103話 悪手
ニーナ・アプリア。
クラリーネと同じくレーヴェレーラ聖騎士軍所属の騎士であり、その実力を女神によって見出された。
彼女の戦い方は一言で語るなら変幻自在。
同じ元六使徒であるクラリーネが守りの正統であるなら、彼女はまさしく真逆に位置する猛者だ。
グレンフォードの振り上げた斧をニーナは片手剣で流し、空いた右手を腰もとへ伸ばす。
彼女が掴み、投擲するは投げナイフ。至近距離から放たれる刃をグレンフォードは引き上げた斧の柄で棒術がごとく叩き落とした。
その隙に地へ着地し、小型の鎌を取り出したニーナは動きを減速させることなく右に左に攻撃を分散させてグレンフォードを切りつける。
小さな竜巻が如き攻撃を弾きながら、グレンフォードは感心するように賞賛する。
「良い攻撃だ。手数の種類で敵を幻惑し、動きに慣れさせることも許さず相手の命を絶つ、か。一つを極めんと磨き上げるではなく、全てを底上げした戦い、これをお前に叩き込んだ者は思い切ったな。よほど良き師に恵まれたと見える、ニーナ・アプリア」
「上から目線で苛立たしいわね! 私に師匠なんていないわよ! この戦い方を教えてきたリリーシャ教の爺なら、あんまり口うるさいから勢い余って殺しちゃったけど! きゃはははは!」
「才と師には恵まれど、本人が欲に溺れていてはな。環境が違えば、マリーヴェルにも並ぶ使い手だっただろうが――その程度では俺に届かんぞ」
「っ! まずっ」
グレンフォードの斧が黄金の『闘気』に包まれ、悪寒を感じたニーナは彼から距離を取ろうとする。だが、遅い。
守りの静から攻めの動に転じたグレンフォードの突撃、その爆発力は英雄一の破壊力を秘めている。
長年研鑽された力と技術に裏打ちされた、純然たる戦士としての力。それが英雄最強を誇る大陸一の戦士、グレンフォードの武器だ。
一度の加速で離れるニーナを捉え、グレンフォードは迷わずに斧を縦一文字に振り下ろす。
その一撃はこれまでの比ではなく強力かつ豪快。
回避するために剣筋を逸らそうと剣を当てたニーナだが、その刃を根元からへし折られた。それだけでは止まらず、グレンフォードの斧は大地に突き刺さり、激しい揺れとともに深く大地を割いていく。
十数メートルほど地を割る様を見て、ニーナは表情を歪めて吐き捨てる。
「冗談じゃないわよ、なんて力なの! あんた本当に人間な訳!?」
「生憎と俺は人間を止めたつもりはない。さて、その言葉をそっくりそのまま返させてもらおうか、ニーナ・アプリア。このような『遊び』で時間を費やすのも馬鹿らしいだろう」
「なんですって……?」
「お前の本当の姿を見せろと言った。お前たち六使徒が女神に異形の力を与えられているというのはクラリーネから聞いている。さっさと変化して本気でこい。そうでなければこの俺は殺れんぞ」
暗器を取り出し、ブーメランのように空を滑空させてグレンフォードの喉元を狙うが、そんなものが彼に届くはずもない。
あっけなく一振りで一蹴され、暗器は真っ二つに割れて地を転がった。
次々と繰り出してくニーナの攻撃をグレンフォードが容易に捌く様子を見て、流石に周囲の兵士たちにも動揺が走り出す。
「馬鹿な、リリーシャ神の使徒であるニーナ様をああも容易く……」
「女神の騎士が負けるなど、そんなことが……」
「相手はローナンの誇る英雄グレンフォードだろう? 大陸最強の英雄は六使徒をものともしないのか……」
兵士たちが動揺し、動きが散漫になるのも仕方のないことかもしれない。
たった一人で数百の兵を退け、ニーナをも圧倒するグレンフォード。その苛烈な在り方に衝撃を受けないわけがない。
ましてや、ニーナはレーヴェレーラで女神に仕える最強たる六使徒が一人。その絶対的存在であり、自分たちを束ねる将がここまで一方的に追い込まれているのだ。これで動揺するなというほうが酷であろう。
距離を確保したまま、グレンフォードと睨み合う形をとりながらニーナは思考する。
戦況は非常に悪いと言っていい。三千からなる第五軍が、たった数人の人間に押し返されている。ここまでくれば認めざるを得ない。敵は強い。ただの狩られる弱者ではなく、対等の狩人だ。
そして、敵の狙いはもはや明確。
彼らの目的は、軍の長たる自分を倒すこと。そして兵士の犠牲を最小限度に抑えること。
これだけの兵を相手にし、未だ死者らしい死者が出ていないのがその証拠だ。彼らは兵士たちに手心を加えながら、自分を、レーヴェレーラが誇る第五軍を潰そうとしている。
それを理解した時、ニーナの心にどす黒い炎が激しく燃え上がった。
ふざけるな。
ふざけるな。
要するに、連中は自分を舐めきっている。
自分相手なら、分断した第五軍だけならば、手加減をした状態でも戦えると思っている。
舐めた。この私を。神に選ばれた最強の使徒であるこの私を、ただの人間ごときが。
許せない。許せない。絶対に許せない。
そうだ。自分を蔑んで見下すことなど誰が相手であろうと許せない。
女神に認められたあの日、自分は生まれ変わった。命の価値すら認められないゴミ以下の存在から、全ての存在の頂きに立つ絶対的権力者へと生まれ変わったのだ。
神に認められた自分は神にも等しい。自分以外の人間などカス以下の存在に他ならない。
六使徒になって、人を殺しても咎められることはない。なぜか、自分は神と同等だからだ。
六使徒になって、気分の向くままに人間を虐殺しても許された。なぜか、自分は神に認められたからだ。
そう、私は神だ。
その私をこの男はコケにした。見下ろした。舐めた。
神を愚弄した人間は殺さねばならない。それがレーヴェレーラにて唯一絶対の掟であり法。
――ならば殺す。神である私を馬鹿にしたこの男は私がこの手で殺す。
「……いいわ。その挑発、後悔させてあげる。宣言するわ、『若獅子』グレンフォード。お前はこの私が神の力でバラバラに割いて殺してやる」
情報は洩れている。裏切者である六使徒のクラリーネが向こうについているということは、同じ六使徒である自分が異端の姿となれることは当然ばれている。
そこまで考え、ニーナは口元を歪める。だから、どうした。
この力は内容を知られたからといって困窮するような甘い代物などではない。
確かにグレンフォードは強い。大陸一の英雄と称されるだけのことはある。かつての自分ならば勝ち負け以前に土俵に上がることすらできなかっただろう。
だが、今は違う。
女神に選ばれ、認められ、生まれ変わった『本当』の自分なら、この男を殺せる。
絶対神であるリリーシャに選定された自分ならば、世界最強の英雄とて容易に倒せる。
それだけの力が、今の自分には存在する。そう――神として生まれ変わった、この私なら。
「見せてあげるわ、私の真の姿を! そしてグレンフォード、お前に私が直々に神の裁きを与えてあげる!」
折れた剣を掌へ当て、ニーナは迷わず剣を引き抜いた。
一直線に走った傷から流れる血は大地に落ち、彼女の足元に紅き魔法陣を描く。
それはクラリーネがエセトレアでみせたものと全く同じものだ。
眩い光がニーナを包み、光が収束すると同時に、そこに異形の女の姿が現れる。
藍色の髪は淡い金髪へと変容し、鎧は白き神衣へと変わり。
何より特徴的なのは、背中に生える蒼き一対の翼。クラリーネが黒翼だったのに対し、こちらは海を思わせるほどの蒼。
その場に君臨した天使の姿に、周囲の兵士たちから狂気じみた歓声があがる。当然だ、女神リリーシャの信徒である彼らにとって、女神の従者たる天使が現れたのだ。これで士気が上がらないわけがない。
悠然と佇み、ニーナは表情を愉悦に染めながらグレンフォードに言葉を紡ぐ。
「これが女神に与えられた私の真の力。あはっ、ああ、気分が良いわ。この姿になるととても高揚するの。今なら無力な人間を何人でもくびり殺してあげられそう」
「それがお前の力か。装備していた武器が全て失われているようだが」
「あら? 心配してくれるの? お優しいこと。でも大丈夫――武器ならそこにいくらでもあるじゃない」
そう告げて、ニーナは天に腕を伸ばして拳を握った。
瞬間、彼女の周囲に現れるは無数の手首。蒼き光で構成された、百を超える不気味な手は、周囲の兵士へと飛翔する。
「な、何だこれは……ぎっ!?」
「あ、が、が!」
「な、なにをされるのですか、ニーナ様っ、ひいい!」
そこから先は地獄絵図だ。
手首たちは次々と兵士たちに襲い掛かり、その首に手をかけていく。
あるものは絞殺され、あるものは首の骨を折られ。次々と斃れていく兵士たちに、グレンフォードはニーナを睨みつけて問いただす。
「貴様、どういうつもりだ」
「ふふっ、私の力は『創成の手』。神の力の一つに人間の命を支配するというものがあるのだけれど、それと似たようなものかしら? 私の手は『人間の命を吸う』の。吸えば吸うほど私は強くなれるの! どう、神に相応しい力だとは思わない!? きゃはははは! こいつらはね、私専用の生命貯蓄庫なのよ! 私に兵士なんていらないの! 私のこの力があれば軍隊をも超える力が出せるんだもの、こいつらは私にとって都合の良い栄養源ってわけ――っと」
ケタケタと笑うニーナだが、それ以上言葉は続けられない。
荒々しく大地を蹴り飛ばし、距離を詰めたグレンフォードの一閃が彼女へと襲い掛かったからだ。
だが、身体能力が先ほどより向上しているニーナはその攻撃を紙一重でかわしてみせる。
そして、蒼手の半数を上空へ呼び寄せる。その蒼手は、兵士たちから奪った剣や槍が握られており、グレンフォードへと向けられていた。
「ふふ、怒ったのかしら? あのグレンフォードが? 部下殺しで有名なあなたが! 聞いているわよグレンフォード! あなたはかつて氷蛇を相手に随分と部下を無駄死にさせたそうじゃない! そのあなたが私に何を怒るというの!?」
愉悦を零しながら、ニーナはグレンフォードを責め立てる。
彼女のあからさまな挑発だが、グレンフォードが動じることはない。斧を彼女に向けたまま、今にも次の一撃を放とうと闘気を高めている。
そんな英雄を嘲笑いながら、ニーナは口元を歪めて言葉を続ける。
「くふっ、返す言葉もないのね。情けない英雄だこと。いいわ、グレンフォード、この神である私が直々にお前の首をはねてあげる! お前の顔は好みだからね、その首は持ち帰って家にでも飾ってあげるわ! あはっ、あははっ、あはははは!」
「……一つ、餞別代わりに教えてやる。貴様の一番の失態は味方の兵に刃を向けたことだ」
「は? 失態ですって? こんな私の糧でしかない役立たずどもを殺したのが失態ですって? 笑えない冗談だわ!」
彼女の視線の先では、刃を向けられたことにより恐慌状態に陥り、我先にと逃げ出す兵士たちの姿がある。
先ほどまで神の使いである天使ともてはやしていた彼らが、今はニーナを恐ろしき死神として恐怖する。その人間の掌の返しようが愚かしく面白い。これだから殺しはたまらない。
愉悦を漏らす彼女に、グレンフォードは淡々と語り続けていく。
「兵は末端の一人に至るまでその者にしか成せない役割がある。彼らの良き長で在り続け、戦うことを選んでいたならば戦いはまだどう転ぶか分からなかった。だが、貴様は失策を犯した。味方の兵を殺し、恐怖を植え付け、戦場で兵に役割を放棄させてしまった時点で貴様の敗北は決した――ニーナ・アプリア、驕ったな」
「ちっ、上からご高説を語ってくれるわね……いったい何が言いた……なっ!?」
彼女が言葉を言い終えることはなかった。
ニーナの背後から伸びてきた剣先、鋭い一撃を感知し、慌てて身を空へ翻したからだ。
鞭のようにしなる恐ろしき蛇剣。その剣技にニーナは見覚えがあった。否、在り過ぎた。
その剣は彼女が憎くて憎くてたまらない、『良い子ちゃん』が得意とする剣技だからだ。
「グレンフォードの言葉の意味、噛み砕いて教えてやろう。お前が第五軍の兵士に手をかけたことで、兵士たちは乱れ、必死に私たちを食い止めていた戦線は崩れた。そうなればどうなるか――簡単だ。六使徒の首を狙う私たちがお前の元に集まるのは、必然のことだろう?」
「クラリーネ・シオレーネ……この裏切者が!」
蛇剣を大きく旋回させる剣士クラリーネ。
彼女の登場に表情を憎悪に染めるニーナだが、そんな彼女にクラリーネはフッと笑って更に残酷な言葉を突きつける。
「哀れだな、ニーナ・アプリア。自業自得とはいえ、お前に同情せざるを得ん」
「なによ、何がよ!」
「私のときはマリーヴェルとメイアの二人だけだった。だが、この戦況はより絶望的だ。もし、今の私がこの状況で戦えと言われれば、あっけなく心折れかねないほどにな」
クラリーネの言葉に、ニーナは彼女の言葉の意味をようやく理解することになる。
多くの兵が散り散りに逃げ、それとは反対に彼女の元に集まってくる戦士たちにニーナは今度こそ笑顔を失った。
左方からは巨大な黒槍を握りしめる少年が。
背後からは双剣使いの少女と刀使いの女性が。
周囲を五人に囲まれ、ニーナは絶句する。
歴戦の戦士であるニーナだからこそ分かる。この場にいる誰も彼もが恐ろしいほどの強者であり、兵士たちを返り討ちにした者たちだ。
ここにきて、ニーナは初めて自分の立場を知ることになる。
ただでさえ苦戦を強いられていたグレンフォードがいるのに、自身と同等の実力を持つクラリーネが現れた。
そして、そのクラリーネと同等かそれ以上の力を感じる人間が三人。そう、ニーナはようやくクラリーネの言葉の意味を悟るのだった。
絶対的な神の力を与えられた。
意のままに人間を殺すだけの立場になった。
自分に勝てない相手などいないはずだった。絶対強者になったはずだった。
それでもなお、分かってしまうことがある。自分が戦士であるがゆえに、肌で感じてしまう絶望。
「詰めの時間だ、ニーナ・アプリア。村人の命がかかっている以上、多対一とはいえ容赦はせん。この緒戦、お前をねじ伏せて終わりにさせてもらおう」
ああ、そうだ。嫌になる。この気分は、かつて散々味わった屈辱だ。
反吐が出るくらい心に刻まれた記憶が、彼女にこの現実を理解させる。
たとえ神の力を得たとしても。
どれだけ人を蹂躙してきたとしても。
そんなものは何一つ意味をなさない。
だって今、この場での自分は弱者――『狩る者』ではなく『狩られる者』に他ならないのだから。
次の更新は2月22日(月) 夜10時ごろの予定です。




