106話 焦燥
「リアン、薬草ってこれで合ってるの?」
マリーヴェルから差し出された植物の葉を見て、リアンは頷いて肯定した。
彼らは現在、ラージュからの依頼で薬草採取に乗り出していた。
「葉っぱの先端が赤くなっているのがチェーラ草。擦り傷とか切り傷に効果があって、もしもの時のために村の人は絶対家に常備してるんだよ」
「ふうん、ウチにはミレイアがいるからあまり縁がないわね」
「軍用の傷薬としても重宝していますよ。マリーヴェルは王族ですので、流石にこれを使用する機会はありませんでしたね」
「貴族のメイアが使用してるのがおかしいんだってば。王族貴族ならお抱えの治癒魔法使いがいるもんなの」
世間知らずを否定するように、マリーヴェルは唇を尖らせてメイアに反論する。
そんな彼女を笑うリアンとメイアだが、闖入者の気配に気づき得物を握りなおす。
だが、二人が動くよりも早くマリーヴェルが既に地を蹴り、何者かが襲い掛かる前に仕留め終えていた。
「ただのグランブルズよ。大きさからして成体になったばかりくらいかしら」
彼女の眼前には、その身長と同じくらいの猪が血を流して倒れていた。
人を襲う魔獣として有名な猪だが、流石にマリーヴェル相手では勝負にならなかったようだ。
グランブルの死体に触れながら、リアンは楽しそうに提案する。
「持って帰ってもいいかな? 肉が沢山あるから貴重な食料になりそう」
「げ、やめなさいよ。魔獣の肉なんてサトゥンとアンタくらいよ、食べるの。それにウチの村にはグランブルズと合成して生まれ変わってる人たちも結構いるっていうのに」
「大丈夫だよ。隣村の人たちもこの前グランブルズの肉を美味しいって食べてたし」
「あー……まあ、別にいいけど」
「細かく捌きましょうか?」
「いえ、大丈夫です。よいしょっと」
猪の死体を担ぎ上げ、リアンは平然とした顔で持ち歩く。
重量にして三百キロは超えるはずなのだが、その程度は今のリアンには何の負担にもならないらしい。
その光景をジト目で見つめながら、マリーヴェルはしみじみと呟いた。
「本当、相変わらず常識外れよね、リアンって。思い返せば、初めて会ったころもこんな感じで呆れていた気がするわ」
「そうだったかな?」
「自覚がないって怖いわね。メイアはどうだった?」
「私も同じですよ。サトゥン様のせいで隠れがちですが、初めて出会ったとき、リアンの能力には驚きすら忘れてしまいました。この子を磨けばいったいどんな戦士になるのか、そう思うだけで胸の鼓動が止まらなくなるほどに」
「あ、あはは……」
マリーヴェルとメイアに常識外れさを指摘され、リアンは苦笑でしか返せなかった。
剣を収納し、うんと一伸びをして、マリーヴェルは笑う。
「でも、こういうの、懐かしいわね」
「こういうの?」
「魔物を倒して、ああだこうだって言いあって。なんかさ、良いよね。私たちの磨いた武器は、こういう奴らを倒すために、こういう奴らから人を守るためにあるんだって実感できるもん。私たちの剣は、人間に向けるための剣なんかじゃなくて、こういうためにあるんだって思えるから」
「マリーヴェル?」
少し声のトーンがいつもと変わった少女に、リアンは引っ掛かりをおぼえてしまった。
だが、その違和感を打ち消すように、マリーヴェルは小さく首を振って笑顔を作る。
「ごめん、なんか変なこと言っちゃった。エセトレアに続いて『これ』だから、なんだか気持ちがダウンしてたみたい」
「いえ、それが普通ですよ。あなたもリアンも軍人ではありませんでしたから、『人を倒す』ことを目的とした戦い続きで気持ちが滅入るのも当然のことです」
メイアのフォローに、マリーヴェルは笑って頷くだけ。
後ろに両手を回し、手を組んで歩きながら、マリーヴェルは二人に提案する。
「この戦いが終わったら、また前みたいにどこかに『勇者と英雄ごっこ』しにいきたいね。サトゥンの馬鹿の我が儘に振り回されて、それで意味の分かんない魔物退治に付き合わされて、みんなで力を合わせて化け物を退治して、ね」
「……そうだね。大丈夫だよ、マリーヴェル。この戦いが終わったら、みんなでまたそんな旅に出られるよ。サトゥン様と一緒に、みんなで英雄を目指して、これまでのような旅がきっと」
リアンの言葉に満足したのか、マリーヴェルはくるんとその場で一回転して息を吐く。
つま先立ちで回る彼女の姿はあまりに滑らかであり、美しさすら覚える。
「あーあ、本当にらしくないこと言っちゃった! やめやめ、辛気臭いのやーめた! 訳の分かんない連中をさっさと追い返して、とっとと私たちの旅を再開するわよ! リアン、メイア! あの馬鹿と一緒に、またみんなで面白おかしい冒険の旅にでるんだから!」
いつも通りに戻ったマリーヴェルの背中を追いながら、リアンとメイアも彼女と同じ想いを胸に抱いていた。
この戦いが終われば、きっといつもの日常に戻れる。
サトゥンの無茶苦茶に振り回され、ひっかきまわされつつも人助けを世界中で行う、そんな楽しい日常に。
キロン山――リアンたちの住むキロンの村の位置する場所が、この山の高さにして半分に届かないくらいだろうか。
登れば登るほど急こう配になり、七割ほどの高さともなれば、人間では立ち入ることが困難となる。
かつて人間が足を踏み入れたことのない場所に勇者サトゥンは足を踏み入れていた。
山頂のそり立った頂に立ち尽くすサトゥンだが、何をするというでもない。
彼が見下ろす光景は、山々が広がり、森が広がり、平原が広がり、遠くには街がある。
視界に広がる光景を、サトゥンはただじっと見降ろしていた。
「魔人界とは異なる世界を見渡す気持ちはどう? あなたが恋い焦がれ、幾千年と訪れる日を夢見続けていたこの世界は」
そんな彼に突然背後から声がかけられる。
だが、サトゥンが振り返ることはない。何千年もの付き合いだ、それが誰かなど顔を見なくとも分かり切っているから。
「何も変わらぬ。この世界はいつだって美しい。生きとし生ける人間たちが、胸に夢と希望を燃やし、明日に向かって生きる姿のなんと眩いことか。私がこの世界を訪れ、幾つもの夜を越えても、初めてこの世界に触れた感動が色褪せることはないだろうな」
「たとえ、人間が人間を殺める姿を見せつけられても? 戦争なんていう愚かしい姿を見ても?」
「それでも、だ。悪意もあろう、間違えもしよう、それでも人間は素晴らしい。悪意も憎悪も、過ちも、人は必ず乗り越えられる。それは私たち魔人にはない生き方だ。ただ盲目に殺し合い、退屈しのぎの為に命を捨てる無為な生き方だけしか許されなかった私たちにはない輝きなのだ。私はそんな彼らを――英雄たちを誇りに思う。だからこそ、皆を失う訳にはいかんのだ」
外套を翻して振り返り、サトゥンは長年の相棒である魔神――カルヴィヌへと詰め寄る。
距離にして歩幅一歩もないだろう。今にも触れそうな距離へと詰め、サトゥンはカルヴィヌに要求をする。
「カルヴィヌ、私の力を今すぐに解放しろ。お前ならできるのだろう」
「時がくれば自ずと……そう言わなかったかしら?」
「それは私の身を案じるが故の偽りだろう? この体に微塵も魔力の戻る気配がないのは私自身がよく分かっておるわ。このままでは埒が明かぬ」
「あなたが焦っているのはノウァが負けたから? ノウァが勝てないほどの相手では、あの子たちでは分が悪い……自分が力を取り戻して倒さなければ。そう考えているのね?」
「否定はせん」
「私が倒すという手もあるわよ? あなたと同じ魔神七柱である私が」
カルヴィヌの言葉に、サトゥンは溜息をつくように息を吐き出す。
そして、おもむろに彼女の肩を掴み、視線を鋭くさせて問いただす。
「何年お前と一緒にいたと思っている。『俺』にそんな戯言が通用すると思うな――お前、『俺』のいない間、魔人界で何と戦っていた?」
「あら、懐かしい言葉使い。思い出すわね、あなたと初めて出会ったときに言葉もなく三日三晩殺し合ったことを」
「そんなことはどうでもいい。カルヴィヌ、お前がそこまで『消耗』した理由はなんだ?」
サトゥンの突きつけた言葉に、カルヴィヌは答えに窮する。
静寂が支配する中、お手上げとばかりに肩を竦め、彼女はぽつぽつと語りだす。
「どこかの誰かに影響されたみたい。私も弱者を守る『勇者』になってみようかなって」
「……魔人界で誰と殺しあった? お前をここまで追い詰めるなど、同じ七柱の誰か以外に考えられんが」
「終わった話なんて今は重要じゃないでしょう? そうね、バレバレみたいだから白状するけれど、私ではあの男に勝てないでしょうね。いいえ、私が本調子でも勝てるかどうか」
「ノウァを倒した男はそれほどか」
「それほどよ。あれは女神の最高傑作だと言ってもいいくらい」
サトゥンの腕にそっと手を当て、カルヴィヌは柔らかく笑みを浮かべる。
そして、彼と視線を合わせたまま、諭すように言う。
「サトゥン、信じて頂戴。あなたの力は確実に以前の通りに戻りかけているわ。確かに私の行った治療はそれだけで完結はしない……けれど土台は完成させているの。あとは全ての目覚めを待つだけ」
「しかし……」
「光り輝く十二の星は既にあなたの元に再び集っている。十二の星と七つの夢、目覚めぬ夢もまもなく終焉を迎えるわ……あとはあなたが全てを受け入れる時に全てが花開く。そうね、もし、どうしても早く力を復活させたいと願うなら――」
そっとサトゥンの頬に触れ、優しい声でカルヴィヌは答えを示す。
「物語を思い出して。あなたの愛し、恋い焦がれ、追い求めた『勇者リエンティ』の物語を、何度も、何度も――そこにはきっと、あなたの愛した夢の全てが眠っているはずだから」
次の更新は2月28日(日) 夜10時頃の予定です。




