111話 恋愛
「そうです、イワルさん一家は三階右手に行った先、一番奥の部屋です」
「リアン坊、家畜はもう移動させておいたほうがいいか?」
「ええ、お願いします。家畜専用の広間を地下に二部屋ほど準備していますので。何か問題があったら適宜連絡してください」
リアンの返答に、納得した村人が指示された部屋に荷物を持って移動していく。
それを見届けながら、リアンは用意された紙面の名前に一つバツをつけた。
現在、キロンの村に住む村人たちはサトゥン城へ一斉避難を行っている最中だ。
一万を超える軍勢が迫っており、兵たちの到来に備えて堅牢なサトゥン城へ避難することになったのだが、村人の誰もが不平不満も言わず、英雄たちの指示に従ってくれた。
そのことにリアンは誰よりも安堵していた。今回の件は内容が内容だけに、村人たちの心が恐怖に支配されてもおかしくないことだった。
けれど、こんな状況でも、恐怖に心折れず、落ち着いて行動してくれているのはきっとあの人のおかげなのだろうとリアンは確信していた。
「サトゥンさま! 村に悪い奴らがいっぱいくるの!? 僕たち危ないの!?」
「うはははははは! 心配することはないぞ、子どもたちよ! 何せこの村には私、勇者サトゥンがいるからな! お前たちは何も不安に思わず、全力で遊びまわるがよいぞ! 最強の勇者が誰かに負けたりするであろうか! 否、断じて否! 決して折れぬ最強の存在、それこそが勇者なのである! むはははは!」
「むははー!」
広間で子どもたち十数人に群がられ、がははと高笑いを響かせるサトゥン。
遊びまわる彼らの姿を眺めながら、リアンは笑みを零さずにはいられない。あの子供たちの笑顔こそ、村人たちの想いの形そのものなのだろうと。
かつて自分たちを救ってくれたサトゥン。
死にゆくだけの未来を変えてくれた神にも等しい存在。
彼がいるからこそ、村人たちは何一つ恐怖せずに信じられる。一度は死んだ命、彼にその全てを託すことに何の迷いがあるだろうか。
「サトゥンの為なら死ねるっ! そんな感じよね、村の人たちって。引っ越し作業、大分進んでるみたいじゃない」
「わっ!? マリーヴェル、ち、近いからっ」
リアンの肩越しに紙を覗き込んできた少女に、リアンは思わずびっくりした声を上げる。
吐息のかかる距離、そのことに意識が集中してしまう少年の心を理解せず、マリーヴェルは楽しそうに口元を緩めて彼を茶化す。
「何、もしかしてちゃんと意識してくれてるの?」
「そりゃするよ……僕だって男だよ。マリーヴェルは僕のこと、何だと思ってるの……」
「サトゥン愛に生きる鈍感男。なーんてね」
くるんと身をひるがえし、マリーヴェルはリアンに向き合うように立って悪戯っ子のように笑う。
気まぐれ猫のような彼女に、リアンは頬をかく。時々彼女はリアンに対してドキッとさせる仕草を見せるため、年頃の少年としては何とも困ってしまう。
「マリーヴェルの方は作業進んでる?」
「もちろん。農作物の大方は運び込み終えているわ。水も確保できたし、ミレイアがいる限り浄化魔法に困らないし。この感じだと三カ月だって籠城できるんじゃないかしら」
「そこまで長期間になるのは流石に困るよ……」
「冗談よ。ラージュ達も帰ってきて、今後の作戦を練ってくれているわ。もうすぐ反撃に打って出るでしょうから、それまでは我慢ね。それじゃ、仕事の邪魔しちゃ悪いから私は行くわね。またねっ」
手をひらひらとさせて、マリーヴェルはサトゥン城の奥へと向かっていった。
そんな彼女の様子に、リアンは少し安堵する。最近のマリーヴェルはどこか不安定な感じがしていたため、リアンとしてはかなり気になっていたのだが、今日の彼女はいつも通りだ。
彼女の後ろ背中を見送っていたリアンだが、そんな彼に声をかける筋肉が一人。
「ふむ。あれは誰より強そうに見えて、その実、心は繊細なところがある故な。あとで今一度声をかけてやるといい!」
「サトゥン様。見ていたのですか?」
「当然である! 英雄の行動、その全てを私は愛しく想っている故、お前たちの行動は可能な限り記憶に刻みつけておるぞ! この時間一分一秒一刹那が私にとって宝物、たとえいずれ朽ち果てるときが訪れたとしても、決して忘れないようにしておかねばならぬのだ」
「サトゥン様……?」
「話を戻そうではないか! 時にリアンよ! お前はどうも女の扱い方が下手であるな! 女心というものを全く分かっておらぬと日々お前の母が嘆いておったぞ! このままでは女たちに愛想を尽かされて嫁に来てくれないんじゃないかと不安がっておる!」
「え、えええ!? 母さんがそんなことをサトゥン様に相談してたんですか!?」
目を丸くして驚くリアンに、胸を張ってふんぞり返るサトゥン。
その横を偶然ロベルトとライティが通り過ぎたのだが、ロベルトがぼそっと『いや、旦那のどの口が女の扱い方を説けるんだ』と突込みを入れたりしていたが、厄介ごとに巻き込まれて酷い目にあいたくないので小声に抑えていた。
困惑するリアンに、サトゥンは珍しく真剣な表情で力説する。
「この問題は他人事ではないのだ! 私はお前の子ども、孫に至るまでこの手で育てる予定を詰め込んでおる! そのお前が女の一人も作れないでは、私の英雄計画が根本から崩れてしまうではないか! リアンよ、子は良いぞ! 子とはこの世の宝物である!」
「えっと……そう言われましても、そういうのは、あの、まだ」
「まだなものがあるか! マリーヴェルともメイアとも両想いであろうに、いったい何を戸惑う必要がある! お前だって二人を愛しておるのだろうが!」
「わ、わあああああ! サトゥン様、こ、声を抑えて下さい!」
突然の暴露に、慌てて制止するリアンだが、そんな叫びを周囲の村人たちは気にしない。
というより、リアンとマリーヴェル、メイアの関係を村人全てが知っており、誰と結ばれるか賭けの対象になっているくらいなので、驚く必要がないのだ。
顔を真っ赤にしてあうあうと口をパクパクさせるリアンに、サトゥンは肩に腕を回し、腰を屈めて内緒話をする。
「むふん、私がどれだけお前と一緒にいると思っておる。リアンの恋心の一つや二つ、見破れぬと思っているのか」
「い、いえ、それは……あの、すみません、何といえばいいのか……」
「別に咎めておらぬだろう。お前の母親ではないが、私も少しばかり不安になったのだ。もしやお前、その恋心を永遠に隠しておくつもりなのではないだろうかとな」
「ですが……その、僕の抱いている感情は、あまりに不誠実です……マリーヴェルにもメイア様にも惹かれているなんて、そんなの言えるわけないです……」
「馬鹿者! それのどこが不誠実なのだ! マリーヴェルの兄など三人も妻がいるではないか! そもそも英雄が妻の数など問題にして何とする! お前が望むなら五人でも六人でも十人でも妻にすればよいのだ!」
「そ、そんなにいません! 僕が好きなのはマリーヴェルとメイア様だけで……」
「ならばそれをしっかりと伝えるがよい! これは勇者の勅命である! リアンよ、その想いを今宵、しっかりとマリーヴェルとメイアに伝えるのだぞ!」
「え、えええええ!?」
サトゥンのとんでもない命令に、リアンは絶叫に近い悲鳴をあげる。
彼の珍しい叫び声に、村人たちの視線が集まるが、サトゥンと一緒なので『ああ、またサトゥン様が何かやってるんだな』と流されてしまうだけなのだが。
ガチガチに緊張するリアンの背中をバシバシと叩きながら、サトゥンはニッと笑って好き勝手に言い放つ。
「ふはははは! どんな逆境をもその勇気と不屈の闘志で覆してきたリアンなら簡単なことであろう! さあ、今宵中に頑張って二人を口説き落とすのだぞ!」
「む、無理ですっ、僕には絶対に無理です! 許してください、サトゥン様! そもそも、今はこんな状況で、それどころじゃ……」
「こんな状況だからこそやるのだろうが! 最初から諦めるなど英雄らしからぬ行為である! よいか、リアン、成否は問わぬ! 今宵までに必ず二人に想いを伝えるのだぞ! もしそれができていなかったならば……」
「な、ならば……?」
「カルヴィヌに頼んでお前を女にして私の子でも産んでもらおうではないか! 勇者と英雄の子ならば、さぞや素晴らしい子として育つであろう! うはははは! それが嫌なら必死に頑張ることだ! 期待しておるぞ、本懐を遂げて勇者となるがよい、リアンよ!」
二度三度とリアンの肩を叩き、豪快に笑いながらサトゥンは去っていった。
その後ろ姿を呆然と眺めながら、リアンは震える声で声を漏らした。
「と、とんでもないことになっちゃった……」
顔を真っ赤にして、頭を抱えてその場に蹲るリアン。
それは、どんな強大な魔物と対峙するよりも困難を極める内容であった。
「どうしたの? 随分とらしくない『発破』をかけたじゃない」
サトゥン城の廊下、それを曲がった先にカルヴィヌが壁に背を預けてサトゥンを待っていた。
そのカルヴィヌを前に、サトゥンは口元を緩め、静かに笑って言葉を返す。
「理由はお前が一番分かっているだろう? リアンたちの気持ちは既に知っている。時間の問題であるならば、背を押してやるべきであろう。以前の『俺』と同じ轍を踏むつもりはない」
サトゥンの言葉に、今度はカルヴィヌが目を丸くした。
静寂が支配する中、ふっと息を吐き出し、紅の美女は悲しげに微笑む。
「思い出したのね。前のこと」
「そうなるように仕向けておいてよく言う。だが、感謝している。おかげで私の選ぶべき『道』と備えるべき『覚悟』が理解できた。この世界で私は同じ過ちを繰り返すつもりはない。あんなにも想いあっていた者たちが、立場ゆえに殺し合う世界など……決して許さん」
「重ね過ぎては駄目よ。以前と今のあの子たちは違うわ。リアンも、マリーヴェルも、メイアも今を生きている。同じ道をたどる可能性は限りなく低いわ」
「……『俺』を臆病だと笑うか、カルヴィヌ」
「まさか。我が子のために尽力する父の背中を見て嘲笑う娘はいないでしょう?」
カルヴィヌの返答に、サトゥンは瞳を閉じて笑う。
どこまでも穏やかな笑みには、言葉に出すよりも何倍もの感謝が含まれていることを分かっている。だからこそ、カルヴィヌは何も言わない。
静かに流れる時間の中で、カルヴィヌはそっと彼に問いかける。
「どうするの? この戦いの最後には、必ずあの娘がいるわ。あの娘は私やガノート、ラクティエとは違う道を選んだ。あの娘はあなたを滅ぼした人間を心から憎んでいる」
「それは違う。人間が『俺』を滅ぼしたのではない、『俺』が自ら死を選んだのだ」
「あの娘にとっては同じことでしょう? あなたと同じ立場になり、神として在り続けたあの娘は以前のあなたと同等かそれ以上。あの娘を倒すには、あなたの本来の力が必要となる。あなたと、十二の英雄の力が」
それはどこか責めるようにすら感じられる声調だったかもしれない。
カルヴィヌの問いに、サトゥンは口を閉ざして答えを返せない。
そんな彼に、カルヴィヌは大きく溜息をついて、もう一度分かりやすく要求した。
「――最後の枷を解きなさい、サトゥン。私の告げた『時』は既に迎えている。あとはあなたの意思一つだわ。枷を解いて、強引にでも十二の英雄を……いいえ、ミレイアだけは絶対に『覚醒』させなさい。でなければ、あの娘に――リリーシャに勝てないわよ」
カルヴィヌの言葉に、サトゥンは最後まで言葉を返すことはなかった。
ただ、無言のままに去っていく、彼の足音だけが廊下に低く響いて。
次の更新は3月10日(木) 夜を予定しています。




