100話 名案
翌朝、サトゥン城に集まった面々はそれぞれが緊迫した表情を浮かべていた。
日常ではないほどに張りつめた空気に満ちた室内だが、それも仕方のないことだろう。
ノウァとカルヴィヌからもたらされた情報――『人間の大軍がキロンの村に向けて侵攻している』という内容があまりに衝撃だったのだから。
静まり返った室内の中で、グレンフォードはノウァに詳細を確認する。
「軍隊の詳細は分かるか? 武装や軍の構成、何でもいい」
「そこまでは知らん。俺様が感じているのは、大量の人間の『殺意』だ。他を蹂躙しようという魔に泥され、澱みを伴い、武装した人間どもがこちらに近づいてきているという気配を感じたに過ぎん」
「それ、本当にキロンの村に向かってるの? ここじゃなくて別の場所へ移動してる最中とかじゃないの?」
「それはないわね。人の意思があまりにも『ここ』に向けられ過ぎているもの」
マリーヴェルの問いかけにカルヴィヌはやんわりと否定する。
どれほどの規模かは分からないが、大軍と呼べる人間たちがキロンの村を真っ直ぐ目指しているということは間違いないようだ。
きっぱりと言い切るカルヴィヌとノウァの言葉に、困惑するのはメイアだ。
「解せません。キロンの村に大軍を送り込む意図が分かりません。この村は最端とはいえ、メーグアクラス王国の領地です。この村を攻めれば、どの国であれ大国であるメーグアクラスとの戦争は避けられなくなります」
「お父様やリュンヒルド兄様がやられっぱなしで終わらせるなんて考えられないものね。しかもウチに喧嘩を売ったら、同盟国のローナンだって黙ってないでしょ? なんせここにはローナン国の英雄までいるわけだし」
「俺のことは知らんが、メーグアクラスが攻められてローナンが動かない手はない。メーグアクラスとローナンは互いに背を預け合う同盟国だ。二国の強固なつながりが、他国の侵略を退け続けた歴史もある」
マリーヴェルの言葉に同意するようにグレンフォードは補足する。
すなわち、メーグアクラスに軍を向けて侵略を行うと、巨大国を二つ相手にする必要になってしまう。大国二つの二面作戦など現実的とは思えない。
「メーグアクラスとローナンを同時に相手取って戦える国となればクシャリエ女王国、もしくはランドレン帝国ですが……」
「可能性はないな。あの二国がこのような無駄な戦争をしかけるとは思えん。何より、クシャリエの女王とランドレンの王はサトゥンを友と認めていたからな」
「消去法で考えれば答えなんてすぐ出るものさ。メーグアクラスとローナンが消え、クシャリエとランドレンも理由がない。エセトレアはあの事件のせいで復旧で軍を持つ余裕なんてない、メルセデート連合は自衛以外の戦争を深く禁じている上に陸を攻める戦力を持たない。となれば残るはたった一つさ」
「……レーヴェレーラ」
ラージュの言葉を継ぐように、ミレイアがぽつりと国の名前を呟く。その名前に英雄たちの表情が一層強張る。
神聖国レーヴェレーラ。女神リリーシャを信仰するリリーシャ教の総本山にして、国民すべてが信徒として在る宗教国家だ。
エセトレアで起きた事件、その裏側でレーヴェレーラが計画の糸を操っていたことは英雄たちの記憶に新しい。六使徒であるクラリーネ、そして巫女シスハを撃破したことで、彼らがサトゥンたちに剣を向けるには十分過ぎる理由だ。
レーヴェレーラの名が出たことで、視線は自然とクラリーネへ集まる。彼女は少し考える素振りをみせたのち、己の意見を述べ上げる。
「可能性を問われれば、是と答える。巫女シスハが戻らぬ理由は既に国に伝わっているだろう。サトゥンとその仲間、そしてこの村を『異端』とし、神罰の名のもとに軍を向けるには十分過ぎる」
「あなたの身柄を取り戻しに来たって線はあのわけ? もちろん、返すつもりなんて微塵もないけど」
「ないな。私は六使徒でも『半端者』だ。他の連中には疎まれ、軍を預けられることもなかった。私が生きているならば、連中は嬉々としてこの首を狩るだろう」
「クラリーネさんほどの実力者でも半端者だなんて……他の六使徒はそれほどの実力なのですか」
「リアン少年、それは違う。私が半端者と呼ばれていたのは、心の在り方の問題だ。私と違い、連中は誰もが愉しんで人を殺す。神の名のもとに、異教者を虐殺することに快楽を見出す暗部、それが六使徒だ」
「そ、そんな! 六使徒と言えば、レーヴェレーラでも尊敬される聖騎士として……」
「それは国民向けの上辺だけに過ぎんよ、ミレイア。真の六使徒は穢れ切った殺人集団、女神リリーシャの名を騙り汚す外道だ。無論、私も含めてな……痛っ!」
「はい、自虐厳禁。次に自分を落とす発言したらまた足踏むから」
ツンと顔をそむけるマリーヴェルに、クラリーネは固い表情を崩して笑みを零す。
卑下して下を向くことを許さない、前を向くことを強制してくれる少女にクラリーネは心から感謝せずにはいられない。彼女と出会えたからこそ、剣を交えたからこそ、自分は『人間』に戻れたのだ、と。
「しかし今度は人間の軍隊が相手かよ……魔物相手ならまだしも、同じ人間相手に殺し合いなんてどうすりゃいいんだよ。軍隊ってくらいだから、規模は千人とかじゃねえんだろ?」
「ざっと一万は超えているんじゃないかしら? 大凡で申し訳ないけど」
「い、一万!? いやいやいや! こんな小さな村に一万って、レーヴェレーラの連中はいったい何考えてやがるんだ!?」
「一万で終わらないかもしれないよ、ロベルト。レーヴェレーラから後発の軍隊が送られ、合流すればその数はどんどんネズミ算式に増えるかもしれないね」
「怖いこと言うんじゃねえ! とにかくどうにかしねえと拙いだろこれ! このままじゃキロンの村が、俺たちの村が戦場になっちまう!」
「馬鹿ね、だからこうして話し合ってるんでしょうが」
慌てるロベルトに対し、マリーヴェルが正論過ぎる突込みを入れる。
ロベルトの言う通り、このままではキロンの村に夥しい数の兵士がなだれ込んでしまう。
キロンの村は村人の総数にして三百人を割る程度。普通の人間のほかに、サトゥンによって甦った半魔獣の人々や魔法を使いこなす流浪の民がいるが、それでも村に攻め込まれてしまえば一万を超える軍勢を相手にすることなどできはしない。
かと言って打って出るには敵の数があまりに多過ぎる。ノウァやカルヴィヌ、ライティやラターニャといった広範囲攻撃の使い手が力を振るえば一網打尽に数を減らせるかもしれないが、あまりに死者が出過ぎてしまう。
敵が魔物ならいざ知らず、同じ人間の命を大量に奪うのはサトゥンと道を同する彼らにとって選びにくい一手だ。だが、今回はそうもいってられないのかもしれない。
迷いに迷い、英雄たちの心がやがて一つの結論――『人を殺める』という方向へいきそうになるなか、これまでも黙していた男が口を開く。
「むふん! 迷い困り果てているようだな、我が愛しき英雄たちよ!」
腕を組み、ふんぞり返る勇者サトゥン。
白い歯をきらりと輝かせる能天気な笑顔に、流石のマリーヴェルもイラッとしたらしい。
三白眼状態の目を向けて、サトゥンを一睨みしてスルーすることにしたようだ。
「さて、とりあえず一刻も早くリュンヒルド兄様に連絡を取りましょうか。目的が私たちとはいえ、敵が軍をメーグアクラスに送り込んできたんだから、こっちも軍を出してしかるべきだと思うし」
「ローナンにも連絡を取ろう。ベルゼレッドの奴がこの状況で動かないとは思わんがな」
「ぬ? ふんむ……ごほん! あー! あー! どうやらー! 策が思い浮かばずー! 困り果てているようだなー! 我が愛しき英雄たちよー!」
「う、うるせえええ! 旦那、声でか過ぎっ!」
スルーされる=声が聞こえなかったと勘違いしたサトゥンは、再び大声量で言葉を繰り返す。その声量は仲間たちの鼓膜に大ダメージを与えるほどに強烈だったようだ。
頭を押さえてくらくらしながら、やがて観念したようにマリーヴェルは仲間を代表してサトゥンに話しかける。
「アンタね、今真面目な話をしてるんだから下らない茶々入れたりするんじゃないわよ」
「茶々など入れぬわ! つまるところあれであろう、この村を狙う大量の人間たちが向かってきて困っておるのだろう! 対処する名案が思い浮かばず嘆いておるのであろう!」
「そうなんです……サトゥン様、もしや何かお考えが?」
リアンの問いかけに、サトゥンはにんまりと笑って胸を叩く。
そんな彼の素振りに対し、英雄たちの反応はバラバラだ。驚き、曖昧な笑み、困った笑み、うさんくさげな眼。
そんな三者三様の反応を気にすることなく、サトゥンは人差し指を立てて皆に語り始める。
「任せておけ! この勇者サトゥンに良い考えがある! 何も心配することはない、この私に全てを委ねるがよい! この問題を一発で解決してやろうではないか! 何、この私の勇者としての輝きがあれば問題にもならぬ!」
「……あのね、アンタ本当に現状を理解してる? どれだけやばい状況なのかちゃんと聞いてた? 一応話は聞くけど……」
「むふふ、マリーヴェルよ、私の案を聞いて腰を抜かすでないぞ! 相手が人間ならば好都合! 魔物の大軍を相手にするよりもあっけなく終わると約束しようではないか!」
そう言い切り、サトゥンは自信満々に英雄たちにその策を話し始めるのだった。
英雄たちは胸に期待一割、不安九割の想いを抱きながら彼の話に耳を傾け続ける。そう、彼らは結局のところ理解しているのだ。
こんな状況を打破するのは、いつだって破天荒なこの男なのだと。勇者サトゥンの無茶苦茶な計画に、いつだって自分たちは乗り、最高の形を得続けたのだから。
太陽が昇り始めたばかりの時刻。
一万五千を数えるレーヴェレーラ聖騎士軍は足並みを乱すことなく軍を進めていく。
長蛇を描く聖騎士軍、その最先頭で馬に乗るは軍の長である六使徒たちだ。
第一軍、騎兵中心の『聖神隊』を率いるはヴァルサス・レザードウィリス。
金髪隻眼が特徴的で、白銀の鎧を身に纏い、巨槍を片手に持つ男だ。
第二軍、剣士中心の『黒神隊』はリックハルツ・ナルバル。
黒髪長髪ですらりとした体躯。鎧も纏わず長剣を腰に下げ、軽装に特化した捉えどころのない人物。
第三軍、重装歩兵中心の『剛神隊』にはアガレス・ドグラレタ。
全身をガッチリとした重鎧に纏わせた、前エセトレア王グランドラを思い出させる重装備であり、手には大盾とナイトランスと守りに秀でた組み合わせだろう。
第四軍、魔法兵で組まれた『魔神隊』はアーニック・ゲーニクル。
灰色の髪を両目が隠れるほど伸ばし、全身を高価な魔具で固めた年若き少年魔法使い。
第五軍、混成隊で結成された『遊神隊』を率いるはニーナ・アプリア。
シャギーの藍色髪が目を引く紅一点の女性騎士。弓矢、短刀、長槍など、得物を数多く携えている。
「このペースなら後二日もあれば辿り着くか? 楽しみだねえ。無力な人間を蹂躙するのはいつだって心躍って仕方ない」
「相変わらず良い趣味ねえ。ま、それには同意だけど。きゃははは!」
リックハルツの呟きに、ニーナはケタケタと満足そうに笑いながら同意する。
彼らの頭にあるのはただ蹂躙のみ。たかが一国の小さな村に万を超える軍勢を送るのだ。彼らが戦争に向かうのではなく遊びに向かうのだと認識してもおかしくはない。
そんな彼らを諌めるように、ヴァルサスは淡々と釘を刺すことを忘れない。
「クラリーネと巫女シスハを返り討ちにし、エセトレアでの計画を防いだ連中だ。油断するなとは言わんが、失敗だけはするな。俺たちは神のために結果だけを残せばいい」
「その通りだ! 我らが女神を愚弄した者どもを一人残らず根絶やしにすること、それが我らに与えられし使命なのだからな!」
「はっ、ヴァルサスもアガレスも固いね。戦いにもならない、こんなつまらない道程なんだから少しくらい楽しみをみつけないとやってられないって」
「……アーニック」
「分かってるよ。結果は残すさ、僕も神の怒りに触れるつもりはないんでね」
話は終わりだとばかりに切り上げ、六使徒たちは蹂躙のための進軍を続けていく。
だが、そんな彼らの歩みが止められた。最初に馬を止めたのはヴァルサスだ。六使徒の長たる彼が止まれば、万を超える軍勢も自然と動きを止める。それほど洗練された軍なのだ。
馬を止めたヴァルサスは、視線を空へと向け、目を細めて声をもらす。
「……なんだ、あれは?」
彼の視線の先、大空の向こうに見えるのは巨大な影。
最初は遠すぎて分からなかったが、それが段々と近づいてくることで小粒の影が次第に輪郭を帯びていく。
「――巨大な鳥、か?」
「でけえな。あんなデカい魔鳥なんてこの大陸に存在したのか」
「どうする、ヴァルサス。魔法隊の準備をしておくの?」
「いや、あの高度では届くまい。何事もなく過ぎ去るならよし、もし襲ってくるなら俺が殺る」
「……ねえ、あれ、本当に鳥なわけ? 鳥にしては何だか、不格好っていうか、かなり太ってるような……」
六騎士たちが次々に声を上げてその飛翔体について議論を交わしていく。
空の向こうから近づいてくる巨大鳥。その姿は鳥と言うにはあまりにふくよかであり、もっというなら丸々、でっぷりとしていた。
その鳥が必死にパタパタと羽を羽ばたかせながら大空を翔けている。そして、鳥が近づくにつれて、近隣の空に響き渡る不思議――否、不気味な高笑い。
「な、なんだこの笑い声は……」
「不愉快だね……実に不快極まる馬鹿笑いだよ」
切れることなく、どこまでも響き渡る男の笑い声に、六使徒たちが警戒を強めていく。
それに呼応するように、軍隊の兵士たちも武器を抜き、何があっても対応できるように準備を進める。
彼らの先頭に立つヴァルサスも巨大槍を馬上でゆっくりと構え、迫る巨大鳥を見つめながら言葉を紡いだ。
「――くるぞ」
彼の呟きの刹那、大空を舞う巨大鳥の上から人影が舞い降りた。
「――フハハハハハハハハハハハハはぶふっ!」
否、舞い降りたなどという格好良いものでも、華やかなものでもない。
なぜなら、鳥の背から飛び降りた人物は、遥か上空からそのまま自由落下を行い――激しい衝撃音とともにそのまま地面へめり込んだのだから。
激しい砂埃を巻き上げ、自由落下を果たした人物はそのまま大地に人型の跡を残して地中奥深くまで埋まってしまった。
その光景を呆然と見つめていた六使徒は、やがてゆっくりと再起動し、困惑しながら口を開く。
「な、何なの今の……人間? 人間が飛び降りてきたの?」
「いや、飛び降りてきたんじゃなくて自殺したの間違いだろ……あんな高度から魔法で着地もせず地面にめり込んじまってるしよ。こりゃ、確実に死んだだろ。一応確認を……」
「――動くな、リックハルツ、ニーナ」
リックハルツとニーナが確認のために穴へ近づこうとしたが、それをヴァルサスが言葉で制止する。
槍を一振りし、警戒を解かぬまま、ヴァルサスは人型の穴を睨んだまま言い切った。
「気配が消えていない。そいつはまだ死んでいない――出てくるがいい、招かれざる異端者よ」
「……くははははははっ! とうっ!」
ヴァルサスの言葉に呼応するように、大地の底から一人の男が跳躍して現れた。
銀の髪を立て、切れ長の瞳に鍛え抜かれた肉体。漆黒に染まる服装が特徴的な、誰が見ても『悪』そのものである、面白おかしな人間の味方。
「我が愛しき人間たちよ! お前たちの来訪を心より歓迎しようではないか! 我が名はサトゥン――人間を救うため、魔人界よりやってきた『リエンティの勇者』の再来、勇者サトゥンである!」
突然現れた男の名乗りに、その場の誰もが呆然と言葉を失った。
微塵も空気を読めないその男は、満足そうに大軍勢を眺めながら、くふふと笑みを零して言葉を続けていく。
「仲間たちに聞くところ、お前たちは私が目的でここまでやってきたそうだな! 私が目的ということ、つまりお前たちは私のファンであるということだな! よかろう! 今日からお前たちは一人残らずサトゥン教に入信させてやろうではないか! 何、聞けばお前たちは女神リリーシャなどという性悪女の信仰を強制されているそうではないか! よいよい! あんな阿婆擦れヒステリック女などさっさと捨てて、最強にして最高の勇者である私を信仰するとよい! ふはは! 私は過去にはこだわらん心の広い勇者なのだ!」
白い歯を輝かせ、満面の笑みでサトゥンはレーヴェレーラ軍と対峙した。
一対一万五千。絶望的な状況を前にしても、彼の突き抜けた馬鹿っぷりは何一つ曇ることなく、その表情は満足そうな笑顔に満ち溢れ――リリーシャ教に全力で喧嘩をふっかけてしまっていた。
自分を狙って大量の人間がやってくる=自分のファンが大量にやってくると勘違いしていることに未だ気づくことなく。
魔人勇者サトゥン――英雄たちの話し合いの内容を微塵も理解できていない、どこまでも残念な男であった。
笑顔、です。
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