109話 出鱈目
空中で対峙するラターニャとアーニック。
距離を開いて向き合う六使徒に、ラターニャは困り果てながらお願いし続ける。
「あの、どうか見逃してもらえませんか? 私は別に怪しいこととか悪いことをしてたわけではないんです」
「敵軍の進軍状況を偵察に来たんだろ? さっき自分でそう言ってたじゃないか。それは僕らにとって十分過ぎるほどに悪いことに入ると思うんだけど?」
「うえ!? ち、違います違います! さっきのは間違いです!」
「じゃあ何しに来たのさ。ご丁寧に空まで飛んで」
「えっと……そうです、遠足です! 見晴らしのいい空の上でお菓子をモリモリ食べてました!」
「そう。死んで」
「ひゃああああ!」
アーニックの掌から放たれた黒き炎がラターニャに容赦なく放たれる。
その攻撃をラターニャは必死に空を飛び回って回避する。バタバタと羽を必死にはためかせる姿は実にコミカルだ。
彼女の姿を観察したまま、アーニックは掌を差し向けたままニヤリと笑って口を開く。
「なるほど。対魔力の大きさに誤魔化されそうになるけれど、とんだ張りぼてだ。お前、戦いに関してとんだ素人だね。動きがあまりに酷過ぎる」
「当たり前じゃないですか! 村で畑仕事のお手伝いをして過ごしてる私が戦いなんて経験あるわけないです!」
「……少しは隠そうとしないのか。ああもう! イライラする女だな!」
「イライラするからって八つ当たりは止めて下さい! そして私は帰ります! いいですか、ここであったことは全て内緒ですよ! お姉さんとの約束です! ひゃああああ!」
ちゃっかりそのまま帰ろうとしたラターニャだが、そんなことを当然許すはずもない。
アーニックが腰に下げていた短杖を抜き放ち、彼女に向けて氷の塊を降り注いでいく。
「話が通じない奴だな! お前はここで死ぬんだって言ってるだろ! 全く、馬鹿な女は嫌いなんだよ、僕は!」
「あわっ、あわわっ! こ、こんなの当たったら死にます! 死んじゃいます! 私が死んだらおじいちゃんとおばあちゃんの世話は誰がすると思ってるんですかあ!」
「知らないよ! 死ね!」
氷の嵐がラターニャを襲うが、翼を広げ、慌てて後方へ飛翔する。
全力で加速をつけ、大空を翔けながらラターニャはひいひいと息を漏らして言葉を紡ぐ。
「ま、まさか本当に見つかるなんてえ! あの子、まだ十歳くらいなのにとんでもない魔法使いだよお! 歳からして、多分下っ端の兵隊さんなんだろうけれど、それであの強さだったらサトゥン様達が戦ってる六使徒って人たちはどれだけ強い人なの!?」
そして全力で勘違いしまくっていた。
彼女が戦ったのは、第四軍の長である六使徒、アーニック。下っ端などではなく、純然たる強者であった。
数分ほど必死に飛行して、ラターニャは恐る恐る後ろを振り返った。
自分の周囲にアーニックの姿がないことを確認して、ほうと大きく息を吐く。どうやら緊張の糸が切れたらしい。
「ああ、本当に怖かった……みんなから逃げろって言われてるし、これでいいんだよね。とにかく、ラージュ君たちに報告を……」
「――逃がさないって言ったよね。本当に人の話を聞かない馬鹿だな」
「え、ええええ!?」
安堵するラターニャだが、彼女の眼前の空間が歪み、彼女の前に黒い影が現れ、ゆっくりと色をつけて形づいていく。当然、アーニックだ。
空間を転移してきたアーニックに驚くラターニャを鼻で笑いながらネタ晴らしをする。
「さっきお前の体を拘束した時に僕の魔力の一部を植え付けたんだ。これから先、お前が移動する場所はどこにでも転移できるって訳」
「い、インチキです! そんなのずるい! それじゃ私逃げられないじゃないですか! あ! というか、それってつまり、私が村まで逃げ帰ってもあなたが追いかけてくるってことじゃないですか!」
「その通りだよ。どうやら完全な馬鹿って訳でもないらしいね」
逃げ道を塞がれたことに、ラターニャはううとうめき声を漏らす。
もし、彼女がアーニックを振り切るように全力で逃げ、みんなと合流して村まで逃げ帰ったとしても、その後が非常にまずい。
なにせ、アーニックはラターニャの元にいつでも瞬間転移が可能になってしまっている。
つまり、彼は英雄たちの守る村へと入り込み、内部破壊などをすることができることになる。
そこまで考え、ラターニャはふとあることに気づき、彼へ問いかける。
「どうしてそのことを私に教えたんですか? 転移ができることを伝えなければ、私は何も知らないまま村へと帰ったはずです。そっちのほうがあなたにとって都合がいいんじゃないですか?」
「理由なんて一つさ。僕が今、ここで、お前を殺したいからさ。これを伝えれば、お前は逃げることができなくなるだろう? それに、辺鄙な村を蹂躙するのは兵士どもに任せればいいし、どっちにしろ皆殺しなのは変わらないし」
「ど、どうして私たちの村を襲うんですか! 私たちが何をしたっていうんですか! 私たちはただ、みんなで平穏に暮らしたいだけなのに!」
「すべては女神のため……ヴァルサスあたりならそう言うんだろうけど、生憎と僕はそうじゃない。僕はね、お前の言う『平穏』に暮らしてる連中の恐怖に歪む顔が好きなんだ」
ラターニャの言葉に、アーニックは口元を歪めてきっぱりと言い放つ。
どの顔はどこまでも醜悪に歪み。
「何の力もない、知恵もない無能な連中が口にする『平穏』、その拠り所を潰したときの顔ったら傑作なんだよね! ああ、そうだ、お前たちのちっぽけな命が唯一輝ける瞬間がそれなんだよ! 無様に命乞いをしてさ、この子だけは助けて下さいなんて言ったりしてさ! あははははは! 馬鹿だよね、心配しなくてもお前たちみんな一匹残らず殺してやるっていうのにさ!」
「そんな……そんな理由で人を殺すんですか!?」
「そうだよ? だって、僕にはそれが許される力があるんだから。強者は弱者に何をしてもいい、弱者は強者の食い物にされても仕方ない、それがこの世の摂理だろ?」
「違いますっ!」
ラターニャは強く手を握り、アーニックの言葉を否定した。
彼女の知る強者は、いつだって優しかった。死した自分たちを終端から拾い上げ、そんな自分たちがもう一度生きるための場所を彼は与えてくれた。
ラターニャは知っていた。真の強者とは、他人を食い物にする者ではなく、施す者。どんな時でも明るく笑顔を振りまき、自分たちに幸せを分けてくれた。
だからこそ、アーニックの言葉は許せない。
彼の言葉の一つ一つが、ラターニャの尊敬する勇者を否定する。そんなことは認められない。
彼にとってリリーシャが女神であるならば、彼女にとっては勇者――サトゥンこそが神に他ならない。
ラターニャを含めた隣村の人々は何よりもサトゥンを神として信じている。そんな彼の生き様を否定することだけは認められない。許されない。
「あなたの言葉は全て間違いです! 私の知る強者は、他者を蹂躙するのではなく、他者を守るために力を行使していました!」
「人のために力を振るう? ははっ、そういうの、反吐が出るね。どんな奴かは知らないけど、随分と頭が可哀想な作りになってるみたいだし、僕が後でサクッと殺してあげるよ」
「やらせません! あなたがサトゥン様のもとへ、村へとたどり着くことは絶対にありません! なぜならあなたは今ここで私が倒しちゃうからです!」
竜翼を大きく広げ、鋭い犬牙を剥きだしにして、ラターニャは咆える。
竜の咆哮は山をも揺るがす魔力の波動。襲いくる衝撃に魔力壁を張っていなすアーニックに、ラターニャは指を突きつけて宣言した。
「キロンの村娘、ケンロ農家のラターニャがあなたを止めます! さあ! 泣いて謝るなら今のうちですよ! 私はこう見えて凄いんですから! この前、畑仕事中にくしゃみをしたら畑のケンロの実を全部凍らせてしまっておじいちゃんに凄く怒られたんですから! なんとか凍ったのを溶かして蒸かして食べたんですが、凄く甘くて美味しかったです! 今日帰ったらお昼はまたそれを食べましょう! そうしましょう!」
「……お前はいちいち頭の悪い喋り方しかできないのか? いちいち癇に障る女だね!」
杖を一振りし、アーニックはラターニャの周囲に緑色のガスを発生させる。
それは猛毒のガスであり、並の人間ならば一瞬で昏倒させるものだ。だが。だがしかし、だ。
「ああああ! 目がかゆいですよおおおお! な、なんて卑劣な魔法を使うんですか! 花粉を撒き散らす魔法なんて、そんなのがあるんですか!」
伝説の竜が素体である彼女に人間を昏倒させる程度の毒など当然通用するはずもなく。
いや、ぐしゅぐしゅと涙を浮かべているあたり、微妙に効果はあるらしい。花粉症のような状態に陥ったラターニャに、アーニックは吐き捨てながら追撃をかける。
「ちっ、本当に訳の分からない化け物だね。殺したあとは解剖してその死体を有効活用してやるよ! 『光の断罪鎌』!」
短杖から光の大鎌が生み出され、アーニックはラターニャの首へ目がけて投擲した。
彼の光の刃は恐ろしい力を秘めており、飛竜の鱗をも容易に切り裂く力を持つ。
貫通はできずとも、深い傷を与えることができるだろうとアーニックは踏んでいたのだが。だが。
「は、は、は、はっくちゅ!」
大鎌が迫る中で、ラターニャが我慢できずに放ったくしゃみ、これがいけなかった。
彼女の口から放たれるは、恐ろしいほどの太さを持つ光槍。言うなればビーム。
その光は鎌をあっけなく呑み込み、アーニックの右に大きくずれ、その先にある山に突き刺さり――激しい爆発を生み出してしまった。はげ山でなければ山火事が起こっていたかもしれない、それくらいの威力だった。
「な、な、な!?」
「ううう! 目がかゆいよおおお! 鼻もむずむずが止まらないよおお! っくちゅん!」
ラターニャのくしゃみは止まらない。次々と極太ビームが周囲に放たれていく。
常時なら制御ができていたであろうに、魔法による強制的な症状と昂った力が併発し、完全にブレスのコントロールを失してしまっているのだろう。
次々と放たれる攻撃を回避しながら、アーニックは戦慄して言葉を漏らす。
「な、なんて出鱈目な女だ……お前、僕を倒すために周囲一帯を焼け野原にでもするつもりか!?」
「ず、ずびまぜん~! そんなつもりじゃないんで……っくちゅん!」
「うわあああ! くそっ、こうなったら本気でこいつを殺すしかない! 女神にもらった力を解放して……」
「くちゅっ! くちゅん! はくちゅん!」
「か、解放する時間すら与えないつもりか!? くそ、こいつ、滅茶苦茶だ! こんな戦い知らない、こんなの戦いじゃない! こんなバカみたいな、ふざけた殺し合いがあるかあっ!」
「ご、ごめんなざいいいい! くっちゅん!」
ラターニャのくしゃみから放たれた光は次々と空の四方へと伸びていく。
そんなどうしようもないほどの理不尽な暴力を、アーニックは攻撃も忘れて逃げ回ることしかできない状態だった。
所用で更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
次回更新は3月5日(土) 夜10時頃を予定しています。




