104話 鎖
山道を大きく横に薙ぎ、ノウァに地を割られたことで、レーヴェレーラ軍は完全に分断されることになる。
ニーナ率いる第五軍を引き離された聖騎士軍は一種の恐慌状態に陥った。それも仕方のないことだろう。敵から放たれた黒光の一撃は、軍にこそ直撃しなかったが、底が見えないほどに大地を割るほどの威力を秘めているのだ。
あれが再び自分たちに向けられない保証などどこにもない。あんなものが当たれば、自分たちに待つのは確実な死だ。
「参ったね。どうするよヴァルサス。敵さんの狙いはニーナたち第五軍を俺たちから分断させることだったみたいだぜ。崖に橋でもかけて追いかけるか?」
第二軍長であるリックハルツの言葉に、ヴァルサスは視線を空へと向ける。
そこにはノウァが依然として剣を構えて佇んでおり、彼らを睨みつけている。
「……第二、第三、第四軍は東西に散開。各軍分散してキロンの村を目指せ。森に入り、小隊ごとに進軍すれば殲滅魔法の狙いには入らない」
「いいの? あれが邪魔なら僕ら第四軍が撃ち落とすけど」
「不要だ。あれは俺が相手をする。お前たちは村人を殲滅することだけを考えろ。戻る場所を攻められれば、連中は否応なしにそこに集まらざるを得なくなる」
ヴァルサスの指示に魔法隊長であるアーニックが疑問を投げかけるが、ヴァルサスは一蹴した。
そして、彼から下される蹂躙の指示に、リックハルツは表情を歓喜に染める。彼は早く人を殺したくて仕方がないのだから。
「ニーナと第五軍はどうする?」
「どうもしない。ニーナには連中を一人でも殺してもらうだけだ。第五軍だけで仕留められればよし、駄目でも撃ち漏らしを俺たちで掃討するだけだ。異存は有るか?」
「奴も女神に選ばれし六使徒、この程度一人で切り抜けられねば六使徒の意味がない。女神に仕える者ならば、あんな連中一人で蹴散らしてみせねばな」
納得したアガレス、アーニック、リックハルツは彼の指示通り、第一軍を残して散開を始めた。
軍が激しく動きを変える中でも、空に佇むノウァは微塵も動かない。その様子を見て、ヴァルサスはこの動きが彼にとって想定内であることを読む。
だが、指示は変えない。なぜなら、この進軍が敵にとって都合がいいということは、すなわちヴァルサスにとっても同義だからだ。
他の軍が出払ったのを確認して、ヴァルサスは馬を降り、ノウァへ向けて歩いていく。
そんな彼に呼応するように、ノウァはゆっくりと地に降り、腕を組んだままヴァルサスへ対峙した。
「どうやら貴様がこの人間たちの頭のようだな」
「……魔族か? 身に纏う空気が人間とは随分と違うようだが」
「そういう貴様は忌々しい臭いを身に纏っているな。まるで物語の英雄のようではないか」
「女神に選ばれた人間を英雄と呼ぶのなら、俺がそうなのだろうな。人々の平和などに微塵も興味はないがな」
「その思考では俺様の求める人間は務まらんな。やはり魔王に対峙する者は人間のために戦う愚者でなければならん。賢人である贋作に興味はないが――下らぬ戦いを引き延ばすほど俺様も暇ではない」
そう告げながら、ノウァは腰から大剣を抜いてヴァルサスへ向ける。
ヴァルサスもまた、ゆっくりと巨大槍を構え、ノウァを視線で射抜く。
「貴様を仕留めればこの下らぬ人間の争いは終わるのだろう? 俺様が求めるのは力を取り戻したサトゥンとの再戦だ。それに下らぬ横槍を入れる貴様らに興味などない。ラージュからは足止めを頼まれたが、頼まれごとは十分に果たしている。それに何のことはない、ここに頭がいるのなら、それを叩き潰してしまえばこの茶番は終わりだろう」
「長々とおしゃべりが過ぎるな。俺を殺したいのならさっさとかかってくるがいい」
「いいだろう。俺様の主義にいささか反するが、俺様を愚弄した貴様は別だ――殺してやろう、人間」
瞬間、黒き嵐が戦場に吹き荒れる。
ノウァの体から放たれる暗黒の闘気、それは竜巻にも等しい激しさを伴っている。
だが、そんな彼の力にもヴァルサスは動じず、槍を構えて佇むのみ。
風が舞う戦場の中で、黒き獣と光の騎士が正面からぶつかり合うのだった。
防戦一方。
否、そんな表現すら生温い。苦戦とすら呼べぬ、あまりに一方的な蹂躙。
神速の如き速さで迫る黒槍をニーナは必死に体を横にずらして回避するが、息をつく暇など存在しない。
そちらに避ければ次の刃が飛んでくることは嫌というほど理解している。だが、彼女はその一手を選ぶしかない。なぜならそれが、彼女に許された唯一の致命傷を避ける一手だからだ。
「良い勘です。ですが、技術に頼る余裕をなくした動き、それ故に読み易い――シッ!」
「ぐぁっ!」
流麗に舞うメイアの一太刀がニーナの太ももを切り裂く。
女神の力により、血の流れはしばらくすれば止まりはするが、動きの減衰は抑えられない。
肩で呼吸をしながら、ニーナは視線で空に舞う手の残りを数える。
数にして十二。百を超えるほどの彼女の蒼手は、ものの数分でここまで数を減らされてしまった。再び手を生み出す余力も余暇も彼女には許されない。そんな隙を見せてしまえば最後、己に向かう狩人の誰かによって一太刀の元に切り伏せられて終わってしまうだろうから。
距離を詰めてくる二剣使いの少女を蒼手の剣で迎撃しながら、ニーナは目を血走らせて怨念の籠った声を発する。
「なんでよ、なんでよなんでよなんでよ!? どうして私が追い詰められているの!? 私の力が、神の力がどうしてアンタたちには通用しないの!?」
「随分と余裕がなくなったわね。ま、一対一ならいい勝負ができたかもしれないけれど、今回は運が悪かったと諦めて頂戴。もちろん、サシでやってもアンタ如きに負ける気は全然しないんだけど。アンタ、クラリーネより三枚くらい格落ちだもん」
「私がクラリーネ以下!? あんな奴より劣っているですって!? ありえない、ありえないありえないありえない! 死ね、神を愚弄したお前は今すぐ死ね!」
「わお、本当に単純。やりやすいったらありゃしないわ。六使徒みんながこうだったらいいんだけど……ねっ!」
全ての蒼手が少女――マリーヴェルに向けられ、剣が次々に繰り出されていく。
だが、それも全ては英雄たちの掌の上。視線だけで合図を交わし、彼女の前にリアンが立つ。そして、大地に沈むように膝を落とし、一喝とともに槍を旋回させた。
「はああああああああああああ!」
暴風がごとき槍の旋回が上下左右に吹き荒れる。
リアンの怪力に加え、闘気によって加速が加わった槍壁に隙はない。守りを得意とする彼の防壁に、一本、また一本と蒼手の剣が叩き落とされていく。
蒼手をマリーヴェルに向けたことにより、彼女の守りは大きな隙を生んでしまう。そこを見逃すほど、英雄たちは温くはない。
百戦錬磨の戦士たちが彼女へ向かって牙を突き立てんと武器を疾走させる。ニーナの動きを封殺せんと、彼女の右手に巻き付くは鋼の蛇剣だ。
「くっ、この……裏切者が、忌まわしいっ!」
「裏切者という響きが今は心地よく感じる。もし、あのままレーヴェレーラに属していたならば、私はお前たちと同じ側にいた。改めてサトゥンとマリーヴェルには感謝せねばならん……私がキロンの村の子どもたちに刃を向ける未来を潰してくれたのだから」
「村人の命がなんだっていうのよ!? そんなもの所詮は蹂躙されるためだけに存在する矮小な命に過ぎない! 私たちは神に選ばれたのよ!? 私たち以外の人間なんてゴミよ、ただの餌でしかないのよ!? それをクラリーネ、あんたはっ!」
「――言いたいことは、それで終わりか?」
クラリーネに呪いをぶつける途中、ニーナの体がくの字に大きくへし曲がった。
グレンフォードの容赦ない一撃が彼女の腹部へ突き刺さったのだ。
彼の意思により、切れ味こそ消し去っているが、これほど巨大な斧を殺人的な加速でぶつけられたのだ。並の人間なら臓器全てが潰されてもおかしくない一撃だ。
神の力により身体強化されているとはいえ、ニーナとて無事では済まない。骨を粉砕され、激痛に呻きたまらず膝をつく。
集中力が切れ、彼女の周囲の残る蒼手が全て消失し、武器が次々に地に落ちていく。
腹部を押さえ、大地に転がりながら、ニーナは眼前に立つグレンフォードを虚ろな瞳で睨みながら呪詛を紡ぎ続ける。
「なによ……なによ、私は間違っていない……私は、選ばれたのよ……他の人間は全てゴミ、私は支配する側、私は勝利者……私は、神なのよ……がはっ」
せき込み、彼女は口から血を流す。どうやら臓器の一部が損傷しているようだ。
その姿に、英雄たちは勝負あったと武器を下ろしていく。そんな姿が、ニーナの心を激しく苛立たせる。
見下すな。勝ち誇るな。私は選ばれし人間なのに。
否、人間を超越した、全てを許される神である私を、お前たち蹂躙されるべき人間ごときが。
肩で呼吸をしながら、ニーナは焦点の合わない瞳でグレンフォードを睨みながら嗤う。
もはや『異端化』は解け、翼は消失し、髪の色は戻ってしまっている。それでもなお、彼女は嗤うのだ。自分は特別だと、選ばれし絶対者だと妄信して。
「そうよ、私はあの方に……女神に認められたの……私は殺さなければいけないのよ……」
「ニーナ、お前は……」
「愚かな人間は、殺して殺して殺して、間引かなければ、いけないの……増えすぎないよう、二度と愚かな過ちを繰り返さないよう、女神の手によって支配されなければ……管理されるべき家畜、それが人間だもの……そんな、家畜を、選ばれし神である私が管理しないと……ふふっ、ふふふ、うふふふっ、死ね、死ね死ね死ね、人間なんて、死んじゃいなさいよ、あはっ、あははっ」
虚ろな瞳に光を灯さぬまま、ニーナは嗤い続ける。
自身を敗北者と認めず、人間を塵芥と侮蔑し、心を満足させてどこまでも。
その様を眺めながら、マリーヴェルは表情を顰めながら声を漏らす。
「……狂ってるわね。ねえ、クラリーネ。アンタ以外の他の六使徒ってみんなこんなに『やばい』訳?」
「いや、そんなはずは……確かに六使徒は殺しに特化した存在だが、ここまで力と神に『溺れた』存在ではなかったはずだ。特に、私の知る限りニーナは合理的な一面が強い。今回のように部下を殺してみせたり、戦闘不能になるまで不利な状況で戦うなどしない性格だった。残虐ではあるが、戦と兵を率いることに関しては長けていたニーナだが、これではまるで……」
「人が変わったよう、ですか。以前ミレイアが言っていた巫女シスハのように」
メイアの言葉に、クラリーネは頷き肯定する。
彼女の様子を観察しながら、クラリーネは酷く困惑せずにはいられなかった。
確かに、自分もニーナのように異能の力を与えられた。その力を使うとき、不思議なほどの高揚感と人間からの剥離を感じていた。だが、彼女ほど心に異常をきたすことはなく、心の奥底では人間に戻りたいという想いを持ち続けていた。だからこそ、マリーヴェルの叫びに応えることができた。
だが、今目の前にいるニーナはどうだ。
人が変わったという言葉では表せないほどに、彼女の在り方はクラリーネの知るニーナとは変わっていた。まるで彼女の在り方が強い力に塗り替えられてしまったかのように。
もともと選民意識が高い女性ではあったが、常識にとどまる範囲ではあった。性格は褒められたものではないが、軍の長に相応しい判断力・知恵を備えた、認めざるを得ない実力者であった。それがなぜ。
眉を寄せるクラリーネの迷いを断ち切るように、グレンフォードはきっぱりと言い放つ。
「詮索は連れ帰った後にすればいい。第一の目標である六使徒の一人の無力化は達成した。一度村に撤退し、ラージュの指示を仰ぐぞ。ニーナ・アプリアの身柄がこの戦況を有利に進める一手となる」
「……そうだな」
小さく首を振ってクラリーネは迷いを消す。
とにかく緒戦の目的は達成した。ニーナを拘束し、ラージュの魔法によって完全に無力化して、情報を引き出しつつその身柄を有効に活用する。
ニーナの乱心により、周囲に敵兵は残っていない。亀裂の向こうの軍に合流されても問題はない。本隊が森を迂回し、村へ向かうまで時間は大きく消費することになるだろう。
また、大魔法を最初に放ったことにより、大規模な数の軍を送り込みにくくなったはずだ。
部隊を小分けして、方角を散開させて村を目指すだろうと言うのがラージュの推測だ。
彼の狙い通りに軍が動くことを願いつつ、英雄たちがニーナを抱えようとした時、遠くから地鳴りのような音が響いてくる。
その音は高笑いと共に近づいてゆき、いつもの聞き慣れた声にリアンは花が咲いたように嬉しそうな表情を浮かべ、マリーヴェルは心底げんなりした。
そして、近づいてくる筋肉男に向かって、リアンは手を振って呼びかける。
「サトゥン様!」
「ただいま戻ったぞ! 私を追いかけまわしてチヤホヤしていた人間どもが急に散り散りに逃げていったゆえ、戻ってきたわ! 来訪してきた人間たちから相手をしてもらえなくて寂しくなったのでな、お前たちに相手をしてもらおうと思ってな! さあ、遠慮せず私に構うがいい!」
「人が真面目に戦ってるのに、本当にいつもいつもアンタは……ところで、アンタなんでロベルトを引きずってんの? ロベルトはどうして魂抜けかかってるわけ?」
「ふはははは! ロベルトも私と共に人間たちから追い回されていたゆえ、興奮し過ぎて疲れたのであろう!」
ふざけた発言をするサトゥンだが、もはや今のロベルトには突込みを入れる元気すらない。
リアンたちがニーナと切り結んでいる間、彼はサトゥンに連れまわされ、命をかけた鬼ごっこを延々と続けていたのだ。全力ダッシュでよくぞここまでスタミナが持ったものだと賞賛されるレベルである。これもグレンフォードによる日ごろのしごきの成果だろう。
満足そうにふんぞり返るサトゥンだが、ふと視線をニーナに向けて首を傾げて問いかける。
「ぬ? お前は先ほど私をいの一番に追いかけてきた小娘ではないか。何を地べたに転がっておるのだ」
「サトゥン様、この方は六使徒の一人で聖騎士軍を率いる一人ですよ」
「なんと!? こやつが人間どもを率いてこの村まで先導した張本人か! つまり、こやつを連れ帰り、私の素晴らしさをみっちりと叩き込み、サトゥン教に鞍替えさせれば、先ほどの人間全てが私の追っかけに変わる可能性が!」
「ないから。微塵もないから。いい加減脳みそ空っぽのまま思ったことを口走るの何とかしなさいよ。ま、こいつを連れて帰るのは間違ってないけど。ほら、アンタ無駄に体力有り余ってるならこいつ抱えてデブ鳥を呼んでよね」
「デブ鳥ではない! ポフィールは勇者を運ぶ格式高い聖鳥であるぞ!」
マリーヴェルに反論しながらも、ニーナを抱えることは問題ないらしい。
彼女を村に連れ帰るべく、サトゥンがニーナに近づこうとした、その時だった。
地に転がる彼女から、不気味な気配とともに感情のない声が聞こえてきたのは。それはまるで、ニーナとは異なる別の存在が語るかのようで。
「……そう、人間は、滅びなければならない。世界を終わらせた、愚かな人間どもは死ななければならない……これは神の裁き、これは神の代行、これは神の復讐……」
「まだ訳の分からないことを……ほら、与太話は後でいくらでも聞いてあげるから、一緒に村にきてもらうわよ。アンタには聞きたいことが山ほどあるんだからね」
「そう……神に逆らった愚かな人間は滅びなければならない……今一度、神の裁きを人間に。神の裁きを世界に――この人間の魂と与えた力の返還、五の鎖の放棄……神の先兵を解放――」
「っ、いけません!」
ニーナの異常に気づいたメイアが声をあげた。ニーナ・アプリア、彼女の髪の色が再び黄金に染まり、背中に蒼き羽が復活したのだ。
だが、メイアが声を上げたのはニーナの変化よりも、彼女の頭上に浮かぶ物。彼女の視線の先には、全て消し去ったはずの蒼手が空に生み出され、その手には『光の剣』が握られていた。その武器に気づき、英雄たちの表情が強張る。
そう、それは彼らにとって痛いほどに見覚えのあるものだ。エセトレアで、リアンを貫いた、忌まわしき神の刃。その刃が、恐ろしき速さで、ニーナの心臓目がけて解き放たれた。
激しい加速がついた光の刃は、目標を寸分違わず貫いた――そのはずだった。
「サトゥン、様……」
ニーナに届くはずだった光の剣は、サトゥンの突き出した右腕に妨害され、彼女に届くことなく彼の腕に深く突き刺さっていた。
流れ落ちる彼の紅き血に呼応するように、光の刃は空気とともに霧散していく。最後の一撃で力を使い果たしたのか、今度こそニーナは崩れ落ちるように意識を失った。
静まり返る中、血を纏った腕を掲げたまま、サトゥンは己の流血を気にすることなく空を睨み吐き捨てるように呟いた。
「――どうやら、未だあの忌々しい女の影が蠢いているようだ。エセトレアの敗北で懲りればよいものを」
その声は、普段の彼からは想像できないほどに冷たく、そして鋭く――
「――鎖が一つ解放されたようだ。ニーナは死んだか、はたまた神に見捨てられたか」
戦場に一人立つ男、六使徒ヴァルサスは『血の付いた』槍を振り払いながら呟く。
視線の先、断崖の向こうでは狂乱する第五軍の兵士たちの悲鳴があがっている。彼らの様子から、ニーナが『真の力』を解放し、その上で負けたのだと悟った。
だが、そんな光景を見てもヴァルサスは表情を変えることはない。隻眼を地に向け、そこに倒れ伏した血まみれの男へ向けて問いかけるように声をかける。
「どうやらお前の仲間はなかなかにやるようだ。どうやらエセトレアで巫女シスハをねじ伏せた実力は紛い物ではないらしい。貴様の時間稼ぎも無駄にならずに済んでよかったな、魔族よ」
ヴァルサスの問いかけにも、血に倒れた男は答えない。否、答えられるはずがない。
なぜならその男――ノウァは完全に意識を失っていたからだ。全身を傷つけられ、失血死してもおかしくないほどに血を流すノウァに、ヴァルサスは一歩また一歩と近づいていく。
そして、槍を大きく振り上げ、ノウァに向けて手向けとばかりに言葉を紡ぐ。
「さて、我が女神は奴に集う全ての命を所望している。それは無論、貴様も例外ではない。貴様の死が、奴に絶望を与える。貴様の死が、我が女神に喜びを与える。ならば迷う道理はない――安らかにゆくがいい」
巨槍を天に掲げ、ヴァルサスは迷わずノウァの心臓目がけて槍を振り下ろす。
だが、その槍が彼の胸に届くことはない。槍が彼を貫く刹那、ノウァの体が大地から消えたのだ。
地に突き刺さった槍を抜き、ヴァルサスは視線を崖の向こうへと向けた。
そこには、気を失ったノウァと、彼を抱きかかえる美女の姿があった。
金色の髪を棚引かせる美女は、飄々とした様子を変えることもなく、まるで普段話でもするように楽し気に語り掛けるのだった。
「残念だけど、この子を殺させるわけにはいかないの。ごめんなさいね――この新世界で女神に選ばれた『リエンティの勇者さん』」
そう告げて笑う美女――魔神カルヴィヌ。
彼女の登場に、戦場はより苛烈を極めていく。それは紅蓮の炎のように、熱く、紅く。
次の更新は2月24日(水) 夜10時ごろの予定です。




