュは頷いて笑う。
そして、英雄たちに次の作戦の目的を告げる。
「僕たちの次の戦う相手は第二軍――黒神隊だ。彼らを『歓迎』するための準備は村人たちの協力によって嫌というほど整っているからね。たっぷりと彼らに教えてあげようじゃないか、この山の恐ろしさ、生きることの厳しさを」
ラージュの言葉に、英雄たちがつられるように苦笑する。
なぜならそのとき浮かべていたラージュの笑顔が、とんでもない悪戯っ子のように見えてしまったから。
更新が一日遅れてしまい、申し訳ありません。
次回更新は3月17日(木) 夜を予定しています。




